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日蓮大聖人・池田大作

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女子部・婦人部合同協議会 伸び伸びと楽しく女子部の新時代を

2006.2.14 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

前後
2  学会の将来は女子部で決まる
 これからは、女子部の時代である。いちだんと力を入れてまいりたい。もう一度、本格的に訓練し、新しい女子部をつくっていきたい。
 どんな団体も、女性を大事にし、育てたととろには、永続的な発展の道が開けていく。学会の将来も、女子部で決まる。女子部の成長が、学会の発展に直結している。どうすれば女子部が拡大し、心広々と、伸び伸びと活動できるか。真剣に探究し、実行する時代に入った。
 かりにも女子部を見下し、軽く扱うことがあってはならない。男性や婦人部に挟まれて、肩身の狭い思いをさせてはいけない。最大に励まし、ほめ讃え、自信をもって進めるよう、各部が一体となって、応援していくべきである。
3  幸福を決めるのは″心″
 長い人生の経験のうえから、女子部の皆さんの将来のために、大事な話をしておきたい。
 結婚したら幸せで、結婚しないと不幸なのか。結婚が早い人は幸せで、結婚が遅いと不幸なのか。そうではない。人生は、そう簡単ではない。複雑であり、非常に微妙なものだ。
 きょうまで幸せだった人が、明日は不幸の底に落ちるかもしれない。きょうまで不幸だった人が、明日は一挙に運命が開ける場合もある。
 また、外からは幸せな境遇に見えて、じつは不幸に泣いている人がいる。外からは不幸な境遇に見えても、生き生きと充実の人生を生きる人がいる。
 結局、幸福を決めるのは「心」である。これは唯心論を言うのではない。
 わが心こそ、仏界の生命がそなわる宝の器である。信行に励み、この仏界の生命をわき出してこそ、生涯にわたって確実な幸福の軌道を歩み、所願満足の人生を飾ることができる。
 日蓮大聖人は「さいわいは心よりいでて我をかざる」と仰せである。
 皆さまは、この正しき人生を歩んでいただきたい。そのためには、学会という清浄な信心の世界を、まっすぐに進んでいくことだ。
4  「御義口伝」には、こう仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一宇は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである」(御書734㌻、通解)
 わが創価学会は、日蓮大聖人の仰せのとおりに「信・行・学」に励み、御聖訓のとおりに「三障四魔」「三類の強敵」と戦っている。そして御聖訓のとおりに「異体同心」の和合僧で、広宣流布へ「勇猛精進」している。
 ゆえに、この仏意仏勅の創価学会とともに生きぬくことこそが、すなわち、日蓮大聖人とともに宝処へ至る、唯一無二の道なのである。
5  よき先輩、よき友と創価の道を
 具体的には、女子部の皆さんは、よき先輩、よき友人を持つことである。そして、何でも、心おきなく相談していくことだ。よき人と離れてしまってはいけない。
 一人で問題を抱えたり、自分勝手になって、道を間違えてはいけない。
 悪友に染まれば、自分も悪へと堕ちていく。善友に縁すれば、自分も善の方向へ伸びていくことができる。これが人間の世界であり、数多くの人生を見てきた私の結論である。
 結婚についても、決してあせる必要はない。
 結婚するかしないか、幾つで結婚するか――それらは、永遠の生命の次元から見れば、じつは小さいことだ。それで、人生のすべてが決まってしまうのではない。一生懸命に、この信心を貫けば、幸福にならないわけがない。
 女子部の皆さんは、安心して、この創価の道を、希望と勇気にあふれで進んでいただきたい。そして、婦人部・壮年部の先輩方は、誠実に、親身になって、女子部の皆さんの人生の相談にも乗り、全力で応援していただきたいのである。
 かけがえのない青春である。一生の幸福の土台をつくる、大切な時である。
 よき師を求め、よき先輩から学び、よき同志と励まし合い、よき後輩を育てていくことだ。そして、父母を大切にしていただきたい。私は、女子部の皆さんに、「ウクライナのソクラテス」と呼ばれた大哲学者スコヴォロダの言葉を贈りたい。
 「私は、裕福な人たちを哀れむ。彼らが、自らの欲するものを手に入れるなら、それもよかろう。しかし、真の幸福者は、友を持つ者であり、私に友人がいるならば、私は自身を最大の果報者であると思うのだ」
