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日蓮大聖人・池田大作

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第五十五回本部幹部会、全国青年部幹部会… 創立八十周年へ百年に匹敵する大前進を

2005.12.8 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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2  後世、必ずや、世界史の偉業と輝いていくであろう、偉大なる広宣流布の陣列――。妙法の大遠征を戦い、その途上で逝かれた方々を、私たちは、永遠に忘れてはいけない。きょうも、私は、妻とともに、亡くなられた同志を偲び、懇ろに追善のお題目を送らせていただいた。
 大聖人の御在世当時も、広宣流布の陣列に名前を連ねた、数々の在家の門下たちがいた。
 大聖人をお慕いする門下たちは、大聖人がいらっしゃる佐渡や身延にまで、遠く危険な道のりを歩みぬいていった。そのなかには、幼子を連れた女性もいた。かなりの年配の方もいた。
 大聖人のもとにお届けした御供養の品も、一生懸命に節約して用意したものであろう。こうした門下の″広宣流布の志″を、大聖人は心から讃嘆された。″ありがとう、本当にありがとう″″こんなところまで、よくきてくださいました″と深い深い感謝の心で包んでいかれたのである。
 ある信徒から贈られた御供養には、″涙が浮かんできた″と述べておられる。(御書1583㌻)
 今、海外の同志が、経済的にも大変ななかで、お金をためて、旅費をつくり、仏法の研鎮のために来日してくださっていることも、よく存じあげている。だれが讃えなくても、大聖人が讃えてくださっている。十方の諸仏・諸天が守ってくださっている。
 海外の皆さま、世界広宣流布の″地涌の同志の集い″に、ようこそ、お越しくださいました。私たちは最高の喜びと、最大の尊敬をもって、海外の皆さま方を歓迎申し上げたい!
3  仏の同志を最大に守り讃えよ
 晩年の大聖人は、身延の山中で、粗衣粗食の生活を貫かれた。夏は草深く。冬は雪多く。そこに質素な庵室を構え、令法久住のために重要な法門を説き、弟子の薫育に全魂を注いでいかれた。
 大聖人は、訪れた門下を、それはそれは大切にされた。門下の求道の姿を喜ばれ、″一緒に食事でもしましょう″″お疲れでしょうから泊まっていきなさい″と、長旅の労をねぎらつていかれたのではないだろうか。
 食事といっても、特別な料理はなにもない。また泊まるといっても、当時は蒲団などないし、うすっぺらなものを寝具として使っておられた。それらを御自身も用い、門下にも用意してあげながら、″風邪などひかないように″等と心を配ってくださったことが察せられるのである。
 そこには、″自分は僧侶だから″″聖人だから″という権威ぶった態度など微塵もなかった。あくまでも、同じ人間として、同志として、門下を尊ばれた。
 「仏」といっても、人間とかけ離れた世界にいるのではない。ただ南無妙法蓮華経と唱える人々の胸中の肉団にこそ″仏の生命″は涌現する。ゆえに、妙法を持った人が最も尊い。その人こそ「仏」である。この「仏の同志」を最大に守り、讃えよ!――ここに日蓮仏法の真髄があり、法華経の根本精神があり、創価学会が進んできた道がある。
 だからこそ学会は、ここまで伸びた。世界に大発展したのである。権威主義の宗教は、没落しかない。滅びるしかない。その実態は皆さんがご存じのとおりである。学会は勝った! 大聖人直結で勝った! 「創価学会、万歳!」と、声高く叫びたいと思うが、いかがだろうか。
