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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部代表者会議 婦人部・女子部を中心に新しい広布の波を

2006.2.1 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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1  母をほめ讃えよう!
 きょうはお忙しいなか、また寒いなか、本当にご苦労さま!
 新春より、紅梅・白梅のごとく、漫然と「広宣流布」の花また花を咲かせゆく、尊き婦人部の皆さまを、私は、妻とともに最大に讃えたい。
 目を見張る布教の前進も、「聖教新聞」の拡大も、たいへんにご苦労さま!
 皆さまの健闘に心から感謝し、記念の句を贈りたい。
  寒風に
    皆が讃えむ
      梅の花
  厳寒の
    王者の梅は
      春見つめ
 不朽の名作『母』で知られる、ロシアの文豪ゴーリキーはつづった。「女性をほめたたえよう、『母』を、このなにものにもうち勝つ生命の涸れることなき泉を!」(『イタリア物語』佐藤純一訳、『世界文学全集』82所収、講談社)
 母ほど、尊く美しいものはない。母ほど、強く気高いものはない。
 あの豪雪の村々でも、この北風吹く街々でも、婦人部の友は、健気に戦ってくださっている。
 皆さまの健康と絶対無事故を、私は毎日、真剣に祈っている。
2  時代は大きく変わっている。社会においても、女性の活躍はめざましい。海外では女性の首相が誕生している。企業や団体を見ても、女性のリーダーが、どんどん増えてきている。
 学会においても、これまで以上に女性を大切にし、さまざまな次元で、女性の意見を尊重する体制を築いていきたい。革命していきたい。
 「文化の高さは、女性への接し方によって決まる」(Алексей Максимович Горький, Полное собрание собинений, Т.21, Жизнь Клима Самина, ч.1, Наука)とはゴーリキーの言葉である。
 男性が威張って、女性を下に見る――そんなことがあってはならない。
 実際に、折伏や「聖教新聞」の拡大でも、一番、頑張ってくださっているのは婦人部である。あらゆる意味で、婦人部の皆さんが学会の大発展を支えてくださっている。広宣流布の推進力となってくださっている。
 そうした大功労の方々を大切にし、その意見を尊重していかなければ、衰亡してしまう。絶対に、そうなってはならない。
3  全員が「広布の責任者」との決意で
 学会は全員が平等である。役職が上だから偉いとか、そういうことは一切ない。大切なのは信心である。
 戸田先生が亡くなられた後、私は″全員が「私が戸田城聖である」との思いで立ってほしい″と訴えた。「私が広布の責任者である」との決意に全員が立つ。それが大切である。
 もしも将来、慈悲もなく、展望もなく、次の人材も育てない――そういう、ずるいリーダーが出たら、厳しく正さなくてはいけない。上の立場になって、だれからも何も言われなくなると、人は「自分ほど偉い者はいない」と勘違いするものだ。こんな愚かなことはない。
 婦人部の皆さんも、意見や要望があれば、どんどん言っていただきたい。言いたいことがあるのに、黙っていてはいけない。男性と調和し、男性を聡明にリードしながら、学会のため、広宣流布のために声をあげていく。下から上へ意見をぶつけていく。そうであってこそ、新たな前進がある。永遠性の発展がある。
4  困難な問題を女性の力で解決
 また、婦人部の皆さまのなかには、歴戦の大先輩の方も多くおられる。いろいろな形で、広布の前進を支えてきてくださった方もいる。大事なことは、皆としっかり歩調を合わせていくことである。若いメンバーのなかに入って、励ましを贈り、後輩を育てていくことだ。
