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日蓮大聖人・池田大作

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第21回「SGIの日」記念提言 第三の千年へ 世界市民の挑戦

1996.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

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1  「戦後50年」という時代の大きな節目に当たった昨年の1995年という年は、さまざまな意味で私たちに「20世紀」の総括を迫るまたとない機会となりました。冷戦終結から6年余りの歳月がたち、「過去」を冷静に見つめることのできる環境が整ってきたこともあって、近年、歴史家や学者などの間でこうした作業が進められてきております。
 すでに幾つかの著作が世に問われていますが、それらに共通して見られる認識は、冷戦後に噴出した諸問題を精査していくと、その考察は「20世紀」という時代そのものにまで行き着かざるをえないという点にあるといえます。イギリスの歴史家E・ホブズボーム氏が94年に発表した大著『極端の時代』などは、その一つに数えられましょう。これまで19世紀の歴史を3部作(『革命の時代』『資本の時代』『帝国の時代』)にまとめあげたこともある氏によれば、フランス革命の始まった1789年から1914年にまたがる「長い19世紀」は、物質的、知的、精神的レベルでほぼ絶え間ない進歩を成し遂げた時代だったが、その後に続いたのは第1次世界大戦の勃発で始まり1991年のソ連崩壊で幕を閉じる「短い20世紀」であったといいます。 氏はそのうえで、この「短い20世紀」の特徴を、あらゆる領域でそれまで当然のこととされてきた基準が後退し、生産と破壊の全面で「極端」への傾向が高じた点にある、と分析したのでした。(『20世紀の歴史』河合秀和訳、三省堂。引用・参照)
2  確かに私たち人類は、19世紀とは比較にならないほどに量的にも質的にも「極端化」した形で――2度にわたる世界大戦は申すまでもなく、ナチスによるホロコーストや旧ソ連でのラーゲリ(収容所)、パレスチナなどでの大量難民やカンボジアにおける大虐殺など――絶えず悲劇が繰り返されてきた20世紀の歴史を目の当たりにしてきたといえます。
 私もこれまで数回にわたり、「戦争と暴力の世紀」であった20世紀を乗り越えるための方途を「提言」の中で論じてきましたが、真に問題とすべきはその悲惨さが身にしみているにもかかわらず、流転の歴史から一向に脱却できないでいる、人間の"愚かさ"なのではないでしょうか。
 M・ゴルバチョフ氏(元ソ連大統領)も、私との間で現在進めている対談集の中で、「すでに手遅れとなって、はじめて、人々は耳を傾ける気になるのが常であるという事実こそが、今世紀の悲劇である」(『二十世紀の精神の教訓』。本全集第105巻収録)と指摘されましたが、「極端化」の加速が止まらない以上、もはや人類がそうした"愚行"を繰り返す余地は残されていないのであります。冷戦後もなお、ルワンダや旧ユーゴスラビアなどで目を覆うばかりの惨劇が繰り返される現実を前にするとき、単に一人の人間として心を痛めるだけでなく、まさに人間の"業"ともいうべきテーマを正面から掘り下げていくことなくして、"非人間性"に彩られた悪夢のような「20世紀」を克服するすべはないと、私は痛感するのです。
3  「分断」のエネルギー止める道を
 来るべき21世紀、「第三の千年」の人類史を、これまでと同様に暴力と流血で染めてはならないし、非人間的な行為を正当化させる"狂信"を跋扈させてはならない、と私は強く訴えたい。こうした「悲劇」が繰り返されるたびに人類が贖ってきた代償は、あまりにも大きかった。その苦々しい"20世紀の精神の教訓"を無にすることなく、今再び猛威を奮っている「分断」のエネルギーを克服し、環境や貧困といった山積する「地球的問題群」に向けての"人類共闘"の足場を築き上げていくことこそ、21世紀までの残りわずかの間に、私たち人類が取り組むべき最優先の課題ではないでしょうか。
 この"人類共闘"という難題を前にする時、私の脳裏には故A・ペッチェイ博士(「ローマクラブ」創設者)が対談集『二十一世紀への警鐘』(本全集第4巻収録)で、"責任と慈愛をもって、次の世代に「生きる道」を準備してあげなければならない"と呼びかけた言葉が思い起こされます。
4  いずれの地球的問題群もその解決には長い年月と多くの労力を必要とするだけに、"共闘"を支える人々の深い精神性なくして「挑戦」を継続させることはできません。私はその原動力となるものこそ、まさしく博士が訴えたところの"未来への責任感"ではないかと考えます。私たちはこれからの世代や未来の生命全般に対し負っている責務について視野を広げながら、道を過たぬよう行動をとらねばならないのであります。
 「地球」が病んでいるといっても、本当の問題は「人間」が病んでいることにある――そう結論した私と博士は、そこで要請されるものこそ「人間革命」にほかならないとの合意をみたのでありました。博士は、「人間革命のみが、われわれの内なる潜在力を開発させ、自身が本来はいかなる存在であるのかを十分に自覚させ、それにふさわしい行動をとらせることができる」と強調されましたが、この言葉はまさしく、私どもSGI(創価学会インターナショナル)が世界へ広げてきた「人間革命」運動の一大目的を言い表したものといってよいでしょう。
5  かつて私は"人類共闘"への思いを込めて、89年に国連本部でSGIが開催した「戦争と平和展」に対し、「座して地球の危機を看過するのではなく、志を同じくする人々が連帯の輪を広げ、私たちが生きている時代に、人間の『勇気』と『英知』はなにものにも屈伏しないことを示したい。それが私どもが、次の世代に贈ることのできる最高の『財産』ではないか」(本全集第52巻)とのメッセージを寄せたことがあります。
 これまでSGIは国連NGO(非政府組織)として、地球的問題群に対する意識啓発を目的とする展示活動(「核兵器――現代世界の脅威」展、「戦争と平和展」、「環境と開発展」)や、国連の進める「人権キャンペーン」の趣旨に賛同して行った「現代世界の人権」展、また「子どもの人権展」や「アンネ・フランクとホロコースト」展などの一連の人権展示を行ってまいりました。加えて、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)による難民救援を支援するさまざまな人道的活動を各地で展開してきたのも、未来への責任感――いわば「人間」としての"やむにやまれぬ思い"に駆られてのものにほかなりません。
