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日蓮大聖人・池田大作

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第24回「SGIの日」記念提言 平和の凱歌――コスモロジーの再興

1999.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
2  いわく、″十九世紀に活躍したトルストイ、ドストエアスキー、プーシキンたちは、「二十一世紀の精神的な規範」の骨格をつくったと言える。だが、果たして二十世紀の作家たちは、彼らの高みに達することができただろうか。この限界は、他の芸術や都新という面でも見られるものではない″かと。(「聖教新聞」一九九八年十一月二十日付)
 そのうえで、氏が難じていたのは、″この三人の文豪といえども、第二次大戦を経験していないし、共産主義やペレストロイカの時代も知らない″という点でした(同前)。つまり、彼らといえども、二十世紀の歴史を命運づけた最大の問題には直面していなかったと。旧ソ連の時代から、全体主義の圧政に屈せず、文学を通し人間の生き方、人類の歩むべき道を聞い続けてきた氏の真剣な問いかけは、私の胸に強く迫ってきました。それはまた、私の年来の問題意識でもあったからです。
3  確かに、二十世紀は、科学技術の進展に伴う形で人類に大きな恩恵をもたらしました。だが一方で、「進歩」が人間を置き去りにし、自己目的化してエスカレートしたために、起こった悲劇も決して少なくない。
 その傾向は年を経るごとに顕著となってきており、近年、クローン技術の人間への転用など生命倫理の分野で論議が高まっているように、″科学技術のひとり歩き″への懸念も高まっているのであります。
 果たして二十世紀は、人間を幸福にするという意味で、「前進」したのか否か――厳しく問い直しつつ、二十一世紀への希望の大道を開くことが、現代に生きる人間の責務であるとの思いで、私は行動してきました。その根底には、私の恩師戸田城聖第二代会長の熱願であった「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との叫びがあります。恩師は、今世紀の半ば、二十世紀の折り返し地点ともいうべき時代にあって、仏法の人間主義を掲げ、人類の不幸の流転史を止めるべく行動を開始しました。その恩師が常々強調されていたことこそ、「二百年先を見通しながらの前進たれ」という点であり、「対話を通して全人類を結び、崩れない連帯をつくりあげるのだ」ということだったのです。私が今日まで、徹して、世界の識者や心ある人たちと語らいを重ねてきたのは、との恩師の言葉があればこそでした。
4  「二十世紀の教訓」を時代の激流の中から汲み取りながら、歴史の地下水脈で輝きを放つ″精神の宝玉″を見いだし、二十一世紀を過たず方向づけていかねばならないとの思いで、国や民族を問わず、時さえ選ばず、いかなる逆風があろうとも足を運び、同じ「人間」として心を開いて対話を続けてきたのであります。
 トインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』(本全集第3巻収録)をはじめ、私が世界の識者の方々と編んできた対談集のタイトルの多くに「二十一世紀」、また「世紀」という言葉を冠したのは、そうした思いを込めてのことでした。
 恩師の叫びより、半世紀――。目先のことではない。百年後、二百年後をどうするか。そのために今、何をなすべきかを絶えず思索し、行動してきた五十年だったのです。「第三の千年」といっても、暦のうえで日付が切り替わったからといって、突然、時代が変わるというものではありません。歴史を創り、新しき地平を開くのは、あくまで人間の意志であり、現実の行動であります。
 そこで私が、二十一世紀に向けて喫緊の課題となると考えるのが、現在、猛烈な勢いで進む経済面での地球一体化――いわゆる「グローバリゼーション」の動きを、豊かさと多様な「地球文明」建設へと転じていくためのビジョンを描き出すことであり、その課題実現のために、
 SGI運動はどう貢献できるのか、どのような意義をもっているのかを、あらためて確認することであります。
5  世界で進行するアイデンティティーの危機
 この点、半年ほど前にお会いした、前国連事務総長のブトロス・ガリ博士が、鋭い問題提起をされていたことを思い起こします。博士は、金融をはじめ環境、疫病など、ますますグローバル化する諸課題を前にした、世紀末の人々の心象風景を、次のように要約していました。
 「『国際的な問題』に取り組まなければ『国内の問題』も解決できない――そういう時代なのです。ですから、人々が自国のことだけでなく、国際情勢に、もっと関心を持つべきです。しかし実際は、多くの人々が、心の底の本音では、国際化の潮流に直面して『不安』を感じているのです。その不安感から、自分たちの小さな″村(地域国家)″や″伝統″の中へ引きこもり、外国人とつき合おうとしない傾向が出てきている。新しい『孤立主義』です」(「聖教新聞」一九九八年七月三十日付)と。
6  博士の要約が伝えているものは、今や、大方の識者の共通認識となっているアイデンティティー・クライシス(自己同一性の危機=自分が自分であることの心もとなさ)の問題であります。全世界を巻き込みながら容赦なく進行するグローバリズムのスピード、荒々しさについていけず、途方にくれながら、内へ内へと自閉していかざるをえない閉塞感。目まぐるしい時代の変転の波間に″根無し草″のように漂いながら、なおかつ生きる根拠を問わなければならない不安感――そうした寒々とした心象風景は、山積する″地球的問題群″にもまして、世紀の変わり目を迎えようとしている人類が、避けて通れぬ課題ではないでしょうか。
 「ユネスコ憲章」が謡うように、平和を欲する・ならば、まず心の中にが平和の砦を築かなければならないからであります。
7  ちなみに、ここ数年を振り返ってみると、世界的に話題を呼んだ、二冊の哲学的ファンタジーが、私の記憶に残っています。一つは、『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル、須田朗監修、池田香代子訳、日本放送出版協会)であり、もう一つは『僕たちの冒険』(リチャード・バック、北代晋一訳、TBSブリタニカ)であります。周知のように両書は、書名からも、あるいはそれぞれ少年、少女が重要な役を配されていることからも察せられるように、哲学の専門書というには遠く、平易な語り口のなかから、知らず知らずのうちに深遠な哲学の世界に引き込まれていく、ファンタスティックな構成がなされております。
 象徴的なのは、両書に付されたキャッチ・コピーであります。
  「あなたはだれ?」
  「世界はどこからきた?」(前掲『ソフィーの世界』)
  「私はどこから来て、どこへ行くのか。
  そして、なぜここにいるのか?」(前掲『僕たちの冒険』)
8  そこからクローズアップされてくるテーマは、生きることの根拠を問うが″自分探し″の旅ということであります。ソクラテス以来、人々がアイデンティティー・クライシスに直面するたびに、必ずそこへ立ち帰り、繰り返し聞い続けてきた、古くて新しい哲学の原初のテーマであります。
 そして、幾多のイデオロギーによる席巻(アメリカのカーター大統領の特別補佐官であったブレジンスキー氏の試算によると、今世紀、戦争や革命などによって人為的に奪われた人命の数は、一億六千七百万人にのぼるそうです〔Out of Control, Global Turmoil on the Eve of the Twenty-First Centry, Maxwell Macmillan International〕)の二日酔いから醒めつつある二十世紀末に生きる人々も、同じように、この原初のテーマを問うことを余儀なくされているようであります。
 こうした人類史のアボリア(難問)を、日本だけが″対岸の火事″視していられるはずがありません。それどころか、伝統的なものをいとも簡単に切り捨てることによって、後発の近代国家として世界史でも稀な成功を収めてきことの代償として、現今の日本人のアイデンティティー・クライシスは、より深刻であるといえるのであります。
9  そうでなければ、冷静に考えれば荒唐無稽としかいいようのないドグマ(教条)をふりかざす奇怪なカルト教団に、最高学府に学んだ数多くの若者たちが、あきれるほど無防備にからめとられていくという、まさに世紀末そのもののような事態など、起こるはずもありません。″自分探し″の旅は、人間であることの必然の証でもありますが、よほど注意深く旅の歩みを進めていかないと、″汝自身″″真実の自分″にたどり着く前に、思わぬ落とし穴にはまってしまうことを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。
10  精神の空白にしのび寄る「国家主義」の危険性
 特に、私が憂慮しているのは、″自然は真空を嫌う″といわれるように、昨今の日本で、アイデンティー・クライシスの空隙を埋めんと、ガリ博士のいう「孤立主義」が「国家主義」的な装いのもとに台頭しつつあるということです。
