Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第23回「SGIの日」記念提言 万年の遠征――カオスからコスモスへ

1998.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
1  人類の限りない進歩を信じ、颯爽と歩みを始めた二十世紀はまもなく終わりを告げようとしておりますが、その当初の理想に満ちた意気込みとは裏腹に、偏狭なイデオロギーに席巻されるがまま、絶え間ない戦争や殺戮、環境破壊、そして貧富の拡大など、これほどおぞましい悲劇と愚行が繰り返された世紀は、いまだかつてなかったといえましょう。
 私は、三年前のちょうど本日、ハワイの東西センターで行った講演の冒頭で、「二十世紀は、一言でいって、あまりに人間が人間を殺しすぎました」(「平和と人間のための安全保障」。本全集第2巻収録)と申し上げましたが、世紀末が押し詰まれば詰まるほど、その思いは募る一方であり、まさしくほぞを噛むの感を強めております。
2  かつて全面核戦争の恐怖が叫ばれたころ、"オーバー・キル(殺しすぎ)"という忌まわしい言葉が盛んに飛び交いました。幸い、ゴルバチョフ元ソ連大統領らの尽力によって冷戦構造に終止符が打たれ、ハルマゲドン(人類最終戦争)の悪夢だけは、遠ざかったように見えます。しかし、なおかつ、"オーバー・キル"という言葉だけは、あたかも"カインの呪い"さながら、今世紀に符丁のように付きまとい続けるに違いありません。
 昨年亡くなったアイザイア・バーリン氏といえば、古今の哲人、文人を"ハリネズミ族"と"キツネ族"に分類するなど、ユニークな発想で知られていますが、その氏も、「人類が互いに容赦なく殺し合いを続けたという点では、二〇世紀に匹敵する世紀はない」(『理想の追求』福田歓一・河合秀和・田中治男・松本礼二訳、岩波書店)と述べています。
 この言葉に、たとえば、アメリカの歴史学者アーサー・シュレジンジャー氏が全面的に賛意を示すなど、"大殺戮時代"ということは、識者のほぼ共通の認識になっている、といっても過言ではないでしょう。
 人類史の舞台を「暗」から「明」へ、「失望」から「希望」へ、「殺し合い」から「共生」へと回転させていくには、一体何が必要なのか――世紀末にふさわしく、様々な模索や展望が試みられているようですが、私は、もう少し巨大なスパン、スケールで、人類史を眺望してみるのも、意義あることではないかと思います。
3  御聖訓にいわく――
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」と。
 ここでいう「万年」とは、釈尊の滅後「正法千年」「像法千年」に続く、「末法万年」を意味しており、「万年の外・未来までも……」とは、末法の世の中を、未来永劫にわたって、日蓮大聖人の仏法が、あたかも枯渇の大地に慈雨が染み通るように、潤し続けるであろう、と。
 御本仏の大確信に立った、まことに雄大にして壮大なる展望であり、パースペクティブ(遠近法)であります。未来記であります。
 私どもは、こうしたいわば"仏法史観"の精髄ともいうべきものを、単に「正法千年」「像法千年」「末法万年」といった形式的かつカテゴリカルな捉え方をしたり、あるいは、人類の精神史の逐時的かつ単線的な流れ、進展をもっぱら追うだけの、表層的な捉え方にとどまっていては、決してならないと思います。
 大聖人の御境涯を忖度するのは恐れ多いことですが、大難に次ぐ大難に一歩も退かず、あれほど激しく生き、時代と格闘し、切り結んでこられた結句の御金言である限り、人類の精神史を貫流する深層海流に、深く深く棹さしておられたであろうことは、いってみれば自明の理であります。
 その深みに耳をそばだてながら、私どもは御金言を拝さねばなりませんし、そして、御金言に照らして、歴史の来し方行く末の深層海流を洞察しゆく活眼の人であらねばならない。そうであって初めて、「日蓮と同意ならば……」と仰せのごとく、地涌の菩薩の陣列に加わる資格を有することができるのであります。
4  「時間観」の軌道修正が急務
 それにはまず、時間の観念を整理しておく必要があります。私どもが、日常何気なく使っている時間という言葉が、その含意を考察していくと大変な深淵をのぞかせていることは、今世紀を代表する哲学者であるハイデッガー(『存在と時間』)やベルクソン(『時間と自由』)が、この問題に並々ならぬ関心を寄せていることからも明らかでしょう。私は、ここで理解の便に供するために、昨年の提言でも若干触れたロシアの哲学者ベルジャーエフの時間の立て分けを援用してみたいと思います。 ベルジャーエフは、「歴史と終末論」と題する論文のなかで、時間を「宇宙的時間」「歴史的時間」「実存的時間」の三つに立て分けております。(氷上英広訳『ベルジャーエフ著作集』1所収、白水社。以下、同書から引用・参照)
 「宇宙的時間」というのは「物理的時間」といってもよく、一日が二十四時間、一年が三百六十五日というふうに、暦や時計によって計測可能なものであり、太陽系の規則的運行に沿った時間をいう。
 「歴史的時間」とは、人々が、二十世紀とか、紀元前何世紀とか、第二の千年などという時、通常、頭に描いている時間を意味しています。身近でいえば、私たちが、昨日の延長上に今日を、今日の延長線上に明日を、ただ漫然と思い描いている場合に「歴史的時間」に属します。
 ベルジャーエフは、この「宇宙的時間」と「歴史的時間」を、ともに「堕ちた時間」であると断じています。「宇宙的時間」の方は、私たちの主体的な関わりとは無関係に、独立した仮説として完結している世界ですから、そういわれるのもよく分かりますが、「歴史的時間」が、なぜ「堕ちた時間」なのか――。
 彼は面白い形容をしております。「歴史的時間においては、未来は現在を食いつくして、これを過去に変形させる」と。これは、鋭い、そして傾聴すべき指摘ではないでしょうか。
5  日常生活を振り返ってみても、昨日、今日、明日と、漫然と時を過ごしているような状態にあっては、私たちは、これといった努力も精進もなしに、ただ今日の延長上に明日がやってくるものと思いこんでしまいがちです。文字通り、惰性の日々であって、そこからは、実り多き明日は、実は充実の今日があってこそ可能となるのだという、大切な視点がすっぽりと抜け落ちてしまう――これが、「堕ちた時間」たる所以であります。
 こうした"日常性"に敷きつめられた「堕ちた時間」の殻を叩き破って、人間本来の使命や喜び、真の充足感へと立ち至らせるのが「実存的時間」であります。
 いわく、「これは深処の時間である。いかなる数学的計算にも順応することがない。それは永遠の現在、超時間的時間である。実存的時間の一瞬間は他の二つの時間の長年月が有する以上の意義、充実、持続を有する。それは体験された歓喜と苦悩の強さによって測定される。人間がこの実存的時間の中にひたりうるのは、創造の恍惚の瞬間と、死の瞬間においてである」。
6  「宇宙的時間」「歴史的時間」から「実存的時間」への、「堕ちた時間」から「超時間的時間」への、めくるめくような飛躍、開示を思いやる時、すぐ私の脳裏に浮かぶのは、トルストイの名作『イワン・イリッチの死』であります。 ご存じの通り、この小説は、「勤務上の喜びは自尊心の喜びであり、社交上の喜びは虚栄心の喜び」(米川正夫訳、岩波文庫)ではあるが、とりたてて悪事をなすでもない平凡な一官吏が、ある事故をきっかけに死病にとりつかれ、死の恐怖と激甚な戦いを続けるなか、永遠性の光と浄福にたどりつく、という構成、プロットとなっております。
 そこには、「堕ちた時間」から「超時間的時間」への飛躍、開示が、文豪の類いまれなる運筆で、鮮やかに、劇的に浮き彫りにされているのであります。
 そして、イワン・イリッチが「実存的時間」の「深処」を垣間見るのは、ベルジャーエフの言う通り、まさしく、いまわの際のことでした。 ベルジャーエフといい、トルストイといい、その思索を育んだ土壌が、キリスト教的伝統にあることはいうまでもありませんが、その卓越した洞察は、仏教の時間観、歴史観を掘り下げていくうえでも、大いに手助けとなってくれるものであります。
7  有名な「開目抄」には、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」との、心地観経の文が引かれております。
 この文は、たとえば、水素と酸素が化合するという「因」から水という「果」が得られるという因果関係(宇宙的時間)や、資本主義という「因」が歴史の必然的法則に従って社会主義という「果」へ移行するという因果関係(歴史的時間)を、決して意味してはおりません。もしそうなら"因果異時"になってしまう。
 そうではなく「未来の果」がどうなるか――、諸々の外的条件にもまして、その決定的要因となるのは「現在の因」、即ちベルジャーエフ流にいえば、「実存的時間」の「深処」を踏まえた確信・一念の強さと深さであるとするのが、仏法の時間観の精髄であります。
8  したがって、未来が現在を食いつくす「歴史的時間」とは逆に、「現在」が「今」が機軸であり、ある意味ではすべてなのであって、その"画竜点睛"を欠いて、いくら過去をいい未来を論じても、幻を追っているようなものである。そのような迂遠な道から踵をめぐらし、「今その一瞬の自分」「その一念の強さ」に、歴史創出の決定的要因を見いだすのが、仏法の"因果倶時"の時間観なのであります。
