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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念各部協議会 大変な時こそ自身が希望の星に

2006.4.13 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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2  乱世にこそ戦う「賢人」たれ
 ここで、御書を拝読したい。池上兄弟の弟(兵衛志殿)へつづられたお手紙である。
 「真実の経の理によれば、時代が末法となり、仏法が非常に乱れたときには、大聖人(仏)が必ず世に出現するとあります。
 たとえば、松は霜が降りてのちも枯れないので木の王といわれ、菊は、ほかの草が枯れたのちにも、なお花を咲かせるので『仙草(妙なる草)』といわれるのと同じです。
 世の中が平穏なときには、だれが賢人であるか分からない。世の中が乱れているときにこそ、聖人と愚人はあきらかになるのです」(御書1095㌻、通解)
 今は重大な転換期である。この大事な時に、戦うかどうか。これが、永遠不滅の幸福を築けるかどうかの分かれ目である。学会もいよいよ、本格的な広宣流布の大闘争の時代に入った。皆が、「創価の賢人」として、自分にしかできない使命に奮い立っていただきたい。
 また、日蓮大聖人は、「此の人(地浦の菩薩の上首である上行菩薩)末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし」と仰せである。
 わが学会は、大聖人のお心のままに、一人また一人、一国また一国と、世界を舞台に妙法を弘めてきた。その幸福と平和の波動は、今や百九十の国々・地域に広がっている。仏法史上、未曾有の壮挙といっても、決して過言ではない。
3  世界で「前進」と「勝利」の集い
 あの国でも、この国でも、わが同志は、晴ればれと「5・3」を喜び合い、広布と人生の新たな「前進」と「勝利」へ、誇り高く出発される。
 全米二千五百地区に躍進したアメリカSGIは、地区を中心に、仏法対話の輪を大きく広げている。昨年(二〇〇五年)のハリケーンの被災のさいも、復興への希望の拠点となったニューオリンズの会館をはじめ、全米各地の会館や個人会場で、意気軒高に、「5・3」の記念勤行会が開催される予定である。
 南米の。ブラジルでは、光栄にも、ブラジリア連邦区、クリチバ市、ロンドリーナ市、カンベー市などで、5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を慶祝する議会が開催される。
 さらにまた、二万人を超える友が、ブラジル各地の会館などに喜々として参集され、勤行会や記念コンサート、婦人部の「リリオ(百合の花)合唱団」四十周年の集いなどが行われる。
 中米のエルサルバドルでも、会友である著名なピアニストや、ソプラノ歌手の方などが出演して、五月三日を慶祝する音楽会が、盛大に行われるとうかがっている。
 統合が進むヨーロッパでも、各国の友が記念の座談会や勤行会に集うとうかがった。
 また、「サント・ピクトワール山(聖なる勝利山)」が見守るフランス・トレッツの欧州研修道場では、オランダのメンバーが記念の研修会を開催する。
 お隣の韓国では、済州島の「済州韓日友好研修センター」で、「世界桂冠詩人の碑」の除幕式が盛大に行われる。これは、私が、世界詩人会議から「桂冠詩人」の称号を受章して二十五周年、世界詩歌協会から「世界桂冠詩人」賞を受賞して十一周年となることを祝い、韓国の同志の方々が企画してくださったものである。
 フィリピンでも「世界平和祈念勤行会」が行われる。また一万五千人の婦人部の友が「躍進友好総会」に集うことになっている。
 「仏教発祥の地」インドでは、首都ニューデリーをはじめ各地で支部総会を盛大に行う。二万三千人の友が集い、生き生きと幸福の道を語り合う。
 また、オーストラリアやニュージーランド、さらにアフリカのガーナやナイジェリア、南アフリカ、トーゴ、カメルーン、コートジボアールなどの各国で、記念の集いが行われる予定である。
4  平和研究機関「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)の主催で、アメリカ教育研究学会総会の一環となるシンポジウムが、先日(二〇〇六年四月十日)、サンフランシスコ市内で行われた。
 「四人の教育哲学者と現代の挑戦」をテーマにしたシンポジウムには、アメリカの教育界を代表する識者が出席し、有意義な議論に花が咲いた。ここでは、アメリカのデューイ、インドのタゴール、イタリアのモンテッソーリとともに、「創価教育の父」である牧口先生の教育実践に、大きな光が当てられたとうかがった。