 「国家主義」については、私は数年前から警鐘を鳴らしてきましたが、昨年(一九九八年)は、たとえば雑誌「世界」(十二月号)が「新『国粋主義』の土壌」という特集を組んでいるように、一段とその勢いを増しつつあるようです。しかも、なおのこと憂慮されてならないのは、そうした国家主義的な風潮に異を唱える側から、国家主義に″ノー″を突きつけるに足る根拠、みるべき対抗軸が示されているとは思えない、ということです。
11  政治の世界一つ取り上げてみても、各種選挙の投票率の低さ、無党派層の増大や政党支持率の漸減傾向など、ここのところの政治不信、政治文化の衰退は、目を覆わんばかりであります。
 人間の優れて言語的営為である政治の生命線ともいうべき理念や政策などそっちのけで、ひたすら″政局″のみを追い続ける政党政治の迷走の帰結として、政治の言葉――かつては″倫言汗の如し(一度口に出した君主の言は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことができない〈『広辞苑』〉)″といわれた政治家の言葉の堕落はとどまるところを知りません。
 「永田町」という閉ざされた空間を、符丁のように飛び交うばかりの言葉に、閉塞状況を打破しゆく力、なかんずく若者の心の闇を切り裂き、その奥底で共鳴音を奏でゆく力など、望みうべくもないでしょう。
 私が、ここで注意を喚起しておきたいのは、戦前の国家主義――あの忌まわしい軍国主義ファシズムが勢い事ついていったのも、政党政治の衰退、消滅と軌を一にしてのことであったということであります。
 すなわち、大正デモクラシーを時代背景に、ようやく緒につき始めたかにみえた政友会、民政党による二大政党制は、内外情勢の激動、政・官・業の癒着、選挙制度の不備などの諸条件が重なって、民意から遊離してしまい、国民の心に政治への不信とシニシズム(冷笑主義)が広がるなか、わずか八年で命脈が尽きてしまった。そして、大政翼賛会という国家主義体制へと収敬されていったのであります。その軍国主義ファシズムの悪政下で、徹底して弾圧を受けた創価学会の出自に照らして、私は、二度とその轍を踏んではならないと、訴えておきたい。そのためにも、今や行き着くところまで行ったかの感さえある昨今の政治不信、政治への無関心やシニシズムを、放置しておいてはならない。その種の退嬰感、無力感こそ、全体主義をみ、増長させる温床となってしまうからであります。
12  もとより、民衆が目覚め、一人一人が強くなり、賢明在批判力、判断力を身につけていくことが根本であり、王道であることは言を待ちません。我々が「心して政治を監視せよ」との恩師戸田第二代会長の留言を胸に、民衆の中へ、民衆の中へと地道な活動を続けているゆえんであります。それと同時に、制度面からの対応も、少しの猶予も許されない時期に来ています。選挙制度を含む日本の政治システムが、戦後五十年余、いわゆる政・官・業の癒着に象徴されるように、多くの点で制度疲労を起こしていることは、今さら指摘するまでもありません。だからこそ、ここ五、六年は、政治改革というスローガンが、耳を聾せんばかりに叫ばれ続けてきたわけですが、事が口にするほど簡単に進むものでないことは、選挙制度改革の問題一つを取り上げても明らかです。改革前よりも改革後のほうがよくなったという人は、おそらく十人に一人もいないのではないでしょうか。
13  そこで閉塞状況を打破するために、私は、民主主義のリーダーシップの在り方を踏まえて、あくまでも私見ではありますが、試論的に一つの提案をしておきたいと思います。それは、一国の″顔″ともいうべき首相の地位や権限を、たとえばドイツのようにもっと強化するか、あるいは一段と踏み込んで首相公選制、さらにはアメリカやフランスのような大統領制まで視野に入れて論議をすべき段階に来ているのではないか、ということであります。
 先進国では、日本のように、首相の地位や権限が″軽少″で短期間で交代を繰り返している事例はほとんど見られず、こんな状況を続けていては、不信感をもつな、というほうが無理でしょう。
 私がなぜそのような提案をするかといえば、何といっても″第三の開国″を迎えている日本に必要なのは、すぐれたリーダーシップだからであります。戦後の日本外交を振り返ってみると、吉田内閣の時に、日米安保体制の下で非核軽武装という国策をとって以来、本格的な舵取りの選択を迫られたことは、たえてなかったといっても過言ではない。アメリカの反共政策の一環に位置し、大筋でそれに追随していさえすれば、大過なく事は片づいていたのであり、国の命運を左右するような主体的決断を要するような事態は、まず念頭に置く必要がありませんでした。極論すれば、″外交不在″の数十年であったともいえましょう。
14  しかし、冷戦構造が崩壊した後は、それでは済みません。アメリカのみならず、中国やロシア、韓・朝航半島、インド、東南アジアなどの近隣諸国をはじめ、全世界に、グローバルな視線を配していくバランス感覚と果断な決断力がなければ、これだけ経済力が肥大化した国の舵取りなど、とうてい不可能であります。
 日本のように、サミットのたびごとに異なる顔の首相が登場しているようでは、首脳問の信頼関係を築くにも支障が生ずるでしょうし、国家間の信頼関係の醸成に何より必要なポリシーの一貫性にも欠けてきます。私の知友であるへンルー・キッシンジャー氏は、日本のジャーナリストに「長い間、日本と付き合ってわかったのは、日本には、ものごとを決める人間がいないということだ」(日高義樹『日本国に大統領が誕生する日』集英社)と語っていたそうですが、過去は過去として、選挙を通じて選ばれ、強力な権限を与えられたリーダーが、一定期間、よほどのことがない限り、その任に就き続けることを可能ならしむる、たとえば首相公選制の検討も、閉塞状況打破への一策ではないか。そうした思い切った発想の転換をする時期が来ているように思えてなりません。
15  さで、話を元に戻せば、ガリ博士の憂慮しておられた新しい「孤立主義」とは、ある種の″反面教師″もいえましょう。すなわち「孤立主義」の引き金となるアイデンティティー・クライシスの問題を上手に乗り越えることができたならば、真実のグローバリズム――昨今のようにグローバル・エコノミーの側面だけが肥大化するのではなく、政治面、社会面、精神面でもそれに相応するグローバリゼーションのなされた、地球文明の雛型ともいうべき未来像を招き寄せることが可能となるであろう――そう、教示しているように思います。
 実際、ガリ博士は国連事務総長を離任する直前に提出した「民主化への課題」というリポートに触れながら、グローバル在民主主義の急務なることを、長年″人類の議会″の番人を務めた人ならではの熱意と説得力をもって語っておられました。
 「二十一世紀、これから二、三十年の聞に、『諸国家間の民主主義』をつくりあげねばなりません。国際的な民主主義と世界市民による民主主義が必要です。そうでなければ、国際秩序はピラミッドのようになってしまいます。底辺に民主主義があっても、頂点は非民主主義――そうなる危険があります」(「聖教新聞」一九九八年七月三十日付)
 確かに、博士が「二、三十年」とタイム・リミットを言いたくなるのも当然なほど、近年のグローバリズムの歩みは急速であり、それだけに多くの難問が噴出してきております。
16  軍事・経済競争に狂奔した二十世紀
 翻って二十世紀は、″列強″と呼ばれる大国同士が植民地支配の拡大を通し、覇を競い合う時代のただ中で始まりました。牧口常三郎初代会長はその様を『人生地理学』の中で、「虎視耽々、万一少しでも隙があれば、競って他国を奪おうとし、そのためには横暴残虐あえて樟ることがない」(『牧口常三郎全集』1)と表現していますが、この覇権競争の帰結として二度の世界大戦が起こっただけでなく、核戦争の脅威が全世界を覆う「冷戦」という東西対立を招いてきたのです。
 冷戦では、東西両陣営が核開発競争に明け暮れた結果、軍事力が人間のコントロールできる範囲をはるかに超えてしまい、敵を殲滅するための破壊力が自分たちの生存をも危うくし、世界全体を破滅させてしまうという、身動きのとれない状態に人類を追い込みました。人類の命運はその間、″危うい均衡″のもとにさらされることになったのです。
17  この冷戦がつくり出していた″壁″が取り払われた後、急速に広がった現行のグローバリゼーションの様相を見るにつけ、それまでの「軍事力による一体化」の動きが表向きには影をひそめるなかで、今度は「自由競争」の旗印のもとに経済力による一体化しといった形で、新たな覇権的関係が国際社会の中で形成されつつある感が否めません。
 そこでは、″強い者はより強く、弱い者はより弱く″という弱肉強食の世界が加速化しています。またへッジ・ファンドに象徴されるように、マネーゲーム型の金融取引が実体経済をはるかに凌駕する形で肥大化する″資本主義のカジノ化″が進むなかで、「市場原理」を盾に国家さえも一切コントロールの及ばない領域が無制限に拡大している。
