Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第52回本部幹部会 われらは勇気の闘争で前進!

2005.9.14 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  創立七十五周年を大勝利で飾る
 海外の大切な同志の皆さま方、遠いところご苦労さまです! 全国の皆さま方も、たいへんにありがとう! すでに会合も長時間になっており、疲れた人もいるでしょう。どうか、わが家に帰ったようなつもりで、リラックスして聞いていただきたい。連日の炎暑のなか、悪条件をものともせずに、皆さん、本当によく戦ってくださった。
 ともあれ、勇敢なる創価の同志の、闘争に次ぐ闘争によって、わが学会は、創立七十五周年を大勝利で飾ることができた。
 わが同志の偉大な奮闘に対して、私は一句を贈りたい。
  万歳と
    共に叫ばむ
      創価かな
 皆さん、本当にありがとう! 本当にご苦労さまでした!
2  つねに「今」が出発!新たなる勝利へ
 日蓮大聖人の仏法の根本目的は、広宣流布の拡大である。御書に何度となく、「広宣流布」と記されているとおりである。ゆえに、どれだけ実質的に「広宣流布の大地」を広げることができたか。そこに本当の勝負があるのだ。私たちが目指すのは、どこまでも、仏法の人間主義と、生命尊厳の思想に基づいた「平和と幸福の社会」を築いていくことである。その点で、一歩でも二歩でも前進していれば、それでいいのである。
 もちろん、人生は戦いの連続であり、さまざまな次元で、「勝った」「負けた」はあるだろう。
 相撲でいえば、連戦連勝の昭和の名横綱・双葉山でさえ、負けることはあった(連勝記録は「六十九」で止まった)。いくら強くても、無限に勝ち続けるわけにはいかない。それが″勝負″というものだ。
 恩師の戸田先生が遺言のごとく、詠んでくださった和歌がある。
  勝ち負けは
    人の命の
      常なれど
    最後の勝をば
      仏にぞ祈らむ
 長い人生である。その間には、自分の思ったようにいかないときもあるかもしれない。しかし、私たちは「法華経に勝る兵法なし」の妙法を持っている。途中の勝ち負けはどうであれ、最後は、法華経を持った人が、必ず勝つ。信心根本で生きぬいた人が、必ず勝つのである。それが仏法の大法則である。何の心配もいらない。
 勝っても、負けても、そこからまた「次に勝つ因」をつくっていけるかどうか。それが一番大事である。つねに「今」が出発なのである。わが同志と異体同心の団結を組んで、悠々と、朗らかに、「新たなる勝利」へ向かって進んでいく。そこに「本因妙」の仏法の実践がある。
3  妙法を持った同志こそ最高に尊い
 私が青春時代に愛読した、十九世紀ドイツの大詩人ハイネ。彼は、ある散文のなかで、こうつづっている。
 「わたしの国民よ、あなたは国家の真の皇帝であり、真の君主である」(舟木重信『詩人ハイネ』筑摩書房)
 まったく、そのとおりである。本当に偉いのは、だれなのか! 国民である! 人民である! 人間である! これが、自由と革命を謳った民衆詩人ハイネの叫びであった。すばらしき「人間主義の大宣言」であると思うが、いかがだろうか。
 民衆こそ最も尊い存在である!――ここに日蓮大聖人の仏法の真髄の主張がある。そのために大聖人が、強く訴えていかれたことが「指導者の変革」であった。為政者は、民衆の手足となって、民衆のために働くべきである、と。民衆の幸福のためにこそ指導者はいる。指導者とは本来、民衆に最敬礼して仕え、尽くし、守っていくべき存在なのである。この「指導者革命」の思想こそ、真実の民主主義の価値を現代に脈動させていくために不可欠の哲学であると訴えたい。
 人間の真の価値は、何によって決まるのか。それは、結論から言えば、その生命に、いかなる哲学を持ち、いかなる信念の行動をしているかによって決まる。
 御聖訓に「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである」(御書465㌻、通解)と仰せのとおりである。社会的な地位が高いとか低いとか、有名であるとかないとか、さまざまな見方があるだろう。しかし、どれも一面の評価にすぎない。また仏法という永遠性の次元から見れば、まことに、はかないものである。いくら財産や名誉があっても、死後まで持っていけるわけでもなのである。
