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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議 妙法の青春は永遠に勝ちゆく道

2006.1.27 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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1  英雄・諸葛孔明の必勝法
 本年最初の代表協議会、ご苦労さま!
 咋年は、大勝利の一年だった。本年も、大勝利の一年としたい。
 創価学会の源流であり、本陣である皆さん。名指揮を、お願いします! 勝利で飾りましょう!
 まず初めに、三国志の英雄・諸葛孔明の勝負の哲学に学びたい。
 戸田先生は、よく孔明を通して、リーダーのあり方を話してくださった。私は、そうした戸田先生の教えを、克明に、日記などに記録していった。その作業が、深夜に及ぶことも、たびたびだった。そのことは、私の妻が、よく知っている。
 それほど「真剣」だった。真剣だったからこそ、今日の学会ができあがった。
 真剣でなくして、本物が、できるわけがない。いいものが、できるわけがない。個人の人生においてであれ、団体であれ、それは同じである。
2  「戦う心」を失えば敗北
 さて、孔明は、勝利と敗北の分かれ目を、どう見ていたか――。(守屋洋編訳『諸島孔明の兵法』徳間書居。以下、引用は同書から)
 まず、「必勝の鍵」の一つとして、「有能な人材が登用され、無能な人間が退けられる」ことを挙げている。当然、この反対をやれば、必ず敗北する。
 適材適所になるよう、いかに人材を配置するか。いかに人を生かしていくか。リーダーは、私的な感情に左右されず、公平に人を見ていかなければならない。
 一点にも、私は最大に心を砕いてきた。これからの学会を担いゆくリーダーは、その責任の重さを自覚していただきたい。
 また孔明は、「必敗の徴候」についても述べている。その一つは、「むやみに敵を恐れ、その反面、計算高く、利益に敏感である」ことだという。
 「恐れ」とは、すなわち「臆病」である。「戦う心」を失うことである。″いざ戦い″というときに、「またか」と思うようではいけない。こういう心持ちでは、必ず敗北する。「臆病にては叶うべからず」との御聖訓を銘記したい。
3  愚劣な幹部はしかり飛ばせ
 一方、「計算高く、利益に敏感」とは、自己保身の生き方と言えようか。どうしたら自分は得をするか、そのことにばかり頭をめぐらせている人間である。たとえば、朝から晩まで金もうけのことばかりを気にかけ、信心は二の次――幹部がそんなことでは、広布の戦いに勝てるわけがない。
 戸田先生は、じつに厳しかった。
 「要領のいい幹部もいる。傲慢な幹部もいる。学会を利用して、自分がいい立場になることばかり考える幹部もいる。腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」
 こう言われ、「そういう人間は、しかり飛ばせ!」と叫ばれていた。
 広布のため、まじめに、健気に戦う学会員こそ尊い。その方々を、どこまでも大切にしたいとの、深きお心であられたのである。だから厳しかった。このお心を、そのまま受け継いで、私は走りぬいてきた。仏子である学会員を守るため、悪と徹して戦ってきた。
4  女子部の活躍を讃える
 昨日は、「聖教新聞」の創刊五十五周年の祝賀会が、盛大に行われた。大成功、おめでとう! ご苦労さま!
 とくに、女性の役員の方々、そして、受付の皆さん、本当にありがとう!
