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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年記念代表者会議 栄光の山頂へ! 完勝で飾れ

2005.9.2 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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2  富士のごとく堂々と、嵐に揺るがぬ人間王者に
 かつて戸田先生は、富士山を見つめながら、こう言われたことがある。
 「学会は、宗教界の王者である。否、世界平和に戦う王者なのだ。君たちよ、心を尽くして、立派に使命を果たすのだ。断じて負けるな! 最高の王であり、最高の智慧者である富士を仰ぎながら、語りゆくのだ」
 戸田先生は、堂々たる富士の山が大好きであった。
 一九五五年(昭和三十年)六月、戸田先生が「水滸会」の最後の野外訓練を行ったのも、富士山を仰ぐ天地(河口湖・山中湖畔)であった。「富士山が、きれいだな」「きれいだな」と、何度も語っておられた。戸田先生は、水滸会の中から、次の学会を担う青年を育てようとされていた。
 まだまだ人材が足りない。大切なのは、青年の連帯である。団結である――そういう思いで、青年を訓練してくださった。
 富士のごとくあれ!
 先生は、水滸会の訓練を通して、師弟の深い歴史をつくってくださった。忘れ得ぬ黄金の思い出である。先生は、いつも私をそばに置いて、訓練しようとされた。そのお心にお応えしようと、私は懸命に戦った。
 大変だと思う時もあった。しかし、真剣に、また徹して戸田先生に仕えたからこそ、今の私がある。だからこそ、師弟の精神の深さ、尊さがわかる。
 ともあれ、リーダーの皆さま方は、学会のため、同志のため、広宣流布のために、尽くしていっていただきたい。その行動にこそ、「師弟」の精神が脈打つ。日蓮大聖人が仰せのとおりの強き信心が脈動するのである。
3  富士山といえば、徳川家康は江戸城をはじめ、生涯の大半にわたって、富士の見える場所に城を構えた。
 作家の吉川英治氏は、小説『宮本武蔵』で、「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『吉川英治全集』17所収、講談社)とつづっている。
 私はかつて、東京・青梅市にある吉川英治記念館を訪れ、吉川氏の夫人と語り合う機会を得た。(一九八七年五月)
 この記念館訪問の感慨を胸に「富士のごとくに」(本全集第41巻収録)と題する詩を詠み、夫人に贈呈したことを、懐かしく思い出す。
 戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布の闘士は、人間の大王である。この気概と誇りを持ち続けるのだ」
 広布のために生きぬく人生ほど、崇高なものはない。学会とともに、広宣流布へと進んでいくならば、富士のような、大王のような偉大な境涯を築くことができる。不動の幸福、不動の勝利が約束されている。生々世々にわたり、生命の大長者として、輝いていくことができるのである。
 御聖訓には、「王」の意義について、「須弥山という山が、大地を貫き通して傾かないようなものです。天・地・人を貫いて少しも傾かないのを王と名づけたのです」(御書1422㌻、通解)と仰せである。どのような難が来ても動じない。退かない。烈風をはね返す、否、烈風の中でこそ、堂々たる輝きを放つ存在となっていただきたい。
4  指導者は「民衆のために」学べ
 「議会政治の父」と呼ばれた尾崎咢堂がくどうは、「人間は如何なるえらい人と雖も、始終学ばなければ愚人になる」(『尾崎咢堂全集』6、公論社)と喝破した。
 そう訴えた尾崎咢堂自身が、一生涯、勉強し続けた人であった。
 たとえ、立派な地位を築いたとしても、名声を得たとしても、そこで慢心を起こして、学ぶ姿勢を捨てれば、愚かな人間になってしまう。
 人間の評価は、過去ではなく、現在の姿勢で決まる。ゆえに、表面的な権威や立場にだまされてはならない。とくに指導者に対しては、その人物が「民衆のため」に生きているのかどうかを、正しく見定めていかねばならない。
 日蓮大聖人の仏法は、つねに変化し続ける現実のなかで、賢明に生き、永遠の幸福を確立するための生命論であり、哲学である。いわば、生命の本質、人間の真実を極める″最高の学問″であるといえよう。妙法の求道心をますます燃やして、「生涯勉強」「生涯前進」の人生を見事に飾っていただきたい。
