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日蓮大聖人・池田大作

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第五十八回本部幹部会、全国壮年部幹部会… 新時代へ輝く人材城を

2006.3.9 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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2  きょうは世界の五十の国と地域から、偉大な同志の皆さまが、おいでくださった。本当にありがとう! ようこそ!
 大聖人は、気高き信心を貫く女性たちを、「釈迦仏が、あなたの御身に入られたのでしょうか」(御書1393㌻、通解)等と、繰り返し繰り返し、讃えておられる。釈尊がその身に入っているがゆえに、広宣流布のために戦ってくださっているのだろうか。ありがたいことです――と。
 法華経(普賢品)には「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経六七七㌻)とある。
 あまりにも尊いSGIの友を、私たちは、「仏を敬うが如く」大歓迎しましょう!
3  女性を尊敬せよ、そこに発展のカギが
 学会においては、男性と女性は、一切、平等である。これを、あらためて申し上げておきたい。
 女性に、ますます広布の重責を担っていただく時代に入っている。実際、折伏をはじめ、あらゆる活動を支え、学会を守ってくださっているのは、女性である。お世辞ではなく、これが事実である。
 何度も拝してきた御文であるが、日蓮大聖人は「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたりとみえて候」と、厳然と仰せである。
 男性が威張り、広布の女性を下に見る――それは、御聖訓に照らして、間違っている。また、民主主義に反するし、封建時代のような時代錯誤である。
 女性は、まじめで、純粋である。まっすぐな正義感がある。そうした女性を疎ましく思い、男性だけで物事を決めていくようになれば、学会の将来は危ない。混乱し、壊れかねない。
 男性が、心から女性を尊敬していけるか。ここに、永遠の発展への重大なカギがある。
 私は、根強い男性中心の風土を革命し、新しい「女性の世紀」を開くために戦っている。
 また、リーダーの団結が大事である。リーダーの心と心に距離があれば、そこに魔がつけ入り、組織は崩れていく。どこまでも「異体同心」で進んでいただきたい。
4  各国の顕彰は、同志の信頼の証
 先ほど私は、美しき「宝石の都」と謡われる中米エルサルバドル共和国のボリバル協会から、栄えある「名誉会員」の称号と「功労顕彰盾」をいただきました。
 この協会は一九五一年の設立であり、わが青年部と同じく五十五年の歴史を刻んでこられました。
 全世界の青年とともに、私は、この栄誉を受けさせていただきました。
 きょう、証書と盾をお持ちくださった同協会理事は、エルサルバドルの青年部のリーダー。三十歳の、若き正義の検事であられる。青年からの授与――それだけに、この栄誉が本当にうれしい。私は、貴国の平和と繁栄を、一生涯、永遠に祈りきってまいります。
 各国からの顕彰は、すべてSGIの同志の皆さま方が、良き市民として、社会で信頼と尊敬を勝ち取っておられる証明である。皆さん方のお力である。あらためて、心から感謝申し上げます。
5  ″政治家の千倍、民衆を信じる″
 壮年部の結成四十周年、おめでとう! 一人一人が、いよいよ元気に、境涯を大きく開きながら、慈愛をもって青年を育てていただきたい。
 記念に、ラテン・アメリカ解放の大指導者シモン・ボリバルの言葉を贈りたい。
 まず、「強さがなければ、徳はない」。(Simon Bolvar : Obras Complatas, Tom2, Editorial LEX.)
