Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各都合同研修会(4) 「勇猛精進したまえ! 仏法は実行だ」

2005.8.19 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

前後
1  牧口先生は七十一歳で東北に弘教へ
 仏法は勝負である。人生も勝負である。何事であれ、勝つには「勇気」がいる。
 勇敢なる先師牧口先生は言われた。
 「根本の悪である怠惰根性をとってやること、すなわち正しい信仰を教えることこそ真の友情である」
 真の友情は、なれあいからは生まれない。自分の信念を、臆さず言いきるところから、本当の信頼も生まれる。
 またある時、牧口先生は青年に語った。
 「勇猛精進したまえ! 仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」
 何歳になっても、行動しぬいた先生であられた。戦時中も、権力の弾圧が強まるなか、各地に赴き、勇敢に語りぬいておられた。投獄される前年(一九四二年)の七十一歳の時には、東北の福島に、たった一人で法戦の歩みを運ばれている。東京で入信した会員の両親を折伏するためだった。先生の確信と真心にふれ、その両親は入信を決意したという。
 今、東北の同志は、この牧口先生の「勇猛精進の魂」を受け継いで、一生懸命、戦っておられる。東北、頑張れ!
 ともあれ、牧口先生は、何歳になられでも、いよいよ若々しく、「不老不死」の妙法を証明しながら、戦いぬかれたのである。
2  悠然と「生も歓喜、死も歓喜」の道を
 私は、全米最高峰の学府であるハーバード大学から、お招きを受け、二回、講演している(一九九一年と九三)。このうち、二回目の講演で論じたのが、「生も歓喜、死も歓喜」という仏法の生死観であった。(題名「二十一世紀文明と大乗仏教」)
 ハービー・コックス学部長(当時)は「死に対する、今までとはまったく異なった観点を紹介してくれた」と評価してくださった。
 「死」はすべての終わりではない。「生」も、「死」も、永遠の生命の一側面である。妙法に根ざした生と死は、永遠常住の大生命を舞台としたドラマなのである。広布に戦いぬけば、必ず一生のうちに、絶対の幸福境涯を築き、固めていける。その人は、永遠に「生も歓喜」「死も歓喜」という生命の軌道を進んでいくことができる。
 生まれてくる場所も、地球だとは限らない。この広い宇宙には、生命が存在する惑星が数多くある――そう予測する研究者は少なくない。法華経には壮大な宇宙観が展開され、衆生の住する国土が、数限りなく存在することが説かれているが、それは最先端の天文学の知見とも一致するのである。善人ばかりの星もあれば、地球のように、ずるい人間がたくさんいる星もあるかもしれない。
 朝から晩まで、すばらしい音楽を聴きながら、健康で、長生きして、ありとあらゆる喜びを感じながら暮らしていける星もあるかもしれない。わが心の作用と、大宇宙の作用とが合致して、自分の望むとおりの姿で、自分の望むとおりの場所に生まれてこられる。これが、仏法の真髄なのである。
 戸田先生は、よく死を睡眠に譬えられていた。ぐっすり眠って、翌朝、元気になって、はつらつと目覚めるように、妙法を唱えぬいて亡くなった方は、死という休息をとって、すぐに生まれて、広宣流布の陣列に戻ってくる――と。
 大聖人は、御書の中で、臨終について、繰り返し教えてくださっている。
 「(妙法を唱える人の臨終は)何と喜ばしいことであろうか。一仏・二仏ではなく、また百仏・二百仏でなく、千仏までも来迎し、手を取ってくださるとは、歓喜の涙をおさえがたい」(御書1337㌻、通解)
 「あなたの御臨終のさい、生死の中間(生から死へ移る間)には、日蓮が必ず迎えにまいるであろう」(御書1558㌻、通解)
 「生きておられた時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏です。即身成仏という大事な法門は、これなのです」(御書1504㌻、通解)
 世界の大文豪や、大思想家の多くは、生命の永遠性を感じていた。仏法の生命観を志向していたともいえよう。ロシアの文豪トルストイも、そうであった。私は、若き日より、トルストイを愛読してきた。全部、読んだとは言えないが、一生懸命、読もうと努力してきた。
 トルストイは晩年(一九〇七年、七十九歳の年)、ある書簡に、こうつづっている。
 「生きることが喜ばしく、死ぬことも喜ばしいのです」(『トルストイ全集』21所収、除村吉太郎訳、岩波書店)
 大文豪が、波瀾万丈の生涯を戦いぬいて、たどり着いた、不動の境地の一端をしのばせる文章である。