 次は、創立八十周年(二〇一〇年)を大勝利で迎えたい。五年後に、皆さんが、どれほど福徳を積んでおられるか。幸福になっておられるか。さらに青年部の諸君が、どこまで成長しているか。私は楽しみにしている。ともどもに、健康第一で進んでまいりたい。
4  今も来世も師弟不二の闘争を
 さて、仏の別名に「(魔軍の攻撃に打ち勝った)勝者」とある。「絶対に負けない」というのが仏である。「絶対に勝つ」「断じて勝ってみせる」――これが仏である。仏法を持った皆さん方が負けるわけはない。いかなる障魔も、醜い陰謀も、断じて打ち破っていける。絶対に勝っていけるのである。
 戸田先生の時代も苦難の連続であった。相次ぐ事業の挫折。獄中闘争で病んだ先生のお体は限界に近かった。そのなかで、私は、一人立ち上がり、戸田先生をお守りした。全財産、全青春、全生命を、師匠である戸田先生に捧げた。これが私の永遠の誇りである。
 仏法の究極は「師弟」である。「師弟不二」である。「仏法を持つ」ということは「師弟不二」に生きぬくということである。「師弟、師弟」と口先では何とでも言える。しかし現実は、そんな簡単なものではない。私は本当に、全生命を賭して、戸田先生をお守りした。師匠をお守りすることが、広宣流布を守り、創価学会を守り、愛する同志を守ることになると知っていたからだ。
 戸田先生と私は、深き心で結ばれていた。亡くなられた今も、そして、来世も、再来世も、私は戸田先生と一緒である。それが「仏法の師弟」の甚深の法則である。
5  「生老病死」の苦しみを「常楽我浄」の喜びに変える
 「生老病死」という万人が避けられない問題を、いかに打開していくか。そこに光を当てられた大聖人の御聖訓を拝してまいりたい。「御義口伝」にいわく。
 「我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま、常楽我浄の四つの徳の香りを吹き薫らせているのである」(御書740㌻、通解)
 「常楽我浄」の四徳とは、揺るぎない幸福境涯――つまり、″仏の生命″に備わる四つの徳を示している。「常」とは、仏の生命が「三世永遠」であるとと。「楽」とは、「苦しみがなく、うれしく、安らかなこと」。「我」とは、「何ものにも壊されない自由自在の境涯」のこと。「浄」とは、「このうえなく清らかなこと」をいう。
 私たちは、妙法に生きぬいていくことで、「生老病死」の苦しみの生命を、「常楽我浄」という最高の喜びの生命へと変えていくことができる。そのように大聖人は断言しておられる。
 ゆえに、学会の庭で、最後まで広宣流布に戦いぬいた方々は、「常楽我浄」の最高の幸福境涯を勝ち取ることができる。その人は、臨終の後も、また来世も、再来世も、永遠に「仏の境涯」で進むことができるのである。大聖人は、次のように仰せである。
 「(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(御書1480㌻、通解)
 「死」というのは、一般には、「寂しく」「暗い」ものだと思われている。しかし、もっと本源的な生命の法則から見れば、死も生も、永遠の生命の一断面にすぎない。
 南無妙法蓮華経と唱えぬき、弘めぬいていった人は、亡くなっても、太陽が赫々と昇り、「早く死んでよかった」といえるような自在の境涯を楽しんでいける。まさに「生も歓喜」「死も歓喜」である。だからこそ、大聖人は、今世で、真剣に妙法の信仰を貫いていきなさいと仰せなのである。また、家族に対しては、″信心をして亡くなられたならば、何の心配もいりません″″本人も必ず喜ばれるにちがいありません″と、励ましておられる。これが妙法の世界である。
6  また大聖人は、南条時光にあてた御手紙で、こう仰せである。
