Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二総東京最高協議 生き生きと勝利の大前進を

2006.1.2 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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1  「日本一」の新年の集いから出発!
 皆さん、あけまして、おめでとうございます!
 本年も、ともどもに希望に燃えて、大胆に、「勝利、勝利の前進」を、よろしく、お願いします。
 楽しく、明るく、勇気をもって、勝ちまくっていただきたい。
 偉大なる同志の皆さまが、絶対に健康で、無事故であるよう、私も真剣にご祈念しております。
 この二〇〇六年も、創価学会は、全国の千六百を超える会場に、広宣流布の尊き同志が生き生きと集い、名実ともに「日本一」の新年勤行会で、新出発をすることができた。
 元旦から、寒風のなかを勇んで運営にあたってくださった創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺会・白樺グループの皆さまをはじめ、役員の方々に、心から感謝申し上げたい。これほどさっそうと、これほど神々しく、法のため、人のために奔定する方々が、どこにいるだろうか。まことに尊いことである。皆さん、本当に、ありがとう!
2  世界広布が進むほど大福運が
 日蓮大聖人は仰せである。
 「この上行菩薩(地涌の菩薩の上首)は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである」(御書1239㌻、通解)
 「法華経の神力品で説かれているように、日本国の万民が、一同に声を合わせて南無妙法蓮華経と唱えることもあるであろう」(御書1241㌻、通解)
 この御聖訓を現実のものとし、御書に仰せのとおりの大難を受けながら、世界百九十カ国・地域への広宣流布を実現したのが創価の三代の師弟である。尊き同志の皆さまである。
 この功徳は、無量無辺である。世界広布が進めば進むほど、その大福運が、皆さまのもとに集まってくる。大聖人が、そう御約束してくださっている。輝く「学会創立八十周年」への五年間は、百年に匹敵する、まことに大事な時である。その最初の一年である今年は、まさしく次の五十年の勝ち戦を決定づける重要な一年であると、私は確信している。
3  続けて御書を拝したい。
 「正法は一字一句であっても、時と機根に適うなら必ず成仏することができる。たとえ千経、万論を習学しても、時と機根に相違するなら成仏することはできない」(御書957㌻、通解)
 大聖人は、「時の大切さ」を、繰り返し教えてくださっている。末法においては、妙法を受持し、折伏に励むことが成仏のための正しい実践である。この一年、リーダーみずからが率先して弘教に挑戦するとともに、時代を担う青年の育成に全力で取り組んでまいりたい。
 御聖訓には仰せである。
 「何とうれしいことか、末法の妙法流布に生まれ合わせたわれらは。何と悲しいことか、このたびこの法華経を信じない人々は」(御書1439㌻、通解)
 今、この時に生まれ合わせた喜びと誇りを胸に、一日また一日、黄金の歴史を刻み残してまいりたい。
 年末年始、全国から、また海外からも、多くの尊き同志の方々が、信濃町の学会本部に来訪してくださった。あらためて御礼申し上げたい。
 また、内外の多くの方々から、真心からの年賀のお便りをいただいた。世界の元首の方々や各界の指導者の方々からも、多数、新年の祝賀と私の誕生日のお祝いのメッセージを頂戴している。このように健康で、七十八歳を迎えることができたことを、皆、喜んでくださっていた。この席をお借りして、心から感謝申し上げたい。
 (=中国の文豪・金庸氏は、かつて、こう述べている。「池田先生、どうか長生きしてください。池田先生は創価学会に大いなる好影響を与えておられる。創価学会は日本に大いなる好影響を与えています。日本が、さらによくなり強くなれば、世界に好影響を与えます。その意味でも、池田先生が長生きされることこそが全世界にすばらしい影響を与えることになるのです。それくらいに先生は大切な人であり、先生の健康は大切です」)
4  大聖人は、「久遠一念元初の妙法」を受け持つことは、「最極無上」の法を授かるということである、と示されている(御書867㌻)。妙法を唱え、「広宣流布の師弟」に徹しゆく生命には、いつでも、どこでも、「久遠元初の太陽」が輝きわたる。仏法を実践しゆく生命は、つねに若々しい。つねに青年である。それが信心の世界である。
