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日蓮大聖人・池田大作

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第27回「SGIの日」記念提言 人間主義――地球文明の夜明け

2002.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
1  二十一世紀最初の年となった昨年は、「戦争と暴力の二十世紀」に別れを告げ、新たな一歩を昨み出そうとする人類に、極めて重い問いを突きつける事件が起こりました。いうまでもなく、アメリカを襲った「九・一一」の名で語られる同時多発テロ事件であります。
 数千人もの尊い人命を、崩れゆく超高層ビルの瓦喋の中に無残に葬り去った前例のないテロ行対は、いかなる大義や名分を掲げようとも、絶対に許されてはならないことであります。
 国連が「文明間の対話年」を謳っていたにもかかわらず、寛容と共生の精神に基づく対話とまったく対極に位置するテロが世界を震撼させたことは、あまりにも苦々しい悲劇でした。
 しかも、あれだけの被害をもたらしながら、犯行声明ひとつ出さない匿名性、その卑劣さは、人間であることの深部を脅かす悪魔的行為であります。まさに「文明間の対話」を標傍する世界に対する、かつてない挑戦であり、侮辱であり、蹂躙以外のなにものでもありません。
2  また今回のテロという許し難い非人道的な犯罪が、世界の人々に与えた心理的な影響も無視できません。
 歴史家のアーサー・シュレジンジャー氏は、九・一一以降のアメリカを「不安と苦悶に満ちた社会」と表現しましたが、その日を境に″世界は一変した″と見る識者は数多い。
 二十四人もの被害者を出しながら、不思議なほど当事者意識が薄いとされる日本でも、不安が確実に増加していることは、各種世論調査からも明らかです。
 巨大な塔のような高層ビルの崩壊や、炭痘菌テロがもたらした社会の混乱を、「黙示録」になぞらえる声もあるほど、憂欝なミレニアム(千年紀)のムードが、アメリカのみならず世界に広がっていることは否めません。米英両国を中心とする軍事行動によって、事態は一応の終息をみましたが、今回のテロが社会に残した傷跡は、経済的な打撃も含め、あまりにも大きい。だからといって、テロの余波で、時代が暗転していってしまえば、それこそテロリストの思うつぼです。テロの大きな目的が、人々を不安や混乱に陥れ、恐怖や不信感を煽ることにある以上、断じてその脅しに屈してはならず、それを凌駕する「人間精神の力」を湧き出すことが強く求められます。
3  「闇が深ければ深いほど暁は近い」という言葉があります。しかし、新しい時代の扉が独りでに開くことはない。悲劇から立ち上がり、それを真正面から見据えて時代変革の″最大のチャンス″に転じていくかどうかは、あくまで人間にかかっている。
 今こそ、ゲーテが言っているように「人間とは信仰と、湧き立つ勇気とがあればどんな困難な企てをも征服するものである」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川書店)と、面を上げ、大きく息を吸い、この困難な課題に挑んでいきたいと、念じてやみません。
 「国連文明間の対話年」を暗転させてしまった凶悪犯罪――それを「文明の衝突」「文明間戦争」という最悪の事態に立ち入らせないために、それをあくまで犯罪として位置づけていくことが肝要でしょう。この点は後述しますが、私がかねてより「国際刑事裁判所」の設置を急ぐべきだと主張してきたのも、テロが、本来「犯罪」として「処罰」されるべき性格を有しているからです。
 もとより「処罰」すれば済む問題ではなく、それを未然に防止し、あるいは″芽″のうちに摘み取ってしまうための国際法、国際警察などの側面も、セットで検討されなければならない。
 同時に、そうした制度づくりや予防的措置と並行して、抜本療法も進めなければなりません。今回の問題をきっかけに、テロを生む土壌、背景がさまざまに指摘されました。アフガニスタン復興支援のための国際協力のシステムづくりも、ようやく緒に就こうとしているのは、喜ばしい限りです。
4  ノーベル平和賞受賞者らの苦悩
 私は、ここでは、それらの諸課題の根本に横たわっているアボリア(難問)に目を向けることから始めてみたいと思います。すなわち、問答無用の狂信的なテロに対し、どう立ち向かっていけばよいのか、匿名性の帳に隠れた彼らと、交渉はおろか、対話や宥和が果たして可能なのかという難問は、いまだ世界に大きな影を落としているからです。
 そこには、世界平和に貢献してきたノーベル平和賞の受賞者たちの間でさえ見解が分かれることが象徴しているように、容易ならざる困難さが横たわっています。昨年(二〇〇一年)十二月、ノルウェーで、ノーベル平和賞の百周年記念シンポジウムが行われましたが、最大の焦点となったのは、テロの対抗措置としての軍事行動の是非でした。参加した受賞者たちは、軍事行動だけでテロは根絶できないとの認識で一致したものの、軍事行動に対する評価をめぐって、意見が大きく分かれたのです。
 平和のために戦う、高い志をもった人たちの間にも生じてしまった溝――。それを粘り強く埋め、乗り越えていく作業なくして、「平和の二十一世紀」は真に訪れることはないと思います。
5  情け容赦のない冷酷な「悪」に直面した時、「善」には何ができるのか、どう戦えばよいのか――人間の良心や善性に信を置く人であればあるほど、この困惑、ジレンマ、無力感、あがきから免れることはできなかった。そうした負の心性が、闇のように覆い被さってくるのを、いかんともし難かったように思います。たとえば、少年時代の一時期、ナチスの強制収容所という″地獄″をくぐり抜け、文筆業を立ち上げてきたエリ・ヴイーゼル氏は、文人らしいレトリックを駆使しながら、こう語っています。
 「精神は強い。だが暴力には無力だ。一丁の機関銃をもったテロリストは百人の詩人、百人の哲学者より強い。テロリストはそれを証明した」(「朝日新聞」二〇〇〇年十二月五日付)
 「精神は強い。だが暴力には無力だ」――この言葉は、もとより反語であり、逆説であります。
6  氏は、ナチスという冷酷無比の暴力にさらされながら、なおかつ人間の精神の力を信じ、ペンに平和への希求を託してきたその人にして、あえてアメリカの今回の武力行使を支持せざるを得なかところに困惑とジレンマが象徴されています。
 また、テロの温床ともいわれる、第三世界の貧困の問題にも深い理解を示す、インド出身のケンブリッジ大学教授のアマルティア・セン氏(ノーベル経済学賞受賞者)は、学者らしい冷静さを保ちながら、こう語っています。「武力行使だけを見るなら適切とは思えない。しかし、九月十一日に起きたことを思えば、何らかの方法で応酬するのは十分に理解できる。罰なしにはテロが続くだろうから」(同前、十一月二日付)と。
 「何らかの方法」「罰なしに」等と、その文脈から「武力」や「報復」といった言葉が慎重に避けられながら、なおかつ「応酬」の必然性が強調されている点に留意すべきでしょう。抑制の利いた語り口は、かえって当面するテロへの対応という課題の巨大さ、困難さを浮き彫りにしています。
7  ″報復の連鎖″を断ち切る困難さ
 そこに現代という時代を包み込む閣の深さがある。その漆黒の閣を透かして暁を望むには、よほどの精神力を要するはずです。
 ″報復は報復を呼ぶ″と、よく言われるように、報復が決して一回限りで終わらないということは、おびただしい血をもって贖われてきた、人類の業ともいうべき経験則です。
 しかし、その経験則の超克ということは、古今東西、「モンテ・クリスト伯」や「忠臣蔵」などの復讐譚(仇討ち物語)の根強い人気が示しているように、傍観者の流儀と決別して当事者意識に徹してみれば、いかに重い課題となって迫ってくるか。軽々に口にすれば、いっこうに人々の心に届かないスローガン、空語に化してしまうか――課せられた宿題は、あまりにも重いといわざるを得ない。
8  それには、たとえばバイブルのあまりにも有名なくだりに「『目には目を、歯には歯を』と云えることあるを汝ら聞けり。されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗てむかうな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」(日舗龍鑓)とあるような、″報復の論理″から″愛の論理″への大転換、大操作が欠かせません。
 ″悪に抵抗するな″と、トルストイが愚直なまでに突進し、それに対し、レーニンが激しくいささか見当外れの痛罵を浴びせたような、徹底した非暴力という磨きすまされた倫理規範が担保されていなければならない。少なくとも、一度はそうした重い、ぎりぎりの問いかけに直面、あるいは想到してみる必要があるのではないでしょうか。