 こう論じ及んでみると、ベルジャーエフが「実存的時間」のことを「永遠の現在」「超時間的時間」と形容する時、その志向するところは、たとえば、私が『法華経の智慧』で考察した「生命的時間」と親近し、共鳴し、どこかで二重写しになってくるように、思えてならないのであります。
9  ちなみに、こうした「実存的時間」「生命的時間」を科学の名の下に切り落とし、"現在を食いつくす未来"に身をゆだねて、ひたすらユートピアの青写真を追い続けてきたのが、十九、二十世紀にわたって猛威を奮ってきた歴史主義であります。
 それが、どのような死屍累々たる軌跡を残してきたか――歴史主義の悪の代表格ともいうべきボリシェビズムの鉄の爪の無惨な実験場とされた、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領や作家のアイトマートフ氏は、私との語らいのなかで、痛恨の思いを繰り返し語ってやみませんでした。
10  それはひとまず措き、「日蓮が慈悲曠大ならば……」との未来永遠を見霽かす御本仏の大確信も、また、創価の仏法運動の原点である恩師・戸田城聖先生(創価学会第二代会長)の偉大な獄中体験――それが存在しなければ、せっかくの御聖訓も、はるか彼方の夢物語か大言壮語とされていたに違いない「霊山一会、儼然として未だ散らず」の御文の身読も、ともに「宇宙的時間」「歴史的時間」のスケールで捉えきれるものではありません。 そうした言々句々は、歴史の表層の流れと、鋭くタテに交差し、なおかつ表層次元をも包み込む「実存的時間」「生命的時間」の深層においてのみ、生き生きとした脈動しゆく響きを伝えているのであります。
 それは、ベルジャーエフが、「体験された歓喜と苦悩の強さ」と述べているように、偉大な人格による偉大な苦悩との戦いによってのみ可能となるであろう、人類の精神史の深処への参画であり、そこから送られる宇宙生命へのメッセージなのであります。ベルクソンが、「完全無欠の道徳のうちには呼び声がある」(『道徳と宗教の二源泉』平山高次訳、岩波文庫)とした「英雄の呼び声」なのであります。
11  私が、冒頭に「巨大なスパン、スケール」の必要性を訴えたのも、現代のような人類史の未聞の曲がり角、節目にあっては、一連の"地球的問題群"に代表される焦眉の課題を避けて通れぬのは当然のこととして、同時に、以上若干のアプローチを試みてきたように、時間、歴史の深処への肉薄と、それを踏まえてこそ初めて可能となるであろう百年、千年単位の遠大なる展望もまた、欠かすことができないと思うからであります。
 そうでなければ、亡くなったノーベル賞学者コンラート・ローレンツ氏が、地球はすでに「ポイント・オブ・ノー・リターン」(引き返し不能の点)を超えた、と警告していたように、世紀の境目には、人々を意気阻喪させかねない数々の難問、悲観的状況が立ちふさがっているからです。
12  ″歴史を創るのは水底のゆるやかな動き″
 A・J・トインビー博士――私の尊敬してやまない知友であり先達であったこの二十世紀最大の歴史家こそ、まさしく私の申し上げた、人類史を俯瞰し遠望する労作業に果敢に挑戦し、道を拓き、輝かしい足跡を残してこられた人ではないでしょうか。
 壮大なパノラマの展開を見るようなトインビー史観に対し、とくにそのディテール(細部)において、専門分野の史家から多くの異論が出されてきたことは、私も承知しております。
 しかし、延べ十日間にわたる博士との語らい(その結晶が、いうまでもなく博士との対談集『二十一世紀への対話』〈本全集第3巻収録〉です)を通して、私が強く印象づけられたことは、ディテールの当否というよりも、むしろ、博士の文明史の深層、深処へ肉薄しようとする姿勢であり、近代の上辺だけの体験に惑わされず、常にその深層次元から事象を分析し、総合し、展望しようとする透徹した眼でした。まぎれもなく、それは世界史的視野といえるものでした。
 特定の宗派を信奉しておられた訳ではありませんが、その著作を少しでもひもとけば、博士が、歴史の深層海流の形成に宗教がどのような大きな役割を果たしてきたかという点からひとときも目を離さず、表層次元に流され易い世の人々に、本質を見よ、大局を忘れるな、と警鐘を鳴らしていたことは、明らかであります。
 それは博士が、宗教をもつこと、宗教的存在であることを、人間が人間であること、文明が文明であることの根本要件とされていたからに他なりません。
 宗教への並々ならぬ関心のほどは、東方からの一来訪者である私のような無名の仏法者を厚く遇し、若輩の声にも真摯かつ謙虚に耳を傾けてくださったことからも、うかがい知れましょう。
 そうした点、即ち歴史観、文明観が人間観と密接不可分に結びついていたところに、文明史家A・J・トインビーの真面目があるのではないかと、その温和な風貌を懐かしく思い起こしております。
13  それは、必ずしも私だけの感触ではなく、かつて(一九五六年)、トインビー博士が来日した際、多くの日本の学者とのやりとりを見聞していた林健太郎氏は、次のような感想を綴っています。
 「博士にとっては文明の数とかその循環とかいうことは必ずしも問題ではなく、およそ文明をつくる人間の精神のありかた、そして現代の世界の文明を破滅から救うための我々の心がまえと云ったものこそが重要なのである」(林健太郎「トインビー博士の人物と思想」、A・J・トインビー『歴史の教訓』所収、岩波書店)と。
 ここでは、そのようなトインビー史観を、粗削りではあるが、その分、骨太に浮かび上がらせていると思われる「文明と文明とのあいだの遭遇戦」という論文に、着目してみたいと思います。(『試練に立つ文明』深瀬基寛訳、『トインビー著作集』5所収、社会思想社。以下、同書から引用・参照)
 博士は、衝撃的な出来事が次々と起こり、その様相が目まぐるしく変わる、現代という時代に振り回されることなく、底流にある時代の脈動を把握するためには、「時間の遠近法」で照らし出してみることが肝要であるとし、未来の歴史家が現代をどう位置づけるかという観点に立って考察を進めております。
 いわく、「新聞の見出しとして好個の材料となるような事柄は、人生の流れの表面に浮游しているゆえに、またそれらの事柄は水の底で活動し河床までもしみ通る、ゆるやかな、眼に見えない、秤にかけることのできない動きからわれわれの注意をそらせるがゆえに、われわれの注意をひくのであります。しかし窮極において歴史を作るものは実はこの水底のゆるやかな動きであり、われわれが過去を振り返って、その日その日のはなやかな出来事が遠近法においてその在るべき真の大きさにまで縮まったとき、はじめて大きくその姿をあらわしてくるものはこの水底の動きであります」と。
14  私は、トインビー博士が、歴史に向き合うポイントとして「水底のゆるやかな動き」に着目したところに、類いまれなる眼力をみる一人であります。
 博士は、宗教家ではなくあくまで歴史家ですから、「水底のゆるやかな動き」という、微妙といえば微妙、曖昧といえば曖昧ともいえるが、さりとて史家の帰納的アプローチからすれば、そう形容する以外にないであろう巧みな比喩、言い回しをされていますが、その志向するところは、まぎれもなく「実存的時間」「生命的時間」の境位ではないでしょうか。 博士の魂は、その奥深いどこかで、歴史の節々に「英雄の呼び声」を聴きとっているのではないでしょうか。逆にいえば、このような優れた歴史家の呼びかけに呼応し、補完し合うことのできない宗教の側からの言葉は、演繹の名にも値しない、単なるドグマ(教条)にすぎません。
 思い起こせば、ロンドンで私たち二人が語り合っていた折のことです。
 対談のさなか、テレビで、ある国の首相のイギリス訪問が華々しく報じられていました。それを見た博士が、超然と言われた一言は、今も忘れることができません。「私たちの対話は、地味であるかもしれません。しかし、後世の人類のための対話です。未来のために、大いに語り合いましょう!」――と。
15  人類の社会的統合に果たす「宗教」の役割
 そんな博士が「時間の遠近法」をもって提示しているのが、百年後、千百年後にはじまり、はるか三千百年後までに至る未来からの眼ざしであります。
 一九四七年に発表されたこの論文で、博士は、「未来の歴史家は、二十世紀の大事件とは、西欧文明がその他の当時の世界のあらゆる社会に加えた衝撃にほかならないというのではないか」と、当然の指摘をして、それから百年後の二〇四七年の歴史家の眼ざしを想定しています。
 「彼らはこの衝撃について次のごとく語るでありましょう――それはあまりにも強力であり、あまりにも浸透力に富むものであった、ためにその犠牲となったすべての人間の生活は一大混乱に陥る有様であった――」と。
 一九四七年からの百年のちょうど中間点に立つ私たちとしても、この想定は十分に首肯できるものといえましょう。プレ・モダン(近代以前)の諸民族が保持していた多種多様な共同体的秩序(その善悪は別として)に比べれば、ポスト・モダン(近代以後)が喧伝される現代の時代状況、世界状況など、とても秩序の名に値しない「一大混乱」以外の何ものでもありません。