 「最高の妙法」に生きぬく人が「最高に尊い」のである。わが生命に三世に崩れぬ福徳を積んでいるのである。
 この妙法を持ち、広宣流布という「平和革命」のために奔走し続けている同志の皆さま方ほど、崇高にして尊貴な存在はない。
 大聖人は門下に対して、明確に、そして厳然と「法華経を持たれる人は一切衆生の主であると、仏は御覧になっているであろう。また梵天・帝釈も、この人を尊敬されるであろうと思えば、うれしさは言いようもない」(御書1134㌻、通解)と断言されている。
 この誇りを忘れてはならない。
4  「国家は人民のためにある」と、エイルウィン元大統領と対談
 私は、南米・チリ共和国の哲人指導者エイルウィン元大統領と親交を結んでいる。
 東京やチリの首都サンティアゴの大統領府で、「人間主義の哲学」「環太平洋時代」などをめぐって、さまざまに語り合った。元大統領とは、対談集も発刊している。
 (=エイルウィン氏は、チリ「キリスト教民主党」の創設者の一人。軍事独裁を倒し、民主化を実現した中心人物。一九九〇年に大統領就任〈〜九四年〉。対談集『太平洋の旭日』は日本語〈本全集第108巻に収録〉とスぺイン語で発刊されている)
 元大統領は、フランスの哲学者ジャック・マリタンを、みずからの師として尊敬していた。対談の席でも話題となった。そのマリタンは、こう言っている。
 「人民は国家の上にある。人民が国家のためにあるのではなく、国家こそ人民のためのものである」(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)
 これは、非常に重要な一点である。民主主義社会の根本の哲学である。国家のために、人間がいるのではない。人間のために、国家がある。「国家が上、人間が下」ではない。「人間が上、国家が下」である。
 これを失ってしまえば、民主主義はない。日本の将来も、世界の将来もない。しかし、だんだんそういう方向に向かっていこうとするのが、人間の愚かさである。創価学会は、永遠に、そうなってはならない。きょうは、このことを明確に申し上げておきたい。
5  軍事独裁政権と長年、戦ってきたエイルウィン元大統領は、権力の恐ろしさを、身にしみて実感しておられた。このテーマをめぐって、種々、論じあったことも忘れられない。
 (=元大統領は、名誉会長との会見のさい、自身の政治活動が深い信仰に基づいていることを強調。「権力には『目的のためには手段を選ばない』ようになる誘惑があります。だからこそ、権カ者には『倫理』が必要です」「政治とは人々のため、民衆の利益に奉仕するためにこそあると思います」と力説していた)
 エイルウィン元大統領は、政治家としてはもちろん、まず第一に、「人間として」偉大な人物であった。「誠実」な人であった。大統領という権力の座にあっても、世界的な名声を得ても、その誠実さと謙虚さは変わらなかった。お会いしても、決して自分を飾らず、ありのままの姿であられた。いつも、笑顔をたたえておられた。
 それは元大統領に、本当の実力と、確固たる哲学があったからである。また、自分を応援してくれた人々への恩を忘れなかった。「どうしたら人々に奉仕できるか」「市民に恩返しできるか」を、つねに考えていた。「人間の道」そして「政治家の常道」を、決して忘れない人であられた。ゆえに、多くの民衆は、元大統領を信頼し、支持していた。誠意と真心は、必ず通じるものである。
 会談では、″哲学のない政治、信念のない指導者は、結局、権力欲に動かされ、溺れて、堕落していく″という現実についても語り合った。
 「人民の代表者たちは人民に対し責任を負わなければならず、かれらの仕事は人民によって監視され制御されなければならない」(前掲『人間と国家』)
 元大統領は、敬愛するマリタンの、この言葉どおり、人民への責任を果たしぬいていかれたのである。
6  ハリケーン被害に、心からお見舞い
