Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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代表幹部研修会(4) 不惜身命の人は絶対に勝つ

2005.8.15 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  強盛な信心あるかぎり、乗り越えられない苦難なし
 全国の同志が、日夜、広布のために、懸命に戦ってくださっている。仕事や家庭など大変ななか、本当に、頑張ってくださっている。その功徳は絶大である。自己の宿命転換ができるだけでなく、一家、一族が大福徳で包まれていくことは間違いない。
 私は、尊き学会員の皆さまに合掌しながら、真剣に題目を送らせていただいている。そして、皆さまのことを思いながら、何か励ましを贈りたい、勇気と希望を贈りたいと、毎日、筆を執り、スピーチをしている。本日も、各地で奮闘しておられる、わが同志と親しく懇談しているつもりで、何点か語っておきたい。
 日蓮大聖人は、御書の中で″人の心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い″という法理を教えられ、こう仰せである。
 「これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい」(御書1220㌻、通解)
 これは、神奈川の女性門下に送られた御手紙の一節である。
 「今まで」どうだったかではない。大切なのは、「これから」どうかである。今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
 ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。大聖人は、″ただ妙法を一心に信ずる人は、この御本尊の宝塔の中へ必ず入ることができる″(御書一二四四ページ、趣意)と仰せである。南無妙法蓮華経の御本尊を持ち、広布に進むわれらは、どこにいても、どんな環境にあっても、「仏の世界」即「幸福の宮殿」に入ることができる。何も心配はいらない。何も恐れることはない。
 御聖訓にいわく。
 「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ
 退転するな! 恐れるな! ――この、宗祖の厳命を深く銘記したい。
2  学会のために、同志のためにと、すがすがしい決意で
 一方、幹部でありながら、信心が停滞していたり、仏意仏勅の学会を軽んじるようなことがあれば、それまで、どれほどの功労があったとしても、未来は暗い。下り坂を転落していくばかりである。広布の世界に、特別な人間などいない。全員が平等である。
 これまで、清らかな学会の世界にいられなくなり、反逆していった人間たちは、″自分はみんなとは違う″″うちは特別なんだ″などと増上慢を起こし、自分も、家族も学会活動をし、なくなっていった。学会活動を何か下に見たり、おろそかにしてはならない。そういう人間に共通する心根は、「自分中心」という一点である。自己の利益に汲々とし、学会のこと、同志のことを、第二、第三に考えているのである。それでは、本当の信心はわからない。仏法の偉大さはわからない。宿命転換もできない。
 ″学会のために尽くそう! 同志のために働こう!″と、すがすがしい決意に立っことだ。皆と一緒になって、心広々と進んでいくことだ。「異体同心」こそ、学会の根本精神である。
 自分も懸命に学会活動に励み、子どもにも、きちんと信心を教えていく。わが子を断じて広布の人材にとの決心で、ともに学会の中で生きぬいていくのである。その心に福運が集まる。その心から道が開ける。「心こそ大切なれ」――これが日蓮大聖人の仏法の一つの結論である。法華経二十八品も、八万法蔵といわれる膨大な経典の数々も、「心」がもつ不可思議な力を説いている。もちろん、個人がどう生きるかは自由である。しかしわれわれは「同志」として、言うべき時には、創価の魂を厳然と言いきっていく。それが本当の正義の叫びだからだ。
 戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために戦って、実績をあげるからこそ、幹部であり、会員も幹部として待遇するのだ。戦いなき者を幹部として待遇すれば、組織は動脈硬化を起こして死んでしまう。一兵卒、一会員になっても、広宣流布のために戦ってこそ、戸田の弟子である」
 いつになっても、どんな立場になっても、太陽が赫々と昇りゆくような、不退の信心を貫いていってほしい。
3  民衆の幸福のために戦え、私利私欲の輩を許すな
 さらに、戸田先生の指導に学びたい。
 「学会は、信心が中心である。政治の世界に同志を送り出したのも、信心をした者として、社会をよくしよう、民衆が本当に喜べる政治を実現しようとの、人間としての真情の発露からである。
 信心を根本にして、日本の民衆を、世界の人々を幸せにしようというのが、創価学会の心である」
 ここに、私どもの原点の精神がある。私たちの信仰は、自分だけが幸せになればいいというような、狭い、ちっぽけなものではない。自分自身が人間革命しながら、社会のため、世界のために、勇敢に行動していくのだ。
 反対に、社会とのかかわりを失った宗教は、独善におちいり、生き生きとした生命力を失っていく。今は、五濁悪世の時代である。社会とかかわるがゆえに、さまざまな問題に直面する。とくに、政治の世界は、権力の魔性がうごめいている。
 戸田先生は、すべてを予見しておられた。
 「政治の世界というのは、権力と野望と駆け引きの、魑魅魍魎の世界だ。私の心を忘れない者は、政治の革新を成し遂げ、民衆のための偉大なる政治家に育つであろう。しかし、私利私欲に狂えば、広宣流布を破壊する魔の働きになってしまうだろう」
 「民衆のため」との原点を忘れ、私利私欲に狂った卑しい人間が、いつか現れるかもしれない。もしそういう輩が出てきたならば、徹底して責めぬけ! これが先生の精神であった。悪を黙って見過ごしてはならない。どんどんしゃべることである。叫ばなければ、将来、必ず報いを受ける。
 青年部、立ち上がれ! 異体同心の団結を破ろうとした人間の末路は悲惨である。仏法は厳しい。とくにその厳しさは、臨終にあらわれる。御書には、破和合僧などの大罪によって無間地獄に堕ちる苦しみが、随所に説かれている。それらはすべて、日蓮大聖人の大慈大悲のあらわれである。不幸な境涯に堕ちていく人々をあわれに思い、救わんがために、厳しい生命の法則を教えてくださっているのである。
4  戸田先生は、晩年、こう叫ばれた。
 「学会の組織は、戸田の命だ。どこまでも広宣流布のための、清らかな信心の組織でなければならない。不純な心によって、尊い学会が汚されてなるものか! 今のうちに大掃除をしておかなければならない。師子身中の虫を叩き出すのだ」
 今一度、この言葉を、次の五十年の出発のために確認しておきたい。
 戸田先生は、こう述懐されたことがある。
 「私にとって、最も厳しい人生の試練は、戦時中の獄中生活だった。軍部政府は、私の最愛の恩師の命を奪い、私の体も、事業も、ボロボロにした。しかし私は、この二年間の獄中生活に勝った。おのれを捨てたからである。広宣流布にわが身をなげうつことを決めたから、勝ったのだ」
 まさしく、「不惜身命」の精神である。「不惜身命」の精神に立てば、どんな人生の苦難にも打ち勝てる。私も「不惜身命」で戦ってきた。今も戦っている。だから、あらゆる闘争に勝った。不可能を可能にしてきた。
5  青年よ、苦しんで実力を養え
 戸田先生は、青年に対し、こう言われたことがある。
 「若いうちは、むしろ苦しんで、さまざまな体験をし、視野の広い実力を養うことが大切だ」
 「君たち青年部は、生きて生きぬいて、民衆の楽土をつくれ。つまらぬ失敗で、身を滅ぼすようなことがあってはならない」
 苦労は「宝」である。いわんや、広宣流布のための苦労は、すべて、わが生命を荘厳する無上の財宝となる。どんな困難があっても、決して崩されない金剛不壊の生命となっていく。なんと、ありがたいことか。
 学会とともに歩む人生に間違いはない。どのような立場であっても、学会とともに生きぬいていくかぎり、最高の善をなし、最高の人生を生き、最高の福運を積み、最高の正義の道を歩んでいけるのである。

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