 今年の新年の日本のテレビで、アメリカの経済学者レスター・サロー博士(マサチューセッツ工科大学教授)が指摘していたように、「国が経済を規制する時代は終わりつつありながら、グローバルに経済が規制される時代はまだ来ていない」(『資本主義の未来』山岡洋一・仁平和夫訳、TBSブリタニカ。以下、同書から引用・参照)のであります。とうした現行のグローバル経済は、本質的に不安定を生みだす危険性をはらんでおり、実際、九七年七月に端を発するアジア経済危機や、ロシアの通貨危機なども起こるべくして起こったという面は看過できないのではないでしょうか。それがまた、他の国々へと連鎖し、新たな危機を生むという状況を招いているのです。
18  問題は、地球規模での公正を一顧だにしない″倫理の不在″にあるといえましょう。市場主義を疎外するものはすべて排除すべしといった考え方が子細な検討もなく、「グローバル・スタンダード」の名のもとに一律に推し進められていくことが果たして妥当なことなのか、聞い直す作業が求められていると思うのです。サロー博士は『資本主義の未来』の中で、「助け合いのイデオロギーは衰退し、適者生存の資本主義が息を吹き返してきた」と述べ、資本主義、市場経済のもつ社会ダーウィニズム的(弱肉強食の)傾向を批判しつつ、「資本主義が今後も成功を収めていくには、消費のイデオロギーから、建設のイデオロギーに変わらなければならない」としていますが、私も大賛成です。
19  「皆が勝者となる世界」への転換を
 昨年(一九九八年)の「提言」(「万年の遠征――カオスからコスモスへ」本巻一〇三ページ)の中で私は、牧口初代会長が提唱した人道的競争の理念を踏まえながら、弱肉強食の「競争」ではなく「共創(共に価値創造する)」への転換を訴えました。これを経済に即していうならば、互いに財を奪い合う「消費の経済」ではなく、互いに価値を与え合う「建設の経済」――つまり、すべての人間が価値創造を実現できるための経済への転換こそが、今まさに求められていると強く感じるのです。
 特に昨今の金融危機でやり玉に挙げられたへツジ・ファンドなど、短期の資本移動の暴走については、何らかの歯止め、規制措置がとられるべきは当然でしょう。そうでなければ、私の友人で未来学者のへイゼル・へンダーソン博士が提唱する「皆が勝者となる世界(Win-Win World)」への展望も開けてこないからです。それと同時に、仏法者として私の関心は、どうしてもアイデンティティーの問題に向きます。世界市民というには、それにふさわしいアイデンティティーの根拠、すなわち世界観やコスモロジー(宇宙観)の裏付けが必要であると思うからです。
 グローバリゼーションに伴う市場経済のボーダーレス化は、必然的に文化、特に消費文化の画一化、同質化をもたらします。しかし、単なる非人称的な消費者の地位にのみ甘んずることのできるはずのない人間の精神は、いつか画一化、同質化の流れと摩擦を生じ、何らかの排他主義――ガリ博士のいう、新しい「孤立主義」と通底しています――へと走るのを常とする。
 こうした対立の構図を、米・ラトガーズ大学のベンジャミン・バーバー教授は、『ジハード対マックワールド』(鈴木主税訳、三田出版会。以下、同書から引用・参照)という著書の中で、説明を試みております。教授によると、世界では今、あらゆる国家を同質のテーマパークに変えてしまう「通信、情報、娯楽、商業によって一体化した一つのマックワールド」と、あらゆる種類の相互依存や人為的な社会協力、相互関係に反対する「偏狭で盲目的な信念の名のもとでの聖戦(ジハード)」の二つの潮流があり、相互が関連し合うなかで、混迷、すなわちアイデンティティー・クライシスが深まっているというのです。
20  「マックワールド」「ジハード」とは、バーバー教授独特の用語で、「マック」とは、アメリカ最大のハンバーガー店・マクドナルドなどから着想されております。すなわち、通信、情報、娯楽、商業などを通してグローバリズムの波が席巻する一体化された世界を指し、その駆動力となっているのが「利潤動機の普遍性(それにともなう商品の政治)」である――と。確かに、市場経済導入に踏み込んでいったぺレストロイカの初期、モスクワの目抜き通りに面してオープンしたマクドナルド店の周りには、二時間待ち、三時間待ちは普通という長蛇の列ができていたこと、そのマクドナルドがグローバル・エコノミー下での″一人勝ち″をいわれるアメリカ資本主義のシンボル的存在であることを考えれば「マックワールド」の呼称も首肯できます。
21  一方、「ジハード」とは、いうまでもなく、イスラムの言葉で「聖戦」を意味します。私は、ジハードという言葉を、排他主義一般に転用することには疑義をもちますが、ここではイスラムの言葉の本来の意味とは切り離して、教授の概念を表現する言葉として理解したいと思います。実際、教授自身も、「イスラム教徒だけでなく、キリスト教徒にも、アラブ人だけで、なくドイツ人にも、ヒンディー語を話す人」にも共通する通弊としています。いわく、「独自性をだすために、自分たちを異質な『他者』と比較して、相手を排除し、憤りをその政策とする」――と。したがって、その駆動力となるのが「偏狭な民族の独自性(それにともなう憤りの政治)」なのであります。
22  「マックワールド」といい「ジハード」といっても、二つの領域に載然と区分けされているわけではない。人間が絶えず″意味″を問い続ける存在である限り、純粋な「マックワールド」の住人など考えられず、また、いかに国境を固く閉ざした「ジハード」といえども、環境破壊などの″地球的問題群″の埒外に逃れることはできず、グローバル・エコノミーの波を完全に遮断することも不可能でしょう。すなわち、現代人は、多かれ少なかれ、両者の混在したなか、アイデンティティー・クライシスを抱えたまま生きることを、半ば宿命づけられているのであります。
 なぜクライシス(危機)かといえば、「商品=貪り」、「憤り=瞋り」と符合するように、「マックワールド」も「ジハード」も、その駆動力とするのは、仏教的にいえば、三毒(貪瞋癡=貪り、瞋り、癡か)という無明中の無明の域を、一歩も出ていないからです。教授が「両者の弁証法的な相互作用から、予期せざる新しいかたちの独裁が生まれると思われる」と危慎するように、無明の闇を徘徊しているだけで、クライシスを乗り越えるための光明など見いだせず、プラトンが警告していたように、独裁の影がしのびよってくるにちがいない。
23  グローバリゼーションの混迷を打開する世界市民意識
 では、グローバルな民主主義の形成に欠かすことのできない世界市民を育成していくにはどうすればよいのか。何が必要なのか。バーバー教授は、プライベートな空間に閉じこもらず、″公的なもの″に常に積極的かつ主体的に関わろうとする市民像を「公衆」と呼び、世界市民への期待を寄せています。
 「公衆をつくりだすのは、市民社会の仕事である。そこでのみ、民主主義を望み、マックワールドの魅力的な歌に対抗しうる態度が生まれる。そこでのみ、地方的な相互関係の人間的必要に答えられる共同社会が、誰の参加も拒まず、コスモポリタンの市民感情に開かれたかたちで成立しうる」と。
24  この「公衆」が、主として活動する空間は、当然「政府」と「プライベート・セクター」の「中間」領域ということになります。しかし、現代の″都会砂漠″の砂をかむような風景をみれば、この言語空間を活性化させることは、実は至難の業であります。この書に、おいても、確たる展望が示されているわけではなく、初期ニューイングランドのタウン・ミーティングに代表されるような言語空間が息づき、生彩を放ち、活発な討議がなされているアメリカ民主主義の最も良質な部分が、ヒントとして提示されるにとどまっています。
 私は、世界市民を育成、輩出しゆく揺籃ともいうべき、こうした言語空間の活性化こそ、宗教なかんずく二十一世紀を拓くエートス(道徳的気風)の核となっていかなければならない世界宗教に課せられた、最大の課題ではないか、と思っております。なぜなら、行為の無償性をぎりぎりのところで担保する真実の宗教こそ、人間のボランティア活動の究極に位置していると信ずるからであります。また、それゆえに、その種の宗教はすべてのボランティア活動の″意味づけ″″動機づけ″、確固たる″足場″を提供していくにちがいありません。
25  創価学会では、本年(一九九九年)を「新世紀へ地域勝利の年」として、二十一世紀への前進を開始しましたが、この「地域」とは、まさに今述べたような″活性化された言語空間″を志向しているのです。庶民が集い、語り合っていく、にぎやかな言語空間が日本中の津々浦々に広がっていくなかにこそ、沈滞しきった日本社会を活性化させ、ひいては、ガリ博士が推奨しているような、グローバルな民主主義を支える世界市民の群像も陸続と輩出されていくであろうことを、私は信じてやみません。
26  また、一九九六年六月、アメリカのフロリダ自然文化センターで行われたSGI総会の席上、私は、SGIは「創価学会インタナショナル」であると同時に「ソーシャル・グッド・インスティテューション(社会の善なる団体)」のイニシャルとして、社会に親しみゃすい愛称を提案し、賛同を得ました。
 牧口初代会長が、社会に利益を与えることが善であり、そこに真の宗教の役割を見いだしていたことに着想を得たものです。人間を活性化させ、社会を活性化させることに勝る″善きこと″はないはずであり、宗教はもとより、政治も経済も教育も、すべてその一点に奉仕していくことに存在意義を有すると思うのであります。
27  ウィルソン博士 ″分断克服のカギは宗教に″
