Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部代表幹部協議会 女性の力が世界を動かす

2006.2.10 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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2  きょうは先人の方々、哲学者や思想家の言葉を引きながらお話ししたい。
 まずはじめに、私と妻が深い交友を結ばせていただいた、二十世紀の中国を代表する女性作家、謝沫心しゃひょうしん女史。作品のなかで、こうつづっている。
 「世界にもし女性がいなかったら、この社会は一体どうなってしまうでしょうか!」
 「世界にもし女性がいなければ、この社会における少なくとも五〇%の『真』と、六〇%の『善』と、七〇%の『美』が失われてしまうでしょう」(「関干女人」後記、『謝心七十年文選』所収、上海文芸出版社)
 含蓄ある言葉である。学会も、もし女性がいなかったら、どうなってしまうことか。
 今よりも、もっともっと女性を大切にしていかなければならない。
 また、女性の皆さんは、尊き使命を深く自覚していただきたい。遠慮はいらない。勇気の声、正義の声を、高らかにあげていくのだ。
 ついで、アメリカの社会運動家、エレノア・ルーズベルト大統領夫人の箴言である。
 「私は戦うことが好きです。何歳になろうと、暖かな暖炉のそばで、ぼんやり周りを眺めて過ごすことはできません」(The Autobiography of Eleanor Roosevelt, Da Capo Press)
 いい言葉である。学会精神にも通ずる一言だと思う。
 「戦う」とは、「生きる」ことである。「戦う」ことが「勝利」であり、「幸福」である。
 二十世紀ブラジルの著名な女性詩人、コナ・コラリーナは謳った。
 「戦いという活気に満ちた言葉は
 弱いものを鼓舞し
 強い者を決断させる」(Melhores Poemas de Cora Coralina, Editora Global)
 「戦おう!」という一念。そこからすべてが始まる。
 同じく、二十世紀のブラジルで広く愛された女性詩人、セシリア・メイレレスの詩の一節。
 「前進はやめてはいけない
 前進は継続していくものだ
 続けることが前進だ
 それは永遠である
 それこそがあなた自身なのだ」(Cantico2, Melhores Poemas de Cecilia Meireles, selecao de Maria Fernada, Editora Global)
 止まってはいけない。停滞は死。前進は生である。「前へ、前へ!」と進むなかに、生きている証がある。
 エレノア・ル1ズベルト夫人は、こうも言っている。
 「何の責任も取ろうとしない人たちが、責任を引き受ける者を、最も激しく批判するものです」(The Collected Works of Mahatma Gandhi, vol.89, Publication Division, Ministry of Information & Broadcasting, Government of India)
 これまた至言である。何もしない人間に限って、重い責任を担って苦労している人を批判するものだ。
 そうした無責任な批判など歯牙にもかけず、勇敢に進みぬくことだ。貫いてこそ勝利はある。
3  強い人間とは、「心の強い」人
 インドの″偉大なる魂″ガンジーは言った。
 「もし、女性は弱いと信じる人がいたら、私は、この世界中に弱い女性は一人もいないと言おう。
 すべての女性は強い。自身の宗教に確固たる信仰を持っている人は皆、強い。決して弱くないのである」(The Collected Works of Mahatma Gandhi, vol.89, Publication Division, Ministry of Information & Broadcasting, Government of India)
 人間の強さは、心で決まる。信念の強さで決まる。本当に強い人とは、「心の強い人」である。
 ゆえに、永遠にして宇宙大の妙法を強盛に信じぬく、婦人部・女子部の皆さんは、最も強い人である。
 どんな宿命にも、どんな困難にも、負けるわけがない。必ず勝てる。必ず乗り越えていける。
 皆が仰ぎ見るような、晴ればれとした勝利の大境涯を、必ずや開いていけるのである。「女性が男性よりもすぐれていると知ること、それ自体に本当の教育がある」(The Collected Works of Mahatma Gandhi, vol.24)
 とれもガンジーの言葉である。目が覚めるような名言である。
 そういう世界に近づけようと、私は長年、努力してきた。
