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第三章 文明の英知  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

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2  国連は公害と戦え
 クーデンホーフ 国連は、環境保護を今世紀の最重要問題の一つとしてあつかうべきであり、公害に対して宣戦布告すべきです。
 私は、第二次技術革命というべきもののみが、公害問題を解決できると考えています。第一次技術革命は、筋肉から頭脳への移行を可能にしました。その結果、頭脳はこの地球上で最も重要な機能を果たすことになりました。
 今や、第二次技術革命によって、環境汚染と戦わなければなりません。それは、第一次技術革命に対する新しい科学技術による挑戦であり、反革命、つまりあらゆる生物を環境汚染から守るための戦いです。
 池田 これまでに環境汚染は、国境を超えた人類全体の問題として対処しなければならないと、話しあってきましたが、人類がこの問題に総力を挙げて取り組めば、世界は一つという理想へ向かって一歩前進になると信じますが、いかがでしょうか。また、あなたの世界連邦主義の立場から、この点どうお考えになりますか。
 クーデンホーフ 公害防止のための国際協力は、確かに世界連邦政府の構想を推進する、一つの機縁となるでしょう。しかし、世界の現状では道ははなはだ遠いというほかありません。
 人類はすべて同胞であって、共存のために互いに協力しあわねばならない――こういう思想を高めていけば、いつかは世界連邦政府も実現するでしょう。
 だが現実の世界は残念ながら、世界連邦結成には、心理的にまだほど遠く、おそらくわれわれの時代に、その実現を見ることはないと思います。しかし、われわれは、一歩一歩その準備をしていかなければならないと思います。
 これは一つの考えですが、公害問題を解決するため、日本は国連に対して、次のような提案をしてみてはどうでしょうか。
 つまり、公害対策のための特別な国際機関を設置し、その対策本部を日本に設けてはどうかという提案です。ユネスコ本部がパリにあるように、東京または大阪に、国連公害対策本部を置いてはどうかということです。
 この場合、日本政府がそのための所要資金と土地を提供すれば、大変素晴らしいことだと思いますが……。
 場所については、あの万博会場敷地の一部を提供することはどうでしょうか……。国連で承認が得られるかもしれません。
 池田 大変良い提案だと思います。私は、公害を根本的に解決するためには、文明の質的転換がなされなければならないと思います。そのためには、まず、征服の論理から、調和の論理への転換が不可欠の条件となるでしょう。自然の美を守るという思想は、公害問題を解決し、さらに戦争防止にもつながると思います。
 仏法の生命尊厳の思想は、自然もまた人間と同じく生命体そのものである、という調和の思想に立っています。反対に、自然を人間と対立するもの、自然は征服されるべきもの、と考えるのは、ユダヤ教やキリスト教などの一神教に深い関係があるのではないでしょうか。
 クーデンホーフ 人間対自然という対立概念は、元来、力と調和という二元論に発するものです。この二元論は、時間と空間、男性と女性、の対立概念にもあてはまるものです。
 概して、東洋では調和の理念が強く、一方、西洋では力の理念が支配的です。
 自然を神と悪魔の戦いの場であるとするのは、古代ペルシャのゾロアスター教(拝火教)の思想です。人間は、神の側に立って悪魔と戦う義務を負い、世界はそのための戦いの場であるというのです。
 つまり、人間は悪魔と戦う神の兵士である、という教えであるため、拝火教は、自然を悪魔の領域としてとらえているわけです。
 これは言い換えると、人間は自己の内面のすべて、肉体と欲望のすべてに対して戦い、より高い理想を求めなければならない、という対立の哲学、思想になります。あなたの指摘された対立、征服の論理ですね。
 このゾロアスター教の二元哲学はユダヤ教に伝わり、その後キリスト教やイスラム教にも、また共産主義思想にも影響を与えたと言えると思います。
 池田 なるほど。公害についてとくに重大なことは、それが母胎を通して子孫にまで大きな影響をおよぼすということです。
 これは、指導者が、後につづく世代の健康と福祉ということを、真剣に考えなかった結果だと言えましよう。
 いずれにしても、人類が生存しつづけていくために、協力してこの問題の解決にあたらなければならないと思います。そして、解決のための明確な戦略とスケジュールを立てることが大事ですね。そのためには、全世界の政府も政党も、科学者も企業も一般市民も、協力しなければならないと思います。
 公害は現実に、核兵器以上の脅威を人類に与えていると言っても決して過言ではありません。また、核兵器が、核実験という形で、大気や海洋を汚染していることも事実です。
 日本は、かつて核兵器による悲惨な犠牲をこうむりました。その結果、戦争を永久に放棄した平和憲法をもったわけですが、ところが現在は、公害というまったく別の脅威にさらされています。あたかも公害実験国のような様相です。このまま事態が進行すれば、やがて日本人の大半が死滅に瀕するかもしれない、と言われているほど、自然破壊、環境汚染が進んでいます。
 私は、日本こそ、まず、公害との戦いを全世界に呼びかける使命と責任をもつと信じます。ですから、その意味でも、あなたの提案である日本に国連の公害対策センターを設置する、というアイデアには大変賛成です。
3  人間の内なる転換
 池田 これまでの対談の中で、あなたはヨーロッパにおけるキリスト教の凋落について、繰り返し述べられていますが、それは、ここ半世紀における科学技術の急速な発達と密接な関係があるのではないでしょうか。