 ゴーリキーは、「誠実な魂には動揺がない」(イリア・グルーズジェフ『人類の教師』4、山村房次訳、明治図書出版)と述べている。
 最後の瞬間まで、強き信心で戦いきる。真心を尽くして、友のために生きぬく。そこにこそ、最高の人生が輝いていくのである。
5  先日(一月二十三日)、私が「名誉博士号」を拝受したロシアの名門ウラル国立大学には、創立に尽力した文豪ゴーリキーの名前が冠されている。(同大の正式名称はA・M・ゴーリキー記念ウラル国立大学」)
 このウラル国立大学は、ロシアを代表する総合大学の一つである。同大学のトレチャコフ総長も「女性の力」を讃えておられた。
 総長は、創価世界女性会館を訪問された折、歓迎をした婦人部のメンバーに、こう語っておられたという。
 「私たちの大学も、教職員の四分の三が女性です。だからロシアでも最高の大学の一つといわれているのです。女性が大事です」
 女性教育者のミロノヴァ外国人学生担当学部長も、朗らかに言われていた。
 「私たちの職場でも、周囲の男性だけでは解決できない困難な問題は、すべて女性の力で解決します」
 「女性の世紀」は、いよいよ輝きを増している。その先頭に立つのが、世界一の学会婦人部なのである。ウラル国立大学の先生方も、婦人部の皆さま方を心から讃嘆しておられた。
 わが婦人部は、本年で結成五十五周年となる。世界の知性も、この佳節を心から祝賀してくださっている。
 また、「ヤング・ミセス」は今年の四月に「ヤング・ミセスの日」二十周年を迎える。本当におめでとう!
 看護に携わる婦人部の「白樺会」も三月で結成二十周年となる。いつも本当にありがとう!
 美容関係に携わる婦人部「華峯会」は記念の大会を行う。これは今年六月に結成四十周年を迎える女子部「華冠グループ」出身者の総会の意義を込めたものとうかがった。おめでとう!
6  「二月闘争」は女性の勢いで勝った
 思えば昭和二十七年(一九五二年)、あの「七十五万世帯の大法弘通」への突破口を開いた、東京・蒲田支部の二月闘争においても、勝利の推進力となってくださったのは、婦人部の皆さま方であった。
 戸田先生の命を受け、支部幹事として一人立った私は、支部婦人部長に言った。
 「二月に、二百世帯の折伏をやりましょう」
 婦人部長は驚かれながらも、勇んで立ち上がってくださったのである。
 私は、婦人部の皆さま方に、生き生きと、自信満々に、信心の体験を語っていただくことをお願いした。青年部の若い情熱と、婦人部の絶対の確信が一体となって、折伏の波は大きく広がっていった。私自身、日曜の朝から、婦人部の方と一緒に仏法対話に走ったことも、忘れ得ぬ宝の歴史である。
 私の妻も、女子部として、寒風のなか、折伏に飛び回った一人であった。拠点であった自宅での座談会にも、職場の上司を誘った。率先して会合を盛りあげるとともに、毎日毎晩、集まってこられる方々を笑顔で、お迎えしていった。集われた婦人部のお子さんたちに、絵本を読んであげるのも、妻の役割であった。
 ともあれ、婦人部、女子部を中心として、各部が一丸となって、仲良く朗らかに、一人また一人と、御本尊流布を成就していったのである。
7  「ちょっと待って!」と執念で
 そして迎えた「二月闘争」の最終日。目標の「二百世帯しは、すでに達成されていた。
 「ちょっと待って」――これで締め切りという直前、一人の婦人部の方から、もう一世帯の折伏を成し遂げたとの報告が入った。
 歴史に残る二月闘争の「二百一世帯」の金字塔は、わが婦人部のこの「勢い」、この「真剣さ」、そして、この「粘り」によって打ち立てられたのである。
 御書には「一は万が母」とある。
 すべては「一人」から始まる。友の幸福を祈りぬく婦人部の戦いによって、「七十五万世帯」成就の道が大きく開かれた。今ふたたび、創立八十周年へ、わが婦人部の祈りと行動で、楽しく愉快に、新たな広宣流布の波を起こしていっていただきたい。