6  私どもSGIは、こうした国連支援を軸とする平和活動にとどまらず、「宗教者の社会的使命」を果たすべく、文化・教育の次元においても幅広く活動してきました。私どもがめざしているのは、真の意味での「人間主義」や「人間のための宗教」を追求することを通じて、人類が抱える難問克服へ向けて果敢に行動していくことであります。
 このところ世界的に宗教に対する問い直し現象が顕著になっております。世紀末にあって、人々の心にある種の不安が高まっているということもありましょう。総じて、現代の危機の根本が人間の心の中にこそある、という認識が広まっていることの証左といってよいと思います。こうした人々の不安、根本的要請に宗教はどう応えうるのか。現代社会における「生きた宗教」の役割とは何か。世界宗教の条件とは何か――。あらゆる宗教が、こうした問い掛けに真摯に応えていかねばなりません。
7  このような時代の大状況を踏まえ、昨年、私どもはSGI発足20周年を記念して、「SGI憲章」を制定いたしました。この憲章は、これまでSGIが「基本路線」として掲げてきたものをベースとしつつ、改めて、基本理念と今後の行動規範を明文化したものであります。
 その根本精神は、「前文」における次の一文に象徴されております。
 「日蓮大聖人の仏法は、人間生命の限りなき尊厳性を説き、全ての人を包容する慈悲といかなる困難をも克服する智慧をもたらす法である。そして、この智慧は人間精神の創造性を拓き、人類社会の直面するいかなる危機をも克服し、平和で豊かな共生の人類社会を実現できることを説く、『人間主義』の法である。
 我らSGIは、この『人間主義』に基づく『世界市民の理念』『寛容の精神』『人権の尊重』を高く掲げ、非暴力と対話により、こうした人類的課題に挑み、人類社会に貢献することを深く決意」(「聖教新聞」一九九五年一月二十四日付)する――と。
8  この「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」の三つの柱こそ、私どもが世界宗教に不可欠の条件と考えるものにほかなりません。同時に、SGI憲章では全十項目にわたる「目的及び原則」を掲げ、今後の行動規範を確認するものとなっております。
 なかでも「SGIは『世界市民の理念』に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る」(二項)や、「SGIは『信教の自由』を尊重し、これを守り抜く」(三項)、そして「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」(七項)の3方針はまた、あらゆる「人間の尊厳」を脅かすものに対する"人類共闘"を築いていくうえでの欠くことのできない要件と考えるものなのであります。
9  「SGI憲章」の根幹をなす理念
 かつて私は今を去ること二十二年前、「宗教者の社会的使命」とは何かを模索していくなかで、こうした方向性を見据えながら次のように論じたことがあります。(一九七三年十二月十六日、第三十六回本部幹部会)
 「私は、これまでも生命の尊厳と人間精神の自由を守り抜くのが仏法であり、私どもの使命であることを、機会あるごとに訴えてまいりました。だが、再び高まりゆくこのような危機の時代に立ち向かうにあたって、私は、もう一歩視点を進めて『生命の尊厳』と『人間の精神的自由』『真実の民主主義』をどこまでも堅持していくべきことを、私どもの信念として確認しておきたい」
10  私どもの信教の自由を守り抜くことは当然として、さらにたとえ私どもと異なった思想、意見をもった人々であったとしても、もしその人たちが暴虐なる権力によってその権利を奪われ、抑圧されそうな時代に立ち至ったときには『人間の尊厳の危機』を憂えて、断固、それらの人々を擁護しゆくことを決意しなければならないということであります。たとえば、他宗教の人であれ、また宗教否定の思想をもつ人であったとしても、これらの人を守りたい。これこそが人間の尊厳を謳いあげた仏法がもっている理念の帰着であるからであります」――と。
 この講演で私が強調したかった点は、「人間の尊厳の危機」にはあらゆる立場や宗派を超えて共闘していくことの必要性でありますが、私どもの信奉する日蓮大聖人の仏法の核心はこうした「人間の連帯」「人間性の連帯」にあるといっても過言ではないのです。
11  日蓮大聖人の仏法は、その教義の厳格性ゆえに、歴史的にしばしば"排他的""独善的"といった位置づけをなされてきました。しかし、それは極めて偏った一面的な見方であり、教義の厳格性は、同時に「涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」との御文にみられるように、民衆の苦しみや悲しみへの溢れんばかりの共感、同情――今様にいうならば人権は普遍的なものであるという思想に裏付けられていたことを忘れてはなりません。ゆえに、人間であることの根底が脅かされるような「人間の尊厳の危機」に際しては、宗派を超えて共闘していくことは当然の帰結となるのです。
 二十二年前、私はそのことをはっきりと打ち出したつもりであります。また、その後の私どもが行ってきたさまざまな平和運動は、そうした精神を具体的に顕現したものであります。
12  ただ、その間、私どもは、聖職者のかりそめの権威で信徒を見下す宗門(日顕宗)という極めて頑迷固陋な勢力――ベートーヴェンの"第九交響曲"を歌うことすら教義に違背するなどという考えられないほど愚かなことをいいつのる守旧勢力――というしがらみを引きずり続けていました。それが、思い切った宗派間の対話や共闘に踏み切れなかった、いつわらざる実情であったのであります。
 幸いここ数年、私どもが進めてきた"平成の宗教改革"を通じて、創価学会は今は宗門と訣別し、旧態依然たるしがらみやくびきを断ち切ることができました。
 したがって、今後は日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、また二十一世紀を拓きゆく世界宗教をめざして、開かれた対話運動を活発に繰り広げていきたいと思います。今般の「SGI憲章」の制定も、そうした流れを踏まえてのものであることを強調しておきたいのであります。
