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日蓮大聖人・池田大作

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各都合同研修会(3) リーダーは勇気と希望を皆に贈れ

2005.8.19 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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4  「臨終只今」と今を勝ちゆけ
 生きることはすばらしい。長寿はもちろん、すばらしいことである。その上で肝心なのは、「どれだけ生きたか」よりも、「どう生きたか」である。結論から言えば、妙法を唱え、弘めながら、人のため、法のために生きることこそ、最も尊い生き方なのである。そうやって生きぬいた人は、最高の満足と充実を感じながら、人生の最終章を飾ることができる。
 大聖人は、妙法を信仰する人の臨終について、こう言われている。
 「(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(御書1480㌻、通解)
 「早く死んでよかった」とは、少し不思議に感じる御文かもしれない。大聖人は、妙法を持った門下に対して、決して死を恐れる必要などないことを教えてくださっていると拝されよう。
 さらに、次のようにも仰せである。
 「退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。われらも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386㌻、通解)
 なんと荘厳な世界であろうか。大聖人の御言葉に、絶対に嘘はない。私たちが歩んでいるのは、「生も歓喜」「死も歓喜」の大道である。この絶対的な幸福境涯を確立するためには、何があろうと妙法を唱えぬき、「今」を真剣に戦うことである。「臨終只今」の覚悟で、「今」を完全燃焼させていくことである。きょう一日を、悔いなく戦おう!

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