8  折伏は、日蓮大聖人の仏法の実践の根幹である。偉大な御本尊を受持させる。これほどの聖業はない。仏の使いとしての尊き振る舞いである。友人を、その一家一族を、永遠の幸福の軌道へと導いていく。自身の宿命を転換し、無量の福徳を積んでいく。そのための最高の仏道修行である。
 戸田先生は、しみじみと言われていた。
 「折伏をする者ほど、御本尊が愛されるのは当然である」
 「歓喜に燃えて折伏する者こそ、ほんとうの信心の者といえるのである。かかる人こそ、願わずとも、御本尊は無上の宝、すなわち強い生命力と、福徳とをくださるのである」
 来る日も来る日も、広宣流布へ邁進されゆく婦人部の皆さま方が、無量無辺の大福徳に包まれゆくことは、絶対に間違いない。
9  「祈り」とそ勝利の源泉
 祈りは勝利の源泉である。″創価の母たちの祈りほど強いものは、この世に何もない″――牧口先生も、戸田先生も、このように語り、創価の女性を賞讃しておられた。
 牧口先生がつねに携えておられた御書には、いたるところに朱線が引かれ、赤丸が付されている。大聖人が、病気と闘う富木尼御前を励まされた御書(富木尼御前御返事)にも、傍線が引かれていた。それは、「設い業病なりとも法華経の御力たのもし」「身を持し心に物をなげかざれ」の御文である。
 「たとえ業病であったとしても、法華経の御力は頼もしいものです」「(富木尼御前もまた法華経の行者です。ご信心は月が満ちていくように、潮が満ちてくるように、ますます盛んです。どうして病も消え去り寿命も延びないことがあろうかと、強く心を定めて)体を大切にし、心であれこれと嘆かないことです」(御書975㌻、通解)と仰せの部分である。
 とくに「法華経の御力」の文字の右脇には、一字ごとに赤丸がつけられていた。さらに「なげかざれ」の文字の右脇には、二重線が引かれていた。
 現実の人生は、さまざまな「悩み」との戦いである。しかし、いかなる試練であっても、必ずや乗り越えることができる。いかなる宿業であっても、必ずや打開できる。これが「法華経の御力」である。何も嘆くことはない。
 たとえ何があっても、御聖訓のとおりに、強く、また強く、勝ち越えていくことである。
 断じて、へこたれない。一歩も退かない。敢然となすべきことをなす。それが仏法である。
 戸田先生は、「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり」との「忘持経事」の一節を拝し、こう指導された。
 「これは、親子同時の成道を説くためにおっしゃっているのです。あなた方が信心して、あなた方の成道がなり立てば、一家親類がことごとく成道するという理を、いまここで説いておられるのです」と。
 皆さま方の「一人の勝利」が、「一家審属の勝利」へと連動することを、悠然と確信していっていただきたい。
10  一つの出会い、一つの励ましを大切に
 咋日一月三十一日付の「朝日新聞」の「声」の欄に、「入学前に娘の顔覚えた校長」との見出しで、さわやかな記事が掲載された。八王子の女性からの投稿である。
 内容を紹介させていただくと――この春、私立小学校に入学する長女の入学準備のため、雪の舞う一月二十一日、その方は長女とともに学校を訪問した。その帰りがけの校庭で、娘さんとは、まだ直接、会ったことのない女性の校長先生が声をかけてくれた。
 「よしみちゃんね。雪の中よく来たね。四月に待っているよ」
 校長先生は、受験のさいに提出された顔写真を見て、顔と名前を覚えていたのである。
 その感動について、お母さんは、「子供に注ぐ愛情を強く感じ、これからお世話になる学校に信頼を覚えた」とつづっておられる。
 じつは、この小学校は、わが東京創価小学校である。
 一回の何気ない出会いかもしれない。ひと言の何気ない呼びかけかもしれない。
 しかし、その″小さなこと″を、一つ一つ大事にしていくことが、どれほどか″大きな価値″を生み出していくことか。