 クーデンホーフ 確かに、キリスト教の衰退は、新しい科学、とくに生物学や天文学との対立に起因しています。
 池田 その点、東洋の仏法哲学は、人間をも含む宇宙の一切の生命活動の変化や原点を因果律に置き、したがって、科学的思考法とまったく矛盾することのない生命観、自然観、そして宇宙観に立っております。
 今日、ヨーロッパやアメリカで仏法思想に強い関心が寄せられているのは、仏法が因果律を根本にしているため、科学的法則と矛盾しないところに由来していると思います。
 クーデンホーフ 仏教がキリスト教とは違って、科学の法則と反しないことは、大変偉大だと思います。
 教養あるヨーロッパ人なら、人間は神の作れるものというキリスト教神学よりも、動物から進化したとする、ダーウィンの進化論のほうをむしろ信じています。
 キリスト教は、人間と動物はまったく無関係で、人間は神の世界に、動物は自然界に属している、と説きます。人間と動物とは、まったくつながりがない、というわけです。
 ヨーロッパの一神教――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教――と科学とのもう一つの争点は、宇宙観の相違です。これらの宗教では宇宙の中心は地球であって、宇宙の中で、地球だけが、人間のいる唯一の場所である、と説きます。
 一方、天文学は、宇宙には数千億もの星があり、その星のなかには、人間のような高等生物が生存していると推測される星が数百万もある、としています。私は、これはありうることだと思います。
 こうした世界観、宇宙観の対立によって、ヨーロッパの知識人は、キリスト教から離反し始めたわけです。極端に言えば、ヨーロッパの知識階級の大半は、もはやキリスト教を信じていません。大勢の人々は、信じているふりをしているだけで、偽善的にさえなっている、と言えましょう。
 池田 そうした近代科学の底流にある思想、つまり疑わしいことは信じないという考え方の淵源をたどっていくと、デカルトに帰着しますね。
 クーデンホーフ そのとおりです。デカルトは、真の意味で、近代ヨーロッパ哲学を確立しました。私は、デカルト哲学に、尊敬の念をもっています。
 池田 私も、デカルトを尊敬している一人です。彼は『方法序説』の冒頭で、「良識(bon*sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている」(落合太郎訳、岩波文庫)と述べています。彼は、人間が共通にもっているものを探り求めました。そしてそれを、良識や理性に見いだしました。
 昔の哲人、賢人と言われる人々の偉大さは、特定の人間だけがもっている特殊なものではなしに、あらゆる人々に共通するものを演繹的に見いだしたことにある、と思います。
 私は、仏法の出発点も、ここにあったにちがいないと信じております。あらゆる人間の中に秘められた普遍的な実体、人間、生物、無生物など、自然界、宇宙界の森羅万象の根本にある普遍的な法則――仏法はここに、根本の基盤を置きました。
 そこで、私は考えるのですが、現在、世界平和にとって、最も必要なことは、万人が何を共通の基盤として、新しい世界を建設していくかにあると思います。
 近代科学は、デカルトの合理主義によって、急速な進歩を遂げました。しかし、その科学も行き詰まってしまった今日、デカルトの思考法を超えたなんらかの共通の基盤を、人間の中に求めなければならないと思います。
 つまり、ふたたび生命の実体を解明することが必要になってきたわけです。そして、そのカギは、仏法にある、というのが私の信念です。
 科学の原点は、つねに人間であり、人間を離れた科学はありえません。近世以降の科学上の大発見もすべて、結局は人間の内なる世界を転換したことによってなされております。
 つまり、それまでの狭い自然観・宇宙観から脱皮して、より広い自然と宇宙への認識に立ったときに、科学は飛躍的進歩を遂げたと言えましょう。それが、冷静な洞察力と優れた直観的な知恵、演繹的な思考によっていたことは明らかです。
 コペルニクス的転回と言われる数々の転換は、結局、人間のこの内なる転換の結果であったと言えましよう。
 現代科学の最高峰である相対性理論、量子力学などの理論が発見され、確立されたのも、人間の自然認識、宇宙観の、まさにコペルニクス的転回によって、初めて成し遂げられたものだと思います。
4  宗教の世紀ヘ
 池田 二十世紀は科学文明の世紀、と言われてきました。とくに最近は科学技術の発達はめざましいものであり、宇宙開発に象徴されるように、ついこの間まで、夢のように思われていたことが、次々と実現化しています。
 しかし、科学文明の発達は、人類に偉大な未来を約束する反面、戦争など、いろいろな面で暗い影を投げかけています。
 科学文明のもつこれら明暗両面から、われわれがまず知らなければならないのは、科学は決して万能ではない、ということであろうと思います。
 その観点から出発して、人間は、科学技術の分野だけではなく、それをどのように人間の真の幸福に結びつけていくかに、その最高の英知を向けていかなければならないと思います。
 科学技術がもたらした物質的な豊かさは、人間の幸福にとって、一つの要因であっても、すべてではありません。なぜなら人間は、生命全体の充実を求めるのが本来の姿です。
 ところが現在は、物質的豊かさの中で、精神の空洞が大きく広がっており、しかも、巨大な科学文明は、人間性とか、個性といった、人間にとって最も大事なものを奪いつつあるといっても過言ではありません。
 そこで、科学文明のもつ矛盾を解決し、それを正しくリードするための英知を何に求めるべきか――私は、この英知の源泉が、生命尊重を第一義とする仏教の中にあると信じています。
 クーデンホーフ 私も、高度産業社会において、生活と人生を意義あらしめるのは、科学技術でも政治でもなく宗教であるという点で、まったく同意見です。それは、人類が現在いまだかつてない大きな変革に直面しているという事実について、深い認識を与えうる高い次元の宗教でなければなりません。
