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日蓮大聖人・池田大作

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戸田城聖第二代会長の追善勤行法要 「生も歓喜」「死も歓喜」の大道を

2006.4.2 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

前後
1  わが師・戸田城聖先生の祥月命日にあたり、各部の代表と、懇ろに追善回向の法要を行わせていただいた。
 願業であった七十五万世帯の拡大を成就された先生は、「桜の花の咲くころに死にたい」と告げられていたとおりに、偉大なご生涯を飾られた。
 先生は、「生も歓喜」「死も歓喜」を見事に体現なされていたといってよい。
2  私は、一九九三年の秋九月、ハーバード大学にお招きいただき、二度目の講演を行った。テーマは「二十一世紀文明と大乗仏教」である。(本全集第2巻収録)
 その折に、私は「生も歓喜」「死も歓喜」の生命観を論じ、最高峰の知性の方々から、深い共感の声を寄せていただいた。世界的な経済学者であるガルブレイス博士も、今もって、「私の中に希望の光を灯してくれた」等と、述懐してくださっている。
 ただ、この折の講演では、「死も歓喜」という点について、十分に論ずる時間がなかった。日蓮大聖人の仏法に照らして、より深く展開するには――講演後も、さらに思索を重ねたものである。
3  御書を拝し、具体的な文証を通して、分かりやすく展開していくためには、たとえば次のような御文が挙げられよう。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待って、ごらんなさい。
 妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
 天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。われらも、その数のなかに連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386㌻、通解)
 さらに、「(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(御書1480㌻、通解)などの御文である。
 ともあれ、「生も歓喜」「死も歓喜」の生命観が確立されるとき、人類の精神史は、新たな段階へ、大きく一歩前進するといっても過言ではない。そして、ここにこそ、戸田先生が展望しておられた「生命の世紀」の到来がある。
 (東京牧口記念会館)

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