Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二東京最高協議会 勇敢に師子王の大闘争を

2005.11.18 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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2  「夢の中の栄え」に惑わされるな
 日蓮大聖人は仰せである。
 「(衆生は)ある時は人に生まれて、諸の国王・大臣・公卿・殿上人などの身となって、これほどの楽しみはないと思い、少しばかりの果報を得て十分であると思い、喜び合っている。これを仏は、″夢の中の栄えであり、幻の楽しみである。ただ法華経を持って、速やかに仏になるべきである″と説かれたのである」(御書38㌻、通解)
 虚栄の幸福に惑わされてはいけない。どんなに高い社会的地位を得ても、それは永遠には続かない。「夢の中の栄え」であり、幻のようなものだ。御本尊を持ち、題目をあげ、広宣流布に生きぬく人生は、絶対に崩れない大福徳を積むことができる。ここにこそ「現実の幸福」があるのだ。
 さらに、御書に「天は必ず戒を持ち善事を行う者を守る」(1345㌻、通解)と断言されているように、諸天善神は妙法を受持する者を必ず守護するのである。
 大聖人は厳しく戒められた。
 「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪がある」(御書1168㌻、通解)
 せっかく信心したのに、退転したり敵対する。その罪は、正法を知らないときよりも重い。これは当然の道理といえよう。なかには、「そんなに厳しいのなら、最初から信心しなければよかった」(笑い)と言う人もいるかもしれない。しかし、もう、してしまったのだから(笑い)、始めた以上は、やりぬくことだ。そこに幸福の直道がある。やった分だけ得をする。信心をした人は、世界最高の偉大な使命を担った人なのである。
 「聖愚問答抄」には、こう仰せである。
 「『邪』と『正』が肩を並べて立ち、『大乗』と『小乗』が優劣を争う時には、万事をさしおいて謗法を責めなさい。これが折伏の修行である。この旨を知らないで、摂受・折伏の方法を誤るならば、成仏できないだけでなく、かえって悪道に堕ちるということは、法華経と涅槃経に確かに説かれている」(御書494㌻、通解)
 末法の修行は折伏である。折伏とは「正義」と「真実」を語りぬくことだ。邪義を屈伏させる大言論戦である。ここに安穏の社会を築く根本の道がある。それを日々、実践しておられるのが、わが尊き同志の皆さまである。
3  ヘミングウェイといえば、名作『老人と海』などで知られるアメリカの作家である。彼は、小説『日はまた昇る』に、こうつづっている。
 「ひとつのとこからよそへ移ってみたって、君自身からは逃げられないんだよ」(高村勝治訳、『ヘミングウェイ全集』3所収、三笠書房)
 そのとおりである。人間だれしも、自分自身から逃れられない。
 どんなにすばらしい相手と結婚しても、どんなに環境を変えてみても、自分自身が変わらなければ、何も変わらない。自分自身が幸福をつくるのだ。福運をつけていくのだ。人間革命しかない。
 ロシアの大詩人プーシキンは記している。
 「希望を持ちましょう、――希望を持っことはつねによいことなのです」(「書簡」池田健太郎訳、『プーシキン全集』6所収、河出書房新社)
 わが胸中に希望の火を赤々と燃やしながら、人間革命の大道を朗らかに進みましょう!
4  仏法史上、未曾有の壮挙に、功徳は絶大
 重ねて、創立七十五周年、本当におめでとう!