 本日は、わが愛するアメリカの同志の皆さんも参加されている。この席をお借りし、このたびのハリケーンの被害に、あらためて、心からのお見舞いを申し上げたい。(=二〇〇五年八月、アメリカ南東部を襲った大型ハリケーン「カトリーナ」によって、ニューオリンズなど各地で多大な被害があった)
 大勢の同志が、救援活動に尽力されていることも、よくうかがっている。
 御聖訓には「大悪をこれば大善きたる」、「災来るとも変じて幸と為らん」と仰せである。私は毎日、題目を真剣に送っています。これからも送り続けてまいります。
 ″アメリカ、頑張ってください! アメリカ、勝ってください!″――これが、私の真情である。どうか、同志の皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
7  ローザ・パークス女史は若い世代の変革の力に期待
 アメリカの″人権の母″であるローザ・パークス女史のことは、皆さん、よくご存じのことと思う。私たち夫婦は、固い友情を結んできた。青年の皆さんに、女史の言葉を贈りたい。
 「若い世代のエネルギーのなかにこそ、良い変化をもたらす原動力があると、私は信じています」(『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳、潮出版社)
 私も、まったく同感である。私自身、青年のころから、つねに広宣流布の先頭に立って、戦いぬいてきた。青年の時代である。ますます青年を育て、守り、もり立てていきたい。青年部は、責任を担って、立ち上がっていただきたい。青年部、頑張れ!
 パークス女史は、こうも言っている。
 「私たちは皆、人生の模範として仰げる人を持つべきだと思います」(『勇気と希望』高橋朋子訳、サイマル出版会)
 人間にとって、模範となる人物を持つことが、いかに大切か。「師匠」を持つことが、どれほど尊いことか。
 さまざまな苦労を経験してきたパークス女史の言葉には、どれも深い意義と重みがある。
8  連戦連勝の英雄シーザー
 古代ローマを代表する大政治家シーザー。約二千百年前の英雄である。(カエサルともいう。前一〇〇前〜前四四年)
 彼は、どこに行っても勝った。歴史的にさまざまな評価はあるが、連戦連勝の指揮を執り、ローマ帝国の礎を築いた人物とされる。また、幅広い人材の登用、首都の整備をはじめ、さまざまな改革を行った。
 私たちも、新しい前進のために、新しい人材を、どんどん登用していきたい。未来を担う人材を育てたい。人材が一切の根本である。
 シーザーは、一級の雄弁家、文人としても歴史に名を残した。彼が著した『ガリア戦記』は、ラテン散文の名著として知られている。
 私は、青春時代、多くの歴史書を戸田先生のもとで学んだ。どんどん読まされた。
 先生は、よく私に対して、「本を読んできたか」「内容を言ってみろ」とおっしゃられた。ようやく半分くらい読んできたら、本の終わりのほうの内容について聞かれる(笑い)。本当に厳しかった。仕事も忙しい。学会活動もある。そうしたなかで、必死に学んだのである。
 折伏も、私は先頭に立ってやった。戸田先生が一九五一年に会長に就任されてからも、折伏はなかなか進まなかった。当時、多くの支部の一カ月の折伏は、数十世帯であった。
 戸田先生は言われた。
 「このままでは、広宣流布は何千年もかかってしまう」
 「大作、そろそろ立ち上がってくれないか」
 私は「やります!」と即座に応じた。こうして、怒濤の大前進が始まった。
 私は東京・蒲田支部の支部幹事として戦い、一カ月で二百世帯を超える弘教を成し遂げた。一気に壁を破ったのである。(一九五二年二月)
 また、「大阪の戦い」(一九五六年)でも、支部で一カ月に「一万一千百十一世帯」という弘教を成し遂げた。懸命になって折伏をやった。
 やりましょう! 仏法において、大切なのは行動である。行動をしなければ、本当の福運はつかないし、力もつかない。生きる喜びがなくなってしまう。
 折伏は、大変かもしれないが、全部自分のためになる。それが仏法なのである。
9  「ありがとう!」と心から感謝を
 『プルターク英雄伝』によれば、他の将軍のもとでは目立たない人でも、ひとたびシーザーの指揮のもとに入ると、人が変わったようになった。あらゆる危険を恐れず、無敵の活躍をしていった。なぜか――。
