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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年記念各都合同協議会 学会活動こそ究極の人権闘争!

2005.10.26 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  妙法を行ずるわが身が「功徳聚」
 創価学会は、広宣流布の団体である。
 この世界で、仏意仏勅の広宣流布を推進しているのは、われわれ創価学会だけである。
 ゆえに、「自分は広宣流布のために生きるのだ!」「この学会を守るのだ!」「断じて勝つのだ!」と心に決めて、懸命に戦う人が最も尊い。
 幹部だから眠いわけではない。戦う心が燃えているかどうか。それが、すべてである。格好主義になったり、策や要領に流されては負けである。人にやらせようとか、人を動かそうとか、そういう考えでは、どこまでいっても、幹部自身の成長はない。境涯を変革していくこともできない。思う存分に動ける立場にあり、ながら、一生懸命にやらなければ、自分が損をするだけだ。
 広宣流布とは、一人一人の幸福を根本として、社会の繁栄と世界の平和を実現していく運動である。広布に生きる人生ほどすばらしいものはない。
 日蓮大聖人は、御本尊のことを「功徳聚」(功徳の集まり)と仰せである。(御書1244㌻)
 日々、戦う心を燃やして、一人の友の幸福のために、真剣に祈り、仏法を語っている人。広布の同志を心から讃え、励まし、尊敬しながら、だれよりも陰で苦労していける人。たとえ、目立たなくとも、その人には、厳然と、信心の功徳が具わってくる。
 妙法を真剣に行ずる私たちは、わが身が、そのまま「功徳聚」となるのである。
 また、その福徳は、自分自身を飾るのみならず、一家一族、子孫末代までも、永遠に流れ通っていく。それが大聖人の仏法の法則である。
 フランスの文豪ロマン・ロランは叫んだ。
 「一歩一歩、前へ進もう! まっすぐ進むことによってわれわれは大いに先へ進むのである」(『内面の旅路』片山敏彦訳、『ロマン・ロラン全集』17所収、みすず書房)
 大いなる理想へ向かって、一歩また一歩と前進してまいりたい。決して、焦ることはない。他人と比べる必要もない。自分らしく、粘り強く、まっすぐに進んでいけばいいのである。
 若き皆さんは″広宣流布のナポレオン″となって、二十一世紀の険難の峰を敢然と乗り越えていってもらいたい。そこに人生の栄光が輝くのだ。
2  「信心第一」「誠実第一」の新しい人材を
 ともあれ、時代の激流によって、多くの団体が分裂したり、衰亡していくなかにあって、わが創価学会は、世界を舞台に隆々たる発展を遂げている。
 仏法史に舵燃と輝く学会創立七十五周年を、堂々と勝ち飾ることができた。全国、全世界の同志の健闘に心から感謝申し上げたい。本当にありがとう! ご苦労さまでした!