 いい学校を出たからといって、必ずしも教養のある人とは言えない。女性を差別したり、女性に傲慢な態度をとるような人間は、学歴があっても、いかに地位が高くても、無教養の人と言われるであろう。心から女性を尊敬できる人が、本当の教養人なのだ。
 「女性はまじめです。インチキをし、破壊するのは、男性です」との厳しい声もある。
 男性が優位で、女性を大事にしないところは、必ず衰亡していく。
 自分が犠牲になってでも、女性を大切にし、守っていくのが「紳士」の根本である。そういう気風がしっかりと根づいた国や社会は、隆々と勝ち、栄えていく。まさしく「女性の時代」なのである。
 戸田先生は、よく言われた。
 「本当にまじめな人でなければ、信心をやり通せない。学会員は、まじめな人たちである。学会員を大切にしなければいけない」
 また、模範的な信行に励んできた方々を、「仏の使い」として、最大に尊敬し、大事にしていくのだと訴えておられた。この教えのとおりに、仏に等しい学会員の方々を、少しでもねぎらい、一人でも多く讃えてさしあげたい。これが、私の心情である。
 リーダーは、学会の同志を親以上に大切にしていくことである。もし、会員を下に見るような幹部がいれば、とんでもないことだ。幹部は会員を上から抑えるのではない。いわば、下から支え、持ち上げていくのである。
4  地域に幸福の花園を広げて
 さらに、戸田先生は力説しておられた。
 「まず婦人の共感を得ることだ。そうでなければ、いかなる哲理も、いかなる信仰も、現実に根ざした力とは、なりえない。民主主義の理想も、目ざめた婦人の高い意識によってこそ、はじめて盤石に成り得るのだ」
 先生は、婦人部を最大に大切にしておられた。
 広宣流布といっても、現実の生活を離れてはありえない。自身の宿命を転換し、わが家庭に、わが地域に幸福の花園を築いていく。さらには社会を、よりよい方向へと変えていく。これが私たちの広宣流布の運動なのである。
 今、婦人部の皆さま方は、創価のスクラムを、いちだんと勢いを増して広げておられる。多くの友へ、共感と信頼の光を広げておられる。戸田先生は、どれほどお喜びであろうか。
 日蓮大聖人は、「弟子が法華経を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰す」(御書九〇〇ページ、趣意)と仰せである。広宣流布の拡大こそ、「師恩」に報いる最極の道である。私はこの精神で、戸田先生のため、広宣流布のために戦いぬいてきた。
 伝統の「二月闘争」の淵源となった、蒲田支部の折伏の大闘争。これも″戸田先生の願業である七十五万世帯の折伏を、断じて実現させる″との強き弟子の一念から始まったのである。
 イギリスの文豪シェークスピアは、戯曲でつづっている。
 「吹けよ 吹け吹け 冬の風
 おまえの心はあたたかい
 恩を忘れる人よりも」(『お気に召すまま』小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』4所収、白水社)
 忘恩の輩の心は、冬の風よりも冷たい――こう言うのである。
 報恩こそ、人間としての正しい生き方である。その心は、春の陽光よりもあたたかい。美しい輝きを放っていく。
5  識者「学会の婦人部は輝いている!」
 女性平和委員会による「平和の文化フォーラム」が各地で開催され、さわやかな反響を広げている。信仰を根本に、人生の冬の試練を乗り越え、「家庭」に「地域」に「社会」に、希望と歓喜の春の花を咲かせてこられた体験が、大きな感動を呼び起こしている。
 参加された来賓の方々からは、「長い間、学会の方を見てきましたが、学会員には、素敵な方が本当に多いことに感動しました」「創価学会の婦人の皆さんのように、強く生きていきたい」等、感銘の声が多数、寄せられている。
 先日、千葉・木更津でのフォーラムで、講評を行ってくださった、清和大学の加藤阿幸教授も、次のような感想を語っておられた。
 「本日のフォーラムに参加させていただき、自分の幸せを求めるだけでなく、地域社会に広がる生き方に感動しました。世間には、顔が暗く、表情が沈んでいる女性も少なくありません。しかし学会の婦人の皆さんは、とてもいい表情をされていて、顔が輝いています。皆さん、美しいと思いました」
 「私は、学生たちにいつも、信ずることの大切さを訴えています。儒教の教えにも通じると思いますが、すばらしい創価思想に、深く感動いたしました」
 温かい言葉に、心から感謝申し上げたい。
6  女性は「平和の文化」の建設者
 私が対談集(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』潮出版社)を発刊した「平和研究の母」エリース・ボールディング博士も、わが婦人部の地域貢献の平和運動を高く評価し、期待を寄せてくださっている。そして、「女性の力は世界を動かす原動力としての役割を担っているのです。もっともっと多くの女性が、自分たちこそ『平和の文化』の建設者であると目覚めていくことは間違いありません!」と語っておられた。