13  この基本精神に立って、SGIは今後も、仏法を基調とした平和・文化・教育の推進という「開かれた行動」によって、世界に「新たな人間主義」に基づいた連帯の輪を広げてまいりたい。いまや、世界における"非人間性"の克服をめざして、人類が希望の選択と決然たる行動をすべき時が来ているのであります。
 こうした認識に立脚して時代の要請に応えていくために制定されたのが「SGI憲章」なのであります。
 その意義を込めて、今回はこの「SGI憲章」の根幹をなしている「人間主義」に基づく三つの理念、すなわち「世界市民の理念」、「寛容の精神」、「人権の尊重」を軸に、現代の国際社会が抱える諸問題について論じておきたい。
  国連が本年を「貧困撲滅のための国際年」と定め、明97年からは「第一次貧困撲滅の10年」をスタートさせる方向にあるように、国際社会は今、古くて新しい「貧困」という問題に、全力で取り組む動きをみせております。昨年3月には、この問題を主たるテーマに「社会開発サミット」も開催されました。
 国連のガリ事務総長は、九四年五月に発表した『開発への課題』の中で、さまざまな紛争の根源が地球上に存在する十億人を超える絶対的貧困層にあることを指摘しました。(An Agenda for Development Report of the Secretary-General)
 こうした最低限の栄養や生活必需品(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)さえも得られない「絶対的貧困層」の数は、世界銀行の昨年の報告『開発の社会指標』によれば、十一億人にも及ぶといわれています。現在の世界人口が約五十八億人といわれるだけに、少なくとも地球上の六人に一人の人が極度の貧困状態におかれていることになるのです。
14  この絶対数の多さもさることながら、問題はその数が絶えず増え続けていることにあります。世銀は、このまま事態を放置するならば西暦二〇〇〇年には十三億人にまで達するとの見通しを明らかにしています。
 加えて、WHO(世界保健機関)も昨年の年次報告書の中で、"最も恐ろしい病気は貧困である"と強調し、世界の子供たちの三分の一が栄養不良に陥っている事態に警告を発しております。
 先に私が貧困の問題を"古くて新しい"と形容したように、それぞれの国においても、また国連やその関連機関でも、全く取り組みがなされてこなかったわけではありません。ただし、その取り組みが十分に実ることなく、解決が遅々として進まないまま現在に至ってしまったのであります。そして冷戦後の現在、貧困が対立を助長させ、その対立から起こる紛争がさらに貧困を深刻化させる"悪循環"が、ソマリアやルワンダなど各地でみられました。
 国際赤十字社・赤新月社連盟の昨年の報告によれば、世界各地で五十六件の武力紛争が発生し、これまでに千六百万人が難民となり、約二千六百万人が国内で避難民の状態に置かれているといいます。世界の一%近い人々が、その住処を追われ、生命・自由・財産を脅かされている状況にあるのです。
15  その一方で、先進諸国の間では、世界的な景気停滞の影響もあり、残念ながら途上国に対する「援助疲れ」が顕在化してきております。
 事実、先進諸国によるODA(政府開発援助)をこれまで調整してきたOECD(経済協力開発機構)の開発援助委員会では、昨年(一九九五年)五月に、対象とする国・地域を、今後徐々に削減させていく方針も打ち出されました。こうした現状は、「システムなきシステム」による行き詰まりにほかならないと指摘する学者もおりますが、恣意的な影響を排しにくい二国間援助を軸とするアプローチから比重を移し、新しいコンセプトに基づく国際的な枠組みを確立しない限りは、事態の悪化を止めることは難しいといえましょう。世界人権宣言に謳われた「恐怖及び欠乏のない世界の到来が人々の最高の願望」という精神を実現させていくためにも、国際社会は法的にも組織的にも実効的な対策を真剣に探る必要があります。
16  やはり私は、この新しいコンセプトの核心をなすものは、「国」よりもまず第1に「人間」そのものを守る――「ヒューマン・セキュリティー(人間のための安全保障)」の概念でなければならないと考えます。
 故トインビー博士も私との対談の中で、援助が正しい長期的目標を志向したものであるかどうかをみる決め手は、「その物質的援助が精神的援助につながるよう設計されているかどうか」(『二十一世紀への対話』。本全集第3巻収録)であると指摘されておりました。この博士の言葉に照らしても、これまでの援助は一国の経済をいかに発展させるかというマクロ的な目標に主眼がおかれるきらいがあった。その意味から言えば、貧困に苦しむ人間そのものに焦点を当てていない、また教育や保健衛生といった「人間開発」の優先分野に焦点を合わせていない、現在の援助の在り方を改めることが先決になろうと思われます。
17  なぜなら、人々が最低限の必要を満たし、生計のための機会を与えられるならば、自身の能力を開発し、その発現を通して社会に参加していく流れができてくるからです。人々に「自立」を促す「人間開発」がひとたび軌道に乗るならば、その社会や国家は次第に安定していくはずであります。いわゆる"参加型の開発"への発想の転換が必要となっているのです。
 「開発」という言葉は功利的な色彩の強いものでありますが、「人間開発」という概念にはより広義で"意欲"的な意味が込められているのであり、人間の無限の力を引き出すことに最大の眼目がおかれたものなのであります。一人一人に具わる「内発の力」という、この"再生も拡大も可能"な資源を十分に「開発」する環境づくりを、国連が軸となって推し進めていくことが、紛争を未然に防止し、あまりにも悲惨な"悪循環"を断つことにつながるはずです。
18  「人類益」に立った世界市民の連帯を
 私は、この「貧困撲滅」という困難な課題に人類が正面から取り組むことが、「地球社会」の歪みをなくしていくことへの第一歩になると確信しています。
 その礎となる「新たな倫理観」もすでに模索が始まっております。
