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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議会 広宣流布は青年で決まる

2006.2.23 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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2  下から上へ、建設的な声を
 幹部は同志のためにいる。誠意を尽くせば、皆、気持ちがいい。反対に、つんとして、人の意見も聞かず、威張ってばかりでは、まるで″独裁者″だといわれでも仕方がない。
 もしも、将来、堕落の幹部が出たら、皆が厳しく正すことだ。
 初代会長牧口先生は「下から上を動かせ」と教えられた。
 正しいことは正しい、おかしいことはおかしいと言いきる。建設的な声をあげることである。
 最も大事なのは学会員である。
 私は十九歳の時から、戸田先生と学会を、守りに守ってきた。「師弟不二」を貫いてきた。
 これが、初代、二代、三代と続いてきた、純粋な学会の伝統である。
 この精神を、いかに永遠たらしめるか――広布のリーダーの皆さんは、この一点を真剣に考え、会員の幸福のために、「不惜身命」の決心で戦っていただきたい。
3  「聖教新聞」の創刊五十五周年を記念する祝賀会が各地で行われている。
 参加された来賓の方々から、さまざまな声が寄せられている。とくに、多くの方が、学会の「青年の力」に注目しておられた。どれも、各界のトップの声である。温かいご理解に心から感謝申し上げたい。(=「今日のこれだけの創価学会の発展の一つのカギは、池田名誉会長がつねに青年に光を当て、青年を育ててこられたからだと思います」「多くの団体が後継者育成に悩むなかで、学会は池田名誉会長の尽力によって、青年が陸続と育っています。そうした学会の姿を毎日の『聖教新聞』で拝見するのが楽しみです」「『聖教新聞』からは『若い力』を感じます。池田名誉会長が人材育成に力を入れ、若い人を大切にされていることが紙面から伝わってきます」などの声が寄せられた)
 今、日本の多くの心ある人々が、「学会青年部の熱と力」に、期待している。
 未来の広布を担う青年部の皆さんは、いよいよ「行学の二道」に徹して挑み、自身の信心を鍛えに鍛えていってほしい。
4  私は先月、ロシアの文豪の名を冠したA・M・ゴーリキー記念ウラル国立大学から名誉博士号を受章した。
 このゴーリキーはつづっている。
 「前進への意欲――これこそ人生の目的なり。生涯、前進し続けるのだ。そこに、気高くすばらしい時がある」(Алексей Максимович Горький, Полное собрание сочинений, Том.3, Наука.)
 「前進」といえば、若き日の文京支部での戦いを思い出す。当時、文京支部の折伏成果は、全国で最下位クラスであった。支部長は女性だった。
 彼女から支部の窮状を訴えられた戸田先生は、こう言われた。
 「僕の懐刀を送ることにしよう」
 私が文京支部長代理の任命を受けたのは、昭和二十八年(一九五三年)の四月であった。
 私は最初の班長会で申し上げた。
 「人生は前進です。限りない前進です。英雄ナポレオンの合言葉は『前進』でした。私たちは、広宣流布の英雄です。破邪顕正の英雄です。
 わが文京支部は、『前進』の魂を断固と燃やそう! 『前進』を合言葉としよう!」
 そこから文京の大前進が始まった。私は具体的な目標を掲げ、各地区を駆けた。一人一人と誠実の対話を重ねていった。そして、この年の十二月には、文京は第一級の支部へと発展を遂げたのである。
 私は、どこに行っても連戦連勝で勝利の歴史を築いてきた。昭和三十一年(一九五六年)、大阪では、「まさかが実現」とマスコミが驚嘆するほどの大勝利の金字塔を打ち立てた。
 当時、大阪よりも東京のほうが、はるかに情勢はよかった。「勝てる」と多くの人が思っていた東京が負けてしまった。そして、劣勢だった大阪が勝利した――皆、本当に驚いた。
 関西は、私が手づくりで築いた「常勝の天地」である。だからこそ私は関西を信頼する。関西を大事にする。
5  苦難と闘う時、人生は満たされ輝く
 牧口先生は、「同じ小悪でも、地位の上るに従って次第に大悪となる」(『牧口常三郎全集』10)と述べておられた。リーダーが、心していくべき指針である。
 学会において幹部は、皆の模範となるべき存在である。そのぶん、責任も重い。つねにみずからを厳しく律していくことを絶対に忘れてはならない。
 また、戸田先生は、「同じ失敗を二度する人間を馬鹿というのだ」と語っておられた。
 失敗を次の成功への糧とする。これが大切である。それができないのは、愚かである。
 ゴーリキーは記している。
 「人間が人生を妨げるものと闘う時、人生はより満たされ、輝く」(Алекесй Максимович Горький, Полное собрание сочинений, Том.3, Наука.)
