Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

代表幹部協議会 「よし、きょうも最激戦地へ」

2006.3.18 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

前後
5  信教の自由は人類が勝ち取った権利
 のちにアメリカの第三代大統領を務めたジェフアソンが起草した、歴史的な法律がある。
 「ヴァージニア信教自由法」である。その一節にこうある。
 「何人に対しても、その宗教上の思想見解または信仰のゆえをもって、強制、制限、妨害を加え、または、身体もしくは財産に関して負担を課し、その他いっさいの困苦を与えてはならない。
 すべての人は、宗教についての各自の思想見解を表明し、これを弁護、支持するの自由を有する」(「ヴァジニア信教自由法」松本重治訳、『世界の名著』40所収、中央公論社)
 これが一つの淵源となり、「信教の自由」が各国の憲法に謳われていったのは、有名な史実である。「信教の自由」こそ、人類が勝ち取ってきた、最も尊い人権である。
 イギリス・オックスフォード大学の名誉教授であられたブライアン・ウィルソン博士。国際宗教社会学会の初代会長を務めた博士が、こう述べておられた。少々、長くなるが、大切な内容なので、紹介しておきたい。
 「ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ノルウェーなどの国々で、はっきりとキリスト教の名を冠した政党が出現しているのです。
 成熟した民主主義社会では、人々の、自らの宗教的信条が、また、それに基づいた生き方というものが、彼らの政党への支持、献身を決定づけていくというのは、常識になっています。
 つまり、究極的には、宗教的自由の原理、政治的自由の原理は分離することが出来ないのです」(「聖教新聞」一九九五年九月二十二日付)
 さらに博士は、こう言われている。
 「国連やへルシンキ宣言などによる種々の国際宣言、すなわち、人権としての宗教的自由は、個々人の宗教的信条や、その集会、布教の推進、あるいは、宗教的信念に基づく社会的諸活動に対し、国家権力は干渉してはならないことを規定しています」(同前)
 「信教の自由」は、国家権力よりも上なのである。権力も、心まで縛ることはできない。また、縛つてはならないし、縛らせてもならない。当然のことだ。
 アメリカの教育哲学者デューイは、「権力は毒である」(Theory of the Moral Life, Irvington Publishers, Inc.)と鋭く喝破した。
 そのとおりだ。権力の魔性を、いかにして断ち切るか。これは、人類史的な難問であるが、一つのポイントは、「もっと民衆が強くなる」「民衆が賢明になる」ことだ。
 それが、権力の悪に対する歯止めとなる。
 そもそも、大聖人が、「王は民を親とし」と示されているとおり、民衆なくして権力者はない。しかも現代は、民主主義の社会である。民衆こそが「王」であり、権力者は、いわば「下僕」なのである。それであるのに、「下僕」たる権力者が、民衆を苦しめるなどという転倒は、断じて、これを許してはならない。
 いわんや、学会員の皆さまは、広宣流布という人類の幸福と平和のための偉業を進めている。最高に尊き仏子であられる。この方々を、断じて守れ! 一人も残らず幸福に! それが創価のリーダーの永遠の責務であると申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。
 (東京牧口記念会館)

1
5