 「真実の哲学」を持ち、「真実の同志」とともに、「真実の友情」を広げゆかれる創価の乙女たちこそ、いかなる富豪よりも、いかなる権力者よりも、「真実の幸福の大道」を歩んでいるのである。
6  大先輩の模範の人生――多国時子さん
 きょうは、女子部の皆さんの大先輩であり、信仰者としての模範を示した、一人の同志のお話をさせていただきたい。多田時子さんである。(旧姓=湊)
 ――それは、戸田先生が逝去された一カ月後のことである。多田さんは、一九五八年(昭和三十年)の五月三日、女子部長に就任した。
 当時、心ない世間は、「創価学会は空中分解するだろう」「壊滅するだろう」などと悪口を繰り返していた。全国の同志たちも意気消沈し、不安を抱いていた。
 その、最も大変な、最も大事な時に、多国さんは、私とともに厳然と立ち上がった。暗闇を豁然と破って、旭が昇りゆくように、女子部の行進を開始したのである。
 いつも背筋を伸ばして正義を叫び、師弟の道を語り、後継の育成を訴える、その英姿は、まさに「創価のジャンヌ・ダルク」であった。
 多田さんが生まれたのは、大正から昭和へと、時代が変化する転換期である。(一九二五年〈大正十四年〉十月)
 九人きょうだいの末っ子であった。銀行の支店長をしていた父は、多田さんが幼い時に他界。以来、一家は貧之のどん底に落ちる。家屋敷も失った。そのうえ、彼女は病弱であった。結核をはじめ、胃や腎臓や肝臓に、幾つも病気をかかえていた。
 高等女学校に入ったが、三年で中退。さらに、残酷な戦争が、青春をめちゃくちゃにした。
7  毎日毎日が発心だ
 食糧難。経済苦。病苦。そして、地獄のような空襲――。
 「きょうも生きている。よくぞ生きのびることができた」
 「生きていること自体が不思議に思えるほど」の日々だったと、のちに多田さんはつづっている。
 なんとか生き残って、敗戦を迎えた。しかし今度は、柱と頼み、心の支えとしてきた最愛の母を、病気で亡くした。母を頼りに生きていた多国さんは、希望を失った。
 ――どうして、こんなに苦しまなければいけないのか。人間は、苦しむために生まれてきたのか。次々と襲いかかる宿命に、なすすべもなく翻弄され、若き多感な乙女は、いつしか人生に深く絶望していった。「道端に捨てられた、ボロ雑巾のような人生」とまで卑下していた。
 そうしたなか、職場の先輩に誘われて、東京・大田区の蒲田で、座談会に参加したのである。
 「だれでも必ず幸福になれる」という確信ある話と、皆が同じ目的を目指して生き生きと行動している姿に、強く心を動かされたという。
 五一年(昭和二十六年)の八月に入会。戸田先生が第二代会長に就任された年である。多田さんは二十五歳。宿命を転換するための、出発の夏であった。
 彼女が間借りしていた小さな部屋に、御本尊を御安置するため、女子部の班長だった私の妻も駆けつけた。年齢は多田さんのほうが上であったが、妻は多田さんを包み込むように励まし、親切に、またていねいに、信心の基本を教えていった。
 この同志愛を、多国さんは生涯の誇りとし、人生の宝としていかれたようだ。
 仏法と出あい、学会とめぐりあって、多田さんの人生は、文字どおり「暗」から「明」へ一八〇度、変わった。それまで床に臥しがちだった体も、目に見えて健康になっていった。光を見いだせなかった人生に、生きる希望の灯がともった。勇気がわいてきた。
 信心に確信を持った彼女は、真剣に学会活動に励んだ。
 戸田先生が手づくりで育てた女子部の人材グループ「華陽会」の一員にもなった。
 戸田先生は、両親に先立たれ、生活苦のなか健気に戦う彼女を、陰に陽に温かく見守っていかれた。そして先生は私に、多田さんを女子部の立派なリーダーに育てるよう、託されたのである。
 ある時、私は多田さんに言った。
 「毎日毎日が発心なんだ。日ごとに発心していくんだよ」
 有名な御聖訓に、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」とある。「日ごとに発心せよ」――との言葉を、彼女は終生、胸に刻んで進んだ。
8  率先の行動が人材を育てる
 彼女は、堂々たる「女子部革命」を成し遂げていった。女子部長を務めた五年間で、全国の女子部の陣容を「五万五千」から「四十万」へ、じつに七倍以上に拡大したのである。
 その躍進を可能にした要因は何か。彼女は凛然と語っていた。「弟子の道に徹すること――組織の発展の因も、一生成仏の因も、すべて、この一点に尽きます」と。「師弟不一一の信心」こそ広布発展の因である。
 また、彼女は「率先の行動」が光っていた。
 ″だれかにやってもらおう、という依存心があれば、人間は育たない。自分自身が懸命に戦いぬいていくとき、人材はわき出てくる″というのが、彼女の信条であった。
 その勇気と執念が、広宣流布の未来を聞く「戦う女子部」を構築していったのである。
9  人と比べるな、自分が強くあれ!