 いい言葉だ。困難や試練が何もないのが幸せなのか。そうではない。苦難と戦うからこそ、本当の人生の深さが分かる。自身の境涯が大きく広がっていく。鍛えられていくのである。
 仏法では、仏道修行を妨げる働きとして三障四魔が説かれている。また、末法の法華経の行者には、三類の強敵が現れると説かれている。
 日蓮大聖人は、命に及ぶ数度の大難を耐え忍ばれた。陰険なデマによって、悪名を流された。
 「日蓮は、ただ法華経を弘めようとすることを失とされて、妻子を持たずして『犯僧』の名が国中に満ち、けらや蟻さえも殺さないのに『悪名』が天下にはびこってしまった」(御書936㌻、通解)と仰せである。法華経の行者に大難が起こるのは、必定なのである。
 このとおりの実践を貫いてきたのが学会である。三代の会長である。私は、学会や戸田先生への不当な中傷や批判とは、正義の言論で徹して戦った。師匠を守りぬいた。悪と戦わない。声をあげない。世間られて、うまく立ち回る――こうした臆病な、愚かな、だらしのない幹部であってはならない。これこそ大聖人が一番嫌われた人間である。
6  幸福は「戦い」のなかにある
 ゴーリキーは、次の言葉も残している。「人生には、二つの生き方しかない。堕落する人生と、燃える人生である」(Алекесй Максимович Горький, Полное собрание сочинений, Том.3, Наука.)
 たしかに、そのとおりだ。心が燃えているか、いないか。確かな目標を目指して、情熱を燃やしているか、いないか。情熱を失ったとき、人間は、堕落の方向に向かってしまう。何歳になっても、心の炎を消してはならない。
 ゴーリキーは、「老いると保守的になる。これこそ最大の不幸なり」(Алекесй Максимович Горький, Полное собрание сочинений, Том.11, Наука.)と述べている。老いることは、不幸ではない。年をとって保守的になることが不幸だというのだ。
 壮年部になって、「自分はもう青年部じゃないから」などと、心が引いてしまう人がいるが、それではいけない。ますます壮んに戦う。青年時代の誓いを、一生、持ち続ける。その人が、人生の勝利者である。ゴーリキーは言う。
 「私は幸福というものを知っている。(中略)おお、戦う幸福よ!」(Алекесй Максимович Горький, Полное собрание сочинений, Том.2, Наука.)
 仏法の精神、そして学会精神に通ずる一言である。幸福は、いったい、どこにあるのか。波も嵐もない、安閑とした生活のなかに、本当の幸福はない。幸福は、「戦い」のなかにある。絶えざる前進のなかにある。
 きょうは、全国の各方面の青年部長、女子部長も参加されている。ご苦労さま!
 「力は団結にある――これは論議の余地のない社会的公理です」(佐藤清郎『ゴーリキーの生涯』筑摩書房)と、ゴーリキーは言った。私たちも、これでいきましょう! 学会は、永遠に「異体同心」で!
7  フランスの思想家ヴォーヴナルグの箴言に、こうある。
 「狡く立ち回ってつかみ取った評判は、軽蔑に変る」(『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
 皆さんは、こういう人間に、決してなってはいけない。どんなにうまく立ち回ってみたところで、虚像は虚像である。メッキは、いつかはがれるものだ。そのほうが、かえって軽蔑される。
 誠実一路、真実一路を貫いてこそ、本当の信頼は得られる。
 十九世紀のスペインで、人権のために時った女性、コンセプシオン・アレナルは言った。
 「失敗から立ち上がる人は、失敗を犯したことのない人よりも偉大である」(″Cartas a los delincuentes″, Alicante : Biblioteca Virtual Miguel Cervantes, Obras Comletas de Concepcion Arenal;3, Libreria de Victoriano Suarez.)
 一面の真理をついている。だれしも、失敗することはあるだろう。挑戦に、失敗はつきものである。何も行動を起こさなければ、失敗することもない。大事なのは、失敗したとき、ふたたび勇気を出して、立ち上がることだ。倒れても、倒れても、不屈の魂を燃やして前に進み続けるのだ。人生の勝負は、最後で決まる。
 もう一つ、アレナルの言葉を贈りたい。とくに、女性の皆さんに。
 「自分自身を向上させない幸福は、本物の幸福とは言えない」(Concepcion Arenal : Obras Completas, Tomo 2, Atlas.)