 「亡くなられた慈父の聖霊は教主釈尊の御前においでになり、檀那(南条時光殿)はまた現世に大果報を招くことは疑いありません」(御書1530㌻、通解)
 これは、末法の法華経の行者である大聖人を守り、供養する功徳が、どれほど大きいかを述べられた御文である。妙法のため、広布のために尽くした人は皆、必ず幸福になる。大聖人が「よくやった」とほめてくださるのは間違いない。
 さらに大聖人は仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386㌻、通解)
 すべてが幸福の光に包まれた世界。不幸などは存在しない――それが寂光土である。
 天からは美しい花々が降りそそぎ、最高にすばらしい音楽が聞こえてくる。生命は無上の喜びに包まれて、「楽しいな」「うれしいな」という最高の境涯。妙法のために生きぬき、亡くなった方の生命は、必ず、こうした境涯となって輝いていくのである。
 反対に、大謗法の人間、広布の同志をいじめた人間の末路が、いかに惨めであるか。皆さまがご存じのとおりである。仏法は厳しい。
 さらに大聖人は、夫に先立たれ、息子を亡くした門下の婦人に対して、こう述べておられる。
 「悲母がわが子を恋しく思われるならば、南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君の南条殿と御子息の五郎殿と同じ所に生まれようと願っていきなさい。一つの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心にはらまれるならば、同じ妙法蓮華経の国へお生まれになるでしよう。父と母と子の三人が顔を合わせられる時、そのお悦びはいかばかりで、いかに嬉しく思われることでしょう」(御書1570㌻、通解)
 南無妙法蓮華経と唱え、願っていくならば、来世もまた同じ所に生まれてくることができる。妙法の世界に一緒に生きられる。これが信心の偉大な力である。大聖人が、そう仰せなのである。
7  信仰の強さは苦難を受ける覚悟で決まる
 この中に、キルケゴールについてご存じの方はいるだろうか。キルケゴールは、有名な十九世紀のデンマークの哲学者である。『死に至る病』『現代の批判』など多数の著書を残している。
 卓越した文学者でもあったキルケゴールは、俗悪なマスコミの誹謗中傷の標的にされた。(当時の新聞「コルサール」が風刺画などによって、キルケゴールに対する誹謗のキャンペーンを行った)
 やがて彼は毅然と反撃に転じる。悪宣伝をはね返し、言論の闘士として立ち上がった。そして、真実を叫びぬいていったのである。
 俗悪な、金儲け主義の言論が横行すれば、社会が不幸になる。暗くなる。民主主義は破壊されてしまう。だからこそ、真実と正義が勝たなければならない。そのために戦っていかねばならない。
 キルケゴールの言論闘争について、私は昨年の十二月にスピーチした(本全集第97巻収録)。その後、デンマークの名門コペンハーゲン大学キルケゴール研究所のヨッキム・ガーフ副所長から、共感の声が寄せられた。そして、副所長は本年二月、「言論の暴力に対する批判――キルケゴールのメディアとの戦い」と題して講義を行ってくださったのである。
 (講義は、アスコー国民高等学校で実施された「アスコー池田平和研究会」による教育プログラムの一部として行われた)
 今、世界の多くの識者が学会の理念と実践に、深い共感を示してくださっている。学会を信頼し、守ってくださる多くの味方が各地にいる。
 キルケゴールは記している。
 「信仰の強さは、その信仰のために苦難をうける覚悟がじゅうぶんにあるかどうかによって証明される」(「瞬間」松浪信三郎・泉治典訳、『キルケゴール著作集』19所収、白水社)
 深い言葉である。わが同志の皆さまは、どんな迫害や中傷にも負けずに戦ってこられた。一切に打ち勝ってきた。信心の強さを証明し、信仰の偉大さを証明してこられた。本当にすごいことである。