 新たな世界づくりのための指針を打ち出すために組織化された「グローバル・ガバナンス委員会」(二十六人の世界的識者による"賢人会議")は、昨年一月に、報告書『Our Global Neighbourhood』(邦訳は『地球リーダーシップ』〔京都フォーラム監訳・編集、日本放送出版協会〕)を世界に発表しましたが、この中核をなすビジョンは、「地球市民としての倫理観の確立」であり、「シビル・ソサエティー(民衆社会)」の地球的規模での実現となっているのです。
 昨年、SGIの平和研究機関である「ボストン二十一世紀センター」は、三回にわたって「国連ルネサンス会議」を行いました。そこでは、二十一世紀を希望ある未来とするためには思想、制度の根本的な変革に目覚めて立ち上がる"世界市民の連帯"が不可欠であることが論じられました。そのうえで真の社会の変革のためには、まず、明快なビジョンが示される必要があり、国連をはじめ、世界的な機構や制度の変革への行動は、人間一人一人の心の変革から始まる、という視点が浮き彫りにされたのであります。
19  時代の焦点はまさに、地球的規模で広がる深刻な「人間の尊厳性の危機」に反応する"想像力"と、これに立ち向かう"勇気"をあわせもった「世界市民」をいかに輩出していくかにあるといってよい。この喫緊の課題に思いをはせる時、私の頭に浮かんでくるのは哲学者ヤスパースの言葉であります。
 以前、私は、ヤスパースが名付けた「枢軸時代」という歴史の枠組みに着目して、現代ほど「人類的自覚に立った個」が要請されている時代はないと論じたことがあります。(「平和の鼓動 文化の虹」。本全集第1巻収録)
 ヤスパースの真骨頂は、やはり、「現実の世界にあって人びととともに生きることなしには、すなわち何事かを行なうことなしには、本当に哲学することはできない」(『哲学への道』、草薙正夫訳、以文社)との信条のままに、変わらざる鋭さと関心の広さをもって時代に積極的に関与し、問題の本質を徹底的に追究していった姿勢にあるでしょう。ナチスの政権掌握の直前には『現代の人間』を、その崩壊の直後には『ドイツ人の罪の問題』を、また現代を論じた『原子爆弾と人間の未来』を著すなど、ヤスパースはその時代時代の問題を論じた著作を世に問い続けました。そんな彼の生き方は、弟子のH・アレントが尊敬の念を込めて、「ヤスパースは、少なくとも一九三三年以降のすべての著作において、つねに全人類の前で自分自身に責任を負っているかのように書いてきました」(『暗い時代の人々』、阿部斉訳、河出書房新社)と評するほどであります。
20  ヤスパースは、かりそめの平和のなかで安閑としている人類に対して、「われわれは、われわれに許された僅かな瞬間において、現存在の幸福を享受することを許されている。けれども、これは土壇場の猶予である」と強調したうえで、次のような警句を残しております。「人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか――それとも、本来的人間への自己変化によって、また予見されえない本来的人間への機会によって、飛躍をなしとげるか、いずれかを選ばなければならない」(『哲学の学校』松浪信三郎訳、河出書房新社)――と。
 彼のいうように、「土壇場の猶予」はあくまで猶予に過ぎない以上、人類はその取り巻く厳しい現実から目を背けてばかりはいられないのです。「世界市民」といっても、決して遠い世界の住人のことではありません。ヤスパースのいう「本来的人間」への自己変革を成し遂げることがそのまま、「世界市民」への確かな一歩となると、私は考えます。
21  現実の諸問題に悩み苦しむ人々や、自らの尊厳が脅かされても為す術をもたない人間に対して、無関心でいられるような荒廃した精神、また生命感覚であったならば、どうして人類の未来など論ずることができるでしょうか。「世界市民」にとって必須とされる「人類益」への発想の転換といっても、日々の実生活のさまざまな経験を通して人間の精神が陶冶されていかない限りは、時代の方向性を決定づける力には、到底なりえないのです。私どもSGIが現在、「人間革命」運動を通して挑戦している課題も、まさにこの一点にあるのです。
 いうなれば、無限の「内発の力」に目覚めた民衆一人一人が、自己の責任において"人類益"のために行動することを促す運動なのであります。迂遠のように見えるかもしれませんが、内なる変革を第一義とする「人間革命」運動こそ「地球革命」を実現させゆく王道にほかならない、と私は確信しております。
22  「対立」超える寛容の精神
 貧困に象徴される「冷たい平和」の進行を止める課題とともに、現在、国際社会において大きな焦点となっているのが、「内戦の時代」と称されるように、世界各地で今なお続いている紛争や対立を、いかに解消し、安定した和平を実現させていくかというテーマでありましょう。
 昨年(一九九五年)の「国連寛容年」は、対立の根にある人種や民族間、そして宗教間の「不寛容」に対する認識を高める契機となったにもかかわらず、この問題の根深さをいっそう痛切に感じさせる、まことに残念な事件が起こってしまいました。十一月に、中東和平実現の立役者の一人であった、イスラエルのラビン首相が暗殺された事件であります。そのうえ、その暗殺犯がパレスチナとの和平に反対していたユダヤ教過激派に属するイスラエル人学生であったという事実は、私たちの気持ちを暗澹たるものにさせました。私は、「和解の時代」到来の象徴として、中東和平のプロセスが着実に進んでいることを、長年その実現に関心をもち続け、和平への両者の歩み寄りを呼びかけてきた一人として歓迎していただけに、その衝撃は大きなものがありました。また、三年半余りにわたって多くの犠牲者と惨劇を生み出してきた紛争を経て、昨年末にようやく一つの出口にたどりついた「ボスニア和平」の行方も、いまだ予断を許さぬ状況であることには変わりはありません。
23  思うに、国際世論の相次ぐ非難にもかかわらず紛争を膠着化させていたのは、民族的差異や宗教的差異を安易に絶対化してしまい、すべての問題を軽率に「民族」や「宗教」といった対立に集約させてしまう誤りに起因するものといえましょう。その他、旧ソ連地域において不気味に"地鳴り"を続けている民族問題の存在などを考えると、"ポスト冷戦""ポスト・ヤルタ"の世界史が、狂信や非寛容が猖獗をきわめる、明らかな退行現象を呈していることは、まことに残念でなりません。
