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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年記念各部代表協議会 新しい人材を! 「信行学」を磨け

2005.9.27 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  広宣流布に戦う姿は尊く美しい
 わが学会は、全同志の歴史的な大闘争によって、創立七十五周年を、過去最高の拡大をもって飾ることができました。全国の同志の皆さま方に、あらためて深く感謝申し上げます。
 大勝利、本当におめでとう! ご苦労さまでした!
 今、海外からも、学会の平和・文化・教育の運動に大きな賞讃が寄せられている。世界の一流の良識が、創価の人間主義の大行進に惜しみないエール(声援)を贈っている。「ことに、人類の希望の未来がある!」と絶大な信頼を寄せているのである。
 いよいよ、仏法の共生の哲学が、生命尊厳の思想が光り輝く時である。私たちは、最高に価値ある人類貢献の大道を進んでいることを、最大の誇りとしてまいりたい。
2  仏法の目的は、どこまでも、広宣流布である。
 今世に、おいて、広宣流布に戦う姿ほど、尊く美しいものはない。
 一家一族がそろって広布の第一線に立ち、学会のため、同志のため、けなげに尽くしてくださっているご家庭もある。本当に尊い。決して当たり前と思つてはいけない。
 陰に陽に、広布に尽力してくださる方々を、私は、あらゆる点で見つけ出して、深く感謝し、何かの形で顕彰し、その尊き労苦に報いてさしあげたい。その気持ちでいっぱいである。
 ともあれ、いちだんと見事なる信心の団結で、次の五十年へ、仲良く、朗らかに、生き生きと、心一つに出発してまいりたい!
3  末法の根本の修行は「折伏」
 創立七十五周年を総仕上げする大事な時期でもあり、学会の根本の活動について、何点か確認しておきたい。
 一つは、「折伏」の実践である。
 大聖人は、御書に明快に「折伏せよ」と仰せになっている。
 「諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ
 「万事をさしおいて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり
 また、次のようにも言われている。
 「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす
 「日蓮は折伏を本とし摂受を迹と定む法華折伏・破権門理とは是なり
 末法の根本の修行は、折伏である。大変だけれども、やった分だけ自分が得をする。それが折伏の実践である。
 大事なことは、相手の幸福を真剣に御本尊に祈っていくことである。そして、自分自身の体験を、学会の真実を、誠実に、自信満々に、語っていけばいいのである。
 早く結果を出そうと焦る必要はない。勇気をもって語った分だけ、仏縁は広がっているのだ。粘り強く、自分らしく、師子の心で、挑戦していってもらいたい。
 「聖教新聞」の拡大についても、リーダーが率先して取り組んでまいりたい。
 「聖教」とは、「仏の説いた教え」という意味である。現代における「聖教新聞」の拡大は、妙法流布の拡大、人間主義の拡大に通じていく。そこに、聖教拡大の意義がある。
 また、来る日も来る日も、無冠の友の皆さま方には、本当にお世話になっています。
 皆さまのご無事を、ご健康を、心から祈っています。また皆で祈ってまいりたい。
 「いつも本当にありがとうございます! ご苦労さまです!」と重ねて申し上げたい。
4  教学こそ信仰の背骨ヘ真剣な研鎖を
 今秋(十一月一干日)には、教学部の「任用試験」が実施される。
 学会の伝統は、「信・行・学」の錬磨である。教学こそ信仰の″背骨″である。
 教学がおろそかになれば、どうしても、根本の信心が弱くなり、日々の実践も惰性に流されやすくなる。ゆえに、毎日、少しずつでも御書を拝してまいりたい。
 毎回、任用試験には、求道心あふれる数多くの老若男女が、勇んで挑戦している。まさに、哲学不在の時代をリードする精神革命の大運動といっていい。
 受験する皆さんのご健闘を祈るとともに、担当者の方々を中心に、全力で応援してまいりたい。
 剣豪の修行のごとき真剣な研鑽をやってきたからこそ、学会は勝ち続けてきたのである。
 思えば、戸田先生の発願で、学会が『日蓮大聖人御書全集』を発刊したさい、編纂の労をとってくださったのが、当時、伊豆の畑毛に隠退しておられた堀日亨上人であった。