 それは、シーザーが皆を大切にしたからである。一人一人を大切にして、その働きに報いていったからである。それが全軍を奮い立たせることになった。勝利の原動力となった。
 「ありがとう! ありがとう!」と声をかけ、心から感謝する。徹底して、誠実にこたえていく。簡単といえば簡単である。しかし、それを実践することは、なかなかできないものだ。指導者の一つの態度や言葉で、人々のやる気はがらりと変わってしまう。人が、いい方向に変わるか。あるいは、ダメになってしまうか――それは、指導者で決まる。戸田先生、牧口先生も、このことをよく考えておられた。
 シーザーは、功績のある者には褒美や名誉を惜しまずに与えた。ほめ讃えた。この人のおかげで勝つことができた――そう賞讃したのである。
 反対に、いくら頑張っても、まったくほめてくれない。けなすばかり。それでは皆、いやになってしまう。頑張った人をほめる。そのことが、他の人々への触発にもなる。皆の前進への大きな力になっていくのである。
 シーザーは、戦いで得た財産を、自分の贅沢のために使うことはなかった。部下の活躍に対する褒賞などに用いた。シーザーのもとに集まったローマの兵士たちは、時には、みずからが持つ以上の力を発揮して敵を打ち破った。また、驚くほどの勇気と覚悟をもって戦った。それは、シーザー自身が、みずから進んで、あらゆる危険を冒しながら、いかなる労苦もいとわず、率先して戦ったからである――『プルターク英雄伝』は、そう分析している。
 かつて私の自宅の本棚にも、この『プルターク英雄伝』が置いであった。何回も読んだものである。どうか男子部の皆さんは、『プルターク英雄伝』の英雄たちのごとく、雄々しく戦っていただきたい。頼みます!
 「力よりも頭で得る勝利が好きだ」(モンテーニュ『エセー』4、原二郎訳、岩波文庫)とはシーザーの有名な言葉である。
 力ではない。大事なのは「智慧」である。
 智慧と慈悲は相通じる。皆のことを真剣に考える。何かできないかと悩む。そうやって頭を使うことが、慈悲の現れなのである。仏法は、あらゆる人智を超えた、宇宙を貫く法則である。題目をあげれば、最高の智慧をわき出すことができる。ともあれ、題目に勝るものはない。妙法を持った皆さんは、すでに幸福の道を歩んでいる。絶対に負けるわけがないのである。
10  創価文化の若き英雄の大活躍に喝采
 音楽隊の関西男声合唱団の方は、いらっしゃいますか?(=会場から「はい」と返事が)
 いつも、ありがとう! 毎年、広宣流布の記念日に、学会歌の録音テープ・CD(コンパクトディスク)を届けてくださる。私は毎日、感謝の思いで、聴かせていただいている。
 関西男声合唱団は、五年前(二〇〇〇年)の全日本合唱コンクール全国大会で「金賞」! 関西合唱コンクールでは、七年連続、九回の「金賞」に輝いている。本年は、宝塚国際室内合唱コンクールで堂々の第二位。国内の出場団体のなかでトップの成績とうかがった。社会的にも、音楽の世界にあっても、すばらしいことである。本当におめでとう! さらに、地域の各種会合にも数多く出動し、大勢の同志に勇気と希望を贈っている。
 メンバーは、職場でも広布の舞台でも、皆、頑張っている。尊敬されている。全国で活躍しているる音楽隊・合唱団を代表し、関西男声合唱団に、できれば、来月の本部幹部会に出演してもらいたいと思うが、どうだろうか。(=賛同の拍手)
 関西から日本へ、全世界へ、「勝利の讃歌」を轟かせていきたい。
 合唱といえば、東京と関西の創価学園の合唱団もすばらしい。
 東京・創価高校の翼コーラス部は、NHK全国学校音楽コンクールの東京都大会(本選)で、二年連続の「優良賞」。関西創価高校のレオナルド合唱団は、大阪府合唱コンクールで、五回の「金賞」。六回連続の出場となった、昨年の関西合唱コンクールでは「銅賞」を受賞した。全員が「勉学第一」のなかで勝ち取った栄冠である。
 音楽のクラブでは、このほか、関西創価小学校のアンジエリック・ブラスバンドが「三回の日本一」!(全国学校合奏コンクールで一回、こども音楽コンクールで二回)
 東京・創価高校の箏曲そうきょく部が、二〇〇一年に日本一の「文部科学大臣奨励賞」、関西創価高校の箏曲部が本年、全国第二位の「文化庁長官賞」に輝いている。
 歴史に輝く壮挙、おめでとう!
