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第26回「SGIの日」記念提言 生命の世紀へ大いなる潮流

2001.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
1  いよいよ始まった二十一世紀――この新しい世紀がどのような時代になるのか、昨年来、多くの展望がなされています。生命工学や情報工学といった科学技術の進展への期待が寄せられる一方で、政治や経済面での行く先の不透明感も語られています。
 「期待」と「不安」というこつのコントラストは、世紀の変わり目に特有のものかもしれませんが、二十世紀の開幕と比較すると、当時のような楽観的な気分は影をひそめてしまった感があるようです。
 その背景には、″二十世紀は人類の役に立ったのか″といった問いが正面きって投げかけられてしまうほどの幻滅感が手伝っているのかもしれません。科学技術の目覚ましい進歩で多くの恩恵がもたらされた反面、戦争が絶え間なく起こり、未曾有の悲劇が繰り広げられた時代の深い闇が、人々の心に拭い去れぬ影を落としております。
2  時流をいかに生命尊厳の思潮へと転じるか
 では、そうした闇を晴らすための光明となるものは一体何か。果たして二十一世紀は何を基調に据えていくべきなのか――。
 このテーマを考える時、私の胸に浮かんでくるのは、″現代化学の父″ライナス・ポーリング博士との語らいの思い出です。博士と編んだ対談集の中で、私が″二十一世紀を「生命の世紀」に″との年来の持論を述べたところ、博士は全面的に賛意を寄せてくださり、「その意味されるものは、人間生命そのものに今まで以上に焦点が合わされ、人間の幸福と健康が大事にされる時代だと思います」(『「生命の世紀」への探求』。本全集第14巻収録)と述べられていたことが忘れられません。
 一九〇一年に生まれ、文字通り二十世紀という激動の時代を生き抜くなかで、科学者として、また平和運動家として、人間と社会のあり方を真摯に問い続けてこられた博士の言葉だけに、千鈎の重みを感じました。その対談集のタイトルを『「生命の世紀」への探求』と名付けたのも、″生命そのもの″に焦点を当でなければ、人類が真に乗り越えるべき課題も、また進むべき道も浮かび上がってはこないとの思いからでした。
3  では、鳥瞰図的に歴史の流れを振り返った時、二十世紀は、私たちの前にどのような姿をもって立ち現れてくるでしょうか。歴史家エリック・ホブズボーム氏の大著『20世紀の歴史』(河合秀和訳、三省堂。以下、同書から引用)は、その意味で示唆に富む書物であります。冒頭には″十二人が見た二十世紀″と題し、世界を代表する識者の見解が列挙されていますが、悲痛な叫びにも似た言葉が並んでいることが私の目を引きました。
 「今世紀は、人類史上もっとも暴力的な世紀であったと、私は考えざるを得ない」(イギリスのノーベル賞作家、ウィリアム・ゴールデイング)
 「私は、それを虐殺と戦争の世紀としてしか見ていない」(フランスの生態学者、ルネ・デュモン)
 ホブズボーム氏はこれらの声を紹介した上で、「省察力のある多くの人々がなぜ、満足感をもって、また未来にたいする自信をもって二〇世紀を回顧していないのだろうか」と自問自答し、こう述べております。
 「それは二〇世紀が疑いもなく、その世紀を満たしている戦争の規模、頻度、期間のすべてについて、歴史の記録に残っているもっとも残酷な世紀であり、(中略)歴史上もっとも厳しい飢饉から組織的な大量殺裁にいたるまで、それが生み出した人間による人間の破滅のかつて前例のない規模の大きさについてもそうだったからである」と。
4  もとより、こうした歴史の暗部にのみスポットを当てるのは、フェアとはいえないでしょう。二十世紀の歩みのなかには、進歩発展の軍配を上げてよい側面も、多々ありました。
 何といっても、帝国主義や植民地主義が、地球上をわがもの顔に振る舞うことが許される時代は、過去のものになりました。多くの課題はあるにせよ、国際連合という世界政治のシステムは、短命に終わった国際連盟に比べ、この半世紀、機能し続けています。民主主義の諸価値に対して、正面きって異を唱える人は少なくなりましたし、とりわけ女性の地位向上、社会進出は、まだまだ不十分とはいえ、やはり前世紀の刮目すべき出来事であったといえましょう。功罪半ばする科学技術の発展にしても、物質的な豊かさ(富の偏在というアポリア〈難問〉を抱えながらも)、交通・通信、医学・衛生などの面での貢献を否定する人はいないと思います。早い話が、二十世紀初めと世紀末の我々を取り巻く人権状況ひとつ取り上げてみても、法律面、制度面で格段の相違があるはずです。
5  にもかかわらず、二十世紀においては、あまりにも人間が人間を殺しすぎた、という事実は消えません。十六世紀以降の五百年にわたる戦死者の実に三分の二を、二十世紀の戦死者が占めるという統計もありますが、まさに″メガ・デス″と名付けるほかない、史上空前の大殺戮時代を現実にしてしまいました。
 すなわち、二十世紀にあっては、人間の生命というものが、あまりにも軽く扱われてきたというほかありません。その意味では、二十世紀とは「生命衰弱の世紀」であり、「生命枯渇の世紀」であり、「生命冒潰の世紀」であるといっても、決して過言ではない。
 先に列挙した二十世紀のもたらしたメリットにしても、ほとんどが外面的な進歩であり、こと時代精神という意味では退嬰的状況は否定できないのであります。すなわち、生命は縮小の一途をたどり、仏法的にいうならば、人間相互の、あるいは大宇宙との繋がりを断ち切られた「小我」の中に、逼塞させられてしまったといえるでありましょう。そうした時流を、いかにして「生命尊厳の世紀」へと転じゆくかということが、ポーリング博士と私が共有する文明史的課題でした。
6  主客一体の生命観を根本に
 さて、昨今は時節柄か、歴史書以外にも数多くの二十世紀論が世に出ていますが、私が散見したところ、何人もの人が言及していた点で特に印象的だったのは、フランスの文人ポール・ヴァレリーが第一次世界大戦後に述べた「精神の危機」という言葉でした。
 一九一九年に発表された同名の論考で、彼は、史上初の総力戦となった第一次大戦がもたらした精神的な衝撃――栄華を誇った西欧文明の死さえ予感させた、底の見えない危機感について切々と語っています。
 そこで彼が浮き彫りにしたのは、知識の無力さ、科学の応用の残忍さ、目標の喪失といった問題でした。いずれも今日的な課題であり、西欧の近代精神の破綻を深部まで見透かした彼の視線は、二十世紀末までも射程に捉えていたものだったといえましょう。その彼が、深まりゆく危機を見据えながらものした小論考に、こうありました。
 「われわれが、われわれの宇宙から一切の生命を排除することに哲学を用いたのと同じ熱意をこめて、古人は宇宙に生命をはびこらせることに彼らの哲学を用いた」(「神話に関する小書簡」伊吹武彦訳、『ヴァレリー全集』9所収、筑摩書房)と。一つの反時代的考察とはいえ、ことに簡にして要、時流の本質をえぐり出した至言だと思います。
7  とはいえ、意図して生命を排除しようとしたのではなく、言葉のコスモロジー形成能力が著しく衰弱した二十世紀にあって、哲学に限らず文学も、言葉の復権、言葉による意味論的生命空間の再構成を目指して模索し、呻吟し、そして挫折を繰り返してきたというのが、本当のところでしょう。
 とりわけ、生命の排除という点では、科学技術の演じた巨大な役割を忘れてはならない。
 近代科学が、自然を人間と切り離された操作可能な客体と位置づける機械論的自然観を主たる武器に、長足の進歩を遂げてきたことは、今さらいうまでもありません。しかし、二十世紀の最後の四半世紀に至って、にわかにクローズアップされてきた地球環境の危機や、二十一世紀の知のフロンティアとされつつも、クローン技術など一歩運用を誤ると人間が人間であることの根底まで突き崩されかねない遺伝子工学の発達などもあって、科学の分野でも、否応なくパラダイムの転換を迫られ、人間も自然の一部であると位置づける主客一体の自然観、生命観を根底に据えざるをえなくなってきているようであります。
8  松井孝典氏(東京大学大学院教授)は、機械論的自然観の礎石となってきたデカルトの「コギト・エルゴ・スム」(「われ思う、ゆえにわれあり」)から「われ交わるゆえにわれあり」あるいは、″われ関わるゆえにわれあり″とシフトすべきであると力説しておられますが、私も大いに賛同するところです。(悔原猛・河合隼雄・松井孝典『いま、「いのち」を考える』岩波書店)