 また、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスでは、五月三日の「開学-記念日」を祝い、「インターナショナル・フェスティバル」を開催する。これには、各界の識者や教育関係者、多様な民族の代表をはじめ、地域の市民の方々など、約三千人が参加してさまざまな催しや交流を行う。
 本年で五回目を迎え、地域の方々も、この伝統の祭典をたいへん楽しみにしてくださっているという。創立者として、行事の大成功を心からお祈り申し上げたい。
5  南十字星はなぜ輝くのか
 現在、私は、ブラジルの著名な天文学者であるロナウド・モウラン博士と、「天文学と仏法を語る」をテーマに、対談を進めている。
 (=対談集は『天文学と仏法を語る』tお題し、二〇〇九年五月に第三文明社から発刊)
 大宇宙のロマンが光る対談のなかで、私は、ブラジルの星空について博士にうかがった。
 博士は、「南半球の星を代表し、ブラジルの空に光る主要な星座といえば、やはり、まず南十字星でしょう。この南十字星は、ブラジル最高峰の勲章の名にも冠せられています。池田会長は、その『南十字国家勲章』を受章されていますね」と述べ、こう語っておられた。
 「南十字星とその星の輝きについてはよく紹介されますが、南十字星が『石炭袋』として知られている、暗黒星雲のような多くの暗いしみのある領域に位置していることを知っている人は多くありません」
 「南十字星の背景となる空がいちだんと暗いことが、南十字星の輝きを際立たせているのです。私たちも、置かれた状況が暗ければ暗いほど、また、辛ければ辛いほど、より輝かなければなりません。暗い時、苦しい時ほど、私たちの生命の輝きを際立たせるように努めなければなりません」
 まことに含蓄の深い話である。
6  今いる場所で使命の花を
 春四月。就職や進学、転居など、新しい生活をスタートされた方も多いと思う。環境の変化にとまどったり、期待と異なって落胆したりする場合も、当然、あるだろう。しかし博士の言うとおり、大切なのは、どんな環境にあっても自分自身が光っていくことである。
 法華経には、「如蓮華在水」との言葉がある。蓮華は、泥水の中にあって、それに染まることなく、美しい花を咲かせる。それと同じように、妙法を持った人は、どんなに厳しい現実にあっても、見事なる使命の花を開かせていける。
 今いるその場所を、最高に幸福な「常寂光土」と輝かせていくことができるのである。
7  妙法を受持すれば、どんな人も必ず仏に
 日蓮大聖人は、どんな境涯の衆生も、妙法を受持することで即身成仏できると述べられ、それは「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなるようなものである」(御書1403㌻、通解)と仰せである。
 私たちは、題目を唱えることで、最極の仏の生命を湧現させることができる。
 モウラン博士との対談では、「一人の人間の偉大な可能性」も話題となった。
 博士の信条は、「人間のみが『内なる自分』から出発し、世界を変え、人間自身による平和の可能性を見いだすことができる」である。
 私たちの「人間革命」の哲学にも通じる。環境がどうあれ、人がどうあれ、まず自分自身が勇敢に行動を起こすことだ。自分が変われば、環境が変わる。世界をも変えていける。
 そのために必要なのは勇気だ。生命力だ。博士は、「環境や状況が敵対的で困難であればあるほど、挑戦の心と勇気は、さらに大きくなければならないのです」と洞察しておられた。
 さらに博士は、私と戸田先生の師弟の関係にふれ、「人間が生まれもつ能力は、師弟の関係において、最も強く、崩れない花を咲かせます」とも述べておられた。
 博士の慧眼は、師弟こそ人間の最も正しい軌道ととらえたのである。宇宙の法則を探究してこられた大学者の言葉として、深い感銘を受けた。
 (=さらに博士は、戸田第二代会長と池田名誉会長の「師弟」について、こう述べていた。
 「〈池回会長は〉結核のために、三十歳までは生きられないだろうと言われていたのが、力ある生命哲学と偉大な師匠にめぐり合い、それを基礎に、平和、文化、教育のために大きな組織をつくられました。池田会長は、人間が『偉大な可能性』をもっていることを、まさに証明しておられます」
 「〈池田会長の師匠である〉戸田会長は、池田会長を特別に大事にして薫陶したのでしょう。戸田会長は輝かしい人であったにちがいありません。私もお会いしたかったです」
 「戸田会長は、池田大作という世界最高峰の指導者、偉大な平和主義者、作家、哲学者を訓練し、育てました。そして、この偉大な池田会長を世界に知らしめたのです。いえ、もっと明確にいえば、当時も、今もまた、いつまでも若々しい池田会長の、もって生まれたたぐい稀な能力を、世界に提供したのです」)