9  悪の連鎖の蒙昧をいうならば、すなわち、やられたらやり返すという、人間的なあまりに人間的な情念を超えよ、というならば、トルストイがまさにそうしたように、魂の深処における苦悩と葛藤、悔恨と回心のドラマの経験者にして初めて、告発者たる資格を有することができる――今回の無差別テロに直面して、心に強く焼き付くのは、当然のことながら、そうした魂をもみしだかれるような、引き裂かれるようなぎりぎりの苦悩の選択を余儀なくされた肺腑の言でした。
 もとより、私は、テロも報復も、いじめや家庭内暴力などの小暴力から、戦争という大暴力にいたるまで、一切の暴力には、人間の尊厳にかけて反対です。
 しかし、情緒的に武力行使を難じ、対話の必要性を説くだけでは、すさまじいまでの憎しみ合いの深淵の前で立ちすくみ、暴力の巨大な奔流に飲み込まれていってしまいかねません。
10  平和が戦争と戦争の幕間劇でしかなかった人類の歴史を塗り替えるには、あるべき原点を求め、一人一人が全存在をかけて自分自身をつくり替える(人間革命の謂です)ほどの覚悟と緊張、実存的決断を要します。ユネスコ憲章のいう、心の中の″平和の砦″の断固たる構築であります。
 そうした問いを万人に突きつける、それほどまでに、今回のテロの衝撃は大きかった。
 何千人もの命を飲み込みながら崩壊しゆくツインタワービルのもうもうたる灰塵の背後に浮かび上がるものは、まことに荒涼たる心象風景であり、善きもの、価値あるもの、偉大なものは何一つ生み出さない、不毛の精神風土でした。何よりやりきれないことに、そこには、「人間」が欠落していました。
11  帝政ロシア末期の一群のテロリストたちを「心優しき殺害者たち」と呼んだアルベール・カミュは、彼ら心理を「殺害とは、必然的ではあるが、許せないもののように彼らにはみえた」(『反抗的人間』佐藤朔・白井浩司訳、『カミュ全集』6所収、新潮社)
 「必然的ではあるが、許せない」――人間であろうとする限り避けようのない矛盾、ジレンマを真正面から受け止める、この痛覚、生命感覚であります。
 それが抑止力となって、テロという救いようのない行為に、ある種の救い(たとえば、がんぜない子どもが同乗していたため、暴君の馬車への攻撃を思いとどまるといった)をもたらしている。そうした痛覚、生命感覚を、同時多発テロの実行犯たちが、いささかでも共有していたかどうか、自己陶酔ではなく自己規律の心が働いていたかどうか、私は怪しみます。
12  他者への眼差しが欠落した蛮行
 事件の直後、私は、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、この問題について若干話し合いました。その中で、総長が、「道徳性、倫理感覚は、あくまで個人の心に生きるもの」(『新しき人類を 新しき世界を』潮出版社)としたのに全面的に賛同し、私は、まさにその「個人」が抹殺されてしまっているところに、無差別テロの病理があるとして、こう述べました。
 「ところで、こうした病理の根の部分には、『他者性』の不在という現象があるのではないでしょうか。彼らの意識、念頭には『敵』はあっても『他者』はありません。頭は『敵』という非人称的な観念に占拠されてしまっていて、千差万別の人相(彼らには、民間人と軍人の区別すらない)を有する『他者』など介在する余地はない。たとえあっても、淡い淡いバーチャルな存在でしかないのです。だから、人間の苦しみや悲しみ、痛み、嘆きなどにはまったく不感症で、あのような蛮行に走ってしまう」(同前)と。
13  一言にしていえば、「人間不在」ということであります。あるのは、たぎるような憎しみと自己陶酔だけで、人間本来の体温や感触のぬくもりが少しも伝わってこない。人間は「他者」を意識し、「他者」の眼差しの中でしか「自己」になりようがなく、その「自他」の魂の打ち合いを通して人間は人間になっていく――人間が成熟していくプロセスとして、いわば常識であります。このプロセスを欠けば、人間は、いつまでたっても我が儘で自己陶酔の幼児性、発育不全を脱することができない。
 カール・ヤスパースの「ひとまず相手方を認め、内面的にためしに相手方の立場に立ちたいものである」「反対者は、真理に到達する上からみて、賛成者よりも大事である」(『戦争の罪を問う』橋本文夫訳、平分社ライブラリー)といった洞察からは、およそ対極に位置しており、そうした自己陶酔は、憎しみや暴力が巣くい、増殖していく温床であります。テロリズムに凝縮される、「九・一一」以後の文明社会を覆っている闇に目をこらす時、そこにほの見えてくるのは、「自己」も「他者」も輪郭の定かでない「人間不在」という現代の悪霊とはいえないでしょうか。
14  そうした心象風景の中で、対話の実をあげていくことは、容易ではありません。いうまでもなく対話は「自己」のなかに「他者」が存在して初めて成り立つものであって、「内なる対話」は「外なる対話」が可能となるための欠かすことのできない前提だからです。
 そうでなければ、言説はモノローグか、一方的な自己主張に終わってしまう。それどころか、こうした病理が進むと、言論は暴力の一形態とさえ化しかねません。
15  悪を許さない姿勢が不可欠
 一方、この「人間不在」という病理から見れば、テロへの対応に苦慮している側も、″対岸の火事″視して済まされる問題ではありません。
 私は、テロを容認するつもりなど毛頭ない。あのような卑劣在脅しに屈したり、妥協したりすれば、かえって悪を助長するだけであって、断固たる対決の姿勢こそ、テロ根絶の大前提であって、ある場合は、何らかの対抗措置が必要とされるかもしれません。
 しかし、制空権を握った上での一方的かつ大規模、持続的な空爆の続行は、「対抗措置」の域を超え、あまりにも禍根が大きすぎるという指摘が多い。
 たしかに、タリバン政権の崩壊過程を通じて明らかにされてきたのは、豊富な資金力にものをいわせて、アフガニスタンをのっとってしまったともいわれるような、想像を超えるテロ組織の巨大さでした。
16  その脅威を前にして、武力による対抗措置を一切排除した対応が、果たして可能だったのか――これは、世界中が否応なく直面させられた、重い、不可避の課題でした
 そして、それが複雑に入り組んだ難題であればあるほど、″ゴルディアス王の結び目″を一万両断したアレキサンダー大王の剣のような解決策など、存在するはずはなく、また求めて得られるものではありません。先に触れた、トルストイ的な魂の遍歴を基軸にした正攻法で立ち向かう以外にない。
 憂慮されてならないのは、空爆というものの″質″的側面です。
 味方の人的損失が限りなくゼロに近いのに、相手には甚大な被害を与え、しかもその規模さえ定かでないというような状況が、人間の生き死にという根本事への不感症を克進させ、魂の次元など、はるか遠くに置き去りにしてしまいはしないか、ということです。
 まして、クラスターやデイジー・カッターなどの大型爆弾の使用は、この不感症、「人間不在」の症状を悪化、増進させるばかりでしょう。
17  ドイツの将軍ゼークトの回想
 私は、小林秀雄氏が、太平洋戦争中に残した「ゼークトの『一軍人の思想』について」という一文を想起しました。その中に、第一次世界大戦中、ゼークトというドイツの将軍が、ヒンデンブルクのもとでヨーロッパを転戦した時の感想を綴った文章が引用されていました。
 「元来は勇敢なロシア軍が、照準の正確な我が榴弾砲の猛射を浴びて周章狼狽し、さながら恐怖に襲はれた獣群の如く褐色の大群をなして右往左往する様を熟視した私は、寧ろ彼等が乙の地獄の猛火の中から一刻も早く逃れ出づることを希はざるを得なかった位である。我々と雖もこの猛射を防ぐ術を知らぬであらう、私は勝利を獲て得意であるべき時に、却って人間精神のこの悲惨な敗北を眺めては慄然として立ち竦んだのである」(『一軍人の思想』篠田英雄訳、岩波新書)と。
18  小林氏は、ゼークトの見ていたのは「戦争の我慢のならぬ堕落」(「文學界」一九四三年九月号所収、文藝春秋)であると評しています。
 往時のロシア兵と同じく、タリバンやアルカイダの兵士も、最新兵器の猛威にさらされ、なすすべもなく逃げまどったに違いない。その姿を目にすることなく、おそらく思いを巡らすこともないであろう現代の戦闘において、ゼークトのいう「人間精神のとの悲惨な敗北」の幾分かを感じ取るだけの想像力というか痛覚、生命感覚を共有し得たかどうか。
19  戦闘要員に限りません。新年のテレビで、ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の一人が、″政治家は自分たちの導いた結果と遠いところに居すぎる″と難じていました。少なくとも、そうした戦闘のあり方への徹底した自覚がもたらす抑止効果、テロへの対応の柔軟化を期待することは不可能でしょうか。それすら、トルストイ的愚直のそしりを受けるでしょうか。
 このような生命というものへの感受性の鈍磨は、ある意味で、テロとそれに対する武力行使という、暴力の応酬にもまして、やりきれないし、不気味です。核や生物・化学兵器などという悪魔的産物が不気味な影を落としている当節の戦争にあっては、人間の有する気力、精神力などは端役も端役、勝者であると敗者であるとを問わず、そのような人間的要素(ヒューマン・ファクター)の介在する余地は、皆無に近い。