 また彼女は、寸暇を惜しんで家庭訪問と個人指導に励んだ。
 人一倍、苦労してきたからこそ、彼女の話は、皆の心に入った。
 「だれかと自分を比較したり、人を羨んではいけない」
 「慢心を起こしたり、心を複雑にしないとと」
 「自分自身を律する、強い生命力を!」
 一人一人の悩みの核心をとらえ、聡明な対話を広げていった。
 多国さんは六八年(昭和四十三年)に婦人部長となった。
 新出発にさいして、私は「婦人部は生涯青春でいこう」と呼びかけた。そのとおりに彼女は、生き生きと若々しく、つねに次の人材に光を当てながら、新たな時代を創っていった。
 今も歌い継がれている愛唱歌「今日も元気で」が生まれたのも、彼女が婦人部長の時である。
 婦人部長を終えた後は、推薦を受けて政界に打って出た。「女性の時代」の先駆者として、衆議院議員を一期、立派に務めている。
 そして、議員を引退するや、ふたたび、喜び勇んで、学会の最前線に躍り出で、さっそうと戦いぬいた。わが身をなげうって支援してくださった方々に、誠心誠意、ど恩返しをしていくのだ――との報恩感謝の心が、彼女の胸の内にはつねに燃えていた。
 総合婦人部長として、多くの方々の激励・指導に尽くした功労も光っている。
 (=一九九七年の全国女子部幹部会では「学会が発展すればするほど、魔は強くなります。この魔と戦って、勝たなければ、今日までの信心は何のためかと思う時、断じて先生とともに、生涯、広宣流布の大道を生きぬこうと、今、決意を新たにしています」「みずから戦うとともに、一人一人の友を激励していただきたい」「創価学会を女子部の力で支え、発展させていただきたいと思います」とあいさっしている)
 さらに後年は、第二総東京を担当し、今日の大発展の基盤を築きあげた。それは、大空を真っ赤に染めぬく夕陽のような、荘厳な総仕上げの戦いとなった。
 病魔との戦いは生涯続いたが、「病気のおかげで、真剣に戦える」と、明るくはね返していった。皆の前では、つらそうな様子は一切、見せなかった。そういう人だった。
 若き日の病弱な彼女を知る人は、″よくぞ七十五歳まで生きぬいた″と感嘆している。まさに「更賜寿命」の仏法の法理のままに生きぬいた。
 どうすれば、広宣流布を進められるか。どうすれば、学会を永遠に守り、発展させていけるか。真剣な彼女の思いは、強盛な彼女の祈りは、ただ、その一点にあった。
 人生の目的、判断の基準を、つねに「広宣流布」「創価学会」そして「師弟」に定めていた。ゆえに、何があっても揺るがなかった。彼女には、心の老いがなかった。年齢を重ねるごとに、ますます若々しく、凛々しく輝いていった。
10  「十」を目指し、たゆまぬ努力を
 あるとき彼女が、自分は「九」の数字が好きだと言っていたことが忘れられない。
 「『十』に一つ足りない」ところが好きなのだという。だから「十」を目指して努力する。そこに成長があり、希望があり、勝利があると思う、と。
 にこやかに語っていた、あの凛とした声が、今も耳朶に響く。「前進」の気概に満ちた一生を送った彼女に、いかにもふさわしい言葉である。
 病気との戦いを続ける多田さんとご主人に、私は歌を贈った。
  晴れ晴れと
    夫妻の偉業は
      三世まで
    栄光燦と
      世界に光らむ
11  弟子の道を美しき感謝の心で
 多国時子さんが膵臓ガンで亡くなられたのは、それから四カ月後の二〇〇〇年十二月二日であった。そのとき私は、マレーシアにいた。国立プトラ大学の名誉博士号の授与式やマハティール首相との会見などの日程を終えた私のもとに、彼女の計報が伝えられた。
 そして、彼女の最後の手紙が、ファクスで、海を越えて届いた。
 「創価学会創立七十周年の佳節を、心より御祝賀申し上げます。
 池田先生、御奥様の御健康と御長寿を、衷心よりお祝い申し上げます。
 私こと、おかげさまで、入信以来、五十年。池田先生、御奥様の無限の御慈悲に包まれまして、弟子の道の一分を、歩み抜かせていただきました。
 稀有の大師匠にめぐり会えました福運により、黄金の人生を、そして望外の至福の人生を、歩ませていただきました。
 この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、必ずや、広布のお役に立ち、御深恩にお応え申し上げる決意でございます。
 文は意を尽くさず、誠に申し訳ございませんが、一言、御礼を申し述べさせていただきました。
 心より、心より、感謝申し上げ、厚く、厚く、重ねて御礼申し上げます。
 池田先生、御奥様の愈々の御健康と、御長寿を衷心より、お祈り申し上げ、また創価学会の永久の御発展を、強く、お祈り申し上げます。     多国時子」
 これは、多国さんが亡くなる二週間ほど前に残された遺言である。病院のベッドの上で居住まいを正して口述し、ご主人が書き留めた。それを、さらに数日かけて推敲を重ねたという。
 そして、末尾に自筆で署名して完成したのが、二〇〇〇年の十一月十八日。創価学会創立七十周年の記念日であった。
 計報に接し、妻がすぐさま、マレーシアから弔電を打たせていただいた。
 美しき感謝の心と、永遠の闘争への決意にあふれた彼女の最期の言葉を、私はマレーシアの宿舎の御宝前に、お供えし、妻と二人でねんごろに追善の題目を送った。
 まっすぐな人生だった。戦いぬいた人生だった。澄みきった、すがすがしい人生だった。
 葬儀に参列した婦人部の方は、「まるで、ちょっと休んでいるよう、な、本当に美しいお顔でした」と感動していた。
 私たち夫婦の不二の同志である多田さんが逝いて、今年は七回忌である。
 参議院議員を務めたど主人は、今も学会活動に勇んで励み、意気軒高に戦っておられる。(=二〇一〇年九月に逝去)
 多国時子さんが、わが子のように、そしてまた、わが妹のように慈しんで育てた後輩たちは、現在の婦人部を立派に担っておられる。そしてそのあとには、すばらしき二十一世紀の女子部がさっそうと続き、創立八十周年への大行進を開始している。
12  嵐を突きぬけてこそ喜びがある
 ウクライナの女性の大詩人ウクラインカの詩を、女子部の皆さん方に贈りたい。
 「荒れ狂う嵐の中で生きたことのない人は、喜びも知らない
 無為に生きることの苦しみも知らない
 いかに、うらやましいことか
 戦いに、わが身を捧げている人たちが!」(Библиотека всемирной литературы, Серия третья Том 157, Художественная литература.)