 小さな薬も、大きな効能をもっている。小さな種も、大きな木に育ちゆく。一つひとつ、真剣に、また、ていねいに、そして忍耐強く手を打ち続けていくなかにのみ、勝利の道が聞かれるのである。
 とくに、立場が高くなったり、威張る心が出てくれば、こうした小さなことに配慮できなくなるものだ。皆が何か困っていないか、苦しんでいないか、「分かろう」「知ろう」と、つねに努力していくしかない。たとえ、何もしてあげられなくても、「あの人が分かってくれている」ということが、相手の力になることもある。「知らない」のは無慈悲である。
 「知らないということは、発展しない、前進しないというにひとしい」(「評論」石山正三・和久利誓一訳、『ゴーキリー選集』5所収、青木書店)
 これは文豪ゴーキリーの洞察であった。
 指導者は、冷淡であってはいけない。とくに男性のリーダーは、心して、小さなことに気をつかっていってもらいたい。
11  受験生への伝言「上へ!上へ!」
 本日二月一日、冷たい雨のなか、東京の創価中学校の入学試験が行われた。
 私は、受験生の皆さんに、こう伝言を贈った。
 「できることなら、全員、合格させてあげたいけど、それはできません。もしも受からなかったら、創価高校を受けてください。それも受からなかったら、創価大学を受けてください。
 また、アメリカ創価大学に挑戦してください。それも受からなかったら、自分の子どもに託してください。ともかく、上へ上へと昇っていかなければいけない。下へ下がってはいけない。
 寒いから風邪をひかないように。お父さん、お母さんに、よろしくお伝えください」と。
 創立者の私にとって、学園を志願し受験してくれた人は、全員が大切な″学園生″である。
 私は、挑戦してくれた皆さん全員の栄光と勝利と健康を祈りに祈っている。どこまでも見守っている。そのことだけは忘れないでいただきたい。
12  「少子化」「長寿社会」――変化の時代こそチャンス
 あの地でも、この地でも、婦人部と女子部が一体となって、仲良く幸福のスクラムを拡大しておられる。「女子部が増えて、にぎやかになった」「婦人部も、すがすがしい息吹で進んでいます」など、喜びのドラマも、たくさん、うかがっている。
 どこに、未来への希望と勝利の足音がある。私はうれしい。
 今、「少子化」と言われる。不景気で、さびしい、あまりいい言葉ではないが、これは、「一人一人が輝く時代」の幕開けとも言えるのではないだろうか。どんどん人材をつくることだ。皆を人材に育てることだ。これからは、「一人」の存在が、三人分、否、五人分の価値ある存在となり、輝いていく時代なのである。
 リーダーはそれをふまえ、変化を先取りして、あらゆる活動を考えていかねばならない。
 ますます「長寿社会」となってくる。
 年配になると、女性のほうが元気で、男性は元気がない――そういう声もあった。
 人生の総仕上げを、どう見事に飾るか。女性の堅実さ、現実的な見方を、どう生かすか。どう均衡をもって前進していくか。これも課題となろう。こうした状況を包み込みながら、どんな時代になっても悠々と発展していける軌道を、今、厳然と築いておきたい。新しい学会をつくる、一番のチャンスである。私は、そう深く決意している。
 一番、むずかしい時代でもある。今までの延長線上で考えてはいけない。リーダーが考えを間違えると、せっかくの組織を脆弱にし、壊しかねない。
 勝っか、負けるかである。将来のために、勝つための手を、一つ一つ打ってまいりたい。
 深き責任感と、必死の祈りのあるととろ、智慧はいくらでもわいてくるものだ。
13  女性の声が未来を変える
 牧口先生と親交があり、国際連盟(現在の国際連合に先立つ国際平和機構)の事務次長として活躍した新渡戸稲造博士。「太平洋の懸け橋」と謳われた博士は、著書のなかで、「一人の女性の声」について書き留めている。(「偉人群像」、『新渡戸稲造全集』5所収、教文館。以下、同書から引用・参照)