 ゼークトが感じていたであろう「戦争の我慢のならぬ堕落」は、行きつくところまで来てしまったといっても過言ではありません。「人間不在」という以外にないのであります。
20  たしかに、アフガニスタン国内に関する限り、テロ組織はほぼ一掃されつつあるようです。だが、そのある意味の勝利感が、人間の美徳とはおよそ縁遠い報復の成就がもたらす情念の焔の域を出ていないとすれば、報復と報復、憎しみと憎しみの連鎖を断つことはできないと思います。
 私は、テロも悪いが報復戦争もよくないという、耳当たりのよい、それゆえあまり生産的とはいえない″喧嘩両成論″を唱えているのではありません。
 真に脅威なのは、戦わなければならない相手は、一体誰なのか、何者なのか――。貧困、底知れぬ憎しみ、そして最強の敵、「人間不在」という現代の悪霊であり、カール・ユングが「ゼロを一万回足したところで一にすらなりはしない。すべてはひとえに一人一人の人間の出来いかんにかかっている。それなのにこの現代という時代は浅はかにも、数の大きさや組織の大きさでものを考えることしか知らない」(松代洋一訳、『現代と未来』平凡社ライブラリー)と嘆いた精神病理そのものではないでしょうか。
21  迂遠のようでも、そこから軸足をずらすと手段が目的にとって代わり、テロ組織を壊滅させることが全てであるような錯覚をもたらしてしまうことを、私は深く憂うるのであります。
 昨年(二〇〇一年)末、アフガニスタンで事態が一段落した時、米「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙(十二月十八付)の論説は、「勝利のパレードはまだ早い」として、「ビンラディンを駅まえればよいという考えは的外れだ。捕まえて最も深い洞窟に埋めるべきなのは、ビンラデインという人間ではなく、彼が実行した考え方なのだ」と述べました。
 まったく同感です。その点に軸足を定めておかないと、軍事的対応は、際限のないエスカレートを余儀なくされ、悪くすると″文明の衝突″さえ引き起こしかねない。
 テロリズムは、軍事力を中心としたハード・パワーだけで根絶できるような単純なものではなく、ソフト・パワーも含め、国際社会が足並みをそろえて対処していかねばならない広がりと性格をもっているからです。
22  さて、地に倒れた者は地に依って立つ――「人間不在」という聞にひそむ悪霊を駆逐し、「人間復興」の潮流を興していく源泉は、何といっても人間主義(ヒューマニズム)の哲理に求める以外にない。とはいっても、この人間主義ほど多義にわたり、ある意味では手垢のついてしまった言葉も少なく、社会主義的、個人主義的、実存主義的、キリスト教的……、実に数多くの形容がなされています。
 それらの内実を吟味することは、私の任とするところではありません。ここでは、仏教を基調とする「人間主義=中道主義」の重層構造ともいうべきものの意義、それが現代の闇を切り裂く上でどのような可能性を持っているかという点について、若干の考察を加えてみたいと思います。
 その重層構造は「人間主義=中道主義」の内実を成す生命観、なかんずくその基礎理論である十界論、十界互具論に、端的に示されています。
23  仏教では、人間の境涯、生命状態を、最低の段階である地獄界から、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界と順次上っていき、仏界という最高の生命状態へと到る十段階のカテゴリーに分類しています。個々の説明は割愛しますが、この十界論では、十界がそれぞれ個別に存在しているのではなく、十界どれもが自らの中に潜在的に十界を内包している、互いに具えていると説きます。
 つまり、今は地獄界が顕現していても、次の瞬間には、地獄界から仏界に到るあらゆる生命状態へと転じてゆく潜在的な可能性を秘めており、同じように、他の界(生命状態)も、一瞬として静止しておらず、変化変化の連続である――これが十界互具論です。
24  十界論が、個々の界(生命状態)が単層的に分離独立している静画のひとこまひとこまであるとすれば、十界互具論は、生命が、潜在(冥伏)から顕在(顕現)へ、顕在から潜在へと、動画のようにダイナミックに脈動しゆく、重層構造を成しているといえます。
 特筆すべきは、仏教に限らずこれは東洋思想全般の特徴といえるのですが、そうした十界論、十界互具論が、生命を客体化し、知的な分析、操作の対象として扱うのではなく、自らの実存の深みにおいて主体的に生きられる態のものであったということ、すなわち、「善く生きる」というソクラテス的命題を濃密に帯びた論理であったということです。
 したがって、生命は磨けば光るし、磨かずに放置して、おけば、たちまち光沢を失ってしまう。″弛む心″に支配されれば、地獄、餓鬼、畜生、修羅といった悪のエネルギーに翻弄されてしまうであろうし、″強る心″が堅持されていれば、菩薩界や仏界の善のエネルギーを顕現していけるにちがいない。
 そこで、「強る心」を発条に、停滞や現状の固定化を排し、次なる瞬間に備えて自らを律しながら、善のエネルギーを薫発しゆく内なる戦い、緊張感が不可欠となってくる。その戦いを持続、習慣化することによって、善のエネルギーを生命活動の基調、基底部に据える営為が、何にもまして肝要となってくるのであります。これが十界論、十界互具論の梗概です。
25  「中道主義」の社会理論的展開
 では、この「人間主義=中道主義」を、社会理論的に展開するとどうなるのか。その点について、四半世紀以上も前になりますが、ある学生たちの集いで、懇談的に語ったことがありますので、少し長いが、それをベースにして論を進めてみたい。
 「般社会の主義主張は、必ず限定的な性質をもっているということである。たとえば『自由主義』というときは、すでにそのなかに『社会化』と対立し、相いれない限定性の主張が内在している。『社会主義』『共産主義』という主張の場合も同じである。『唯物論』といえば『唯心論』を排除し、唯心論者は、その逆を排除する。芸術分野の主義主張といえども、この限定性、排除性はつきまとう。結果として人や社会を、自己の主張する型へはめ込もうとする要素がある。
26  世間の主義主張には、どうしてもこの″型にはめる″という働きがともなう。仏法にもとづくわれわれの主張は、この定型化ということには重きをおかない。時代と状況の実質把握のほうに重点をおき、そこからどうあるべきかを観察していくのである。
 これは順応主義とは根本的に異なり、中道をいくということであり、それは個人や社会をなにか特定の形に縛りつけて、みがきあげようという行き方ではない。(中略)ゆえに、AB相反している場合でも、AのなかにもBのなかにも入り込んでみがきあげていく――これがわれわれの特徴であろう。そしてこれは、けっして無原則主義とは根本的に違う次元の方程式である」(「聖教新聞」一九七三年七月三十一日付)
27  当時の時代状況の中での懇談的な語らいをそのまま活字にした関係上、やや説明不足な点は否めませんが、私がここで強調したかったことの第一は、事象の相対性、可変性ということです。
 生命が顕在と潜在、顕現と冥伏を繰り返しながら流転しているように、社会事象においても、現象面、表層面を見れば、すべては相対的であり可変的です。諸行無常、盛者必衰――「常なるもの」「亡びざるもの」は、一つもありません。
 その点をはき違え、「定型化」にこだわると、たとえば二十世紀を席巻したイデオオリギーの硬直化に陥ってしまう。
28  「定型化」の陥穿を乗り越える道
 社会主義の興亡は、前世紀に展開された最大のドラマでしたし、ひところは輝いて見えたリベラリズムにしでも、最近では、いささか色あせてしまいました。相対性、可変性のよい教訓であり、「定型化」ではなく「時代と状況の実質把握」のほうに重点をおくよう訴えるゆえんであります。イデオロギーや唯物論、唯心論に限ったことではなく、善と悪、幸福と不幸、戦争と平和にしても、同じことがいえます。
 十界論の明察によれば、地獄界という極悪のなかにも仏界という極善が可能性として潜在(冥伏)しているように、禍福は、文字通り″あざなえる縄″の如く転変しゆく可変的現象であります。
29  また、どんなに苛酷な戦争のなかにも、平和の因を探し出すことは可能ですし、逆に昨今の日本のように、表面的にはいかにも平和そうに見えても、平和と安逸の区別もつかないような弛緩状態が続けば、いつ″槿花一朝きんかいっちょうの夢″に終わってしまうか、保証の限りではありません。
 だからこそ、二番目に強調しておきたいことは、物事、社会事象の相対性、可変性を見極めていく眼識を養い、世の中の動きに紛動されないよう己を律し、主体を確立していくことの大切さです。
 私が「時代と状況の実質把握のほうに重点をおき、そこからどうあるべきかを観察していく」と述べたのも、そこに「人間主義=中道主義」を特徴つける重層構造の真髄があるからなのです。