 堀日亨上人は、六十年余にわたって、大聖人に関する文献等を学ばれた大学匠であられた。仏法哲学に関する当代随一の学者として知られていた方である。日顕などは、とうてい、足元にも及ぼない。
 この堀日亨上人が、次のようにおっしゃっている。
 「御本尊様も本当に日の目を見たのは、学会が出現してからだ。学会のお陰で御本尊様の本当の力が出るようになったことは誠にありがたい」(『堀日亨上人の御遺徳に捧ぐ』第三文明社)と。
 この言葉は、最晩年の堀上人にお仕えした、日蓮正宗改革同盟の渡辺慈済氏が書き残したものである。
 御書編纂の難事業は、戸田先生をはじめ、学会の教学部の手で連日、深夜にわたって続けられた。不明な点が出るたびに、畑毛の堀上人のもとに通った。そして、戸田先生の発願から十カ月後の昭和二十七年(一九五二年)の四月、立宗七百年の大佳節に完成したのである。
 さらに、同じ年、学会は、独自の宗教法人として発足した。これも戸田先生の英断であった。
 戸田先生は、宗門について、「金がたまれば、必ず威張り、賛沢をする。それどころか、広宣流布を断行しゆく正義の団体である学会を、切り捨てていくだろう」と鋭く喝破されていた。
 その言葉のとおりに、嫉妬に狂った日顕が、大恩ある学会を、非道にも切り捨てる暴挙に出たことは、皆さんがご存じのとおりである。
 「正義の柱」を失った宗門は、惨めに衰退の一途をたどっている。
 一方、「御書根本」で広宣流布の大道を進む学会は、世界百九十カ国・地域へと広がり、仏法史上、未曾有の大発展を遂げているのである。
5  広布のリーダーは生き生きと進め!
 広宣流布のリーダーは、いつも、生き生きと、輝いていなければいけない。
 リーダーが、いつも元気で、にこやかであってこそ、わが同志に勇気の風を送り、希望の光を届けていくことができるのである。冷たい感じのする幹部であってはいけない。
 第二次世界大戦中、ナチスの雨あられのような猛爆撃にも、まったく臆することなく指揮を執ったのが、イギリスのチャーチル首相であった。
 彼は、廃墟と化したロンドン市内を回つては、人々を励まし、迅速に救済の手を打っていった。
 このままでは、いつナチスが上陸するかもわからない――そんななかで、彼は、悠然とVサインを掲げ、師子のごとき堂々たる姿をもって、イギリス国民に訴えたのであった。
 ″戦いは忍耐だ。勝負はこれからだ″″われらは、絶対に勝つのだ″と。
 この指導者の不屈の心と行動が、苦境にあったイギリス国民を、力強く奮い立たせた。
 ″チャーチルがいれば大丈夫だ″″イギリスは絶対に勝つのだ″と。
 大事なのは、指導者の勇気と信念である。それが勝利の原動力であることを忘れてはならない。
 また、身近な同志から好かれるリーダーであっていただきたい。同志に嫌われ、皆の心が離れてしまうことほど、リーダーにとってつらいことはない。
 当然、人間だから、好き嫌いはあるだろう。それはそれとして、広宣流布にともに進む同志として、いかに団結していくかが大事だ。
 そのためには、指導者が本気になって、同志に尽くし、広布に尽くしていくしかない。
 「どうしたら皆が喜んでくれるのか」「今、皆は何を求めているのか」――それを真剣に考え、祈りぬき、実践していくなかで、リーダーへの信頼が深まっていく。そこに、リーダーの人間としての成長もあるのだ。
 「あの人は、感じのいい人だな」「話をしてみたいな」と思われた人が勝ちである。
 これからの学会のリーダーは、「信心も人格も行動も一流である」と言われる人でなければならない。
 もはや、幹部が威張るような時代ではない。後輩にも、礼儀正しく接する。また、後輩を大きな心で包み、長所をほめて、持てる力を存分に伸ばしてあげられる人が、立派な先輩である。
6  ローマの哲人皇帝は人材の力で乱世を勝ちぬいた
 古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウス(在位一六一年〜一八〇年)。彼の時代、大帝国ローマは、天災、外部からの侵略、内乱など、相次ぐ危機と戦乱にさらされた。
 本来、戦争を嫌い、読書と思索をとよなく愛するマルクス・アウレリウスだったが、ローマを守るために、終生、東奔西走しなければならなかった。
 現実というのは、本当に厳しいものだ。つねに戦いの連続である。
 勝っか、負けるか――戦うことをやめれば、すぐに敗北が待っている。人生も、またあらゆる団体も、その厳しき法則を逃れられない。
 いわんや、仏法は勝負である。
 マルクス・アウレリウスは、″乱世″とも言える厳しき時代状況のなかを懸命に戦い、ローマの安定と繁栄を守りぬいた。