 日本を代表する各界の来賓の方々も、学会の若き女性たちのすばらしき人格と行動を、口々に讃えておられた。私は、本当にうれしい。
 女子部の方々は、本当に頑張ってくださっている。
 ″大切な大切な娘だ。できることなら、なるべく外に出したくない。家にいてもらいたい″――そう思うのが、世間一般の親心ではないだろうか。
 しかし、女子部の皆さんは、広布のため、人のため、敢然と現実社会に躍り出で、信念の道を、まっすぐに進んでいる。なんと尊く、美しい姿であろうか。
 祝賀会に参加された、ある一流企業の社長は、こう感想を漏らしておられたそうである。
 「役員の方々、とくに受付の女性のさわやかさに感心いたしました。まさに、人をつくる創価学会ならではの育成の賜ですね。私どもも、見習ってまいりたい」
 一流のリーダーは、鋭く見ているものだ。
 学会幹部の皆さんも、頑張っている女子部に対して、「いつも、本当にありがとう」「ご苦労さまです」と、真心の声をかけ、讃え、励ましていってほしい。
 「心こそ大切なれ」である。温かい「心」をもったリーダーのもとでこそ、人は生き生きと、張り合いをもって進むことができる。
 これからの学会は、一人一人のリーダーが、「自分が広布の責任者だ」との意識を持つことが大切である。全員が重要な使命と責任を自覚するととだ。それでとそ、本当の「異体同心」になる。
 信心は、役職では決まらない。広布のために戦っている人が、一番、偉い。組織上の役職は、一面から言えば、一つの形式である。
5  きょうは、全国の各方面の青年部長、女子部長が駆けつけてくれた。遠いところ、ご苦労さま!
 すばらしい晴天となり、本当によかった。
 時代は、変わった。すべて、若き君たちの時代である。
 わが青年部に、ロシアの大文豪ゴーリキーの言葉を贈りたい。
 「青春を大切にせよ! この世に、青春以上にすばらしいものはない。青春以上に尊いものはない」(Алексей Максимович Горький, Полное собрание собинений, Том.4, Наука)
 本当に、この言葉のとおりである。
 しかし、青春時代に堕落してしまう人間もいる。希望を失い、現実にとらわれすぎて、先が見えなくなってしまうこともある。だからこそ、「青春を大切にせよ!」「青春以上にすばらしいものはない!」と訴えたいのである。
 私は若いとろ、多くの本を、つぶさに、徹して読んだ。吉田絃二郎や、倉田百三といった作家の名前も懐かしい。文豪たちは、「青春をいかに生きるか」というテーマに焦点をあてて、真摯に探究していた。
 ゴーリキーの言葉は、さらにこう続く。
 「若さは黄金のごとく、望むすべてのことを成し遂げることができる」(同前)
 まさしく、若さは黄金である。可能性は無限である。
 いわんや皆さんは、若くして妙法を持った。こ宇宙に、これ以上ないという、偉大な妙法の青春を生きている。それは、永遠に勝利しゆく青春である。
 あまりにも偉大であるがゆえに、その偉大さが分からないまま、愚かな青春を過ごす――皆さんは、そうであってはならない。偉大な青春を悔いなく、勇敢に生ききっていただきたい。
6  イタリアの栄誉を全同志を代表して拝受
 いよいよ、この二月十日、イタリアのトリノ市で、冬季オリンピックが開幕する。
 このトリノ市から、私は昨年、「名誉市民」の称号をいただいた。
 (=二〇〇五年五月、同市市議会のミケーレ・コッポラ副議長ら代表が出席して東京で授与式が行われた。名誉会長の「世界平和と人権擁護のための生涯にわたる闘争」を讃えたもので、日本人初の栄誉である)
 授与式の折には、″将来、ぜひトリノにお越しください″との、お招きを受けた。また、イタリアの″最初の首都″であったトリノ市が誇る、由緒ある議場「赤の広間」に、ぜひご案内したいとのお話もいただいた。
 トリノでは、多くのSGIメンバーが社会の各分野で活躍している。私は、名誉あるトリノ市民の一員として、オリンピックの大成功を心から祈っている。
 またイタリアからは、大統領の決定により、このほど、功労勲章をお受けする運びとなった。
 全同志を代表して、謹んで拝受したい。(=一月三十日、駐日イタリア大使公邸でイタリア共和国の「功労勲章グランデ・ウッフイチャーレ章」の叙勲式が行われた)
 法華経の会座では、多宝如来が妙法の偉大さを証明し、普賢菩薩が悪世に法華経を弘める行者を守ることを誓う。世界からSGIに寄せられる共感の声や、さまざまな栄誉も、仏法の眼から見れば、「普賢菩薩の力用」「多宝如来の証明」の意義に通じるとも言えよう。
7  アメリカでSGI研究の波が広がる
 アメリカのマイケル・ジンマーマン博士は、かねてよりSGIの運動に注目し、探究してこられた知性である。名門スタンフォード大学で、仏教研究の中心的存在として活躍されている。