 ともあれ、リーダーは、生き生きとしていなければならない。そして、同志を苦しめる邪悪に対しては、徹して強く、勇気の言論で戦っていくべきだ。
 指導者の一念が勝負を決する。
 御聖訓にいわく。「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし」と。
 ともどもに、元初の旭日のごとく、威光勢力を増しながら、新鮮に、生き生きと、この一年を飾ってまいりたい。
5  まっすぐに師弟の道を
 日興上人は仰せである。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」(「佐渡国法華講衆御返事」竹内理三編『鎌倉遺文 古文書編』37所収、東京堂出版。通解)と。
 私は十九歳から、戸田先生を師匠として仰ぎ、全生命を賭して、お仕え申し上げた。師を護り、師の建設された創価学会を世界的にするために、それはそれは、全身全霊、死にものぐるいで戦いぬいた。
 「先生、私が必ずやります。ご安心ください」こう言いきって、あらゆる闘争の指揮を執り、同志とともに一切を勝ち越えてきた。まっすぐに、師弟に生きぬいた。まっすぐに、師弟の約束を貫いた。私の人生は、一点の後悔もない。
6  戸田先生は、第一の難をば、獄中において、耐え忍ばれた。会員は激減し、学会は存亡の危機に陥ってしまった。
 第二の難は、戦後、学会発展の途上に、おいて、事業の大敗北として競い起こった。多くの弟子たちは、偉大なる師匠を、恩師でありながら、軽んじていた。
 ある悪者は、非難中傷した。そして、ある恩知らずの弟子たちは、難が来ると師匠を侮辱して、あざけり笑って、去っていった。その光景は、私の胸に焼きついて離れることはない。
 当時の理事長も、師である戸田先生を誹謗したのである。
 多くの大恩を受けながら、畜生のごとき心をもって、偉大な師匠の恩を仇で返した輩は、当然のことながら、その最終章はあまりにも見苦しく、みじめであった。
 「君よ卑怯者になるな! 倣慢になるな! 恩知らずになるな!」
 これは、牧口先生、戸田先生以来の叫びであるのだ。
 仏法は勝負である。師も勝った。弟子も勝った。師弟不二にして、永遠の勝利を、私は築いた。
 なんという誉れか。なんという満足か。
 大聖人と同じ心をもって、広宣流布のために、不惜身命の者として、大勝利者として、その、永遠の生命は続くのだ。
 「池田門下生も、かくあれ!」と、私は叫んでおきたい。
7  正道を歩む人間こそ勝利者
 大聖人は仰せである。
 「ともかく、死は必ず訪れるものなのである。そのときの嘆きは、現在の苦しみと同じなのである。同じく死ぬのであるならば、かりにも法華経のために命を捧げなさい。それこそ、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものであると思いなさい」(御書1561㌻、通解)と。
 妙法とは、「不思議の法」である。絶対に無駄はない。すべてに意味がある。ゆえに、何があろうとも、きれいな心、誠実の心で、師弟不二の仏法に徹しぬいた人間が勝つのだ。
 邪道は滅ぶ。正しい道を歩みぬいた人が、最後は必ず勝利者となる。
 私の青春の姿は、一見すれば、貧しく、みじめであったかもしれない。先生のもとで、給料もなしで働いた。真冬でもシャツ一枚というときもあった。
 行きたかった大学も断念せざるをえなかった。「そのかわり、私が君にぜんぶ教えてあげるから」と、先生は、約十年間、毎朝のように、万般の学問を個人教授してくださったのである。日曜日には、ご自宅に招いてくださり、勉強の合間に、「大作、おなかがすいただろう」と、手作りの料理を食べさせてくださった。
 すべてが先生と私だけの忘れ得ぬ″生命の劇″である。
 約三十年前、イギリスの歴史学者トインビー博士と語り合ったときである。トインビー博士は、私にこう言われた。「あなたは、将来、必ず、世界中の大学から名誉博士の栄誉を受けられるでしよう」と。
 その博士の言葉が、今まさに現実となっていることは、皆さまが、ご存じのとおりである。
 すべては、全国、全世界の会員の皆さま方を代表して、お受けしてきたものである。
 それはまた、誉れある青春の″戸田大学″における、恩師の薫陶の結実にほかならない。わが恩師への感謝は尽きることはない。
8  謙虚であれ! 誠実であれ!