 「一閻浮提(全世界)広宣流布」――この日蓮大聖人の仰せのとおりに、わが創価学会は百九十の国と地域に妙法を広めた。
 「難来るを以て安楽」――この御聖訓のままに、学会は、ありとあらゆる難を乗り越えた。「三類の強敵」との大闘争を、すべて勝ちきってきた。
 仏法史上、未曾有の壮挙である。「如説修行」(仏の教えどおりに修行するとと)の皆さまの功徳は、あまりにも大きく、あまりにも深い。子孫末代まで決して尽きることはない。
 広布と人生を戦い、勝ちゆく力――それは題目である。
 われわれには、絶対勝利の信心がある。それなのに、真剣な祈りもなく、勝利できなければ、大聖人に申しわけがない
 大聖人は、あの封建的な時代にあって、女性の門下を「これほどまでに」と思うほど大事にされ、宣揚された。学会も、婦人部、女子部の題目に守られてきた。女性の勇気、女性の突きぬけた確信があるから勝ってきた。私は最大に感謝申し上げたい。
 反対に、この清浄な世界を守るためには、名聞名利のために学会を利用し、同志を裏切る人間を絶対に許してはならない。
 本当に悪い人間は、黙っていると、つけあがる。温情をもって接すると、さらに大きな悪事を働いて、恩を仇で返すものだ。ゆえに邪悪とは徹して戦いぬくことだ。それが正義を守ることになる。悪人をも救っていける。永遠に栄えるための道である。
5  ホフライトネル氏「人間革命こそ人類の生きる道」
 今や、法華経に説かれる「普賢菩薩の守護」「多宝の証明」のごとく、世界から絶大なる支持と信頼が学会に寄せられている。
 連日、「聖教新聞」に掲載されているように、世界の良識の方々が、続々と創立七十五周年に祝賀のメッセージを寄せてくださった。学会本部にも大勢の客人が、お祝いに来られた。
 「人類の頭脳」と仰がれるローマ・クラブのホフライトネル名誉会長からも、真心こもるお祝いのメッセージをいただいた。博士と私は、対談集『見つめあう西と東――人間革命と地球革命』(第三文明社)を、この十一月十八日を記念して発刊した。
 博士と初めて、お会いしたのは一九九一年六月。「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」の開館式の折のことである。スペインからパリまで、はるばる駆けつけてくださったのである。
 その時、私たちは、対談集を語り残すことを約し合った。
 「明日では遅すぎる。今日、何かしなければ!」
 博士はこの決心で、人類の未来のため、世界を駆け巡ってこられた。いきおい対談は、書簡等のやりとりも含め、互いに多忙な時間をこじ開けての作業となった。
 十四年越しの対話が今回、一つの完結をみたことは、まことに感慨深い。これで、海外の知性との対談集は三十八を数えることになった。すべて、″戸田大学の卒業生″として残した歴史である。
 対談集で、ホフライトネル博士は訴えられた。
 「私たちは、責任と慈愛をもって、次の世代に『生きる道』を準備しなければなりません。そのために必要なのは『人間革命』です。『人間革命』のみが、われわれの内なる潜在力を開発させ、自分が本来はいかなる存在であるのかを十分に自覚させ、それにふさわしい行動をとらせることができるのです。『人間革命』のみが、コンピューターや人工衛星、エンジンや機械、原子炉や電子機器を、人類同胞や全宇宙のために有効に活用していく道を示せるのです」
 人類が地球的問題群を克服し、発展と共生の道を進んでいくためには「人間革命」しかない――これが博士の結論である。
 博士が師と仰がれる、ローマ・クラブの創立者。へッチェイ博士の信念も同じであった。
 私は小説『人間革命』の「はじめに」に書いた。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 この「人間革命」の哲学を学び、広げた創価学会の七十五年の歩みが、いかに人類史を先取りした、重大な意義を持つものであったか。今、世界の良識が讃嘆してやまないのである。
6  家庭、地域に尽くす人が「世界市民」
 ホフライトネル博士と私は、「世界市民」のあり方についても、縷々、語り合った。