 池田 元来、人間は、科学的、理性的存在であるとともに、それ以上に宗教的な存在であると思います。
 私の言う宗教とは、生命の実体を究めつくしたものであり、生命への限りない尊重の念を呼びさまさせるものです。それは科学や哲学のようなたんなる理性ではなく、それらを包含した、生命の本質的なあり方を問題とするものでなければならないと思います。
 そうした宗教をもつということこそ、私は人間性にとって偉大な要素ではないかと考えます。
 したがって、科学の世紀は、同時に宗教の世紀でもなければならないと思います。
 科学性、合理性をその内に包含しつつ、科学をはるかに凌駕し、科学を支える人間生命の働きや、その本質に光を当て、解明することのできる高次元の宗教であって、初めて科学をリードする力となることができると思います。
 現代は、現実的には宗教がその力を失いつつある時代であることは事実ですが、本質的には、宗教の復権が求められている時代だと思うのです。
 クーデンホーフ 人間は、科学的存在であるばかりでなく、宗教的な存在でもあるという、あなたのご意見には、まったく同感です。いつの時代にあっても文明人は、つねに宗教を求めてきました。
 池田 科学と宗教とは闘争しあうものとされてきましたが、私は、本来、これらは対立すべきではなく、融合しあえるものと考えます。
 クーデンホーフ 科学と宗教は、対立すべきではありませんが、しかし、統合はできないと思います。
 ヨーロッパには、科学しか信じられないとして、唯物論者に傾いた人が多くいます。それは、前にも出た、疑わしいものは信じられない、という考え方からですが、しかし、私は、この考え方は生命の本質や働きについても、また宇宙の実体や法則についても、まだよくわかっていない人知の現発達段階では、大変危険なことだと思うのです。
 私は、理性よりも想像力のほうが強くなければならない、と思います。
 池田 私の言う融合とは、あえて言えば止揚の意味です。科学は今日まで、極力″人間的なもの″を排除する方向をとってきました。人間的なものが、混在している間は、科学は科学として成り立たないという立場でした。それにはそれで、大きい意味があったと思います。
 科学が、人間的なものを排除しようとする方法論によっていたとはいえ、しかし、科学の生みだした成果を、ふたたび人間社会へ導入するとき、人間性への復帰が行われるべきだったと思います。
 科学は、その探究の方法においては、人間的なものを除去しなければならないのは当然かもしれませんが、しかし、その目的においては、人間生命の尊重、幸福の追求という全体観に立つべきです。
 宗教は本来、人間生命の主体性、総体性を確立するためのものでなければなりません。科学と宗教が、それぞれ独立の立場をとるのは当然ですが、私は、人間生命という共通の目的観に立って、そこに融合点、止揚すべき点を求めなければならない、と思います。
 その意味で、アインシュタインが「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教にも欠陥がある」と指摘したことは、大変重要なことだと思います。科学文明が行き詰まってしまった今日、世界的に高次元の宗教運動を展開することが、それを切り開くカギであると、私は信じます。
5  生と死
 池田 科学と宗教に関連して、生と死の問題を考えてみたいと思います。人類の起源を調べるとき、考古学では、死者を葬ったかどうかが、一つのポイントになっていると聞いています。
 生と死の問題こそ、最も古くて、しかも、今なお現実的な意味をもつ、つねに新しい問題であると言えましょう。あらゆる宗教は、これを問題にしてきました。あなたも、これまでに生と死の問題を深く思索してこられたと思いますが、それをお聞かせ願えますか。
 クーデンホーフ 東洋とヨーロッパでは、生と死の問題に対する考え方に、大きな相違がありますね。
 東洋では、生と死は、いわば本の中の一ページです。そのページをめくれば、次のページが出てくる、つまり新たな生と死が繰り返される――こういった考えだと思います。ところがヨーロッパでは、人生とは一冊の本のようなもので、初めと終わりがあると考えられています。
 そして、キリスト教徒の場合はこの世をどのように生きたかによって、天国に行くか、地獄に行くか、永遠に決まってしまうとしています。
 唯物論者は、死とともに一切が終わると考えています。つまり、人間は一度だけ生まれ、そして死ぬと完全に消滅してしまうという考えです。
 ですから、ヨーロツパ人は一生涯、死に脅かされながら、人生を生きています。たいていの人が、口にこそ出さないだけで、つねに死の観念につきまとわれて生きているわけです。
 東洋、とくに日本で、ヨーロッパよりも死への恐怖心が少ないのは、来世観ないし永遠の生命観をもっているからではないでしょうか。
 キリスト教徒は、一般的には、来世観や永遠の生命観を信じていませんが、多くの教育あるヨーロッパ人は、それに近いものを信じているようです。ピタゴラスやプラトンをはじめ、ヨーロッパの偉大な哲学者、と言われる人たちは、来世観をもっていました。
 興味ぶかいことに、キリスト自身は、いとこの聖ヨハネを、預言者エリヤの生まれ変わりと信じていたようです。
 しかし、大部分のキリスト教徒は、人間は一度だけ生まれるのであって、二度と生まれることはない、と信じています。こうした生と死の考え方は人生の根本的な問題であり、宗教の本質的な問題です。
 池田 興味ぶかいお話ですね。現在、欧米の知識人の間で、仏教への関心と期待が高まっていると聞きますが、それは現代の西洋文明に欠けている何か重要なものを、仏教の中に見いだし、あるいは期待しているからではないでしょうか。
 私は、この点で仏教の中に、その答えが含まれていると訴えているものです。
 クーデンホーフ ドイツの偉大な哲学者ショーペンハウアーは、仏教徒でした。