8  「一人」の女性から社会の変革が
 フランスの作家ジヨルジュ・サンド。十九世紀の女性である。
 サンドは男性中心の時代にあって、女性の「自由」と「自立」を求めて生きた。そして、四十年以上にわたる作家生活のなかで、女性や労働者の解放をはじめ、不平等と貧困、死刑の問題などについて論じた。その活動は、人々に多大な影響を与えている。
 社会をより良くしたいと行動する。訴える。尊い社会貢献の活動を続ける、学会の女子部や婦人部の皆さまと同じである。
 女性の活躍の舞台は、今、ますます広がっている。私はノーベル平和賞を受賞したアフリカのワンガリ・マータイ博士ともお会いした。「一人」から植林運動を始めた信念の人である。本当に立派な方だった。女性のリーダーが、あらゆる分野で、どんどん活躍していく――これが時代の趨勢である。
 サンドは理想の共和国をつくりたいと、政治活動にも尽力した。また、農村地帯に長く暮らし、田園を舞台にした小説を多く書いている。農村には、都会のような華やかさはないかもしれない。しかし、そこには黙々と働き、畑を耕す人々がいる。大勢の人の命の糧となる作物をつくり、養っているとの自負を持っている。
 サンドの代表作には、『魔の沼』『笛師のむれ』『愛の妖精』などの田園小説のほか、自伝『我が生涯の記』、小説『コンシュエロ』等がある。
 大文豪ヴイクトル・ユゴーは、サンドを讃え、亡命先のガーンジ島から、「あなたは、高貴で誠実で、そして偉大な魂を持っておられる」との手紙を書き送った。私も、共鳴しあう二人の姿に、かつて深い感銘を受けた。
 サンドは小説の中で、登場人物に語らせている。
 「心穏やかに生きようとして悪を許容するのは卑怯なのだ」(『スピリデイオン』大野一道訳、藤原書店)
 悪を見て、見ぬふりをする。悪と戦わない。それは卑怯な生き方なのである。
9  「心一つになれば必ず事は成就する」
 アメリカ公民権運動の指導者であるマーチン・ルーサー・キング博士は、こう訴えた。
 「私たちが行動する時はどんな場合でも手を携えねばならない」
 「団結すれば、私たちが願っているだけでなくまさしく手にするに値するおびただしいものを獲得できる」(一九五五年十二月五日、歴史的なバス・ボイコット運動を開始するさいのスピーチ。『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』梶原寿訳、新教出版社)
 異体同心の団結に、かなうものはない。古今東西、変わらぬ方程式である。学会は、この精神で勝った。かつて戸田先生は、こう言われていた。
 「皆の心が一つになれば、必ず、事は成就する。必ず、思いもかけなかった新しい道が開かれていく。これが、大聖人の仏法を信ずるものの強さだ。これを忘れるな!」
 私たちはこれからも、心一つに、「団結」の二字で進みましょう!
 イギリスの著名な桂冠詩人ロバート・サウジーは、国民的英雄ネルソン提督の評伝を書いている。その中でサウジーは、
 「勝戦かちいくさはやすまず戦果を拡大せよ」(『ネルソン提督伝』上、増田義郎監修・山本史郎訳、原書房)と、戦いの鉄則を記している。
 勝ち戦のときこそ、さらなる拡大のチャンスである。この好機に休んではならない。安穏として、時を逸してはならない。広宣流布の前進も今、この時期に入っている。今このときに、創立八十周年を目指し、正義の戦いを始めましょう! 大切な、これからの五年間である。この五年は、百年にも匹敵する重要な時期である。この五年間、懸命に生きぬこう。病気にならない。お金に困らない――そういう自分をつくりながら、創立八十周年(二〇一〇年)の十一月十八日を目標に、朗らかに前進していきましょう!