 弱い人間は、徳を貫くことはできない。強くあってこそ、正義も輝く。「強い」とは「偉ぶる」という意味ではない。あくまで、正義のための強さである。
 また、「栄光とは命令することではなく、偉大な善徳を実践することである」(ホセ・ルイす・サルセド=バスタルド『シモン・ボリーバル』水野一監訳、上智大学イベロアメリカ研究所訳、春秋社)。このとおりである。そして、「指導者たる者はいかに麟しい真実であっても、他人の意見に耳を傾けるべき」(同前)であるとボリバルは言う。
 とくに、婦人部や女子部の声を、大事にしていただきたい。
 ともあれ、「強さ」と「真剣さ」と「大きさ」が、名指揮者、名指導者の要件である。これらは、ますます必要になってくる。さらに、ボリバルは喝破している。
 「私は国民に対して、その代表者に対するよりも千倍もの信頼を置いている」(同前)
 一番大事なのは、民衆である。学会員である。とれを、断じて忘れてはいけない。
 健気な同志を厳護し、連戦連勝の勝ち戦を牽引してきた人、また、そうあるべき立場の人が、壮年部である。私も、壮年部の一員として、いよいよ動きに動いていくつもりである。荒鷲が飛ぶように、大いに戦っていきたい。新しい時代を開くために。全世界の皆さんのために。
6  難攻不落の大九州城に
 大勝利の九州総会、おめでとう! 遠くから、よく来られた。本当にありがとう。
 九州は、力強い。九州と聞けば、元気が出る。最優秀の拡大が光る女子部をはじめ、九州青年部の皆さんも、生き生きとしている。本当にうれしい。
 婦人部の皆さま方も、女子部と一体になっての前進は、すべてうかがっている。ありがとう!
 ご存じのとおり、牧口先生は、九州に何度も足を運ばれた。そして、広宣流布の永遠のくさびを打たれた。九州の重要性に、牧口先生は着目しておられた。しかし、多くの人は、その意義が分からなかった。
 今、九州を一つの起点にして、東洋へ、世界へ、妙法は大きく広がっている。新しい発展の原動力。それは「先駆の九州」である。皆さま方の功徳は大きい。
 牧口先生は、東京から福岡の拠点まで三十時間、二日がかりで通われた。それほどの遠路をいとわず、牧口先生は、なぜ通い続けたのか――。牧口先生は、九州の同志に、その真情を語っておられる。
 「私は、本物を作りたいんだ。あなたが本物になるために私は来ているんだよ」
 九州の人々は素朴である。真剣の人がいる。私は、九州を信頼している――こうしたお心だったのではないだろうか。
 本物がほしい! これが「創価の父」の心であった。私もまた、同じである。
 そして今や、本物の人材が光る「難攻不落の九州城」ができあがった。
 大九州は、断固と勝った! 大きな拍手を贈りたい。
7  青年は希望! 青年を仲間に
 牧口先生が、九州に来るたびに語られていたことがある。それは「青年はいないか」という言葉である。青年を折伏しよう。青年を育てよう。将来の学会のために。広宣流布のために――そう深く心に期しておられたのである。
 今ふたたび、焦点は青年である。少子化の時代だ。一流の団体は、あらゆる手を尽くして、優秀な青年を集めている。学会も、後れをとってはいけない。時代は今、大きく変わっている。新しい躍進のためには、前途に希望をもっ無数の青年を、仲間に入れるしかない。婦人部・壮年部の皆さんも、青年の育成をどうか、よろしくお願いしたい。
 とくに、これからの十年は、人材を育て、人材を獲得する蟻烈な競争となる。油断していると、取り残されていく。
8  青年に光を! 若々しいスクラムを! ことに私は、全魂を注いでいる。青年部の会合も、草創期のように、猛然たる勢いに満ちた、いちだんと感動あふれるものにしていきたい。
 青年部こそ、日本、そして世界において、広宣流布の新しい原動力である。その意味で、先頭を走る青年部は、いわば″師匠″である。未来を頼む側の壮年部や婦人部は、″弟子″のようなものといっても、過言ではない。
 親にとって子どもは、かけがえのない存在である。「息子よ、娘よ、頼む!」と、あとを託す。
 同じように、学会にとっては、青年にすべてを託す以外にない。未来部に頼むしかない。
 この点を、あいまいにせず、きちっと明確にしなければいけない。そこに、誇り高き「正義の道」「師弟の道」「勝利の道」が、厳然と開かれていく。
9  信心の″確信″を継承
 青年の糾合こそ、あらゆる団体の発展の方程式である。心広々とスクラムを広げていきたい。
 新しい青年に、最初から完壁に勤行・唱題をといっても、むずかしいかもしれない。まずは題目からでもかまわない。一遍の題目にも無量の功徳があると、大聖人は仰せである。要は、信心の確信を伝えることである。
 青年がいなければ、未来はない。師弟も、正義も、勝利も、すべて観念になってしまう。大切な広布の戦に負けてしまう。青年を仲間に!――学会は、これで未来を開こう!
