Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

方面代表者会議 目標を持ち、同志と歩む人生は愉快

2005.8.22 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

前後
1  「難所」を越えよ! それが勝利の直道
 「難所」をいかに制するか。人生においても、組織においても、この一点が急所となる。
 毎年、正月の恒例となっている「箱根駅伝」。本年は、わが創価大学生が、関東学連選抜のメンバーとして出場した。この箱根駅伝のコースには、「権太坂」という名高い難所がある。江戸時代には、江戸から京へ向かうさい、「東海道」における有名な難所であった。現在の横浜市保土ケ谷区に、当時の面影が残っている。
 権太坂を含む箱根駅伝の往路の区聞は、「花の二区」と呼ばれる。長距離であり、厳しい坂道が続く。レース全体にも大きな影響を与える。ゆえに、各チームから実力のあるエース級の選手が選ばれ、一秒でも早く、一歩でも前にと、しのぎを削るのである。
 インドの大詩人タゴールは「きびしい闘いは闘われなければならない。それが人生に価値を与える」(「事由の流れ」芝山幹郎訳『タゴール著作集』6所収、第三文明社)とつづった。
 人生には、思いもよらぬ「難所」が立ちはだかるものだ。その時こそ、もう一歩で希望が見える。未来が開ける。必ず勝利の旭日は昇る。そう心に決めて、ひたぶるに祈りぬき、前へ!、前へ!と進むことだ。大変であればあるほど勝利の価値は大きい。
 私は戸田先生から、あの「大阪の戦い」をはじめ、激戦の使命を受けるたびに、「すばらしい鍛えの場をいただいた」と、歓喜に燃えた。断じて、師の期待に応えてみせる! 自分が勝って、広宣流布の大構想の突破口となるのだ! そう決意し、戦ってきた。いわば、難所の連続であった。その折々に、ともに戦った同志の姿は、永遠に脳裏に焼き付いている。
 第三代会長を辞任した翌年には、香川、高知、愛媛、徳島の懐かしき四国の友が、私のいる神奈川の地を目指し、はるばると大船に乗って駆けつけてくださった。あの出会い、あの光景を、私は生涯、忘れることはできない。
 ともあれ、目の前のカベを一つ、また一つと着実に乗り越えることこそ、すべての勝利の直道である。日蓮大聖人は、「釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである」(御書917㌻、通解)と仰せである。「あの強敵が、私を強くしてくれる!」「これでまた成長できる!」ととらえて、朗らかに勝ち進みたい。
2  広布の労苦は宝の思い出に
 ある懇談の折に、次のような悩みをうかがった。
 仕事で定年を迎えた壮年の方が、目標を見失い、やる気をなくしてしまった。なんとかして励ましたい――と。定年に限らず、今までの環境が激しく変化した時、心の張りを失って、落ち込んでしまうことがある。
 しかし、「妙とは蘇生の義なり」とあるように、信心を根本にした人生は、どんな場所からでも、必ず「新たなる出発」を切っていける。信心とは、生涯にわたる、挑戦と成長である。学会には「広宣流布」という、世界のため、未来のための壮大な目標がある。
 「目標を持つ人生」は強い。「同志と歩む人生」は愉快である。一度、元気をなくした人も、広布の戦いを通して、偉大なる地涌の菩薩としての使命を自覚し、ふたたび立ち上がることができる。
 苦しかった体験も、すべて生かすことができる。仏法には一切、無駄はないのである。
 また、仕事が多忙で、なかなか唱題する時間がとれない人もいる。さまざまな理由で、思うように唱題できない場合もある。
 大聖人は、「南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし」等と仰せである。たとえ一遍の題目でも、無量無辺の大福徳がある。何か悩みがあったら、まず御本尊にぶつかっていく。何があっても唱題根本で進む。その「心」を持っている人が勝つ。すべての労苦が、宝の思い出となる。幸福の確かな軌道に、悠々と乗っていけるのである。
3  人間ならば、優れた宗教を選択せよ
 歴史学者トインビl博士は、私との対談の中で、力強く、こう語られた。
 「われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです」(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)
 これが、二十世紀最高峰の知性の結論であった。
 戦乱と暴力の流転であった人類史を、いかに転換するか。博士は明確に主張された。
 「真の永続的平和には、宗教革命が欠くべからざるものだと、私は確信します」(『未来に生きる』毎日新聞社)
 その宗教革命の希望として、博士は、大乗仏教、なかんずく現代に生きる日蓮大聖人の仏法に注目されたのである。
 どのようにして、宗教が社会に貢献していくか。このことを考えるとき、若き日に読んだ思想家・内村鑑三の言葉もまた、忘れることができない。
 「西洋に在りて人は政治を最大のものとは認めません、宗教は政治以上の者であると信ぜられます」(『内村鑑三著作集』4、岩波書店)
 正しき信仰に生きる人は、いかなる権力者よりも強い。彼は、こうも述べている。
 「宗教は信ずべき者であって利用すべき者でありません」「国民は宗教を信ずるを可とし、政治家は之を信ずるの必要なしと云う理由は少しもありません」(同前)
 まったくの正論だと思う。この内村鑑三は、私の青春時代の読書サークルの友人たちが、尊敬していた思想家でもあった。関東ゆかりの偉人である。
 「世は誠実を以てのみ勝つことが出来ます。世に虚偽多しと雖も、虚偽を以て之に勝つことは出来ません。正義はやはり最後の勝利者であります」(同著作集8)
 今も、深く心に残っている彼の言葉である。誠実は、必ず勝つ。虚偽には断じて負けない。正義は、絶対に勝利する。否、断固として勝利しなければならない。これは、戸田先生の弟子として、この五十八年間の大法戦を戦い続けてきた、私の信念でもある。
4  自身の勝利へ! 勇気の師子吼を
 近代看護の母ナイチンゲールは訴えた。
 「どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶことができるのは現場においてのみである」(湯槇ます監修・薄井坦子編訳『ナイチンゲール著作集』2、現代社)
 戦場で、命がけで看護を続けた彼女の言葉だから、重みがある。広布の戦いも同じだ。現場にこそ、勝利のカギがある。リーダーは、「最前線」に飛び込み、激闘に次ぐ激闘のなかで、自身を鍛えていっていただきたい。
 イギリスの女性作家であるシャーロット・ブロンテは、「人間は能力の及ぶかぎり正しいことをなすべきです」(エリザベス・ギャスケル『シャーロット・ブロンテの生涯』中岡洋訳、『ブロンテ全集』12所収、みすず書房)と手紙につづっている。自分一人が努力してもわずかなものだ、などという考え方はよくない。ベストを尽くそう!――そういう信条であった。
 大聖人は、熱原の法難にさいして、「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」と励まされた。
 私たちの「広布の声」「勇気の声」は、何ものにも負けない力を持つ。戦った分、自分の福運になる。また、家族の福運、子孫末代までの福運となっていく。どんなに社会的な力を持った人も、仏法の功徳を受ける人には、かなわない。真実の幸福を築いていく人には、かなわない。私たちは、師子の大音声を放ち、卑劣な中傷など、はじき飛ばして、「自身の勝利」「地域の勝利」「広布の勝利」へ、猛然と走りぬこう!
 (長野研修道場)

1
1