 フランスの思想家モンテーニユは、「愚かさと慢心という悪徳は、いつもくっついている」(『エセー』1、宮下志朗訳、白水社)とつづっている。
 愚かな人間は、慢心におちいりやすい。また、高慢は、愚かさの証拠ともいえよう。私どもは、そういう人間になってはならない。また、傲慢な愚者に負けてもならない。
 仏法の深義を知らず、また知ろうともせず、仏法を批判するのは間違いである。
 経典には、末法になると、そうした増上慢の衆生が大勢現れ、法華経の行者を迫害するだろうと明確に説かれている。そうした迫害に屈することなく、間違った考えを、勇敢に打ち破っていくのが折伏の修行である。
10  新しい一年も楽しく朗らかに前進
 きょうは、白雪の富士が見えた。こと東京牧口記念会館からは、堂々たる富士の山や、その他の美しい山並みが見える。さらにまた、絢欄たる旭日も、荘厳なる夕日も望むことができる。じつにすばらしい場所に、広宣流布の闘士の殿堂はそびえている。
 この晴れの日に、大勝利の幹部会の開催、おめでとう! 本年の大勝利は、全国、そして全世界の尊き同志の力と、努力と、忍耐のおかげである。皆さま、本当にご苦労さまでした! 私は、愛する同志一人一人に、何度も、何度も、こう申し上げたい。そういう気持ちでいっぱいである。
 「聖教新聞」を配達してくださる「無冠の友」の皆さま方も、ありがとう! これから、ますます寒さが勝しくなります。どうか、風邪などひかれないように。心の底から、「本当にありがとう。ご苦労さま」と申し上げたい。
 音楽隊の皆さん、いつもすばらしい演奏をありがとう! きょうの演奏は、ひときわ見事でした! 法華経には、次のような一節がある。
 「(この法華経を配持する人は)法の法螺貝ほらがいを吹き鳴らし、偉大な法の鼓を撃って、すべての生あるものを老病死の苦悩の海から救い出すであろう」(法華経602㌻、通解)
 私どもは、まもなく始まる新しい一年も、「常楽我浄」の希望の曲を奏でながら、楽しく、朗らかに、「偉大なる前進」をしていきましょう!
11  「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。私たちは、この世で最も偉大なものを持っている。意のままに、どんなものでも取り出せる″宝の珠″を持っている。大切なのは、仏力、法力を引き出す、われらの信力、行力である。祈りが叶わないわけがない。何があっても、絶対に負けるわけがない。これが信仰の真髄である。ゆえに、何の心配もいらない。妙法を信じぬき、唱えぬき、実践しぬいていくかぎり、決して行き詰まることはない。
 学会活動のなかには、あらゆる福徳が含まれている。学会とともに、学会の中で生きぬいていけば、自然のうちに、生き生きと、健康な生命になっていく。さあ、元気にいきましょう!
 フランスの大歴史家ミシュレは、フランス革命の歴史を振り返り、″信念を持っていた人は、いったいだれか?″と問い、こうつづっている。
 「信念をもっていたのはだれか。その信念をやりとげるために、献身の精神と力とをもっていた者はだれか。人民である。すべての人々である」(『フランス革命史』桑原武夫・多国道太郎・樋口謹一訳、『世界の名著』48所収、中央公論社)
 彼の結論は「民衆」だった。学会もまた、民衆の力で勝ってきた。このような民衆運動は、いまだかつてなかったことである。
 どうして学会は勝ってきたのか。それは、学会員の方々が、勇敢なる信念をもって、正直に、誠実な行動を貫いたからだ――このように、学会発展の要因を見ている識者も多い。
12  学会の歴史は「難即大勝利」
 大聖人は法難について、こう仰せである。