 仏教といっても、小乗仏教で、ご承知のように、厭世的、悲観的でした。つまり、この世は、忌むべき苦しみの世界であり、それから抜け出す唯一の希望は、涅槃(ニルバーナ)である、涅槃こそ天国である、と信じていました。私の父が、彼の弟子であった関係で、私も、彼の影響を受けました。
 今日、″禅″が、ヨーロッパでは、数多くの学者によって研究されています。もっとも、まだ民衆レベルまではおよんでいません。高い教育を受けた人々の間では関心が高まってきているようです。
 私も、仏教を大変深く尊敬しています。なぜかと言いますと、世界のあらゆる宗教のなかで、理念的にも、歴史のうえでも、仏教だけが唯一の平和的な宗教だからです。
 仏教は、人間の進歩にとって、そしてとくに明日の太平洋文明の形成にとって、非常に大きな役割を果たすことになるでしょう。
 池田 『ガリバー旅行記』のスウィフトは「国家の滅亡は、多くの場合、宗教の衰退と道徳の退廃のあとに来る」と述べていますが、私も、これは真理だと考えています。
 現在、この言葉のもつ重みは、たんに国家のみならず、全人類にとって増してきています。宗教の危機は、人間の、そして文明の危機でもあります。世界の指導者はこのことに、もっと目を開くべきです。
 クーデンホーフ 私もスウィフトの主張は、正しいと思います。宗教の衰退と、道徳の退廃が、まさに国家の滅亡、文明の危機をもたらすからです。
 しかも、宗教の退廃は、今日、世界的問題です。そして他の宗教が全部衰退しているとき、日本では生まれ変わった仏教が興隆しつつあることを知って、大変喜ばしいことだと思っているのです。
6  西洋の知識、東洋の知恵
 池田 今日、科学文明の行き詰まりということがしきりに論議されていますが、しかし、たんに科学の次元での転換だけでは、もはや根本的な打開ができないところまで来ていると思います。
 そこで思い出すことは″行き詰まったときには、もう一度、原点に戻れ″という素朴な教訓です。
 つまり、それは、本来、人間生命の中に隠れている偉大な生命力、知恵といったものに、ふたたび、謙虚な目を向け、そこから新しい、しかも、人間性に原点を置いた文明の再建を図るということにほかなりません。
 人間の生命の中には、まだ開花していない偉大な力があるということを人々は気づいておりません。
 ここで、二十世紀に入ってからの七十年間の科学の発達について、少し考えてみたいと思います。
 イギリスのバナールは、一八九〇年代に科学は独り立ちしたとして、その後の科学の発展段階を三つに分けて、それぞれを特徴づけています(『歴史における科学』鎮目恭夫・長野敬訳、みすず書房を参照)。それによりますと、第一段階は、一八九〇年代。これは、私的科学の時代で、科学的研究が大学教授の小さな実験室や、発明家の屋根裏部屋で、細々と行われていた段階です。
 第二段階は、今世紀(=二十世紀)の二〇年代と三〇年代に明確になってきました。産業界の科学時代ともいうべきもので、膨大な費用の投入された会社の研究所、それに対応する大学の学部や研究施設、これらが科学研究の中心になった時代です。
 第三段階は、政府の科学時代。国家と科学が強力に結びついた時代です。これは第二次大戦中に顕著になり、それ以降、世界的に広がりました。
 この政府の科学時代の特色は、戦争と科学が強力に結びついているということにあります。そして人類は、いまだにこの第三の段階から脱皮していないのです。
 私は二十一世紀を目前にして、われわれは″人類の科学″の時代をつくりださなければならない、と考えます。それは科学を人類全体の共有財産としなければならないということですが、人間性に基盤を置いていくという意味で、″人間の科学″の時代とも言えましょう。この意味からも、現代は大きな転換期であるし、また転換していかなければならない時代だと思います。
 クーデンホーフ まったく同感ですね。それにつけても、私は、宗教が新しい文明を創造することを期待しています。
 池田 西洋の科学技術は、宗教と訣別したことによって、文明を飛躍的に発展させましたが、その代償として、自然からの逆襲を受け、人間性の疎外、生命の軽視という谷間に落ち込んでしまいました。その結果、西洋文明は今、重大な反省期に直面しているわけです。
 一方、東洋においては、自然、環境というものを畏敬して対処したために、結果としては、科学技術面で立ち遅れをきたしてしまったのではないかと思います。
 この二つの考え方を、今後どのように互いに関連させるかが、重要な課題だと思います。
 つまり、非常に端的な言い方になりますが、科学技術を重視する西洋的思考法と、生命尊重を基調とする東洋的思考法との違いを、どう結びつけるかということが問題だと思うのです。
 クーデンホーフ 私は、両者の間には、本来、根本的な対立はないと思います。私は、いかなる文明でも、真に文明と呼ばれるものであるならば、科学技術を基礎としつつ、同時に、人間の尊重を基盤とするものでなければならない、と思います。
 池田 私も同感です。その一方を忘れたところに、現代文明の病根があります。西洋的思考法と、東洋的思考法が相互に補いあって、一段高い次元の文明を築いていくことは、必然の要請であり、しかもそれは決して不可能ではないと信じています。
 私は、西洋の知識と、東洋の知恵とが啓発・融合し、止揚されることによって、初めて人間のための真に新しい文明が誕生するのではないかと考えます。
 その意味からも、二十一世紀の人類の文明は、これまでの東西両文明を融合した新しい文明の世紀であってほしいと願っております。それには、東洋文明が秘めてきた英知の再開がなされねばならない。
 それをなしうるのは東洋人自身であって、そのために、東洋の果たすべき役割は、きわめて重大であると感じているわけです。
 クーデンホーフ 一般的に、近代文明は西洋から東洋へと流れた、とされていますが、私は、文明はつねに東から西へ流れたと考えます。ヨーロッパ文明は中東に由来し、アメリカ文明はヨーロッパから来たものです。近代に入って、西洋文明が日本に影響を与えたのも、東から西への流れでしょう。