 このほど、ボストン二十一世紀センター(現・池田国際対話センター)の代表が、そのインタビューの模様を伝えてくれた。
 博士は、スタンフォード大学の学生たちに、アメリカの仏教団体のメンバーと直接、ふれあい、その実践について研究することを勧めている。そうした学生たちが、いちように共感するのは、「アメリカSGIが、じつに多種多様な人種を包み込んだ運動を展開している」点だそうである。
 では、なぜSGIには、このような運動が可能なのか。代表の報告を、そのまま紹介させていただく。
 「博士と意見交換した結果、次の点が確認されました。
 (1)運動の基盤には、多彩な文化を讃え、尊重する、平等で地球規模の、池田会長の思想と行動がある。
 (2)他の主流の仏教運動がエリートを対象としたものであるのに対し、SGIは民衆に開かれた運動を展開している」
 「博士もそうですが、今、アメリカの仏教研究者の間では、『これほど広範に運動を展開するSGIを、どうして無視することができるのか』と、積極的にSGIを研究する波が広がっています」
 以上、ありのままに・お伝えした。創価学会の世界規模の運動は、ますます大きな注目を集めていることを、深く自覚していただきたい。皆さんの前進を、世界の良識は、熱い眼差しで見つめているのである。
8  周総理――指導者は謙虚に
 中国の周恩来総理が、リーダーのあり方について警鐘を鳴らした言葉を紹介したい。
 「指導者のポストにつくと、謙虚さを失って、親しみにくくなり、自分は大したもので、何でも分かっていると思いこむ」(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集〈一九四九年〜一九七五年〉』中共中央ML著作編訳局訳、外文出版社)
 鋭い警告である。皆さんは、決して、そうなってはならない。とくに、学会員の皆さんは、純真で、人がいい。そのことに甘えてはいけない。リーダーは、どこまでも謙虚でなければならない。
 さらに周総理の言葉。
 「消極的な考え方は堕落の傾向にほかならない」(『周恩来選集〈一九二六年〜一九四九年〉』、日本語版《周恩来選集》翻訳室訳、外文出版社)
 われわれの活動にも、同じことが言える。「広宣流布しよう!」「自分は折伏をとれだけやろう!」と、まず口に出していくことだ。時には、できないととだってあるだろう。その時は、また新たな目標に向かって、進んでいけばいいのである。
 皆と呼吸を合わせ、「よーし、この地区を一番にしてみせる!」と決意し、その決意を声に出していくことだ。「声仏事を為す」である。
9  傍観は悪! 正義を叫べ!
 人道主義者として、平和運動の先頭に立って戦ったことでも知られるフランスの文豪ロマン・ロラン。その戯曲『狼』に次のようなセリフがある。
 「熱のない仲間たちこそ最悪の敵だ」(波多野茂弥訳、『ロマン・ロラン全集』9所収、みすず書房)
 熱のない仲間たち――つまり、戦いにあって仲間が困っていても、知らん顔。いたずらに批判するばかりで、敵と戦う気概もなければ、情熱もない。それでは、仲間とは言えない。それどころか、敵よりも、たちが悪い。″最悪の敵″であると言うのである。
 傍観は「悪」である。悪を見て見ぬふりをして、それを増長させるならば、結果的に、悪と同じになってしまう――それが牧口先生の叫びであった。広宣流布とは言論戦であり、思想戦である。ゆえに、人間を不幸にする誤った思想や虚偽とは、断じて戦わねばならない。
 私たちの″武器″は言論である。声である。正義の言論で、勇気の対話で、悪を悪と言いきり、人々を真実へと目覚めさせていく。そして、ともに幸福の大道を歩んでいく。それがわれわれの折伏の戦いにほかならない。
10  本陣の幹部がいるところが、広布の電源地
 十八世紀ドイツの哲学者カントいわく。
 「これ(=嫉妬)は極度に厭わしい」「(嫉妬の人は)との全世界から幸福を根こそぎにしようと欲する」(『コリンズ道徳哲学』御子柴善之訳、『カント全集』20所収、岩波書店)
 これまでも、学会の、おかげで偉くしてもらいながら、慢心と嫉妬と欲にまみれ、最後は純粋な学会の世界にいられなくなった者たちがいた。そうした連中のみじめな人生の結末を目の当たりにしてきたがゆえに、私は厳格に語り残しておきたいのである。
 日蓮大聖人は、「知恩をもて最とし報恩をもて前とす」と仰せである。
 「恩を知り」「恩に報いる」。それが仏法の鉄則である。
 妙法を持ったわれわれは、断じて恩知らずになってはいけない。
 ともあれ、広宣流布は″人材″で決まる。
 本陣のリーダーの皆さん方のいるところが、広宣流布の電源地である。皆さん一人一人が力強い″牽引力″となって、日本でも、世界でも、大聖人の御遺命の広宣流布が伸展してきた。
 私は、皆さん方の師子奮迅の戦いを心から讃嘆申し上げたい。本当にありがとう!