 それは一九二四年、国際連盟の総会での出来事である。総会では、戦争を防ぐための平和議定書をめぐって、各国の代表が討議を重ねていた。
 大国、小国の代表たちが、代わる代わる演壇にあがって、演説を行った。しかし、新渡戸博士によれば、どの演説も単調で、大同小異だったという。早く終わりにしよう、という空気すら漂っていた。
 そろそろ議論も出尽くしたか、というその時、一人の女性が発言を求めて立ち上がった。
 のちにイギリス初の女性の大臣(労働大臣)となった、マーガレット・ポンドフィールドである。
 新渡戸博士が「止せばいいのに」と思うほど、会場は重い空気だった。総会の議長も、彼女の発言を拒むわけにはいかないが、なるべく長くならないようにうながした。
 彼女は、「私の議論は三分くらいですみます」と応じて、毅然と、次のように語った。
 「私は女の身としてこの壇に上った理由は、平和問題は単に男性に係るものにあらずして、女性に最も相応しい問題と思うからであります。かっ、平和を破るものは女性にあらずして、男性であることも今日までの経験に徴して明かであります。もし女性が政治に干与することが出来たなら、幾多の戦争が開かれずに済んだことでありましょう」
 そして彼女は、ひとたび戦争になれば、女性が受ける苦しみが、男性の苦しみと比べて小さいなどとは決して言えないことを訴え、さらに「私は茲に断言いたします。戦争の第一の犠牲となるものは小児である」と、烈々と叫んだのである。
 情熱みなぎる彼女の声に、場内は粛然となった。名だたる政治家や学者たちが心を打たれ、一言一句に耳をかたむけた。なかには目に涙を浮かべる者もいた。
 新渡戸博士は、彼女が「全会の尊敬を一身に受けつつしづしづと降壇する面影が今なおわれ等の眼に残っている」と、感動をこめて述懐している。
 女性の真剣な戸、女性の正義の叫びが、人の心を動かし、社会と時代を大きく導く。未来を変えていく。
14  わが学会も、婦人部、女子部の皆さま方が、つねに、「励ましの声」「希望の声」「勇気の声」「破折の声」をはつらつと、厳然と発している。だからこそ、学会は強いのである。
 御書には、「声」の重要性が随所につづられている。
 「声仏事を為す
 「声も惜まず
 「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
 「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
 等々、声こそが広布の最高の武器である。
 大きな声を! 温かな声を! 晴ればれと声をあげれば、心も体も健康になる。
 正義と勇気の声を響かせながら、朗らかに仏縁を結び、平和と幸福の連帯を広げてまいりたい。
15  人類のために創造の人生を
 一月三十日、インド・創価池田女子大学の第三回卒業式が、チェンナイ郊外にあるキャンパスで、盛大に開催された。名誉創立者である私と、名誉学長である妻も、丁重なご招待をいただいたが、どうしても出席できないので、祝福のメッセージを贈らせていただいた。
 アメリカの名門タフツ大学で宗教学部長を務められ、私が忘れ得ぬ対話を結んだハワード・ハンター博士も、マザー・テレサ大学のラクシュミ元副総長らとご一緒に、来賓として出席された。
 ハンター博士は式典で、「寛容性」をめぐり、すばらしい講演をしてくださった。そのなかで、″皆さんがこれから「創価池田女子大学」について聞かれたら″として、こう述べられた。
 「『私は、この大学の理念に確信を持っています。その理念は、人類のために価値を創造する人生を送っていくことです』と答えていただきたいのです」
 巣立ちゆく聡明な乙女たちに、希望と誇りを贈る、温かなスピーチ――私は感銘を受けた。その真心に、心から感謝したい。
 ロシアの文豪ゴーリキーは訴えた。