16  そして、博士の想定は、そこからいきなり千年後の三〇四七年へとタイム・スリップしていきます。
 三〇四七年の歴史家たちは、「すばらしい現象」、すなわち、「われわれ及びわれわれの先人たちが常識として知っている西欧文明、つまり『暗黒時代』から出現して以来の最近千二百年ないし三百年程度の西欧文明は、現在われわれがわれわれの世界へ併呑しつつあるところの西欧以外の世界からの影響――正教キリスト教国、回教国、ヒンズー教国、及び極東からの影響の反対攻勢を受けて、ほとんど痕跡をとどめないまでに変形されて」いくであろう現象に、興味を示すに違いない、と。
 さらに、それから千年後の四〇四七年の歴史家が振り返ってみれば――
 「紀元四〇四七年の歴史家たちは語るでありましょう――キリスト教紀元千五百年から二千年までの時代に西欧文明が同時代の諸々の文明に与えた衝撃はその時代の画期的な大事件であった、何となればそれは人類を単一の社会にまで統合するための第一歩だったからと。彼らの時代になるまでには、すでに人類の統一性ということは、おそらく人生の基本的条件の一つ――自然の秩序の一部とさえいえるもの――となっているでありましょう」と。
 博士は、地球を"運命共同体""宇宙船地球号"として捉えるグローバリズム、グローバリゼーションと呼ばれるものへの大きな流れ、冷戦後は、とくに経済の側面でいわれる地球的統合化への流れにしても、それが、地球市民の自然な秩序体として定着するには、それほどの長い年月を要するであろう、としているのであります。
 そして、さらに千年後の五〇四七年に時点を想定してみるならば――
 「思うに、紀元五〇四七年の歴史家たちは語るでありましょう、人類のこの社会的統合ということの重大な意味は決して技術や経済の世界に見いだせるものではない、戦争や政治の世界に存するのでもない、それは宗教の世界に存するというでありましょう」と。
 二十世紀最大の歴史家にふさわしい、まことに遠大にして壮大なる展望という以外にありません。
17  ちなみに一九四七年といえば、アメリカが「トルーマン・ドクトリン」を打ち出し、「マーシャル・プラン」を発表するなどソ連封じ込め政策を強いれば、それに対抗してソ連も、「コミンフォルム(欧州共産党情報局)」を発足させ、原爆製造をほのめかすなど、第二次世界大戦後の混乱が続くなか、早くも東西対立の冷戦の暗雲が垂れ込め始めるという騒然たる状況を呈していました。
 だれもが目先のことに目を奪われ、近視眼的に右往左往しがちな状況のなかでの発言だけに、私は、決して見逃してはならない意味を感ずるのです。
 たしかに、博士の予見は、あまりにもスケールが大きいだけに、確証に乏しく、夢想的すぎるとの非難があるかもしれない。事実、トインビー史観については、その巨視眼ゆえに、歴史家らしからぬ"予言者"や"運命論者"といった、皮肉まじりの非難の矢が浴びせられたことも、しばしばでした。
 また、当時は、千年、二千年先どころか、二十一世紀の人類史の存続さえ危うくしかねない核戦争や地球的問題群といった黙示録的現象の脅威も、現在とは比較にならぬほど小さかったであろうことも、事実であります。
 しかし、私たちは、この大歴史家、文明批評家の予見が、当然のことながら"ノストラダムス"の類いの、空想家の胸中を去来する思いつきの産物などとは全く次元を異にした(四七年という設定はもとより、千年単位の区切りにしても、おおよその目安であり、むしろ一種の修辞法といってもよいものです)、「文明と文明とのあいだの遭遇戦に必要な時間の長さ」を、過去にさかのぼり様々な事例を検証した上での感触であり、展望であることを忘れてはならないでしょう。
 そうした展望、「時間の遠近法」から、たとえば、冷戦の激化せんとしていた当時、博士は、「『共産主義』のかたちをもってするロシアのこの(西欧文明に対する)反対射撃」も、千年、二千年という単位で捉え直すならば、「案外とるに足らない小事件と見えてこないとは限りません」と、大胆な見通しを示しておりますが、五十年を経た今日、博士の見通しがあながち大言でなかったことは、今や多くの人々が首肯するところと思われます。
18  「時間の遠近法」が照らし出す世界市民のあり方
 もう一人、私の敬愛する先達の知見に、簡単に触れてみたいと思います。それは、今世紀を代表するバイオリニストであるユーディー・メニューイン氏であります。
 氏とは、六年ほど前、東京でお会いし、芸術家と規定するにはあまりにも幅の広い、文明万般を視野に収めた卓越したヒューマニストの魂の響きに、強い印象を受けました。
 その氏が、一九六二年に世に問うた「世界市民と題する小論で、大変ユニークな提案を試みています。
 いわく、「まず未来を研究して、西暦五千年の世界市民がどんな人間であるかを考えてみよう。そうすればわれわれは、その究極点につうずるさまざまな段階を、どのように歩みはじめることができるかがわかるであろう」と。」(『音楽 人間 文明』所収、和田旦訳、白水社)
19  「西暦五千年」という設定が、トインビー博士と瓜二つで興味深いのですが、それはともかく、氏は、「この世界市民は四次元の人間でなければならない」として、四つの条件をあげています。
 第一に、時間の持続、歴史に対する責任意識、第二に、空間の広がりに対する責任意識、第三に、すべての創造物、生命の現れへの共感、第四に、人類そのものの高貴性への信念と敬意――の四点であります。
 氏のそれぞれへの考察は、トインビー博士の歴史的洞察とは趣を異にした、微妙な言い回しのなかに、いかにも芸術家らしい直観智を随所にちりばめたものですが、ここでは詳しくは立ち入りません。ただ、それは、あらゆる"レッテル張り"を嫌う点で、仏法でいう「出世間」(言葉による規定、限定を超出すること)の概念と、同義語といっても過言ではないほどの近似性を有していることを、付言しておきたいと思います。
 ともあれ、トインビー博士といい、メニューイン氏といい、三千年先を見据えた遠大なスパンとスケールの「遠近法」に裏打ちされてみると、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」との御聖訓も、ともすると「出世間」の境位に立ちにくい凡夫の次元からも、一段とリアリティー(現実感)を増してくるのではないでしょうか。
 少なくとも、これからの世界宗教を考えるにあたっては、そのように人類史を俯瞰する長期の展望に立ち、そのためには現在何をなすべきなのか、「未来の果」を決定づける「現在の因」、すなわち一念の据えどころをどこにおくべきかを、心していかなければなりません。
 その意味で重要となるのは、政治や経済、科学や軍事などの次元でのめまぐるしい変化、毀誉褒貶に一喜一憂することなく、千年、二千年という雄大な視座で心静かに未来を見据えながら、勇気と確信をもって現実の一歩を踏み出していくことでありましょう。そこに、真実の楽観主義も光彩を放ってくるのだ、ということを知っていきたいと思います。
20  さて、昨年は、六月に国連環境開発特別総会が開催されるとともに、十二月には京都で、「気候変動枠組み条約」第三回締約国会議(COP3)が行われました。
 いずれの会議も一定の前進をみたものの、当初期待されていたほどの成果を得ることは難しかったわけですが、しかしながら地球温暖化がテーマとなったCOP3のように、国際的な関心の高まりを呼ぶなど、まさに地球という惑星全体における生態系の運用管理という側面から、現代文明のあり方そのものが問われる契機となった意義は少なくなかった、と私は思います。
 こうした環境問題をはじめとする人類に重くのしかかる地球的問題群の存在は、国境や民族を超えて同じ地球社会に生きる隣人として、私たちに"共通の未来"というものを考えずにはいられない状況、グローバリゼーションという人類史的課題を等しく迫るものなのであります。
 ただし、多くの識者が指摘するように、現在進行しているグローバリゼーションの特質は、互いにプラスの影響を与え合うものというよりも、どちらかといえば、世界の"先進国"とよばれる国々からそれ以外の国々への一方的な放射作用を基調としている点にあるといえましょう。
 その結果、民主化や市場経済化の波が世界的な広がりをみせる半面で、それに付随する形で、各集団がもつ固有の文化や価値観の枠組みが大きな動揺に見舞われ、新たな不安定要因と化している状況が見受けられるのであります。
21  私は、その背景として、グローバリゼーションにおけるルールの不在という問題があるような気がしてなりません。
 このままの形でグローバリゼーションが進行していくならば、情報化の大波と相まって政治的・経済的次元から世界を一律に同質化する働きは強まるかもしれませんが、結局のところ、「大競争」の号令のもと、波に乗りきれない国々や人々を次々とふるい落とし、差別や疎外を恒常化させていく。それがまた、紛争やテロ、難民といった形での"逆流"を呼ぶ――という、グローバリゼーションの悪循環を招きかねません。
 世界的な経済不況という霧が立ちこめ、閉塞感が強まり、人々が絶えまない不安にさいなまれるなかで、そうした負の側面はますます際だってきているのではないでしょうか。
22  求められる「内在的普遍」への眼差し