30  そうした眼識を養うには、十界論のところで触れたように、転変しゅく現実には、常に既存の言葉やイデオロギーでは捉えきれない″何か″がある――その変化と新しさを見逃すまいと、心の鏡を磨き続ける労作業が欠かせない。換言すれば、自己を律することによる揺るがぬ主体の確立であり、そこを光源にして現象界を逆照射してみる時、物事や事象の真の姿が、過不足なく心の鏡に映し出されてくるのではないでしょうか。
31  私は、昨年(二〇〇一年)の「提言」(「生命の世紀へ 大いなる潮流」本巻二五〇ページ)で、森有正氏の印象深い言葉を、時代を招くキーワードとして引用しておきました。
 いわく、「世界は自己規律の競争である。政治の軍事に対する優越ということのそれは本当の意味である。また平和の本当の意味がそこにある」(「大陸の影の下で」、『森有名正全集』5所収、筑摩書房)と。
 事情は、個人にあっても国家にあっても変わらないと思います。人に人柄があるように、国には国柄があります。いずれにせよ、そこに「自己規律の心」から発する独自の「自己規律のかたち=品格」がうかがわれるものであり、それがない限り、他から尊重されないし、まして尊敬など望み得べくもありません。
 この点に関連して、釈尊にまつわる興味深いエピソードがあります。
 不殺生を説く釈尊に対し、人間誰しも他の生き物を犠牲にして食べなければ生きていけないことを皮肉り、釈尊を論詰しようと怒りを内に秘めたバラモンが問いかけました。″何を殺せば安楽か″″何を殺すことを賞讃するのか″と。
32  これに対し釈尊は(殺生の因となる)″怒りを殺せば安楽だ″″怒りを殺すことを賞讃する″と答えた、と。(相応部経典)
 これは、議論のはぐらかしでもなければ、すり替えでもない。まともに応じようとすると、容易に答えのでないスコラ的煩瑣哲学の迷路に入り込んでしまうであろう問いかけに対する、これ以上ない、正しい、オーソドックスな答えであります。
 暴力や殺生などの錯綜した事象は、おびただしい位相を持ち、どの殺が良く、どの殺が悪いなどという一律な線引きなど不可能である。ゆえに″怒りを殺す″こと、外面的な理非曲直よりも、まず内面の制覇こそが、第一義的な重要事なのだ。その「自己規律」の心が確立されていれば、いかなる迷いや逡巡も乗り越えて、最善の選択、決断を過たぬはずである――釈尊の真意は、ここにあるはずです。
33  私は、昨年、キューバの碩学シンティオ・ヴィティエール博士と″キューバの使徒ホセ・マルティ″をめぐる対談集(『カリブの太陽 正義の詩』。本全集第110巻収録)を上梓しました。
 その中で、私がマルティをガンジーに擬して、「マルティの生涯は、必ずしも非暴力一色に染め上げられていたわけではありませんが、その精神性の核となる部分では、のちに、かのマハトマ・ガンジーが歩んだ道と、驚くほど近くにいた」と述べたのに対し、ヴィティエール博士は、こう応じられました。
 「マルティは、ガンジーの″市民の不服従″以上に困難なことを説いています。彼は、やむをえざる革命の暴力(みずからの民族の物質的・精神的勝利を純粋に守ろうとする暴力)から、憎悪という本能を除こうとして、祈りをこめて次のように書いています――『神様、これは正当な戦争であり、人びとを解放することができる、おそらく重要で決定的で唯一の戦争――憎悪に対する戦争なのです』」と。
34  抑圧からの解放を求める闘いが、ガンジーとマルティとでは、時に非暴力と暴力という対照的なかたちを示していたかもしれない。しかし、外形こそ異なれ、憎悪を克服しようとする意志、″怒りを殺す″という「自己規律」の力という一点において、二つの巨大な魂は強く共振していたにちがいない。現象面での二者択一は、深層次元での止揚合一に裏打ちされていたと、ヴィテイエール博士とともに、私は信じます。
 「紐で首を絞められ、このままでは死んでしまうというとき、紐がひとりでにほどける見込みがなければ、その紐を引きちぎるしかありません」(「スティック・ホール講演」青木康征訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)と語るマルティの革命観、戦争観は、悪や暴力を革命の″産婆″として積極的に位置づけ、それゆえ流血への傾斜を宿命づけられていた行き方とは、一八〇度ベクトルを異にしていました。
 ベクトルの赴くところ、マルティの方法は、どんなに試行錯誤を繰り返し、紆余曲折をたどろうと、最終的には平和と人間の尊厳の軌道に行き着くはずです。
35  どんな相手にも「対話の糸口」が
 第三に、「人間主義=中道主義」は、生命を掘り下げ、万人に共通する普遍的菓質を掘り当てているがゆえに、人間である限り、相手を選ぶということをしません。地獄界にも、菩薩界、仏界が冥伏しているように、いかなる状況、誰が相手であっても、必ず突破口は拓けるはずだからです。
 仏典に、「自在とは無障碍なり」とあります。その透徹した無差別・平等の生命観、人間観は、人種であれ、階級であれ、民族や国籍であれ、宗教やイデオロギー、ジェンダー(社会的な性差)であれ、外在的・他律的要因によって、人間を決めつけ、型にはめることをしません。
 私が「AB相反している場合でも、AのなかにもBのなかにも入り込んでみがきあげていく――これがわれわれの特徴」と述べたのも、ABどちらかを選ぶということは、本来無差別である人間に差別を持ち込むことであり、人間主義、人間外交のとるべき道ではないからです。
 したがって、この「人間主義=中道主義」を背光に、「私は人間だ。人のことは何でも他事とは考えないのだ」というヒューマニズムのモットーは、いっそう輝きを増し、その前に豁然と拓けてくるのは、差異を超え、あらゆる人々と分け隔でなく心を交わしゆく、対話の王道であるにちがいない。
 私もその信念にのっとって、行動してきたつもりであります。
36  七四年秋、初のソ連訪問を前に、何人もの人から、宗教敵視のイデオロギーの国へなぜ行くのか、と問われました。私はひとこと、「人間がいるから行くのです」と答えました。イデオロギーの風の激しかった頃のことです。
 その訪ソは、初の中国訪問の数カ月後のことでしたが、両国はウスリー河をはさんでの武力衝突もあり、緊張状態にありました。しかし、私は両国を時をおかず訪問し、首脳と率直に意見を交わしてきました。いつまでも紛争が続くはずはないと確信していたからで、その通りになりました。
37  また、六年前(一九九六年)、キューバを初訪問した際、アメリカとの間には、厚い暗雲がたれこめていました。しかし、アメリカでの諸行事の後、その足でキューバにわたり、カストロ議長との会見に臨んだことがあります。真の人間外交に徹すれば、超えられぬ差異の障壁など存在しないというのが、昔も今も変わらぬ、私の信念だからであります。
 「文明とは、何よりもまず、共存への意志である」(『大衆の反逆』神吉敬三訳、筑摩書房)とは、オルテガ・イ・ガセットの言葉です。いうところの「共存への意志」とは、差異を尊重しつつ、なおかつ差異を超えて、人間の普遍的稟質ひんしつを共有しようとする意志の謂ですから、その意志の貫徹しゆくところ、対話による切瑳琢磨がもたらす多様性の息づく世界、すなわち「文明間対話」が活発に展開されるなか、地球文明の鼓動さえ伝わってくる人間主義の豊饒な世界が拓けていくであろうことを、私は信じてやみません。
38  アメリカのキッシンジャー元国務長官が語っているように、同時多発テロは、テロに対抗する国際的なコンセンサスをつくり上げるという、″奇貨居くべし″的皮肉な結果をもたらしました。
 とはいっても、各国それぞれの複雑な国内事情、思惑もあって、コンセンサスがどこまで強固で永続的なものであるかは、定かではない。が、最低限、テロと戦うには、一国だけでなく国際協調が欠かせないという共通認識だけは得られたといってよい。
 それを、どう″ビクトリー・オーバー・バイオレンス″(暴力に打ち勝つ=アメリカSGI青年部も、この意識啓発運動に取り組んでいます)のグローバルなうねりにまで高めていくか、さらには、それを、ネガ(陰画)として、どう地球文明というポジ(陽画)へと反転させていくかは、二十一世紀の人類に課せられたのっぴきならぬ課題となってきました。
 暗転してしまった「文明間対話」の流れを、あるべき姿へ大きく軌道修正していかねばならない。
39  対立から協調へ競争形式を転換
 この点、「自己規律の競争」というパラダイムは、極めて有効かつ示唆に富んでいると思います。
 そして、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が、百年前(一九〇三年)に著した『人生地理学』で提唱した「人道的競争」とは、まさにこの「自己規律の競争」と同義語であり、先取りしたものでした。
 四年前の「提言」(「万年の遠征――カオスからコソモスへ」。本巻一〇三ページ)でも言及しましたが、特筆すべきは、この「人道的競争」が、政治や軍事、経済などの面での競争の「単位」と並列していわれているのではなく、競争の「形式」そのものの転換に焦点を当てていたことです。