10  正義の師を求めよ、悪師を見ぬけ
 ここで御聖訓を拝したい。「師弟契約御書」と言われる「最蓮房御返事」の一節である。
 「今の時代は、師に正師と邪師、善師と悪師がいる。その違いがあることを知って、邪悪の師を遠ざけ、正善の師に近づき親しむべきである」(御書1340㌻、通解)
 師匠といっても、正義の師匠もいれば、邪悪の師匠もいる。
 正義の師を求めよ! 邪悪の師を避けよ! その違いを、鋭く見ぬけ!決して、だまされるな!――これが、蓮祖の峻厳なる戒めである。
 邪悪な師には、従つてはならない。従えば、皆が悪に染まってしまうからだ。日顕がそうである。宗門が、あれほど腐敗し、堕落したのも、誤った指導者に従ったゆえである。邪悪な人間は、たとえ師であっても、それを遠ざけ、叩き出していかねばならない。どこの世界でも、同じことである。わが学会も、断じて油断してはいけない。
 役職や立場を利用してインチキをしたり、同志を苦しめる人間が出たならば、絶対に許してはならない。「あなたは、間違っている!」「おかしいではないか!」と厳しく責めぬいて、その悪を暴いていくのだ。そうでなければ、学会を破壊し、同志を不幸にしてしまうからだ。
 その点を厳しく見極めていかねばならない。これが大聖人の厳命であり、私の遺言であると申し上げておきたい。
11  「日蓮こそが、正義の師匠」
 それでは求めるべき「正義の師」とは、だれか? それは三類の強敵と戦い、身命を惜しまず、妙法を唱え広めていく人である。
 つまり、法華経のとおりに「難」を受けているかどうか。それを大聖人は、最大の眼目とされた。そして、「自分こそ法華経を知り、法華経を修行している者である」と思いあがっている輩に対しては、「日蓮が受けたような難にあっていないではないか」と厳しく切り返し、責め返しておられる。
 (=「最蓮房御返事」のなかで、大聖人は「先に挙げた諸宗の人々は、自分とそ法華経の意を心得て、法華経を修行する者であると名乗っているけれども、日蓮が受けたような難にあっていない」〈御書一三四一ページ、趣意〉と仰せになっている)
 大聖人の御生涯は、まさしく迫害の連続であられた。卑劣な讒言などによって二度、流罪された。頸の座にもつかれた。種々の難は数知れない。すべて経文どおりであられる。
 ゆえに大聖人は、「難を受けていない格好だけの者は、ことごとく邪な師である。難を受けきってきた日蓮こそが、正義の師である」と厳然と宣言されたのである。
 (=「日蓮は弘長元年には、伊豆の固に流され、文永八年には、佐渡の島に流され、あるいは竜の口で頸の座にすえられる等の難を受け、このほか種々の難は数え切れないほどである。経文のとおりであるならば、自分こそ正師であり、善師である。諸宗の学者は、ことごとく邪師であり、悪師であるとお考えなさい」〈御書1341㌻、通解)
12  創価三代の師弟こそ広宣流布の礎
 それでは、御本仏であられる大聖人に直結して、「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の難を受けながら、末法の五濁悪世の現代に、世界広宣流布の道を聞いてきたのは、いったいだれか?