 半世紀も前にE・H・カーがその著『ナショナリズムの発展』の中で、もはや時代遅れとなると予見したはずの「古い分裂繁殖的ナショナリズム」(大窪愿二訳、みすず書房)が、冷戦終結とともに息を吹き返し、民族や集団をつき動かす力となっている現実があるのです。これを前にするとき、私は、国連憲章や国際人権規約において保障されている「民族自決権」について、それを第一義的なものと考えてよいか、再検討する必要があるのではないかと思えてなりません。いくら「民族自決権」が国際法上、さまざまな形で認められているからといっても、その無制限な適用が許されるのかという問題は、依然残されているのではないでしょうか。
24  もちろん私は「民族自決権」の重要性を否定するものではありませんが、その実現なくして「平和」も「自由」もないというのなら、いまだ民族国家を形成していない大半の国々は、永遠にその"果実"を得られないことになってしまいます。もっとも、「民族国家」とされる国々でもこうした諸価値が実現されているのかどうかは、一概に結論づけられないのも事実であります。私はむしろ「民族自決」というものを絶対視するのではなく、「民族自決」が人々にもたらすはずの"果実"を現実に阻んでいる要因とは何か、まず冷静に見つめる必要があるのではないかと訴えたい。換言すれば、民族の"実体"よりもその"言葉"が先行している状況について徹底的に検証すべきであり、真の「人間の利益」とは一体何なのか、一切の虚飾を取り去ったうえで見極める姿勢を、私たちは決して見失ってはならないと思うのです。
25  私は、そうした"果実"をもたらすものこそ「寛容の精神」にほかならないと考えるのであります。そして、これを"証明"するかの如く挑戦を重ねている存在こそ、マンデラ大統領率いる新生・南アフリカ共和国といえるでしょう。その挑戦は大統領自ら述べている通り、「大多数の人々が希望を見失って生きてきた国」を、「だれもが人間として尊厳に満ちて働き、自尊心をもち、未来に自信をもって生きていける国」へと変革させるという、壮大なる試みなのであります。(Nelson Mandela's address to the people of Cape Town on his inauguration as State President)
 さまざまな人種や民族や文化が"七色の虹"のように、各々の個性を生かしながら調和しあう――「虹の国」の実現をめざして、新生南アの挑戦が始まり一年半余がたちます。長年の悪弊の影響から脱するには、いまだ多くの課題は残すものの、「人種融和」の社会建設は着実に前進しているといえるでしょう。
 事実、一九六七年以降一貫して「アパルトヘイト(人種隔離)問題」を議題に取り上げてきた国連人権委員会は、昨年二月には"南アフリカのアパルトヘイト時代は終了した"と宣言し、すべての議題から削除することを決議しております。また、「民主化」への取り組みが評価され、OAU(アフリカ統一機構)への再加盟が実現するなど、国際社会への復帰を次々と果たしているのであります。
26  南アフリカの挑戦――「敗者」をつくらない社会の実現
 私はマンデラ大統領とは二度、またデクラーク副大統領とは一度、お会いする機会をもちましたが、両氏との対話を通じて、アパルトヘイト撤廃のうえで核となった理念は「憎しみや不信感の克服」とともに「対話の精神」であったと強く感じました。まさに、相手の立場にどこまでも理解を示しながら「開かれた対話」を重ねていくことこそ、暴力的なカオスへの傾斜を防ぎ止め、「寛容」という人間性を輝かせていく最大のポイントになると考えます。
 九二年六月、デクラーク氏(当時、大統領)は、そのアパルトヘイト撤廃にかける思いを、私にこう述べておられました。「私たちの願いは、"利害"による対立や、"脅威"を伴う人間関係ではなく、皆が『勝者』と『勝者』である社会を築くことです。『勝者』と『敗者』をつくるのではなく」(「聖教新聞」一九九二年六月五日付)――と。
 この"敗者を生み出さない"という視点こそ、「内戦の時代」を克服していくために欠かせないものではないでしょうか。なぜなら「敗者」が一部でも存在する限り、社会の真の安定は望むことはできず、また次なる紛争の芽を完全につむことはできないからであります。私は、過去の傷をいやし、未来を志向した"皆が勝者"である国づくりをめざすためには、やはり「教育」による以外にないと思います。
27  マンデラ大統領との対話のなかでも、常に焦点となったのはこの「教育」の問題でありました。民族や人種などの"集団"に基づいた価値だけに縛られることなく、「人間」という"心の窓"を常に開けておくための「寛容の精神」を人々に育むには、一見遠回りにみえようと、「教育」こそがその直道であると私は確信しています。
 なかば人間の無意識層に根差している民族意識を、粘り強い「教育」を通じて陶冶し、より開放的にして普遍的な人類意識へと鍛え上げていくことが肝要なのです。
 マンデラ大統領も就任以来、国家的事業として、特に「教育政策」に力を注いでおられますが、SGIもその取り組みを支援したいとの思いで、昨年(一九九五年)、アメリカ青年部が中心となり「ブックス・フォー・アフリカ(アフリカへの図書贈呈運動)」を実施し、南アフリカの大学や教育機関に1万冊の書籍を贈呈いたしました。また、これは南アの支援には限らないものですが、日本においても青年部が中心となって、ユネスコ(国連教育科学文化機関)がアジア・アフリカ地域で行っている識字率向上のプロジェクトを支援しております。
28  ささやかな運動ではありますが、南アがめざす「虹の国」建設を成功させていくことが、他のアフリカ諸国に、ひいては"民族分断"に苦しむ世界の国々に希望をもたらすに違いないとの思いが結実したものであります。
 私自身、「寛容の精神」を掲げ挑戦を続ける南アの中に、時代が要請する「共生の哲学」の可能性が秘められていると信じており、この"人類未到の挑戦"に対して、国際社会は支援を惜しむべきではないと考えます。
 この南アの挑戦をみるにつけ、私はやはり、人々に幸福をもたらす源泉は民族や人種間の"融和"に求められるものであり、決して"分断"からは生まれないと痛感します。人々が「アイデンティティー」の空白という"心の不安"を感じて、集団に対する帰属意識を強めていく傾向が多くみられるのは、自然の流れかもしれません。
29  ただ私は、もう一面ではこの「民族意識」というものは、近代の歴史を通じてなかば意図的につくられてきた"虚構"にすぎないのではないか、という思いをますます深くするのであります。
