Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二 地球外生物は存在するか  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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5  繁栄に不可欠な〈平和の哲学〉
 池田 私も、ほかの惑星上でも大自然の法則は地球や太陽系と共通しているゆえに、その文明はいつかは〈原子核〉を発見し、原子力時代に入っていくと思います。
 したがって、この高度科学技術文明を長く繁栄させていくには、〈核〉の力をコントロールできる〈平和の哲学〉を確立しゆくことが必須条件であると思うのです。
 その惑星上に生を受けた知的生命体が、平和を志向する哲学・宗教をもち、慈悲の精神に満ちている状態でなければ、高度科学技術文明の安定性は望みえないでしょう。知的生命体がエゴと傲慢に支配されていたのでは、〈核〉を悪用して自己の文明そのものを破壊してしまうからです。
 大乗仏教では、この宇宙には多彩なる仏国土が存在し、ダイナミックに交流する姿が説かれております。例えば『法華経』の「序品」には「此土六瑞・他土六瑞」という瑞相が説かれ、釈尊が集まってきた衆生に妙法蓮華経という偉大なる法を説き始めることを知らせる場面が、生き生きと描かれています。
 その中で、「爾の時に仏、眉間白毫相の光を放ちて、東方万八千の世界を照らしたもうに、周徧せざること靡し」(開結一二四㌻)(そのとき、仏〔釈尊〕は、眉間にある巻き毛から光を放って、東方の一万八千の世界を照らされたが、その光はあまねく行き渡らないところはなかった)と、仏が眉間から光明を発し、東方万八千の世界という広大な領域を照らしだしたことが示されています。それぞれの世界では、仏が出現しており、菩薩や衆生が仏とともに修行し、平和で安穏な社会を築きあげている様相が描きだされていきます。
 また『仁王経』には、「大王吾が今化する所の百億の須弥・百億の日月・一一の須弥に四天下有り」(大正八巻)(大王〔プラセナジト王=波斯匿〕よ、いま私〔釈尊〕が教化する百億の須弥山に百億の日月があり、その一つ一つの須弥山に四つの大陸がある)としるされております。
 一つの須弥山と、それをとりまく太陽・月と四天下とは、現代天文学の知見からすれば太陽系に相当するでしょう。太陽のような恒星と地球のような惑星を有し、そこに知的生命体を誕生させている天体が百億もあるというのです。
 このように大乗仏教では、生命を宿す世界が宇宙に遍満することを大前提として法が説かれております。敷延すれば、仏教の法理による〈精神革命〉〈魂の革命〉が恒久平和をもたらし、それらの星における高度な科学技術文明を永続化させる原動力になるということです。
 博士 核時代は第二次世界大戦の終戦直後に始まったので、まだ五十年もたっていません。今後どれくらいつづくかが問題です。
 ここで、恒星の寿命が銀河系の百億年の歴史のなかに無作為に配分されていると仮定してみましょう。もし一つの原子力文明が五千年つづいてから自滅するとし、また数十億個の恒星が知的生命体の生息に適する惑星をともなっているとすれば、どの時点をとってみても数千の文明があるにすぎないでしょう。
 しかし、仮に平和主義的な哲学が私たちの望みどおりに、いつかは優位を占めるようになるとすれば、多くの文明が数百万年つづかないわけはありません。もしそういう状態が実際につづいてきたと仮定すれば、何百万という数の知的文明が、現時点において銀河系の中に共存していることになるでしょう。
 しかし、もし私たちが、宇宙から「こんにちは」という最初のあいさつを聞くことがあるとすれば、そのときこそ人類史の行路が劇的に変わることでしょう。私たちは、ようやく地球中心・自己中心の傲慢な態度を捨て去り、それに替えて地球の生態系全体を、そして全宇宙を考慮に入れるという姿勢、つまり仏教が提唱しているような姿勢をとらざるをえなくなるでしょう。

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