 「人の知識が多ければ多いほど、それだけその人間は強く、よりよい武器を持つことになります。これは明々白々議論の余地ないことです」(前掲「評論」)
 卒業生が一人も残らず幸福を勝ち取り、力強き人生の勝利者となることを、私と妻は真剣に祈っている。
16  「植樹とは、生命を与えるとと」
 きょう二月一日は、四十五年前、私がインドのデリーへ、第一歩をしるした日である。
 仏教発祥の地であるインドにも、今や二万五千人の創価の同志が活躍している。
 首都ニューデリーの近郊には、一九九三年に「創価菩提樹園」が誕生した。
 法華経に、「宝樹多華果」と説かれている。約二十二万坪の広大な敷地には、すばらしい園林が広がっている。この菩提樹園には、これまでも、各地の婦人部の木や、本部創友会の木など、数多く植樹してきた。植樹のもつ意義は、まことに深い。
 私が親しく語り合ったインドのラジブ・ガンジー首相は、「植樹とは生命を与えることである。愛の表現であり、他の人々や地球上の生命を思う心のあらわれである」と語っておられた。
 釈尊は、菩提樹の下で、障魔を打ち破り、菩提(悟り)を開いたと言われる。
 今後、さらに菩提樹を植樹していく予定である。日本、そして世界で広布に戦った功労者の方々の木も、植樹させていただこうと思っている。
17  偉大だから嫉妬される
 ロシアの文豪ゴーリキーは叫んだ。
 「この世の偉大なひとびとのなかで、泥を塗ろうとされなかったひとが、一人でも、見つかるであろうか」(『追憶』下、湯浅芳子訳、岩波文庫)
 彼が言う「泥」とは、人を陥れる中傷であり、嘘のことであった。
 「ひとにはたれにでも、傑出した人間を自分の理解の水準まで低めようとするだけではとどまらないで、そのひとを自分の足元へ、あのねばねばした毒のある泥のなかへ(中略)倒してみようとする欲求がある」(同前)
 人間の嫉妬は怖い。「偉大な人」「傑出した人」は皆、中傷され、おとしめられるのが、世の常である。私は、これまで、あらゆる三障四魔、三類の強敵と戦ってきた。矢面に立って、学会を守り、同志を守り、師匠を守りぬいてきた。これが、真実の歴史である。
 御聖訓には「日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり」と仰せである。
 三類の強敵と戦わない。大難から逃げる――そうした人間は、法華経の行者ではない。
18  「母の強盛な信心」――師弟に生きた千日尼
 日蓮大聖人の御入滅後、後継の柱たるべき五老僧が、日興上人に敵対し、ととごとく反逆したことは、ご存じのとおりである。他の門下にも、五老僧につき従って、道を踏み外す者が数多くいた。そのなかで、遠く離れた佐渡には、真の師弟の道を見失わない弟子たちがいた。大聖人の直系であられる日興上人につききって、信心の正道を進みぬいていった。光り輝く歴史である。
 なぜ、これらの佐渡の門下は、正しき師弟に生きることができたのか。そこには、佐渡広布の偉大な母である千日尼の強盛な信心があった。夫である阿仏房を亡くした後も、千日尼の信心は、いささかも退くことなく、いよいよ強く燃えあがっていった。そして、息子を立派な後継者に育て、身延におられる大聖人や日興上人のもとに、一度ならず、送り出していった。
 さらに、千日尼の曾孫ひまごも、幼き日より、日興上人のもとで薫陶を受けている。この曾孫はのちに、北国の広宣流布に戦いぬいていくのである。
19  未来部、青年部の育成に全力を
 偉大なる「母の信心」は、どこまでも日蓮大聖人、日興上人という「広宣流布の師弟」に直結していた。ゆえに、何があろうと揺らぐことがなかった。ゆえに、何があろうと揺らぐことはなかった。一家一族、さらに地域全体を、厳然と護り、照らしていったのである。
 賢く強き「母の信心」こそ、幸福の太陽である。「女性の信心」が厳然としていれば、いかなる魔も寄せつけない。
 「子にすぎたる財なし」とは、大聖人が千日尼に贈られた御聖訓である。