 真の「幸福」は「充実」から生まれる。試練の嵐にも胸を張って、戦いゆく人生にこそ、真の喜びがある。ウクラインカは、毅然と言いきっている。
 「苦悩が心に激しい打撃を与え、力尽きんとするその時、
 魂が苦しみを打ち破り、夢から目を覚ます
 魂は、あらゆる障害を打ち砕く」(同前)
 どんなに苦しいことがあっても、絶対に負けない力が、わが生命の奥には秘められている。
 その魂の真髄の力を最高最大に引き出していくのが、信仰である。妙法である。
13  ウクライナの大哲学者スコヴォロダも論じている。
 「人間の奥底には、人間が成長するための内なる法則が存在する。だから、まず何よりも、自分自身を見つけ出さなければならない」
 「人間は、自分自身との闘いを始めるべきだ。なぜなら、人間の中には、至高の幸福を引き出す力が秘められているからだ。
 人間の精神の道は、人間の中に秘められた不可思議な力を勝利させることである」
 世界の偉大なる知性の正義の叫びは、皆、創価の「人間革命」の思想と深く共鳴している。
 学会は正しい。学会活動は、絶対に正しいのである。
 きょうの集いは、「二十一世紀華陽会」である。女子部の皆さまに記念の和歌を贈りたい。
  幸福と
    勝利の城の
      誓いかな
    華陽の姫らは
      三世に光りて
14  ウクライナで初の座談会
 今、世界中で、人と人を結び、社会に信頼と友情を広げゆく希望の座談会が活発に繰り広げられている。先日もうれしいニュースが届いた。それは、SGIのロシア語の公認通訳である女性からの報告である。彼女は、関西創価学園、創価大学を卒業。哲学博士号を持つ最優秀の方である。
 その報告によると、ヨーロッパの美しき「平和の先進国」ウクライナでも、わがSGIの座談会が初めて開催されたというのである。(二月五日と十一日の二回)
 ウクライナは、ロシア連邦の西隣にあり、南端には黒海が広がる。南部のクリミア半島は、世界的な保養地としても有名である。現在、首都キエフ在住のメンバーは五人。座談会は、マイナス二〇度以下の厳寒のなか、メンバーと二人の友人も参加して、首都キエフで、はつらつと行われた。
 小さな集いのようであるが、まことに大きな歴史である。
 釈尊も、「鹿野苑」において法を説き始めたときは、五人との語らいから出発した。
 日蓮大聖人は、広宣流布の方程式として、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」と仰せである。
 「一人」が大切なのである。万波の勢いも「一人」からである。
 ウクライナSGIの中心者は、創価大学大学院を修了した男性である。私が「名誉博士号」を拝受した「キエフ国立貿易経済大学」で日本語を教えている教育者である。
 世界中で創価同窓の友が、社会のため、人々の幸福のために、わが使命の道を厳然と切り開いている。これほど、うれしいことはない。「いつも本当にご苦労さま! ありがとう!」と、この場を借りて、心から讃嘆申し上げたい。
15  世界に広がる「創価の女性のスクラム」
 このSGIでも、女性の活躍が光っている。キエフ在住の五人のメンバーのうち四人が女性である。それぞれ、グラフィックデザイナー、翻訳家、舞台美術専門家、大学教員として社会の第一線ですばらしい貢献をされている。
 そして、この四人の女性に仏法を語り、入会に導いたのも、イタリア、フランス、日本の女子部、婦人部の方々なのである。まさに、世界中、至るところで、創価の女性の幸福と平和のスクラムが広がっている。
 ウクライナの座談会では有名な「日女御前御返事」の一節を拝読し、学び合ったとうかがった。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり
 この究極の「生命尊厳」の法理が、今、地球上のすみずみで学ばれ、実践されている。日蓮大聖人の御生誕の日である「二月十六日」を、広宣流布の拡大の見事な上げ潮のなかで迎えることができ、これほどの喜びはない。
 ウクライナといえば、コステンコ駐日大使ご夫妻とは、私も何度も、お会いし、交友を結ばせていただいている。コステンコ大使邸は、信濃町の学会本部の近くにあり、ご夫妻はSGIの思想を深く理解してくださっている。
 ある時は、学会本部に喜々として集い来る学会員の姿が、じつに生き生きとしていですばらしい!――とご夫妻で口をそろえて語ってくださっていた。不思議な縁のお二人であられる。
 (=コステンコ大使はこうも語っている。「じつは私たち夫婦は、″幸運の星″のもとに生まれてきたのではないかと思っています。それは……池田先生のすぐ、お近くに住むという幸運です!」「近い将来、池田会長、奥様にわが国をぜひご訪問いただき、ウクライナ国民がお二人に抱いている深い尊敬の気持ちに直接ふれていただけるよう念願いたします」
