Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各部合同研修会(1) 青年よ「正義と完勝の北極星」と光れ

2005.8.19 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

前後
2  渋沢栄一 「逆境に処しては、断じて行え」
 「逆境は大丈夫(立派な男子)の試金石である」(渋沢栄一『論語と算盤』国書刊行会)
 こう叫んだのは「日本の近代経済社会の父」と仰がれる明治の大実業家・渋沢栄一である。
 彼が後半生の三十年間を、東京・北区の飛鳥山の自邸(曖依村荘)で過ごしたことは、よく知られている。四季折々に美しい飛鳥山公園内にある邸宅跡には、現在、「渋沢史料館」が創設され、区内はもちろん、隣接する足立区など各地から多くの人が訪れる。
 一八四〇年(天保十一年)、埼玉の農家に生まれた渋沢は、初め幕府に仕え、明治維新後は大蔵省に出仕。その後、実業界に転身し、日本初の銀行である第一国立銀行を設立。
 さらに、東洋紡、王子製紙、日本製紙、東京海上日動、東京電力、東京ガス、帝国ホテル、太平洋セメントなど五百余の企業の創設に携わり、日本経済の礎を築いていった。
 幕末から明治、大正、昭和の激動期を生きぬき、当時の「官尊民卑」の風潮を打ち破りながら、多方面にわたって優れた業績を残した人物である。人並はずれた努力と挑戦があったであろう。
 彼は言う。
 「逆境に処しては、断じて行え。決して疑い惑うてはならない」(渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一訓言集』国書刊行会)
 逆境から逃げるな。困難を避けようとする弱い命から、疑いや迷いが生じてくるのだ。
 己に恥じることなき君ならば、断じて行動だ! 突き進め! それが大実業家の叫びである。
 さらにこうも言っている。
 「(=青年は)正義の観念をもって進み、岩をも徹す鉄石心(=きわめて固い決心)を傾倒すれば、成らざることなしという意気込みで進まねばならぬ、この志さえあれば、いかなる困難をも突破しうる」(前掲『論語と算盤』)
 人生も、闘争も、勝敗を決めるのは、自分の心である。「心こそ大切」である。
 もしも、心のどこかに「油断」や「諦め」があれば、そこで前進は止まる。成長は止まる。
 一念の力は無限だ! 一念の力は偉大だ! 「断じて勝つ」。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである。
 彼は語っている。
 「一家一人のために発する怒りは小なる怒りにて、一国のために発する怒りは大いなる怒りである。大いなる怒りは、国家社会の進歩発展を促すものである」(前掲『渋沢栄一訓言集』)
 御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)と仰せだ。われらは、世界のため、人類のためという大いなる「正義の怒り」をもって、わが信念を堂々と語りぬいてまいりたい。
3  心で勝つ「信心の王者に」
 渋沢は、実業面だけでなく、社会福祉、教育・医療の発展、国際親善交流などにも情熱を注ぎ、六百余の社会公共事業に従事したとされている。
 実業家は、いたずらに私利私欲を求めるだけではいけない。他人の幸福に尽くしていかなければならない――こう考えた彼は、道徳と経済の一致を主張し、みずからが模範の姿を示そうとしたのである。彼が倫理の規範としたのが、孔子の『論語』であった。
 彼は自身の著作『論語講義』の中で、次の一節を引いて論じている。
 「まつりごとをなすに徳を以てすれば、譬えば北辰のその所に居り、しかして衆星のこれにむかうがごとし」(講談社)――指導者が徳をもって優れた政治を行うならば、天空の星々が北極星を中心に回るように、地上にも荘厳な調和を実現できるとの意味である。
 国の為政者はもちろん、会社の経営者、教育者など、あらゆるリーダーが、正義と人道の徳を輝かせ、その光で人々を導いていくべきである。それが渋沢の理想であった。
 私も今、創価の青年リーダーに叫びたい。
 若き君よ、「正義と完勝の北極星」と光れ! わが生命の炎を赤々と燃やしながら、勝利へ勝利へと友を導いていくのだ。老いたる父母が築きたる創価の大牙城を守りぬけ! 何があっても負けない「信心の王者」と立つのだ。青年部の諸君、よろしく頼みます!
 民間外交にも貢献した渋沢の幅広い交友関係を物語るように、飛鳥山の自宅には、インドの詩人タゴール、中国革命の父・孫文、アメリカの第十八代グラント大統領など世界から数々の賓客が訪れている。
 「誠心誠意をもって人に接すれば、不思議なほど対手(=相手)に感動を吠えるものである」(前掲『渋沢栄一訓言集』)
 誠心誠意――これが私たちの武器である。わが足元から、感動と友情のスクラムを幾重にも広げてまいりたい。
4  恐れるな! 勇気のなかに幸福が
 イギリスの大劇作家シェークスピア(一五六四年〜一六一六年)は、皆さんもよくご存じであろう。彼の戯曲に次のようなセリフがある。
 「恐るるな 天を裂く火も」「地を揺るがす 雷の音も」「恐るるな 人の謗りも」(「シンベリン」小田島雄志訳、戸島雄志訳、『シェイクスピア全集』6所収、白水社)
 君よ、恐れるな! 貴女よ、恐れるな! 正義と幸福のために勇敢であれ!
 恐れなき勇気!――このなかにこそ、幸福があり、希望があり、前進がある。人間としての真実の勝利があるのだ。
 さらに彼の戯曲『へンリー五世』の中の一節。
 「進め、進め、進め、進め、進め! 突破口へ、突破口へ!」(小田島雄志訳、同全集5所収)
 この炎の叫びを、歴史的な大闘争に挑み戦う偉大なる同志に捧げたい。信心の目的も、何ものをも恐れない「強い自分自身」をつくることである。法華経では、仏の境涯の一つとして、「無所畏(畏るる所無し)」と説かれている。いかなる魔軍の攻撃も断じて恐れない。すべてに打ち勝ち、人々を救うため、自在に法を説き弘めていく――それが仏の大境涯である。
 仏法を実践する私たちは、この仏の生命を、わが身に厳然と開いていくことができる。そう大聖人が御約束である。われら仏の軍勢に恐れるものはない!
 恩師の戸田先生は、「恐れなき師子」であられた。先生は、威張っている人間が大嫌いで、相手がだれであろうが、容赦なかった。
 「地位とか名声とか、それが何だというのだ! 大事なのは、一人の人間としてどうかだ。人々のために何をやったかではないか!」と。
 庶民のため、学会員のためなら、どんな権力者が相手でも、一歩も引かない先生であった。傲慢な人間の横暴を許さなかった。烈火のごとき「怒り」をもって猛然と戦われた。
 この正義のために戦う魂を、戸田先生は、広布の連続闘争のなかで、弟子の私に注ぎ込んでくださったのである。私は、すべて「勇気の二字」で勝ってきた。「勇気の二字」で壁を破ってきた。
 この創価の師弟の魂を、わが後継の青年部に受け継いでもらいたい。
 わが青年部よ、断じて恐れるな! 正義を叫んで叫んで叫びぬけ! そして、わが地域に、必ずや「勝利の旗」を打ち立てていっていただきたい!

1
2