 創価の尊き民衆の連帯は、今や百九十カ国・地域へと広がった。
 世界の指導者や識者の方々から、平和と人道の一大勢力として、絶大な期待と賞讃を寄せられていることは、皆さんがよくご存じであろう。
 新しい時代は、新しい人材によって築かれる。皆で総力をあげて、「信心第一」の人材を育ててまいりたい。
 信心が光っていれば、人格も光っていく。行動も光っていく。不正な人間と戦う正義の魂も光っていくのである。
 また、リーダーは、「誠実第一」である。
 すぐに怒鳴ったり、また威張ったり、あるいは機嫌が良かったり悪かったりで、いつも同志に気を遣わせる傲慢な人間が幹部になったならば、同志を苦しませることになる。それでは、広布の邪魔になってしまう。
 著名な教育者で農政学者でもあった新渡戸稲造博士の言葉に、こうある。
 「如何なる仕事に従事しても、又如何なる境遇に居ても(中略)即ち居らざれば不足に思はれる人、即ち居らねば困る人になって、始めて一人前の仕事をするものといはれると思ふ」(『世渡りの道』、『新渡戸稲造全集』8所収教文館)
 いなくてはならない人になれ!――牧口初代会長も、戸田第二代会長も、まったく同じ指導をしておられた。とりわけ、青年部の諸君は、職場でも、地域でも、「絶対に、いてもらいたい人」になっていただきたい。
 さらにまた、お父さん、お母さんを大切にしていける人であってほしい。離れて暮らしている場合は、できるだけ連絡を取って、感謝を伝えてもらいたい。親の心がわかる皆さん方であっていただきたい。
 それが真実の信仰者の姿である。仏法は人の振る舞いを教えた法であるからだ。
3  学会歌とともに心一つに進め
 戸田先生は鋭く喝破された。
 「民族の興隆には、必ず歌があった。わが学会にも、歌が必要だろう」と。
 その言葉のとおり、広宣流布の大行進は、学会歌とともにあった。
 学会歌が歓喜の源となって、学会は大きくなってきた。歌を歌うことで、大目的へ歩調を合わせ、心一つに団結して進んできたのである。
 「文化の力」は偉大である。人間の心を潤し、心を広々と開いていく。もちろん、真実の宗教も、また、人々の心を豊かに育んでいくものである。言うなれば、宗教と文化は表裏一体である。学会は永遠に「文化を大切にする団体」として進んでまいりたい。
 私も、友が喜んでくれるならばとの思いから、東北の歌である「青葉の誓い」をはじめ、数多くの学会歌の作調・作曲を手掛けてきた。
 学会歌を歌えば、新しい力がわく。新しい息吹がみなぎる。新しい目標に向かっていける。
 今後、毎回の本部幹部会で、各方面の歌を順番に歌っていってもいいのではないだろうか。
 ともあれ、方面や県の歌をはじめ、学会歌を高らかに歌いながら、「わが県さえあれば」「わが地域さえあれば」広宣流布は盤石である!――この大確信に燃えて、雄々しく立ち上がっていただきたい。
 私が青春時代から愛読してきたアメリカの詩人ホイットマンは歌った。
 「今こそは、悲痛の危機から学びとり、前進して、恐ろしい運命と取り組み、一歩も後退してはならないときだ」(『ホイットマン詩集』長沼重隆訳、白鳳社)
 大変ななかで戦ってこそ、本物は磨かれる。大事なことを学び取ることができる。
 私の場合も、そうだつた。戦後まもなく、戸田先生の事業が挫折。先生の恩を忘れ、裏切った人間もいた。去っていった人間もいた。莫大な負債だけが残った。この絶体絶命のピンチのなかで、実質的に私一人が先生をお守りし、先生に仕えきった。
 この厳しき秋霜の日々があったからこそ、今の私がある。
 若き諸君は、困難を恐れず、みずから大変なところに飛び込んでいってもらいたい。
 「一歩も後退してはならぬ!」――この詩人の叫びを青年部に贈りたいのである。
4  「師に守られる弟子」から「師と共に戦う弟子」
 私たちが日々、読誦している「法華経」。その中に、「五百弟子受記品」がある。
 ここでは、釈尊の弟子である多くの声聞たちが、師との生命の対話を通して、ちっぽけな境涯の殻を打ち破る。そして「深心の本願」――本来の自分自身の誓願を自覚し、「救いを求める人」から、「師に守られる弟子」から、「師と共に戦う弟子」へと、一念を大きく転換させるドラマでもあった。