 また、リュドミラ大使夫人も次のように。「現代の世界に、哲学者と呼ばれる人たちは、たくさんいます。しかし、池田先生ほど、人類の一番、基礎的な価値である『女性』と『子ども』と『家庭』に光を当てた哲学者を、私は知りません。これは驚きです! 池田先生が、家庭や女性について語っているのは、たんなる哲学ではない。『人々を幸福にするための』信仰だと思います。先生の本を読んで、私は、この地球上に先生のような方がいらっしゃって本当に良かったと思いました」)
16  日蓮大聖人は、御書のなかで、「男女はきらふべからず」と述べられ、仏法を弘めゆくうえで男女は一切平等であると宣言しておられる。七百年以上前の時代に、本当にすごいことである。
 大聖人は女性の門下を最大に大切にされた。激励の御手紙も多数、認められている。
 学会も女性を大切にしてきたから、ここまで発展した。婦人部・女子部の皆さまが頑張ってくださったから、世界的に発展したのである。このことを絶対に忘れてはならない。
 大聖人は、門下の四条金吾に娘が生まれたことを喜ばれ、「春の野に華の開けるが如し」と仰せである。
 一家にあって、娘は、まさしく「春の華」のような存在であるといってよい。学会にあっても、女子部の皆さんが朗らかで、生き生きと輝いていれば、皆、大きな希望をもって前進していける。全体が明るく躍動していく。
17  女性の活躍が「発展の門」を開く
 また大聖人は、「女子おなごは門をひら」とも仰せである。女性の活躍が、学会の永遠の「発展の門」を開いていく。「希望の門」を開いていくのである。
 深い使命をもった皆さまである。女子部は全員が尊き宝の存在である。婦人部をはじめ先輩方は、この女子部の友を、大切に育てていただきたい。
18  師のため、学会のために
 私は今、二十年先、三十年先、五十年先のことを考え、さまざまな構想を進めている。
 アメリカ創価大学などの教育機関の充実をはじめ、各国のの発展など、その構想は多岐に及んでいる。先の先を考えている。
 私は、戸田先生の時代から、わが身のすべてをなげうって、師匠のため、学会のために働いてきた。戦いぬいてきた。先生を不当に中傷する者がいれば、ただちに反論した。その非を認めさせるまで、正々堂々と、言論で戦った。
 最初は批判していた相手が、あとになって、″戸田城聖は、こんなに立派な青年を育てているのか。創価学会は伸びるな″と言っていたこともあった。
 先生が事業で失敗し、莫大な借金を抱えたときも、私は一人、猛然と働いて先生を守りぬいた。死力を尽くし、支えぬいた。借金も、すべて返した。
 戸田先生は、一面では本当に怖い、厳愛の師匠だった。弟子を甘やかさない。簡単にほめることなどない。しかし、勇敢なる言論で悪を打ち破った時には、「大作、悪いな。疲れているのに」と、ねぎらつてくださった。周囲に対しては、「大作を見ろ!」と、しかり飛ばした。
 先生との師弟の共戦には、本当の人間劇場のドラマがあった。思い出は深い。
 厳しい、鋭い人物眼を持った先生が、私を心から信頼してくださった。そして、「第三代会長を守れば、学会は発展する」と遺言されたのである。
 これまでも、口先で偉そうなことを言う人間は大勢いた。学会利用の卑しい人間も、たくさん見てきた。しかし私は、事実として学会のために、一切を捧げてきた。戸田先生が亡くなられた後も、残された先生のご家族を、お守りした。あらゆる攻撃を受けながら、世界広布の道を開いた。
 私自身のことではあるが、後世のために、言い残しておきたい。
19  どこまでも一人に尽くすのがリーダー
 リーダーは、どこまでも会員一人一人を大事にしていくことだ。深い慈悲をもって接していくことだ。皆のために尽くすのが、リーダーである。組織のうえに乗っかって、偉ぶったり、号令だけかけるような人間を許してはならない。
 広宣流布のために尽くして迫害され、弾圧された。牢獄へ行った――これが学会の三代の会長である。それを、自分は一切、難を受けることもなく、偉ぶって、同志を苦しめる――そうした幹部が出たとすれば、それは″魔物″である。恐ろしいことである。そうした人間に対しては、女性が声をあげ、断固として戦ってもらいたい。
20  理想へ闘ったナイチンゲールと弟子たち
 戸田先生は、女子部に対して、よくナイチンゲールの話をされた。
 きょうも、「白樺グループ」(女子部の看護者の集い)の代表が出席されている。感謝を込めて、少々、ナイチンゲールとその弟子の話をさせていただきたい。
 ナイチンゲールが始めた看護の近代化という改革を現場で実践し、広げていったのは、ナイチンゲールの教え子たちであった。その多くは、比較的恵まれた家庭に育った女性であった。今と違って、看護の仕事がきわめて低く見られていた時代である。しかし、彼女たちは、ナイチンゲールの理想に共鳴し、ナイチンゲールが創立した看護学校に、勇んで志願し、看護の世界に飛び込んでいったのである。