 その要諦は、どこにあったか。古来、さまざまに議論されているが、一つには「人材の登用」が挙げられよう。
 マルクス・アウレリウスは、伝統を踏まえつつも、古い慣習にとらわれず、力ある人材を、どんどん登用していった。「実力主義の人事」で勝ちぬいていったのである。
 マルクス・アウレリウスに登用されたある人は、皇帝の片腕として、いかなる困難の時も皇帝を厳然と守り、勇敢に戦った。
 またある者は、遠方の国境地域に派遣され、皇帝の分身となって、ローマを守り、栄えさせた。
 遠くに離れていても、心は一つ――異体同心の結合こそ、発展の原動力である。
 マルクス・アウレリウスは、人材を深く信じ、心から大事にした。
 責住を任された人は、厚い信頼に応えようと、懸命に働いた。
 ″あの人は、自分の戦いを、すべてわかってくれている。一生懸命やれば、必ず報いてくれる。よし、頑張ろう!″――こう固く信じることができた時、人は最大の力を発揮するのである。
 「固い信頼の絆」こそ、マルクス・アウレリウスが治めたローマの強さの源泉の一つだった。
 創価学会もまた、この絆の強さで勝ってきた。
 どうか学会の幹部の皆さんは、一人一人のことを心から大切にし、本当によくわかってあげられるリーダーであっていただきたい。
 口先だけではいけない。真の誠実のリーダーに、人々は信頼を寄せる。そういう人のもとでこそ、同志は喜び勇んで広布のために戦っていけるのである。
7  どんな時も弟子として振る舞え
 マルクス・アウレリウスは、皇帝という最高の権力の座にあっても、哲学を求め、実践していった。これは、非常に重要な一点である。
 哲学のない闘争は、野心の闘争にすぎない。哲学がなければ、正義はない。人道もない。善悪もない。そのような戦いに明け暮れるのは、いわば、畜生の世界である。
 マルクス・アウレリウスは、皇帝としての激務に打ち込みながら、わずかな時間の合間をぬって、静かに自己と対話し、みずからの思索の跡を書きつづっていった。そうした思想の断片は『自省録』としてまとめられ、今日にいたるまで、多くの人々に読み継がれている。
 『自省録』の最初には、自分をこれまで育ててくれた親や教師たち一人一人の名を挙げながら、ことこまかに、感謝の思いがつづられている。
 偉大な人物は、恩を決して忘れないものだ。恩を知ってこそ、人間として一人前といえるだろう。とくに彼は、自分の養父であり、先代の皇帝であり、ローマの平和と繁栄を築いたアントニヌス・ピウス(在位一三八年〜一六一年)に対して、深い感謝を捧げている。
 彼は、この先代皇帝を「師」とも仰いでいた。
 「あらゆることにおいてアントーニーヌスの弟子としてふるまえ」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)――こう、彼は記している。先代を深く敬う彼の姿に、周囲の人々も、粛然と襟を正したにちがいない。
 創価の三代の師弟を貫く精神もまた、この精神と同様である。
 戸田先生は、いかなるときも牧口先生の弟子として振る舞われた。私も、どんな迫害の嵐があろうと、勇敢なる戸田先生の弟子として生きぬいてきた。
 それで創価学会は、世界的になった。あとは皆さんの責任である。
8  陰で戦っている人は信頼できる
 十六世紀のフランスの思想家モンテニュは、こう言っている。
 「人に知られるだろうからというだけで、また、人に知られればいっそう尊敬されるだろうからというだけで善人である人、自分の徳が人に知られるということがなければ善を、おこなわない人、こういう人には大事を託すことはできない」
 (『エセー』4、原二郎訳、岩波文庫)
 まったく、そのとおりである。
 私は、だれが見ていようといまいと、戸田先生に仕えきった。学会に尽くしぬいてきた。
 陰の戦いに徹してきたがゆえに、私には、陰で戦っている人の苦労がわかる。見えないところで真剣に戦っている人こそ、最も信頼できる。
9  日蓮大聖人は、法論に臨む門下に対して、次のように御教示してくださっている。
 「(このたびの戦いこそ)名を上げるか、名を下すか、人生を決するところなのです」(御書1451㌻、通解)
 「『釈迦仏、多宝仏、十方の仏よ。来集してわが身に入り替わり、私を助け給え』と深く祈りなさい」(同㌻、通解)
 広宣流布の戦い、人生の大事な戦いに挑むわれわれが、つねに拝すべき心構えである。
 法華経の薬王品には、次のように説かれている。
 「あなたはよく妙法を受持し、読誦し、思惟し、他人のために説いた。そのために得たところの福徳は無量無辺である。火も焼くことはできない。水も流し去ることはできない」(法華経600㌻、通解)
