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日蓮大聖人・池田大作

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最高協議会 指導者の真価は「どれだけ広布を開いたか」

2006.3.19 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

前後
2  思師戸田先生のもとで学んだ、思い出深き『三国志』。そのなかに、こうあった。
 「人を得る者はさかえ、人を失う者は亡ぶ」(『三国志演義』2、井波律子訳、ちくま書房)
 発展するか。滅びるか。その根本は「人材」である。
 歴史を動かしたフランスのナポレオン。彼は、「人を評価するにはその事業を見るべきである」(『戦争・政治・人間』柳澤恭雄訳、河出書房)と述べている。
 立場や肩書ではない。「どういう仕事をやったか」。これが大事だ。
 私たちで言えば、「どれだけ折伏したか」。どれだけ勝利し、拡大し、「広宣流布の道を開いたか」。それをリーダーは誇りとすべきである。
3  師弟直結乙そ常勝の方程式
 師弟が直結して親子以上の深き「不二の心」で新しい道を開く。これが青年部の伝統である。
 戦後、学会の再建が始まる。しかし、折伏はなかなか進まなかった。
 戸田先生は、「これでは、広宣流布は何千年もかかってしまう」と、たいへんに嘆かれた。
 「大作、立ち上がってくれないか」
 「分かりまし!」
 私は一人立って戦い、壁を破った。
 「伝統の二月」の淵源となった蒲田支部の闘争で、一カ月で二百一世帯の折伏を断行。そこから、一気に火がついた。全学会の広宣流布の大行進が開始されたのである。
 負けるに決まっていると、だれもが思った「大阪の戦い」の大勝利。この時、東京は敗北である。それほど熾烈な闘争を勝ちぬいた。
 さらに、北海道・夕張炭労との人権闘争。当時、炭労は、泣く子も黙ると恐れられていた。
 この時も、先生は「大作、行ってくれるか。体に気をつけろよ」と私に託してくださった。そして敢然と勝利した。
 そういう指揮をとれるリーダーが、続々と出てこなければならない。常勝の方程式を、若きリーダーに打ち込んでいかねばならない。将たる者は、意気地なしではいけない。緻密でなくてはいけない。悪に対して強くなければいけない。
 それには、まず題目をあげることだ。題目をあげている人間には、だれもかなわない。祈れば、智慧が出る。勇気がわく。諸天の力が増す。祈りに勝る力はない。そして、心を合わせて進むのだ。今こそ、まず最高幹部が、真剣に戦う姿を示していく以外ない。
4  慢心、油断、安逸を戒めよ
 中国の『十八史略』に、有名な話がある。(第4巻、花村豊生・丹羽隼兵編訳、徳間書店。以下、同書から引用・参照)
 唐の名君・太宗が、臣下に問うた。
 「天下国家の経営をあらたにはじめる(=創業)のと、すでにできあがったものを守っていく(=守成)のとでは、どちらがより困難だと思うか」
 ある者は、生死を賭して戦う「創業」のほうが困難だと言う。しかし、別の者は「守成」だと言い。なぜか。古来、艱難辛苦の末に天下を得るが、「それを失うのは、きまって安逸をむさぼることによってであります」。
 太宗は、それぞれの言を認めながら言った。
 「創業の困難は、すでに過去のものとなった。守成の困難こそ、今後の問題」である。
 太宗は「富貴(=財産が多く、地位が高い)に慣れるところから驕奢(=権勢におごり、ぜいたくをする)の心が生じ、物事をゆるがせにするところから禍乱(=世の乱れ)の種が芽生える」――そこに守成のむずかしさがあると述べている。
 今、一面から見れば、学会も「守成」である。草創期と比べれば、そう言える。一番、危ないのは、幹部が安逸にふけること。私欲をむさぼることだ。それは衰亡の兆候と言える。これが『十八史略』の厳しき教訓である。慢心、油断、安逸を、リーダー自身が戒めなければならない。
5  戸田先生は、学会利用の人間を、断じて許さなかった。
 「信心以外では、学会員は皆、対等である。学会をタテに人を利用するのも、されるのも、両方、信心ができとらん」と厳しかった。
 インチキな人間。同志を苦しめる人問。広宣流布を妨げる人問。こうした人間を、先生は容赦なく糾弾された。
 「学会がこんなに本気で広宣流布へ打ち込んでるのにこれを邪魔する奴がある。しかも内部から出るとは言語道断だ。学会青年部の怒りを知らぬか。怒りは善悪に通ずるものだぞ」
 嫉妬の渦巻く社会で、師ソクラテスを死に追いやられた、弟子のプラトンはつづっている。
 「もし誰かが、何らかの点で悪い人間となっているのなら、その人は懲らしめを受けるべきである」(『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)
 それが、本人のためにもなるとプラトンは言うのである。
 巨大な権力悪と真っ向から戦った、ロシアの文豪トルストイは言う。
 「悪い車輪は常に高い音を立てて軌む。空な穂は高く立っている。傲慢の本性もかくの如きものである」(ビリューコフ編補『愛の暦』原久一郎訳、三笠書房)
 虚勢を張って騒ぐ。中味がないから、威張る。そういう傲慢な人間に出会ったならば、「あなたも、これとそっくりではないか」と教えてあげれば、おもしろい。
6  民衆のなかへ! 民衆とともに! 民衆のために!
 スペインの作家セルパンテスはつづった。
 「気取るのは何にかぎらずよろしくないからな」(『ドン・キホーテ』続編2、永田寛定訳、岩波文庫)
 ドン・キホーテのせりふである。
 とくに、若い幹部は、気取らないことだ。よく注意すべきである。見栄や格好ではない。はいつくばってでも、勝利をもぎとる。民衆のために尽くす。その執念がなければならない。
 インド独立の指導者、マハトマ・ガンジーの直弟子に、パンディ博士(ガンジー記念館副議長)がおられた。かつて何度も語り合ったことが懐かしい。
 博士は、十四歳の時に、ガンジーの弟子になる。民衆への奉仕を身をもって教えられた。
 「『国会に入った政治家は大衆から遊離する』――と、マハトマ・ガンジーは常に強調していました」と博士は言う(「聖教新聞」一九九二年五月二十八日付)
 だから博士は、自分が州知事になっても、民衆のなかで、喜びも悲しみも、ともにしていった。
 民衆に奉仕する。それが指導者の役目である。
 民衆のなかへ! 民衆とともに! 民衆のために! その魂を絶対になくしてはならない。
7  スイスの哲学者ヒルティは述べている。
 「病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路にすぎない」(『病める魂』斎藤栄治訳、『ヒルティ著作集』8所収、白水社)
 病と闘う友の全快を、妻とともに心から祈り、この言葉を贈りたい。
 人生には、必ず苦難の山があり、坂がある。全部、意味がある。妙法を唱え、師弟の道に生きぬくならば、すべての労苦は、永遠の栄冠に変わることを、どうか確信していただきたい。
 (東京牧口記念会館)

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