 師であるナイチンゲールと同じく、当初、彼女たちには、高慢で偏見に満ちた人間からのいやがらせや圧迫が絶えなかった。彼女たちは一つ一つ、ナイチンゲールに報告した。
 ナイチンゲールもまた、大切な教え子たちに、励ましゃアドバイスを惜しまなかった。
 彼女たちは、ナイチンゲールに見守られるなか、希望に燃えて、誠実に、粘り強く、看護の改革を成し遂げていったのである。
21  教え子の一人は、ナイチンゲールに、こう手紙を書き送っている。
 「難儀なことはいっぱい、いろいろとありますが、けっして絶望しません」「世間のどんな人と比べてみても、今の私はしあわせなように思っています」(Z・コープ『ナイチンゲールと六人の弟子』三輪卓爾訳、医学書院。以下、引用は同書から)
 偉大な師の弟子として尊き信念に生きぬく青春は、いかに苦労が多くとも、何ものにもかえがたい喜びと誇りにあふれでいた。
 ナイチンゲールのもとで訓練を受けた教え子たちの姿は、周囲にすがすがしい感動を広げた。
 教え子たちを讃える手紙や声は、師であるナイチンゲールのもとにも寄せられた。
 「(=あなたの弟子の一人は)あなたのお名まえで知られている管理システムの実践を真剣に心がけておられる」
 「(=最初、あなたの教え子たちを迎えて看護の改革を行うことに、病院内では)反対の声をあげるむきもありましたが、今では改善を進めるために仲よく協力してゆく気持ちに変わってきていると思っています」等々。
 一人の女性が光れば、すべてが変わっていく。うれしいことに、私のもとにも、連日、女子部の方々のすばらしい人柄と振る舞いに、感嘆の声が寄せられている。
 さらにまた、ナイチンゲールへの手紙のなかには、教え子たちを非難し、排除しようとして騒いだ人間が、もともと「騒動を起こすくせのある人物」であり、「信頼のおける見解の持ち主でない」こと、そしてまた、教え子の「すぐれた性格を理解する能力がない連中」にすぎないと見破った公正な声もつづられていた。
 ナイチンゲールの弟子たちは、たがいにうるわしく励まし合った。けなげに頑張っている仲間や、病に苦しむ仲間などがいれば、その様子を、師であるナイチンゲールに報告し合った。また、先輩が後輩を大切にした。
 ある先輩は、一人の後輩を讃えて、ナイチンゲールにこう書き送っている。
 「(=後輩が)いてくれたのは大きなプラスになりました。頭も気だてもよくて明るいと、あんなに三拍子そろった人は、まずこれまで見たことがありません」
 大きな心で後輩を讃えていける人が、人間としても、先輩としても立派なのである。
22  たがいが最高の「善知識」
 ナイチンゲールの一人の弟子が、看護の現場で、理想と現実のギャップに悩み、くじけそうになったことがある。しかし、彼女はふたたび立ち上がった。真剣に奮闘する先輩の姿に心を打たれたからである。その後輩は、ナイチンゲールに勇んで書きつづっている。
 「(=私は)きっぱり看護婦の仕事をやめてしまう気になっていた矢先に、(=先輩の)プリングルさんの病棟に転勤になったのです。ここでは万事違っていました。私は彼女を自分の、お手本にしました」
 「(=彼女には)うわべだけの奉仕は見られません。プリングルさんには自己本位のところがなく、あるのは周到なまでの良心だけ、この人の病棟には外科医も看護助手も患者も見習い生も、すべての人を彼女が引き上げているという一種のムードがありました。彼女の経験の前には外科医さえ、患者についての助言を求めるほどでした。そこで私も、永久にこの仕事をつづけたい、と思いなおしたのです」
 わが女子部の創価姉妹の世界も、うるわしい友情と励ましと触発に満ちあふれでいる。
23  御聖訓には、「たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも、独りであれば、悪い道では倒れてしまうし」(御書1468㌻、通解)と仰せである。
 そして「仏に成る道は、善知識にまさるものはない」(同㌻、通解)と結論されている。
 どうか、女子部の皆さん方も、たがいに最高の「善知識」となって、先輩は後輩を慈しみ、後輩は良き先輩に何でも相談しながら、異体同心の理想の前進を進めていっていただきたい。
 ここで、ナイチンゲールの言葉を贈りたい。
 「後半生に向かってその土台を築きつつある今とそ、私たちの人生にとってまさにいちばん大切な時なのです」(湯様ます監修『ナイチンゲール著作集』3、編訳者代表・薄井坦子、現代社)
 そして、ナイチンゲールは断言している。
 「この世界をも変えることのできるもの、それはあくまで自分が模範を示すことなのです」(同前)