 とうした世界宗教の役割を深く認識し、SGI運動の歴史を温かく、また注意深く見守ってくださったのが、国際宗教社会学会の元会長であるブライアン・ウィルソン博士(オックスフォード大学名誉教授)であります。該博な知識と公正な見識をもっておられる博士は、宗教が人類の歴史に与えた功罪について厳しい見解を示しておられますが(この点は、私も同意するところです)、それでもなお、社会において宗教が最後の拠り所として果たす役割は否定できないとして、私との対談集の中で、「一方に雑多で多様な地方的関心というものがあり、他方に地球的文明と全人類の文化という普遍的で何より重要な目標があり、これら両者を連結する絆が作られ、その溝に橋がかけられることがあるとすれば、それができるのは、おそらく宗教しかないでしょう」(『社会と宗教』本全集第6巻収録)と述べておられます。冷静な分析の中にも、人類の未来を思う熱情があふれる博士の言葉に、深く感動するとともに、意を強くしたことは今もって忘れられません。
28  また、博士は昨年の夏、私の入信記念日に寄せてくださった一文の中で、創価学会が宗教の枠に引きこもらず、平和・文化・教育の万般にわたって力を入れている点に触れ、「時代の要請に応えた宗教」(「聖教新聞」一九九八年八月二十四日付)と評価してくださってくださっております。宗派性を超克したSGI運動の側面を、鋭く見てとっているわけであります。断るまでもなく、そのような宗教運動は、疲れた人々が集い合って、癒しや慰めを求め合うだけのアジール(避難所)のようなものではない。もちろん、そうした側面を有することも事実であり、必要なことですが、むしろ、宗教を奉ずることによって、新しい自分へと脱皮しゆく解放感、意識変革、あるいは魂の高揚がもたらされなければならない。そこに、時代変革への宗教運動の真面目があります。そうでなければ、アイデンティティー・クライシスの克服、また「地方的関心」と「普遍的で重要な目標」との架橋作業などとうてい不可能でしょう。
29  ここで、私は、現代人の魂を深く蝕んでいるアイデンティティー・クライシスを克服するには、いかに迂遠に見えようとも、何らかの形で世界観、コスモロジー(宇宙観)の再興を試みる必要があるのではないか、そこまで踏み込まないと世界市民といっても、″絵に描いた餅″になってしまうのではないか、という提案をしてみたいと思います。
 ヨーロッパの精神史に即していえば、中世から近世・近代への移行は、古い「世界観」から新しい「世界観」への移行ではなく、一つの「世界観」の時代から「世界観なき」時代への移行であったと、よく指摘されます。確かに、ダンテの『神曲』などは、壮大なる世界観でありコスモロジーです。地底深く「地獄界」があり、その中心をすぎて反対側に抜けると「浄罪界」の山があり、上空には「天上界」が九層をなして重なっており、そこをのぼりつめると、神の棲所である至高天へと連なっている。
30  私は、こうした世界観をそのままよしとせず、また、歴史の進歩というものをやみくもに否定するつもりもありません。しかし、こうしたコスモロジーが、近代知や科学による検証に耐えられなかったという問題は、この際さておき、より重要なことは、冒頭に述べた″自分探し″のキャッチ・コピー、
  「あなたはだれ?」
  「世界はどこからきた?」
  「私はどこから来て、どとへ行くのか。
  そして、なぜここにいるのか?」
 といった「問い」に対して、『神曲』のコスモロジーが、それなりの「回答」を用意していたということ、それが、人々のアイデンティティーの根拠となり、幸不幸、苦楽、盛衰の節々に″神意″を感じ取ることによって、精神世界の「意味」ある位階秩序を形成していたということであります。
 翻って、近代の科学的・機械論的世界観は、そのような人間の原初の「問い」に対する「回答」などそしらぬ顔で、むしろ「回答」を拒否することをよしとすることによって成り立ってきた、そういう種類の世界観、コスモロジーであります。したがって、それは反世界観、アンチコスモスの性格を本来的に有しており、近代が「世界観なき時代」と称されるゆえんもここにあります。
31  そのことに気づかず、否、気づとうとせず、知識を知恵と、快楽を幸福と錯覚しながら、近代化の道をひた走ってきたあげく、人間は、現今の「マックワールド」にあって単なる「消費者」へ矮小化され「商品」の奴隷にまで成り下がってしまう始末であります。アイデンティティーの亀裂が深まるのも当然でしょう。
 ゆえにD・ロレンスは『アポカリプス論』の中で、コスモロジーの再興を訴えてやまないのであります。「吾々の欲することは、虚偽の非有機的な結合を、殊に金銭と相つらなる結合を打毀し、コスモス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合をふたたびこの世に打樹てることにある。まづ日輪と共に始めよ、そうすればほかのことは徐々に、徐々に継起してくるであろう」(『黙示録論』、『福田恆存翻訳全集』3所収、文藝春秋)と。ロレンスが、このような警世の叫びをあげてから七十星霜になりますが、まるで今日の事態を予見していたかのような切迫感をもって迫ってきます。卓越した予見とは、そういうものかもしれません。
32  人間の「生きる意味」を見出し、蘇生させるSGI運動の原点
 私どものSGI運動もまたコスモロジー再興への一つの試みであり、アイデンティティー・クライシスへの挑戦であることを、訴えておきたいのであります。
 その原点となるのが、恩師戸田先生の獄中の悟達であります。
 一九四四年(昭和十九年)、獄中の恩師は、意を決して元旦から唱題に励むなか、法華経を身で読み、三月と十一月に、二つの悟達を得ます。一つは「仏とは生命なり」との悟達。
 もう一つは、「霊山一会、厳然として未だ散らず」(御書七五七ページ、趣意)との悟達です。すなわち、釈尊が法華経を説いた霊鷲山の会座に、上行菩薩(日蓮大聖人)を筆頭に無数の地涌の菩薩が涌出して釈尊から正しい法の付嘱を受けた時、まぎれもなく自分もその一員として会座に連なっていた――「我 地涌の菩薩なり」との悟達であります。
33  この二つの悟達――とりわけ第二の「我 地涌の菩薩なり」との倍達は、ともすると現実離れした架空の話と見なされがちな法華経のドラマチックな展開を、日蓮仏法の本義にのっとり、生き生きとしたコスモロジーの絵巻へと蘇らせた、仏法史上、まことに刮目すべき出来事であったといってよい。
 それは、実証科学的な「事実」とは次元を異にした、しかも「事実」の次元に背反せずそれをも包み込んだ、宗教的「真実」の世界、コスモロジーの開示でした。
 この恩師の胸中で演ぜられたコスモロジー再興のドラマこそ、私どもの原点であり、永遠に変わることのない運動のアイデンティティーの根拠となっているのであります。このコスモロジーは、また、先に挙げた人間であることの原初の「問い」に確たる「回答」を用意し、もって、アイデンティティー・クライシスに揺れる世紀末のカオスを、すべての人が生きる「意味」を見いだすことのできるコスモスへと変貌させゆく人類史的意義を有するのだということが、私どもの誇りであり、確信であります。
34  私は十九歳で恩師に初めて出会った際、その強烈な印象を、一編の即興詩に託して披露しました。
  旅びとよ
  いずこより来り
  いずこへ往かんとするか
  月は 沈みぬ
  日 いまだ昇らず
  夜明け前の混沌に
  光 もとめて
  われ 進みゆく
  心の 暗雲をはらわんと
  嵐に動かぬ大樹求めて
  われ 地より湧き出でんとするか(「地涌」。本全集第39巻収録)
35  もとより、当時の私が、法華経の深義など知る由もありませんが、思師の五体が放射する人格力、生命力のなかに、そうしたコスモロジーの胎動を感じ取っていたのかもしれません。
 コスモロジーの内実については、究極的には「信」の世界に属することなので、本論の文脈ではこれ以上触れません。
 特筆すべきは、三世を貫き(永遠性)十方を摂する(無限性)、恩師の悟達が秘めていた瞠目すべき磁力、起爆力であります。
36  恩師は、釈尊の時代、日蓮の時代の青年信徒に言及しながら、我々草創期の青年たちにこう訴えました。
 「諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と、同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、『末法の青年は、だらしがないな』と、舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」(『戸田城聖全集』1)
 この恩師の獅子吼に呼応して、私をはじめ幾万、幾十万の青年たちが「奮起」し「闘って」きた結果、一波が千波、万波となるように、今日のSGI運動の広大な流れを築いてきたことは、誰人も否定のしようのない事実です。まことのコスモロジーの有する磁力であり、起爆力なのであります。リンカーンは「すべての人々をしばらくの間愚弄するとか、少数の人々を常にいつまでも愚弄することはできます。しかしすベての人々をいつまでも愚弄することはできません」(『リンカーン演説集』高木八尺。斎藤光訳、岩波文庫)と言っていますが、戦後の創価学会五十余年の歴史と広がりは、戸田城聖という一人の偉人の胸中に始まるコスモロジー再興のドラマが、展転に展転を重ね、いかに画期的な意義を刻んできたか、ということの証左であります。