 初代、二代、三代の創価の師弟しかいない。
 初代の牧口先生は、大聖人の正法正義の命脈を守られて牢獄につながれた。そして、獄中で殉教である。
 第二代の戸田先生も同じく牢に入った。そして圧迫に耐え、寿命を削りながら、二年間におよぶ獄中闘争を生きぬかれたのである。
 第三代の私も、広宣流布のゆえに、無実の罪で牢獄に入った。反逆者に乗せられた、売らんがための卑劣なマスコミのウソ八百によって、数限りない悪口罵詈を浴びせられた。
 すべては、法華経のとおり、御書のとおりである。
 この初代、二代、三代の会長だけが、御聖訓にいささかも違わず、一切の矢面に立って三障四魔、三類の強敵と戦いぬいてきた。それはだれよりも、皆さんがご存じのとおりである。
13  青年よ「闘う魂」を受け継げ
 戸田先生がどれだけ、私を訓練したか。どれだけ、私を大事にしてくださったか。
 戸田先生が事業に失敗され、生きるか、死ぬか――その時も、私が一人で奔走して、先生をお守りした。莫大な借金もすべて清算した。
 先生を誹謗中傷する人間がいれば、ただ一人で飛んでいった。相手がだれであろうと、青年らしく、勇敢に、誠実に、まっすぐに語りぬいて、師の真実を認めさせていったのである。
 難と戦う師匠を断じて守る。その祈り、その行動に、「仏法の師弟」の真髄がある。
 牧口先生と戸田先生は「不二」であった。戸田先生と私もまた「不二」であった。「生死不二」の師弟であった
 戸田先生の本当のご精神を受け継いで、私は、三類の強敵と戦い、創価学会を、ここまでつくりあげてきた。創価の師弟は、牧口先生、戸田先生、そして私で決まったのである。
 根本は、三代の師弟である。三代の「師弟の精神」を守りぬいていくかぎり、創価学会は永遠に発展する。世界広宣流布は、必ず実現できる。
 この三代の広宣流布へ「戦う魂」を、後継の青年部は、断じて受け継いでいっていただきたい。勝っていただきたい。よろしく頼みます!
 私自身のことにもなって恐縮だが、万年の未来のために、本当のことを残させていただきたい。
14  創価学会は広宣流布の団体である。ゆえに、広布に励む同志が一番尊い。
 会員のために幹部は存在する。どこまでも会員に尽くしていくのが、幹部の役目である。
 それを自分が偉くなったと錯覚して、会員を手段にしたり、犠牲にする幹部が出たならば、絶対に許してはいけない。また、断じてそのような傲慢な幹部になってはいけない。
 一瞬たりとも油断なく、会員のために働いて、働いて、働きぬいていく。それが創価学会の指導者であることを忘れないでいただきたい。
 私自身は、御本尊に守られて、また、会員の皆さまが祈ってくださっているおかげで、たいへんに健康である。何の心配もいらない。皆さま、本当にありがとう!