 すべてが、自分自身の「人間革命」から始まる。人がどうあれ、周りがどうあれ、自分自身が、生き生きと、伸び伸びと、さわやかに成長していけば、そこから、一切は開けていくのである。
24  『赤毛のアン』に「希望」のメッセージ
 先日、「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)の代表が、カナダのプリンス・エドワード島大学で学長を務めたエリザベス・エパリー博士から寄せられた声を、報告してくれた。
 エパリー博士は、小説『赤毛のアン』で有名な女性作家であるモンゴメリ研究の第一人者で、モンゴメリ研究所の創設者であられる。
 博士は、物語の主人公の「アン」について、こう語っておられた。
 「アンは、すべての人から、それぞれが持つ最良の価値を引き出すことのできる″開かれた心″を持っていました。その″開かれた心″ゆえに、人々の″閉ざされた心″を開くことができたのです。ゆえに、池田SGI会長が言われるように″開かれた心″によるが″開かれた対話″こそが、大切なのです」
 では、『赤毛のアン』の物語が、なぜ、世界の多くの人々に愛され、今なお読み継がれているのか。博士は、その理由を、こう洞察しておられた。
 「それは、物語の中に『希望』というメッセージがあるからです。そして、その『希望』とは、″何があっても希望を失わない″という意味の希望です。その意味で、人生に失望するということは、大きな″悪″であるとさえ言えるのです。希望とは、″心の闇″と戦い続けることでもあるのです」
 そして、博士は、こうした洞察を通して、「『赤毛のアン』をはじめとするモンゴメリの作品の底流にある思想は、じつはたいへんに仏法的なのです」とも、述べておられたという。
 まさしく、仏法は「希望の哲学」であり、「幸福の哲学」である。
 わが女子部は、この究極の″希望の炎″を赤々と燃えあがらせながら、「アン」のごとく朗らかに、そして愉快に、新たな友情と対話の輪を広げていっていただきたい。
25  ところで、モンゴメリの著書を発刊していた出版社が、彼女を欺き、その作品によって不当な利益を得ようとしたことがあった。出版社側は、著書の出版をめぐる契約について不当な主張を行い、それを承諾しなければ裁判に訴えると脅しをかけてきた。
 裁判には、多大な費用がかかる。こうして脅せば、モンゴメリは引き下がるだろう――その本質には、女性を見下した傲慢があったに違いない。しかし、不正な要求と権利の侵害に対して、モンゴメリは決然と立ち上がる。
 法廷では、相手が卑劣な嘘の証言を行ったこともあった。しかし、彼女は断固として「真実」を訴え、困難な法廷闘争を戦いぬいた。モンゴメリはつづっている。
 「わたしのなかの何かが、不正とごまかしに対し黙ってはいられない」(メアリー・ルビオ、エリザベス・ウォーターストーン『L・M・モンゴメリー〈赤毛のアン〉の素顔』槇朝子訳、ほるぷ出版)
 「わたしは闘争心を盛り上げて、彼らのおどしなどには目もくれず、とことんまで闘う決意をしたのです」「降参するつもりなど全くありませんでした」「わたしたちは前進を続けたのです」
 「わたしは真実を話していましたし、恐れずに話しましたので、彼はわたしに打ち勝つことはできなかったのです」(F・W・P・ボールジャー、え・R・エバリー編『モンゴメリ書簡集』1、宮武潤三・宮武順子共訳、篠崎書林)
 闘争は、およそ十年間にわたり、断続的に続いた。そして、悪質な脅しや、卑劣な嘘の証言をはね返して、見事、勝利の判決を勝ち取ったのである。
 不正や嘘に対して、黙っていてはいけない。女性だからといって遠慮する必要はない。大切なのは、勇気をもって戦うことだ。正義の声をあげることだ。それが、時代を変える原動力となるのである。
26  本当の幸福は「心の財」
 ここで、モンゴメリの著作から、わが女子部の皆さま方に、幾つかの箴言を贈りたい。
 彼女は、ある小説で登場人物に語らせている。
 「私は地位も富も権力も手に入れた。だがね、そんなの成功とは言えないんだよ」「どれもこれも、大きな子供の玩具だよ。そんなものでは、魂は満たされない」(「帰郷」いぬいななこ訳、『時の果実』所収、篠崎書林)
 地位や富や権力は、はかない。簡単に消えてしまうものである。また、これらを手にしたからといって、本当の幸福を得られるとは限らない。むしろ、虚栄や虚飾にとらわれて、不幸の人生へと落ちていく場合もある。信頼できる友人もなく、さびしい人生を送る人もいる。
 御聖訓には、厳然と仰せである。
 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり
 もちろん、豊かになり、社会的に活躍していくことも重要であろう。しかし、何よりも大切なのは「心」である。そして「信心」である。
 大聖人は、「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