 「……法華経の第五の巻(の勧持品)には、『私(釈迦仏)の滅後の末法に入って、法華経の行者が現れるであろう。その時、その国に、戒を持った僧、戒を破った僧など、無数の僧たちが集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪にし、亡き者にしようとする』と説かれている。こうした経文がことごとく、日蓮の身に符合した。未来に仏になることは疑いないと確信する」(御書1389㌻、通解)
 「難即仏」「難即大勝利」――難を乗り越えることが成仏の証明となり、大勝利の証明となる。
 牧口先生も戸田先生も、広宣流布のゆえに牢獄に入られた。そのお姿こそ、学会の正義の証明であるといえる。私もまた入獄した。戸田先生と学会員を守るため、一人、矢面に立ってきた。そして皆さんとともに、仏法史上、だれも成し遂げたことのない広布の歴史を築いてきた。
 どこに正義があったのか。だれが正義の人だったのか。現証は厳然である。組織を悪用した形式主義、権威主義にだまされて、仏法の真髄を見失ってはいけない。広布において、本当に立派な人は、師弟不二の心で戦った一学会員である。こう見るのが仏法の眼である。とくに青年部の諸君は、この一点を忘れないでいただきたい。
 大聖人は、極楽寺良観との闘争において、「現証をもって決着を付けよう」(御書349㌻、通解)と挑まれた。良観は、大聖人の時代における「僣聖増上慢」の存在である。悪は責めて責めて徹底的に責める。大聖人の戦いに、中途半端はない。
 忘恩と嫉妬の日顕宗の卑劣な陰謀から十五年。私たちは戦ってきた。邪宗門は狂いに狂い、乱れに乱れた大敗北の姿である。学会は、明るく世界に大発展し、大勝利した。現証は、あまりにも明確である。すべては、皆さんの信心の力である。
13  世界からの顕彰はSGI同志の築いた信頼の証
 不思議にも、世界中が顕彰される時代に入った。この一年間で、世界各地で、また国連をはじめとする国際機関から、約二百七十もの栄誉が贈られている。すべて、わが同志が築いてくださった信頼の証である。とくに海外の皆さま、本当にありがとう!
 今回、研修で来日された台湾の皆さんは、十三回連続で「社会優良団体賞」に選ばれている。すごいことである。おめでとう! 韓国には、明年すばらしい墓園も完成する予定である。韓国の同志の勝利、万歳!(=二〇〇七年四月、同国の京畿キョンギ利川イチヨン市に開園)
 マレーシアの皆さま方も、ようこそ! おかげさまでマレーシアの創価幼稚園も、国内外から絶大な評価が寄せられ始めた。
 北欧の皆さまも、遠方より、本当によく、お越しくださいました。美しき北欧の天地にも、新しい″友情の森″が、大きく豊かに広がっている。
 南米ペルーの女子部の皆さまも、よく来てくださった。ありがとう! 朗らかに対話を広げゆく前進、ご苦労さま! 一人ももれなく幸福に! お父さん、お母さん、全同志に、よろしく、お伝えください。
 今年は、新たに二つの大学に「池田研究所」が誕生した(中国の中山ちゅうざん大学と華中かちゅう師範大学)。光栄にも、こうした研究を進める学術機関は世界で十二を数える。
 さらに、ブラジル、アルゼンチンには、私の名を冠した州立高校が建設されている。
 アメリカのミズーリ州には、「ダイサク・イケダ山頂公園」、オハイオ州には「トダ・フレンドシップ・サークル(戸田友情の道)」が誕生した。これらもすべて、皆さま方の子孫末代に伝わる、福運の象徴であると信じる。
 きょうは、アメリカ創価大学の英才の代表も参加している。ご苦労さま。ありがとう!
 先日、私は、皆さま方を代表して、ベネズエラの「フランシスコ・デ・ミランダ勲章 勲一等」を拝受した。世界各国からの国家勲章は、二十五を数えている。
 南米解放の先駆者ミランダは言った。
 「団結は永遠なる幸福と存続をもたらす」(Francisco de Miranda, America Espera, Biblioteca Ayacucho.)
 私たちが勝ってきたのも、団結できたからである。「異体同心」の団結で、永久に崩れない「人材の城」を築いた。これからも築いていこう!
