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日蓮大聖人・池田大作

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各都合同研修会(2) 最も苦しんだ民衆が幸福になる社会を

2005.8.19 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  ユゴー――山々の頂に勇気を掲げよ
 全国各地で、皆さん、本当に元気に頑張ってくださっている。心から感謝申し上げたい。
 戦ってくださっている方々に、温かい声をかけていきたい。「お疲れのところ、ありがとうございます!」「いつも本当に、ご苦労さまです!」と幹部から声を発していくことである。
 声によって、仏法の慈悲を組織に脈動させていくのだ。広宣流布の同志を仏のごとく敬っていく。讃えあっていく。そこから、真実の団結が生まれ、勝利の勢いが生まれるのである。
 「人類の前進のためには、勇気というけだかい教えが、永遠に山々の頂にかかげられなければない」(辻昶訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』3所収、潮出版社)
 フランスの文豪ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の有名な一節である。これはユゴー研究の第一人者で、翻訳家として知られる故・辻とおる先生が、創価大学で講演したさい、学生たちに語ってくださった言葉でもある。訳もご自身によるものである。
 辻先生とは一九九三年の十一月、創価大学でお目にかかった。長年の文化貢献を讃えて、創価大学から「名誉博士号」をお贈りしたのである。この折、辻先生は、「これまで、ずいぶん、つらい目にあったので……」と言われ、名誉学位記の受章を「うれしい、うれしい」と喜んでくださった。飾らない尊いお姿が、まぶたに焼きついている。(=辻氏は一九九八年、聖教新聞の「5・3記念特集」に談話を寄せ、「池田SGI〈創価学会インタナショナル〉会長の知識の範囲は、在来の日本人の欠点を補い、まことに壮観としか言いようがない」「その規模の大きさといい、理論の妥当性といい、池田SGI会長の世界的な活躍は、新生日本の輝かしい狼火となるであろう」と語っている)
2  学会は永遠に民衆の大地に立つ
 「私は、いじめられている側に立つ」――そこにユゴーの変わらぬ信念があった。『レ・ミゼラブル』の意味も、「惨めな人々」である。
 ユゴーの作品には、貧しい人々、苦しむ母子に対する深い慈愛があふれでいる。また随所に、傲慢な権力者への強い怒りがほとばしっている。
 私は、いじめられている人の側に立つ! 悪口され、批判され、試練を受けている正義の人々のために私は戦う! 私は叫ぶ! 迫害など、ものともせずに!――これがユゴーの魂である。
 われらの学会精神もまったく同じだ。
 虐げられ、苦しめられ、ばかにされてきた民衆が、「特権者がふんぞりかえる社会」ではなく、「民衆の幸福のための社会」をつくるために立ち上がった――それが創価学会である。
 どこまでも民衆が基盤である。だから強い。だから勝ってきた。
 学会は永遠に民衆の大地に立つ。この一点を絶対に忘れてはならない。
3  沖縄を「広宣流布の理想郷」に
 思えば、昭和三十五年(一九六〇年)の七月十六日、第三代会長となった私は、沖縄の地に第一歩を刻んだ。
 このとき、私は心に固く決めていた。戦争で最も悲惨な戦場となった沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのだ。そのために、私は戦う。生涯をかけて、沖縄に尽くしていこう――と。
 沖縄の同志は、私の心に応えて、敢然と立ち上がってくださった。いかなる逆境にも負けなかった。歯を食いしばって戦った。大好きな「沖縄健児の歌しをともに歌いながら、心が一つに解け合うカチャーシー(伝統の踊り)を舞いに舞いながら、「人間革命」の歓喜のドラマを、一人から一人へ、また一人へと広げていったのである。
 愛する沖縄の同志よ、断じて負けるな! 世界が憧れる「広宣流布の理想郷」の建設へ、鉄の団結で進みゆけ!――と今ふたたび、叫ばないではいられない。