 博士は、こう述べておられる。
 「『世界市民』となるには、家庭にあって良き息子、娘、地域社会にあっては良き同僚、良き一員とならなくてはなりません。こうした根本の部分からこそ、より深い改革へのインパクトを与えることができるのです。これは会長が言われている『一人の人間が、その環境、地域、国、さらには世界までも変えることができる』という考えに通じるものです」
 重要な指摘である。創価学会、そしてSGIは、一貫して「良き市民たれ」をモットーに進んできた。また、「一家和楽の信心」を永遠の指針の一つとしている。
 「世界市民」といっても、わが家庭、わが職場、わが地域から出発する以外にない。ここに、着実にして、確実なる変革への一歩があることを、改めて確認し合いたい。今、自分がいるところで、信念と情熱と希望に燃えて、立ち上がっていくことだ。自分自身が生まれ変わったように生き生きと進んでいくところから、わが組織も、わが地域も、新しい躍進が始まる。
 現実に、どれだけの人に仏法を語り、広宣流布を進めたか。どれだけの人を救い、ともに幸福の道を歩んできたのか。それこそが、人生の誉れの歴史である。
 大阪の「折伏一万千百十一世帯」の金字塔をはじめ、私はつねに、弘教の先頭に立ってきた。個人折伏をやりぬいてきた。
 幹部となり、多忙になったとしても、信仰者としての基本を忘れてはならない。
 ともあれ、人生は「まじめ」に徹することだ。立場や名誉を得て、いい気になったり、まじめにやっているふりをして、隠れて動いてみたり――そうした生き方は、いつしか実像があらわになり、失敗に終わるものだ。広宣流布の活動を怠れば、人生の最期に必ず後悔する。子孫も苦しむ。反対に、まじめに広布に励んだ人は、堂々たる勝利の姿で人生を飾り、その功徳は、一家一族、子孫末代をも潤していく。
 「まじめな人が最後は勝つ」――これが人生の鉄則であり、数多くの人間模様を見てきた私の結論である。
7  外交戦の武器は勇気、誠実、根気
 わが青年部に、ホフライトネル博士の言葉を贈りたい。
 「若さそれ自体に、困難に立ち向かう偉大な才能が秘められているのです。これこそ、若さゆえの純真さから生まれる″勇気″と呼ばれる希望の産物なのです」
 「若い」ということは、それだけで偉大な才能である。その才能とは「勇気」のことである。
 広宣流布は、いわば″究極の外交戦″である。何よりも、磁石のように相手の心を引きつける生命の力、学会の理念と正義を叫びきっていく勇気と執念がなければならない。また、広宣流布のためならば、労を厭わず、どんな所へも飛んでいく真っ正直さ、電光石火の行動力が必要である。そしてそれは、師弟に生きぬくと決めた時、わが生命から満々とわき起こるものである。
 外交戦の武器は、「勇気」に加えて「誠実」である。
 二十世紀のイギリスで、「外交学の大家」と謳われるハロルド・ニコルソンは、書き記している。
 「外交がいやしくも有効であるためには誠実が必要である」(『外交』斎藤眞・深谷満雄訳、東京大学出版会。以下同じ)
 相手がだれであれ、誠実を貫き通していくことだ。最後は「誠実」が勝利する。
 ニコルソンは戒めていた。
 「外交上欠陥とみなされるべきもの(中略)の中でも、個人的自惚うぬぼれは確かにもっとも一般的でしかももっとも有害なものである」「無分別やたいていのへマの根底には、自惚れがある」
 とともに、ニコルソンは、こうも教えている。
 「忍耐と根気もまた成功を望む交渉にとって必須のものである」
 いずれにせよ、広宣流布を推進する力は、立場や肩書にはない。あくまでも、人間としての振る舞いである。人格である。
 大聖人が「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰せのごとく、仏法の偉大さの証は、どこまでも実践する人の境涯に表れることを忘れてはならない。
8  必死の一念こそ発展の原動力
 ところで、第二総東京の大発展の原動力は何か? 何人かの人に聞いてみたが、やはり、婦人部の皆さんの「真剣さ」であるとの点で一致していた。