 またボールディング博士は、私との対談のなかで、人類の歴史を、今一度、「女性の視点」から見つめ直すことの重要性を訴えておられた。博士は、語っておられた。
 「今、私たちに必要なのは『女性の物語り』です。男たちが戦争に出かけると、女性は、おおむね、子どもたちと一緒に取り残されました。実際、ヨーロッパの歴史を見ても、病院は、女性が子どもや負傷者の介護を組織化するためにできたものでした。
 さまざまな公共団体や学校を創り出したのも女性です。子どもを教育する時間があったのは、女性だったからです」
 平和で、人間性豊かな社会の創造に、女性がどれほど大きな貢献を果たしてきたか、計り知れない。また、私たちの対談では、アメリカの「イロコイ連盟」での女性の英知も話題となった。
 イロコイ連盟とは、アメリカ合衆国が成立する以前から、アメリカ北東部に成立していた先住民の民主制社会であり、平和の連盟である。先住民の国々からなるイロコイ連盟は、「平和の大法典」のもと、きわめて先進的で、民主的な社会を発達させていたことで知られる。
 じつは、との「平和の大法典」は、アメリカ合衆国憲法や連邦制度の形成に影響を与えていた。その影響は、国連憲章をはじめ現代の人権思想にも及んでいると言われる。
 イロコイの人々の英知の言葉に、「何ごとであれ、七代先までのことを考えて決めねばならない」とある。イロコイの民主制は、その繁栄と平和を永遠たらしめるために作りあげられた、伝統の智慧の結晶であった。なかでも、注目すべき特徴の一つが「女性」の役割の重要性である。
 たとえば、各国の首長を選ぶのは、女性リーダーたちの役割であった。そして選ばれた男性の首長が、一つでも、職権を濫用したりすれば、女性リーダーたちが弾劾し、罷免することができた。
 そして、ひとたび罷免された男性は、二度と公職に就くことができなかった。さらにまた、女性が反対する戦争は行うことができなかったとされている。
 連盟の重要な政治的判断においても、女性の意見が、大きな比重を占めていたのである。
7  女性の声を尊重すれば勝ち栄える
 アメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人は、「世界人権宣言」の起草に大きな役割を果たした。彼女は語っている。
 「女性が、あらゆる問題を本当に理解すれば、どの男性よりも、その問題について、より効果的に隣人に語ることができるでしょう」(Eleanor Roosevelt's My Day : First Lady of the World : Her Acclaimed Columns 1953-1962, edited by David Emblidge, Pharos Books)
 「おそらく、多くの女性にとって、人のために行動することは、決して重荷ではないのです。なぜならば、それこそが、人生を生き甲斐のあるものにするからです。それは、おそらく、女性が持つ最も深い満足感だと思います」
 「男性よりも、女性のほうが、変わりゆく世界の状況や考え方に対し、柔軟に適応できるようです」(You Learn by Living, Westminster John Knox Press)
 私も、まったく同感である。いかなる団体であれ、社会であれ、その永続性をもたらしていく根源の力は、女性であり、母たちである。女性の意見、母の声を最大に尊重していくところが、勝ち栄えていくことができる。
 学会にあっても、女性が少しも遠慮することなく、男性と同格で意見が言えるように、さまざまな次元で、さらに改革を進めていきたい。一番真剣に広布に戦ってくださっているのは婦人部、女子部の皆さんである。それを当たり前と思ったり、見下したりする男性幹部がいれば、黙っていてはいけない。聡明な女性の皆さまは、こうした人間がいたならば、厳しく指摘していってもらいたい。
8  十九世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンドはつづった。
 「悪を指摘することはそれと戦うことである」(『我が生涯の記』加藤節子訳、水声社)
 悪を見て見ぬふりをしてはいけない。それでは、自分が悪と同じになってしまう。これは牧口先生の教えでもあった。
 ブラジルの女性詩人コラ・コラリーナは謳った。
 「楽観主義をもって種を蒔け
 理想をもって種を蒔け
 平和と正義の生命力あふれる種を」(フォリャ・デ・サンパウロ紙〈二〇〇一年七月四日〉掲載の詩『マスカラドス』から。〈フォリャ・オンライン〉)
 広宣流布のために、学会の万代の興隆のために、一つまた一つ、種を蒔いていただきたい。
 皆さま方が生き生きと語る「正義」と「勇気」と「慈愛」の声こそ、「平和」と「幸福」と「希望」の無上の種である。賢く、鋭く、そして厳しく、悪を正し、正義の道を厳格に残し、広げていっていただきたい。よろしく頼みます!