 ここで、世界の知性の言葉を、幾つか皆さまに贈りたい。
 イギリスの劇作家シェークスピア。『ハムレット』『オセロ』『マクベス』『リア王』の「四大悲劇」をはじめ、数多くの名作を残している。
 彼は戯曲のなかで、「傲るものは倒れる」(『リチャード二世』小田島雄志訳、『シェークスピア全集』6所収、白水社)とつづった。
 また、「近代看護の母」ナイチンゲールは記している。
 「真に勇敢な人の中に高慢な人がいたでしょうか? すべて高慢は、訓練の結果ではなく、訓練される能力の不足の結果を表わしています」(湯槇ます監修、『ナイチンゲール著作集』3、編訳者代表・薄井担子、現代社)
 本当に勇敢な人、訓練を受けきった人は謙虚なものだ。
 すぐに傲り高ぶる。同志を見下す――それ自体が、その人間の愚かさを証明しているのである。
 近代日本を代表する思想家・内村鑑三は述べている。
 「世は誠実を以てのみ勝つことが出来ます。世に虚偽多しと雖も、虚偽を以て之に勝つことは出来ません。正義はやはり最後の勝利者であります」(「世に勝つの途」、『内村鑑三著作集』8所収、岩波書店)
 内村鑑三といえば、かつて、私の友人が彼の著作を愛読していたことを思い出す。日本の多くの知識人が、敬意を表するような人物であった。
 誠実の人は美しい。好感が持てる。信頼できる。最後には勝つ。
 学会も、一人一人が誠実の行動に徹してきたからこそ、ここまで発展した。
 また、どこまでも一人を大切にしてきた。友の悩みに耳をかたむけ、あらゆることに迅速に手を打ってきた。だからこそ学会の組織は、生き生きと躍動しているのである。
 十七世紀のイギリスの詩人ミルトンはつづった。
 「善良な書物は生涯の後の生涯のために特に保存・貯蔵せられた卓越せる精神の貴い心血である」(『言論の自由』上野精一・石田憲次・吉田新吾訳、岩波文庫)
 すぐれた書物は、人類の「不滅の精神」というべきものである。とくに青年は良書にふれ、世界の英知に学んでいただきたい。頭脳を鍛えていただきたい。
9  女子部は全員が幸福に
 二十世紀に活躍した女性哲学者ハンナ・アーレントは言った。
 「人間の行為の特徴は、つねに何か新しいことを始めることにある」(『暴力について』山田正行訳、みすず書房)
 女子部、婦人部をますます大事にして、若々しい、新しい力を思う存分に引き出し、新しい拡大の波を起としていただきたい。
 とりわけ、明るく清らかな女子部こそ、学会の一番の希望である。
 今、若い人に、確たる目標とか、生きる指針がないと言われる。そんな時代に、若い女性が、自分のことをあと回しにして、毎日毎日、人のために祈り、語り、行動している。これほど尊いことはない。深い生命の次元から、女子部が輝いて美しい。この姿こそ大事なのである。
 百の説法も、百冊の本も、妙法を持った「一人の女性」の生き生きとした姿にはかなわない――こう戸田先生はよく言われていた。
 女子部の皆さんは、自信をもって、伸び伸びとやってもらいたい。
 題目をあげることも大事。弘教をすることも大事。それが仏法の根本の修行である。しかし、無理に押しつけたりして、皆が苦しむようなことがあってはいけない。
 たとえば、唱題も大勢で長時間やればいいというものでもない。「心こそ大切」である。「一遍の題目」にも「無量の福徳」が納まっているのである。その点、リーダーは、最大に配慮していってもらいたい。
 「最高の青春」を生きるために信心がある。「最高の青春」を生きた人が、「最高の幸福」の人生を勝ち取ることができる。
 女子部の時代は、一生の「幸福の土台」をつくる時である。目先のことにとらわれて、進むべき道を見失ってはいけない。
 「ザ・ホープ」――希望こそ力である。断じて、希望を手放してはならない。そのための信心である。
 自分を大切に! 聡明な人生を! 価値ある青春を!