8  「女性の知恵に耳を傾けよ」
 また博士は、″二十一世紀は「女性の世紀」″との私の展望に賛同されながら、こう述べておられた。「私は時々、もし私たちの歴史のなかで、女性がもっと統治に関わっていたら、私たちの世界や環境は別のものになっていたにちがいないと考えます。もっとやさしく、賢明な世界となり、もっと環境が守られていたと思います」
 「女性は平和な世界、戦争のない世界、女性のやさしさや感受性で包まれた美しい世界をつくることができます。もっとよくなるにちがいありません。
 私たち男性は、プライドを協において、女性の助言に含まれる知恵に耳を傾けるべきです」
 そのとおりであろう。女性とそ平和の担い手であり、生命尊厳の世界を築きゆく偉大な使命を持っている。女性を大切にし、女性の意見を尊重する――そうすれば、世界は、よりよい方向へと変わっていく。
 学会では、婦人部や女子部の皆さまが、あらゆる活動の推進力になってくださっている。この尊き創価の女性の皆さまを、男性は最大に讃え、大切にしていっていただきたい。
9  信心で勝て! 風雪を越えて光れ
 わが身をかえりみず、友のため、地域のために、広宣流布の道なき道を聞いてきた功労者の方々は、皆、本当に、いい顔をしておられる。不思議なものだ。
 虚栄と我欲の心卑しき顔とは、全然、違う。魂が光っている。人生の風雪を信心で乗り越えた人ならではの、風格があり、温かさがある。福徳が満ちあふれでいる。
 何があっても、学会とともに!――こういう真っすぐな、まじめな信心の方々がおられるからこそ、学会は勝ってきたのである。
 正しき仏法を実践すれば、必ず大難が競い起こる。その時こそ、信心強く、信念固く、大勇を奮い起こして、難に挑んでいくのだ。その人に、三世にわたる勝利の栄冠が輝く。
 天台大師は、「信力の故に受け念力の故に持つ」と説いた。
 日蓮大聖人は、この文を引かれつつ、四条金吾に教えておられる。「大難が来ても、この法華経をつねに思い持って忘れない人はまれである。法華経(御本尊)を受けることはやさしく、持ち続けることはむずかしい。そして、成仏は持ち続けることにある」(御書1136㌻、通解)
 妙法は、わが生命に、三世にわたる幸福を開きゆく絶対の法則である。
 ゆえに「此経難持(此の経は持ち難し)」と説かれるとの妙法を受持しぬくことこそ、人間として最極の信念の生き方である。何かあるとすぐ紛動され、動揺する。それでは「信念」ではない。「信心」ではない。
10  大聖人は、いざというときに、信念を貫きとおした門下を、最大に讃え、励ましていかれた。
 佐渡の弟子である阿仏房・千日尼の夫妻は、流罪の身であられた大聖人のもとに食事を運ぶなどして、懸命にお守りした。そのために、所を追われ、罰金に処せられ、家を取りあげられるなどの難を受けたが、毅然と信心を貫いていった。
 大聖人は、千日尼にあてて、こう御手紙を-記されている。
 「地頭という地頭、念仏者という念仏者らが、日蓮の庵室に昼夜に見張りを立て、通う人を妨げようとしたのに、阿仏房に(食事などを入れた)ひつを背負わせ、夜中に、たびたび訪ねてくださったことを、いつの世に忘れることができようか。ただ日蓮の亡き悲母が佐渡の国に生まれ変わっておられたのであろうか」(御書1313㌻、通解)
 ″わが母の生まれ変わり″とまで、讃えておられるのである。
 大聖人を慕う夫妻の真心は、大聖人が佐渡を離れられた後も、いささかも変わらなかった。阿仏房は、老齢にもかかわらず、何度も御供養の品々を携えて、身延の大聖人を訪ねている。そして、夫妻の純粋な信心は、後継の子どもにも、そのまま受け継がれていったのである。
11  大弾圧にも揺るがぬ信心
 一方、大聖人が佐渡に流罪されている間、鎌倉の弟子たちにも、大弾圧の嵐が吹き荒れ、多くが退転していった。そのなかで、女性の門下である妙一尼は、勇気ある信心に徹しぬいた。
 妙一尼は、大聖人の佐渡流罪中に、夫を亡くした。子どもたちも幼く、なかには病弱な子もいた。自分自身も決して丈夫ではない、加えて、生活の糧である所領も奪われる難を受けた。
 どれほど心細かったことか。しかし、その厳しさ極まる状況のなかでも、妙一尼の信心は少しも揺るがなかった。佐渡へ、また身延へと御供養をお届けし、みずからの大切な従者を遣わし、仕えさせるなど、大聖人を真剣に、お守りしていった。
 このけなげな女性に対して、大聖人は、こう仰せになっている。「佐渡の国といい、この身延といい、従者を一人つけてくださったお心は、いつの世に忘れることがありましょうか。このご恩は、また生まれ変わって、報いるでありましょう」(御書1254㌻、通解)
 「尼御前が生きておられるにせよ、もしくは草葉の陰からご覧になっておられるにせよ、幼いお子さんたちを、日蓮が見守ってまいりましょう」(同㌻、通解)