 私は、今日の危機はある意味で、人類のすべての社会的営みを「進歩」の尺度から推し量ろうとする、あまりにも一面的で硬直的な思考法(「歴史主義」は、その嫡子であります)に起因していると考えるものでありますが、この点に関し、「三千年紀への挑戦」をテーマに昨年一月、スペインで行われたシンポジウムにおいて、イタリアの思想家ウンベルト・エーコ氏が、大要、次のように語っていたといいます。
 「過去二千年のシンボルは〈矢〉であった。ユダヤ―キリスト教的一神論に発した〈時〉は、一方向性をもって突き進んだ。〈進歩〉という概念が、そこから生まれた。それに対し、来るべき三千年紀のシンボルは〈星座〉であらねばならない。それは多文化社会の尊重ということである」と(服部英二「3000年紀を見る『世界人』が訴えるもの」、「Ronza」九七年五月号)。
23  「星座」とは、まさに言い得て妙であります。個々の星が光り輝き、その集合が星座という一つの形として美しさを誇りながら、互いにその美しさを損なうことなく、むしろ多様な相を織り成して天空を豊かに飾っていく――とのイメージは、(昨年の提言で言及した、帝釈天の宮殿にある無数の宝石で飾られた"美しい網"に象徴される)仏法の縁起観にも通じるものであり、これを人間社会に当てはめれば、星々は一人一人の人間、星座はその集団が醸し出す文化であり、天空は多様性の花咲く地球社会と捉えていくことができるビジョンなのです。
 ただし付言しておきたいのは、ここで主張される「多文化社会の尊重」という概念は、それぞれの文化を単に対等に扱うべきであるといった、意味合いのものであってはならない、という点です。
 それだけでは、たとえ画一化の荒波から集団を守ることができたとしても、「文化」の名のもとに非人間的な行為や習慣までもが一律に容認されてしまう。そして結局は、一人一人の人間が犠牲となる危険性が常につきまとうからであります。
24  しかしながらその反面で、特定の文化が有する価値観を絶対視し、一方的に"普遍化"を迫っていくといったように、文化に何らかの「中心」を設定するならば、諸文化の間で優劣や序列関係が形成される恐れが残ってしまう。
 一定の価値観に基づいたきわめて同質性の強い世界秩序(フランシス・フクヤマ氏が「歴史の終焉」で提示した世界観)でもなく、互いに対立性を強くするいわゆるモザイク的な世界秩序(サミュエル・ハンチントン氏が「文明の衝突」で提示した世界観)でもない――寛容と共生を機軸とする地球文明への道を、人類があやまたず歩んでいくためには、あらゆる文化の深部に通底しているであろう共通の価値や規範というものを見極める作業が欠かせない、と私は考えるのです。
 これに関し、チェコのハベル大統領が、ある論考のなかで、「すべてを包含する地球規模の単一文明が出現した」と述べ、現代における危機の様相を論じております。
 ハベル氏はそこで、単一化が生みだす堂々巡りの対立から人類を救う"意味のある唯一の出口"として、「単に寛容な多文化的共存への道を探索するだけではなく、より明確に互いの関係を定義し、共通の価値と規範を分け合うことを通じて、何がその共存を創造的なものにし得るかを、より明確に定義すること」が重要になるとし、"根源的倫理の蘇生"が喫緊の課題となると指摘しております(「人類の責任 多彩な文化の共存」、「読売新聞」九七年一月二十七日付)が、この点、私もまったく同感であります。
 文化の多元性を認めたうえでもなお、相対化されてはならない普遍的価値――外在的な規範ではなく、私がこれまで一貫して、「内在的普遍」として提示してきたメルクマール(指標)――への眼ざしは、断じて失われてはならないものなのであり、私はその源泉となりうるものこそ宗教、それも真にその名に値する世界宗教であると考えるのです。
25  自他ともに輝く「人道的競走」
 そこで思い起こすのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が、『人生地理学』のなかで提示していたビジョンであります。
 初代会長がこの著を世に問うた今世紀初頭(一九〇三年)は、"列強"と呼ばれる国々が富国強兵に躍起となり、覇権を争い、帝国主義や植民地主義が世界全体を巻き込む勢いで広がりをみせていた時代でありました。
 そうした時代相を鋭く見据えながら、牧口初代会長は、世界における生存競争を、1・軍事的競争、2・政治的競争、3・経済的競争、4・人道的競争、の四つの形式に分類したうえで、"人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を志向すべきである"と提唱したのであります。
 私がとりわけ注目するのは、初代会長がはるか未来を望みながら、軍事や政治といった単に競争の「単位」だけではなく、競争の「形式」そのものが変化していくと予見していたことであります。
26  いうなれば、「対立的競争」から「協調的競争」への時代の転換を、初代会長は強く促していたといってよい。
 つまり人道的競争とは、「従来、武力あるいは権力をもってその領土を拡張し、なるべく多くの人類をその威力の下に服従させ、あるいは外形は経済力によるもののように見えても、実は武力もしくは権力によるのと同様なことをしてきたのを、無形の勢力をもって自然に薫化すること」であり、「おどしをもって従わせるかわりに、心の底から喜んで従うようになること」――いわば文化的、道徳的な力による精神的影響力、今様にいうならばソフト・パワーの拡張競争と捉えているのであります。
 そして更に初代会長は、「もとより人道的方式といっても、単純な方法はない。政治的であれ、軍事的であれ、経済的であれ、人道の範囲内においてすることである。要はその目的を利己主義に置かず、自己とともに他の生活をも保護し、増進させようとするところにある。反言すれば、他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶことにある。共同生活を意識的に行うことにある」と述べ、人道的競争は他の競争形式にも影響を与えるとともに、更には競争意識から共存、共同意識への変革をもたらしていく、との未来ビジョンを明確に提示したのであります。(宮田幸一『牧口常三郎の世界ヴィジョン』第三文明社、引用・参照)
27  この点、意欲的な提言を行っている「リスボン・グループ」が、近年まとめた『競争の限界』のなかで、本来は「共同で努力する」というのが競争の原語であったにもかかわらず、今では逆に「他人を蹴落とす」という意味になっているのはおかしい――との注目すべき指摘をしておりますが、「競争」の概念に対する見直しは、最近とみに強まってきています。
 トインビー博士も、ある日本人へのメッセージのなかで、初代会長と同趣旨のことを述べています。
 「非常に違った伝統や信仰や理想をもった民族が、突然お互いに緊密に接触するようになった現代においては、おのれも生き、他人も生かすという心がまえ、そして真実と救世の道は一つだけではないと信ずる心がまえが、人類の生存にとって必要である」(秀村欣二・吉沢五郎編『地球文明への視座』経済往来社。以下、同書からの引用・参照)と。
28  「おのれも生き、他人も生かす」とは、初代会長が主張する「他を益しつつ自己も益する」と同義語であります。そして、この一点こそ、二十一世紀のグローバリズムを形成しゆくうえでの"画竜点睛"であり、かつまた、グローバリゼーションの地下水脈となるであろうと私が信じる、「その名に値する世界宗教」が絶対に避けてはならないアポリア(難問)なのであります。
 博士が、「真実と救世の道は一つだけではないと信ずる心がまえ」の必要性を説いているように、宗教的ドグマへの固執は、人間同士、民族同士の対立と相克を増幅させ、性懲りもなく、過去の宗教史の血なまぐさい軌跡の轍を踏んでしまうことは、明らかであります。
 もとより博士としても、独自の世界観や宇宙観、宗教的信念に基づく主張を認めていないわけではない。ないけれども、それはあくまで、「おのれも生き、他人も生かす」精神――私どもは、それを人間主義と呼んでいるのです――に則ってなされなければならないのであります。したがって、博士は、「おそらく全人類は、いつの日か、単一の宗教をもつようになるかもしれない。しかし、そのようなことが起こるとしても、それは無数の個人による自由選択を通じて、きわめて徐々にのみ起こるものであろう」(同)と、未来社会における宗教流布の鉄則を述べているのであります。その点でも、初代会長の「心の底から喜んで」との言葉と、見事なまでに符合していることは、申すまでもありません。
 世界的な経済的競争が激しさを増す中で、これまで格差は「南北」の問題として論じられてきましたが、今や「南」の国同士や「北」の国同士の間でも、またそれぞれの国内において「弱者」や「敗者」が生み出され続ける、という現象が起こっております。こうした世界の現実を目の当たりにする時、私は、果たして「進歩」を誇る現代文明は、一体何を追い求めてきたのか、という疑問を抱かずにはいられません。
 牧口初代会長のビジョンは、まさにその意味で、私たち人類が「第三の千年」において機軸とすべき思想としての先駆性を有しているのであります。