 「もとより人道的方式といっても、単純な方法はない。政治的であれ、軍事的であれ、経済的であれ、人道の範囲内においてすることである。要はその目的を利己主義に置かず、自己とともに他の生活をも保護し、増進させようとするところにある。反言すれば、他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶことにある。共同生活を意識的に行うことにある」(宮田幸一『牧口常三郎のヴィジョン』第三文明社)と。
40  「共同生活を意識的に行う」とは、オルテガの「共存への意志」の先取りでもあります。
 つまり牧口会長は、軍事面も含め、政治、経済等あらゆるレベルにおいて、弱肉強食の対立的競争から、共存共栄の協調的競争への転換を促し、「自他ともの幸福」を実現する地球社会、地球文明の建設を呼びかけていたのです。
 異なる文明同士の接触は、トインビー博士が「外国の文化を受け入れるということは苦痛と同時に、非常な危険を伴う」(『世界と西欧』吉田健一訳、『トインビー著作集』6所収、社会思想社)と述べているように、万事スムーズに運ぶわけではないが、かといって衝突やハレーションが宿命づけられているわけでもない。博士が渉猟しょうりょうしているように、触発、触媒効果をもたらした事例は、枚挙に暇がないでしょう。″文明の衝突″という言葉が、人間の怠惰の隠れ蓑に使われではならないと思います。
41  対話がなければ独善の闇に陥る
 その点、昨年(二〇〇一年)の「国連文明間の対話年」の提唱者である、イランのハタミ大統領が、「いずれの主要な文明も隔離された状態では発展しなかった」とし、「″話すこと″と″聞くこと″を含む『コミュニケーションの能力』を与えられた文化と文明だけが生き残った」(『文明の対話』平野次郎訳、共同通信社)と強調しているのは、注目されてよい。
 いわく、「聞くということは単なる受動的な行為ではなく、話す側がつくりだし、発見し、経験した世界に、自分の身をさらけだすということなのです。能動的に聞くという姿勢をとらない限り、対話はすべて失敗の道をたどる運命にあります」(同前)と。
42  私も、対話によって得られる結果以上に、対話のプロセスそのものに、対話の真価があると思います。そのプロセスこそ、人間同士、文明同士の触発作用が生き生きと働く場、「自己規律の競争」「人道的競争」の場にほかならないからです。
 私が各国のリーダーや識者の方々と対話を重ねてきたのも、″対話の力こそ世界を一つに結ぶ″からであり、対話によって山積する地球的問題群の解決の糸口を見出したいとの思いからでした。
 SGIでも、また三つの研究機関(東洋哲学研究所、ボストン二十一世紀センター〈現・池田国際対話センター〉、戸田記念国際平和研究所)でも、意欲的に「文明間対話」や「宗教問対話」に取り組んでいますが、いずれも思想の優劣を競うような″議論のための議論″ではなく、紛争防止や貧困の克服、地球的な環境破壊の防止のために、人類の英知を結集することを目的としております。
43  対話がなければ、人間は独善という暗闇の中を歩き続けねばならない。いわば、対話とは、その暗闇にあって互いの足元を照らし合い、歩むべき道を見出す灯火といえます。
 福沢諭吉も、「元来人類は相交るを以てその性とす。独歩孤立するときはその才智発生するに由なし。家族相集るもいまだ人間の交際を尽すに足らず。世間相交り人民相触れ、その交際いよいよ広くその法いよいよ整うに従て、人情いよいよ和し智識いよいよ開くべし」(『文明論之概略』松沢弘陽注、岩波文庫)と述べております。
 文明は互いに触発し合うところに成熟も発展もあり、逆に触発を拒否すれば衰亡せざるを得ないことは、いかに覇を誇る文明でも例外ではないことを、人類の歴史は証明しています。
 今世紀に、地球文明の地平が望めるのかどうか、重大な試練にさらされている今、この「自己規律の競争」「人道的競争」というパラダイムこそ、その成否のカギを握っていると、私は信じております。
44  法による処罰をコンセンサスに
 以上、同時多発テロがもたらした危機を、地球文明を望むコンセンサスづくりへと転じていくための精神面での対応を考察してきましたが、以下、その法的、制度的側面に、いくつかのアプローチを試みてみたいと思います。
 まずテロ防止のための前提として強調したいのは、「法による処罰」を国際社会のコンセンサスにする努力と、いかなるテロも共通のルールで対応するという「普遍性の確立」であります。
 今回の米英両国を中心とした、アフガニスタンへの軍事行動は、国連においても、″国連憲章に沿った個別的・集団的自衛権を再確認した安全保障理事会の決定の文脈で捉えるべき″との見解が示されていますが、かりにそうした面があるとしても、やはり軍事行動には、将来に禍根を残す場合が少なくない。
45  そうではなく、テロの犯罪グループがどのような思想的背景や政治的な背景を持とうとも、等しく法の下で処罰していく普遍的な体制づくりを目指すことが肝要だと、私は考えます。
 また、犯人グループの逮捕・拘束のために、最低限度の武力を伴う警察行動が要請される場合でも、こうした普遍的なシステムの一環として位置づけることが、事態のエスカレーションを防ぐことにつながるのではないでしょうか。ゆえに私は、国際法、国際警察、国際司法制度それぞれの整備を図り、これらを連携させた形での総合的なシステムづくりを進めていくべきだと訴えたい。
 そして、その中核を担うのは、アナン事務総長が、テロ根絶のために広範で持続可能な戦略を立案する機関としての使命を強調しているように、国連であらねばならないと思います。
46  まず国際法については、「包括的テロ防止条約」の制定を急ぐべきでしょう。
 これまで、ハイジャック防止関連の条約をはじめ、テロに関する十二の条約が採択されております。しかし、いずれも犯行場所や使用された武器など犯罪の形態ごとに事後的に制定された経緯があり、年々、テロ組織の国際ネットワーク化が進み、その手段も巧妙化してきた現在においては、テロを総合的に取り締まる条約の必要性が叫ばれています。
 もちろん、それぞれの条約は、重大犯罪を抑止・防止する上での国際協力の礎となる意義があり、これまでサミットの場などで呼びかけられてきたように、より多くの国の批准が求められるべきものであります。これらの条約と合わせて、今回の事件のような悲劇を二度と起こさないための、反テロの国際連帯の証として、「包括的テロ防止条約」の締結を目指すべきです。
47  第二の犯罪取り締まりについては、専門の常設組織を国連に設置し、ICPO(国際刑事警察機構)や各国の警察当局と緊密に連携を取りながら、効果的な対策を推進する国際ネットワークの核として機能させてはどうかと提案したい。
 また、犯罪グループを取り締まる上で現地の警察だけでは対応できない場合を想定して、国連独自の警察力という構想を、将来的に検討してみてはどうか。国連憲章七章に基づく安保理の強制措置や、自衛権の発動の前に、国際協力による警察的な対応という選択肢を用意することは、より普遍的なテロ防止対策という面でも、十分考慮に値するものではないでしょうか。
48  第三の国際司法制度の整備という面からは、「国際刑事裁判所」を一日も早く設置することが欠かせません。ジェノサイド(集団殺害)や人道に対する罪、戦争犯罪などを犯した個人を裁くための国際的な常設裁判所を設置する条約は一九九八年に採択されましたが、いまだ発効要件である六十カ国の批准をみておらず、設置されないままの状態が続いています。
 私は、この機関を通じて「力による解決」ではなく「法による解決」を制度化し、″憎悪と報復の連鎖″を断ち切る回路を開くことが重要であり、そこに二十世紀と二十一世紀を質的に転換させるカギがあると考え、かねてから早期の設置を訴え続けてきました。
 現在、「国際刑事裁判所を求めるNGO(非政府組織)連合」などによって、批准の促進運動が進められていますが、SGIとしても積極的に取り組んでいきたいと考えています。
 また、国際刑事裁判所の設立までに時間を要する場合は、旧ユーゴスラビアやルワンダでの虐殺などの犯罪を裁くために安保理の決定によって設置されたのと同じような形で、国際臨時法廷を設置することも視野に入れるべきでしょう。いずれにしても、今回の事件を契機に、テロを国際司法制度によって裁くという原則の確立を目指すことが必要だと思います。
49  長期的な展望で「復興支援」を
 こうしたテロ防止の枠組みづくりに関連して、アフガニスタンの復興に果たすべき日本の役割について言及しておきたい。
 先月、暫定政権が発足したアフガニスタンは、二十三年にわたり内戦が続いた結果、今な、お四百万人もの人々が難民状態におかれ、人々の生活や社会を支えるインフラ(基盤)の大半が破壊された状態となっています。早急な人道支援と、復興計画への持続的な支援が国際社会に求められており、日本は積極的な役割を果たすべきだと考えます。
 近年、「ユーラシア外交」や「シルクロード外交」を模索してきた日本は、テロ事件以前から、北部同盟とタリパンの両派を東京に招いたりするなど、和平の糸口を探る外交努力を試みてきた実績があります。