9  大聖人は、強盛な信心を買いた妙法尼御前にあてた御書で、「成仏の道」を、こう示しておられる。「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。それを聞いて信ずる人は仏となる。謗る人は毒鼓の縁となって仏になるのである。どちらにしても、仏の種は法華経より外にはないのである」(御書552㌻、通解)
 「人がこれを用いなくても、機根に合わないといっても、強いて妙法蓮華経の五字の題目を聞かせるべきである。これでなくては、仏になる道はないからである」(同㌻、通解)
 大聖人の仏法は「下種仏法」である。
 「下種」には「聞法下種(人の心に成仏の種子を下すこと。信不信は問わない)」と「発心下種(下種を受けて、相手が信心の心を発すこと)」がある。
 ともに功徳は無量無辺である。たとえ相手が反対したとしても、生命深く「妙法の種」「幸福の種」を植えたことは間違いない。その種は、「時」が来て、「機根」が熟すれば、必ずや芽生えていくのである。
10  学会活動こそ若さの源泉
 家庭と社会の第一線で戦う皆さまに、十九世紀末から二十世紀に活躍したアメリカの女性実業へレナ・ルビンスタインの言葉を贈りたい。
 「私は勤勉の尊さを信じる。勤勉は、心と精神から、しわを取り去って、女性の若さを保つ役に立つ」(Great Quotes from Great Women, Compiled by Peggy Anderson, The Career Press)
 一心に何かに打ち込んでいる人は美しい。ましてや、法のため、友のため、最高に価値ある人生を送っている皆さま方である。自然のうちに生命が生き生きと輝き光っていく。
 学会活動こそ、若さの源泉なのである。
 フランスの文豪ロマン・ロランは言う。
 「精神は若ければこそ、その魅力に溢れている」(「16世紀イタリア絵画の凋落」佐々木斐夫訳、『ロマン・ロラン全集』20所収、みすず書房)
 「身体の若さ」はいつかは衰える。しかし、「精神の若さ」は永遠である。
 ドイツの詩人シラlは、ジヤンヌ・ダルクの物語を戯曲につづった。救国の乙女は叫ぶ。
 「あのお陽さまが、あすまた明るく空にかがやくのが確かなように、真実をあらわす日はきっと来ます」(『オルレアンの処女』野島正城訳、『世界文学大系』18所収、筑摩書房)
 いい言葉である。本当に「心を動かす言葉」とは、「戦う心」から生まれてくるものだ。
 ともあれ、人生は強気でいくことである。失敗したり、壁にぶつかったり、病気をしたりすると、つい人間は弱気になってしまう。しかし、あえて強気で進むのである。
 「次は必ず勝ってみせる!」「必ず健康になって、生きぬいてみせる!」
 こう自分で強く決意できたときには、すでに勝っている。
 頭を上げて! 胸を張って! どこまでも前へ!