 そして、立ち上がった弟子たちが重要な核となって、さらに多くの弟子が広布の舞台に躍り出でいく。この広宣流布の方程式に則って、わが学会は全世界へと発展してきた。
 日蓮大聖人は、この五百弟子品を通し、「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」との、あまりにも有名な一節を宣言しておられる。「広宣流布の大願」に生き、仏界の生命を湧き立たせる時、人間の生命は、最大に躍動する。
 ともあれ、広布の新たな時代を開くのは、つねに「弟子の戦い」である。なかんずく、その原動力は青年部である。「青年・躍進の年」である明年の勝利のカギは、ひとえにリーダーの皆さんの「一念の転換」にある。このことを、私はとくに強調しておきたい。
5  広宣流布の″心″で学会は発展
 きょうも、世界各地の会館に、わが同志が集い、友好の語らいの花を咲かせている。
 創立七十五周年を節目として、学会本部周辺をはじめ、日本各地の会館の整備も順次、進めていきたい。一切は、広布に生きる同志のためである。皆さんが意気揚々と集い、喜んでいただけるよう、全力で取り組んでいきたい。
 大聖人は南条時光に対し、法華経化城喩品の一節を贈られている。
 「願わくは、仏に供養する功徳をあまねく一切に及ぼし、私たちと衆生が皆、ともに仏道を成就できますように」(御書1561一㌻、通解)
 この一節は、梵天たちが大通智勝仏に宮殿を奉るときに述べた偈文である。自身が得た功徳によって、自分だけでなく、あらゆる衆生が成仏できるようにと願う。これが仏法の心である。
 この心があるからこそ、真の仏法者は、限りなく広く、大きい力を発揮することができる。
 私は、広布の法城が建てられるさいには、「広宣流布の会館を建設し、荘厳する大功徳が、全同志に行き渡らんことを!」「会館に縁する、あらゆる人々も、わが愛する地域も、護られ、栄えゆかんことを!」と祈っている。広布の牙城である会館を拠点に、地域に友好と信頼を広げゆく同志の姿は、まことにうるわしい。
 皆さんの強き「広宣流布の心」によって、学会は宇宙大の福運を積み、世界広布を広げることができた。広布破壊の日顕宗には、この尊き「心」も、「行動」もない。
 学会には、牧口先生、戸田先生が、法華経の「色読」(身をもって読む)に全生命をかけてこられた、偉大な歴史がある。私たちは、経典の上でも、事実の上でも、仏法史上、未曾有の、尊き幸福の大道を歩んでいる。このことを、誇りに思っていただきたい。
6  「人権宣言」――普遍的な人間の権利
 いよいよ「栄光の大ナポレオン展」が東京富士美術館で開幕する。世界の美の至宝も続々と到着している。創立者として、大成功を心から祈ってやまない。
 ナポレオンが、「永遠に価値をもち続けるであろう完壁な真理」と讃嘆したものは、何か。
 それは、フランス革命における「人権宣言」であった。まさに、人類の精神の遺産である。
 私は、東京富士美術館で聞かれた「フランス革命とロマン主義展しを思い出す。今から十八年前、一九八七年の秋十月のことであった。
 この展覧会は、私が親交を結んだフランスの知の巨人ルネ・ユイグ氏の絶大な協力を得て実現した。十九にもおよぶフランスの美術館が、日本初公開の名画などを出品してくださった。
 そのなかで、二百年前のフランス革命当時、パリの人々が高らかに掲げた、意義深き「人権宣言」が展示されていたのである。人権宣言の意義については、ポエール上院議長をはじめ、フランス各界の指導者とも、種々語り合ってきた。
 この宣言は、正式には「人および市民の権利宣言」という。封建的な古い制度を打ち倒した直後の一七八九年八月二十六日、フランス革命の成果を集約して、国民議会で採択された。
 モンテスキューやルソーなど、十八世紀のフランスの哲学運動が凝結している。普遍的な人間の権利を世界に宣言したのである。
 人権宣言は、近代憲法の源となった。その理念は、世界に影響を与え、日本国憲法にも生かされている。
 宣言の前文は、「人権の無知、忘却または軽視が不幸な生活と政府の腐敗の唯一の原因である」と断言している。
 宣言は全部で十七条。その基本的な方向は、最初の三カ条に要約されている。