29  ちなみに、一昨年、『進歩を超えて』(伊藤憲一訳、文藝春秋)と題する話題の書を著し、「進歩」の時代から「相互主義」の時代への移行を訴えた、米・国防大学のヒュー・ディ・サンティス教授は、その移行が難しいのは、三つの条件がなかなかそろわないからだとして、(1)現状不満国家が戦争を起こす能力を奪われること、(2)豊かな国家や強力な組織が寛大、寛容であり、しかも秩序維持の責任感をもつこと、(3)貧しい国家が排他的にではなく包容力をもって自国の利害関係を評価できること、の三点を挙げていました。
 (1)はともかく、(2)も(3)も、富める国なりに、また貧しい国なりに、「他を益しつつ自己も益する」「おのれも生き、他人も生かす」精神を身につけることができるかどうかが、未来へのカギを握っていることを雄弁に物語っております。
 正義と慈愛と希望に満ちた「地球社会」「地球文明」の建設は、"弱肉強食"の性格を色濃く帯びた「競争意識」から、よりその原義に近い共存共栄という、「共同意識」への転換――「共創(ともに価値創造する)」とも名付けるべき行動規範を、まず第一に打ち立てることから始まるのではないかと考えるのです。
30  サミットを拡大し、責任国首脳会議へ改変を
 そこで、私が提起したいのが、サミット(主要国首脳会議)のあり方の見直しであります。
 九六年六月に行われたリヨン・サミットで"万人のためのグローバリゼーション"をテーマに掲げ、その光と影の検証に踏み込んだのに続き、昨年六月のデンバー・サミットでも「G7経済声明」を採択し、「われわれの目標は、グローバリゼーションで生じる課題に取り組むと同時に、すべての人々にグローバリゼーションの最大限の恩恵をもたらすことである」との方針が打ち出されました。こうした動きと相まって、デンバー・サミットでは、ロシアがほぼ全面的に会議への参加を果たし、事実上のメンバーとして加わるなど、サミットが一つの大きな転機を迎えつつある感は否めません。
 七五年の初開催以来、サミットは東西陣営の対立する冷戦下における"西側七カ国(G7)の結束"を強調する場としての性格を色濃くもっておりました。冷戦終結後にはロシアの参加を一部認めたものの、その基本的な旗印は変わらなかったといえましょう。
 だからこそ近年の動きは注目されるのであり、今回のG7からG8への移行をサミット自体の"地球化への変容"の第一歩とみる声もありますが、私はその方向性をより確実に、より望ましいものに導くためにも、中国やインドなどを加えた形で現行のサミットの枠を広げるとともに、「責任国首脳会議」として発展的改編を行い、新出発を期すべきである、と提案したいのであります。
31  新しいサミット(責任国首脳会議)は、各々の行動と存在がもたらす共通の課題について忌憚なく話し合う場であるとともに、責任共有の場であらねばならないと思います。
 私が、ここで中国やインドを列挙したのは、現在、両国の人口を合わせたものが地球総人口の三分の一近くに達し、今後も増加が見込まれるなど、その動向自体が無視できないという要素とともに、両国がそれぞれ長い歴史を有していること、また多様な民族を抱える社会を形成してきたことなどの側面をもつからであります。
 また、私が「責任国」と名付けるのは他でもありません。現在の主権国家システムの最大の欠陥は、"世界的公共性の担い手を欠いていること"と指摘する論者もいるように、世界の主要国がまず率先して「国益」中心の考え方を改め、「人類益」を志向していかない限り、地球的問題群の解決など到底望むことはできないと、強く危惧するからであります。
32  「多様性」花咲く世界の礎となる哲理
 そこで、グローバリズムの不可逆的な流れのなか、差し迫った文明論的課題として浮かび上がってくるのが、トインビー博士が、「多様のなかの統一」「統一のなかの多様」(前掲『地球文明への視座』)と名付けた世界像のアラベスク(アラビア模様)であります。
 このことは、トインビー博士に限らず、私がお会いした多くの識者、たとえば、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領や、インドのラジブ・ガンジー元首相らが、力説してやまないところでした。
 ゴルバチョフ氏は、私との対談(『二十世紀の精神の教訓』。本全集第105巻収録)を終えるに際し、結語として一文を添え、冷戦後の世界がリベラリズムとアメリカニズム一色に染め上げられてはならないとし、「多様性の世界」の急務なることを訴えておられました。ラジブ・ガンジー氏もまた、多様性のなかの統一が生き生きとした現実であることが、インドによる世界文明への最大の贈り物であると、強調しておられました。
33  私はそうした課題を乗り越えていくキー・ポイントは、広い意味での「教育」であると思っております。真の教育とは、(イデオロギー教育などのように)人間を一様性の鋳型にはめこもうとするのではなく、人間と人間、師匠と弟子という、精神と精神との撃ち合いのなか、人間の内なる善性を薫発し、自己抑制や他者への共感を通じて、多様な個性を開花させゆく直道だからであります。
 仏法の知見には、「桜梅桃李」といって、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李というように、それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめ、麗しい人間共和の世界を築いていく、人間や文化の多様性を最大に尊重し、生かし、また調和させゆく哲理があります。
 更に「自体顕照」といって、自らの本然の個性を内面から最高に開花させつつ、しかもその個性は、いたずらに他の個性とぶつかったり、他の犠牲の上に成り立つものではない。互いに差異を慈しみ、ともに向上する糧としながら、花園のような調和と共生の世界を織り成していく――まさにそのなかにこそ、人間の生き方の本領がある、と説くのであります。
34  この点、牧口初代会長の教育哲学にも造詣が深く、アメリカ哲学界の権威の一人であった、今は亡きデイビッド・ノートン博士は、この「桜梅桃李」という仏法思想の意義を、教育という観点から次のように語っております。
 「来るべき再編された世界のために、教育者が果たすべき責務は、生徒たちの中に自分たちのものとは違った文化、信条、実践に対する理解と尊敬の念を育むことです。これはちょうど、桜、梅、桃、李のそれぞれが、独自の美の側面を表しているように、他の文化や信条、実践が、真実と善の側面を具現しているとの認識の上に立ったとき、初めて可能になると思います。このことは、生徒たちが、一番慣れ親しんでいる文化や信条、実践が真実と善を独占しているという考え方――つまり、パロキアリズム(偏狭性)、狭量な心――を捨て去ることを意味します」(「世界市民と人間教育」、「聖教新聞」九一年十月二十七日付)と。
35  生命の世紀開く「人間革命」の思想
 思えば、戸田第二代会長は、東西冷戦のイデオロギー対立が激しさを増すなかで、戦後いち早く「地球民族主義」を主張しましたが、これは今日的にいえば、狭隘なナショナリズムや自己中心主義からの脱却をめざす「地球市民主義」と同根であり、その先見的な思想であったといえるでしょう。
 「文明の衝突」論に見受けられるように、文明間の対立は不可避であるとの見方が一部でありますが、私は、仮に衝突するとしても、それは文明と文明ではなく、それぞれの文明に"宿痾"のようにひそむ野蛮(蛮性)同士であろうと思うのです。短兵急な押し付け合いではなく、忍耐強く、長い時間をかけて接触を続けていくならば、本来、文化とは人間性を豊かにするものであり、文化間の差異はむしろ新しい価値創造の源泉と捉えるべきものなのです。
36  そこで宗教が薫発すべきは、"自他ともに向上するための智慧"であらねばならない。仏典に「妙と申す事は開と云う事なり」とあるように、人間の生命には、どこまでも可能性を開き、向上しようという特性があり、その特性を最大限に発揮させていくための宗教こそが、今まさに要請されているのであります。
 これまでの人類の歴史には、宗教が原因となって血で血を洗う悲劇が幾度となく引き起こされました。その流転を止めるためにも、「まことの・みちは世間の事法」と仰せのごとく、宗教は「民衆に応える」「社会的課題に応える」という点を第一義とし、また平和的競争の精神基盤となるものでなければならないと思われます。
 ともあれ、戸田第二代会長が難じていた狭隘な自己中心主義を乗り越え、同じ地球社会に生きる隣人として、牧口初代会長の提唱した人道的競争=「共創」を通し、希望の未来を開いていく――私どもSGI(創価学会インタナショナル)がめざす「人間革命」運動の眼目はこの一点にあります。
37  現在進行しているグローバリゼーションという潮流自体は今後も変わることはないと思われますが、問題はそれによって"再編"される世界がどのような姿となるのかという点でありましょう。その意味からも、グローバリゼーションの動きが、牧口、戸田両会長が予見し、私どもSGIが志向する「生命の世紀」「人間主義の世紀」を現出しゆく方向へと働くのかは、ひとえに深部に流れる人間の生命次元での変革――「人間革命」への挑戦いかんに、かかっているといってよい。
 まさに焦点となってくるのは、トインビー博士が究極において歴史を創り出すカギとして考えていた、「水底のゆるやかな動き」に他ならないのであります。