 心の勝者こそ、最上の勝者である。それが信心の極意である。
11  今、日本全国のあの地、この地で、わが婦人部を中心に、意気軒高な広宣流布の大行進が、明るく、にぎやかに進んでいる。全人類の希望と幸福の道を開く皆さまを、日蓮大聖人が、また一切の仏菩薩が最大に讃え、厳然と護られることは、絶対に間違いない。
 御聖訓には「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」と仰せである。
 妙法の偉大さを、信心のすばらしさを、一言でも語っていく人は、仏の使いである。これほど尊い使命はない。生々世々、福徳に満ちた生命として、赫々と輝いていくのである。
 大聖人は「御義口伝」で、法華経・常不軽菩薩品の「心無所畏(心に畏るる所無かりき)」(法華経五六一㌻)の文を、こう講義されている。
 「心無所畏とは、今、日蓮およびその弟子たちが、南無妙法蓮華経(の偉大さ)を叫ぶ折伏である」(御書765㌻、通解)
 すなわち、折伏の魂は、何ものも恐れない「勇気」である。そして、その「勇気」の一念に、一切が、そなわっていくのである。
 「勇気」即「慈悲」である。「勇気」即「智慧」である。
 「勇気」即「幸福」である。「勇気」即「歓喜」である。
 「勇気」即「正義」である。「勇気」即「勝利」である。
 「勇気」とそ、信心の柱、なのである。
12  世界の舞台で同志が勝利!
 きょうは、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンの代表も参加されている。
 「朋あり、遠方より来る。また、楽しからずや」(『論語』)――。
 遠く海を越え、本当によく来られた。
 皆、いい顔をされている。元気に活躍されている。私はうれしい。
 私は毎日、世界中の同志から、さまざまな報告を受けている。
 同志から寄せられる声には、私はいち早く、確実に反応してきた。あるときは激励の伝言を送り、あるときは御礼を述べる。緊急で指示を出さなければならないときもある。
 友の声に、すぐに呼応する。何かの手を打つ。こうした一つの誠実な反応があれば、友の心に、ぱっと喜びが広がる。勇気が広がる。何より、懸命に戦う友への″礼儀″であると言えよう。
 とくに日本人は、あいまいで、物事を決めないと言われる。世界中どこでも、一流の人は、決断が早いものだ。自分から皆の声を聞き、どんどん報告してもらう。そういう心配りも、リーダーは忘れてはならない。
13  永遠の発展のために幹部革命を
 私は、広宣流布の土台を築くために、私財を捧げ、一切をなげうって、学会のため、同志のために尽くしてきた。いよいよ、これからが総仕上げだと思っている。
 学会が、もう一歩、強くなり、永遠に発展するために、大事なのは「幹部革命」である。
 上の立場になって、人から何も言われなくなると、人間は往々にして悪くなる。格好よく見せようとする。この点、幹部は、よくよく自戒しなければならない。
 どこまでも、学会のため、同志のための幹部である。もしも、ずるい幹部や威張る幹部が出たら、皆がどんどん言わなければならない。正さなければならない。また、幹部自身も皆に、どんどん言わせなければならない。抑えつけるのでは、よき人材がいなくなってしまう。
 牧口先生はつねづね、「下から上を動かせ」と教えられた。
 「上から下へしばかりではいけない。「下から上へ」積極的に意見を言っていく。そういう雰囲気があってこそ、新しい前進が生まれる。
 「沈黙するということは、慎重なのではなく、臆病なのである」(Concepcion Arenal : Obras Completas, Tom 2, Atlas)
 これは十九世紀、人権のために闘ったスペインの女性、コンセプシオン・アレナルの言葉である。遠慮などいらない。言うべきことを、言わないのは、臆病である。思いきって言わなければ、変わらない。皆が変革のための声をあげていく。堕落した幹部は厳しく正す。ここに、これからの長い未来に向けて、学会を盤石にしていく重大な一点がある。
14  極悪と戦うことが最高の正義
 人種差別撤廃のために戦った、二十世紀のアメリカの女性、ヴアージニア・ダーは述べている。
 「邪悪への寛容は、さらなる悪を生み出してきたように思えるのです」
 「たとえ何が起とろうとも、悪人とは闘わなければならないと思うのです」(Freedom Writer : Virginia Foster Durr, Letters from the Civil Rights Years, edited by Patricia Sullivan, Routledge)
 学会員は人がいい。それにつけいる校滑な悪人も出てくる。断じて、だまされてはならない。許してはならない。愚かであってはならない。
 邪悪に対しては、容赦なく責めるのだ。そうでなければ、こちらが損をする。徹して責めて責めぬいていくのである。