 「あなたは今すでに多くの悪魔の賊を破り、生死の迷いの軍を破壊し、その他の多くの怨敵を皆、くだき、滅した。善男子よ、百千の諸仏は、神通力をもって、共にあなたを守護する。すべての世界の、天界・人界の衆生の中において、あなたに及ぶ者はいない」(同㌻、通解)
 御本尊を受持し、妙法を唱え、広宣流布に生きぬかれている皆さんは、人間として、最も正しき道を歩んでいる。信心ある限り、絶対に崩れることのない大福徳を積んでいる。諸天・諸仏の守護も、絶対に間違いない。このことを確信して、晴ればれと前進していただきたい。
10  一日の勝利は「朝の勝利」から
 戸田先生の指導は、じつに厳しかった。
 その厳しさがあったからこそ、学会は、栄光の創立七十五周年を迎えることができたのである。
 朝、遅刻する青年がいたならば、先生は、烈火のごとく叱られた。
 「朝の出勤が乱れている時は、信心が狂っている」
 全部、信心につなげて指導された。その狂いを正さなければ、どうなるか。
 「いつも弁解ばかりして、それが高じてますますウソツキになったり、ズル賢くなって、人々の信頼を失う。そして悪事に手を染め、ついには退転していく」
 まさに先生のおっしゃるとおりであった。
 「朝の勝利」から「一日の勝利」が始まる。小事が大事だ。信心即生活である。
 世間的な栄華に溺れ、退転した反逆者たちは、皆、生活が乱れきり、だれからも信用されていなかった。皆さまがご存じのとおりである。
 また、ある時、戸田先生は、時間に遅れた人を一喝された。
 「時間に遅れることが同志を心配させる。戦いであったならば、すでに敗戦である」
 その人の未来の勝利のために、あえて厳しく叱咤されたのである。
11  長所を活かせば皆が人材
 広宣流布の前進のために、戸田先生は大切な将軍学を教えてくださった。
 「どんな立派な人間でも、短所がある。また、どんな癖のある人間でも、長所がある。そこを活かしてあげれば、みな、人材として活躍できるのだ。人を見て、その人にあった働き場所を考えることがホシだ」
 あらゆる人を活かせ!――幹部は、この点を絶対に忘れてはならない。
 先生はこうも語っておられた。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く」
 「まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」
 大聖人の仏法は「無限の向上」の大法である。飛行機が離陸して、上へ上へと飛んでいくように、今日より明日へ、明日よりあさってへと、どこまでも向上していく力が、妙法なのである。
 人間の偉さは、どこにあるか。
 戸田先生は言われた。
 「本当の偉さとは、たとえ人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生涯忘れないで、その恩を返していこうとすることだ。そこに仏法の光がある。また人格の輝きがあり、人間の深さ、大きさ、味わいがある」
 人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生忘れない! すごい言葉である。
 「それは、えらく損ですね」という人もいるだろう。たいていの人は、この言葉の反対をやっている(笑い)
 しかし、私は、先生の言われることは正しいと思う。報恩こそ仏法の魂であるからだ。
12  富山県出身の信念の政治家、松村謙三氏はこう述べている。
 「″国民とともにある政治″――これはまことに平凡な言葉かもしれぬ。しかし本当に政治を清潔にし、国民の利害に一致する政治を行なうためにはわれわれ政治家はこの″国民とともにある政治″を片時も忘れてはならないのである」(『花好月圓――松村謙三遺文集』青林書院新社)
 国民のために。国民とともに。それを貫かれた氏であった。
 松村氏とは、かつて都内で語り合ったことが懐かしい。(一九七〇年三月)
 氏は、若い私に「日中友好」という悲願を託してくださった。
 日中の国交正常化はもとより、私は、ソ連と中国の和解、キューバとアメリカの関係改善にも、一民間人の立場で、力を尽くしてきた。冷戦終結の立役者ゴルバチョフ元ソ連大統領、またアメリカの元国務長官キッシンジャー博士とも何度も語り合った。
 世界の指導者と対話を重ねた。文化で民衆の心を結び、平和の潮流を広げてきた。
 ともあれ、人類の未来は、人間主義しか道はない。
 今、創価の哲学を、世界が求めている。支持している。大きな期待を寄せている。これも、すべてSGIの同志の皆さまの偉大なる奮闘の証である。