 昨年(一九九七年)の国連総会で、二〇〇〇年を「平和の文化の国際年」に制定する旨決議されましたが、私たちは「平和の文化」を創出するための確固たる理念を、今一度、「人間」というすべての原点に立ち返って、真剣に模索すべき時を迎えているのではないでしょうか。
38  人類が真摯に対話を重ねるなかで揺るがぬ足場を見いだし、すべての人々が「平和の文化」を創造する共同のパートナーとして歩んでいくならば、自他ともに輝く「第三の千年」の地平は、「人間主義」の旭日に照らされて洋々と開かれゆくと、私は強く強く確信するのです。
 そうした思いを込めて、昨年の「提言」のなかで私は、「人間精神の『勇気』と『英知』の証として、またその崩れざる連帯の絆の証として、人類の総意をもって『地球憲章』を打ち立てなければならない」と訴えました。現在、「地球憲章委員会」を中心に、アメリカにある研究機関「ボストン二十一世紀センター」が協力するなど、本年六月の最終草案完成へ向けて、さまざまな角度から議論が深められているそうですが、私はその「地球憲章」が必ずや、地球文明への貴重な橋頭堡となりうると、心から期待を寄せる一人であります。
39  「世界人権宣言」採択五十周年
 さて、改めて述べるまでもなく、本年は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」(前文)と高らかに謳った、「世界人権宣言」が採択されて五十周年にあたります。
 わずか三十条から成る「宣言」は、拘束力をもたない決議にすぎない"ソフト・ロー(ゆるやかな法)"ではありますが、この半世紀にわたり国際社会における人権の事実上の基準としての役割を果たすとともに、「国際人権規約」をはじめとする多くの人権条約を生み出した源泉でもありました。国連などが中心となって作成された条約だけでもすでに二十三にのぼり(九七年九月現在)、またその数をはるかにこえるさまざまな権利宣言が採択されてきております。
40  「世界人権宣言」は、国連という枠組みのなかで法として現実に機能しているとの指摘もなされるほど、国際社会の大きな柱として揺るがすことのできない、重みをもつものなのです。その計り知れない人類史的意義は、その制定作業にも携わったブラジル文学アカデミーの故アタイデ前総裁と、対談集『二十一世紀の人権を語る』のなかで語り合ったところでもありました。
 こうした一連の人権条約は、国際法のなかでも特別な性格を有するものとして位置づけられており、いわゆる「相互性の原則」(相手国による条約の遵守を自国における条約の遵守の要件とする原則)は、一般に適用されないとされております。つまり、人権条約は、普遍的な性質を有する人権の保障を目的としているために、いわば国家間の契約という次元を超えた規範として「国内問題不干渉の原則」も一般には通用しないとされるなど、伝統的な国家主権の原則をも相対化する性格を有しているとみなされているのです。
41  また、具体的制度として、国際的な裁判所ないし人権擁護のための委員会の設置や、通報制度を規定した条約も次々と誕生しており、限られた範囲内ではありますが、国家の枠組みを超えて人権が国際的に保障される状況が形成されつつあることも、その特色として挙げられましょう。
 しかしながら、こうした条約や法制度の成立がただちに人権保障の強化へとつながっているわけではなく、残念ながら悲劇は世界のいたるところで続いております。「世界人権宣言」の精神は、いまだ地球上で等しく実現をみていないというのが悲しむべき現実なのです。
42  各国の「人権機関」とNGOの協力体制を
 人権の分野において基準設定の時代は過ぎようとしており、いよいよ実施の時代に入らねばならない――と叫ばれて久しいわけですが、残念ながら十全な実施の難しさもまた否めない事実であります。
 そこで私が提案したいのが、政府から独立の地位と公平性が保障された「人権機関」を各国で設立し、人権条約の実施報告の作成や人権啓発、救済などを通し、人権条約を国内で責任をもって実施遂行していく。そして、その「人権機関」相互の協力推進と、NGO(非政府組織)や国連諸機関との連携を通じて、人権条約の実効性を確保する――より強固な枠組みを形成していくというプランであります。
 各国に独立した「人権機関」を――との構想自体は国連が以前より提唱していたものであり、すでに一部の国々でオンブズマンや人権委員会などの形で、裁判所以外の人権擁護のための国内機構として設立をみてきました。私のプランは、こうした流れを加速させるための方策として、現在新しい国際協力の姿として提起されている「トランスガバメンタリズム」(米・ハーバード大学のアン=マリ・スローター教授)の概念を踏まえつつ、これに民主性の確保の視点を私なりに加味して再構成したものであります。
43  スローター教授の提唱する「トランスガバメンタリズム」とは、一国の政府を超えた――しかも、多国間機構とも異なる――、複数の国家の政府機構間相互の横断的なつながりを意味するものです。
 教授は、「国家の機能を分化すれば、特定の国内政治機構がトランスナショナルな秩序に参加することによって権限と地位を獲得し、その結果、主権の分化も可能になるだろう」(「トランスガバメンタリズム」、「中央公論」九七年十二月号)と述べ、主権の分化をも視野にいれた議論を展開しております。これは、機関に必要とされる独立の地位と公平性を担保する現実的な方策を考える上で、示唆的であります。
 もちろん私は、教授の意見に全面的に与するものではありません。とくに、それが「リベラルな国際主義」や「新中世主義」に代わる選択肢として提起されている点が気になります。それらは、どれか一つを選ぶというよりも、互いに補完し合っていかねばならないものであると思うのです。
 それはそれとして、教授が、「効率性」と「説明責任」を、地球的問題群を解決するための国際的枠組みの要件として挙げていることなど、重要な視点が散見されます。
44  ただし、これらはすべて人権機関の存立基盤としての必要条件であっても、十分条件ではありません。
 こうした人権機関のガイドラインとして国連総会でも承認された「パリ原則」において、特に「NGOとの関係を発展させること」が謳われているように、これまで人権という領域で大きな役割を果たしてきたNGOの存在を過小評価することなく、各国の人権機関がNGOとの建設的なパートナーシップ構築をめざしていくなかで、民主性と正当性を帯びた、より望ましい「人権機関」のあり方を模索すべきであると、私は訴えたいのであります。
 NGOを敵視するかのような態度で、政府が対立に終始している状況は、もはや時代の趨勢に反しています。むしろ、互いの役割を認め、生かし合いながら、よい意味での緊張関係をもって共同して人権の拡充に当たる時代を切り開いていくべきでありましょう。また協力を推進するといっても、NGOが単なる"下請け"的な存在とならないよう留意が払われるべきである、と思います。
 また私は、国連人権高等弁務官事務所がこれまで実施してきた、政府公務員を対象とした人権研修を行う技術協力プログラムなどを更に拡充させる形で、各国の「人権機関」の担当者とNGOスタッフに対する研修を定期的に行うことを提案しておきたい。
 この研修制度は、各国担当者やNGOスタッフの恒常的な交流の場となるとともに、国連のめざす理念に対する共通の理解を深め、国連諸機関が進める政策とのタイアップを図っていくうえでの重要な柱となる、と期待されます。
45  地球社会の″共通規範″育む取り組み
 こうした新しい枠組みづくりと並行する形で焦点となってくるのは、人権は特別なものではなく、地球上のどこでも考慮されるべき当然の規範であるとの意識を、人々が日常的に育んでいく――「人権文化の創造」という課題でありましょう。理想と現実とのギャップを埋めるには、地道ではあってもやはりそこに目を向ける以外にない、というのが多くの識者の指摘するところなのであります。
 そのための取り組みは、徐々に始まっており、九三年六月にウィーンで開催された「世界人権会議」などでの討議を経て、「人権教育のための国連の十年」(一九九五―二〇〇四年)が設定されました。また新たに設置をみた国連人権高等弁務官事務所もその目標の一つに掲げるなど、国際社会共通の課題としての認識は高まってきているのであります。
 私どもSGIとしても、こうした動きと連動する形で、人権意識の幅広い啓発をめざし、九三年四月に東京の国連大学本部で「現代世界の人権」展を開催して以来、「世界人権宣言」採択四十五周年を記念する国連行事の一環として行ったジュネーブ展(同年十二月)など、現在まで計七カ国二十一都市で巡回開催してきました。その他にも、「子どもの人権」展などの巡回を行うとともに、「勇気の証言――アンネ・フランクとホロコースト」展開催を支援するなど、さまざまな取り組みを重ねてきたのであります。
46  機運高まる人権活動の拡充
 一方で、人権実現のための共闘の中心軸たるべき国連でも現在、人権を最重要課題として今一度位置づけ直そうとの動きがみられます。