 極悪と戦うのが、最高の正義であり、最高の善なのである。
 悪に対しては、直ちに反撃する。これが大事である。
 ぐずぐずしていれば、悪は広がる。小さな兆候も、見逃してはならない。清浄な学会を守るために、リーダーは厳然と戦わねばならない。これまでも学会の、おかげで偉くなりながら、私利私欲にかられ、卑劣にも同志を裏切った人間がいた。
 「忘恩は重大な悪徳であって、われわれの堪えがたいもの」(『道徳論集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)とは、古代ローマの大哲学者セネカの言葉である。私は、忘恩の人間と戦いながら、戸田先生をお守りし、師の構想の実現のために、走りぬいてきた。太陽は一つである。同じように、私にとっての師匠は、ただ戸田先生しかいない、と決めて戦ってきた。広布を阻む、あらゆる悪を打ち砕いてきた。だから学会は、ここまで発展したのである。
15  信・行・学の大道を喜び勇んで
 有名な「諸法実相抄」には仰せである。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候
 この御聖訓のままに、信・行・学の大道を、喜び勇んで前進したい。そのなかで、新しい人材を育てていきたい。折伏は、難事中の難事である。たとえ、思うような結果がすぐには出なくとも、くよくよする必要は、まったくない。
 戸田先生は、厳然と断言なされていた。
 「苦しみにあえぐ民衆を、永遠に根本から救うことは、平凡な動機などでは考えられぬ大事業だ。これ以上の大事業がどこにあるのか!」
 最極の仏の聖業を成し遂げていく誇りに燃えて、伸び伸びと、また朗らかに、そして自信に満ち満ちて、「幸福」と「希望」と「平和」の対話を、幾重にも広げてまいりたい。
 日蓮大聖人は、千日尼に仰せである。
 「いよいよ信心を励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、男女僧尼が必ず憎むであろう。憎むなら憎むがよい。法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任すべきである。如説修行の人とは、こういう人をいうのである」(御書1308㌻、通解)
 何があろうとも、ひるんではならない。退いてはならない。大聖人の毅然たる御心を拝すれば、無限の勇気がわいてくる。ただ御聖訓のとおり、御金言のとおりに進んでいく。この「如説修行」の実践にこそ、揺るぎない勝利の軌道がある。
16  「冬は必ず春となる」を証明しゆく人生を
 まだ、寒さは厳しい。豪雪地帯で戦う同志に、重ねて題目を送りたい。
 「冬来りなば、春遠からじ」(イギリスの詩人・シェリー)である。
 「開目抄」には「一華を見て春を推せよ」と仰せである。
 ″人生の冬″もまた、胸中に太陽の仏法を抱いて進めば、必ずあたたかな春を迎えることができる。大聖人の有名な一節を、ともに拝したい。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を
 人生は戦いである。勝たなければならない。また、必ず勝っていけるのがこの仏法であり、大聖人の御約束である。皆さま一人一人が勝利の華を咲き薫らせゆくところに、大いなる希望の春は訪れる。
 戸田先生は言われた。
 「魔は、その人の試練のためなので、ちょうど柔道の先生に投げられ、投げられして、強くなっていく様なものである。来たか、負けるものかと頑張れば、必ず難局も切り開かれる」
 また一番、苦労した人が、最後は、一番、幸福になるのが、正しき仏法の在り方である」と。
 どうか皆さんは、「冬は必ず春となる」の一節を証明しゆく人生の劇を、快活に、愉快に、演じていってください。
17  戸田先生は宣言なされた。
 「結局、一対一の折伏が、広宣流布達成の鉄則だ。また、民主主義のルールに適った立派な方程式ともいえる。地道にみえるが、これが最も堅実だ。この一波が二波になり、やがて千波、万波になり、広布は初めて達成されるのだ」
 そのとおりの道を、私たちは歩んでいる。
 結びに戸田先生と私が、幾度も語り合ったアメリカ・ルネサンスの哲人エマーソンの言葉を、婦人部の皆さま方に捧げたい。
 「その日その日が、一年の中で最高の一日である」(The Works of Ralph Waldo Emerson, The Jefferson Press)
 どうか、各地で奮闘されている同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 皆さま方のご多幸とご健康とご長寿を、妻とともに、心よりお祈り申し上げ、私の記念のあいさつといたします。
 (東京・新宿区内)

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