 池田 なるほど、確かに大きい視野から、そういう見方ができますね。ともあれ、これまでも、異なる文明が接触し、融合したときに、文明は飛躍的に発展しました。今日ふたたび東西両文明の融合が行われるならば、その成果は、偉大なものとなるでしょう。
 私は必ず、人類史上かつてないほど、大規模でドラマチックな文明の融合が行われるにちがいない、と信じています。
7  指導者の条件
 池田 これからの指導者とリーダーシップの問題に話題を移したいと思います。私は、民主主義においても、優れた指導者とリーダーシップが必要であると思います。いかなる形態であっても、社会が一つの有機的統合体である以上、それを生き生きと運営し、未来への方向性と新しいビジョンを示していける指導者がいなければならないと信じます。
 民主主義は、ある面では、そうした指導者を得るために、最も理想的と考えて生みだされた制度であるわけです。しかも、指導者、権力者がおちいる誤りに対しても、それを規制し、正していくことができる制度であるべきです。
 この民主主義の本質を生かさなければ、民主主義は形式だけのものとなってしまいます。そして民衆から遊離した対立・抗争に明け暮れ、それが、ひいては民主主義に対する国民の不信感をつのらせる結果になるのではないか、と憂慮するのです。
 クーデンホーフ 私は理想の指導者像として、ジョージ・ワシントンを挙げたいと思います。彼は、まずなによりもジェントルマンでした。しかも、自由を求めて戦う闘士であり、寛大な心の持ち主でした。
 私は、現代に求められる指導者の第一条件は、ジェントルマンであることだと考えております。その点では、ワシントンのほかに、アメリカの建国に貢献したベンジャミン・フランクリン、トーマス・ジェフアーソン、アレクサンダー・ハミルトンなども、私が尊敬する人物です。
 池田 ジェントルマンシップということで、私も思いあたることがあります。教養も豊かで、人柄も上品なジェントルマンは、寛容と忍耐、理性と協調を基準とする民主主義にとって不可欠の要件だと思います。
 イギリスの議会政治が理想的とされたのは、このジェントルマンという人間像が深く定着していたからだと言えるのではないでしょうか。
 ところが現代の民主主義社会は、産業の発達と技術革新の結果、かつての民主主義を支えてきたジェントルマンが無力化して、いわゆる大衆民主主義の時代を迎えています。
 しかし、その上に立つ指導者が、あくまでもジェントルマンでなければならないという、あなたのご指摘は、民主主義を支える大衆自体の啓発とも関連する意味で重要な問題だと思います。
 クーデンホーフ 民主主義は、今日二つの大きな危機に直面しています。
 一つは金権政治です。民主主義のもとでは、民衆は平等の権利をもっていますが、しかし権力も平等なわけではありません。たとえば、今の世の中では、富める者のほうが貧しい者よりも権力をもっていることは否定できない事実です。
 だから、どうしても民主主義は金権政治へと移行する傾向があります。
 もう一つの危険は、扇動主義です。これはテレビ、ラジオの発達によってますます危険なものとなってきていると思います。というのは、現行の選挙制度のもとでは、とうてい実現不可能な計画であっても、あえて公約してはばからない政治家のほうが、それを言わない良識派の政治家よりも、当選できるチャンスが、多分にあるわけです。
 池田 民主主義においては、性急に強力な指導者の出現を徹望すると、盲目的な英雄崇拝や、独裁者礼賛、そしてカリスマ支配を助長する危険性が出てくると思います。真の指導者が、いかなる人であるベきかを、民衆は正しく見きわめることが大切です。
 私は、本当の指導者というものは、いつも民衆の声に耳を傾け、民衆とともに生き、民衆と喜びや苦悩を分かちあい、民衆の平和と繁栄のために戦い、民衆のために苦労をいとわない人、汗を流せる人、人間として尊敬できる人でなければならないと思います。
 クーデンホーフ 私も、まったく同意見です。たんに知性の持ち主であるのみならず、民衆のためにつくす誠実の人でなければなりません。この点は、最も重要な指導者の要件だと思います。
 私が先ほど述べたジェントルマンシップとも関連しますが、これからの指導者は、勇気をもって、金権政治や扇動主義と戦うことのできる人間でなければならないと思います。また民衆のほうも、より賢明になり、そうした、優れた人物、指導者を選ばなければなりません。
 一九三〇年代、ヒトラーが権力を獲得したのは、革命や暴力によったのではなく、民衆を扇動し、また危機感、全体意識を植えつけて、つまり、民主的手続きを経た後に、独裁権を,手中にしたという事実を、われわれは、決して忘れてはならないと思います。
 もし、あの当時、王侯貴族のみが選挙民であったならば、決して彼を選ぶことはなかったでしょう。
 ドイツの、まだ未熟な民主主義の中で、彼の扇動にあやつられ、公約を信じこまされた無批判な民衆が、彼を選んだのです。これは民主主義のもつ弱点について重要な歴史的教訓であった、と言えましよう。
 民主政治は、あくまで民主的な運営、管理によらなければならないと思います。しかし、リーダーシップ自体は、必ずしもすべて多数決の原理でなければならないということはないと信じております。
8  ブレーン・トラスト
 池田 現在求められる指導者の条件について、さらに話しあってみたいと思いますが……。民主主義を守るためには、卓越した指導者の出現はかえって望ましくないとする考え方も、一部にあります。が、知的、道徳的に優れた指導者が選ばれなければ、民主主義も結局行き詰まってしまうでしょう。
 民主主義の原理の中で、いかにして、民衆をリードするにふさわしい指導者を得ることができるか――ここに、むずかしい問題があると思います。
 クーデンホーフ これは私の提案ですが、中国の清朝時代の官吏登用制度について、世界各国で研究する必要があると思います。