 さらに、日本一の輝かしい歴史を刻んだのは、音楽隊では、きょう演奏した創価グロリア吹奏楽団! 全日本吹奏楽コンクールで三年連続、五回の「金賞」を受賞している。皆さんの大活躍で、学会員は皆、鼻が高い。鼻が低い人まで高くなってしまう。(笑い)
 おめでとう! ありがとう!
 関西吹奏楽団は、同じコンクールで九回の「金賞」を獲得。見事である。
 人には見せなくとも、晴れやかな勝利の裏には大変な努力がある。リーダーは、こうした陰の労苦に対し、サーチライトのように光を当てて賞讃し、心からねぎらつていかねばならない。
 また、創価ルネサンスバンガードは、マーチングバンド・バトントワリング全国大会で、二年連続、八回の日本一(内閣総理大臣賞)に輝いている。
 ところで、バンガードとは、どういう意味ですか?(=会場から「『先駆者』という意味です」と返事が)
 いい名前です。ありがとう!
 鼓笛隊では、マーチングバンド(創価シャイニングスピリッツ)が全日本マーチングフェスティバルで三回の「グッド・サウンド賞」、カラーガードチームが本年のマーチングバンド・バトントワリング全国大会で「金賞」に輝いた。
 皆さまは、文化の大地を耕し、平和の花を咲かせている。創価文化の若き英雄の大活躍に、皆で拍手を贈りたい。
11  いつもいつも、感動と勝利の舞を贈ってくださる、誉れの芸術部の皆さん、本当にありがとう!
 そして、世界五十五カ国・地域の、若きリーダーの皆さん! 次の五十年の、全世界の広宣流布を託しゆく皆さんと、私は深き心と心の握手を交わしあいたい。帰国されましたら、ご家族の方々、同志の皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えください!
 古代ローマの哲学者セネカは、「人は勇敢であればあるほど仕合わせである」(『人生の短さについて』茂手木元蔵訳、岩波文庫)と訴えた。
 たしかに、臆病は不幸である。結局、何事も成就できない。まことの信心には、臆病や悲嘆はない。魔と戦い、難を乗り越えていく生命は、朗らかに、つねに輝いていく。勇敢であれ! 恐れなく!――ここに「常楽我浄」の勝利と栄光の人生があることを忘れてはならない。
12  正義と真実を厳然と言いきれ
 大聖人は、「恐れない心」の重要性について、次のように仰せである。
 「(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も『日蓮の言うことが道理かもしれない』という人もあることであろう」(御書1138㌻、通解)
 学会の初代、二代、そして三代の師弟は、この大聖人の御精神を貫いてきた。だから勝った。信頼を得た。創立七十五周年を堂々と飾る創価学会の大発展を、世界の良識は、心から賞讃し、祝福してくださっている。万人を幸福にしゆくことのできる、最高の仏法である。広布の戦いにおいて、つまらない世間体などにとらわれて、遠慮することは愚かである。
 仏法は正しい。ゆえに厳しい。大聖人は、次のように述べておられる。
 「教主釈尊が記して言うには、『末法の悪世に法華経を弘通する人を悪口罵詈等する者は、仏を一劫という長い間、あだむ者の罪よりも、百千万億倍以上の罪を得る』と、説いておられるのである」(御書265㌻、通解)
 仏意仏勅の広布を進めゆく皆さま方をいじめる輩が、どれほど峻厳な仏罰を受けるか。その現証は、私たちの眼前にある。正義と真実を、厳然と言いきっていくことだ。人々の心を変えるのは、その勇気ある一念である。最後に勝つための力は、「忍耐」と「気迫」である。
 さらに大聖人は、法華経の敵に対する心構えを教えておられる。