 ともかく、人の胸を打つのは「真剣さ」である。「必死の一念」である。そこから、勝つための智慧もわき出てくるものだ。御本尊へのひたぶるな「信力」「行力」によって、偉大なる「仏力」「法力」があらわれる。それが仏法の法則である。
 「これだけやったから、もういいだろう」「このへんでやめておこう」と手をぬいてしまえば、それ以上は絶対に前に進まない。妙法の力は、無限である。すべてに勝ちぬいていけるのである。
 喜劇王チャップリンは声高く叫んだ。
 「最高の不幸は、あきらめるということである」(ジヨルジュ・サドゥール『チャァプリン』鈴木力衛・清水馨訳、岩波書店」
 「僕は僕の理想に突進する」(鈴木伸明『映画王チャップリン』実業之日本社)
 今、まさに創立七十五周年の総仕上げの時。もう一歩、あと一歩の執念で、わが目標の完遂へ勇んで突き進んでまいりたい。
 学会破壊の嵐が吹き荒れた、あの第一次宗門事件。このとき、三類の強敵との熾烈な攻防戦の牙城となったのが、第二総東京の立川文化会館であった。未来の発展を見すえた第二総東京の本格的な建設を、私は、立川から始めたのである。
 嵐に揺るがぬ″信心の黄金城″を、立川に築いてみせる――それが私の決心であった。
 そして、懸命に東京二十三区を固めながら、時間を見つけては、何度も立川文化会館を訪れた。そこで、反転攻勢の時をまち、時をつくり、厳然と広宣流布の指揮を執ったのである。
 学会が一番大変なときであった。立川文化会館で、私とともに戦ってくれた同志のことは、今もって忘れることはない。
 ロシアの文豪ドストエアスキーは叫んだ。
 「真実は太陽と同じことで、隠すわけにはゆかない」(『作家の日記』下、米川正夫訳、『ドストエアスキー全集』15所収、河出書房新社)
 この世界は、「真実」と「虚偽」との戦いである。真実の太陽が昇れば、虚偽の闇は消える。
 青年部の諸君は、いかなる時代にあっても、正義の太陽と輝いてもらいたい。
 わが青年部に一首を贈りたい。
  偉大なる
    我が弟子たらん
      君なれば
    断固勝ち抜き
      創価を護れや
9  退く心なし! 恐るる心なし!
 日蓮大聖人の御生涯は、謗法を打ち破り、妙法流布を成し遂げるために、闘争また闘争の連続であられた。大聖人は仰せである。
 「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり
 妙法を断じて広宣流布してみせる!――これが大聖人の御心であった。
 また、このようにも仰せである。
 「生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間・或は寺を追い出され・或は処をわれ・或は親類を煩はされ・或は夜打ちにあひ・或は合戦にあひ・或は悪口数をしらず・或は打たれ或は手を負う・或は弟子を殺され或は頸を切られんとし・或は流罪両度に及べり、二十余年が間・一時片時も心安き事なし
 文字どおりの迫害の連続の日々であられた。
 しかし、こうしたなかにあって、大聖人は、厳然と叫ばれている。
 「日蓮一度もしりぞく心なし
 「いまだこりず候
 そして弟子ならば、大聖人のごとく、広宣流布のために戦いぬくことを繰り返し訴えられた。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
 「すこしも・をづる心なかれ
 「すこしも・をそるる心なかれ
 「いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしも・ひるむ事なかれ
 「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ
 「我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ
 この勇敢なる師子王の大闘争こそ、日蓮仏法の魂である。
10  学会伝統の任用試験が、いよいよ、あさって(二十日)に迫った。
 真剣に教学研績に励む同志の健闘を讃え、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」との一節を贈りたい。