37  平和創出のソフト・パワー体現する「地涌の菩薩」
 特筆すべき第二の点は、コスモロジーの再興の主役であり、私どものアイデンティティーの根拠である地涌の菩薩が体現しているキャラクター(人格・品性)であり、メンタリティ(精神性)であります。一言にしていえば、それは″対話の達人″グソフト・パワーの旗手″といえるのであります。
 法華経には、地涌の菩薩の人となりについて、簡潔にこう記されています。
 「志念力は堅固にして
 常に智慧は勤求し
 種種の妙法を説いて
 其の心に畏るる所無し」(法華経四六六ページ)
 「難問答に巧みにして
 其の心に畏るる所無く
 忍辱の心は決定して
 端正にして威徳有り」(法華経四七二ページ)
38  「畏るる」とは、相手を畏れ憚って、自分との間に壁をつくっていく心の働きです。国境の壁、人種の壁、階級の壁、男女の壁、好悪の壁、宗教の壁、貴賎の壁、地位の壁……、そうした壁をつくって、相手を排除、差別する、そのやましさを糊塗するために相手にレッテルを張り(W・リップマンは「ステレオタイプ」〈固定観念〉と呼んでいます)、心の回路を閉ざしてしまう。それは、互いに信じ、理解し合おうとする意志と努力、対話を成立させようとの忍耐心や緊張感とは無縁の惰性態というしかなく、歴史が示しているように、そのような怠惰な精神から暴力へは、一歩をあますのみであります。
 「畏るる所無し」と称賛されている地涌の菩薩は、その対極に位置しております。人間同土を隔てる一切の差異の壁を超克している彼は、そこに人間がいる限り、いつも対話の輪、対話の海の住人であります。
 ある時は癒しの微風のように、ある時は励ましのドラムのように、ある時は覚醒の鐘のように、そしてある時は破邪の剣のように、硬軟、柔剛が相交錯しながら、その対話は、畏れなく、憚りなく、止むことなく続いていくにちがいない。それは彼が、人間はあらゆる差異の装い以前に、無差別・平等な人間であること、人間誰しも、対話の″公分母″ともいうべき仏性を有していることを、確信しているからであります。
39  ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(当時)は、同大学での私の講演(一九九一年九月。「ソフト・パワーの時代と哲学」。本全集第2巻収録)へのコメントで、ソフト・パワーの精髄を「協調力」と述べていました(「聖教新聞」一九九一年九月二十八日付)。地涌の菩薩とは、人間を深く信ずるがゆえに、この「協調力」を最後の最後まで手放さず、粘り強く最後まで対話を貫いていく″ソフト・パワーの旗手″との謂であります。そのキャラクター、メンタリティーを、トリアーデ(三幅対=三つそろって一組をなすもの)風に、要約しておきたい。
 一、自己に対しては「秋霜」の如く
 一、友に対しては「春風」の如く
 一、悪に対しては「師子王」の如く
 というものであります。その″ソフト・パワーのトリアーデ″の体現者にして初めて、対話の達人、名手たりうることを知っていきたいと思います。
40  カール・ヤスパースは、第二次世界大戦直後の一九四五年から四六年にかけての冬学期、ハイデルベルク大学で「戦争の罪を問う」という連続講座を行い、センセーションを巻き起こしたという。この″ドイツの良心″は、その冒頭で「われわれは語り合うということを学びたいものである」(『戦争の罪を問う』橋本文夫訳、平凡社ライブラリー)と静かに訴えかけております。
 まさしく対話こそ、平和創出の源泉であり、最強の武器なのであります。それゆえに″対話の達人″であり、″ソフト・パワーの旗手″たる地涌の菩薩の肩書を身につけた我々は、同時に″平和の旗手″として、恒久平和の地歩を固めてまいりたいと思います。
41  「平和の文化」こそ二十一世紀の軌道
 次に私が、二十一世紀の基調とすべき時代の方向性として提起したいのが、世界の不戦化――すなわち「戦争の文化」から「平和の文化」への転換であります。
 冷戦終結によって全面的な核戦争の事態がひとまず回避されたにもかかわらず、残念なことに、年々、地域紛争や民族紛争が増加しており、減少する気配をみせていません。昨年(一九九八年)も、ユーゴスラビアのコソボ紛争やコンゴ(旧ザイール)の内戦などで、数多くの犠牲者や避難民を出す惨劇が繰り返されました。それまで平和な暮らしをしていた人々が、容赦なく憎悪と狂気の嵐に巻き込まれ、互いに傷つけ合い、殺し合う――あまりにも悲惨で残酷な戦争は、今なお世界各地で続いているのです。
42  人類の歴史とともに鳴り響いてきた、戦争による民衆の嘆き、破壊と殺戮の哀音を、二十一世紀に始まる「新たな千年」でも同じように繰り返してよいはずはない。そうではなく、ともに人間が生命の豊かさを謳歌し合う「平和の文化」の麗しき調べを奏でていかねばならない。
 すでに国連は二〇〇〇年を「平和の文化のための国際年」に定めていますが、これに加える形で、二十一世紀の最初の十年間(二〇〇一年〜二〇一〇年)を、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の十年」とすることを昨年十一月、総会で決議しました。
 これは、ユネスコをはじめ、ゴルバチョフ元ソ連大統領や南アフリカのマンデラ大統領、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士、ガンジー非暴力研究所所長のアルン・ガンジー氏(マハトマ・ガンジーの令孫)ら識者や諸団体が、かねてより制定を求めていたものであり、まさに二十一世紀の軌道を「平和の文化」へ「非暴力」へと向けていく、誠に重要な意義をもつ「国際の十年」なのです。決議では、「未来の世代を戦禍から救い、『平和の文化』への転換を実現することが国連の責務」であるとし、加盟国や国連機関、NGO(非政府組織)などの協力を得ながら、地球上のすべての子どもたちの幸福のために努力を傾けることを目指すとされています。
43  非暴力の世界目指し、子ども兵士禁止条約を
 社会の歪みによって最もしわ寄せを受けるのは、常に子どもたちであり、それは戦争においても変わるものではありません。
 昨年(一九九八年)十月、オララ・オトゥヌ国連事務総長特別代表が発表した報告書によると、現在、五十の紛争地域で、十八歳未満の子どもたち三十万人が兵士として戦地に立ち、毎日八百人が地雷で死傷するなど、一九八七年から十年間で二百万人が犠牲になり、六百万人が傷害などの後遺症で、また一千万人が精神的外傷で苦しんでいるといいます。報告書では、内戦において「潜在的な敵となる次の世代を抹殺する戦略のもとで、とくに子どもたちが標的にされている」(「朝日新聞」一九九八年十月二十二日付)と指摘していますが、私が特に憂慮するのが、子どもが兵士となって戦う「チャイルド・ソルジャー(子ども兵士)」が増えている問題です。
 国際人権団体の「アムネスティ・インターナショナル」がこの一月に発表した報告書によると、十八歳未満の兵士を募集している国は四十四カ国に及び、なかには、紛争で家族を失ったり、軍隊にさらわれたりして、生きていくために戦闘行為への参加を余儀なくされているケースもあるといいます。こうした子どもたちが日常的に暴力にさらされている状況を深刻に受け止め、国際社会が一刻も早く、十八歳未満の徴兵や従軍を禁止する「子ども兵士禁止条約」を制定することを、私は強く求めたい。子どもを戦闘行為に参加させることは、「子どもの権利条約」でも特に項目を定めているように、人権に対する重大な侵害であるとともに、次世代に憎しみを再生産し紛争を恒常化させる恐れもはらんでいます。この″憎しみの連鎖″″復讐の連鎖″が社会で温存される限り、戦争を生みだす根は永遠に断っことはできないといえましょう。
44  私どもSGIは、これまでユネスコやユニセフなどの国際機関に協力する形で、「平和の文化」創出のための諸活動を行ってきましたが、この国際十年に向けてよりいっそう、力を入れて取り組んでいきたいと思います。平和研究機関の「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)でも、二月から「平和の文化」に関する継続的な会議を行うことになっています。
 では、どうすれば″復讐の連鎖″を止め、「戦争の文化」を克服できるのか――。
 罪が罪を呼び、暴力が暴力を誘発する、この延々と続く人間の業と運命を主題としたギリシャ悲劇に、アイスキュロスの「オレステイア」という作品があります。
 へーゲルは『法の哲学』の中で、この物語に触れながら、こう論じています。復讐は「一つの主観的意志の行為」であり、他者にとっては「一つの新たな侵害」となる。ゆえに「矛盾として無限な過程のなかにおちいり、はてしなく代々ったわってゆく」と。
 そして、この矛盾を解消するために、復讐的正義ではなく、刑罰を科する正義を要請し、不法な状態を止揚するための方向性を示したのでした。(藤野渉る・赤澤正敏訳『世界の名著』35所収、中央公論社、引用・参照)