 私は、尊き皆さま方のために、真実を語り残しておきたい。真実の師弟の道を、真実の学会の世界をつくっておきたいのである。
15  苦難に打ち勝った人が勝利者
 ″人類の頭脳″アインシュタイン博士は、次のように述べている。
 「真に偉大な人間になる道は一つしかない。それは、何度も苦難にあうことである」(The New Quotable Einstein, Collected and edited by Alice Calaprice, Prinstion University Press)
 深い言葉だ。私も、この何十年問、中傷と迫害の連続であった。試練の連続であった。
 ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴインチは述べている。
 「純金は火によって精錬される」(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』上、杉浦明平訳、岩波文庫)
 「大なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」(『レオナルド・ダ・ヴインチ』藤田赤二訳、『ヤスパース選集』4所収、思想社)
 苦悩なくしては、立派な才能も完成できない。立派な人間にはなれない――こう言うのである。
 この言葉どおりの人生を、牧口先生は歩まれた。戸田先生も、そうであった。そして私もまた、そうである。戸田先生から、徹底して厳しく鍛えられた。幾多の苦難を乗り越えてきた。
 だからこそ、学会は世界的になったのである。
 これまで、苦難を避ける、ずるい人間もいた。自分の利益しか考えない。そのくせ威張る。あげくは師匠さえも″飾り″にして利用する。それは全部、信心なき、陰謀の人間たちであった。
 難を乗り越えて、仏になれる。「難こそ誉れ」。これが仏法者である。
 その深き魂を忘れて、″口先でうまく言っておけばいい″と要領に走り、格好だけつける――そんな惰弱な学会をつくりたくない。否、断じてつくってはならない。
 ホール・ケインは、小説『永遠の都』のなかでつづっている。
 「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」(新庄哲夫訳、潮出版社)
 苦難に打ち勝った人が真の勝利者である。これが真実の学会の同志の姿である。
 ともあれ、学会には、ありとあらゆる試練と苦難を勝ち越えてきた金剛不壊の三代の「師弟」がある。この「師弟」があったから、広宣流布の土台ができた。
 異体同心の学会には、一千万の同志がいる。学会は強い。うれしいことだ。
 そして、世界百九十カ国・地域の連帯がある。すごいことだ。
 この中にこそ、最高にして有意義な、「所願満足」の生命の軌道がある。これを壊されてはならない。
16  女性の成仏を証明した竜女
 法華経では、竜女の成仏が説かれている。(提婆達多品)
 そのなかで、若き竜女は、師と仰ぐ釈尊に感謝を込めて言う。
 「私は大乗の教え(法華経)を聞いて、苦悩の衆生を救ってまいります」――そう誓願する。
 広布の青春を駆ける、わが尊き女子部の皆さんの姿をほうふつさせる。
 そして竜女は、自分をバカにして、女人成仏を信じない舎利弗たちに対し、「汝が神力を以て、我が成仏を観よ」と言って、実際に自分が成仏して衆生を教化する姿を見せたのである。
 日蓮大聖人も、御書のなかで、この竜女の成仏と誓願について述べておられる。(1348㌻)
 大聖人は、女性を最大に大切にされた。女性の門下の健気な信心を、深く讃嘆された。
 法華経以前の経典では、女性は成仏できないとされていた。竜女の成仏は、一切の女性の成仏に通じていく。他の多くの衆生にとっても、大いなる喜びであった。
 竜女が、こんなに立派になった。このように衆生を救っていくすばらしい存在となった――。
 いわば、竜女は、人間革命の偉大なる″勝利の実証″を示した。そして、多くの人々に喜びを送る″希望の大革命″をしたのである。
17  忘恩の人間は、遠慮なく責めよ
 だれにでも、平等に、最高に尊い「仏の生命」がある。それを仏法は教えている。
 民衆が強くなり、賢くなり、幸福になっていく――それが、全人類の幸福のために立たれた大聖人の願いであった。
 二十一世紀こそ「民衆が主役」の時代にしたい。もっともっと、「下」が強くなって、「上」を動かしていくのだ。これは、牧口先生が言われていた方程式である。