14  自信を持て、力を信じよ
 さらに、いくつか先人の箴言を紹介したい。
 スウェーデンの作家ストリンドベリは、「ひどい目にあわされた方が黙っていると、悪漢の方が正しいことになってしまうのである」(『戯曲論』千田是也訳、早川書房)と述べている。
 だから戦うのである。ひどい目にあった場合、断じて黙っていてはならない。学会もこの精神である。大聖人の教えとも共鳴する。
 古代ローマの哲学者セネカは、「悪徳はすべて、それが起こったときに押し潰してしまわないと、その根を深く下ろします」(『道徳論集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)と指摘した。
 ゆえに、悪徳と戦い、その根を切らねばならない。「仏法は勝負」との私たちの姿勢にも通じる。人生において幸福になるのも、正義を証明するのも、勝負である。
 おなじく古代ローマの詩人ウェルギリウスの詩句には、「力があると思うゆえに力が出る」(『アエネーイス』岡道男・高橋宏幸訳、京都大学出版会)との一節がある。
 そのとおりだと思う。ましてや、私たちは最高の妙法を持っている。″私は題目をあげているんだ、自分には力があるんだ!″と思い、行動することである。
 ″私はダメだ。あまり話も上手くないし、折伏の力も弱い″と思うことがあるかも知れないが、そうではない。「私は勝てる! 私には力がある!」と確信して進むところにこそ、勝利が輝く。
 とりわけ、青年が自信を持って、自分の無限の力を信じ、発揮していくことだ。牧口先生も、このことを生涯を通して訴えられた。
 スウェーデンの著名な女性運動家で教育家のエレン・ケイは述べている。
 「幸福ということは、要するに、その最も深い意味に於ては、人生の諸々の運命を通じての人生の向上ということである」(『婦人と道徳』本間久雄訳、南北社)
 本当の幸福は、向上しゆく人生のなかにある。そして、その向上の原動力こそ、南無妙法蓮華経の題目である。題目以外に、根本的に、生命を磨き、人生を向上させゆく道はない。
 先ほども紹介したイギリスのネルソン提督。一八〇一年、彼は、大きな戦いを目前にして「いかに敵の増上慢の鼻をへし折るか」(ロバート・サウジー『ネルソン提督伝』下、増田義郎監修・山本史郎訳、原書房)が大事だと訴えた。
 この心意気である。そうした強さ、攻撃精神がなければ、強敵との戦いには勝てない。
 そして、ネルソン提督は、その戦いにおいて、見事に勝ったのである。
15  世界の命運は女性で決まる!
 先日、婦人部の「女性平和委員会」の友が、「世界人権宣言」の起草に貢献した著名な社会運動家エレノア・ルーズベルト女史(アメリカ第三十二代大統領夫人)の貴重な著作を届けてくださった。
 その本のタイトルが、まことにすばらしい。『女性で決まる』という本なのである。
 エレノア女史は、誇り高く宣言している。
 「女性は陰に陽に、世界の命運に偉大な影響力を及ぼしてきました」「世界の危機を乗り越えられるかどうか。それは、今までにもまして『女性で決まる』のです」(Eleanor Roosevekt, It's Up to the Women, Frederick A.Stokes Company.)
 そのとおりである。戸田先生も、よく、「広宣流布は、女性で決まる」と言われた。婦人部、女子部の皆さま方、一年間、本当にお世話になりました。明年も、よろしくお願いします。
 エレノア女史は、こうも論じている。
 「人生において、何を大切にするかによって、女性は、人生を、幸福なものにもできるし、不幸なものにもしてしまう」(同前)
 人生で大切なものは何か――セネカはつづっている。
 「われわれを富ましめるもの、それは心です」(前掲『道徳論集』)
 幸福は、心で決まる。平和も、心で決まる。混迷を深めゆく世界にあって、人類は、「心」そして「生命」という原点に立ち返る時を迎えている。
 心――私たちにとっては、「信心」が根本である。日蓮大聖人は「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
 これは、大聖人の仏法の一つの結論と言える。釈尊の法華経も、大聖人の御書も、「心」がもつ偉大な力を、あらゆる角度から説いているのである。
 日蓮大聖人は、女性門下である日女御前に仰せになられた。
 「(法華経の)宝塔品の時には、多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集まっておられます。この宝塔品が今、どこにあられるかと考えてみますと、それは日女御前の胸の間の八葉の心蓮華のなかにあられると日蓮は見ているのです」(御書1249㌻、通解)
 全宇宙のあらゆる仏の智慧も、あらゆる菩薩のカも、妙法を受持した女性の生命に、全部、備わっている――こう、大聖人が断言してくださっているのである。
 その智慧と力を無限に引き出せるのが、信心である。ゆえに、不幸になるわけがない。絶対に、縁する人を幸福に導きながら、今いる場所から世界へ、「平和の文化」を広げていくことができるのである。
16  正義の声を! 励ましの声を!