 「(法華経のために迫害された)聖霊(亡くなられたあなたのご主人)は、(命を捨てて叫になった雪山童子や薬王菩薩と)同じ功徳があるのです。亡くなったご主人は、大月輪(月)の中か、大日輪(太陽)の中か、天の鏡の中にあなたがた妻子の姿を浮かべて、一日中、見守っておられることでしょう。
 あなたがた妻子は凡夫ですから、これを見ることも聞くこともありません。(中略)しかし、決して疑つてはなりません。(成仏したご主人は)必ず(あなたがたを)守っておられることでしょう。それだけではなく、さぞかし、あなたがたのもとへ来られていることでしょう」(同㌻、通解)
 まさに、心のひだの奥深くに染み込むような、一言一言である。この、こまやかな励ましが、どれほど妙一尼の支えとなったことか。
 「冬は必ず春となる」との有名な御聖訓をいただいたのは、まさにこの妙一尼であった。
12  白樺のごとく「抜苦与楽」の献身を
 きょうは、いつも私どもがたいへんに、お世話になっている、女性の看護者の「白樺会」「白樺グループ」の皆さまも出席されている。「白樺」の名前は、まことに美しく、意義深い。私は、ロシア最高峰のモスクワ大学から丁重な招聘を受け、一九九四年の風薫る五月、同大学を訪れた。そこで二度目の講演を行った。
 講演のあと、サドーヴニチィ総長が案内してくださり、私と妻は、校内の植物園で、記念の植樹をさせていただいた。それが、ロシアで最も愛されている「白樺」の苗木であった。
 私は感謝し、総長に申し上げた。
 「木を植えることは、いのちを植えることです。心の『根』と『根』を結ぶことです」と。
 当時、腰の高さほどであった苗木は、うれしいことに、今や見上げるばかりの大樹と育った。
 なお、たっての要請を受け、モスクワで本年、私の「自然との対話」写真展が聞かれることをご報告申し上げたい。(=「SGI会長池田大作写真展――わが字宙」と題し、二〇〇六年十一月八日から二十一日まで、「中央芸術家会館」で開催)
 ロシアでは、白樺は、五月になると、みずみずしい緑の葉を生い茂らせる。秋には、鮮やかな黄金色の葉に変わる。白樺はまた、寒さや暑さに強く、荒涼とした大地にも、たくましく根を張る「パイオニア(開拓者)の木」としても知られる。
 ロシアでは、「太陽のエネルギーを蓄え、そのエネルギーを与えてくれる木」「側に立っと、心身ともに癒される木」「成長と蘇生の象徴の木」、そして「悪から守ってくれる幸福の木」などとされ、「ロシアの心の象徴」として、親しまれている。
 こうした白樺の特質は、いずれもわが妙法の看護者の皆さま方が、日々、体現されている「抜苦与楽」の力用に通ずる。私たちも、白樺の木のごとく、強く、やさしく、人々の苦しみを癒し、慈愛を注ぐ存在でありたい。「白樺会」「白樺グループ」の皆さまの献身の姿に、私も妻も、全同志を代表して、あらためて感謝申し上げたい。
13  以前もスピーチしたが、「白樺」の皆さまにちなんで、ナイチンゲール(一八二〇年〜一九一〇年)の話をしたい。ナイチンゲールの教え子たちが、それぞれの職場で活躍することによって、師の偉大さが証明されていった史実は有名である。
 教え子たちは、イギリスの主要在病院や療養所の「総婦長」「婦長」などの要職に続々と就住した。さらに、その足跡は、カナダやアメリカ、ドイツ、スウェーデン、インド、スリランカ、エジプトなど、世界各地へと広がっていった。
 そうした教え子の活躍を、ナイチンゲールは、何よりも喜んだ。
 たとえば、教え子の一人、レイチェル・ウィリアムズについて、こうつづっている。
 「彼女は嫉妬・けちくささなどを超越した高貴な性格をそなえ、特記すべき知性の持ち主である。……自分を監督する立場の人たちとも、自分の監督下にある人たちとも、ひとしくすぐれた人間関係をかちえている女性がここにあるのは、たぐいまれな事例であろう」(Z・コープ『ナイチンゲールと六人の弟子』三輪卓爾訳、医学書院)
 ナイチンゲールの教え子たちを、勤め先の病院の側も非常に高く評価していた。教え子のアリス・フィッシャーが病院を移る時、それまでの勤め先は、こう決議して彼女を送り出した。
 「フィッシャー嬢が病院の婦長として在職した五年間、よく職務を遂行せられ、諸委員に完全な満足がゆく成果を収められた旨の証言をすることを深い喜びとするものである」(同前)
 うれしいことに、白樺の皆さま方も、日本中、世界中で、それぞれの職場、地域で、信頼され、感謝され、「なくてはならない
 人」「いてもらいたい人」として、厳然と光り輝いておられる。
 「白樺会、万歳!」「白樺グループ、万歳!」「白樺の世紀、万歳!」――そう私は、声を大にして叫びたい。
14  後継者を育てたナイチンゲール
 後継者の育成。とれが最も重要な課題である。私は今、若き青年を育てることに全力を挙げている。