 ともあれ、人生は戦いである。断じて、あきらめない。断じて、立ち止まらない。どこまでも走り続けた人が勝つ。執念を燃やし続けた人が勝つのだ。真の民衆救済に戦い続ける大慈悲の生命こそ「仏」である。仏法の真髄の魂である。
4  トインビー博士――悪の前での中立は悪への加担に
 私が会談したイギリスの歴史学者トインピl博士も、生涯、戦い続けた人であった。
 もったいなくも博士のほうから、一度会って話がしたいと、お手紙をくださり、私がロンドンの博士のご自宅にうかがったのである。(一九七二年と七三年の二度、計四十時間にわたり会見)
 博士は、四十歳も若い私を、まるで旧友のように親しく迎えてくださった。語らいは、和やかな雰囲気のなかで始まった。
 しかし、難解な問題にさしかかると、博士はみじろぎもせず、真剣に思索を巡らしておられた。
 ティータイムには、博士の奥さまが紅茶を入れてくださるのだが、張りつめた空気のなかを、そーっと持ってきて、そーっと出ていかれる(笑い)。一コマ一コマが映画のように、今も懐かしく思い出される。
 語らいのなかで博士は、かつて「ギリシャ・トルコ戦争」を視察し、自分で見たままを発表した結果、勤めていたロンドン大学を辞めなければならなくなった思い出を話してくださった。
 博士は、ギリシャ側からも、トルコ側からも、この戦争を観察した。そして、この戦争はギリシャ側が間違っているという結論に達した。しかし、当時の西欧社会はトルコへの偏見を強く持っており、博士がありのままの事実を新聞に発表するや、激しい批判が巻き起こった。そのために博士は、大学の職も失った。それでも博士は、毅然として、わが信念を貴かれたのである。
 博士は、こうも言われている。
 「自分が正とみなすことと、邪とみなすこことの中間で、中立の立場をとろうとするのは、結局、邪とみなすことの側にくみすることにほかなりません」
 自分が正しいと思ったことは、だれに何と言われようと、堂々と主張すべきだ。善悪がはっきりしている問題を前に沈黙し、中立を装うのは悪に加担することになる――それが博士の変わらぬ精神であった。
5  正義の勝利へ、もっと叫べ!
 十九世紀イギリスの女性作家シャロット・ブロンテはつづる。
 「正しいと思ったとおり話す権利が私にはあります」(『シャーリー』下、都留信夫訳、『プロンテ全集』4所収、みすず書房)
 そのとおりだ。真実を語るのに遠慮などまったくいらない。
 中国の大文豪・魯迅は呼びかけた。
 「我々は、もっと叫ばなければならない」(漏接詔防護開企魯)
 もっと叫べ! もっと強く!――この徹底した攻撃精神こそ、火を吐く言論で時代の闇を照らした魯迅の魂である。正義が沈黙すれば、悪が喜ぶだけだ。「正義の行進に恐れなし!」――この心意気で、わが正義を、わが信念を、正々堂々と天下に叫びきっていこうではないか!
 戸田先生は、よく話してくださった
 「『さあ来い! 魔などに負けてたまるものか』の大覚悟で向かったときは、魔は退散するのである」と。
 「さあ来い!」「負けてたまるか!」「何でも受けて立ってみせる!」――この「攻めの心」が魔を退散させるのだ。つねに前へ! 何があっても前へ! 前進する人のみが「栄光への扉」を開くのである。「人生は強気でいけ!」とは戸田先生の遺言であった。
 さらに、戸田先生は言われた。
 「事業の興亡を左右するものは、いったい何か。それは、努力と情熱と忍耐である」と。
 努力の人、情熱の人、忍耐の人が最後は勝つのである。
 十八世紀フランスの著名な思想家ヴォルテールは言う。
 「悪人は共犯者しかもたず」「有徳な人間だけが友人をもっ」(『哲学事典』高橋光安訳、法政大学出版局)
 悪人のもとには、悪人が集まる。善き人のもとには、善き人が集う。それが道理である。
 「小人の親睦はわずかな時の経過によって跡かたもなくなるが、高貴な人びとの友情は悠久の時も消え去ることがない」(『弁論集』1、小池澄夫訳、京都大学学術出版会)
 われらは、広宣流布という人類最高の目的のもとに集った、最高の同志である。その絆は、何よりも尊い。悠久の歴史に燦然と輝き光る、高貴なる友情を、さらにいちだんと深め、大きく広げてまいりたい。

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