 さて、このたび、国際的に著名なガンジー主義者であるN・ラダクリシュナン博士と、対談の連載を開始することになった。(=『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』と題し、二〇〇九年一月に第三文明社から発刊)
 博士は語っておられる。
 「悪魔は休まない。だからこそ、善のスクラムである我らが、どこまでやるかが、常に試されている」と。
 善が団結することである。そして、声を上げることが大事である。
 (=ラダクリシュナン博士は、こうも語っている。「嫉妬の人間が中傷するのは、野犬が吠えるようなものです。彼らの声も、そして彼らも、やがて消え去ります。しかし、池田会長の声は消えません。会長の声によって、平和が、正義が、人間らしい世界が、常に蘇るに違いありません」)
 「声仏事を為す」である。黙っていてはいけない。
 「声も惜まず」語った分だけ、広宣流布は進む。
 「師子の声には一切の獣・声を失ふ」とあるごとく、人々を惑わす「虚偽の声」「邪悪な声」は、断固、「真実の声」「正義の声」で打ち破らねばならない。
 戦っている友には「賞讃と励ましの声」を贈ることだ。
 「青年・躍進の年」は「目の覚めるような声」で勝とう!
17  青年よ、今ふたたびの広布躍進の時を創ろう
 戸田先生は展望しておられた。
 「一人の新たな真の同志をつくる。それから、一人また一人とつくっていく。これが、とりもなおさず、時をつくることになる」と。
 今ふたたび、新たな広宣流布の躍進の時を創ろう! とくに青年部を、いちだんと伸ばしていきたい。わが青年部に、英知の言葉を贈りたい。
 まず、先日逝去された中国の文豪・巴金先生が、私に対して言われた言葉である。
 「私は青年を信じている。それぞれの時代には、必ず、すぐれた青年が出てくるし、すぐれた思想が出るものだ」
 世界が、創価の青年に期待している。
 次に、戸田先生の指導である。
 「肉体的にも精神的にも、人生の苦しみを味わったものが強くなる。故に偉大なる青年は、安逸を求めるな」
 苦労しぬいた人こそ、不滅の青春の勝利者である。
 最後に、ふたたび、スウェーデンの作家ストリンドベリの言葉を贈りたい。
 「私は生の喜びを力の漲った劇烈なる人生の闘争の中に見出し、そして自分の楽しみをば、何物かを発見し、何物かを学ばんとすることの中に求めている」(E・A・ルイゼ『ストリンドベリー伝』富野敬邦訳、萬里閣)
 青年は、昇りゆく正義の太陽だ! 青年は、未来を決する「本因」の力だ! 青年部よ、断じて追撃の手をゆるめるな! こう私は叫び、一切の勝利を託したい。
18  来年も頑張ろう! 皆、朗らかに、また勝って会おう! どうか、よいお年を!
 一年間、ありがと! 全同志に、よろしくお伝えください。
 風邪が流行りつつある。断じて風邪をひかないよう、しっかりと祈り、賢明な生活を心がけていきたい。
 皆で「一年間の勝利」を祝い、「創価学会の世界的な発展」「全宇宙の同志の勝利」を訴え合いたい。重ねて、一年間、本当にありがとう! 心から感謝申し上げます。
 全同志の皆さまの健康とご多幸を祈り、題目を送ります。お元気で!
 (東京牧口記念会館)

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