 なかでも昨年(一九九七年)七月、アナン事務総長が発表した報告書「国連の再生――改革に向けたプログラム」のなかで、「人権は、平和と安全保障、経済的繁栄および社会的衡平の促進と不可分の一体をなすもの」とし、「人権プログラムを拡充し、これを国連の活動に幅広く完全に統合することは、国連にとって重大な任務と言える」と言及するなど、国連改革の一つの柱として挙げている点は、注目に値すると私は思います。なぜなら、長らく人権は国連機構のなかでなかば孤立化させられていた感があり、これまで実効性の確保と包括的な取り組みを望む声が多かったからであります。
 まさに国際的な機運は高まっております。その意味でも「世界人権宣言」採択五十周年であり、ウィーンでの世界人権会議から五年後の中間評価を行う年でもある本年を、私たちは未来への新たな挑戦の基点として捉え、行動を開始すべきではないでしょうか。
47  この好機を逃してはならないと、これまで数多くの提案がなされておりますが、なかでも私が注目するのは、シュミット元西ドイツ首相やアリアス元コスタリカ大統領など、世界各国の首脳経験者の有志で構成されている「OBサミット(インターアクション・カウンシル)」が提唱するプランであります。
 同団体は、世界人権宣言を補完し強化し、より良き世界に導く助けとなる「人間の責任に関する世界宣言」を、この記念すべき本年に国連総会で採択すべきと主張しています。
 「すべての人々は、性、人種、社会的地位、政治的見解、言語、年齢、国籍または宗教に関わらず、すべての人々を人道的に遇する責任を負っている」(第一条)に始まる全十九条の案文を貫いているのは、自由と責任との間の均衡、「無関心の自由」から「関わり合う自由」への移行という視点であります。
 私もその主張に共感できる部分が少なくないのですが、ともあれ問題となるのは、いかにしてこうした社会的倫理を現実社会のなかで確立させていくかという点でしょう。
48  誓願――仏法にみる「菩薩」的生き方
 この点、アメリカのクレアモント・マッケナ大学で行った私の講演の終了後、今は亡きライナス・ポーリング博士が講評のなかで、「もし、我々は何をなさねばならないかと問われたら、我々は、人間生命の『ナンバー・ナイン』(十界の九番目)、つまり菩薩界の精神に立って行動するよう努力すべきである」と述べてくださったことが忘れられません。
 ハワイ大学教授のデーヴィッド・チャペル博士も同じく、仏法の説く菩薩的生き方に着目し、「二十一世紀における菩薩の公共的役割」と題する論考(「東洋学術研究」第三十五巻第二号)のなかで、その現代的意義を幅広く論じておりますが、端的にいうならば、菩薩とは、「一切衆生を度しての後に自ら成仏せんと欲する」とあるように、すべての人を幸福にしようという利他の生命、慈悲の境位であると説明できましょう。
49  菩薩の特性はさまざまな角度から論じることができますが、私が「人権」という観点からとりわけ重要なポイントとして指摘したいのは、菩薩が自ら誓いを立て行動しゆくこと――他律的でも外在的でもない、「誓願」という自発能動の内発的な精神に支えられているという点であります。
 「誓願」とは、単なる決意や願望といった次元ではなく、自己の全存在をかけても必ず成し遂げていくとの崇高な誓いの謂であり、いかなる困難があってもその誓いに向かって挑戦を重ねていくのが菩薩道なのです。それはまた、「如蓮華在水」(法華経涌出品)と説かれるがごとく、現実の世界から決して逃げることなく、なおかつ不幸に苦しむ人々を放ってはおかない――率先して"荒波"に飛び込み、苦悩におぼれる人々を一人残らず幸福という"大船"に乗せていく、人間性の極致ともいうべき生き方なのです。
50  仏典には、釈尊と同時代を生きた勝鬘夫人という女性の誓願にまつわるエピソードが説かれております(勝鬘経)。
 「私は、孤独な人、不当に拘禁され自由を奪われている人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、豊かにしていきます」(大正12巻二一七ページ)と。そしてその誓願のままに、利他の実践を生涯貫き、人々の「善性」を薫発していったというのであります。
 私が菩薩論を通し訴えたいのは、人間が人間であることの権利、また義務を守るのは、定められた規範があるからといった"外在的な理由"ではなく、他の人々が人間らしい生活を送ることを脅かされている状態を、同じ人間として見過ごすことはできないという、やむにやまれぬ"内発的な精神"に支えられてこそ、はじめて人権は分かつことのできない普遍的な(=自他ともの)拠り所になっていくのではないか、ということなのです。
51  この点、インドの法学者ウペンドラ・バクシ氏が、「人権にとって最も重要な法源は、その確立のために不撓不屈の戦いを重ねてきた世界の人々の意識の中にこそある。その戦いは、非植民地化と民族自決の推進、人種差別や、ジェンダーに基づく脅迫や差別との戦い、人間にとって最少限度の生活必需品にも困窮する状況の打開、地球環境の劣化と破壊の防止、そして社会的弱者や(先住民族を含む)奪われし人々に対する構造的な『慇懃なる無関心』への挑戦、といった不断の闘争であった」(「人権教育――西暦三〇〇〇年への約束」)と述べておりますが、先の勝鬘夫人の「誓願」と気脈を一にしたその言葉に、私は意を強くするのです。
52  人権を普遍たらしめる「自発能動」の精神
 仏法では「心こそ大切なれ」という簡潔な言葉で「内発性」を促すとともに、釈尊の生涯の目的は「人の振る舞い」にあったとして、人格の錬磨、完成こそ修行の最大の眼目であると位置づけております。それはまた、内発的な人格的価値へと結実しない「規範性」はもろく弱いものであり、両者相まってこそ悪を止める屹立した人格が――真の人権の担い手としての生き方が確立できる、との教えでもあります。
 半世紀以上も前、軍国主義下の日本で、「悪を排斥することと、善を包容することは同一の両面である」(『牧口常三郎全集』9、趣意)「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友にはなり得ぬ」「消極的な善良に甘んぜず、進んで積極的な善行を敢然となし得る気概の勇者でなければならない」(同全集6、趣意)等と強く主張した牧口初代会長が、侵略戦争と人権蹂躙に狂奔する時の軍部権力と真っ向から対決し、相次ぐ弾圧をものともせず、信念を貫き通し獄中で生涯を終えたことに、私は粛然と襟を正すとともに、その殉教の闘争にこそ今日に連なるSGIの人権運動の源流があることを思わずにはいられません。
53  二十三年前、SGIの発足にあたって私は、"自分自身が花を咲かせようという気持ちでなく、全世界に平和の種をまいて尊い一生を送ろう"と呼びかけましたが、それは「他人だけの不幸」がありえないのと同じく「自分だけの幸福」もありえない――他者のなかに自分を見、自分のなかに他者との一体性を感じていく、「小我」を打ち破った「大我」に生きる菩薩道をともに生き抜こうとの、心の底からの叫びでもありました。
 SGIのメンバーが、各国においてよき市民として平和・文化・教育の運動を広げるとともに、日常的生活のなかで一番苦しんでいる人、一番悩んでいる人を決して見過ごすことなく、「この人を励まそう」「あの人の心の痛みを、少しでも和らげてあげたい」と、菩薩の心をもって自ら率先して利他の行動を続けていることは、私の最大の喜びであり、今日要請されている「人権文化の創造」に連なっていく地道なる実践ではないかと、ひそかに自負するものであります。
54  ともあれ、責任や義務といった倫理を根本から支える、菩薩の「誓願」にみられるような、能動的な主体性が深き生命の次元で一人一人の人間に確立されていくならば、真の人権文化は必ずや花開く、というのが私の確信であります。なぜなら、人間の尊厳の危機に対するやむにやまれぬ心こそが、"人権にとって最も重要な法源"に他ならないからであります。
 「人権の普遍性」というテーマは、九三年の世界人権会議でも議論が分かれたように、英知をもって克服すべき課題が残されていますが、私は、菩薩というモデルに託して論じた「誓願」的生き方のように、自ら願ってその規範に生きゆくという人間の振る舞いがそこに相まってこそ、人権は外在的限界を超えて内発化され、現実を変革する真の力へと結実していくと思うのです。
 そうした視座に立って、「普遍性」と「相対性」の対立を止揚しつつ、人権を真に普遍たらしめるための更なる「対話」を推し進めることが、地球上で等しく人権を実施していく上での欠くことのできない要件ではないでしょうか。
55  限界迎える「国家中心」の枠組み
 現行の主権国家を中心とする国際政治体制の礎ともなった「ウェストファリア条約」が締結(一六四八年)をみてから、本年で三百五十年を数えるに至りました。しかし、こうした主権国家を中心とした枠組みだけでは限界があるという認識は、とみに高まっております。
 一例として、ジェノサイド(集団殺害)、戦争犯罪、人道に対する罪などの国際犯罪について、これを裁く常設の司法機関が、その必要性が叫ばれて久しいにもかかわらず、今まで存在しませんでした。
 しかるに、近年の旧ユーゴ紛争などの深刻な反省から、いよいよ本年六月に「国際刑事裁判所」設立のための国際会議がローマで開催される運びになっています。同裁判所は、国際犯罪に関する個人の責任を問う機関であるとともに、国際犯罪の被害者に救済を与える司法機関であり、私も以前より(三年前の「提言」〔『不滅の世紀へ 人間調和の潮流』。本全集第2巻収録〕のなかで論じたように)、「平和の国際法」拡充のための大きな一つの柱として創設を望んでいたものであります。