 もちろん、学会に、おいては、役職は「責任職」であり、上も下もない。広宣流布のための組織であり、尊き使命は皆、まったく同じである。
 「地涌の菩薩」の誇りに燃えて、むしろ第一線の同志が、幹部以上に、広宣流布の拡大に尽くしてくださっている。そうであるのに、幹部だからと威張るような人間がいたならば、皆が、どんどん意見を言っていくべきである。
 いわんや、学会のおかげで社会的に偉くなりながら、信心を忘れて、広布のために戦わない。増上慢になって学会を見下す。そういう忘恩の人間は、容赦なく責めるべきである。それが本人を救うことにもなる。同志の間に、よけいな遠慮などいらない。また、あってもならない。
 大事なことは、皆が喜び勇んで、広布のために進んでいくことである。
18  名誉称号は全同志の栄誉
 これまで、私が皆さん方を代表していただいた、世界からの名誉学術称号は「百八十六」となった。決定通知を含めると、「二百十」となる。
 私は、大学に満足に通えなかった。戸田先生を守り、支えるために、夜学を断念せざるを得なかった。しかし、戸田先生は、逝去されるまで、私に勉強を教えてくださった。日曜に先生のお宅にうかがい、先生みずから食事をつくって、ふるまってくださったこともあった。″申し訳ない、おれのために″――こういう思いで、先生は私に対して徹底的に学問を打ち込まれた。
 あまりにも偉大な師匠であった。その師匠のために私は戦う――こう決めたのである。そして、師弟不二の道を歩んできた。
 また、歴史学者のトインビー博士は、私との対談を終えるさいに、「あなたは、私より多くの名誉博士号を受けるでしょう」と言ってくださった。これも忘れられない思い出である。
 今、創価の平和・文化・教育運動に対する賞讃が、世界から寄せられている。トインビー博士も喜んでおられると思う。これらの名誉称号は、創価学会の誉れであり、師弟の勝利の証であり、全同志の栄誉である。
 今、創価教育の同窓生が、世界各地で、また国政の場など各界で活躍している。
 真剣な教員の先生方、職員の皆さま方にも心から感謝し、讃えたい。
19  他者のために生きる人が幸福
 芸術部の皆さん、いつもいつも、本当にありがとう!
 また「芸術部の日」(三月八日)、おめでとう!
 今年で生誕二百五十周年を迎えるモーツァルトの言葉に、こうある。
 「心こそ人間を高めるものです」(海老沢敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』5、白水社)
 「心こそ大切なれ」である。皆さんの存在は、最も美しく、最も誠実な心が光る尊極の″芸術の太陽″である。多くの友が応援しています!
20  最後に、幾っか箴言を紹介したい。
 ロシアの文豪トルストイは、「人生にはただひとつだけ疑いのない幸福がある――人のために生きることである」(『家庭の幸福』中村白葉訳、『トルストイ全集』3所収、河出書房新社)と記した。
 これがトルストイの結論だったともいえよう。
 永遠の幸福のために! 他人のために生きよ!――学会の正義、仏法の正しさは、この生き方のなかに輝く。学会活動に励む私たちこそ、最も幸福な道を歩んでいるのである。
21  また、中国の作家・魯迅はつづった。
 「最後の勝利は、喜ぶ人々の数にあるのではなく、どこまでも進撃する人々の数にある」(「滬寧奪回祝賀のかなた」須藤洋一訳、『魯迅集』10所収、学習研究社)
 「光明はかならずや訪れる。あたかも夜明けをさえぎることはできないように」(「寸鉄」伊藤虎丸訳、同全集10所収)
 決心するかぎり、奮闘するかぎり、われわれは必ず成功し、勝利する――虐げられてきた民衆を鼓舞する、魯迅の叫びであった。
 次元は異なるが、御本尊を持ち、日々、題目をあげて奮闘する人は、最後に必ず勝つ。
 今、学会は、新しい太陽が昇りゆくように、成長と拡大と前進の時を迎えた。
 晴れわたるわれらの永遠の記念日である「五月三日」に向かって、新たな勝利への大攻勢を、はつらつと開始してまいりたい。
 きょうはありがとう! 皆、体を大切にしてください。
 壮年部、男子部の皆さんは、女子部、婦人部の活躍を支え、守っていただきたい。同志として、おたがいに切瑳琢磨し、一生涯、信心を貫いていくことである。
 海外からの皆さま、本当にありがとう! 朗らかに進みましょう!
 (東京牧口記念会館)

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