 鋭敏な感受性をもって<永遠なるもの>を直感的に把握する力と、<人間存在>に対する透徹した眼差しをあわせもっていた、インドの詩聖タゴールは、"人類史のアポリア(難問)"ともいえるこの問題の本質を、大著『人間の宗教』の中で見事に言い当てております。
 「どの時代の偉大な予言者たちも、普遍的な人間の精神の類似性を意識することで、彼らのうちに魂のほんとうの自由を実感していた。それにもかかわらず、各民族は、外的な地理的条件のために、それぞれに孤立するなかで、いまわしい自己本位な考え方をつのらせてきた」(森本達雄訳『タゴール著作集』7所収、第三文明社)――と。
 状況次第でいつ顔を出すとも限らない人間の残忍性、非人間性を強い口調で告発するタゴールは、また次のような警告を発しているのです。
 「今日われわれが直面している大きな人種問題は、やがてわれわれにたんなる上部の処方を求めることをやめさせ、精神的な適応性を身につけざるを得ないところへとわれわれを駈りたてることだろう。そうしないと、そこから生じるさまざまな紛糾の種によって、われわれのいっさいの動きがとれなくなり、われわれを死に追いやることになるだろう」(同前)――と。
30  このタゴールの魂の叫びから半世紀以上がたちますが、世界史の退行現象が露になるなかで、詩聖の言葉はいやまして輝いております。政治的や経済的な"上部の処方"については、なんとか対立する集団間においても合意をみることができるかもしれません。確かにこれも重要であることには変わりありませんが、タゴールがいう「精神的な適応性」の課題に取り組まない限りは、些細なきっかけで紛争が再燃することは避けられないのではないでしょうか。
 「わたしの宗教は、わたし自身の個としての存在のなかに、至高のパーソナルな人間、すなわち普遍的な人間精神を融和させることにある」(同前)――かのアインシュタインに対し、タゴールは『人間の宗教』を貫く主題をこう説明しておりますが、宗教が本来果たすべき役割は、人々の分断された心を、<普遍的な人間精神>で結び直すことにあるといってよい。
31  私がハーバード大学講演の中で強調した、"善きもの""価値あるもの"を求めて生きる人間の生き方を支え、鼓舞し、後押しするような力、また自己を超えて自己を支え助ける「内発的な力」の源泉となりうる"宗教的なもの"こそ、タゴールが追求していたものでありました。人類の希望の未来を開く「宗教」の要件は、まさにこの一点にあるといえましょう。
 「寛容の精神」といっても、それは単なる"心構え"ではなく、生命の奥底から湧く「共生」の秩序感覚、コスモス感覚でなくてはなりません。仏法が説く「縁起」観は、「縁りて起こる」とあるように、人間界であれ、自然界であれ、単独で生起する現象は、この世に一つもないとみます。
 万物は互いに関係し合い、依存し合いながら、一つのコスモスを形成し、流転していく――こうした世界観に根差した「寛容の精神」であってこそ、「文明の対決」をも乗り越え、真の「人間共和」の世界を築いていくことができる、「共生の哲学」の内実たりうるのではないかと考えます。
32  「平和の内実」は人権の尊重に
 さて、私は民族問題について前述した際に、政治的主張によってもたらされる結果が、本当に「人間の利益」につながるか否かを、まず第1の判断基準とすべきと強調しましたが、具体的な判断をするうえでの尺度となるのはやはり、「個人の尊厳」と「人権」の確保でありましょう。
 九三年に行われた世界人権会議において採択された「ウィーン宣言」でみられるように、いまや「人権の普遍性」は国際社会の認めるところとなっており、世界中のあらゆる場所における人権の尊重が、国際社会における共通の関心事項となりつつあります。
 その先駆者として「世界人権宣言」の起草準備にも携わった故アタイデ氏(前ブラジル文学アカデミー総裁)は、私と編んだ対談集『二十一世紀の人権を語る』の中で、人権とは「人間から生じるもっとも崇高な、決して譲渡することができない価値」であるからこそ、「国や時代に制約されることなく、永遠普遍性にもとづいて、定義することが必要」(本全集第104巻収録)と訴えておられました。今、国際社会は、この「人権の普遍性」確立へ向けて、ようやく本腰を入れ始めたといえましょう。
33  国連もこの流れを後押ししようとさまざまな努力を続けておりますが、なかでも私が注目しているのは、「人間のための安全保障」を実現する上で前提となる「人間開発」の達成度を細目にわたって数値化し、問題の所在を明らかにすることで、各国に状況の改善を促そうという試みであります。
 これは「人間開発指数(HDI)」と呼ばれるもので、UNDP(国連開発計画)で改良を加えながら発表が続けられている、新しい指標なのであります。
 軍国主義がもたらす絶え間ない狂気と悲劇を見つめ続けた作家のS・ツヴァイクは、1941年に、「我々は国家に順番をつける場合に、産業、経済、軍事的価値でなく、平和的精神と人間性に対する姿勢を判定の尺度としたい」(『未来の国ブラジル』宮岡成次訳、河出書房新社)と述べたことがありました。国連が試みるこの「人間開発指数」は、ある意味で彼の発想に通じたものといえましょう。
34  私は、広義の「人権」、いうなれば人間が「真に人間らしく生きる権利」の確保こそ、「人間のための安全保障」の核心をなすものであらねばならないと考えます。人権は、すべてに優先する根本的な課題であり、人権なくして「平和」も「幸福」もない。
 そしてこの人権は「人間から生じる最も崇高な決して譲渡することができない価値であり、人間に人間としての特性を与え、精神的な価値をもたらすもの」である。だからこそ私は、国家といえどもこれを侵すことは断じて許されないと強調しておきたいのです。
35  「人道的競争」の時代を予見した牧口初代会長
 創価学会初代会長の牧口常三郎先生は、今から百年近くも前にその著『人生地理学』の中で、こうした時代の方向性をすでに明確に打ち出していたのでありました。当時(一九〇三年)は、帝国主義が世界的に広がりを見せていた時代、日本においても日清戦争から日露戦争へと向かってナショナリズムが高まっていた時期にあたります。
 国家が、外にあっては他国の侵略へと突き進み、内にあっては国民に対する統制を強めていった時勢のなかで、牧口先生は「地球」「人類」という次元から「国家」を見下ろしつつ、やがてくる新時代に向けてのビジョンを、『人生地理学』で描き出したのでありました。