 この指導者抜擢制度は、大変民主的な内容をもっていました。いわば農民の子弟でさえも、登用試験に合格すれば宰相になれる道が開かれていました。
 つまり、高い教育を受けた有資格者の中から民主的制度で優れた人物を選びだして、リーダーシップを託したわけです。われわれは、この登用制度を再検討する必要があります。
 これを具体的に、今日の議会制民主主義制度にあてはめるならば、民衆が選出する下院制度は、そのまま存続されるべきですが、上院制度のほうは、男女を問わず最高の学識経験をもつ文化人、たとえば大学総長などによって構成される制度に改革しなければならないと思います。
 私は、民主主義は、かつての封建的貴族制度と、すでに現れてきている″ブレーン・トラスト(顧間団)″との中間の制度にすぎないと思います。興味ぶかいことはソ連のほうがこの点で、かえって進歩していることです。ソ連の現実は、一般的に言われているように、プロレタリアートの独裁ではなく、一群の共産主義者ブレーン・トラストによる専制の形をとっています。
 最近、アメリカが同じ道をたどっているのは興味ぶかいことです。大統領のブレーン・トラストは、その第一段階と言えましょう。
 池田 ブレーン・トラストということで、私も感じている点は、これからの指導者は、決して独断的であってはならないということですね。もちろん最終的に方向、政策を決断するのは指導者の判断によるわけですが、その決断の前提に、多くの優れた頭脳の集大成がなければならないということです。
 指導者は、強力なブレーン・スタッフをもち、これを十分に使いこなしていかなければなりません。
 指導者はまた、そのブレーンのもつ力をフルに生かし、伸ばしていく包容力、組織力、統率力、そして指導力の持ち主でなければなりません。
 自分とは意見が違うが、しかし、非常に重要な見方をもつ優秀な頭脳を、感情にとらわれないで用い、その力を発揮させていくことが指導者の条件の一つだと思います。
 クーデンホーフ 私は、規律なき民主主義・自由主義は、いかなる国家をも滅亡に導くと信じています。ソ連については今後、民主主義的になるとは思いません。ソ連は、ある日突然、軍部独裁に変わる危険性があります。もし民衆が伝統を重視せず、道徳も信じない社会では、武器を持つ人間のほうが、持たざる人間よりも強いのは当然です。
 人類にとって、最も大きな危険は、剣の支配と金力の支配です。この二つの危険を阻上できるのは、ブレーン・トラストのみです。
 池田 あなたのおっしゃるブレーン・トラストというのと同じような意味になりますが、混迷した民主主義の現状を打開する方途は、プラトンの言った″哲人政治″の考え方に求められるのではないでしょうか。
 ただし、私の言う″哲人″とは、たんなる″頭脳の人″ではなく、″頭脳″を使いこなしていける人、知識の人ではなく哲学の人という意味です。
 優秀なブレーン・トラストをもち、それを生かしていける指導者は、その意味で、優れた哲人でなければなりません。しかも、そうした指導者を選択するのは民衆ですから、民衆一人一人が″哲人″でなければならないということになります。
 つまり、あなたの言われるブレーン・トラストを支える広く厚い基盤をつくることが重要であり、それは″哲人政治″思想の大衆化によってのみ実現できると思います。
 クーデンホーフ 私も同意見です。ジェントルマン同士であれば、国が異なっても理解に達することができます。日本人、中国人、ロシア人、ヨーロッパ人、アメリカ人であっても、ジェントルマンならば、たとえ言葉は違っても、お互いに理解しあえます。
 しかし、同じ日本人でもジェントルマンとギャングとでは、決して理解しあえないでしょう。ですから、私は、社会全体の構造が新しいブレーン・トラストといったものに変載されなければならないと信じています。
9  マサリク、レーニン、ケネディ
 池田 あなたの言われる未来社会への展望からみて、これまでの歴史上の人物のうちで、だれに、最も共鳴し、尊敬しますか。
 クーデンホーフ 非常にお答えしにくい質問ですね。というのは、私は多数の政治家にも会ってきましたし、そのなかで多くの人物から感銘を受けてきました。したがって、だれに最も共感し、尊敬するかと言われても、困ってしまいます。
 ただ、私は、つねに政治家よりも道義的人格、知的な人格を尊敬してきました。政治家は偉大な人物であれ、皆善人であるとともに悪人である一面をもっているからです。
 これは、政治の世界である以上、やむをえないことかもしれませんが、もし政治家が、善良さだけを貫こうとするなら、失脚してしまうでしょう。
 池田 残念ながら、現実はおっしゃるとおりです。
 クーデンホーフ 政治家のなかで、私が会った、最も偉大な人物の一人に、チェコスロバキア建国の父、初代大統領のトーマス・マサリクがいます。
 彼は賢明な哲学者で、ジェントルマンであり、卓越した実践の人でもありました。チェコスロバキアは小国でしたが、彼は世界的にみても、今世紀最大の偉人の一人であったと思っています。
 これは私ごとですが、私が会ったなかで、最も強い人格をもっていたのは、私の最初の妻、イダ・ローランでした。オーストリアでは有名な女優でしたが、私がパン・ヨーロッパ運動を起こしたとき、良き理解者として私に協力し、一九五一年に亡くなりました。男性優位を偏見であるとする私の信条は、彼女に負うところが大だったと思います。
 池田 一九七〇年は、レーニンの生誕百年でした。レーニンが成し遂げたロシア革命が、その後の世界史に、重大な影響を与えたことは、今さらいうまでもありません。
 今日の世界を分かっている二大陣営の一つは直接、このロシア革命が淵源となって生じたものですし、マルクス主義そのものと直結しなくても、現代における革命主義者の多くが、その模範なり規範として求めていくところも、レーニンの方式や、人格になるのではないでしょうか。
 クーデンホーフ レーニンは今世紀最大の偉人の一人だと思います。それは、彼が、私有財産のない国家をつくるという偉大なビジョンをもった革命家であったばかりでなく、権力を握ったのちは、非常に鋭い賢明な政治家になったからです。