 深くかみしめたい言葉である。外面的に、いかに幸せそうに見えても、本当に幸せかどうかは、分からない。物質的、環境的に、どれほど恵まれたとしても、幸福とは限らない。自分自身が、人間として成長する。境涯を高める。心を磨き、心を鍛える。それが、幸福の根本である。私たちは、「本物の幸福」を最高に味わえる、偉大な仏法を持っている。その誇りと確信を忘れてはいけない。
8  正義の声で悪の根を断ち切れ
 ここで、御書を拝してまいりたい。大聖人は、門下のなかで、大聖人を裏切り、退転していった者の特徴について、こう仰せである。
 「臆病で、教えたことをすぐ忘れ、欲が深く、疑いが多い」(御書1191㌻、通解)と。
 また、こうも言われている。
 「能登房は、現実に味方であったが、世間の恐ろしさといい、欲深さといい、日蓮を捨てただけでなく、敵となったのである」(御書1225㌻、通解)
 現代も、方程式は、まったく同じである。
 見栄ばかりで、本当の信心を貫く勇気がない。そして、学会を利用するだけ利用して偉くなるや、慢心を起こして、学会と同志を見下す。純粋な信心を失って、最後は退転し、反逆する――そういう醜い忘恩の輩がこれまでもいた。
 その本性は、「臆病」であり、「愚か」であり、「貪欲」であり、「不信」である。こうした人間をのさばらせては、まじめな同志が、かわいそうである。広布の邪魔になるだけである。ゆえに、正義の声で徹して糾弾し、責めて責めて責めぬいて、その悪の根を断ち切っていかねばならない。
 戸田先生が「これは、よく拝しておけ!」と何度も厳しく、おっしゃった御文がある。
 それは、「竜の口の法難」の日の大聖人の御様子が認められた「種種御振舞御書」の一節である。
 「日蓮は大高声で彼らに言った。
 『なんとおもしろいことか、平左衛門尉がものに狂った姿を見よ。おのおのがた、ただ今、日本国の柱を倒すのであるぞ』と叫んだところ、その場の者すべてがあわててしまった。
 日蓮のほうこそ、御勘気(公権力によるとがめ)を受けたのであるから、おじけづいて見えるはずであるのに、そうではなく、逆になったので、『この召し捕りは悪いことだ』とでも思ったのであろう。兵士たちのほうが顔色を変えてしまった」(御書912㌻、通解)
 この大確信こそ、堂々たる姿で、仏法に殉じられた牧口先生、戸田先生の魂である。そして、その不二の弟子たる私の魂にほかならない。
 創価三代の師弟は、この不惜身命の大精神で戦った。そして勝ってきた。この重大なる一点を、学会の後継ぎである青年部の諸君には、はっきりと申し上げておきたい。
9  すべては青年に託す
 スイスの大教育者。ペスタロッチは、みずから創立した学園の友に、こう呼びかけた。
 「青年のみなさん、みなさんによってわたしたちの学園の真価が証明されるわけです」(「新年講演」佐藤正夫訳、長田新編集校閲『ペスタロッチー全集』10所収、平凡社)
 創価学会も、本当の価値が分かるのは、「今」ではない。「未来」である。青年部の諸君の時代である。広宣流布は、青年で決まる! すべては、青年に託すしかないのである。
 そのために私は、人知れず、未来を構想し、さまざまな手を打っている。君たちの時代のために、広宣流布の完壁な土台だけは、築いておくつもりである。
 同じくぺスタロッチは叫んだ。
 「信仰がひとを強くし、希望がひとを向上させるのです」(同前)
 信仰の強き人が幸福である。希望を失わ在い人が最後は勝つ。それが仏法の生き方である。わが創価の常勝の人生である。これからも、ともどもに、何でも自由に語り合いながら、一緒に歴史をつくり、残していこう!
 最後になるが、とくに青年部の諸君は、お父さん、お母さんを大切にしていただきたい。心から感謝の気持ちを伝えていってもらいたい。たまには、何かおみやげでも買って帰ってあげてください。離れて暮らしている人も、何かしてあげてほしい。よろしく頼みます!
 皆さん、長時間、本当にご苦労さまでした。ありがとう!
 お元気で!また、お会いしましょう!
 (創価文化会館)

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