 私は、女子部の皆さんに幸福になってもらいたい。皆さんが幸福になるための信仰であり、学会なのである。学会のなかにこそ、真実の″自他ともの幸福″の道がある。そこで戦えることが一番、幸せなのである。
 どうか、女子部の皆さんの団結と行動で、「世界一の平和と幸福の女性の連帯」をつくっていってもらいたい。
 ともあれ、「青年・躍進の年」の焦点は「人材育成」である。一人が二人分、三人分の力を持った、新しき「人材の大城」を、皆で総力をあげて築いてまいりましょう!
10  世界の友もはつらつと新年のスタート
 世界広布の新たな旭日は昇った! 海外千六百の会場で、各国のSGI(創価学会インタナショナル)の偉大なる地涌の同志が、はつらつと新年のスタートを切った。
 地球上で、最も早く元旦を迎えた国の一つ、ニュージーランドの友は、昇りゆく太平洋の旭日に包まれながら、各地で明るく勤行会を開催されたと、うかがっている。
 光栄にも、同国の平和先進都市ロトルア市に、「池田・ホール平和庭園」が開設されて、本年で七年目となる。(=同庭園は、池田
 会長と、当時のロトルア市のグラハム・ホール市長の名を冠したもの。開園式典には、首相代理のバートン大臣も参列した)
 この市民の広場は、いつも青少年の活発な声でにぎわい、非暴力の啓発運動の集会などが有意義に開かれているという。まことに、うれしいことである。
 また、神秘のオーロラが光る北米のアラスカや、北欧のフィンランド、広大なロシアのモスクワやウラジオストクでも、SGIの友は厳寒に胸を張り、妙法広布の新たな前進を開始している。人類起源の天地とされるタンザニアも、悠久のシルクロードの国キルギスも、また、しかりである。
 赤道直下のシンガポールでも、アフリカのケニアでも、世界最南端の都市であるアルゼンチンのウスアイア(南緯五四度)でも、富士山の頂上とほぼ同じ標高のボリビアのラパスでも、新年勤行会が行われている。
 そして、仏法発祥の地インドにあっても、全国三百八十の会場で、わが同志が集われた。
 なお、今月の末には、インドの創価池田女子大学で、立派に成長した第三期生のひずたちの卒業式が挙行されるという。さらに、高名な哲学者のラダクリシュナン博士が設立された「池田価値創造センター」でも、教育・学術会議が予定されている。
 私どもは、全世界の友人とともに、広く、また深く心の連帯を結び合いながら、平和・文化・教育の大道の、新たな希望の一歩を力強く踏み出すことができた。
 私が対談集を発刊した、ローマ・クラブ創立者のぺッチェイ博士は、こう語っている。
 「立派な目標を成し遂げるには、よいスタートを切ることが最も大切だ」(The Human Wuality, Pergamon Press)
 本年も、広布と人生の大願に向かって、勢いよく、生命を大回転させてまいりたい。
 わが使命の舞台で、価値ある何かをつくれ、何かを残せ――これが戸田先生の教えであった。
11  祈りこそ勝利の源泉
 一切の勝利の源泉は「祈り」である。
 「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」
 日寛上人の「観心本尊抄文段」には、こう厳然と記されている。
 戸田先生も、よく言われた。
 「御本尊に願いきってゆくことだ。『一人』が大事だ。その一人の信心によって、皆が最後は幸せになっていける」
 私も、妻とともに、全同志のとの一年の「健康長寿」「無事安穏」「幸福勝利」を、一生懸命に祈ってまいる決心である。
 「聖教新聞」を配達してくださる尊き「無冠の友」の皆さま、年頭から、本当にありがとうございます。心からの感謝を込めて、「本年も、よろしくお願いします。どうか、お元気で! 寒いので、くれぐれも気をつけてください」と申し上げたい。
 健康第一で進んでいただきたい。健康は、信心と努力と智慧で勝ちとっていくものだ。
 今、病気と闘っている人もいるかもしれないが、決して病に負けてはならない。
 御聖訓に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」と仰せのとおりである。
 私は、病気と闘っている皆さんのお名前をうかがっては、毎日、真剣に題目を送っている。
12  永遠に前進! 永遠に革命!