 レーニンは思想家であると同時に実践家でもありました。また、わずか半世紀後の今日、彼の思想がこの地球の広い部分を征服し、新しい世界をつくったという意味で歴史をつくった人とも言えましょう。
 池田 理想主義と現実主義とを同時にもちあわせるということは、なかなかむずかしいことですが、レーニンの場合、それが一人の人格の中に結実していたと言えますね。
 ところで、ソ連は、レーニンのあと、スターリン体制とフルシチョフ路線を経てきましたね。そして現在ではブレジネフ、コスイギンの集団指導体制で進んでいますが、あなたはソ連の現体制の行方をどうみますか。
 クーデンホーフ スターリニズムはテロリズムの上に成り立っていたわけですが、フルシチョフは、そのテロリズムと訣別したわけです。そして、現在は、寡頭政治が行われていますが、私は、これがソ連で永続するとは思いません。ソ連の階級制度のトップに、ふたたび強力な権力をもつ独裁者が出現する時代が来るのではないかと思います。
 池田 話題をアメリカに移して、ジョン・F・ケネディは、かなり理想主義的政治家であったと思います。彼の功績は、きわめて現実主義的な政治の世界に、一つの理想主義の灯火をかかげたことにあったと言えるのではないでしょうか。彼の死は、ある意味では、その理想主義がアメリカ政治の現実主義と衝突したことに起因すると考えられないでしょうか。
 クーデンホーフ 私も、今なおケネディ大統領を尊敬しています。彼の人格、勇気、そして理想主義は尊敬に値するものであったと思います。
 だが、彼が今日生きていたとしても、はたして何をし、何をなしえただろうかとなると、それはなんとも言えません。あるいは失敗に終わったかもしれません。しかし、少なくとも、歴史上の偉人の一人となりうるものはもっていたと思われます。
10  ナセル、ホー・チ・ミン
 池田 話題を変えて、アラブ世界の偉大な指導者であったナセルの人柄、業績などについて、あなたの評価をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ 私はナセルには会っておりません。しかし、彼の行った偉大な運動は、今後何世紀にもわたって、おそらくエジプトにとってはピラミッド以上に重要なものとして生きつづけることでしよう。
 ナセルは二十世紀の風雲児でした。彼はエジプトが国家としては、その歴史を終えたと見通しました。そのため大西洋からベルシャ湾にいたる、より大きなアラブ世界が彼にとっての国家となったのです。
 こうして、ナセルはアラブの指導的な愛国者、大アラビア建設の創始者となりました。いつの日か、大アラビアは、世界の超大国の一つとなるでしょう。
 彼の反イスラエル政策は、アラブ世界を統合するための手段でした。しかし、私の考えでは、彼はイスラエルを汎アラビア世界に統合するよう努力したほうが良かったのではないかと思います。そうしていたら、より強力に、文明、技術、生産、富、そして力を追求することができたでしょう。
 しかし、あたかもド・ゴールが仏独間の調停をしたと同じように、はたしてナセルがアラブ人とユダヤ人を和解させることが可能だったかどうかは疑問です。ナセルもイスラエル側も、共存や協力関係を打ち立てるために真剣に努力しなかったことは事実です。
 池田 アラブとイスラエルの対立は、たんに中近東の問題ではなく、ヨーロッパ諸国とも密接な関係があるし、米ソとも強いつながりをもっています。そこで、この問題の解決策は何だと考えますか。
 クーデンホーフ 私は、アラブ諸国とイスラエル間の和平交渉が不可能なら、アラブ、イスラエル双方が十年間の休戦を保証しあって、大アラビア世界における協力関係の必要性について、また、独立国イスラエルのアラブヘの密接な結合の必要性について考える時間を与えるべきだと思います。
 また、ソ連とアメリカが地中海で対立関係にあるのは、ヨーロッパにとって大きな脅威です。これについては、ヨーロッパとアラブは、地中海がヨーロッパ人とアラブ人の海であることを宣言し、米ソに対して、地中海での陰謀を撤回するように、全力を挙げて交渉すべきです。
 池田 話題を東洋に移して、かつてフランスと非常に関係の深かった人物にホー・チ・ミンがいます。彼はきわめて東洋的な精神をもった社会主義者であると、私はみています。
 クーデンホーフ フランスがインドシナ国家の建設について、ホー・チ・ミンと話しあいをせずに、手を切ってしまったことは重大な誤りだったと思います。
 もし、ホー・チ・ミンのめざしたインドシナ国家が実現していたら、それはチトーのつくったユーゴに匹敵するものになっていたと思います。
 池田 二十世紀の指導者として忘れることのできないのは、ド・ゴール、チャーチル、毛沢東ですが、彼らにはいずれも、確かに、強い信念とビジョンのもとに、国民を率いていく強烈な個性と魅力がありました。
 ところが、現代の世界では、このような国民的な人気を集めることのできるリーダーが、しだいに少なくなっている感があります。この傾向が、一概にいいか、悪いかを論ずることはできないと思いますが……。
 社会がそれだけ発展し、また安定した証拠であるとみる人もいますし、反面、現代文明というものが弱体化している証拠であると指摘する人もいます。
 私は決して英雄礼賛論者ではありませんが、現在、人類が直面している現実を見れば、社会が進歩し、安定したとは決して思えません。むしろ、今こそ、これら人類が当面する困難な課題と、勇敢に真っ正面から取り組んで、その解決への方向と方途を国民の前に提示するリーダーが必要ではないでしょうか。
 そういう意味から、二十世紀の巨頭とされている、先に挙げた指導者たちについて、あなたの評価をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ 毛沢東には会ったことがありません。チャーチルとド・ゴールは傑出した政治家であるとともに、優れた文筆家であり、歴史家でもありました。