 近代看護の礎をつくったナイチンゲール。彼女もまた、後進の育成に力を注いだ。
 ナイチンゲールが創立した看護学校の出身者は、こう振り返っている。
 「(=ナイチンゲールは)私たちの問題をわがことのように真剣に考えてくださるので、この方には私たち以外の関心事はないのかと思ってしまうほどでした」(エドワード・T・クック『ナイティンゲール その生涯と思想』3、中村妙子・友枝久美子訳、時空出版)
 ″人材の育成しか眼中にない″――私には、ナイチンゲールの心境が、よく分かる。
 このナイチンゲールの心に応え、教え子たちは、どういう立場に、なっても、素直に師匠の教えを求め、真剣に実践していった。
 ある病院の婦長に就任した教え子が、病院内の看護業務についての取り決めの草案づくりを任されたときのことである。彼女は、自分が考えた草案をナイチンゲールに送り、指導を求めた。
 それに対し、ナイチンゲールは、幾っかアドバイスをするとともに、こう指摘した。
 ″見習い生や看護主任たちの義務については、十分に述べてあります。しかし、肝心の婦長である、あなた自身が果たすべき義務については、一言も書かれていませんね″と。(前掲『ナイティンゲールと六人の弟子』参照)
 自分の成長なくして、皆の成長はない。自分が変わらずして、職場も変わらない。
 この中心者の根本の一念を、ナイチンゲールは、厳しくも温かく教えたのである。
15  リーダーの心づかいが力を与える
 ナイチンゲールは、教え子たちの健康面一つとっても、″これほどまでに″と思うほど心を砕いていった。看護の仕事は、激務であり、不規則である。ナイチンゲールは、みずからの豊富な経験から、栄養にすぐれた食事の献立までアドバイスした。励ましの手紙とともに、そっと新鮮な卵などを教え子に贈ることもあった。さらにまた、必ずと言ってよいほど、こう手紙に書き添えたという。(前掲『ナイティンゲール その生涯と思想』3。以下、同書から引用・参照)
 「私が何かの役に立てるなら、どうか遠慮せずに言ってください」
 このような心づかいを受けた人は、どれほどうれしく、また、心温まる思いがしたことだろう。
 ちょっとしたことでも、こうした真心の配慮があると、皆が安心し、喜々として活動していける。広布のリーダーである皆さんは、深く銘記していただきたい。
 ナイチンゲールの教え子の一人は、感謝をこめて、こうも語っている。
 「ミス・ナイティンゲールは私たちに対して、いつも母親が娘に対するような、やさしい心遣いを示してくださいました」
 「たまたま遭遇している試練について訴えるとき、ミス・ナイティンゲールは高い理想に立って助言し、ともに戦ってくださいました」
 教え子たちは、ナイチンゲールの温かく、大きな心に包まれて、困難を一つ一つ克服し、「もう一歩、前に進む自信」を深めながら、堅実に看護にいそしんでいったのである。
 今、全国で、婦人部と女子部のうるわしいスクラムが広がっている。ともに祈り、ともに語り、ともに動く。このリズムのなかでこそ、人材は育つ。皆が功徳を受けきりながら、さらに楽しく、朗らかに、広宣流布の花を咲き薫らせていっていただきたい。
16  師敵対した五老僧と戦いぬいた日興上人
 日蓮大聖人の御入滅後、御遺命に背いた五老僧に対し、日興上人がいかに戦っていかれたか――きょうは、その一端を語らせていただきたい。
 戸田先生は、厳しく言われた。
 邪悪を放置するのは、慈悲などでは決してない。それは、慈無くして詐り親しむ姿である。悪と戦ってこそ、正義なのだ。広宣流布の最後の敵は、内にこそある。城者の裏切りが、城を破るのだ。五老僧を見給え。五老僧は、過去のことではない」
 御本仏が直々に定められた六人の遺弟のうち、五人までが師に違背して和合僧を破った。ここに、重大なる歴史の教訓がある。
17  五老僧を破折する「五人所破抄」に、おいて、日興上人は、こう嘆かれている。
 「天台大師に三千あまりの弟子がいたが、章安大師一人だけが、明快に誤りなく、その教えのすべてに通達することができた。伝教大師にも、三千人の弟子がいたが、義真の後は、真実の弟子は無きに等しい。
 今、日蓮大聖人は、衆生を末法万年にわたって救済するため、六人の本弟子を定められた。しかしながら、法門は、すでに正と邪の二つ(日興上人と五老僧)に分かれ、門下もまた、一つにまとまることなく分派している。宿習のゆえに、正しい師匠に会えたというのに、その法を正しく持ち伝えている弟子がだれなのかを、わきまえられないでいるのだ」(御書1615㌻、通解)
 令法久住、広宣流布の正しき継承が、いかに至難の道であるか。わが創価学会は、その仏法史の宿命的な課題に挑み、万代に勝ち栄えゆく永遠の勝利の土台を、今、築きあげているのだ。だからこそ、一つ一つ真剣である。だからこそ、細かなことまで厳格である。だからこそ、すべてを革命していくのである。