 日本は、この地域における植民地支配や侵略行為など軍事・外交面で歴史的な″負の遺産″がなく、アフガンに隣接する中央アジアの国々とも信頼関係を有しています。また日本は、さまざまな形でアフガンへの人道支援を進めてきたほか、先日(一月二十一日〜二十二)も、「アフガニスタン復興支援国際会議」の閣僚級会合を東京で開催し、復興計画の概要のとりまとめに尽力するなど、意欲的な取り組みを行ってきました。
 私どもは、こうした努力を高く評価するものであり、今後も日本が長期的な展望に立って、粘り強くアフガン復興の支援を続けていくことが大切であると考えます。
 そして、その中で、「難民の世紀」とも呼ばれるこ十世紀の悲劇の主因となってきた、地域紛争や民族対立を克服するための総合的な方策と、復興支援のあり方を模索していくべきでしょう。
50  近年の紛争は、戦闘と難民、飢餓と自然破壊などが同時に発生する「複合緊急事態」の様相を帯びており、多角的な取り組みを並行して進める必要が高まっています。
 具体的には、国連の「ピース・ビルディング(平和の建設)」構想に、日本が参画する形で進めていってはどうか。これは、紛争による破壊から回復しようとする社会が、安定した平和の基盤を自力で構築することを支援する活動です。その内容は、民族和解、人権尊重から、武装勢力の武装解除と社会復帰、法秩序の確立、民主的制度の増進、基本的なインフラの整備など幅広い分野にわたるものです。
 国連では、中央アフリカなどに実験的な形で「平和の建設支援事務所」を設置しています。
 日本でも、アフガニスタンにおいて難民の帰還・再定住化のための「アズラ計画」などに取り組んできましたが、今後も国連諸機関と協力しながら、こうした現地でのプロジェクトを支援する体制を整えていく。そして、各種の専門技能を有した人材を育成し、その派遣を常時可能にするシステムの確立を目指すべきでしよう。焦点となっている地雷除去についても、日本は技術協力などで貢献できる面が大きいのではないでしようか。
51  加えて、アフガンの厳しい状況が長らく国際社会から放置されてきた教訓を踏まえ、和平・復興の進捗状況を逐次広報するとともに、アフガンへの理解を広げるために文化や伝統などを紹介していく「アフガニスタン平和センター」を、日本に設置することを提案したいと思います。
 以上、テロ防止のための制度守つくりと、紛争後の平和建設について論じましたが、これらの「事後的な取り組み」とともに要請されるのは「予防的な取り組み」――つまり、テロや紛争をなくすための環境づくりを、世界が協力して推し進めることであります。
 まず、「予防的在取り組み」に国際社会が全力をあげる。しかし、それでもテロが起こってしまった場合には、「法による処罰」を原則とした国際社会の合意に基づく普遍的なルールで対応するという、二段構えで臨むことが重要であると考えます。
 私は数年来、「人間の安全保障」に立脚した国際協力の枠組みをつくることが時代の要請であると訴えてきました。その観点から「人権」「貧困」「軍縮」の三つの柱からなる予防的なアプローチについて、具体的な提案をしたいと思います。
52  人種差別、排外主義から脱却を
 第一の「人権」ですが、特に私は、人間の心の面からの予防的な取り組みとして、「人権教育」の重要性を訴えたい。
 昨年(二〇〇一年)は、国連が定めた「人種主義、人種差別、排外主義、不寛容に反対する動員の国際年」であり、南アフリカのダーバンで世界会議が行われました。これに先立つ形で、NGOのフォーラムも開催されましたが、そこに参加したSGIの代表団を通して、私は「国連人権教育の十年」(一九九五年〜二〇〇四年)に続く、国連「平和のための人権教育の十年」の設置を提案しました。
 ダーバン宣言で謳われた「すべての人が共存し、平等・公正・人権・安全が共に享受されるような公正で包括的かつ永続的な平和」を実現するカギは、この人権教育の地道な実践しかないと考えます。
53  どんな人間も、生まれた時から排他的な考えを抱いているわけではありません。成長する過程で、偏見や差別感情などを植え付けられ、他の集団への憎悪を募らせてしまう場合が多い。。こうした観点に立ってSGIではこれまで、「国連人権教育の十年」を支援する形で、「現代世界の人権」展の巡回をはじめ、人権セミナーの開催、など、意識啓発の活動に継続的に取り組んできました。
 また昨年からは、特に子どもたちへの教育的側面を重視し、世界百二十カ国・地域の絵本を紹介する「世界の絵本展」もスタートさせております。この絵本展は、世界のさまざまな地域の文化や生活をわかりやすく紹介しながら、互いの違いを多様性として自然な形で受け止めていく機会ともなるものです。
 日常生活のあらゆる場面で″他者を思いやる心″を育みながら、現実の行動につなげていく繰り返しのなかに「人権文化の創造」の直道はあると、私は確信するものです。
54  「貧困」の撲滅へ協力が不可欠
 第二は、「貧困撲滅」のための取り組みであります。実に「貧困」こそ、テロや紛争を生み出す大きな要因でもあるからです。
 私どもはこれまで、グローバル化のなかで広がる貧富の格差の是正と、絶対的貧困層をなくすための国際協力を、繰り返し訴えてきました。貧困は、多くの地球上の人々の尊厳を脅かしている″看過できない脅威″だからです。二年前の「提言」(「平和の文化 対話の大輪」本巻二一一ページ)でも、重債務貧困国に対する救済措置で利用可能となる資金を、貧困緩和や教育・保健・医療等の環境整備に充当させることなどを地球的規模で目指す「グローバル・マーシャルプラン」の実施を提案しました。
 ユニセフ(国連児童基金)の『二〇〇一年世界子供白書』では、債務救済の配当を子どもの教育や健康のための資金に転用したウガンダの例を紹介し、「債務を子どもへの投資に変えることが、貧困を終わらせるための鍵になる」と強調していますが、人間本位の視点に立った貧困撲滅の努力を一致して進める必要があります。
55  昨年(二〇〇一年)五月には第三回「国連後発開発途上国会議」が行われ、貧困問題などを乗り越えるための指針が盛り込まれた行動計画が採択されました。七月のジェノバ・サミットの宣言でも、途上国支援に最大の焦点が当てられるなど、機運も高まっております。
 国連ミレニアム宣言の「二〇一五年までに、一日の所得が一ドル以下の人口の比率を半減する」との目標を達成するためにも、今一度、真剣に検討してみてはどうかと訴えたい。特に、国連の「人間の安全保障基金」の設置に積極的な役割を果たしてきた日本は、貧困問題の解決のために強いリーダーシップを発揮すべきだと思います。
 また、国連の機構上でも、アナン事務総長が提案しているような、世界の最貧諸国における問題を担当する高等代表事務所の設置なども検討していくべきではないでしょうか。
56  第三は、紛争悪化の制度的予防という面からの「軍縮の推進」です。
 特に近年は、テロとの関連で懸念されている、核兵器や化学兵器、生物兵器といった大量破壊兵器の不拡散体制の確立と、徹底した軍縮努力が急務となっています。
 その突破口を開くための一つの方策として、私が強く呼びかけたいのが「CD(ジュネーブ軍縮会議)」の運営改革であります。
 一九六〇年に設置された「十カ国軍縮委員会」を母体とするCDは、その後、名称や組織的な変更を経ながら、唯一の多数国間軍縮交渉機関として、「核不拡散条約」「生物・毒素兵器禁止条約」「化学兵器禁止条約」など、数々の重要な軍縮条約の成立に寄与してきました。しかし、九六年の「包括的核実験禁止条約」以来、五年間にわたって何の成果も得られず、新たな交渉のテーマさえ合意できない状態が続いています。
57  そこで私は、事態打開のために、CDの最大の特徴であり、現在の状況を招いた最大の原因ともなった「全会一致ルール」の見直しを図るべきであると考えます。
 この見直し案については、昨年八月、日本が「手続き事項は三分の二の賛成で決める」といった一部多数決方式の導入を非公式に提案しております。多数決は安全保障の問題になじまないというならば、WTO(世界貿易機関)で採用されている「コンセンサス・マイナス・ワン」制度(当事者を除いた他のすべての加盟国で一致をみた場合は、その意思が尊重される)という方式もありましょう。何らかの形で運営改革をしなければ、CDはその存在意義すら危ぶまれる恐れがあると思います。
 入り口で立ち止まるのではなく、まず交渉のテーマについて大筋の合意を得た上で、議論を先に進め、細部をつめていくといった運営方法に切り替えることが生産的ではないか。
 CDの伝統を大きく塗り替えることにつながるだけに、異論もあるかとは思いますが、軍縮の推進を第一義として改革を真剣に検討すべき時が来ていると思います。
58  この軍縮という面で、特に強調したいのが核軍縮への取り組みです。
 九・一一のテロ以来、パグウォッシュ会議のロートブラット博士をはじめ、「テロリストによる核兵器使用」を懸念する声が高まっています。IAEA(国際原子力機関)でも、核物質の不正使用を防ぎ、核施設の破壊工作に対する確実な防御を行うことを求める決議が採択されました。