45  へーゲルの視点は、国際社会の問題を考えるうえでも示唆深いものがありますが、昨年(一九九八年)ようやく設立の合意をみたICC(国際刑事裁判所)は、まさにこの″復讐の連鎖″を抑止していくための法制度としての意義を有するものであると言ってよいでしょう。
 ICCは、国際社会に重大な侵害をもたらす大量虐殺や戦争犯罪などを裁くための常設法廷として、実に半世紀以上も前から構想されていたもので、ICJ(国際司法裁判所)が国家間の紛争を扱うのに対し、個人の刑事責任を追及することを目的としています。
 これまで、第二次世界大戦後に行われたニュルンベルクや極東国際軍事裁判、また国連安全保障理事会が設置した旧ユーゴやルワンダの国際裁判所といった法廷はありましたが、いずれも個別の戦争に対応するための期間や管轄権を限定したものでした。こうした臨時法廷に対しては″勝者による裁き″との批判が少なからずあっただけに、地域紛争が激化するなかで、対象犯罪と刑事手続きをあらかじめ定めた常設裁判所で対応することが望ましいとの声が高まり、今回のICCの設立合意をみたのです。採択された規定ではICCの対象犯罪として、(1)ジェノサイド(集団殺害) (2)人道に対する罪 (3)戦争犯罪 (4)侵略の罪、が挙げられていますが、特に戦争犯罪について内戦への適用も認めている点が注目されます。
46  また、最高刑として死刑を採用しなかったことは特筆されるべきでしょう。なぜなら、復讐の連鎖を抑止するために死刑を用いることは問題が残るばかりか、現在、死刑廃止の動きが世界的な潮流となりつつあるように、人道的にも人権の見地からいっても妥当ではないと思うからです。
 管轄権や国連安全保障理事会との関係など、実効性の面に、おいてまだまだ多くの課題が残されるICCではありますが、ともかく、二十一世紀を前に「戦争の文化」を克服するための一つの制度的土台ができたことの意義は大きい。今後、さらに協議を進めるなかで、より実効性を確保するための合意を目指すとともに、今回の規定には残念ながら対象犯罪として盛り込まれなかった「核兵器など大量破壊兵器の使用」についでもあらためて検討をしていくことを強く望むものであります。
47  続いて、「戦争の文化」を克服するための課題として私が論じたいのは、紛争や対立、国際問題を解決する手段についてです。いまだ国際社会では、長期化する紛争を解決するために軍事介入を模索したり、容易ならざる問題を解決するために武力行使が選択されるケースが少なくありません。
 コソボ紛争のNATO(北大西洋条約機構)の空爆検討しかり、ケニアとタンザニアの米大使館を標的にした爆破テロに対するアメリカの報復攻撃しかり、大量破壊兵器の査察受け入れを拒配したイラクに対する米英両国の空爆しかりであります。もちろん、国際社会に大きな脅威を与える問題を安易に見過ごすことはあってはなりませんが、解決手段として軍事力を用いることにはあくまで慎重であるべきと私は考えます。
 ハード・パワーによる強制的解決というのは、結局のところ、本質的な解決にはつながらないし、禍根を残す場合があまりにも多い。ヘーゲルが示唆したように、いかに正義や大義があろうとも、他者にとってそれが侵害と映る限り、復讐を招いたり、泥沼化する恐れがあるのです。
48  そうではなく、問題の所在を明らかにしながら障害を一つ一つ取り除いていく、「対話」を軸としたソフト・パワーこそが求められるのではないかと思うのです。
 そのための挑戦は、すでに北アイルランドのように、紛争の傷跡が深く残る地域で始まっております。テロや流血の惨事が三十年近くにわたって続き、″不治の病″とまで言われた北アイルランド紛争は、対話路線の積極的促進によって、昨年(一九九八年)四月、歴史的な和解合意に達しました。
 合意が双方の住民投票と国民投票で承認されたように、″争いや殺し合いは、もうたくさんだ″というのが、三千人以上の犠牲者を出すなど、その不毛さが身に染みた人々の実感であったと思われます。この合意の斬新な点は、何といっても、国境を超こえた「南北評議会」という地域の運営を担う機構を設け、そこで暮らす人々の共生を第に目指していることです。国家の枠組みよりも、まず地域住民の意向を重視することで、紛争の根源にある人々の帰属意識の問題を克服しようとする今回の試みが軌道に乗れば、世界各地で起こっている他の紛争を終結させる上で貴重なモデルケースになることが期待されます。実際、すでにスペインのバスク紛争にも影響を与え、停戦への道を開いているのです。
 武装解除など課題は残っていますが、信頼醸成を深めるなかで合意の履行が進むように、国際社会が協力して後押ししていく必要があると思われます。
 この北アイルランドにおける和平に見られるように、元来、不可避な対立などなく、乗り越えられない壁などない。互いを最初からグ対立する存在として捉えるのではなく、何が障害となり、何が対立を生みだしているのか――それを見極める作業こそが、まず求められるべきでしょう。平和の糸口は、相手を″敵″として見る前に、同じ「人間」として見ることから開けてくるものなのです。
49  「文明の対話」で共生の地球社会へ
 国連は、二〇〇一年を「国連文明間の対話年」に定めました。これは決議にもあるように、「新たな千年の門出にあたって、異なる文明同士が建設的な対話を通し相互理解を深めることに共同の努力を払うべきである」との国際社会の意思の表れといえるでしょう。
 私が創立した戸田記念国際平和研究所は、そのモットーとして「地球市民のための文明問の対話」を掲げて活動を続けてきました。同研究所では、戸田第二代会長の生誕百周年にあたる二〇〇〇年二月に、「文明の対話――新たな千年のための新しい平和の課題」とのテーマのもとで国際会議の開催を予定しており、大いに期待するところです。
50  同研究所所長でハワイ大学のテヘラニアン教授と私は現在、イスラムと仏教をめぐる「文明の対話」を進めております。教授はそこで、現代社会は「コミュニケーションの回路はどんどん拡大しているにもかかわらず、対話そのものは切実に不足している世界」(『二十一世紀への選択』。本全集第108巻収録)であると指摘していました。
 確かに、情報化社会の進展に伴い、出来合いのステレオタイプ的な情報が強烈に流される一方で、実像というものがますます捉えにくくなってきている面は否めません。だからこそ、人間と人間との直接の対話が求められるのであり、「文明の対話」といってもそれがあくまで基本となると思うのです。
51  私は東西冷戦のさなかにあって、「そこに人間がいるから」という信念で、ソ連や中国などの社会主義の国々を訪れ、友好の橋を架けようと努めてきました。同様に、さまざまな宗教的・民族的・文明的背景の異なる世界の方々と対話を重ねてきましたが、「人間性」という共通の大地に立って心を開いて話し合えば、問題解決への道は必ず見つかるというのが、偽らざる実感です。誰人も本心では争いなど欲していない。孤立が疑心を生み、疑心が対立を呼ぶ。だからこそ、いかなる国も民族も絶対に孤立させてはならない――との思いで徹して世界を回り、ある時は対話を通し、ある時は教育交流や文化交流を通して、一滴また一滴と友情の水かさを増しながら、人間と人間とをつなぐ平和の大河を築いてきたのです。
52  心理学者ユングが指摘するように、「個人を実際に根本的に変える」力は、「人間と人間との個人的な触れ合いからしか生まれない」(松代洋一訳『現在と未来』平凡社ライブラリー)のであり、「平和の文化」を育み、共生の地球社会を築くといっても、人間と人間との一対一の対話を粘り強く重ねていくことが、迂遠な小径のようでも確かな大道へとつながっていくものであると、私は強く確信するものであります。
53  「北東アジア平和フォーラム」の設置を
 続いて私は、「不戦の制度化」のための方途を考察し、平和と希望の「第二一の千年」への道筋を探ってみたいと思います。
 第一の課題は、信頼醸成推進のための地域フォーラムの育成・強化であります。
 ここでいう地域フォーラムとは、外敵に共同対処するための防衛同盟のようなものではなく、近接する国々が戦争に至る対立を招かないための信頼関係を築いていく″対話の場″としての役割のことです。
 こうした枠組みは、EU(欧州連合)などにおいてすでに実現をみていますが、そこで原動力となったのが、二度の大戦を経たドイツ、フランスを中心とする各国の″再び戦争を起こしてはならない″との強い決意でありました。
 EUは粁余曲折を経ながらも、長年の目標であった「通貨統合」を本年からスタートさせ、加盟国のうち十一カ国が単一通貨ユーロを導入するなど、さらなる統合の深化に向けて大きく走り出しています。
 二〇〇二年七月には各国の紙幣・通貨は法定通貨としての地位が抹消され、ユーロに完全移行する予定になっておりますが、主権国家が自国の通貨発行をとりやめることは、単に経済次元にとどまらず、政治的にも大きな意味をもつものといえましょう。ECB(欧州中央銀行)が通貨発行など金融政策を掌握することから、ある国が勝手に戦費を調達しようとしても他国の理解がない限りできないという時代を迎えようとしているのです。このEUだけでなく、ASEAN(東南アジア諸国連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)、OAS(米州機構)やメルコスル(南米南部共同市場)、またOAU(アフリカ統一機構)などといったように、地域間協力を進める枠組みに多くの国々が参加するまでになっています。