 それは、四年前(一九九七年)の「SGIの日」記念提言(「『地球文明』への新たな地平」。本巻六四ページ)で、私がオルテガ・イ・ガセットの哲学のエッセンスとして紹介した、「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」(『ドン・キホーテに関する思索』A・マタイス、佐々木孝訳、現代思想社)というテーゼと、同じ志向性を有するからです。
9  そうした時流もあってか、″ミレニアム″の日本でも「生命」――といっても単なる生物学的な生命ではなく、ヴァレリーのいう「生命」にスポットが当てられるケースが、大変増えているように思われます。それも「生命」という言葉よりも「いのち」「こころ」「たましい」など、どちらかといえば漢字表記よりも平仮名表記で記されているケースが目立ちます。
 子どもたちの世界に頻発する問題行動や凶悪犯罪をきっかけに論じられることが多いのでそうした表記になるのかもしれませんが、私には、時代精神のもっと深いところに息づいている、微妙にしてかすかな感受性の表出のように思えてなりません。人々の関心の向き方、価値観が、何かを予感しながら、ゆっくりと大きく変貌しつつあるのではないか――。
10  社会の基盤突き崩す「絆の分断」
 私は、一度お会いして肝胆相照らした、敬愛する先達であり二十世紀を代表するバイオリニストであった、故ユーディー・メニューイン氏が好んで引用しておられたアメリカインディアンのシアトル酋長の手紙が忘れられません。十九世紀中頃、白人側から土地の買収をもちかけられた際、時の大統領フランクリン・ピアースにあてたものです。大変長い手紙のごく一部ですが――。
 「もしもわたしが(=土地買収を)受諾するならば(中略)、わたしはひとつ条件をつけます。つまり白人はこの土地の動物を、自分の兄弟とみなすべきである、ということです。(中略)わたしは大平原の上に多数の腐敗してゆく野牛を見たことがありますが、それは白人が通過する列車から射殺して置き去りにしたものです。わたしは野蛮人ですので、われわれが生きるためだけに殺す野牛よりも、どうして煙を吐く機関車のほうが大切であるのかわかりません。動物がいなければ、人間はどうなるでしょうか? もしもすべての動物がいなくなったとしたら、人間は魂の大きな孤独さのために死ぬことでしょう。なぜなら動物の身の上に起こることはなんであれ、人間の身にも起こることですから。ありとあらゆるものは結びついています。大地にふりかかることはなんであれ、大地の子にもふりかかるのです」(R・ダニエルズ編『出会いへの旅』和田旦訳、みすず書房)
11  メニューイン氏も「彼が書いたことは、現代に――あらゆる時代に――とてもよく当てはまる」(同前)と訴えているように、こうした感性、感受性を、原始的なア一てミズムと見下したり、牧歌的なロマンチシズムと切り捨てる資格は誰にもありません。
 面白半分に野獣を撃ち殺して、何の痛みも感じないような動物への差別感情は、インディアンから強制的に土地を取り上げ、恥ずかし気もなく彼らを居住区に囲い込んでおくような人間への差別感情と地続きのものであり、「生命の世紀」とこれほど氷炭相容れぬ無縁な存在はないからです。
 宇宙の森羅万象の中に差異の障壁を設け、それによって価値の序列づけを行うことは、それら相互の繋がり、結びつきを断ち、一方による一方の抑圧、収奪を正当化することであり、生命の尊厳性への冒潰以外のなにものでもありません。
12  「ありとあらゆるものは結びついています」――インディアンの一酋長の感性を共有しながら、仏法の知見は、そうした障壁を取り払うことを、生命の真実の姿、実相へと迫る第一義的命題としました。「一念三千は情非情に亘る」〈「一念」という極致の生命のはたらきに「三千」というすべての現象世界が収まっているという法理は、有情である人間や動物のみならず、山川草木などの非情の世界にも当てはまる〉と、また「一切衆生ことごとく仏性有り」とある通りです。
 「一念」や「仏性」の厳密・な定義はさておき、さしあたりは「生命」とほぼ同義語と押さえておいてよい。
 「生命」が、生物学的な狭義の意味合いではないことは、いうまでもありません。
 ただし、素朴なアニミズムの感性を共有しつつも、仏法で説く「生命」の世界が、一歩ニュアンスを異にしているのは、それが居ながらにして与えられるものではなく、ぎりぎりの精神闘争の果てに豁然と開けゆく豊饒にして澄明な世界であるという点であります。
13  デカルトの″方法的懐疑″ではありませんが、それは、矛盾と不条理に満ちた世の中にあって、すべてを疑い、知・情・意の能う限りを駆使しながら生の意味を聞い続け、苦悩し思索し続ける果てにのみ拓ける境地であり、そうした求道の人に特有の研ぎすまされた生命感覚のみが参入を許される、無差別・平等の世界であります。と同時に、無差別とはいっても、それはのっぺらぼうな非人称的、非個性的な世界ではなく、万象が互いに″縁″によって個々に結びつきながら、生起・滅尽を繰り返している「縁起」の世界でもあります。
 充溢、集中、緊張、調和、均衡、統一……どれひとつとっても、その世界を形容するに十分ではなく、仏典に「言語道断し心行所滅す」と教示されている通り、釈尊ほどの覚者にして、なお人々の無理解や誤解を危慎して、説き始めるのを大いにためらうほどの微妙な倍達の境地なのであります。
14  戸田第二代会長の″獄中体験″が照らし出したもの
 恩師戸田城聖創価学会第二代会長が、太平洋戦争のさなか、軍部権力の宗教弾圧によって獄に投ぜられていた際、過酷な獄中生活下で思索に思索を重ねながら会得された境地も、まさしくこの「生命」の世界でした。恩師は、獄中闘争が続くなか、ある日を期して法華経の身読を発心します。一日一万遍の唱題を重ねながら何度も読み返すのですが、法華経の開経である無量義経のある個所で、そのつど、まるで暗礁に乗り上げたように、思索の糸が断ち切られてしまいます。
15  それは、仏を讃嘆する「偈」のくだりで、
 「其(=仏)の身は有に非ず亦た無に非ず
 因に非ず縁に非ず自他に非ず
 方に非ず円に非ず短長に非ず」(法華経一二ページ)
 から始まって、
 「彼に非ず此に非ず去来に非ず
 青に非ず黄に非ず赤白に非ず
 紅に非ず紫種種の色に非ず」(法華経一三ページ)
 に終わる十二行です。
 その中に「……に非ず」が、実に三十四回も繰り返されている。その執拗なまでに言表を拒絶されたあとに残された、あるいは立ち現れる「仏」とは、一体何なのか――。
 精神を極度に集中させ研ぎすましていくなか、恩師が会得したのは、「仏」とは「生命」なのだという、偉大にして揺るがぬ境地であり、達観でした。
 その詳細は、拙著小説『人間革命』に譲りますが、私はそこに、次の一文を添えました。
 「戸田城聖のこの時の展開の一瞬は、将来、世界の哲学を変貌せしむるに足る、一瞬であったといってよい。それは、歳月の急速な流れと共に、やがて明らかにされていくにちがいない」(第4巻「生命の庭」)
16  これは、執筆当時(一九六八年一月)も今も変わらぬ私の信念であり、事実、今日、百六十三カ国・地域にまで広がっているSGI運動の大河の流れも、いつにこの恩師の獄中体験という源流があったればこそ、なのであります。
 そして、今世紀を「生命の世紀」「生命尊厳の世紀」にしていかなければならないと深く期する私の決意も、宗派性などという次元をはるかに超えて人類の精神史に貢献していくにちがいない思師のかけがえのない体験を、時代の閉塞状況を突き破る突破口に、との思いから発しているのであります。
17  あらゆる絆が崩壊しゆく危機的状況
 かつて歴史家のトインビー博士は、″朝三暮四″の日常性から目を転じて「水の底で活動し河床までもしみ通る、ゆるやかな、眼に見えない、はかりにかけることのできない動き」(『試練に立つ文明』深瀬基寛訳、『トインビー著作集』5所収、社会思想社)を注視するよう、訴えました。
 私が「いのち」「こころ」「たましい」などの言葉がしきりに語られる背景に、人々の感受性や関心の向き方に、時流の深いところでの変貌が感じられると述べたのも、その意味であります。一言でいうならば、価値観をはじめ、すべての機構やシステムに″揺らぎ″が顕著ななかでのアイデンティティー探しであり、手応えのあるリアリティーへの模索といってよい。