11  君よ「青年部の世紀」を勝ちまくれ
 ここでふたたび、戸田先生の指導を学びたい。
 戸田先生のことは、いくら語っても語り尽くせない。真実の師弟とは、そういうものである。
 戸田先生はおっしゃった。「惰性は、大聖人の仏法を腐らせる」と。
 自分では活動しているように思っていても、知らないうちに惰性に流されている。進んでいるつもりでいても、実際は停滞している。それが怖い。
 つねにつねに、「強い信心」に立つことである。新しい目標へチャレンジしていくことだ。
 惰性は暗! 前進は明! 仏法は、一生涯、前進である。
 若々しい生命で、青年の息吹で、最後の最後まで、求道の心を燃やして進んでいく。それが仏法者の生き方である。
 幾つになっても、心は生き生きと生きられる――それが最高の人生の幸福なのである。
 戸田先生が晩年、しみじみと、こう言われたことが懐かしい。
 「私が打てる手は、全部、打っておいたぞ。あとはお前が、思う存分、戦いまくれ! 勝って勝って、勝ちまくれ!」
 私は、この言葉のとおりに、戦って戦って戦いぬいた。そして、勝って勝って勝ちまくってきた。きっと戸田先生も、「よくやったな」と喜んでくださっているであろう。弟子として、これ以上の誉れはない。若き諸君も「青年部の世紀」を勝ちまくっていただきたい。
12  「第三代会長を守りぬけ!」
 戸田先生は次のようにおっしゃっていた。
 「第三代会長がいる限り、創価学会は興隆し、発展する。幹部は、誰人たりとも、第三代を守りぬけ! これが、私のただ一つの遺言である」
 将来のために、あえて伝え残しておきたい。
 会長に就任して以来、私は学会の大興隆へ陣頭指揮をとってきた。難また難の連続だった。卑劣なデマの集中砲火を受けた。生命の危険にさらされたととさえあった。しかし、だれも想像しなかった大発展を成し遂げたのである。
 どのような組織、団体でも、″太陽″が一つ昇れば、大きく発展する。太陽のように生命を燃やして進む「一人」が重要なのである。
 また先生は、「まず、全部、自分たちで責任をもって考えよ」とよく言っておられた。
 師弟の道に生きる。これが根本である。そのうえで、一から十まで師匠がやるのではない。それでは弟子は育たない。師の心をわが心として、まず弟子たちがみずから、真剣に広布の未来を考えよ――戸田先生の厳しき薫陶であった。
 弟子が団結して進む。そのために同志がいて、組織がある。
 牧口先生は、組織は上からではなく、下から変革していくのだ、と訴えておられた。
 広布を阻む動きに対しては、勇気をもって声をあげることだ。「おかしい」と思ったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである。おとなしくする必要はない。言わないのは臆病であり、場合によっては、悪につながってしまうからだ。
 日蓮大聖人は、法華経を破壊する者を、勇気をもって破折する重要性を訴えられ、「世を恐て之を言わずんば仏敵と為らんか」と仰せである。
 とくに青年部の諸君は、「広宣流布は、私たちが責任をもって進める」との気概で団結し、戦っていただきたい。
 リーダーに対して戸田先生は言われた。
 「人を引っ張っていくには、名誉欲と金欲をかなぐり捨てることだ」
 幹部だからと威張る。もっと偉くなろうとか、自分のことしか考えない。その醜い心が、信心を破壊し、人間を堕落させる。
 学会の幹部は、心に少しの「保身」があっても絶対につとまらない。本当の勢いが出ない。
 先生は「信心のうえで呼吸が合わない人は、かならず落後していく」とも言われた。
