Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ドクター部代表協議 広布に生きぬけば生命は健康

2006.1.12 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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1  唱題は一切の勝利の原動力
 ドクター部の方々、はるばるようこそ! 創価の名医の皆さま方と、太平洋を見つめる、ここ神奈川の天地で、お会いすることができた。本当にうれしい。
 妙法の題目は、一切の勝利の原動力である。朗々たる唱題で、一日をはつらつと出発し、一日を荘厳に締めくくる。きょうより明日へと前進していく。これこそ、大宇宙の根本の法則と、わが生命を合致させゆく最高の健康法である。医学的にも、「声を出す」ことは健康によい。これまでも、ドクター部の皆さまと語り合ってきたとおりだ。
 仏法に、無駄はない。学会活動に、無駄はない。たとえば、「聖教新聞」で連載恥の「『生老病死と人生』を語る」(二〇〇六年十一月、本社より発刊)でも話題になった「主人在宅ストレス症候群」(=定年などで夫が一日中、家にいることによって、妻に表れる症状)。もちろん症状の原因はさまざまであり、いちがいには論じられない。しかし考えてみれば、壮年部の友は、定年になっても、座談会に、個人指導にと忙しい。家でゴロゴロしている暇はない。したがって、婦人部の皆さまにもストレスがたまりにくいのではないだろうか。(笑い)
 家族が、生涯、広宣流布という偉大な目標に向かって、励まし合って進んでいく――学会活動が、どれほどありがたいか。どれほど価値的な生命の健康法であるか。これをいちだんと深く知っていただきたい。皆に語っていただきたい。
2  歯科医学の草創に師弟の継承劇
 ここ神奈川文化会館の近隣には、「西洋歯科医学勉学の地」と刻まれた記念碑が立っている。
 私は以前、創価学園生に紹介したことがある。(=一九九九年四月、創価学園の入学式での祝辞。本全集第44巻収録)
 横浜は、二〇〇九年に海港百五十周年の佳節を迎える。
 日本における「近代西洋歯科医学」の発祥に地も、ここ横浜であった。横浜に渡来した外国人医師たちが、この地で初めて近代歯科医学を日本に伝えたのである。
 そのなかで、アメリカ人医師のエリオット博士は、現在の神奈川文化会館の敷地のそばに、歯科診療所を構え、のちに、パーキンス博士が引き継いだ。二人は、診療のかたわら、日本人の門下生たちを育成する。そこから、さらに多くの人々に継承され、今日の日本の歯科医学の基盤が築かれていった。この近代歯科医学における「師弟の継承劇」の原点である二人のアメリカ人医師を顕彰したのが、この記念碑なのである。
3  後輩を伸ばせ! 若き友に力を!
 エリオット博士の最初の弟子となった青年は小幡英之助であった。(以下、『今田見信著作集2 小幡英之助先生』『今田見信著作集3 開国歯科偉人伝』〈医歯薬出版〉を参照)
 小幡青年は、必死で、師の日々の仕事を支えながら、いっそうの語学力の向上に励んだ。その小幡青年の姿に、それまで日本人に好印象を持っていなかった博士も心を動かされ、真剣に応えてくれるようになった。
 博士は寸暇を割いて原書を開き、西洋歯科医学の学理を、小幡青年のために教授した。小幡青年もまた、博士の貴重な助手へと成長していった。この師弟がともにしたのは、約二年間とされる。
 師は、小幡青年と別れるにあたって、彼の独立開業のため、診療の器械をアメリカに注文するなど、あれこれと心を配った。小幡はこの師への恩を、生涯、忘れなかったという。そして、日本初の歯科医師免許を勝ち取り、近代日本の歯科医師の草分けとして活躍していった。
 私は、わが国の近代歯科医学の草創にも、美しい師弟の劇があり、語り継がれていることに、深い感慨を禁じ得ないのである。
 この神奈川の天地で、私も、たくさんの青年たちと出会いを重ねてきた。若き友に励ましを送ってきた。皆さまもまた、後輩を伸ばし、新しい人材を、どんどん育てていただきたい。新しい歴史を創るのは、青年しかないからだ。
4  陰の功労者も顕彰
 きょうは歯科技工士の方も出席しておられる。(歯科技工士は、歯科治療に必要な入れ歯、充填物、矯正装置などをつくる技術者)
 じつは、「西洋歯科医学勉学の地」の記念碑には、二人のアメリカ人医師とともに、一人の日本人の名が刻まれている。その名は、松岡萬蔵。二人のもとで活躍した歯科技工士であった。
 この松岡技工士の腕は、アメリカ人医師も舌を巻くほどであった。彼は、師から習得した最先端の技術を、師以上に向上させた。松岡の存在があればこそ、二人の診療所の価値が高まったのではないかという研究もある。後年、小幡をはじめ日本人医師たちも、松岡技工士に教えを乞うたという。
 日本歯科技工史上に少なからぬ貢献をしたと言われる、この松岡技工士は、若くして亡くなったこともあり、伝記史料などは残っていないそうである。
 しかし、こうした陰の大功労者の名前が、顕彰碑には明記されている。ここに私は注目したのである。
 歯科技工士は、歯科医師に比べれば、どちらかというと地味な、陰の存在かもしれない。しかし、完壁な治療は、歯科医師だけではできない。優秀な歯科技工士、さらに歯科衛生士らがいて、初めて可能となるのである。
 わが学会にも、広布の大発展を陰で支えてくださっている功労者の方々が大勢おられる。私は、その方々が大勢おられる。私は、その方々のことを忘れない。また、探し出してでも、励ましてさしあげたい。それが、わが戦いと決めてきた。この「心」を、どうか受け継いでいただきたい。皆が、さらに大きな張り合いをもって進んでいけるよう、リーダーは全力を尽くしていただきたい。
5  戦うドクター部であれ
 日蓮大聖人門下の四条金吾も医師であったことは、ご存じのとおりである。
 大聖人が、四条金吾を信頼されたのは、なぜか。それは、金吾の信心が強盛であり、勇気をもって敵と戦う人間だったからである。
 金吾に贈られた「石虎将軍御書」には、こう仰せである。
 「昔、中国の李広将軍という武将は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射たところ、矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。しかし、あとで、それが石と知ってからは、射ても矢は石に立っことがなかったという。それからのち、人々は李広将軍のことを石虎将軍と呼ぶようになった。
 あなたもまた、この故事のように、敵は狙っているのだろうが、あなたの法華経の信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励んでいきなさい」(御書1186㌻、通解)
 「一念」が強ければ、何ごとも成すことができる。「信心の一念」が揺るがなければ、乗り越えられない試練はない。そして、大事なのは、広宣流布のために、三類の強敵と戦う「悪を倒す一念」である。「仇を討つ一念」である。「正義を打ち立てんとする一念」である。この一念を、さらにさらに燃えあがらせて、勝利の歴史を残していっていただきたい。「戦うドクター部」であっていただきたい。
 今年も、創価の大精神を胸に抱きながら前進されゆく、皆さま方のご多幸を祈ります。ご健康を祈ります。きょうは本当にありがとう! 同志の方々に、よろしく、お伝えください。
 (神奈川文化会館)

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