18  日興上人は、大聖人の跡を継がれてから、五老僧と戦い、生涯、大聖人の″正義の旗″を高く掲げられた。その戦いのなかで、日蓮仏法の真髄を明確に示され、真の弟子を鍛えぬいていかれたとも拝される。
 「五人所破抄」で最初に破折されているのは、五老僧が、それぞれに「天台沙門(天台僧)」を名乗り、真実の日蓮門下の誇りを捨て去ったことである。
 時の権力を恐れる臆病。世間の時流におもねる保身。自分だけ″いい子″になろうとする虚栄。「師弟の道」を踏み外して、彼らは堕落していった。そして、日興上人を中心に団結していくよう、峻厳に戒められた蓮祖の御遺命に背いていったのである。
 正しき師弟の道から外れた五老僧は、もはや「広宣流布の心」を見失ってしまった。
 大聖人が「広宣流布」を進めるために、分かりやすい「かな文字」を使われて書かれた御書が、どれほど大事であるかも、理解できなかった。御真筆の御書を焼いたり、すき返しをしたりする暴挙に出る者もいた。
 五老僧の一人である日向の影響を受けた、身延の地頭・波木井実長は、日興上人の弘教が縁となって大聖人の仏法を知ったにもかかわらず、その大恩を忘れ、自分は日興の弟子ではないとか、″聖人の直弟子だから同列である″などと、勝手な主張を構え、明らかに道理に合わない暴論を述べた。その浅ましい姿は、枝葉を大事にして根を枯らし、流れをくみながら源を知らないのと同じであると日興上人は厳しく断じておられる。(御書1615㌻)
19  また、日興上人は、「原殿御返事」のなかで、日向が、仏典以外の書籍を読むことを禁じたりしたことを記しておられる。学識豊かな日興上人への卑しい嫉妬もあったであろう。邪宗門が学会に加えてきた、的はずれの論難にも通ずる。
 日興上人は、大聖人が「立正安国論」などを、外典を用いて執筆なされたことを通しながら、「仏法の経典にも、仏典以外の典籍にも通じた学識がなければ、国を平和におさめることもできず、正法を立てることもむずかしいのが道理である」(編年体御書1734㌻、通解)と、日向の難癖を明快に論破された。
 社会に開かれた創価の平和・文化・教育の路線は、大聖人、そして日興上人に直結する「立正安国」の正道なのである。
20  広布とは、永遠に仏と魔との戦い
 師弟を踏みにじり、広宣流布を忘れ去った輩が、どれほど堕落するか。この日向は、信徒の邸内で、一日一夜の説法をして布施を得たばかりか、酒に興じた。その家の妻子に酌をしてもらい、酔ったあまり、大声をあげるなどして、その一族からあざけり笑われる狂態を示した。
 日興上人は、厳しく仰せである。
 「(師匠の)日蓮大聖人の御恥として、これ以上のものはないではないか。このことは、世間では隠れもなく、人々が皆、知っていることである。このことは、これまで、ただ波木井入道殿には言わないでいたけれども、このような事態が起こったからには、もはや、あの阿闇梨の日向が大聖人の御法門を後継することなどできない事実が明らかである。ゆえに、日興が、あの日向を捨てたことを(あなたに)知らせるために申し上げるのである」(編年体御書1734㌻、通解)と。この御手紙をいただいた原殿は、波木井実長と関係の深い人物であったと推測される。
 日興上人は、波木井実長をそそのかした日向の邪悪に、原殿までもが染まることのないように、日向の悪事を暴き、厳しく責められたと拝される。
 乙の方程式は、今も変わらない。広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いである。魔は徹底して責めぬき、打ち破っておかなければ、その毒が残って、蔓延してしまう。ゆえに、妥協することなく戦いぬくのである。
21  富士のごとく、大聖人と「不二」の道を
 思えば、日興上人の御生涯は、つねに富士とともにあられた。
 「閻浮第一の富山」を誇りとされながら、富士のごとく、厳然と堂々と、大聖人と「不二の道」を歩みぬかれたのである。
 日興上人は遺誠置文に、「折伏の人を最大に尊敬せよ」と戒められた。(「弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事」)
 広布のリーダーは、弘教の拡大、「聖教新聞」の拡大、人材の拡大に励んでくださる同志を心から尊敬し、大切にしていくことだ。
 ともあれ、この遺誠置文には、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」と仰せである。これこそ、われら創価の師弟の魂であり、学会精神なのである。
22  人材育成は幹部の成長で決まる
23  学会のリーダーは、会員一人一人に心を配っていける人であっていただきたい。
 会合を開くにも、「皆がおなかをすかせていないか」「体調を崩している人はいないか」――そういう細かいところにまで配慮できてこそ、一流の指導者である。