 思えば、トインビー博士も、仏法の生命観に深く共感されていた。
 私たちは、人類最高峰の知性が求めた、最高峰の仏法を信じ、行じ、教え、実践している。これ以上の人生はない。
 もちろん、近しい人を亡くしたり、不慮の死に出あうことは、本当につらく、悲しいことである。そのさびしさ、苦しさは、言葉にはできない。
 日蓮大聖人は、夫を亡くし、最愛のわが子をも失った南条時光の、お母さんに、次のような御手紙を贈られている。
 「乞い願うところは、悲母がわが子を恋しく思われるならば、南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君の南条殿と御子息の五郎殿と同じ所に生まれようと願っていきなさい。一つの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心にはらまれるならば、同じ妙法蓮華経の国へ、お生まれになるでしょう」(御書1570㌻、通解)
 なんと温かな、大聖人の励ましであろうか。私どもも、御本仏の御振る舞いに学んでまいりたい。「死」を、永遠の別れと感じることがあるかもしれない。しかし、妙法を持ったわれわれは、また同じ妙法蓮華経の国に生まれてこられる。これが大聖人の御断言である。なかには、″もうこの人とは、一緒に生まれてきたくない″という人もいるかもしれないが、そう思うのは自由である。(笑い)
 ともあれ、私どもは、どんな時も妙法を唱えながら、勇敢に、悔いなく、この人生を生きぬいてまいりたい。亡くなられた人の分まで、生きて生きぬいて、広布のために前進していくのだ。
 仏法の法理から見れば、亡くなられた人も、つねに一体で進んでいるのである。功徳もすべて、回向されていく。
3  三人前の働きをしてこそ人の上に立てる
 ふたたび、牧口先生、戸田先生の指導に学びたい。
 「三人前の働きができる人になりなさい。三人前の働きをして、はじめて人の上に立つ指導者になれる」
 これは、私自身、何度も戸田先生からお聞きした言葉である。
 三人前の働きをせよ。そうしていかなければ、指導者にはなれない。勝利者にはなれない――これが、戸田先生の指導者論であった。
 戸田先生は、手抜きや官僚主義、要領に対しては、じつに厳しく叱咤された。嘘やインチキがあれば、激怒された。それはそれは、本当にこわい先生だった。私は、その先生の厳しき訓練を真正面から受けきった。だから、何も恐れるものはない。
4  「堂々と主義主張を貫け」
 牧口先生は、「正邪善悪を明らかにして、道理に服従する自信と度量があるならば、百の干渉があったとしても何だというのか」と言われている。この言葉のとおり、権威や権力など、まったく恐れなかった。強大な国家権力に対しても、一歩も引かなかった。
 ある時、青年に、こう話されたという。
 「人間、相手が強く、地位等を利用して迫ってきた場合など、正当の理由がなければ頭を下げてはいけない。堂々と主義主張を貫きなさい。また反対に弱い立場である人の場合は協力して助けてあげなさい」
 困っている人には優しく接する。しかし、傲慢な敵には、徹して強くあれ! 卑劣な相手には、断じて屈するな! それが牧口先生の教えであった。
 現実の中では、相手によって、話すのに気後れすることもあるかもしれない。牧口先生と親交のあった、東北出身の新渡戸稲造博士は、こう記している。
 「人から能く思われたいとか、自分の値より以上に高く評価されたいとかいう考えがあればこそ怖気おじけづくのである。自己の値を真価だけしか発表せぬとしたなら、少しも怖気ることはない」(『修養』、『新渡戸稲造集』7所収、教文館)
 鋭い見方である。自分がどう見られるかばかり気にしていては、壁を破れない。ありのままの自分で、誠実に、正直に、自分の主張を語っていけばよいのだ。
 牧口先生の毅然とした姿勢は、獄中にあっても、まったく変わらなかった。検事の尋問に対して″いかなる大敵にも負けないで、生きぬいて、人間の達しうる最高の理想を示しきっていくのが仏である″と、仏法の深義を語っておられる。牧口先生の「勇気」。その勇気の源は、強盛な信心にあった。御本尊への絶対の確信にあった。牧口先生は言われている。
 「宗教は人生の背骨である。宗教をもたないで生きるのは、背骨がなくて歩くようなものである。正しい宗教をもつことが、まっすぐの背骨をもつことになる」
 妙法に生きる私たちは、何ものも恐れる必要はない。題目をあげぬいた人が、最後に必ず勝つことは、決まっている。
 私どもは、正しき宗教を持った誇りを胸に、牧口先生のごとく、毅然と進んでいこう!
 (長野研修道場)

1
1