18  IT(情報技術)革命なるものがしきりに喧伝されていますが、たとえIT社会が到来しても、ではそれを担い立つ人間はどこにアイデンティティーを求めればよいのか、という問いは、ほとんど手つかずのままです。うっかりすると待ちかまえているのは、バラ色の未来どころか、「いのち」や「ところ」「たましい」の窒息死かもしれない――こうした不安が″揺らぎ″となって、人々を″内面への旅″へと促しているとはいえないでしょうか。少なくとも、私は、一部のメディア論者のように、ネット革命によるコミュニケーションの拡大を手放しで歓迎する楽観論に与する気には、とうていなりません。
 おそらく、人類の精神史的スパンで捉える必要があるであろうこの″揺らぎ″が、いかに「水の底で活動し河床までもしみ通る」ていの巨大なものであるかは、人類最古の共同体であり、人間社会を動物の群れから分かつ分水嶺である家族までが、現在激しい地殻変動に見舞われていることからも明らかでしょう。
 家族の崩壊や行く末を問うテーマは、「いのち」「こころ」「たましい」などと並んで、というよりもそれらと関連づけられて、繰り返し論及され続けています。そこに浮かび上がった冷厳な事実は、他の人間関係と違い、自分で選び取ることができないという点で宿命的な堅固さを有しているはずの家族の絆さえもが″揺らぎ″に直面し、リアリティーを失いつつあるということです。
19  こうした現象は、今から二十年あまり前、多くの女性信者の家出が耳目を驚かせた「イエスの方舟」事件あたりから徐々に顕在化してきたように思いますが、最近の続発する異常な少年犯罪にも、確実に水脈を通じております。常識の枠をはるかに超えたそれらの背後には、必ずといってよいほど、家庭、家族の″揺らぎ″あるいは″崩壊″が見え隠れしています。現在の家庭は、憩いやくつろぎ、癒しの場ではなく、生きにくく、息苦しい密室の空間と化しつつあるというのが、多くの識者が口をそろえて指摘しているところです。
 バーチャル・リアリティー(仮想現実)という言葉は、直接的には、テレビやパソコン、インターネットなどがもたらす、人間がじかに接するものではない虚構の世界をさすものとされています。しかし今や、家族の絆をはじめとして人間同士や、人間と自然や宇宙を結びつけていたあらゆる絆が、程度の差こそあれリアリティーを喪失し、バーチャル化しつつあるようです。
 離人症、引きこもり、失語症、人情不感症、アイデンティティー・クライシス等々、現代日本の特に若年層に顕著な病理は、その証左といえないでしょうか。
20  そうした精神状況下では「ありとあらゆるものは結びついています」という言葉など、もはや空語というしかない。かくて、真実のリアリティーは、幾層ものバーチャル・リアリティーに覆い隠され、「デラシヌマン(=根の破壊)」(シモーヌ・ヴェイユ、『現代人の思想』9所収、大木健訳、平凡社)にさらされた人々は、確かな生の手応えを求めて″自分探し″の旅を余儀なくされている。「いのち」「こころ」「たましい」「家族」が問われている危機的状況の本質は、その辺にあるように思われます。私は、だからこそ、「生命の尊厳」ということを時代精神にしていかねばならないと、痛感してやまないのです。
21  真実・究極のリアリティーであるにちがいない「生命」「縁起」の世界――フアウストとともに「(=その瞬間よ、)とまれ、おまえはじつに美しい」(ゲーテ『ファウスト』手塚富雄訳、中央公論社)と感嘆するしかない、その世界の光源から逆照射することによって、我々を取り巻くすべての鮮を蘇らせ、生き、そして死んでいくことの本当の意味を再構築していかなければならない。「なぜこの家に……」「なぜ男(女)に……」「なぜこんな目に……」――その極致に「なぜ人を殺してはいけないのか」が位置しているであろうあらゆる問いかけに、何としても、応答の備えをなし得なかったならば、新たな世紀は、迷走を続けるばかりでしょう。
 招来を、焦眉の急と信ずるゆえんであります。
22  時代の闇破る「つよる心」(自己規律の精神)
 そこで、その「生命の世紀」を拓いていくための生のスタイルともいうべきものに一言すれば、ファウストが「(=その瞬間よ、)とまれ」と言ったように、ともかく「今」の一瞬がすべてであり、勝負であるということです。
 第一に、なぜ「すべて」かといえば、「生命」や「縁起」の世界で、真実、リアリティーと呼べるものは、「今」の一瞬しかないからです。それ以外は、多かれ少なかれバーチャル性を帯びざるを得ない。未来は当然のこと、過去の出来事といっても、日常的、歴史的、あるいは科学的な時間という、人為的枠組みに沿って構築されたもので、真のリアリティーとはいえません。
23  ゆえに、仏典では、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説いています。これは、時間軸に沿った因果関係の流れをいっているのではなく、「今」、「現在」の一瞬に、すべてが含まれるということを意味しています。
 恩師の思索がたどったように、リアリティーを覆うあらゆる人為的な枠組み、なかでも言語の虚構性を突き破ったところに拓けてくるのが「生命」「縁起」の世界です。しかも「縁起=縁りて起こる」とある通り、そこでは、あらゆる「個」が「縁」によって結び合わされており、今は地球の反対側に住んでいる見知らぬ″疎縁″な人でも、千年、二千年前には何らかの″縁″があったかもしれないし、さらに言えば″親類縁者″であったかもしれない。
 こうした無数の「縁」によって繋がった自我の無限の広がりを、仏法では「大我」と呼んでいます。
 東洋思想にも造詣の深かったカール・ユングは、「たとえ法律的に見て、その場に居合わさず、手を下さなかったとしても、人間であるという一事によって、われわれもまた潜在的な犯罪者なのだ」(松代洋一や右『現在と未来』平凡社ライブラリー)と洞察しています。一見、唐突に感じられるこのような言葉も、「縁起」という観点から見れば、十分納得できる論理的帰結であります。
24  第二に、なぜ「今」の一瞬が「勝負」なのかといえば、「生命」「縁起」の世界は、その充溢・濃密の度合いにおいて、精神の敗残の姿ともいうべき安逸や怠惰とは対極に位置しており、間断なき精神闘争によって、瞬間、瞬間、勝ち取っていかなければならないからです。
 仏典には、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と説かれています。「つよる心」、すなわち心を引き立て、奮い立たせて間断なき前進、間断なき飛翔を続ける人のみが、真のリアリティーの磁場に触れることができ、逆に「たゆむ心」に身を任せてしまえば、心は張りを失い、恐怖や憎しみ、嫉妬、臆病などの劣情に食い破られてしまうであろう。言葉を換えれば、「つよる心」の人とは、釈尊が倦まず説き続けた自己規律(セルフ・コントロール)の達人といってよいでしょう。
25  「非暴力には敗北などというものはない。これに対して、暴力の果てはかならず敗北である」(『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)と断じて一歩も退かぬマハトマ・ガンジーは、その意味から「生命の世紀」への偉大な先駆者でした。「敗北などというものはない」――己に勝つという一点において、揺るがぬ自負と自信をたたえていたこの聖者の世界は、常に光彩陸離たる栄光と凱歌に包まれていたにちがいなく、その一点さえ微動だにしないならば、終局における勝利は約束されたも同然であったはずであります。現代の世界で非暴力運動が直面している課題は依然、大きいものがあるとしても、ガンジーのこの信念は、小揺らぎもしていないであろうと、私は確信しております。
26  破綻きたした「競争」「外発」のイデオロギー
 さて、このような「生命」「縁起」という背光から、二十一世紀の時代精神ともいうべき傾向性の流れをイメージしてみると、そこから、どのような属性が浮かび上がってくるでしょうか。
 私は、そうならなければならないとの思いをとめて、「共生」と「内発」という二つのメルクマール(指標)を抽出してみたいと思います。ともに「生命」「縁起」と極めて親近しており、同時に、両者ほど二十世紀の時代精神の流れの中で、日陰者の地位に追いやられてきたものはないのではないか、と痛感するからであります。二十世紀は、何といってもファシズムやポリシェピズム(急進的な革命主義)に代表される全体主義的イデオロギーが、猛威を振るった時代です。二十世紀が史上最大の大殺戮時代と刻印されるとすれば、その惨禍をもたらした最大の要因はイデオロギーの席巻ではなかたか、とさえ私は思っています。