 「願わくは、わが弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。過去遠々劫以来の日蓮のように、身命を捨てて強敵の過ちを顕しなさい」(御書1589㌻、通解)
 私たちの永遠の指針として、生命にとどめるべき一節である。
13  創立七十五周年を荘厳する戦いにおいて、青年部は本当によく戦ってくれた。
 古代ローマの哲学者であり、大弁論家のキケロは、「雄弁」であることの価値を主張した。
 「雄弁には努力を注がなければならない」
 「悪人が権勢を振るって善良な市民を害し全市民に損失を与えることの無いようにするためにも、より一層熱意を注ぐ必要がある」(『発想論』片山英男訳、『キケロー選集』6所収、岩波書店)
 また彼は、雄弁こそが「人々の暮らしを安全で、気高く、輝かしく、幸福に出来る」「友人に最も確実で最も安全な助けを与えることも、雄弁から可能となる」(同前)等と強調した。
 私は、「わが愛する青年部よ、雄弁であれ! 民衆を守るために!」「君よ、よりいっそう雄弁であれ!」と心から願っている。
 「良き人は悪しき組織を良くするし、悪しき者は良き組織をも悪化させる」(『人間義務論』大類伸訳、岩波文庫)
 これはイタリア統一の指導者マッツィーニの言葉であった。今年は生誕二百周年である。
 清浄無比の和合のスクラムに、絶対に悪知識を寄せつけてはならない。仏法を破壊する元凶だからである。
14  日々、新たに! それが生命のリズム
 きょうはドクター部、国際本部、教育本部の「一騎当千」の方々も出席されている。いつもご苦労さま! 現在、私はドクター部の代表と「『生老病死と人生』を語る」の対話を進めている。(=『「生老病死と人生」を語る』と題し、二〇〇六年十一月に聖教新聞社から発刊)
 私は日夜、尊き同志の皆さまのご健康、ご長寿、ご多幸を、真剣に御本尊に祈念している。
 ところで、人間の体は六十兆個という、たくさんの細胞でできている。そのうち、一晩で、どれくらいの細胞が入れ替わっているか。じつに、約一兆個である。また、体の多くの細胞は二カ月で入れ替わる、と言われている。それほど、私たちの体は、毎日、たゆみなく、新陳代謝を繰り返しているのである。
 中国の古典には「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)と。
 それが生命のリズムである。私たちは、新しい心で、満々たる生命力で進んでまいりたい。
15  一九二六年のきょう、九月十四日、ドイツのベルリンで、東洋と西洋の二人の「魂の巨人」の出会いが実現した。それは、大詩人タゴールと大科学者アインシュタインである。
 二人の友情はその後も続き、精神と科学を融合させる対話が広がった。
 「哲学的説得力をもっ人々、すなわち英知と真理との友が糾合することは、現在、とくに必要であるように思えます」(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社文庫)
 これがアインシュタイン博士の主張であった。
 私たちは、地球平和への対話と連帯を、さらに広げてまいりたい。
 そして大詩人タゴールは、こう述べている。
 「たえず力を新たにして新しい道を求めること――これこそが、いつの世にも進歩の秘訣でありました」(「協調」森本遺雄訳、『タゴール著作製』8所収、第三文明社)
 私たちは、いよいよ異体同心で、新しい人材を育て、新しい勝利と拡大の道を開いていこう!
 海外の皆さん! 本当にご苦労さま!
 海外の同志に栄光あれ! 幸福あれ! 勝利あれ!
 サンキュー・ソー・マッチ! ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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