 第一条は「人は、自由かつ権利に、おいて平等なものとして生まれ、そして生存する」(ジャン・モランジュ『人権の誕生――フランス人権宣言を読む』藤田久一・藤田ジャクリーン訳、有信堂高文社。以下、同書より引用)と、人間の平等を高らかに宣言。
 第二条では、「あらゆる政治的結合の目的は、自然のかつ消滅しえない人権の保全にある」と定めている。国家も、人権を守るためにあるのである。
 第三条では、「あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する」と、国民主権が宣言されている。
 さらに、第十一条には、「言論の自由」が謳われている。
 すなわち、「思想および意見の自由な伝達は、もっとも貴重な人権の一つである。したがって、あらゆる市民は、法律の定める場合にこの自由の濫用に責任を負うほかは、自由に話し、書き、印刷することができる」と記されている。
 アメリカの経済学者ガルブレイス博士は、私との対談で、「ジャーナリストには、人間の義務として負うべき責任があります。そのなかでも、いちばん大きいのが、『真実の追求に対する責任』です。真実をないがしろにする者には、何らかの法的措置があって然るべきです。ただ、そういう法律の運用にあたっては慎重であってほしいと思います」と述べておられた。
 あの長身の博士と、日本で、またボストン近郊の博士の自宅で語り合ったことは懐かしい。(=対談は『人間主義の大世紀を――わが人生を飾れ』と題し、二〇〇五年九月に潮出版社から発刊)
 ともあれ、ウソやデマを勝手に撒き散らして、責任を負わない――そんな「言論の自由」などあるはずがない。人権を蹂躙する「
 言論の暴力」がはびこるようでは、「人権後進国」と言われでもしかたがないのである。言論の暴力には、絶対に沈黙してはならない。正義は、どこまでも正義である。怒りの声を上げるのだ。断固として言論戦を貫くことである。
 二十一世紀こそ、断じて「人権が輝く世紀」にしなければならない。
7  正義と真実。それを守るために、戸田先生は叫ばれた。
 「敵と戦わない人間は信用できない」
 広布を阻む悪と戦わない、ずるい人間。格好だけで、うまく立ち回るような人間には、絶対になってはならない。仏法では、「声仏事を為す」と説く。声で邪悪と戦うのだ。叫ぶべき時に叫べない人間は、仏にはなれない。仏法は厳しい。人間の尊厳を守るために戦う。それが創価の陣列である。
8  一人を大切にする学会の精神は「世界人権宣言」と共通
 ともあれ、わが創価学会の七十五年は、人類史に輝く偉大な人権闘争の勝利の歴史であった。皆さまが、それをつくってくださった。
 世界の人権の闘士の方々も、私どもの運動に、絶大な信頼を寄せてくださっている。
 南アフリカのマンデラ前大統領も、日本を訪れたさい、わざわざ私に会いに来てくださった。アパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、二十七年半に及ぶ獄中闘争を貫いた方である。
 多くの青年とともに歓迎し、たいへんに喜んでくださったことが忘れられない。(=一九九〇年十月、聖教新聞本社で。マンデラ氏は当時、アフリカ民族会議副議長。名誉会長は、南アフリカの大統領に就任したマンデラ氏と、九五年七月に東京の迎賓館で再会している)
 ソ連の改革を進め、冷戦終結の立役者となったゴルバチョフ元大統領とも、私は何度もお会いした。創価の人間主義に、深い期待を寄せてくださっている。(=九〇年七月、大統領在任中のゴルバチョフ氏とモスクワで初会見。これまで九度にわたり、語らいを重ねてきた。対談集『二十世紀の精神の教訓』を発刊〈本全集第105巻収録〉。さらに二回目の対談が「新世紀の曙」と題して、月刊誌『潮』で二〇〇九年二月号から連載中である)
 第二次大戦後に採択された「世界人権宣言」の起草者であるカナダのジョン・ハンフリー博士も、私に、こう語っておられた。(九三年六月、聖教新聞本社で)
 「一人一人の個人を大切にするという創価学会、池田名誉会長の精神は、人権宣言と完全に共通するものです」
 一人一人を大切にし、一人一人の幸福を願う学会活動は、それ自体が最高の「人権闘争」なのである。