5  統一ドイツの初代大統領ヴァイツゼッカー氏とは、一九九一年六月にお会いした。「物質主義」をどのように克服するかをはじめ、教育、国連改革の課題など、多岐にわたって語り合った。
 氏は、来日した折に、沖縄の青年に語りかけた。
 「国の政治を政治家や古い制度に任せず、若者が積極的にかかわっていくことが大切だ」(「毎日新聞」一九九九年五月七日付)
 青年をこよなく愛し、若い力を信じるヴァイツゼッカー氏のひとことである。
 政治家のなかには、議員になると、″自分が一番、偉い″と錯覚する者が出てくる。卑しいが″政治屋″に堕落する者もいる。自分を支えてきてくれた恩人を裏切る者さえいる。そうした腐敗をただして、改革していくには、青年の参加こそ重要なのである。
 また、アメリカの社会活動家エレノア・ルーズベルト女史は主張する。
 「政治を理解しようと努める市民にとってだいじなことの一つは、人間性を研究することである」(『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)
 どうすれば、本当に平和な社会になるか。皆が幸福な社会を築けるか。この課題に真剣に向き合えば、どうしても「人間性」を深く探求していかざるをえない。
 「自分自身」を磨かない政治家は、お金に目がくらみ、利権に流されてしまう。まさに権力は魔性である。ゆえに、日々人間性を鍛えゆく民衆が、真剣に、厳しい目で政治に関わって、リードしていかねばならない。
6  「信なき言論、煙のごとし」
 オーストリアの作家ツヴァイクはつづった。
 「生命をかけて自己の言葉を保証しないならば、その人の言論は煙にひとしい」(河原忠彦『シュテファン・ツヴァイク』中央公論社)
 戸田先生も、「信なき言論、煙のごとし」との烈々たる信念であられた。これが、わが学会の言論戦の根本である。
 嫉妬ゆえのデマ、売らんがための悪口雑言は、吹けば消え去る煙のごとき、はかないものだ。
 一度、世に出したにもかかわらず、自分の言葉に責任を持てない。そのようないい加減な言論に惑わされては、あまりにも愚かである。断じて打ち破らねばならない。
 私たちの広宣流布の戦いは、大聖人の御遺命であり、大いなる理想に燃える言論戦である。何よりも力強い「信」の柱がある言論だ。
 どうか自信をもって、勢いよく、大誠実の言論、破折の言論を、これからも勇敢に貫いていっていただきたい。
7  リーダーは生き生きと、笑顔で!
 戸田先生は語っておられた。
 「指導者は、どんなにつらかろうが、人前では、生き生きとしていなければならない。その姿に同志は安心し、ついてくる」
 広宣流布の戦いは、闘争の連続である。「大変だ」「疲れたな」と思う時もあるかもしれない。しかし、そういう時こそリーダーは、生き生きと、笑顔で、皆に接していくことだ。友を讃え、励ましていくことだ。そうすれば、不思議と自分自身も元気になる。組織も、生き生きとしてくるものだ。反対に、中心者が疲れて、つらそうな顔をしていては、皆も元気がなくなってしまう。
 リーダーは自分から、「さあ、頑張りましょう!」「もう一息ですよ!」「一緒に勝ちましょう!」と笑顔で、声をかけていってほしい。そこから、壁を破りゆく前進への力が生まれる。とくに青年は、さわやかに、心晴ればれと戦いぬいてほしい。「さわやかに」題目をあげ、「さわやかに」学会の組織について、多くの同志とともに、広布のため、自身のために活動してもらいたい。
 組織というと、固いイメージを持つ人がいるかもしれない。しかし、人間の体も「組織」だ。さまざまな機能から成り立つ建築物も、いわば「組織体」である。大宇宙もまた、妙なる法則に則って運行する「組織」といえよう。どんな団体や存在も、組織があるからこそ、十分に活動を行うことができる。目的に向かって、正しい軌道を進んでいくことができるのである。
 学会は、広宣流布のための組織である。何よりも大切な妙法の組識だ。この学会とともに進む限り、不幸になることは絶対にない。皆、偉大なる使命をもった「地涌の菩薩」である。「最高に幸せだった!」「満足した!」と言いきれる人生を歩んでいけるのである。
 私は、全同志の大勝利と健康を毎日、真剣に祈っている。
 栄光の山頂は、目前である。どうか、最後のゴールまで悔いなく走りぬいていただきたい。
 きょうは、本当にありがとう! 創立七十五周年の大闘争を完勝で飾り、元気な姿で、またお会いしましょう!
 (山梨研修道場)

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