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日蓮大聖人・池田大作

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三 宇宙の調和とリズム  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  池田 私は何人かの米ソの宇宙飛行士と対談しましたが、第三次スカイラブの船長ジェラルド・P・カー博士は、宇宙飛行を経験して「この宇宙には、厳然とした調和と秩序があることを感じた」と言っておりました。
 夜と昼の厳然とした移り変わり、光り輝く太陽と漆黒の星空のコントラスト、青く美しい地球、日没をむかえるあたり一帯の、大気の色調の微妙な変化などに接し、調和と秩序の存在が理屈を超えて迫ってきた、というのです。
 博士には、このような体験はありますか。
 博士 もっと平凡な体験ですが、あります。私自身にとって、このうえなく幸せな〈自然界〉との交わりは、たとえば、よく晴れた月のない夜に、熱帯地方の浜辺を一人でそぞろ歩きしながら、目で満天の星を見つめ、耳では魔法のように心を和ませてくれる波の音に聞き入る、というようなことです。
 そんなときに私は、畏敬の念に圧倒され、個人としての自分の存在がたちまち消え失せて、宇宙の無限の広がりと一体になるのを感じます。
 池田 宇宙を研究していると、だれびとも、その絶妙なる調和と厳然とした秩序を感じないではいられないときがあるようです。また、〈個と全体〉〈人間と宇宙〉の深遠なる関連性に思い至ることも少なくないと思われます。
 それは、宇宙飛行士や研究者に限られることではないでしょう。
 以前、日本のある天文学者と話し合ったのですが、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩の中にも、
   ひとつぶの砂にも一世界を
   いちりんの野の花にも天国を見
   きみのたなごころに無限を
   そしてひとときのうちに永遠をとらえる
 (『ブレイク詩集』寿岳文章訳、彌生書店)
 という、〈生命の詩〉ともいうべき一節があります。
 この詩の一節に、アインシュタインをはじめ、量子力学の建設にたずさわった多くの科学者たちが影響を受けたとも聞きました。
 博士 私も、宇宙にはもともと、ある種の調和がそなわっていること、そしてその調和は、それを感知できる人々の心に深い感情を起こさせる力をもっていることを確信しております。その経験は神秘的で美しいものです。
 前にも申し上げましたが、私は青年のころ、よくそうした感情を俳句風の詩で表現したものです。私は日本の偉大な俳人・芭蕉に深く感化されていました。いくつか例を挙げてみましょう。
   調和あり 輝く星と 仰ぐ我れ
   万億の 星と交わり 独り立つ
   静けき夜 花も音無く 落つるなり
 これらの句は、芭蕉の模倣としては、あまりにも下手であるかもしれません。しかし私の見解では、俳句は、私たちと宇宙との深いつながりを表現するための芸術的媒介として理想的なものです。今、ブレイクの詩の一節を引用されましたが、イギリスには、それと同様のことを別の言い方で表現した詩句が数多くあります。
 池田 アインシュタインも、大宇宙の空間を考え抜いたとき、それを思慮している彼自身の〈内なる心〉という〈小宇宙〉の無限の広がりに、思いいたらざるをえなかったといいます。〈小宇宙〉としての〈心〉の世界、〈生命〉の内奥の領域のあまりの厳粛さ、神秘さ、壮麗さに、アインシュタインはそれを「宇宙的宗教感情」という言葉で表現せざるをえなかったのだと思います。
 仏教の「我即宇宙」「宇宙即我」の法理が開示する生命感情、すなわち人間生命の淵源に刻みこまれた、大宇宙にまで遍満しゆく歓喜の潮流とは、アインシュタインの言う「宇宙的宗教感情」が志向していたものであると私は思うのです。
 またホイル博士も、永劫にして無限なる宇宙存在を感知して、宗教的ともいえる畏敬の念をいだいていたのではないでしょうか。
 博士 ホイル博士は、たしかに、そうした「宇宙的宗教感情」をもっています。博士は、神とは宇宙の根元をなしている論理構造にほかならないと考えています。つまり、神とは自然界の諸法則と同義であるとみなしていいでしょう。
 博士は、ユダヤ・キリスト教的な神のモデルを最初から受け入れませんでした。彼の信念は、まさに仏教の教えるところと一致しています。つまり、もし〈神〉なる〈もの〉が本当に存在するとすれば、それは自分自身の中に発見されなければならない、ということです。

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