 国連では現在、「核テロ防止条約」が審議されていますが、早期の締結が図られるよう国際世論を高めていく必要があります。テロに限らず、核兵器の拡散を防ぎ、核軍縮を前進させることは、二十一世紀の人類にとって死活的な課題です。昨年(二〇〇一年)十二月、米ロ両国は、START1(第一次戦略兵器削減条約)に基づき、戦略核弾頭を六千発に削減するなどの義務を履行しましたが、それ以降の核軍縮の具体的なスケジュールは明確になっていません。
 二〇〇〇年の「核不拡散条約」第六回再検討会議では、「全面廃絶に向けた核保有国の明確な約束」という文言を盛り込んだ最終文書が全会一致で採択されました。しかし、具体的措置や期限の設定といった点では十分な合意は得られていないのです。
59  同会議で、核兵器の「全面廃絶に向けた明確な約束」を核保有国が最終的に認めたのは、非保有七カ国が主導する「新アジェンダ連合」とこれを支援するNGOの運動があったからこそですが、乙の流れを後退させないためには、″民衆世論の包囲網″をさらに強めながら、核保有国に約束の誠実な履行を迫っていく必要があります。
 SGIではこれまで、生命論の次元から核兵器を″絶対悪″と指弾した戸田城聖第二代会長の「原水爆禁止宣言」の精神を受け継ぎ、核の脅威展の世界巡回や、「アボリション二〇〇〇」運動への協力などを続け、核廃絶を求める民衆の連帯を広げてきました。
 今後も「核兵器全面禁止条約」制定という目標を目指し、さらなる行動を重ねていく所存です。
60  「対人地雷」を地球上から廃絶
 この核兵器の問題とともに言及しておきたいのが、「対人地雷」の問題です。
 アフガニスタンにおける紛争でクローズアップされたように、多くの一般民衆、特に子どもたちの犠牲を生んでいる非人道的兵器の廃絶は、冷戦後の世界の焦点となっており、私も一九九七年の「提言」(「『地球文明』への新たなる地平」本巻七一ページ)で全面禁止条約の制定を呼びかけました。ICBL(地雷禁止国際キャンペーン)などのNGOの強い働きかけもあり、「対人地雷全面禁止条約」は九九年に発効しましたが、いまだ世界に一億一千万個の地雷が埋設され、二億五千万個もの地雷が保有されているといいます。
61  この兵器の最大の問題は、紛争中だけでなく、紛争が終わった後もなお、埋設された地雷によって日常的に人々の生命と生活が脅かされているという点にある。条約の発効以降、地言や不発弾によって犠牲者が出た国の半数以上は、戦争状態にはない国だったという調査結果もあります。
 この条約は、使用だけでなく、貯蔵・生産・移譲も禁止し、廃棄を義務づけた画期的な条約ですが、すべての国がこれに参加することなくして、地雷による犠牲者を絶つことはできません。
 私は、二十一世紀に「戦争のない世界」を築くための第一歩として、国際社会が一致し、この非人道的な兵器の完全廃棄、特に、そこに至るステップとしての輸出禁止を早急に実現すべきだと強く訴えたい。
 そして、地雷除去と犠牲者支援のための協力体制をつくりあげることが、「人道の世紀」への挑戦となるのではないでしょうか。
62  続いて、二十一世紀の地球社会を考える上で避けて通れない「環境問題」について論じたいと思います。
 本年は、ブラジル・リオデジャネイロで行われた「地球サミット」から十周年にあたり、八月に南アフリカでWSSD(持続可能な開発に関する世界サミット)」が開催されることになっています。
 九二年、冷戦終結と地球環境問題への関心の高まりのなかで行われた地球サミットは、百八十三カ国・地域の代表が参加した空前の規模のもので、気候変動枠組み条約や生物多様性条約の署名と、行動計画「アジェンダ21」の採択という多くの成果を上げた会議でした。ガリ前国連事務総長が「認識論的転換」と評したほど、人々の認識を改める上で大きな意義があったといえます。
 しかしその後、対策は遅々として進まず、地球環境の悪化に歯止めがかからない現状がある。地球温暖化の防止を例にとってみても、条約採択から九年後の昨年(二〇〇一年)十一月に、ようやく温室効果ガスの削減義務を定めた「京都議定書」の運用ルールの合意に達したという状況であります。
 その意味で、本年行われるWSSDは、「認識論的転換」から一歩進んで「行動的転換」を果たす機会にしなければなりません。
63  会議では過去十年聞における対策の進捗状況が検証されますが、今一度、新しい決意と強い覚悟をもって、抜本的な対策を打ち立て、未来の人類のために行動を開始する出発点にすべきだと思います。
 そこで私は、国際協力の枠組みを強化する観点から、WSSDの場において、(1)「国連環境高等弁務官」と同事務所の新設 (2)環境諸条約の事務局の段階的な統合化と、それに伴う「地球緑化基金」の設置 (3)「再生可能子ネルギー促進条約」の締結、の三点を検討してみてはどうかと提案したい。
64  第一は機構改革に関わるものです。
 現在、国連ではUNEP(国連環境計画)以外にも、UNDP(国連開発計画)やWHO(世界保健機関)など数多くの機関が、環境関連の活動を実施しています。しかし、それぞれが別個に活動を進めている現状があり、トータル・プランを構築しながら、情報の交換や連携の強化を図ることが強く求められます。
 そこで、人権分野に人権高等弁務官が、難民分野に難民高等弁務官があるように、環境分野においても同様の職責と事務所を新設し、関係諸機関の活動を調整しながら、地球環境問題への強いイニシアチブを発揮する体制を整えることが重要だと思うのです。
 この「環境高等弁務官」には、事務次長クラスの権限を与え、必要に応じて国際的な勧告を行ったり、賢人会議や科学者会議などを招集して未来ビジョンを発表するなど、地球環境問題の解決のための取り組みをリードしていく役割をもたせてはどうでしょうか。
65  第二の案は、環境諸条約の事務局が別個に設置されている状況を解消することで、相互の活動の連携を強化するだけでなく、事務作業の合理化を通じて運営コストを削減できるメリットがあります。
 また、条約加盟国が報告義務を行うための費用も削減できるはずであり、それらの余剰資金を原資に、生態系の保護や、新たに森林を増やすための植樹などに活用する「地球緑化基金」として活用していくシステムをつくるべきだと思うのです。
 SGIでも、ブラジルSGIの「アマゾン自然環境研究センター」で熱帯雨林再生研究プロジェクトを行ってきた実績などがあり、そうした環境問題の解決に、できる限り協力していきたいと思います。
66  第三の案は、再生可能エネルギーの積極導入を図り、化石燃料に依存する社会システムを転換する道を開くための提案であります。
 この問題に積極的に取り組んできたUNEPでは「太陽光、風力、波力など、環境にやさしいエネルギーの導入こそ、新千年紀に人類が取り組まなければならない喫緊の課題」と位置づけ、昨年(二〇〇一年)三月に「当然の選択――再使用可能なエネルギー技術と政策」と題した報告書を発表しています。
 先進国の間でも、そうした問題意識が高まっており、二〇〇〇年の九州・沖縄サミットを受けて「G8再生可能エネルギー・タスクフォース」が発足し、昨年のジェノバ・サミットに報告書が提出されました。
 そして、ジェノバでのG8共同宣言では「将来への遺産」の章に、「我々は、再生可能エネルギー源が我々の自国の計画において十分に考慮されることを確保するとともに、他の国々も同様の行動をとることを奨励する」と謳われ、サミットの宣言として初めて、その推進が打ち出されたのであります。
67  ヨーロッパでは、すでに具体的な計画が動き始めており、昨年九月にはEU(欧州連合)が再生可能エネルギーに関する指令を採択し、二〇一〇年までに総エネルギー消費量に占める比率を倍増させることが目指されています。
 一方、途上国の間でもUNDEPが「持続可能な農村エネルギープロジェクト」の一環として、バングラデシュの小さな村落に太陽エネルギーを導入するなど、さまざまな活動が試みられています。そこで、先進園、途上国に限らず、こうした取り組みを全地球的な規模で進めるための合意、いわば「再生可能子ネルギー促進条約」のようなものをWSSD(持続可能な開発に関する世界サミット)の場で検討してみてはどうかと、私は提案したい。
68  WSSDに関連して、もう一つ言及しておきたいのが「地球憲章」です。
 持続可能な未来に向けての価値と原則を謡った「地球憲章」は、ミハエル・ゴルバチョフ元ソ連大統領と地球サミットで事務局長を務めたモーリス・ストロング氏らを中心とする地球憲章委員会で起草を進めてきたもので、二〇〇〇年六月に最終草案が発表され、本年(二〇〇二年)の採択が目指されています。
 私どもSGIでは、その趣旨に賛同し、これまで世界各地で支援行事を開催してきたほか、平和研究機関の「ボストン二十一世紀センター」においても草案−つくりに多角的な視座を提供するためにシンポジウム等を行い、研究書を発刊してきました。