13  傲慢から一切が狂っていく
 十九世紀のイタリア統一の英雄マッツィーニは述べている。
 「短気と人間の高慢とは、巧妙な悪事よりも、甚しく魂を邪道に導き陥れる」(『人間義務論』大類伸訳、岩波文庫)
 これが歴史の教訓である。自分が偉いと思って、傲慢になる。私欲に走る。そこから一切が狂っていく。
 これまでの反逆者も、傲慢な人間ばかりであった。
 著名な教育者であり、農政学者の新渡戸稲造博士。国際連盟の事務次長も務め、最後はカナダで亡くなった人物である。博士はつづっている。
 「人間の交際上最も邪魔になるもの、且つ日常生活を最も不愉快にするものは、威張る癖である」
 「日本人ほど威張りたがるものは類が少いかと思われる」(『人生読本』、『新渡戸稲造全集』10所収、教文館)
 鋭い指摘である。かつて日本は中国や韓・朝鮮半島の人々を見下して、侵略し、いじめぬいた。
 少しでも自分が上だと思うと、すぐに威張る。それでは真の友情を結ぶことはできないし、信頼を勝ち取こともできない。結局、皆から嫌われてしまう。
 また、新渡戸博士は、こうも記している。
 「世の中に出て、名を揚げ仕事を成した位な人は必らず勇気がある。勇気のない人に仕事の出来る筈がない」(『修養』同全集7所収)
 勇気こそ、偉大な事業を成し遂げる原動力である。私たちは、勇気を胸に進みたい。
14  さらに、スイスの哲学者ヒルティの言葉を紹介したい。
 「侮辱はかえってわれわれの心を堅固にし、確信を強めるものである」(『眠られぬ夜のために』草間平作・大和邦太郎訳、岩波書店)
 くだらぬ中傷や誹謗など、歯牙にもかけないことだ。むしろ、そうした迫害こそが、自分を強くしてくれる。そう決めて、堂々と進むことだ。
 ロシアの文豪トルストイは述べている。
 「苦悩なしに精神的成長はあり得ないし、生の拡大も不可能である」(『愛の暦』原久一郎訳、三笠書房)
 仏法では、「煩悩即菩提」と説く。悩みがあるから成長できる。苦悩があるからこそ、大きく境涯を開いていけるのである。
 また、中国の大教育者・陶行知とうこうちは、仕事に臨むにあたっての心構えについて、こう語っている。
 「第一に大切なことは、『持ち場にしっかり立つ』ということである。
 直接に一人一人の負っている責任は同じではなく、一人一人にはそれぞれ持ち場がある。
 各人が、自分の持ち場にしっかり立って、職務をよくおこなうこと、これが責任をはたす第一歩である」(梅根悟・勝田守一監修『民族解放の教育』斎藤秋男訳、明治図書出版)
 重要な言葉である。
 自分の持ち場で全力を尽くす。責任を果たす。そうした一人一人であっていただきたい。それが全体の勝利にも通じていくのである。
15  強き祈りで最高の親孝行を、和楽の家庭を
 皆さんのなかには、ご両親やご家族が病気の方も、おられると思う。
 私は、全同志の健康を、いつも真剣に祈っている。題目を送っている。
 病気といっても、さまざまな事情や状況があり、いちがいに言えない部分もあるかもしれない。しかし大切なことは、まず自分が、しっかりと家族の健康を祈っていくことだ。必ず病気を治すのだと決めて、本気で祈ることだ。
 自分が死に物狂いで祈る。必死になって広布へ戦う。その功徳は全部、親に通じていく。家族に伝わっていく。どこまでも強く、強く進むのだ。
 また、たとえば、病気のお母さんに対しては、「私が、お母さんのために真剣に祈っているから! 絶対に治るよ!」と声をかけて、励ましていってほしい。
 人間は、だれでも病気になる。大切なのは、病気の人が少しでも元気になるように、激励していくことだ。心を砕いていくことである。どうか、よろしくお伝えください。
 大切な皆さまである。全員が、各職場、各地域で、勝利の歴史をつづっていただきたい。
 何があっても、題目をあげぬいて、愉快な人生、朗らかな人生を生きていただきたい。
 青年部の皆さんは、少しでも親孝行をしてほしい。自分を育ててくれた親の恩に報いていく――仏法では、そうした生き方を教えている。
 根本は、自分がしっかりと信心に励んでいくことが、最高の親孝行である。その上で、感謝の気持ちを何かで表していくことだ。言葉でもいい。何でもいい。それが親にとって、どれほどうれしいか。
 親子であれ、夫婦であれ、真心の言葉と聡明な振る舞いが、和楽の家庭を築いていくのである。
 それでは、お元気で! きょうは、本当にご苦労さま! ありがとう!
 (創価文化会館)

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