27  そして、このイデオロギーを特徴づけるのが、「共生」「内発」とは正反対の、言葉の悪い意味での「競争」であり「外発」ではないでしょうか。ファシズムやポリシェビズムに限らず、イデオロギー万般の通弊として、人間や社会の中に外面的な差異の障壁を設け、それを固定化し、自らを優位に序列づけながら他を排除し、抑圧しようとする傾向を、生来的にもっています。
 それらは、しばしば社会の混乱に乗じて狂信的なスローガンと化し、「競争」は、もともと埋め込まれていた「対立・排除の論理」を顕在化させ、「外発」は、「外圧・強制の論理」というハード・パワーの本性をむき出しにしてきます。死屍累々たる二十世紀の歴史は、その生き証人でした。
 オルテガの『大衆の反逆』は、二十世紀の大衆社会の病理をいち早く剔抉ていけつした(=えぐり出した)記念碑的名著として知られていますが、彼はその中で「現代は『風潮』の時代であり、『ひきずられる』時代である」(桑名一博訳、『オルテガ著作集』2所収、白水社)と喝破しています。
 「嘘も百遍いえば……」というあまりにも有名な言葉が示すように、そうした時代にあっては、「対立・排除の論理」「外圧・強制の論理」の危険性は、加速度的に増大してきます。
28  ファシズムの民族主義的イデオロギー、ポリシェビズムの階級主義的イデオロギーは、「風潮の時代」の悪魔的所産にほかなりません。昨今の世界を覆うグローバリズムの流れにしても、それが「イズム」としてイデオロギー化する危険性には、十分注意を払う必要があります。
 私は、一つの″メガ・トレンド(巨大な流れ)″としてのグローバリズムのもたらすメリットを評価するにやぶさかではありませんが、手放しで歓迎するほどの楽観論には与しません。
 いうところのグローバル・スタンダードなるものを金科玉条とし、それに合わない(差異のある)世界、社会に対して「対立・排除の論理」「外圧・強制の論理」を行使する恐れはないのか――。グローバリズムの名の下に拡大し続ける国家間、個人間の貧富の格差、あるいは資本主義の、モノ作りをないがしろにしたマネー資本主義、カジノ資本主義化など、その影の部分は、一部の楽観論に冷や水を浴びせかけるに十分なのであります。
29  二十一世紀を「生命の世紀へと拓いていくためには、イデオロギーのそうした性格を″反面教師″として、「競争」ではなく「共生」を、「外発」ではなく「内発」を、長期的なメルクマールとして、着実に歩みを進めていく必要があるのではないでしょうか。
 個別性ではなく、物事の関係性を第一義とする「縁起」観は「共生」とほぼ同義語といってよく、また、言語による物事の固定化を拒否し、言語の虚構性を突き抜けたところに真実のリアリティーを探り当てた「生命」のはたらきは、仏典に「作作発発と振舞う」〈内発的な促しによる瞬間、瞬間の心身のはたらき、振る舞い〉と説かれるごとく、「内発」的でしか、ありょうがないからです。そうしたメルクマールが、一つの時代精神として浸透し、定義していくならば、「生命の世紀」は戦争と戦争の幕間ではない、本当の意味での「平和の世紀」として、二十世紀と決別することが可能となるでありましょう。
30  「力の文明」転換する女性の世紀を
 そうした二十一世紀への歩みを開始するにあたって、私が特に強調しておきたいのは、女性の役割が極めて大きくなるであろう、また、そうしていかなくてはならない、ということであります。
 イデオロギーに随伴する「対立・排除の論理」や「外圧・強制の論理」が男性を連想させるのに対し、女性の特質は、「生命の世紀」が志向する共生や内発、さらには結合や調和、平和などのイメージを彷彿させます。その点でも、ガンジーやその盟友タゴールは、先見の人でした。平和創出という点で、ガンジーの女性への期待は、まことに率直かつ明快です。
 「女性は、自分たちが弱き性に属しているということを忘れさえすれば、男性とは比較にならないほど反戦の行動をとれるだろう。私はそう確信している。かりに偉大な兵士や将軍の妻や娘や母親たちが、いかなる形態の軍国主義に協力することも認めなければ、その兵士や将軍たちはどうするだろうか。答えてみるがよい」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)と。
31  またタゴールは、文明論的な観点から、男性中心の「力の文明」を「精神的な文明」へと転換するには、女性の力が欠かせないとして期待を寄せていたのです。
 「次の時代の文明は、経済的、政治的競争と利用とにもとづくものではなく、全世界が社会的協同に基盤を置き、能率という経済的理想の上ではなく、互恵という精神的理想の上に打ち立てられることをわれわれは望んでいる。それを実現するときには、女性は自らの真の位置を見出すだろう」(「人格論」山口三夫訳、『タゴール著作集』9所収、第三文明社)と。
32  今、あらゆる面で″揺らぎ″を顕著にしているのは、イデオロギーをはじめとして、男性中心の社会がつくり出してきた価値観であり、原理です。それらがおしなべてその存在理由を根底から問い直されている時、クローズアップされてきたのが先述した「いのち」であり、「こころ」「たましい」「家族」であります。
 いずれも「女性的なるもの」と緊密に結びついています。その意味からも、二十一世紀における女性の存在の重みは、法律面や経済面での「解放」(それも大事ですが)をはるかに超えた、文明史的な意味をもっています。それゆえ、二十一世紀が基調とすべき「生命の世紀」とは、女性の世紀」の異名でもあるといえましょう。
33  私が創立した平和研究機関「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)では、九三年の創設以来、こうした「女性の役割」をめぐる研究を活動の大きな柱の一つとしてきました。これまで、国連改革や地球環境問題、平和の文化など数々のテーマに取り組んできましたが、研究を進める際には女性の視点が反映されるように討議を重ねてきたのであります。それは同センターが、女性からの視点や女性が果たす役割に関する考察を欠いては、有益なアプローチを導き出すことができないばかりか、本質的に解決の方向性を見誤る危険性があるとの認識に立ってきたからです。
 この同センターが掲げるモットーの一つに「『生命の世紀』を照らす灯台たれ」がありますが、今後も特に「女性」に焦点を当てながら平和研究のネットワークを広げ、「生命の世紀」の大海原を明るく照らし続けてほしいと念願するものです。
34  揺らぐ「家族」の再生は人類史的課題
 「女性の世紀」への予兆は、家族、家庭の揺らぎ、崩壊という、由々しき大事からも感じられます。なぜ「由々しき」かといえば、それが、人間であることの一番の根底部分の崩壊につながりかねないからです。
 一昨年(一九九九年)、『「大崩壊」の時代』(F・フクヤマ著)と題する一冊が世に問われました(邦訳は昨年七月刊。鈴木主税訳、早川書店)。副題に「人間の本質と社会秩序の再構築」とうたう同書のメーンテーマとなっていたのが、家庭の崩壊とその再構築でした。『歴史の終わり』の時と同様、氏の歴史の動向に対する時代感覚の鋭さを感じさせられました。
35  それはさておき、霊長類学者の河合雅雄氏によれば、母子の関係は、二億年前の哺乳類の誕生にまでさかのぼらねばならないが、父親の歴史は、人類の誕生以来のことで、たかだか五百万年にすぎない。つまり、五百万年前、雄が父親となり雌が母親となることによって、哺乳類の″群れ″から、人間特有の″家族″へと変貌したのだから、家族の歴史は人類の歴史と同じスパンをもつ。したがって、家族の崩壊は「ヒトがヒトでなくなること、人間が人間であることをやめること」であり、「現代は、人類が人類史500万年の中で初めて遭遇したおかしな時代」であると、氏は述べています。(「かって『父』は家族の司令塔だった」、「月刊ボス」一九九七年二月号所収、三笠書房)
36  そのような趨勢に″待った″をかけ、「人間が人間であることをやめる」ことなく、人間であり続けようとすれば、原理的に両親の力が、互助・互恵的にはたらいていなければならない。両親の役割は「縁起」であり「共生」の関係でなければならないはずです。そうした互助・互恵関係を成り立たせていく上で、イニシアチブをとっていくのは、何といっても女性ではないでしょうか。男性は、良きパートナー、協力者であり、主役は女性だと思います。実際、私の見聞、経験に照らしても、子どもたちが立派に成長していく背景には、ほとんどといってよいほど、賢明なる母親の存在、支えがあるものです。