 そしてその中で、「国家」の果たすべき根幹の使命は、「国民個人の自由を確保すること」「個人の権利を保護すること」、また「国民の生活に対してその幸福の増進を図ること」にあると強調したのです。
36  牧口先生は、まさに国家の最終目的は、「支配」にではなく「人道の完成」にある、と喝破されたのでありました。そのうえで、"人類は、もはや「軍事的競争」でも「政治的競争」でも「経済的競争」でもなく、「人道的競争」の時代を志向すべきである"と提唱されたのであります(『牧口常三郎全集』2、参照)。いまや、その卓越した先見性は時代の証明するところとなってきている、といえましょう。
 現在、国連が進める「人間開発指標」の試みが、それぞれの国における人権状況の改善に直接つながっていくものではないにしても、各国が「人道の完成」を競い合う"人道的競争"の時代を招来する一つの契機となることは間違いありません。この"人道的競争"が時代の潮流となってはじめて、「人権の世紀」が目前に開けてくるのではないでしょうか。
37  本年(一九九六年)は、国連がスタートさせた「人権教育の十年」の二年目にあたります。人権を「地球上のどこでも考慮される当たり前の社会規範」にしようとの運動の設置は、NGO側の強い働きかけによって実現されたものであります。
 これまでも、「宣言」や「条約」という形で人権の規範化が進められてきましたが、実際にこれを具体化させるためには、それぞれの国や社会において、人権基盤を形づくっていく必要があります。すなわち、世界中で「普遍的な人権文化の創造」を進めることであります。まさに「人権教育」が要請される所以なのです。
 SGIも先に紹介したように、これまで人権意識を幅広く啓発する目的で「現代世界の人権」展をはじめとする各種展示を、世界の各都市で開催してきました。その取り組みなどを通じて、私どもが一貫して訴えてきたのは「差別に対する戦い」であります。
38  この「差別に対する戦い」について考える時、私の脳裏を離れない言葉があります。それは、九〇年にマンデラ大統領(当時、アフリカ民族会議副議長)との会談の席上、私から「反アパルトヘイト」の展示や写真展、人権講座や文化交流などを提案したときのことでありました。同席した氏の秘書であったミーア氏が語った次の言葉が、私の胸をえぐったのであります。
 こうした提案は、私達を人間として遇してくださる心を感じます。南アフリカでは、私達は「人間」ではなく「黒い人種」として"登録"されているのです――と。
 人間を「人間」として見ない、「レッテル」で判断する――これは当時の南アの特殊事情として済ますことのできる問題ではないでしょう。人権抑圧の根っこには常にこうした"錯誤"や"差別意識"があって、同じ人間を中傷、迫害するやましさの"隠れミノ"になっているのであります。
39  第2次大戦下のドイツにおいてファシズムの嵐が吹き荒れるなかで、人々がホロコーストのような悲劇を止めることができなかった理由を、「悲しむことの不能性」に求める学者もおりました。
 この「内なる人権侵害」を許した国・ナチスドイツが、他国に対して「侵略的態度」をとり続けていたのは、決してゆえなきことではありません。この二つの態度は、まさしく「人間の尊厳」に対する軽視という点で表裏一体なのであります。
 こうした事実は、同じ時代の日本においても、当てはまることであったのです。アジア諸国を侵略し、残虐な行為を重ねていた当時の軍国主義政府が、その国内にあっては「信教の自由」をはじめとする精神の自由を次々と踏みにじる挙に出て、国民を自らの政策遂行の"犠牲"にして顧みなかった歴史を、私たちは決して忘れてはならないのです。
40  民衆の手で時代変革の波を
 世紀末から新たな世紀へ、確かに時代は今、大きな過渡期を迎え、世界各地ではいまだ過渡期特有の混迷が続いております。
 いうまでもなく、二十一世紀につなぐ新たな世界の平和秩序というものは、国家だけに任せておいてできるものではありません。
 ともするとこれまでは、国家が新しい秩序をつくるものだという発想が強すぎたのではないでしょうか。むしろ下から盛り上がった、草の根レベルの民衆の力によって新しい世界の秩序を構築するという発想こそが必要でありましょう。
 国連は九十年代に入り、環境、先住民、人権、家族、人口、社会開発、女性等のさまざまな地球的課題に焦点を当て、グローバルな会議を開くなど真剣に取り組んでまいりました。
 そこで明らかになってきた考え方は、人間が真に人間らしく生きられる社会を築き上げるには、政府や国家だけに任せるのではなく、世界の民衆が主体的に力を発揮しなければならない、ということであります。今、台頭しつつある新たな「民衆社会(シビル・ソサエティー)」を世界に広げていくことが問題解決につながるのだという結論なのであります。
41  一昨年(一九九四年)の「提言」の中で私は、SGIの「ボストン二十一世紀センター」に対し、「国連創設五十周年」を記念して、その改革・強化のための方策を研究し、まとめてはどうかと提案いたしました。昨年の十月、それが『民衆からの提言』という形で完成し、国連本部に届けられたことは、私の大きな喜びとするところであります。
 それは、民衆自らが自身の問題として国連の課題を考え、「開かれた対話」を通してまとめられたところに意義があると思います。まさに、専門家とごく一般の民衆が「開かれた対話」により英知を結集した成果といえるものなのです。私は、新しい世界の平和秩序は、こうした民衆の連帯の力がグローバルに広がっていくところから出来上がっていくのではないか、と考えるのであります。
42  そうした発想から私どもは、「戸田記念国際平和研究所」を本年、発足させることを決定いたしました。
 これは、国家権力による不当な弾圧により投獄された戸田城聖第二代会長が出獄して五十年の節目に当たり、「核兵器の廃絶」「生存権(人間としての尊厳を維持する権利)の確保」「地球民族主義」など、戸田先生の平和思想を原点として、時代にマッチした世界平和への貢献をめざし、昨年、構想されたものであります。
 この研究所は、世界の有力な研究者の協力を得ながらさまざまな地球的課題の研究に取り組み、解決策を考えていくわけでありますが、その大きな特色として、研究者と運動家をつなぎ、世界の民衆パワーの形成、高揚に貢献していくことをめざしたい。