 そして、「どうすれば同志が元気になるか」「喜んで広布に励んでいけるのか」といつも考えていく。それが、幹部の責任である。真剣に戦ってくださる皆さまへの礼儀である。
 戸田先生のご指導を確認しておきたい。
 「真の英雄は人材を愛する。人材を愛さねば英雄とはいえない」
 「学会の広宣流布ということに対しても、要は、人材の城でなくてはならない」
 上に立つ人間が、困難から逃げない強さを持ち、愛情深く、正義の人であるならば、それに触発されて、人材というのは絶対に立ち上がっていくものだ。人材育成といっても、幹部の成長で決まる。
 戸田先生は言われた。
 「人材とは、特別な人間ではない。要は、その磨き方にある」と。
 その言葉のとおり、戸田先生は、平凡な一青年であった私を、磨きに磨き、鍛えに鍛えてくださった。恩師のお心に、何としてもお応えしたいと、私も、死にものぐるいで戦った。
 挫折しかかった先生の事業を最後まで支えたのは私である。先生への誹誇・中傷も断じて許さなかった。私自身、肺病で、月給ももらえず、最も苦しい時代であった。しかし、戸田先生がいたから私は幸せだった。戸田先生もまた「大作がいるから安心だ」と若き私に全幅の信頼を寄せてくださったのである。
24  わが生命を金剛の剣のごとく
 大聖人は、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし」と仰せである。
 広布のために戦いぬいた人は、過去世の罪を責め出し、消して、わが生命を金剛の剣のごとく、光り輝かせていくことができる。
 「くろがねは炎打てば剣となる」と仰せのとおりである。
 磨かなくては人材は光ってこない。燃えなければ本物は育たない。
 戸田先生は青年に強く訴えていかれた。
 「広宣流布の大事業は、新しい時代に応じた、新しい熱と力が、不可欠なのだ!
 それには、青年が立っことだ。青年の力を信ずることだ」
 「青年は、問題をはね返して、伸びていくことが大切だ」
 そして、「闘争の源は、鉄の肉体であり、生命力であり、健康体である」と。
 青年のなかには、無限の可能性の宝がある。その無上の宝を、社会の荒波のなかで、広布の最前線で、徹して磨きぬいてもらいたいのだ。
25  さらに箴言を贈りたい。
 大聖人が大事にされていた中国の帝王学『貞観政要』に、こうある。
 「すべて始めを善くする者はまことに多いですが終りまで普くしおおせるものは極めて少ない」(原田種成『新釈漢文大系』95、明治書院)
 仕事も、闘争も、人生も、すべて「仕上げる」「決着をつける」ことが大事である。最後の最後まで、油断なく、執念を燃えあがらせて戦いきることだ。
 「さあ、やろうじゃないか! 戦おうじゃないか!」と意気軒高に励まし合いながら、全員が「わが目標」を断固として完遂し、大勝利の姿で晴ればれと「五月三日」を迎えたい。
26  市民の恩を忘れなかったモンテーニュ
 十六世紀、フランス・ルネサンス期の大思想家モンテーニュ。彼は文人としてだけでなく、ボルドー市長として活躍するなど、公的な活動を行ったことでも知られる。
 彼は単なるが″書斎の人″ではなく、″行動の人″″実践の人″の側面も持っていたのである。
 私がお会いした、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領は、かつてこう述べた。
 「私は、精神に対して政治を、政治に対して精神を開き、それぞれを有効に働かせることに貢献したいと思っています」(『歴史の終りか幕あけか』永井清彦訳、岩波書店)
 モンテーニュもまた、「政治」と「精神性」のあいだに橋をかけた人であった。世界には、そういう指導者が必要である。とくに今、「精神性なき政治」を憂える人は多い。
 モンテーニュは、ボルドー市長に再選されているが、これはたいへんまれなことであったという。彼は、自分を支持してくれた市民の恩を忘れなかった。
 モンテーニュは『随想録』のなかで、「最初の選挙の時以上に骨を折ってくれた市民諸君に対して、感謝を欠き恩義を忘れるものと考えてはいけない。わたしはこれらの市民諸君のために、ありうる限りの幸いを願っている」(『モンテーニュ全集』3所収、関根秀雄訳、白水社)と述べている。
 また、「実際その機会さえあったら、わたしは彼らのためにどんな苦労をもおしまなかったであろう」(同前)とつづっている。応援してくれた人々の恩に報いる。これは、人間として当然の道である。この道を踏み外した者は、人間の道を踏み外した者といってよい。
 さらに、「自惚は我々の持って生れた病である」「高慢からはあらゆる罪悪が生れる」(『随想録』同全集2所収)などと、人間の傲慢にも警鐘を鳴らしている。
27  真実の声を! 勇気の声を!