 池田 歴史家ということで私は思うのですが、正しく歴史を見る目をもつということは指導者の要件としてきわめて大切ですね。
 私は、史観をもっているかどうかで、優れた指導者たりうるかどうかが決まると思います。その点でド・ゴールにしても、チャーチルにしても、また毛沢東にしても、それぞれの確固とした史観をもっております。それが、言動の上に大きな重みを加え、たんに自国のみならず、世界的影響を与える結果になったとも言えましょう。
11  チャーチルとド・ゴール
 池田 あなたは、チャーチルやド・ゴールとは親しい間柄にあったと聞いていますが、この二人の人柄や指導者としての特質について、さらに詳しく触れていただけますか。
 クーデンホーフ 二人とも現代の英雄で、私は大きな尊敬の念をもっています。チャーチルの英雄たるゆえんは、ヒトラーの圧倒的な攻撃に対抗して、孤立化した小さなイギリスで、国民の知配に立って戦ったことです。
 ド・ゴールもペタン政権がナチスに屈服したあと、フランスの栄光のため、自由のために政府と軍に対抗してただ一人立ち上がりました。
 私とド・ゴールとの交流は、一九四三年に始まりました。チャーチルと初めて会ったのは一九三八年です。私は彼らとヨーロッパの将来について語りあいながら過ごしたときのことを、愉しく想い起こします。
 この二人の偉人には、互いに大変違った面がありました。チャーチルは、どちらかといえばより芸術家肌で、ド・ゴールのほうは学者肌のところがありました。チャーチルにとっては、人生はスポーツであり、ド・ゴールにとっては美でした。
 しかし、チャーチルは英国への、ド・ゴールはフランスヘの忠誠を第一としていましたから、二人ともヨーロッパ全体への忠誠者であったとは言えません。
 池田 とくに、どんな話題が出ましたか。
 クーデンホーフ 彼らとの会話では過去の歴史と現代との対比が主な話題でした。二人とも非常な行動派の歴史家でした。彼らの情熱は、歴史を書くことではなく、歴史をつくることに向けられていたようです。
 二人とも、その政治上の業績もさることながら、同時代の人々の模範となるような何かを示したことは特筆に値します。すなわち英雄崇拝という永遠の伝統をよみがえらせたことです。政策上の反対者たちも、二人の人格や勇気、忠誠心、寛容、威厳には尊敬の意を払いました。
 チャーチルとド・ゴールは、ともに偉大なジェントルマンでもありました。二人とも、素晴らしい女性――それぞれイギリス一、フランス一の美しい婦人を伴侶としました。チャ―チルはノーベル文学賞を受けましたが、ド・ゴールも受賞の資格があったと、私は思います。
 チャーチルは優れた文章家でしたが、同時に才能ある画家でもありました。また彼は、素晴らしい俳優になれたかもしれません。
 一九四〇年、チャーチルとド・ゴールはフランス陥落の直前に、英仏両国を統合して一つの政府、一つの議会をもち、同じ市民権をもつ連合国家をつくろうとしたことがあります。戦後の統合ヨーロッパヘのスタートともなるべきものでしたが、この計画は失敗に終わりました。
 戦後、大戦の犠牲国になったフランスと敗戦国ドイツとの間の深い憎しみが、ヨーロッパの和解と統合を不可能にしたかにみえましたが、一九四六年九月に、チャーチルがチューリヒで行った大演説によって、統一ヨーロッパヘの動きがふたたび台頭しました。
 第二次大戦中、私はニューヨークからド・ゴールに対し、書簡でパン・ヨーロツパ連合の名誉総裁ヘの就任を依頼し、また、フランスのみならずヨーロッパの自由と解放のためのレジスタンスの指導者になってほしい、と要請したことがあります。
 池田 ド・ゴールはどう反応しましたか。
 クーデンホーフ その内容に共感したそうですが、丁寧に断ってきました。フランスのナショナリストたちは、ド・ゴールがドイツまでも解放するのではないかと憶測したのでしょう。
 その後しばらくして、われわれは最初ニューヨークで、次にパリで会いました。ド・ゴールと私は、彼が政権につく以前もその後も、非常に興味ぶかい会話を数多く交わしました。
 日本からの帰路、私は妻とともにコロンベ・レ・ドゥ・ゼグリーズに立ち寄り、ド・ゴールの墓に詣でました。それから数時間後にチューリヒに帰ったとき、この懐かしい友の筆になる最後の書簡と、遺作となった『希望の回想録』が一冊、私の机上に届いておりました。(=この部分は、クーデンホーフ=カレルギー伯が希望して、帰国後に加筆)
 池田 あなたのパン・ヨーロッパ主義に対して、ド・ゴールとチャーチルは、どのような見解をもっていましたか。
 クーデンホーフ 二人ともパン・ヨーロッパ主義者ではありませんでした。
 先にも述べましたように、チャーチルは一九四六年、チューリヒでの大演説でヒトラーの抑圧で潰滅にひんしていたパン・ヨーロッパ運動をよみがえらせていますが、彼の発想はいつの場合も、ヨーロッパ全体よりは、自分の母親の祖国であったアメリカヘの親近感にこだわりすぎた感があります。
 一方、ド・ゴールは、アデナウアーとともに、一九六二年に、十一世紀にわたって敵対関係にあったフランスとドイツを和解させ、パン・ヨーロッパヘの気運を高めるうえで大きな役割を果たしました。
 しかし、結局、彼が生涯をかけて追求したものは″栄光のフランス″であり、フランスヘの熱烈な愛国心でした。したがって、ド・ゴールはフランスにとっての利益という範囲内でパン・ヨーロツパ構想に賛成しました。
 私は、彼らが真のパン・ヨーロツパ主義者ではなかったとはいえ、しかし、そのことによって彼らの歴史上の業績に対する評価が低下するとは決して考えておりません。
 彼らはとにかく、二十世紀の世界に偉大な貢献をした偉大な人物でした。私は彼らと会い、多くの時間をともに過ごすことができたことを喜ばしく思っております。

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