 わが婦人部は、後継の未来部・青年部の育成に、さらに全力を注いでいっていただきたい。
 日興上人は、佐渡の門下に宛てて、こう仰せになっている。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」(「佐渡国法華講衆御返事」、竹内理三編『鎌倉遺文 古文書編』37所収、東京堂出版。通解)
 仏法は正しい。だからこそ、仏法は厳しい。この「師弟の魂」が、深く強く刻まれた新潟の天地に、創価の父・牧口先生は生誕なされた。佐渡流罪の文永八年(一二七一年)からちょうど六百年後の、明治四年(一八七一年)のことである。
 ともあれ、この有縁の新潟はじめ信越でも、また、戸田先生の故郷である北陸でも、そして、北海道や東北でも、わが同志は、豪雪に負けず、意気軒高に戦っておられる。
 お元気であられるように、事故がないように、私も妻も、真剣に題目を送っている。
 日蓮大聖人は、千日尼に、小さな火が多くの草や木などを焼き尽くすことを述べられ、続けて、こう仰せである。
 「妙の一字の智火は、このようなものである。諸の罪が消えるだけでなく、多くの罪が、かえって功徳となる。毒薬が変じて甘露となるとは、このことである」(御書1316㌻、通解)
 人生には、さまざまなことがある。しかし、必ず、すべてをよい方向へと転換できるのが、「変毒為薬」の妙法である。皆さま方は、広宣流布の希望の太陽である。縁する同志が、眷属が、一人も不幸になるわけがない。
20  母に学んだ不屈の勇気――『若草物語』の作者
 月刊誌「灯台」でこれまで、アメリカ「ソロー協会」のボスコ前会長、マイアソン前事務総長と私とのてい談「生命ルネサンスと詩心の光――哲人ソローとエマソンを語る」が掲載されてきた。
21  との大確信を燃えあがらせて、激励の名指揮をお願いします!
22  おかげさまで本年一月号をもって、好評のうちに終えることができた。現在、本年の出版を目指して、準備が進められている。(=二〇〇六年九月、『美しき生命地球と生きる』と題し、毎日新聞社より発刊)
 このてい談では、ソローやエマソンと交流を結んだ、名作『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットのことも話題となった。先駆的な教育者であった彼女の父が、エマソンらと家族ぐるみの親交を結んでいたのである。
 『若草物語』と言えば、かつて戸田先生が、女子部の代表の集い「華陽会」で教材に取りあげられたこともある、世界的な名作である。
 貧しい家庭を支え、苦労しながら、断じて負けずに、自分らしく作家として開花したオルコット。その生涯に、戸田先生は注目しておられた。こうした人生の労苦ありて、多くの人々を魅了する感動の名作が生まれたとも、分析しておられた。
 このオルコットの不屈の人生の源には、母の存在があった。母アビゲイルは、理想に生きる父を支え、子どもたちを愛情込めてはぐくみ、貧しい一家を毅然と護りぬいた。
 オルコットは、この母の姿から、何がなくとも「勇気」一つで苦難と戦う、不屈の生き方を学んだ。また、オルコットは、母の愛情を最大の支えとし、母への感謝の思いを力としていった。
 彼女は幼いころ、日記にこうつづっている。
 「お母様はわたしのことを分かってくれて助けてくれる……本当に働くつもりです。自分を磨きたいと心から思う。そしてお母様に心配をかけたり悲しませるのではなく、助けて安心させてあげたい」ヘ師岡愛子編著『ルイザ・メイ・オルコット』表現社)
 世界中を感動で包んだ名作は、母娘一体の勝利の結晶でもあったのである。
 オルコットは数々の作品に、すばらしい母の姿を描き残している。一家の生活が危機にひんした時期をモデルにした小説『トランセンデンタル・ワイルド・オーツ』(谷林真理子訳、前掲『ルイザ・メイ・オルコット』所収)では、母にあたる登場人物を「ホープ(希望)」と名づけている。