 その意味では、「民衆立」の研究所という新しい発想によるものであります。これまではともすれば個別に活動していた力を、「民衆」という共通の次元で連帯させ、世界のさまざまな問題の解決に役立てるようにしたいのであります。そのためには、研究成果を広く世界に公開し活用されるようにしていく必要もありましょう。
 更に、世界の学術・研究機関、更にはNGOとも協力し合いながら、その国際的なネットワーク作りを進めていきたい。
 研究所の取り組むべき課題としては、安全保障、開発、人権、環境、文化、宗教、民族など多くのテーマが予定されております。なかでも、その晩年の一九五七年、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表し、核廃絶を未来の世代に託されたことに鑑み、核兵器廃絶のためのプロジェクトは、最優先の課題として取り組んでいただきたい。
43  昨年(一九九五年)末、東南アジア非核地帯条約が調印されました。中南米のトラテロルコ条約、南太平洋のラロトンガ条約、アフリカのペリンダバ条約(二月に調印予定)という非核地帯条約に続くもので、アジアの広い一角が初めて非核地帯になる意味は、まことに大きなものがあります。こうした非核地帯を世界中に広げ、民衆による"非核の包囲網"を拡大していけば、やがては「核兵器のない世界」も夢ではない。
 昨年は中国やフランスが核実験を相次いで強行するなど時代逆行の動きがあり、これに対し、新たな反核の国際世論が高まりました。また本年は「包括的核実験禁止条約」の交渉が大詰めを迎えるといわれております。
 この条約は、核廃絶への"一里塚"という象徴的意味においても、一日も早く締結されるべきであります。こうした状況をみても、「ヒロシマ・ナガサキ五十年」を経て、いよいよ核兵器廃絶への一つの正念場の時を迎えているといって過言ではありません。
44  「不戦の世紀」へグランドデザインを
 これまで私自身、機会あるごとに、核兵器をなくすためのさまざまな具体的方策を提示してまいりました。
 私の基本的立場は明確であります。膨大な人間を瞬時に殺すことにしか役立たない核兵器は"絶対悪"であり、その使用は人類の名において断罪されねばならない。それはどんな理由によっても正当化されるものではなく、核兵器は廃絶されねばならない、というものであります。これはまた戸田先生の遺志でもあり、そのためには最終的には、核兵器の開発、生産、保有、配備等の一切を禁止する「核兵器完全禁止条約」が必要となってくるでありましょう。平和研究所は、そこに至るまでの具体的手立てを研究してほしいと思います。
 同時に、戦後五十年を経て、長期的な観点から「世界不戦」という新しい時代へのグランドデザイン(大構想)も指し示してほしい。
45  明九七年には第四回「国連軍縮特別総会」も開催される予定と聞いております。
 その意味からも、一貫して私が主張している、世界の「不戦共同体制」をどう構築していくかという課題に、同研究所が中心的な役割を担って、世界の英知を結集しながら、人類益に立ったオルターナティブ(代替案)を描き出してほしいと考えます。
 その具体的な方向性として、現在広がりをみせている「非核地帯」が同時に「不戦平和地帯」となっていけば、もはや核兵器など必要としない世界も夢ではないと考えます。逆に、それが実現できないのならば、究極的な核廃絶も難しいといえましょう。
 私は昨年末、コスタリカ共和国元大統領でノーベル平和賞受賞者の、アリアス・サンチェス博士と2度目の会談を行いました。「平和と戦争」という主題をめぐってさまざまに意見を交換しましたが、なかでも博士は"世界は軍事費を削減して教育や文化の発展に分配すべきである"との持論を強調されました。
46  また博士は、世界中のすべての軍備を撤廃せよと訴えておられる。
 戦後、ヨーロッパ復興のためにマーシャルプランが推進されました。これにならって、資源を「軍備」にではなく「人間開発」に投じる新たなグローバルなマーシャルプランが必要、と博士は考えておられるのであります。これを理想論といって片付けるのは簡単ですが、コスタリカ自体が、一九四九年に制定された現行憲法で軍隊を廃止するのに成功していることからも、博士の主張には説得力が感じられます。
 それは小さな国だから実現できたという見方も成り立ちますが、時代に合わない無用のものだと人々が判断すれば、奴隷制やアパルトヘイトが消滅したのと同様、軍備もなくすことは、全く無理な話ではないのです。
 アリアス博士は隣国パナマも説得し、九四年十月には憲法が修正され、軍隊は法的にもなくなることが決まりました。更にまだ多くの問題を抱えてはいますが、ハイチでも軍隊が解体され、軍備廃止が実現の方向へ進んでおります。
 新しい世代のために、「戦争の文化」でなく「平和の文化」を教えていきたいという博士の提案に、私は全面的に賛意を示しました。戸田記念国際平和研究所は、こうしたいわば"民の声"でもある、世界の「脱軍備」「非軍事化」をどう進めていけばよいのかを総合的に研究し、確かな道筋をたてていく必要がありましょう。
47  あと五年程で「第三の千年」が開幕するといっても、時代が自然に新しく生まれ変わるというものではありません。あくまでそれは"時代の扉"を開く「人間の意志」にかかっております。人間には本来、新しい選択を創造し、その選択を行う能力が備わっているのです。私たちの現前に挑みかかるいかなる難事も、そのすべては人間自身が作り出したものである以上、自らの手で解決していく潜在能力がないわけではないのであります。
 人々が重大な難問に立ち向かう決意を固めると、最大の歴史形成力が始動すると指摘したのはトインビー博士でありますが、人間にはもとよりその能力が備わっているのであります。思うに、現前にある危機を深刻化させている要因は人間の能力の欠如ではなく、その能力に対する認識不足なのではないでしょうか。
 私のよき友人であったノーマン・カズンズ氏は、「悲観主義は、前途の展望を否定する行為によって、展望を忌避する。それは未来への視野を狭め、必要なことと可能なこととの関係を曖昧にする」(『人間の選択』、松田銑訳、角川選書)との警句を発し、人々がさしたる努力も尽くさないまま絶望してしまうことを厳しく戒めております。
 この言葉を改めて胸に刻み、私たちは決して「楽観主義」を手放すことなく、敢然と「必要なこと」を成し遂げる挑戦を、ともどもに開始してまいろうではありませんか。

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