 どんな立場になっても、友のため、人々の幸福のため、広宣流布のために生きぬいていく。何があっても、学会とともに、同志とともに歩みぬいていく。そう決めて進む「心」に、無量の福徳が薫っていくのである。幸福の人生がらんまんと花開いていくのである。
27  青春の苦労は最高の宝
 また、モンゴメリはつづっている。
 「どんな人の人生にも憂欝と落胆の日々があるだろう。そんなとき、人生の何もかもがつまらなく思えるのだ。晴れ渡った日にも雲はある。けれど、いつでも空に太陽があるということを忘れてはいけない」「冬のあとには、私たちを悲しませない次の人生の春がくる」(メアリー・ルビオ、エリザベス・ウォーターストーン編『モンゴメリ日記 愛、その光と影』桂宥子訳、立風書房)
 最高の青春の道をまゆく皆さんは、わが胸中に妙法という「希望の太陽」が、厳然と曜いていることを忘れてはならない。必ず「希望の春」が来ることを忘れてはならない。
 モンゴメリは、こうも記している。「これまでわたしが経験した困難や、いろいろな事に際して徹底的に苦痛を味わった、おかげで、他の人々の失敗や苦闘や試練に対して、(中略)ずっと思いやりを持つようになりました」(前掲『モンゴメリ書簡集』)
 今は、苦労も多いかもしれない。思いどおりにならないことばかりかもしれない。しかし、若き日の苦労は最高の宝である。すべてが、自分を強く、大きくする糧となっていく。多くの人々を包み込んでいくための力となっていく。また、必ず、そうしていけるのが仏法である。
28  さらに彼女は小説のなかで、主人公のアンに、こう語らせている。
 「どんな子にも何かしらいいところがあるのよ」
 「教師のつとめは、その長所を見つけて、伸ばしてあげることよ」(『アンの青春』松本侑子訳、集英社)
 人材育成に、おいて大切なのは、一人一人の長所を見つけ、それをほめ讃えていくととだ。伸ばしていくことである。
 『アンの青春』のなかで、アンが歌う詩の一節に、こうあった。
 「朝ごとに、すべては新しく始まり
 朝ごとに、世界は新しく生まれ変わる」
 また、この詩の続きには、「今日は新しく生まれ変わる好機」(前掲『アンの青春』の中で紹介)とある。
 どうか皆さまは、同志とともに、一日また一日、生まれ変わっていくように、新鮮な息吹で前進していただきたい。人と比較する必要はない。あくまでも、自分らしく、粘り強く進めばよい。また、途中の姿で一喜一憂することはない。最後に勝てばよいのである。そして、絶対に勝っていけるのが、妙法である。
 大聖人は仰せである。
 「(法華経の行者が)法華経を受持する所を『当諸道場』(道場〈悟りの場所〉に至ること)というのである。この裟婆世界を去って、極楽浄土等の他の国土へ行くことではない」(御書781㌻、通解)
 仏法では「本有常住常寂光土」と説く。今いる使命の舞台で、最高の勝利者となり、最高の幸福者となっていくことができる。そして、一家も、地域も、すべてを生き生きと変革していけるのである。
 幸福は、自分自身で決まる。自分の心で決まる。強い心を持てば、景色が一変する。何を見ても違って見える。強くあることが幸福なのだ。何ものにも即されない強い生命へと磨きぬき、鍛えぬいていくのが、この信心なのである。
29  わが生命に幸福の宮殿を輝かせ
 まもなく、待望の「創価女子会館」が信濃町に誕生する。会館の壮麗な全容も見え始めた。
 とのほど、女子部の皆さまの強い要請にこたえて、私の妻が、同会館の「名誉一日館長」に就任することが決まった。わが女子部の新たな宝城の誕生を、私も妻も、何よりも楽しみにしている。皆さんが思う存分に活動できるよう、私たち夫婦は、これからも全力で応援していく決意である。
 「御義口伝」には、「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」と説かれている。妙法を唱え、広宣流布に生きゆくことは、わが生命に、また友の生命に、金剛不壊の「幸福の宮殿」を輝かせていくことである。どうか、希望あふれる女子会館の建設の槌音とともに、はつらつと、堂々と、わが宮殿を荘厳していってもらいたい。
 ともあれ、女子部の輝かしき朗らかな前進が、確かなる広宣流布の前進だ。わが女子部の皆さんは、全員が一人ももれなく、「健康博士」たれ! 「幸福博士」たれ! 「勝利博士」たれ――妻とともに、そう心から念願して、記念のスピーチとさせていただきたい。
 どうかお父さん、お母さんにも、よろしくお伝えください!
 きょうは、本当にありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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