54  このように、それぞれの地域で信頼醸成努力が進められ、安定と平和に寄与している点を鑑みると、いまだフォーラムが形成されていない地域――北東アジアや中東においても、対立の深刻化を防ぐための環境づくりとして、地域フォーラムの設置や地域間対話の促進が求められます。
 歴史を振り返ってみても、ほとんどの戦争は、国境を接する国同士、もしくは近隣諸国の問で行われてきたものだけに、その歯止めとなる″対話の場″を恒常的に確保していくことが欠かせないと、私は考えるのです。そこで私は、「北東アジア平和フォーラム」の設置を提案したい。
55  北東アジアの問題については、昨年(一九九八年)五月、韓国を訪問した際、慶煕きょんひ大学学園長の趙永植チョヨンシク博士とお会いした折にも一つの焦点となりました。趙博士は、こう述べられました。
 「長い問、戦争ばかりしてきたヨーロッパにもEU(欧州連合)ができたのに、なぜ北東アジアだけ、そのようなものがないのでしょうか。ヨーロッパは、すでに一つの国家となりつつあります。われわれ北東アジアにおいても、日本と韓国、そして中国を加えて、力を合わせて一つの共同体をつくらなければなりません」
 北東アジアの平和を願い、機会あるごとに提言を続けてきた私も、まったく同じ思いを抱いてきました。それで私たちは、二十一世紀へ向け、慶煕大学と創価大学の両大学が先頭に立って韓日両国の主軸となり、この歴史的な使命を果たしていこうと約し合ったのです。この「北東アジア平和フォーラム」を実現するための足がかりとして、まず民間の学術・研究者レベルで地域間対話の促進を図っていくことが望ましいと考えます。
 私はその一つの方策として、現在、創価大学が隔年で行っている「環太平洋シンポジウム」のような形で慶煕大学とも協力しながら、韓国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、中園、ロシア、モンゴル、日本の六カ国を中心に諸大学・研究機関等が参加する、「平和のためのパートナーシップ」会議を二〇〇〇年にでも開催してはどうかと提案するものです。同様の試みは、中東地域でも促進されるべきでありましょう。
56  戸田記念国際平和研究所では本年三一月、トルコのイスタンブールで「湾岸安全保障フォーラム」の第一回会合を行う運びとなっております。これはノルウェー国際問題研究所、コぺンハーゲン平和研究所、オーストラリア国立大学の中東・中央アジア研究センターなどと協力し開催されるもので、イラン、イラク、カタールなど湾岸周辺八カ国とともに、国連安保理の常任理事国五カ国から有識者や政策担当者、また国連関係者が参加し、湾岸地域の持続的な安全保障構築の方途が検討されることとなっているのです。
 こうした対話の場を通し、信頼醸成、経済的協力、互いを攻撃しない協定の締結、軍備の削減といったように、地域間協力を深化させることによって、戦争を招く脅威と緊張状態を着実に解消していく努力を重ねることが、地域の安定にとっても世界の平和にとっても重要な意味をもっと私は思うのです。
57  「不戦の制度化」へ向けて――武器取引規制の枠組みづくりを
 「不戦の制度化」に向けて取り組むべき第二の課題は、紛争を激化させ、膠着化させる原因ともなっている武器取引(兵器輸出)の問題であります。
 悲しむべきことに、年々、武器取引は増加の一途をたどっており、イギリスの国際戦略研究所が発表した年次報告書「ミリタリー・バランス」によると、九七年度の武器取引は前年より一二パーセントも増加し、特に中東や東アジアを中心に増大したと分析しています。(The Military Balance 1998/99, Oxford University Press)
 九七年の世界の武器取引総額は三百四十六億ドルに及ぶといわれ、他の調査でも同様に兵器輸出市場が地域紛争の舞台であり続けている現実が示されています。また統計からは把握しにくい状況として、紛争が頻発するアフリカなどでは中古市場を通じた軽兵器の拡散が指摘されています。
 国連のアナン事務総長は、昨年(一九九八年)四月に発表したアフリカの紛争防止に関する報告書において、こうした点を深く憂慮し、安保理で決議した武器禁輸制裁に対する違反を国内法で処罰する立法措置を加盟国に求めるとともに、国際武器商人が暗躍する実態を公開するための対策を安保理に求めています。
58  いずれにしても、他国の戦争や内乱を利用して自国の影響力強化や商業的な利潤追求を図る武器取引は、「人間の安全保障」の観点からいっても、人道的見地からも非難に値する行為であり、その根底には自己の利益のためには他人の犠牲を顧みない″人間の悪業″が集約されている気がしてなりません。
 実際、一国が武器を輸入し軍備増強を図るとそれが地域の不安定要因となり、別の国がさらなる新兵器の導入を求めて緊張が高まるケースや、内戦をする各勢力に武器が渡ることによって紛争に油を注ぎ、泥沼化し長期化させてしまう場合があまりにも多い。
 こうした軍拡と紛争激化の悪循環を招く武器取引を抑制していくためには、前述したように相互の信頼醸成を高めることで「需要」を減じていく努力を進める一方で、いかに兵器を紛争地域へ流出させないかという「供給」の側からの対策を講じることが強く求められます。九二年から国連では軍備登録制度がスタートしていますが、拘束力はないものの加盟国の約半数が登録し、特に主要武器輸出国である安保理常任理事国五カ国とドイツが報告を行っていることにより(とれが世界の兵器輸出の八五パーセント以上を占めるため)、武器移転の概要は把握できるようになりました。
 同制度は兵器移転の透明性を高めるという面で意義があるだけに、この枠組みをベースに対象武器の範囲を拡大するとともに、すべての加盟国に登録を義務づける条約交渉を進めていくことを、私は提案したいと思います。この条約が実現すれば、加盟国間の信頼醸成の面でも、急激な軍備拡張に対し注意を喚起する早期警報の面からも、結果的に世界全体の安定につながるからです。
59  加えて私は、実質的に武器取引を抑制していくために二つの提案をしたい。
 一つは、武器の不法取引に関する規制であります。アナン事務総長の報告書にもありましたが、すでに紛争の起きている地域に武器を持ち込んだ者や秘密援助を行った者、特に禁輸措置の違反行為に対しては、国内法で厳正に処罰すること、もしくは国際刑事裁判所の訴追対象とすることを国際社会の合意として実現させることです。
 二つめは、主要武器輸出国が自主的にガイドラインを定め、先行的に取引の抑制を行っていくことです。
 この取り組みについては、湾岸戦争後に安保理常任理事国の問で話し合いが行われたことがありますが、頓挫したままになっていました。私は、これを本年(一九九九年)のサミットの主要課題として、G8に中国を加える形で再開してはどうかと考えるものです。G9の枠組みが望ましいのは、主要輸出国のドイツなども含まれますし、日本やカナダが仲介役となって調整を図ることが可能だからです。
60  昨年のサミットでは、ユニセフやNGOなどが連名で、兵器移転制限条約の成立への努力を求めた国連決議が積極的に支援するように訴えましたが、条約化には困難が伴うにしても、その環境守つくりを進めるうえで主要輸出国がガイドラインを自主的に定めることの意義は大きいといえましょう。
 そして、このガイドラインが履行され、信頼性が高まれば、他の武器輸出国にも理解が広がり、条約化への道が次第に開けてくるのではないでしょうか。
61  非核国とNGOの連帯で「核兵器禁止条約」制定へ
 第三に、「戦争のない世界」の実現のため、避けて通れない課題として軍縮への取り組みを訴えたい。特に私が論じたいのは、核兵器の軍縮についてであります。
 これまで国際社会は、生物兵器や化学兵器などの大量殺毅兵器や、対人地雷を禁止するための諸条約を成立させてきましたが、自動小銃や小口径砲等の小火器とともに、核兵器という二つの分野において、実際に削減していくための国際的な軍縮の枠組みがいまだ形成されていません。
 氾濫する小火器規制のための枠組みづくりについては、昨年の提言でも力説したところですが、国連総会で小火器規制のための国際会議を二〇〇一年までに開催することが昨年十二月に決議されたように、前進がみられるようになってきました。
 しかしながら核兵器については、冷戦終結から十年近く経つというのに、地球上にはいまだ三万発以上の核弾頭が残されており、アメリカとロシアのSTART(戦略兵器削減条約)をめぐる履行状況も進んでおらず、それ以外の核軍縮交渉も遅々として進んでいません。
 NPT(核拡散防止条約)の無期限延長が決まった九五年以来、ジュネーブ軍縮会議における成果は、兵器用核分裂性物質の生産を禁止する(カットオフ)条約の交渉を始めるという、昨年(一九九八年)八月の決定だけなのであります。