 教学への挑戦が一生の信心の骨格をつくる。全員が悔いなく学びぬいて、「信心の勝利」の栄冠をつかんでいただきたい。
11  忘恩の罪は重く、知恩の福徳は無量
 建治三年(一二七七年)の十一月十八日、日蓮大聖人は下総(千葉県北部)の弟子・大田乗明の夫人に御手紙を認められた。
 夫人は、厳寒の身延におられた大聖人に、厚綿を縫い込んだ小袖をお届けした。それに対する、大聖人の御礼の御手紙である。
 そのなかで、大聖人は「八寒地獄」についてふれられ、「寒さに責められて、下あごが自然にわなわなと震えて声を発する」「寒さに責められて、身体が裂ける」等と、その厳しいありさまをつづられている。(御書1013㌻)
 それでは、どのような者が、こうした苦しみに堕ちるのか。
 それは、「人の衣服を盗み取り」「父母や師匠などが寒そうにしているのを見ていながら、自分は厚い着物を着て、温かくして昼夜を過ごす」者が、この地獄に堕ちると仰せである。
 父母や師匠などの大恩を踏みにじる輩が、この地獄に堕ちることは間違いない。「忘恩」の罪は、これほどまでに重い。まことに峻厳たる御文である。
 逆に、美しき「知恩」「報恩」の信心の人が、どれほど大きな福徳に包まれていくか。
 大聖人は、夫人への御手紙に、こう仰せである。
 「今、法華経に衣服を御供養たてまつる女性がおられます。その貴女は、後生に八寒地獄の苦を免れられるだけでなく、今生には大難を除き、その功徳の余りを、男女の子どもたちに及ぼし、衣服に衣服を重ね、色に色を重ねるように、無量に福徳を積まれることでありましょう」(御書1013㌻、通解)
 広宣流布のため、妙法のため、真心を尽くしゆく創価の同志の功徳は、生々世々、子々孫々にわたって、まさに無量無辺なのである。
12  昭和十九年(一九四四年)、六十一年前のきょう、午前六時過ぎ、私どもの創立の父・牧口先生は、昇りゆく夜明けの太陽のなかで、崇高なる殉教のご生涯を終えられた。
 牧口先生は、「私の足跡の後に、必ず青年が続々と続く」と確信しておられた。
 牧口先生の後継たる私たちは、この「創立の日」「殉教の日」を迎えるたびに、昇りゆく旭日のように、生き生きと若々しく生命力を光り輝かせていきたい。そして牧口先生のごとく、背筋に金が貫かれたような毅然たる姿で、今世の使命の劇を威風堂々と飾っていくことだ。
 「軍やむ事なし」――この御聖訓を、わが生命に響かせながら、いよいよ朗らかに、いよいよ力強く前進してまいりたい。
13  創立の日、偉大なる同志に万歳!
 たゆみなく前進を続けたナポレオンの信条にこうある。
 「働くためには上機嫌でなければならない」(『戦争・政治・人間――ナポレオンの言葉』柳澤恭雄訳、河出書房)
 いつも、生き生きと仕事をしてまいりたい。すべてを味方に変えながら!
 さらに、名作『若草物語』の作者オルコットの一節を紹介したい。
 「わたしの武器、それは『弁舌』」(諸岡愛子編著『ルイザ・メイ・オルコットー「若草物語」への道』表現社)
 われらの武器も、言論である。声である。「声仏事を為す」である。
 さらにまた、「『希望をもって忙しく』というのがうちのモットーでしょう」(『若草物語』吉田勝江訳、角川文庫)と。
 安逸に喜びなし! 忙しい毎日のなかにこそ、充実があり、成長がある。それは皆さんが一番よくご存じであろう。
 どうか、ともどもに健康第一で、生命力豊かに、新たなる拡大の道を開いていきましょう!
 結びに、創立記念日を祝し、全国・全世界の同志に三首の和歌を贈り、私のスピーチといたします。
  晴ればれと
    光に包まれ
      皆様と
    創立記念日
      祝う朝かな
  千万の
    同志とともに
      この日をば
    勝ちて祝さむ
      万歳叫びて
  晴れやかに
    創立記念日
      祝賀せむ
    君も私も
      勝利の王者と
 長時間、ありがとう! 風邪などひかれませんように。また、お会いそましょう!
 (東京牧口記念会館)

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