37  もちろん私は、企業社会の家庭を守ってきた″良妻賢母″型の母親像などを言っているのではありません。そうした母親像、家庭像が根本から揺らいでいるのが現代です。そうではなく、人類史とともに古い家族の歴史を俯瞰してみると、女性的なるものの不可思議なはたらきに、ゆめ軽んじてはならない重みと深みが感じられてならないのです。
 だからこそ、ゲーテは、男性的な近代的自我の比類なき体現者であったファウストの破滅に対し、最後に「永遠の女性」(前掲『ファウスト』)をもって救済の手をさしのべたのではないでしょうか。
38  憲法第九条「平和主義」のグローバルな開花を
 話頭を転じて、次に「生命の世紀」を平和で実り多いものにしていくために、避けて通れぬテーマである、日本国憲法をめぐる論議に触れておきたいと思います。
 昨年(二〇〇〇年)一月、衆参両院に「憲法調査会」が設置され、現行憲法についての国会内での論議が開始されました。第二次大戦の反省に立って、同じく新憲法の下で再出発したドイツが今日まで何度も憲法に手を加えているように、時代や社会の変化に呼応して、一国の最高法規である憲法に、適宜検討を加えていくことは当然あって然るべきだと思います。
39  わが国で憲法論議というと、第九条ばかりに焦点が当たり、それだけで「改憲」か「護憲」かと短絡的にとられがちですが、現憲法制定後、社会の変化の中で生じてきた、新しい環境問題や多様化する人権問題、情報化社会への対応、さらには民意を直接問う国民投票制や首相公選制の導入など二十一世紀の日本の民主主義のあり方にかかわる、いくつかのテーマも存在しています。これらの課題などを見据えながら、よりよい社会を実現するために憲法を見直すことは大切であり、その意味で私はいわゆる「論憲」は当然と考えます。しかし、そうであればこそ、長期的な展望や理念を欠いたまま短兵急に改正を行うことや、国民的な合意形成を待たずに政治的な思惑を先行させて改正を進めるようなことは、厳に慎まなければならないと思います。そうした進め方では、″何のための改正だったのか″という禍根を、往々にして招きかねないからです。その前提の上で申し上げれば、「平和憲法」という通称が示しているように、前文や第九条に盛り込まれた平和主義、国際協調主義の理念は、日本国憲法において根幹的な意味をもつことを忘れてはなりません。現実の安全保障の具体策については、さまざまな視点からの論議があってよいでしょうが、私は何より、平和憲法の理念、精神性が風化してしまうことを危慎するのです。ゆえに私は、その立場から第九条に関しては、手をつけるべきではないと従来から主張してきましたし、その信念は、今も変わりません。
40  ただ、日本がこの半世紀、憲法の柱をなすとの「平和主義」から、世界にどれだけのメッセージを発信してきたかといえば、国際的にみてまことに微弱であったことも否定できません。それなりの努力は認められても、根強い復古主義的な動きや過去の侵略戦争を肯定化しようとする一部勢力の存在も手伝って、日本発のメッセージは、「平和主義」の輪郭として、近隣のアジア諸国をはじめ世界の国々にあまり届いていなかったといえましょう。
 このことは、平和を唱える側も同じで、ともすると内向きの議論に走り、世界を変えていくための具体的な行動になかなか結びつかなかった。国際社会の動向、他国の視線など関係なく、自分たちさえ安穏であればよいとするエゴイスティックな″一国平和主義″の行き方は、平和とは似て非なるものであって、全人類の平和的生存権を謳う憲法前文の精神とは、かけ離れたものであると言わざるを得ません。
 「戦争の世紀」と刻印された二十世紀と、新しい世紀を画然と決別するためにも、日本がこうした停滞状況を打ち破ることが強く求められます。
 グローバルな視点と現実的な思考をあわせもちながら、第九条の理念と精神を新しい生命力をもって広げていく――これが二十一世紀の日本が進むべき道ではないかと、考えるものであります。
41  国連こそ人類共闘の結集軸
 記憶に鮮明な、森有正氏の言葉があります。「世界は自己規律の競争である。政治の軍事に対する優越ということのそれは本当の意味である。また平和の本当の意味がそこにある」(「大陸の影の下で」、『森有正全集』5所収、筑摩書房)と。
 傾聴すべき識見であります。憲法論議に限らず、戦後日本の政治文化に、一番欠けていたのが、この「自己規律」の精神であり「信念」であり、先に申し上げた「つよる心」だったのではないでしょうか。
 戦後、長らく続いた冷戦構造の下で、日本の指導者層の少なからずが″他律的″と言われでもやむを得ない歩みを続けてきたことは否めない事実です。それは冷戦後もさして変わることはなかった。その結果、″第二の敗戦″といわれるバブル崩壊後も、「自己規律」や「信念」とはほど遠い、「たゆむ心」そのままの弛緩した心象風景を招き寄せてしまったのではないでしょうか。
42  憲法論議についても、同じことがいえます。憲法を貫く「平和主義」を「自己規律のかたち」「信念の体系」に沿って、きめ細かく展開していくことが何にもまして肝要であり、第九条に関していえば、私は、条文を改めなくても、それは可能であると思います。第九条が、特に一項において、「パリ不戦条約」の衣鉢を継いで、人類の悲願である戦争の根絶という理想に真正面から立ち向かおうとしていること、また、国権の発動たる戦争(武力による威嚇または武力行使を含む)の放棄を謳い、国家主権をあえて制限していますが、そのいわば″半主権性″は、逆にいえばそれを国際機関(国連)に委ねるという約束事の上に成立したものであることは、その出白からも明らかでしょう。
43  私は、この九条に投影されている、戦争や武力行使に関する国家主権の自己限定の考え方を発条に、国連などと密接にリンクする形で恒久平和を目指すのが、一番正しい選択であろうと思います。
 それが憲法前文や国連憲章の精神に適う道であり、「普遍」を見据えた「個」の位置づけという開かれたスタンスから、「平和国家・日本」としてのメッセージを発していくことは、十分可能なはずです。
 その際、国連による普遍的な安全保障と紛争予防措置の環境整備・確立を、二十一世紀にこそ実現すべく、日本がその道筋づくりの主導的役割を果たすべきだと訴えておきたい。
44  あわせて、非軍事面での国際理解、協調体制をどうつくるか、これが最も大切な点であります。そこには、見直しの余地が多々あるのではないでしょうか。民生の向上や開発、教育・文化・スポーツ面での交流等々、すべての面で「自己規律のかたち」「信念の体系」を発信していく努力が重要となります。
 そのためには、一人一人が「たゆむ心」と決別し、「つよる心」を体現していかなければならないでしょう。「戦争のない世界」を実現するためにも、日本がそうした人類史的実験への舵取りを、と念願してやみません。
45  こうした日本の挑戦に深く関わる形で、焦点となってくるのが国連のあり方です。二十一世紀を「平和の世紀」にするためには、戦争や悲劇を生み出す原因となっている国益優先の考え方を改め、「人類益」や「地球益」に立脚した国際社会を建設することが、一切の基盤となるからです。
 その要となるのは、何といっても国連でしょう。平和・軍縮問題に限らず、環境問題や貧困問題にせよ、それぞれの問題の根深さを考えれば、国家の枠組みを超えた「協力」や「協調」、さらには「人類共闘」の流れが要請されてくることは論を待ちません。
46  そのためにも、半世紀以上にわたって、″グローバルな対話の場″として国際的なコンセンサスづくりに努め、世界各地で人道的な支援の活動を担い続けてきた国連に、やはり目を向ける以外にない。さまざまな限界や課題を抱えているにしても、国連を軸に人類が結束する以外にないと思うのです。その意味で、二十一世紀の開幕を前にした昨年九月、世界各国の首脳が集い行われた「ミレニアム・サミット」で、採択された宣言の意義は大きいといえましょう。
 宣言では、各国が責任を分担して地球的課題に取り組む必要性に言及した上で、「世界でもっとも普遍的かつ代表的な機関として、国連は中心的な役割を果たさなければならない」(『国連ミレニアム総会 国連ミレニアム・サミット 関連資料集』国際連合広報センター)と明確に謳われたのであります。今一度、国連創設に込められた精神――「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」(国連憲章前文)との崇高な目的を思い起こし、「戦争のない世界」の実現へ、国連を中心とした人類共闘の枠組みづくりのために力強く前進を開始しなければならない。