69  「地球憲章」には、環境問題に限らず、公正な社会と経済、民主主義、非暴力と平和に関する項目など、今後のグローバル・ガパナンス(地球社会の運営)を考える上で欠かせない包括的な行動規範が盛り込まれており、二十一世紀の人類の指針となるべきものです。共通のビジョンを持ち、そこに向かって皆が行動していく努力なくして、地球の希望の未来は開けません。その意味でも、国際社会の一致した合意をもって「地球憲章」が採択できるようにしなければならないと思います。そして、採択された後も「地球憲章」が人類共闘の基軸となるように、草の根レベルでの粘り強い意識啓発が欠かせないでしょう。
70  SGIとしても、地球憲章委員会や他の団体と協力しながら「地球憲章」の各国語版の翻訳や、その内容と趣旨を解説した各国語版のハンドブックやビデオ作製などのサポートに取り組んでいきたいと思います。
 また環境教育という観点から、子どもたち向けに、地球憲章のメッセージを親しみやすく、分かりやすくしたパンフレットの制作も必要となるでしょう。
 現在、wssDに向けて、子どもたちによるポスターや作文のコンテストが行われる予定となっていますが、今後も継続的に、地球の未来を担う子どもたちに焦点を当てた環境教育に力を入れることを国際社会の合意としていくべきです。
 SGIでも今後、さまざまな形で、環境教育の普及に努めていきたいと思います。
71  混迷する世界の犠牲者は子ども
 これとあわせて、本年五月に行われる「国連子ども特別総会」に関連して、いくつか提案をしておきたい。これは、一九九〇年の「子どものための世界サミット」で合意された目標の達成度を振り返り、二十一世紀の新たな行動計画を定めるために行われるもので、昨年九月に開催が予定されながらも、テロ事件によって延期を余儀なくされたものです。
 混迷する世界の中で、常に犠牲となるのは子どもたちであります。十八歳未満の子どもは地球上に二十一億人いますが、その健康や成長が守られている国で暮らすことのできる数は一割にも満たないといわれます。
 「子どものための世界サミット」以降の十年間で、予防可能な病気で亡くなる子どもの数は大きく減少し、基礎教育を受けられる子どもの数も増加するなど、一定の進歩が見られました。
 しかし、サミットの行動計画は国際的に幅広く認知されなかったこともあり、目標は十分に達成できていない状況にあります。そこでユニセフでは、「子どもたちのための世界的連帯」というネットワークを立ち上げ、政府だけでなく、NGOや教育機関、報道機関などの参加を呼びかけています。
72  「国連子ども特別総会」も、その一環として行われるものであり、ユニセフのベラミー事務局長は「今日の健康な子どもと明日の健康な世界のつながりを強調することこそ、子ども特別総会の目的である」と位置づけています。
 SGIでは、これまで「子どもの人権と現実」展をはじめ、ユニセフを支援する活動を行ってきました。同展は、ユニセフ創設五十周年を記念して九六年六月に開幕して以来、アメリカ各都市や南アフリカなどを巡回しているもので、五月の特別総会に連動する形でニューヨークでの開催も予定しております。
73  子ども権利条約議定書に批准を
 私は、今回の特別総会を、各国のリーダーたちがすべての分野において「子ども第一」「子ども最優先」の原則を貫くことを誓約し、″子どもたちのための同盟″を広げていく出発点とすべきであると訴えたい。
 そして、その第一歩として、子どもたちの人権を著しく侵害している、子どもの人身売買や子ども兵士を禁じた「子どもの権利条約」の二つの選択議定書を、各国が批准することを強く求めたいと思います。加えて、特別総会の場か、もしくは近い将来に「世界教育憲章」の採択を目指してはどうかと提案したい。これまでにも、識字教育や初等教育などの基礎教育をすべての国で推進するための「万人のための教育世界宣言」があります。これを発展的に深める形で、教育環境の整備のための国際協力とともに、二十一世紀の教育を展望して、「子どもたちの幸福」を第一義に掲げた「教育のための社会」の理念を柱としながら、世界市民教育、平和教育を地球的規模で実施するための共通規範を打ち立てるべきではないかと考えるのです。
74  最後に、二十一世紀のアジアの平和を展望し、二つの提案をしておきたいと思います。
 本年(二〇〇二年)は、東アジアの三国である日本、中国、韓国にとって意義深い年に当たります。日中国交正常化三十周年であり、中韓国交正常化十周年であり、韓日共催でサッカーのワールドカップが行われるという三重の意義があることを踏まえ、「日中韓国民交流年」に定められました。
 三国による信頼醸成の取り組みは、一九九九年にフィリピンで行われた「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3」会議に出席した三国の首脳対話をきっかけに進んできたものです。二〇〇〇年には首脳会談の定例化が決定したほか、咋年には外相会議と経済関係閣僚会議を定期的に開くことで合意するなど、対話の場の定着化が図られてきています。今年の国民交流年も、こうした対話の中で決定をみたものであり、信頼と友好の絆を深め合う絶好の機会となりましょう。
75  これまで創価学会では、アジアの平和を願い、中国や韓国との民間レベルでの交流に努めてきました。
 本年も、中部青年部の企画で、日中友好の礎を築いた周恩来総理の生涯を紹介する「偉大な指導者 周恩来」展が、今月、名古屋でスタートし、年内に計八地域の巡回を行う予定となっております。
 また私は現在、韓国・済州大学の趙文富前総長との連載対談を行い、日韓友好の道を語り合っています。
 私は、アジアの平和は、どこかの国がリーダーシップをとって進めるというものではなく、各国が友好を深め、その輪を幾重にも広げながら、時間をかけて形成していくものでなければならないと考えます。
76  本年(二〇〇二年)の国民交流年では、「日中韓ヤングリーダーズ交流プログラム」の実施が予定されていますが、こうした交流をアジア全体に広げる形で定着化させ、次代を担う青年、特に女性たちの問で友情の絆を結ぶ機会を積極的に設けるべきではないでしょうか。
 たとえば、毎年の「ASEAN+3」会議に並行する形で、開催地で交流行事を行いながら、互いの文化や歴史への理解を深め合うプログラムを実施したり、首脳たちとの対話の場を設け、女性たちの率直な声を各国のリーダーに伝えていくことなども考えられましょう。
 創価学会でも本年、「平和の文化と女性」展を各地で開催する予定となっていますが、こうした機会に合わせて、アジア各国の女性との交流を深めていきたいと思います。
77  共通の歴史認識の土台をつくる
 もう一つの提案は、アジアにおける共通の歴史認識の土台をつくるための共同研究の推進です。
 昨年も、日本の歴史教科書をめぐる問題が起きましたが、過去の歴史認識が近隣諸国との緊張を高めるケースが、八〇年代以降、何度となく繰り返されてきています。単に外交的な問題だけに限らず、歴史教育が子どもたちに与える影響の大きさを考えてみても、憂慮すべき点があるといえましょう。
 この点、歴史学者のエリック・ホブズボーム氏は『歴史論』で、一部の歴史を「人間のもっと広いコンテクスト(=文脈)から切り離す」危険性を強く戒め、「歴史家は、どんなに小さな世界に目をむけていても、普遍性を求めなければならない」と述べています。(原鋼訳、ミネルヴァ書房)
78  二度の世界大戦の舞台となったヨーロッパでは、歴史教育をめぐる二国間対話や多国間対話がさまざまな形で試みられており、九二年には十二カ国の歴史家が中心となって編纂した『ヨーロッパの歴史』も発刊されています。同書の内容には賛否両論あるようですが、対話や協議を通じて自国のみに偏らない歴史認識のあり方を追究しようとしたことの意義は大きいのではないでしょうか。
 私は、アジアにおいても、同様の挑戦が行われてしかるべきだと考えます。
 真摯に過去を見つめることは、真摯に未来と向き合うことと同義です。「対話」を軸に共通の歴史認識の土台を築く努力を積み重ねていくことは、アジアの平和を展望する上でも欠かせないと信じるものです。
 アジアの平和に限らず、「自己規律の競争」「人道的競争」に根差した「対話」「信頼」「協調」こそ、二十一世紀の地球社会、地球文明の構築への基軸となるべきものです。
79  牧口初代会長は、『創価教育学体系』の中で、「受力の生活――依他的生活」でも「自力の生活――独立的生活」でもなく、「授力の生――貢献的生活」へと人間の生き方を転換することが肝要であると訴えていました。(『牧口常三郎全集』5、引用・参照)
 授力とは、今様にいえば「エンパワーメント(力を与えること)」になります。人々を励まし、勇気と希望を与えながら、自他ともの幸福を目指す、価値創造の「貢献的生活」を一人一人が歩むことが、やがて社会を変え、世界を変え、時代を動かすことは間違いありません。
 私どもSGIは、本年も「対話拡大」を合言葉に、各国で「よき市民」として行動しながら、どこまでも「平和」と「共生」の人間主義の連帯を広げていきたいと思います。
 (「聖教新聞」掲載)

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