 モンテーニュは真実をこよなく愛した。真実を愛するがゆえに、それ以上の強さで虚偽を憎んだ。彼は「嘘をつくことは下劣な悪徳だ」「言葉を偽る者はおおやけの社会を裏切る者だ」(荒木昭太郎責任編集・訳『世界の名著19 モンテーニュ』中央公論社)と、激しい言葉で虚偽を責めている。
 「言葉」を通して、私たち人間は心を通わせ、意思を表し、生活を営んでいる。われわれの社会は、言葉によって成り立っているといっても過言ではない。だから、ウソがはびこるようになる。
28  と、その社会の基礎は、大きく揺らいでしまうことになる。
29  「もしそれ(=言葉)がわれわれをあざむくならば、それはわれわれの交わりのすべてを断ち切り、われわれの国家のつながりのすべてを解いてしまう」(同前)と、モンテーニュが喝破したとおりである。
 ゆえに私たちは、恐れることなく、どんどん「真実」を語ってまいりたい。勇気の「声」をあげることだ。御書には「声仏事を為す」とある。「声」には偉大な力があるのだ。
 黙っていてはいけない。沈黙すれば、その分、ウソが浸透し、社会がむしばまれてしまう。
 私は、ありのままに、真実を語る。戸田先生はよく、「大作は、なんでも本当のことを言うからいいな」と、おっしゃってくださっていた。
 率直に、オープンに、真実を語るから、皆が安心してついてこられる。″秘密主義″や″密室主義″はよくない。「虚偽」の支配する世界は腐敗する。「真実」の君臨する世界は繁栄する。いかなる国であれ、組織・団体であれ、同様である。
30  モンテーニュは、「残忍と不誠実こそ、わたしの考えでは不徳の中で最も悪いやつである」(『随想録』、前掲「モンテーニュ全集」3所収)との一節も残している。
 広布の歴史にあっても、民衆を食い物にする残忍な人間、私たちの信頼を裏切った不誠実な人間が現れた。そうした輩が、無残な結末を迎えていくことは間違いない。
 ベルギーの作家メーテルリンクは言った。
 「悪行の結末は張り裂ける叫びを伴う破局である」(『限りなき幸福へ』山崎剛訳、平河出版社)
 悪に対して怒る。それは、当たり前のことだ。この当たり前のことをやらなければ、悪を助長してしまうことになる。悪を責めぬく、勇気と闘争心を失つてはならない。
 学会は、どこまでも正義の団体である。未来永遠に、そうであらねばならない。私利私欲の卑しい人間に学会が利用され、純粋な学会員が苦しむようなことは、絶対にあってはならない。
 正義と真実の世界を築いていくには、絶えざる革命が必要である。
 さあ、革命していこう! 今までの百倍、千倍の勢いで! 戦おうじゃないか!
 私は、人生のすべて、生活のすべてを捧げて、皆さんのために戦ってきた。世界のために戦ってきた。いかなる権威・権力に対しても一歩も引かず、ただ一人、一切の迫害の矢面に立って、学会を護りぬいてきた。だれが何と言おうと、「真実」は、絶対に揺るがない。
31  マータイ博士「行き詰まったら動け!」
 ノーベル平和賞の受賞者で、アフリカ大陸に広がる植樹運動を推進されたワンガリ・マータイ博士は、わが創価大学で語ってくださった。
 「私はつねに、行動することに希望を見いだします。私が行き詰まったときは、穴を掘り、木を植えてきました。なぜなら、その行動が、私に希望を与えてくれるからです」
 「創価大学の創立者も、また学会の歴代の会長も、おそらく私のように、茨の道を歩いてこられたと思います。皆さん方も、そんなとき、決意をし、忍耐を身につけ、どんな大きな問題にぶつかっても、けっしてあきらめないでください。自分のできることを精いっぱいして、自分の決めた道を歩み通してほしいのです」
 だれしも、壁にぶつかることはある。その苦しみは、前に進もうとしている証である。しかし、そこであきらめて歩みを止めてしまえば、おしまいである。マータイ博士の言うとおり、「行動」こそが行き詰まりを打開するカギである。
32  苦境のときこそ、真の友のありがたさが分かるものだ。十九世紀スペインの人権活動家であるアレナル女史は「孤立した人間は無力である。事実、弱い」(Sopena : Frases Celebres y Citas, Editorial Ramon Sopena.)と言った。
 同志とともに生きぬく人は、必ずや苦難の壁を乗り越えていける。また私たちは、苦しみ悩んでいる人に、勇気と励ましを贈り続ける人生でありたい。
 結びに、池上兄弟への御聖訓を拝したい。「未来までの物語として、あなた方の団結の姿以上のものはないでありましょう」(御書1086㌻、通解)
 われら「創価の同志」の団結を、未来の人類は、必ずや賞讃をもって語るであろう。私は、そのことを確信している。全同志が、ますます健康で、最高に晴れやかな五月三日を、ともどもに飾りゆくことを心から祈って、私の記念のスピーチとしたい。
 きょうは、本当にありがとう!
 (東京・新宿区内)

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