47  市民社会と協働し「ソフト・パワー」重視の運営を
 国連のあり方を考えることは、そのまま、私たちがどのような世界を目指し、世界が直面する問題にどう対処するかというテーマに直結しています。その意味で、私が第一に銘記しておかねばならない大前提と考えるのは、国連の本質が「対話」と「協調」を機軸とするソフト・パワーにあるという点です。
 もちろん憲章には、紛争の平和的解決を定めた六章とともに、強制措置を定めた七章があるように、軍事的措置を含むハード・パワーの行使も想定されてはいます。しかし、平和的解決の先行が特に謳われているように、ハード・パワーの選択はあくまでもぎりぎりの局面での″最終手段″であらねばならず、国連の第一義的使命はどとまでもソフト・パワーを通じた世界の平和と安定化にあるはずです。
48  二度の大戦を教訓に生まれた国連の出自を鑑みても、また二十一世紀を「共生」と「内発」をベースにした「生命の世紀」にするためにも、この原則を断じて踏み外してはならないでしょう。
 私は、安全保障理事会の役割は役割として認めるものですが、二十一世紀の国連が目指すべき道は、ハード・パワーによる事後的な問題解決のアプローチではなく、予防と安定化を重視したソフト・パワーの充実にあると考えます。そのためにも、経済社会理事会や人道分野の諸機関がさらに積極的な役割を果たせるよう、五十年以上にわたり積み上げてきた経験と教訓を今後の運用面において十分に生かしながら、「人間の安全保障」を推進させる道を模索することが大切ではないでしょうか。
49  この点、本年(二〇〇一年)九月には、国連で子どものための特別総会が行われますが、未来を担う世代のために何ができるのか、真摯な論議と実りある成果を期待するものです。
 このソフト・パワー重視の姿勢と表裏一体の関係で、今後の国連を考える上で外してはならない柱は、NGOをはじめとする市民社会と国連とのゆるぎない協働体制の確立――つまり、″民衆の民衆による民衆のための国連へ″の転換です。
50  各国が国益至上主義という二十世紀の負の遺産を引きずったままで、国連が「対立・排除の論理」の渦に巻き込まれて機能不全に陥ったり、「外圧・強制の論理」にたやすく傾いて禍根を残したり、信頼を失うような道をたどらないためにも、民衆をベースにした″人間のための国連″の建設が不可欠です。
 この民衆を主役とした国連の強化こそが、二十一世紀の人類の命運を左右するといっても過言ではない。
51  そうした時代の方向性は、先のミレニアム宣言でも反映されていました。国連の強化と題する章の中で、「民間セクター、非政府組織(NGO)および市民社会全般が、国連の目標とプログラムの実現に貢献できるよう、より多くの機会を与えること」(前掲『国連ミレニアム総会 国連ミレニアム・サミット 関連資料集』)と、市民社会が国連のパートナーとして不可欠の存在であることが明記されています。これは、国家の集まりに過ぎなかった従来の国連からの″脱皮″を明確に志向した宣言としての意義があります。私は、民衆の参画は、単に国連活性化の一番の方法というだけにとどまらず、国連が″国家間の連合体″の限界を打ち破り、″地球市民社会の結集軸″へと発展的成長を遂げるために欠かせないものと考えます。民衆の広範な力の結集によって、国連に「人間の顔」を一段と際立たせていく――これこそ国連が歩むべき大道であらねばならない。
52  財政安定化へ「国連民衆ファンド」を創設
 今後、必要なのは、この方向性を過たず実行へと移すことです。具体的には、ミレニアム・サミットに先立って昨年五月に開催された「ミレニアムNGOフォーラム」で提案された内容をベースに検討していくことが有益だと思います。採択された文書では、「グローバル市民社会フォーラム」の創設や、総会をはじめとする国連機構に対するNGOのアクセスと協議権の拡大などの項目が盛り込まれております。いずれの提案も、私がこれまで提唱してきたプランと合致するものであり、一日も早い実現が望まれます。
53  私が創立した戸田記念国際平和研究所でも昨年、国連改革に関する報告書を発表しました。これは、オーストラリアのラトローブ大学やタイのグローバル・サウス研究所(チュラロンコン大学)との共同プロジェクトで、ガリ前国連事務総長ら有識者と、専門家からなる二つのグループで進められてきた研究の成果をまとめたものです。ここでも「民主化」が改革の柱の一つに掲げられ、国連のシステムを市民社会に開かれたものにするためのが服な改革が求められるとして、「民衆総会」の創設をはじめとする具体的な節目胤が盛り込まれています。かつて平和学者のガルトゥング博士は、私との対談集の中で、民衆総会などの構想に触れて、「ほとんどアイデアらしいアイデアが出されることもなく、最後には投票で事が決せられて勝者と敗者が生まれる短期間の討議よりも、新しい発想と合意(コンセンサス)を生みだすような長期的な対話のほうがよい」(『平和への選択』本全集第104巻収録)と述べておられました。
 こうした民衆参加の新しい制度によって確保されるべきものは、敗者を生まないための長期的なかビジョンであり、すべての人々の幸福を考慮する″対話″です。同様のプランはさまざまな団体からも提唱されており、実現に向けて大きく一歩を踏み出す時を迎えていると、私は思います。
54  NGOは国家の連合体を補完する″脇役″では決してなく、「共生」と「内発」の流れに沿った新しい国際システムをつくり上げていく″主役″にほかなりません。こうして民衆の手でつくりあげられる国連であってこそ、一人一人の人間の尊厳と安全を守る機関となりうるはずです。
 付言すれば、国連の長年の課題である財政についても、″世界の民衆が支える″制度づくりが重要なポイントとなります。具体的にはユニセフで導入されている制度などを参考にしながら、個人や団体、企業からの寄金を積極的に募り、人道分野を中心とした活動資金に充当する「国連民衆ファンド」ともいうべき制度を検討してみてはどうでしょうか。加盟国の拠出金に依存するため、即応すべき活動や重点的に取り組む課題に支障が生じてしまう現状を踏まえ、市民社会からの基金をもう一つの柱に国連財政の安定化を図ることが望ましいのではないかと思います。
55  貧困に苦しむ声を反映させる「地球フォーラム」設置を
 あわせて私は、国連を中心にした民衆主導の人類共闘によって取り組むべき喫緊の課題として、「貧困」と「環境」を挙げておきたいと思います。
 まず第一は、貧困の克服であります。
 世界銀行(以下、世銀)の昨年度の開発報告によれば、一日あたり平均一ドル以下の生活費で暮らす人々は、世界の人口の約二割を占める十二億人にものぼり、その数は減少するどころか増加傾向にあるといいます。
56  また世銀では、こうした統計的なデータとあわせて、『貧しい人々の声』と題するリポートを昨年発表しました。これは、十年かけて、六十カ国六万人の人々に聞き取り調査を続けた労作であり、貧困に苦しむ人々の肉声を具体的に紹久しながら、どこに問題の所在があり、人々が何を求めているかを浮き彫りにする内容となっています。
 世銀ではそれらの声を分析した上で、(1)人々が貧困から抜け出すための経済的な「機会の提供」 (2)自ら職業などを決定できる能力を身につける「エンパワーメント」 (3)基本的な生活基盤の整備と災害や混乱時に人々を支援する「保障」、これらに留意して政策や援助を進める必要があると促しております。
57  との点、経済学者のアマルティア・セン博士は、「適切な社会的機会を与えられれば、個々の人間は自分の運命を効果的に構築し、互いに助け合うこともできる。人間をもつぱら巧みな開発計画が生む利益の受け身の受益者としてみなす必要はない」(『自由と経済開発』石塚雅彦訳、日本経済新聞社)と述べております。つまり、人々を援助や開発の″受け手″と見るのではなく、変革への積極的な″参加者″として位置づけるべきである、と。
58  私も、まったく同感であります。ゆえに援助や開発を進めるにしても、なかば一方的に内容を決めるのではなく、今回の世銀のリポートが志向したように″直接声を聞き、その意見を反映させる″アプローチが重要となるといえましょう。そのためには、各国における民主化の促進とともに、国際社会においても、現実に悩み苦しむ人々の声を汲み取る場を、恒常的に設ける必要があります。
 現在、先進国の側には、各国首脳によるサミットや、主要な政財界人が集い行われる「世界経済フォーラム」の年次総会(ダボス会議)などがあり、国際政治や国際経済の方向性を検討する場となっています。