 この小説には、たいして働きもせず、家族も顧みないくせに、現実離れした空想を追い求め、むなしい議論ばかり繰り返して皆を困らせる、男たちの姿が描かれている。
 そのなかを、母ホープは地道に働き続け、一家も同居人も支えぬいた。
 理想が破綻すると、男たちは一気に、意気消沈してしまった。
 しかし、母は微動だにしなかった。「新しい司令官」となって、夫を力強く励ましながら、堅実に、また聡明に、楽しく前進の指揮を執る。そして、「ホープ」を合言葉にしながら、たくましく、未来へ向かっていく――そういうドラマである。
 いざというとき、母は強い。現実的でありながら、決して希望を見失わず、人々を愛情で包み込んでいく。それが、母の偉大さである。
 オルコットの作品には、彼女が母から教わった、さまざまな人生の知恵が散りばめられている。
 『若草物語』では、母が娘に、こう教えている。
 「うぬぼれというものは、どんなにりっぱな才能もだいなしにしてしまうものです」(吉田勝江訳、角川文庫)
 たしかに、そのとおりであろう。慢心し、才におぼれて、求道の心を忘れれば、たちまち転落が始まるものである。
 仏法は、増上慢を厳しく戒めている。戸田先生も、慢心の人間には徹して峻厳であられた。
 母が娘にやさしく語りかける場面は、『若草物語』の続編でも描かれている。
 「あなたは一家の太陽なのだから、あなたが陰気になった日にはいいお天気というものはないことになります」(『続 若草物語』吉田勝江訳、角川文庫)
23  世界一の幸福のスクラムを
 わが婦人部の皆さま方は、今、女子部と一体となって、さわやかな若草のごときうるわしい「創価の母娘」「広布の姉妹」のスクラムを、広げてくださっている。
 「学会の太陽」である皆さま方が、いつも健康で、明るくはつらつと、ご一家を、また地域を、社会を、そして全同志を照らしゆくことを、私は心から祈っている。
24  ロシアのゴーリキーは述べている。「勝利する人は、勝利の実を刈り取る人ではなく、最前線で闘い続ける人なり!」(Алексей Максимович Горький, Полное собрание собинений, Том.6, Наука)
 最前線で戦う。その人こそ尊い。このことを私は、戸田先生から何度もたたきこまれた。
 肩書を得た。成果を挙げた――それは、真の勝利とは言えない。
 また、勝負は「途中」では決まらない。一生涯、広宣流布の責任を担い、最後まで戦い続ける。その人こそが、本当の勝利者なのである。
25  五十五年前(一九五一年)の六月十日、婦人部結成の日、集まった代表の五十二人を、戸田先生は温かく祝福された。そのときのお話を、私は小説『人間革命』につづった。
 「いよいよ学会も新しい出発をした以上、目的に向かって、前進のための組織を一層強固にせねばならない。そのためには、きょうここに、お集まりの皆さんの力を、ぜひとも必要とするのであります。
 おたがいに、広宣流布の実現のために、力いっぱい働こうというからには、皆さんは妙法流布の歴史に輝く女性の一人として、一人ももれることなく、後世に名をとどめていただきたい。
 そのなかにこそ、夫や、子供の一切の福運も、繁栄もあると確信してもらいたい」
 皆さまの前進を、三世十方の仏も、「善哉、善哉」とほめ讃えておられることは、御聖訓に照らして間違いない。
 生々世々、自在に人生を楽しめる。大福徳に包まれる。どれだけ境涯が広がるか、計り知れない。本当に、すごいことなのである。
 晴れわたる五月の三日へ、そして、結成五十五周年の六月十日へ、仲良く、楽しく、悠々と、世界一の幸福のスクラムを広げていっていただきたい。
 まだまだ寒い日が続く。どうか、風邪をひかれませんように。私も妻も、婦人部の皆さまのご健康とご多幸を毎日、祈っている。
 どうか、お元気で! ありがとう!
 (東京・信濃文化センター)

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