 先日、九十二歳で亡くなられたアメリカの「人権の母」ローザ・パークス女史は、私が初めてお会いした際、こう語ってくださった。(九三年一月、アメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスで)
 「きょう、池田SGI会長にお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします。私は『平和』に尽くしたい。世界平和のために、会長とともに旅立ちたいのです」
 また、かつて、こう述べておられたという。
 「SGIの皆さんとお会いしたことで、私はこれまでの人権闘争を、世界に開き、新たな前進を開始することができました。私は、そのことに心から感謝しています」
 パークス女史は、アメリカ創価大学だけでなく、招きに応じて日本の創価大学も訪問し、記念講演を行ってくださった(九四年五月)。尊き宝の歴史である。
9  今、創価の人権運動はいちだんと深く、世界的な広がりを見せている。
 本年初頭から、国連の「人権教育のための世界プログラム」が始まった。
 私は、かねてより人権教育の重要性を訴えてきた。同プログラムは、SGIが各NGO(非政府組織)や国連機関、各国政府などと協力し、実現へ尽力したものである。
 またSGIは、国連が提唱する人権教育の取り組みを支援する一環として、人権に関する展示を世界各地で開催してきた。
 新たに「二十一世紀希望の人権展」が来月、大阪からスタートする予定である。
 「世界人権宣言」の採択に尽力されたブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、私との対談の中で、こう展望しておられた。
 「仏教、なかんずく池田会長に引き継がれた思想――つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場――が尊重されるとき、二十一世紀は輝かしい栄光の世紀となるでしょう」
 アタイデ総裁とは、ブラジルでお会いしたことを懐かしく思い出す(=九三年二月。対談は『二十一世紀の人権を語る』と題し、一九九五年二月に潮出版社から発刊〈本全集第104巻収録〉)
 これまで述べてきたように、私は、世界各国の識者や指導者、文化人との語らいを広げてきた。皆、同じ人間である。会って話せば、わかりあえる。心が通じる。私は一対一の対話を通して、平和への道を切り開いてきた。全世界の同志のため、広宣流布のために走りぬいてきた。
 二百年前、フランスの誇り高き人々は、「人権を、断じて勝ち取るのだ」と、激動の革命期を戦い、新しい建設に挑んだ。
 創価の前進が「人権」の前進であり、創価の勝利が「人権」の勝利である――との気概をもって、人権を蹂躙する魔性とは、勇敢に戦いぬき、断固として勝ちぬいてまいりたい。
10  聡明に! 健康長寿の人生を
 有名な『十八史略』には、宋の国の太祖たいそ趙匡胤ちょうきょういん)の次の言葉が記されている。
 「人生は白駒はっくの隙を過ぐるが如し」――人生は、戸の隙間から白馬が走り過ぎるのを見るように、束の間のことである――。
 人生は、あっという間に過ぎ去っていく。後悔しても、間に合わない。だからこそ、今、戦い、勝つことである。真剣に「自分」をつくっていくことだ。
 一日一日を悔いなく戦いきり、朗らかに、日本一、世界一、幸福な使命を果たしたと誇りを持てる一生を送りましょう!
 そのためにも、どうか、体を大切にしていただきたい。
 たとえば血圧の高い人は、十分、注意してほしい。ちゃんと対処しないで「自分は大丈夫だ」などと油断して、放っておくと大変
 なことになる。とくに年を取ると、若い時のようにはいかないものだ。万が一、病気で倒れたりしたら、本人はもちろん、家族も本当につらい思いをする。
 心配がある人は、きちんと医者に診てもらうことも大事である。
 「健康第一で進んでほしい。健康は「智慧」である。自分で自分を律し、賢明に生活していくことだ。その「智慧」と「生命力」を湧き出していくのが仏法である。
 全員が健康で、長生きして、大勝利の人生を飾っていただきたい。
 きょうは、本当にご苦労さま!ありがとう!
 (創価文化会館)

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