59  そこで私は、これらの会議と途上国側との″橋渡し″の役割を果たしつつ、公正で人間本位の地球社会を目指し、対話・協議する「地球フォーラム」ともいうべき場を設置してはどうかと、提案したい。これは、途上国の政府と市民の代表、さらに国連事務総長をはじめ国連の諸機関の責任者が集い、各国や諸機関における成功例や教訓を提供し合いながら、途上国側に配慮したグローバル化と、それぞれのニーズに応じた人間開発の促進等を図る役割を担うものです。会議は年二回程度行い、その成果と要望を携えて、サミットやダボス会議に代表が出席し、意見が協議の内容に反映されるよう働きかける形なども考えられます。
 昨年の「九州・沖縄サミット」では、サミットの歴史で初めて、先進国と途上国代表との首脳レベルの対話が実現しましたが、こうした試みを軌道に乗せ、その「対話」の枠組みをサミットの大きな柱としていくことが望ましいのではないでしょうか。
60  「地球憲章」を一人一人の誓いに
 課題の第二は、地球環境問題です。
 一九九二年の「地球サミット(国連環境開発会議)」の開催を契機に、地球レベルでの国際協力を求める声が高まり、温暖化防止条約などいくつかの条約も成立しました。しかし、地球環境の破壊はそれらの取り組みをはるかに上回るスピードで進んでおり、事態は深刻化の一途をたどっています。
 このままの遅々たるぺースでは早晩、大きな危機を迎えることにもなりかねず、国家レベルにおいても、個人レベルにおいても根本的在意識変革を図る以外に道は残されていないといえましょう。その意味から私は、かねてより、ゴルバチョフ元ソ連大統領らが中心となって進めている「地球憲章」制定の趣旨に賛同し、協力を続けてきました。SGIとしても、世界各地で支援行事を開催してきたほか、ボストン二十一世紀センターでも草案事つくりに多角的な視座を提供するために、会議やセミナーを相次いで行ってきました。
61  地球憲章の最終案は昨年完成しましたが、これはさまざまな背景の異なる人々の意見や、世界の各地域の人々の声を幅広く汲み取りながら、粘り強く検討が続けられてきた成果であり、グローバルな対話の″結晶″として出来上がったものであります。
 四章十六項目からなり、「生命共同体への敬意と配慮」や「生態系の保全」といった環境問題に関する章とあわせて、「公正な社会と経済」や「民主主義、非暴力と平和」の章が立てられ、地球社会を形づくる上での行動規範が包括的に盛り込まれています。
 私は、この地球憲章こそ、「共生」と「内発」をベースにした「生命の世紀」を開く礎となるものと強く確信するものです。地球憲章は、地球サミット十周年にあたる明年の国連総会での正式採択が目指されていますが、これを単なる国家間の合意文書に終わらせるのではなく、地球上のすべての人々の行動規範として根付かせていかねばなりません。SGIでは、正式採択までの期間を通じて、草の根レベルでの意識啓発に努めるほか、採択後も、地球憲章が″一人一人の誓い″となっていくよう、新たな企画展示の開催を含め、幅広い運動を進めていきたいと思います。
62  二十一世紀に重み増す中国とインド
 最後に、「共生」と「内発」をベースにした「生命の世紀」の視座から二十一世紀のあるべき世界像を考えるために、地域的な観点からアジアとアフリカについて触れておきたいと思います。
 アジアに関してとくに述べておきたいのは、中国とインドが担う役割です。両国は、単に人口や規模の面あるいは、世界の安全保障という側面だけでなく、文明的な観点からも年を追って重要な位置を占めていくにちがいありません。
 まず中国に関していえば、私が懐かしく思い起こすのは、「中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っているといえましょう」(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)と述べていたトインビー博士の言葉であります。
63  そこには、博士の壮大な理論を貫く――今現在の事象のみに目を奪われるのではなく、究極において歴史をつくる「水底のゆるやかな動き」(前掲『試練に立つ文明』)に耳をそばだでなければ未来は展望できない、との確信が脈打っていました。
 当時、中国の未来を見据えて、日中国交正常化や中国の国連加盟を提唱していた私も、心から共感を覚えました。私が念願叶って中国を初訪問したのは、博士とロンドンでの語らいを終えた翌年の一九七四年のことでした。
 以来、民間レベルでの文化・教育交流の道を、率先して開き、中国との友好を深めてきたのであります。
 その中で強く感じたのは、トインビー博士が中国文明の精神的遺産として挙げていた数々の美質が、社会の変化に応じて形を変えながら息づいているということでした。
 一つは、対立よりも調和を、分裂よりも結合を志向する世界精神であり、もう一つは、二者択一ではなく実践を通して″よりよき選択肢″を模索する人間主義的発想であります。
64  前者は、私が中国社会科学院での講演で強く訴えた、大同思想に象徴される長い歴史の営みの中で育まれた知恵ともいうべき「共生のエートス」であり、後者は″社会主義市場経済″という実験にみられるような改革における漸進主義的な手法の基盤となっている現実感覚といえます。香港、マカオの返還に伴う「一国二制度」の試みも、その同一線上にあるものといえましょう。
 こうした中国の存在を思うにつけ、″教科書問題″などを通じて、日本の中国への侵略戦争という歴史を否定するかのごとき言動が、まま聞かれることは残念でなりません。戦後五十年の時(一九九五年)の首相談話で「痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明」(「朝日新聞」一九九五年八月十六日付)しているにもかかわらず、そうした言動を繰り返すことは、欺瞞であるばかりでなく、一国の見識を問われることであり、厳に慎むべきです。
65  インドについても、長い歴史がたたえる精神性の面で中国と同様のことがいえます。
 ここで詳述はしませんが、釈尊、アショカ大王、ガンジーと流れる偉大な精神の系譜には、人間を小さくし続けてきた近代的なヒューマニズムの限界を打ち破る、宇宙的ヒューマニズムというべき広がりをもった人間精神の輝きがみてとれます。
 それは「力による征服」ではなく「ダルマ(法)に基づく共生」を志向し、差別や排他による分断ではなく「多様性を尊重した調和の社会」を志向する思想といえます。
 ユングが「インドでは、かつて何十万回と生まれたことのないものなど、存在しないかのようである」(前掲『現在と未来』)と述べているように、それは「縁起」の世界そのものです。最近は核保有やIT先進国などの側面ばかりが目立っていますが、こうしたインドや、中国の歴史の地下水脈に流れる精神の力こそが、二十一世紀をソフト・パワーの時代にする一つの原動力につながっていくにちがいありません。
66  世界で「モラル・パワー」の創造的競争を
 だからといって私は、両国における過去の歴史をすべて美化するつもりはありませんし、両国には現在直面している課題がそれぞれあることも承知しています。
 訴えたいのは、両国が長い歴史を通じて培ってきた精神的遺産を失うことなく、時代精神として汲み取り、創造的に開花させていくことが、アジアのみならず世界にとっても寄与することが大きいのではないかということです。
 両国に限らず、過去や現在における問題というのは多かれ少なかれ、どこの国でも存在するものであり、互いがそのマイナス面ばかりに拘泥するのではなく、互いがよい影響を及ぼし合うプラスの競争へと転じていくことが価値的ではないでしょうか。以前、現行のサミットに両国を加えて「責任国首脳会議」へと発展的に改編することを提唱したのも、そうした考えに基づいてのものでした。
67  二十世紀が覇権を争う競争が極まった時代であったとするならば、二十一世紀の焦点は、どの国が中心を担うのかというよりも、どの国が人道的な意味で模範を示すのかという、モラルや精神の「内発」的な力を顕現させゆく「共生」の時代への軌道修正が迫られているのではないでしょうか。
 こうした覇権競争から世界を脱皮させる上でカギとなるのは、一にも二にも「対話」であります。昨年はその意味で、この「対話」の重要性を実感させる出来事がありました。それは、韓・朝鮮半島における南北最高首脳による歴史的な対話の実現であります。