 人道はもはや一国の問題にとどまるものではなく、広く国際的に取り扱われる事項であると、遅ればせながら体制的にも整備が進みつつあるのです。これも国家という存在を一部相対化する動きであり、だからこそ、同裁判所の設立は国家の側からの反対に長い間あってきたわけであります。
56  ともあれ、主権国家を中心とした世界が次第に超克されていくとき、行動の主体者として一人一人の人間の役割と責任が輪郭鮮やかに浮かび上がってきます。
 一個の人間としてどう能動的、どう創造的に生きるか、地球市民としての責任をいかに自覚していくか、新たな千年に向けて一つの重要なポイントがここにあると言えるでしょう。
 その意味でも、新しい時代を切り開いていくためには、何といってもNGOをはじめとする民衆の英知と力が必要不可欠となってくることは間違いありません。
 近年、そのNGOに結集した民衆自身の意欲的な取り組みによって、人権や人道の分野だけでなく、幅広い意味での「人間の安全保障」という観点から新しい国際社会の潮流が次第に形成されつつあり、その活動はこれまで国家の専権事項であった軍備・安全保障の分野にも及ぶなど、数々の具体的な成果を勝ち取るにまで至っています。
 なかでも、九六年七月の国際司法裁判所(ICJ)における核兵器審理を実現に導いた「世界法廷プロジェクト」の活動に続く形で、昨年九月には、私もかねてより提唱していた対人地雷全面禁止条約が、「地雷禁止国際キャンペーン」などによって主導され、最後までその活動に支えられる形で締結をみたことは、世界の人々に大いなる希望と自信を与えるものでした。
57  私はそこで、対人地雷禁止に続く次の課題として、冷戦後の世界において地域紛争の多発に拍車をかける要因となっている、自動小銃や、小口径砲など氾濫する小火器の削減と今後の拡散予防のための国際的な枠組みを、オタワ・プロセスの方式を大いに参考にしながら確立していくべきだと訴えたい。
 大量破壊兵器の規制とともに、現実に紛争のなかで人々の命を奪い、傷つけ、恐怖を与えている兵器を規制していかない限り、「平和の制度化」の実現はおぼつかないからであります。
 問題解決を国家だけに委ねるのではなく、全人類の生存と人間の尊厳にかかわる問題として、一人一人の民衆が主体的な行動を起こしていくべきであると、私は常々訴えてきました。近年のこうした運動の高まりは、その確かな萌芽ともいえましょう。
 現在、私ども創価学会としても、こうした思いに立った青年部が中心となって、「核時代平和財団」などのNGOが推進する核廃絶キャンペーン「アボリション二○○○」を支援し、署名運動等を展開しております。
 ICJの勧告的意見で特に一項目が設けられ、核保有国は、核軍縮につながるあらゆる交渉を誠実に行い、完了させる義務がある(2項F)との見解が全員一致で示されたにもかかわらず、九六年九月の「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の締結以降、とりたてて進展がみられないことはあまりにも許し難い状況といわざるをえません。
 核兵器の開発・保有・使用禁止を定めた「核兵器全廃条約」の制定作業に核保有国がすみやかに取り組むよう、国際世論のうねりを更に高めていかねばならないのです。
 「アボリション二〇〇〇」キャンペーンとは、いわば、このICJ勧告的意見を実現させた「世界法廷プロジェクト」を、核廃絶を現実のものとするための運動体として大きく発展させたものであり、すべての核保有国に対し二〇〇〇年までという期限を定めて全廃条約の締結を求める運動なのです。
 私自身、少なくとも今世紀に起こった核兵器という人類最大の課題は今世紀中に決着へのメドをつけなければならない、と考えてきました。だからこそ、この運動がめざすように、二十世紀の終わりとともに「核時代を終わらせる」強い決意を、すべての核保有国が世界に示すべきであると強く訴えたいのです。
 こうした核の問題に限らず、人間が真に人間らしく生きることのできる社会を築き上げるには、民衆が主体的に力を発揮しなければならない――新たな「民衆社会(シビル・ソサエティー)」を築いていく以外にない、というのが私の結論であります。
58  勇気と英知の力強い連帯の波を
 そこで私は、二〇〇一年という「第三の千年」の開幕に向けて、次のようなタイム・スケジュールに沿った形で、民衆の民衆による民衆のための地球文明創出への先鞭をつける挑戦を開始してはどうか、と提案したい。
 まず、本年(一九九八年)には、ジュネーブで開催される「世界NGO会議」(明年を予定)に向けての準備会合がニューヨークで行われますが、こうした討議などを通じて、私が昨年の提言(「『地球文明』への新たなる地平」本巻六八ページ)で提案した「グローバル・フォーラム」のような、国連総会にリンクした形でのNGOによるフォーラムの常設化を実現する手だてを検討するよう、強く働きかけていくことであります。
 そして明九九年には、「第三回ハーグ平和会議」が開催される運びとなっていますが、そこでNGOを含めた幅広い討議を行い、「戦争のない世界」への行動計画を採択していく。
 この会議は、一八九九年に平和秩序の樹立をめざして開催された「第一回ハーグ平和会議」百周年の意義も込めて行われるもので、私がかねてより主張していた「世界不戦会議」の構想にも通じるものであります。ここでは、人間主権に立脚する「世界不戦宣言」を決議することをめざし、次なる段階、「世界不戦規約」への道を開く会議としていってはどうか。
 そして明後二〇〇〇年には、前述したアナン事務総長の国連改革案にあるように、国連で開催される「千年期特別総会」の並行的行事として、NGOなど地球市民の代表が一堂に集う「民衆による千年期総会」を開催していくことであります。また、この民衆総会の開催にあたっては、欧州連合(EU)が確立をめざしている「自由、安全、正義の領域」にならって、人間の自由な移動を保障する――たとえば、ビザなしの参加ができるような試みを検討してはどうか、と提案したい。
59  このように、九八年、九九年、二〇〇〇年と、三年間にわたって意欲的で大胆な試みを重ねていけば、新たな「民衆社会」を建設する糸口が必ずやつかめるに違いない、と私は考えるものです。
 先に論じたように、昨年、国際社会で大きな焦点となったのが地球環境問題でしたが、NGOが中心となって昨年三月にブラジルで開催された「リオプラス5・フォーラム」では、「フロム・アジェンダ・トゥ・アクション(計画から行動へ)」をテーマに掲げるとともに、「Someone should(誰かがなすべき)はやめよう」との合言葉で、主体的な議論が交わされたといいます。
 私もまったく同感であります。核兵器も戦争もない、生命の尊厳に立脚した、多様性の花咲く希望の「第三の千年」を築く主導権はあくまで民衆一人一人にあるとの意志を、私たちは決して手放してはならないのです。
60  第二次世界大戦がまさに始まろうという暗雲立ちこめる時代(一九三八年)にあって、「誰かがなすべきである」との言葉は、「問題はそれほど単純ではない」と一対をなす、現状追認しか生まない精神の貧困さに起因する"二つの慣用語"であると、厳しく指弾したのは、戯曲『ロボット』などで有名なチェコの作家カレル・チャペックでありました。
 彼は、人々に訴えました。
 「誰かが溺れているときに、『誰かが水に飛び込んで彼を救うべきである』という理性的意見だけでは足りません。歴史は『誰かが何かをなすべきである』と提案する人よりも、むしろ『何かをしている人』を必要とするのです」
 「過去一千年間に起こった有益な、あるいは重要な事件のほとんどすべては、それほど単純ではなかったのです。もし人間が問題を『それらが単純でない』からというただそれだけの理由で実行不可能と断定するなら、この世には人間の営為の贈り物といわれるものはほとんど存在しなかったことでしょう」(『カレル・チャペックの闘争』田才益夫訳編、社会思想社)と。
 チャペックのこの警告は、現代を生きる私たちにとっても他人事ではありません。まさに、私たちにとって唯一必要なのは、挑戦への「勇気」と現実の「行動」なのであります。
 悪夢のような二十世紀の数々の悲劇を繰り返さないために、現実と格闘しながら堅実なる歩みを進めることによって、なにがしかの「人間の営為の贈り物」を後世の人々に伝え残していくことが、私たちに共通の責務なのであります。
61  さあ、歴史創造の主役は私たち一人一人であるとの強き確信と、あらゆる難関をも恐れない楽観主義をもって、未来への行動を開始しようではありませんか。私どもSGIも、仏法を基調とした平和・文化・教育運動の更なる推進を通じ、世界の善なる人々の連帯の輪を力強く大きく広げてまいりたい。
 トインビー博士が「時間の遠近法」をもって描いたように、後世の歴史家が、"二十世紀末のあの時代こそ、人類史を変革させた大いなるターニング・ポイント(分岐点)であった。民衆が敢然と立ち上がったあの時代こそ、今日の地球文明の方向性を決定づけた瞬間であった"と、必ずや現代を思い返し、語るであろうことを強く確信しながら――。

1
1