62  その一方で、昨年五月のインド、パキスタンによる相次ぐ核実験は、対立する隣接国がともに核保有への道を選んだという意味で、国際社会に大きな衝撃を与えるとともに、CTBT(包括的核実験禁止条約)・NPT体制を根底から揺るがしました。また国際社会が両国に核実験の断念を説得できなかった事実は、一面で核保有国本位の抑止論の限界を露呈したものであり、核保有を望む他の国々に次なる一歩を踏み出させる誘因ともなりかねない状況を招いたのです。加えて、最近、アメリカは原子力発電所で水爆の材料となるトリチウムを製造する方針を打ち出しました。民生と軍事は切り離すというのが、アメリカ本来の大原則であったのを、いとも簡単に転換したところに保有国の倣慢さを感じるとともに、アメリカ自身に核軍縮に取り組む真摯な姿勢が欠けていることを痛感せざるをえません。
63  こうした中で昨年六月、スウェーデン、ブラジル、南アフリカなどの非核八カ国が、保有五カ国と核製造能力をもっインド、パキスタン、イスラエルに対し速やかな核廃絶を求め、「核兵器のない世界へ――新たなアジエンダ(行動計画)の必要性」と題する共同宣言を発表しました。さらに非核八カ国はこれを決議案にまとめ、国連総会に提出し、昨年十二月に採択されたのです。
 この提案は、核軍縮に対する保有国の責任を強調し、非戦略核兵器の撤去や核兵器の臨戦態勢の解除、先制不使用宣言など核廃絶に至る具体的な道筋を示し、これまで国連で採択されたなかで最も踏み込んだ内容となっています。「新アジェンダ連合」とも呼ばれる八カ国は核兵器を持たず、また保有国の″核のカサ″に入っていないという点で、強い説得力を有していただけに、多くの非核国の賛同を得ました。なかでもスウェーデンとブラジルと南アフリカの三国は核開発計画を放棄した経緯があり、提案は「核爆弾は緊張と相互不信の種をまくだけで、人々の暮らしを豊かにする地域統合の道を閉ざしてしまう」(ブラジルのカルドーゾ大統領の言。「読売新聞」一九九八年九月二日付)との現実認識に根差したものでもあるのです。
64  事実、昨年七月には、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、チリ、ボリビアの南米六カ国は、域内での交戦権の相互放棄と大量破壊兵器の禁止を定めた議定書に調印しましたとの議定書では、六カ国に国境問題などの緊張関係が生じた場合でも武力を行使せず、核・生物・化学兵器などの開発研究と保有も禁止し、軍事・独裁政権が誕生した国はメルコスルから除名する旨、定めています。
 先に地域間の信頼醸成こそが軍拡を止める道であると強調しましたが、こうした「平和地域」の形成こそが、対立する隣接国が核保有へとエスカレートする事態や、地域的不安が存在するために″核のカサ″政策が固定化されてしまう状況を打開する道となるのではないかと思うのです。
 すでに、中南米をはじめ、南太平洋、アフリカ、東南アジアに「非核地帯」が誕生しているように、核兵器に依存しない地域は確実に広がっているのです。
65  私は、現在、″核のカサ″のもとにありながらも、核軍縮を強く志向するカナダやノルウェー、オランダや日本など他の国々が、″核のカサ″から将来的に脱却することを宣言して、「新アジエンダ連合」の動きに連帯していくことが望ましいのではないかと考えます。
 こうした「新アジェンダ連合」の動きを民衆レベルで支援する活動は、すでに「ミドル・パワー・イニシアチブ(中堅国家構想)」などのNGOによって推進されています。私は、対人地雷禁止条約を実現に導いた「オタワ・プロセス」のように、軍縮に熱心な国々と民衆運動が力を合わせて「核兵器のない世界」への大いなる一歩を踏み出すことが重要であると訴えたい。
66  私ども創価学会は、一九五七年、戸田第二代会長が核兵器は人間の生存の権利を奪う″絶対悪″であると訴えた「原水爆禁止宣言」を発表して以来、一貫して核兵器廃絶を求める運動を続けてきました。最近では九七年末から昨年にかけて、青年部が中心となって「核時代平和財団」などのNGOが推進する「アボリション二〇〇〇」を支援し、署名活動等を展開してきたのです。
 この「アボリション二〇〇〇」では、段階的で検証可能な一連の手段によって核兵器の禁止と廃棄を実現する「核兵器禁止条約」案を起草しており、すでに国連の公式文書となっています私は、この条約案を一つのベースに他の提案等も勘案したうえで、核廃絶における「オタワ・プロセス」の実現を目指していくべきであると訴えたい。
67  核廃絶への具体的方策とタイムスケジュールについては、これまで戸田記念国際平和研究所でも主要テーマとして国際会議を行うなど意欲的に取り組んできましたが、やはり軍縮の進展を核保有国の交渉だけに任せるのではなく、こうしたプランを民衆の意思として非核国政府とも連帯しながら実現させていくことの意義は大きいと思います。かりにこうした枠組みができたとしても、保有国すべてが参加しなければ意味がないとの批判もあるでしょうが、かつて一部の保有国だけでスタートしたNPTが、後に保有五カ国の参加と、核疑惑国や一時的保有国の参加をみたという先例もあります。ゆえに、先行して条約を制定することによって、保有国やその同盟国が核兵器への依存体質から脱却するための道が開けてくるのではないかと、私は考えるのです。
68  思想家エマソンは「このものものしい戦争の家を建てたのは、じつにひとつの思想であり、そしてまたある思想はこの建物を溶かしてしまうだろう」(『エマソン選集』4、原島善衛訳、日本教文社)と述べましたが、人間の生存権を咲かす核兵器は″絶対悪″であるとの思想を時代精神に高め、抑止論のように″必要悪″とみなす幻想を打ち破らねばならない。SGIとしても、「核兵器のない二十一世紀」建設のために、他のNGOなどと協力しながら全力をあげて行動していきたいと思います。
69  「世界不戦宣言」「地球憲章」機軸に民衆主役の「第三の千年」
 未来は単なる現在の延長線上にあるものではない、自ら勝ち取るものである。これが、私の変わらぬ信念であります。
 時代の変化を待つのではなく、民衆が先んじて「新しい世紀」の扉を開いていく――その意味で本年(一九九九年)は、″民衆の手で二十一世紀の開幕を告げる″意欲的な挑戦を開始すべき重要な年と位置づけるべきでしょう。
 本年(一九九九年)五月には、オランダのハーグでNGO主導の「ハーグ平和アピール会議」が開催される運びとなっています。これと並行して政府間においても、同じくハーグとロシアのサンクトペテルブルクで平和会議が開催されます。これらは一八九九年に行われた「第一回ハーグ平和会議」百周年の意義を込めて行われるもので、「第三回ハーグ平和会議」として、その成果に期待が集まっています。
70  この会議は、二十一世紀を開く″民衆平和勢力の総結集の場″にすることが目指され、世界中の数多くの組織と個人が協力する体制となっており、SGIとしても意識啓発や広報活動に努めるほか、会議にも積極的に関与していきたいと思います。
 同会議では、(1)国際人道・人権法及びその制度を強化すること (2)武力紛争の予防及びその平和的解決や改革を進めること (3)核廃絶を含め、軍縮を進めること (4)戦争の原因を明らかにするとともに「平和の文化」を発展させること――等のテーマが討議される予定となっており、民衆自身による「不戦の世紀」への大いなる挑戦ともいうべき会議なのであります。
 これは、私がかねてより主張していた「世界不戦会議」の構想にも通じるものであり、同会議で検討される「二十一世紀の平和と正義のためのハーグ・アジェンダ」を、民衆の総意による「世界不戦宣言」の意義を込めて採択していってはどうかと提案したい。そして、このアジエンダを二〇〇一年の開催が検討されている「第四回国連軍縮特別総会」において国際社会の合意として名実ともに「世界不戦宣言」として決議し、「戦争のない世界」実現のための行動計画の骨格としていくべきだと考えるのです。
71  また、もう一つ注目すべき動きとして、「地球憲章」の最終草案づくりが、二〇〇〇年に開催される国連の「千年紀NGOフォーラム」への提出に向けて進められており、「地球サミット」から十年目の二〇〇二年までに国連総会での採択を目指す運動も進められています。この「地球憲章」制定の運動には、ボストン二十一世紀センターも協力してきました。
 民衆の英知と連帯によって形づくられた、この「世界不戦宣言」と「地球憲章」の二つの指標を機軸に、核兵器も戦争もない、生命の尊厳に立脚した調和と共生の「第三の千年」を建設していく――二十一世紀とは、こうした″民衆の民衆による民衆のための「地球社会」(グローバル・シピル・ソサエティ)″への方向性を、万年の未来に向けて明確に決定づける時代とせねばならないと、私は強く感じるのです。
72  私たちにとって必要なのは、人間の証である「勇気」と「希望」を失わず、″一人一人が歴史変革の主人公であり、かけがえのない使命がある″との深い自覚をもって、地球的問題群に立ち向かう人類共闘の連帯をつくりあげていくことであります。
 私どもSGIは、世界の善なる人々とともに力を合わせ、″今、現在の行動″こそが、百年先、二百年先、千年先までの人類が歩むべき「大道」を開き、踏み固めていることを強く確信しながら、「新たなる千年」の峰を目指し、堂々たる挑戦を開始していきたいと思います。
 (「聖教新聞」掲載)

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