 勝利は「信心の団結」から!――これが先生の結論であった。
13  広宣流布は女性で決まる
 戸田先生は、よく「広宣流布は、女性で決まる」と語られた。
 日蓮大聖人は、女性の門下を最大に大切にしておられた。
 大聖人が流罪されていた佐渡の地や、身延に足を運ばれた女性をはじめ、多くの女性門下に対して、心温まる御手紙を送っておられる。(乙御前の母への御手紙など)
 「日本国の一切の女人を扶けんと願せる」と仰せのごとく、大聖人は、すべての女性の幸福を願っておられた。一切衆生の幸福のために妙法を弘められた。
 しかし、「妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち」と仰せのように、そうした大聖人が「犯僧(破戒僧)」の悪名を流されて、迫害されたのである。
 私も、婦人部、そして女子部の友を大事にしてきた。女子部が成長し、活躍できるように、心を砕いてきた。女子部の友の輝く笑顔。礼儀正しい振る舞い――それが、どれほど多くの共感を広げていることか。
 戸田先生は、こうも言っておられた。
 「味方をつくることだ。味方をつくったとと自体が、一切の勝利につながるのだ」
 とくに女子部の皆さまが、自身の職場で、地域で共感を広げ、信頼を勝ち取っていくことは、それ自体が偉大な折伏に通ずる。学会の味方をつくり、広宣流布を進めていくことになるのである。
 全国の女子部、そして婦人部の友の奮闘に、あらためて感謝申し上げたい。
14  さらに、戸田先生の指導を紹介したい。先生は言われた。
 「どんなに人柄が良くても、立派そうに見えても、悪に対して弱い人間、悪と戦わない人間は、結局、正義がない。信念がない。本当の人格がない。ずる賢い人間だ」
 「学会に、腰抜けの人間はいらない。悪への怒りなき者は去れ! 私は、最後の一人になっても戦う!」
 いくら言葉がうまくても、敵と戦えない人間はリーダー失格である。学会に仇をなし、師匠を傷つける輩とは断じて戦う――そうした気概と行動があってこそ、本物の広宣流布の指導者である。
15  全世界に広布の基盤は着々と
 私は、全世界に着々と広宣流布のための手を打ってきた。全同志の皆さまとともに、世界広布の基盤をつくりあげてきた。
 今や日本にも、海外にも数多くの会館がある。フランス総合文化センターやイギリスのタプロー・コート総合文化センターなど、歴史のロマンが薫る″文化の城″もある。広大な敷地を有する会館や、研修センターも多い。
 これからも、新たな広布の法城が誕生する予定である。
16  時代は大きく変わりつつある。少子化の進展も予想以上に早い。日本の人口も減り始めたと言われる。さまざまな意味で、組織を変革し、新たな時代への対応を考えていかねばならない。リーダーが、そういう意識をもっていくことが大切である。
 ともあれ、学会は「率直」でいくことだ。へんに気取ったり、格好つけたり、そんなことをする必要はない。おたがいに、言いたいことは、はっきりと言っていく。これが大事である。そうして、皆の英知を集めていくのである。
 それでは、どうか風邪などひかれませんように。私は、全同志のご健康とご多幸を、いつも真剣に祈っています。信心を貫く皆さまが、一人ももれなく幸福にならないわけがない。
 きょうは長時間、本当にありがとう!
 本年も、歴史に残る勝利の大闘争を、よろしく頼みます!
 (創価文化会館)

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