 昨年(二〇〇〇年)六月、韓国(大韓民国)の金大中キムデジュン大統領と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正日キムジョンイル総書記は、平壌ピョンヤンで三日間にわたり会談を行い、半島の平和と未来を語り合いました。私は十五年以上前から、この南北の最高首脳による直接対話の実現を繰り返し呼びかけてきました。
 昨年の提言(「平和の文化 対話の大輪」本巻二二一ページ)でも、″朝鮮戦争から半世紀を経た今こそ、冷戦状態を終結させる好機″と訴えたところであり、今回の対話の実現は感慨深いものがありました。長年の膠着状態を打開し、緊張緩和への動きを本格化させるためにも、分断史上初めて行われた今回のような最高首脳による直接対話を継続させていく必要があります。
 「南北共同宣言」で約束された、金総書記のソウル訪問が早期に実現され、最高首脳による対話が定着し、信頼醸成が進められる中で、両国が″半島の不戦化″へ向けて大きく前進することを切に願うものです。
68  統合へ踏み出したアフリカ
 このアジアとともに、世界平和を考える上で焦点となるのがアフリカです。
 アフリカでは冷戦終結後、各地で地域紛争や内戦が起こり、人々の生活と安全を脅かす深刻な問題となっております。ある調査によれば、冷戦後に千人以上の死者を出した武力紛争の数は百八件にのぼり、その多くが、アジアと並んでアフリカ地域で生じているといいます。
 これらの紛争が長期化する中で、難民生活を余儀なくされる人々も増加しており、その多くが、アジアと並んでアフリカ地域で生じているといいます。
 これらの紛争が長期化する中で、難民生活を余儀なくされる人々も増加しており、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では、その数は六百二十万人に達すると発表しています。(二〇〇〇年一月現在)
69  また、これに付随してアフリカでは飢餓に苦しむ地域が広がっており、FAO(国連食糧農業機関)の咋年度の白書によると、紛争が原因となって食糧不足に陥った国は十九カ国に及び、自然災害による食糧不足国と比べて著しい増加傾向がみられます
 。
 こうした中で、アフリカの人々を長年苦しめている貧困問題の改善も思うように進まず、先進諸国の″援助疲れ″と相まって悲観論が強まっていることが懸念されます。その結果、危機的状況とは反比例する形で、アフリカに対する国際的な関心は低下してきているようです。しかし、アフリカが直面している危機は、グローバル化が進む世界の平和を展望する上で避けて通れない課題であり、また、これを″対岸の火事″視して見過ごすことは人道的にも許されることではないと思います。今日の窮状を招く遠因となった、列強諸国による植民地支配や一方的な領土確定など、アフリカが長らく置かれてきた歴史的状況を鑑みれば、こうした″負の遺産″をこのまま未来に繰り延べさせないことは人類共通の責務ともいえましょう。
70  アフリカは何より″人類発祥の地″といわれていますし、古来、豊かな文明を築き、思想や科学といった分野でも人類に数々の恩恵をもたらしてきた「希望の大陸」でした。
 私もかねてより、「二十一世紀はアフリカの世紀」との思いを強く抱いてきました。その一つの発端は、今から四十年前に国連本部を初訪問した折、総会や委員会での討議に臨むアフリカ各国の代表の溌剌とした姿を目の当たりにしたことにあります。
 この年、一九六〇年は、アフリカの十七カ国が次々と独立を勝ち取った、いわゆる「アフリカの年」にあたり、私が創価学会の第三代会長に就任した年でもありました。
 新しい時代の胎動を感じた私は、以来、アフリカ各国の指導者や識者の方々と友好を深めながら、「アフリカの世紀」への道を開くために微力を傾けてきました。また、創価大学や民音の創立者として、教育・文化交流を民衆レベルで広範に進めるための努力も重ねてきました。
 SGIとしても、UNHCRが進める難民救援活動を支援する運動に特に力を注いできました。「難民条約」制定五十周年を迎える本年も、SGIはUNHCRなどと連携して支援の活動を続けていきたいと思いますが、″縁起″の世界の同じ住人であるアフリカの永続的平和は誰にとっても近しい課題なはずです。
71  これまでもアフリカの内外で、さまざまな建設的なプランが提示されてきました。なかでも、ガーナのエンクルマ初代大統領らパン・アフリカニズム運動の指導者たちがかつて提唱した「アフリカ合衆国」のような、各国が力強く連帯して平和と繁栄をともに希求するための構想を、ポスト・コロニアルの夜明けの産物として、過去のものにしてはならないと思います。
 「アフリカ合衆国」の構想については、ナイジェリアのオパサンジョ大統領と二年前に、お会いした時にも話題になりました。実際、アフリカ諸国の間でも、連帯の強化を求める機運は高まりつつあります。
 OAU(アフリカ統一機構)では、昨年七月にトーゴで行われた首脳会議において、「アフリカ連合」の創設に向けた合意文書を採択しました。この「アフリカ連合」は、EU(欧州連合)型の緩やかな統合を志向するもので、アフリカ議会や裁判所、中央銀行の設置なども視野に入れた構想です。
 創設の時期は合意に至らなかったものの、アフリカ諸国が「連合」の創設という目標で一致をみたことの意義は実に大きいといえましょう。
72  長い歴史の中でOAUは、地域独自の人権憲章や非核化条約の制定をはじめ、最近ではエチオピアとエリトリアの国境紛争を仲介して停戦に導くなど数々の成果をあげてきました。
 こうした経験や教訓を生かしながら、アフリカ諸国がさらなる連帯の強化を目指し、「アフリカ連合」の創設という新たなステップに踏み出すことに対し、国際社会は支援や協力を惜しむべきではないでしょう。
 地域統合の先行的なモデルともいえるEUは昨年発表した報告書の中で、「EUは、一度戦火で引き裂かれた大陸にも平和と繁栄を導くことができる、という″生きた証拠″となった」と、半世紀にわたる統合への挑戦を総括しましたが、五十年、百年のスパンでみれば、EUで出来たことがアフリカで出来ない道理はないのであります。
73  希望と信頼の連帯で「人道の世紀」
 かつてガーナのエンクルマ初代大統領は、アフリカ合衆国を展望し、「恐怖、ねたみ、疑惑の上にではなく、また他を犠牲としてえたものでもなく、希望、信頼、友情の上に立ち、全人類の福祉をめざすゆえに不敗である偉大な大国としてあらわれるであろう」(『自由のための自由』野間寛二郎訳、理論社)と呼びかけました。
 エンクルマ大統領がアフリカの使命と位置づけていた、この平和的な連帯のビジョンにこそ、二十一世紀における地域統合の進むべき王道はあると思います。なぜなら「恐怖」「ねたみ」「疑惑」は、「対立・排除の論理」による競争と「外圧・強制の論理」による外発から生まれるものであり、一方で「希望」「信頼」「友情」は、共生と内発を志向する人間精神の躍動の中で育まれるものだからです。
 また、本年(二〇〇一年)は、国連の定める「人種主義、人種差別、排外主義、不寛容に反対する動員の国際年」にあたり、九月には南アフリカ共和国で世界会議も行われます。
 ここでは政府間の会議と並行してNGOフォーラムが行われる予定ですが、SGIとしてもこれに参加し、人権教育の重要性を特に呼びかけていきたいと考えております。
74  アフリカに限らず、二十一世紀のカギを握るのは、民衆が強くなり、賢明になり、連帯していくことです。また、そのために必要となるのが、繰り返し申し上げているように、人間と人間との「聞かれた対話」であります。「対話」とは、人々を結びつけ、相互の信頼をつくり出していくためのかけがえのない″磁場″であり、善なる力の内発的な薫発によって互いの人間性を回復し、蘇生させていく力の異名ともいえましょう。
 二十世紀の苦々しい悲劇の多くは、この「対話」の精神が社会の確かな土壌たりえなかったことに起因しているところが大きい。
75  本年は「国連文明問の対話年」にもあたっていますが、「対話」を二十一世紀の大潮流へと高め、すべての人が尊厳を輝かせながら、可能性を十全に開花させ、ともに平和と幸福を勝ち取る時代を築かねばなりません。私どもSGIは、この新たな地球文明の創造へとつながる「対話」を、一人一人がよき市民として日々の生活の中で実践しながら、「平和」と「人道」の民衆の連帯を世界に広げゆく挑戦に勇んで取り組んでいきたいと思います。
 (「聖教新聞」掲載)

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