 戸田先生のご指導を拝したい。
 「大宇宙の法則に合致して、明るい自由な新天地を、そして人生行路を、自信と希望に燃えて乱舞していけ!」
 「ともに、『本当の戦いは、これからだ!』と起ち上がり、敢然と突き進もう!」
 最後の最後まで、前へ、前へと、すさまじい気迫で戦いぬいた戸田先生であられた。
 先生は、あるとき、こう叫ばれた。
 「私は進むぞ! 君も進め! 永遠に前へ!」
 この呼びかけにお応えして、私はつねに、「永遠に前進!」の気概で戦い続けている。
 思えば、中国の周恩来総理は、「永遠に革命」の精神で生きぬかれた人物であった。
 私が、お会いしたとき、総理のお体は、すでに重い病に侵されていた。(=一九七四年十二月五日に会見。一九七六年一月に逝去)
 しかし、″愛する民を必ず幸福にしてみせる! 発展の軌道を厳然と敷いておく!″との烈々たる気迫が、全身から発せられていた。
 その眼光は鋭かった。ぴんと張りつめた精神で、国家のあらゆる分野に目を配り、指揮を執っておられた。ほんの少しでも気をぬけば、一瞬にして崩壊が始まってしまうことを、周総理は、深く知悉しておられた。まさしく、「永遠に革命」の精神を体現しておられた。
 私もまた、この気迫で進んできた。責任あるリーダーの皆さんも、同じ精神でなければならない。そうでなければ、会員の皆さまがかわいそうである。
13  悪を滅する強さを持て
 今、創価学会という、偉大なる民衆の城が、壮大に築きあげられた。との善なる民衆の連帯を、絶対に、悪に乱されてはならない。
 建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。
 不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。このことを、よくよく心に留めていただきたい。
 学会利用、信心利用の、醜い利己心の輩を許してはならない。また、皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。
 悪に対しては、勇敢に声をあげることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病は、ずるい。ずるいのは「悪」である。悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。積んできた福徳も消してしまう。
 今年は、敢然と悪と戦う一年としたい。なかんずく、結成五十五周年を迎える男子部には「次の学会を背負う一騎当千の指導者たれ!」と叫びたい。
 日蓮大聖人は、涅槃経の次の文を繰り返し引いておられる。
 ″もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法のなかの怨敵である″(御書二三六ページなど)
 本当の「善人」とは「悪と戦っている人」のことである。仏法は、人間を不幸にする魔との「限りなき闘争」である。
 悪を厳しく責めるのは、それが「正しい」ことだからである。そして、「正しい」ことは「強い」ことである。強くなければ、正義を貫くことはできない。「正義」は「勇気」なのである。
14  最前線の「地区」を盤石に
 創価学会の「地区」は、広宣流布の最前線の現場である。リーダーは、これまで以上に、地区の第一線に目を向けていこう。それぞれの地区を、盤石にしていくことが、広布の基盤を固めることになる。最高幹部が、みずから動いて、どんどん地区に入っていくことだ。
 本年は、地区を中心に座談会を最重視してまいりたい。また、新入会の友や若き青年たちに、勤行・唱題の意義など、信仰の大切な基本をていねいに教えていくことも、重要な課題である。
 全幹部が総力を挙げて、地区部長、地区婦人部長の皆さまを支え、応援しながら、一対一の対話を重ねて、人材育成の波を起こしてほしい。
15  ここ八王子は、秀麗な富士を仰ぎ、荘厳な夕日が見られる、本当に不思議な、すばらしい天地である。結びに、一句を贈り、私の新年最初のスピーチとさせていただきたい。
  君もまた
    不動の信念
      不二の山
 本年もよろしく! この一年、元気でいこう! 張りきって進もう!
 生ある限り、戦おう! 深き使命を持った皆さまである。一緒に戦おう!
 (東京牧口記念会館)

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