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日蓮大聖人・池田大作

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代表幹部研修会(3) 民衆の時代へ君よ「正義」の旗を振れ

2005.8.15 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  今こそリーダー革命を
 「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり
 心に刻むべき有名な御聖訓である。リーダーが勇気をもって打って出るのだ。勇気は勇気を呼ぶ。一波が万波となって、怒濡のごとく、勝利の大波がわき起こる。大事なことは、まず、リーダー自身が人間革命することである。きょうも前へ! 明日も前へ! 何があっても前へ! それに徹した人だけが、張ればれと、自分自身の栄光のゴールに到達できるのである。
 ナイチンゲールは喝破した。
 「進歩のない組織でもちこたえたものはない」(湯槇ます監修司『ナイチンゲール著作集』2、編訳者代表・樽井坦子、現代社)
 彼女自身、よき看護師を育成するために、組織改革に情熱を注いだ。進歩のない組織では勝てない。それでは、もたない。滅びていく。組織が滅びるのは、人間が滅びるからである。団体も、人も、つねに進歩してこそ、激動の社会を勝ち越えていける。今こそ、リーダー革命を起こしてまいりたい。
2  諸葛孔明は重臣に厳しかった
 『三国志』の名宰相・諸葛孔明の英知に学びたい。戸田先生は孔明のことを高く評価されていた。私は先生の言われたことを書きとめておいた。一つ一つが、勝利の鍵であり、未来への戒めであった。孔明は、リーダーは皆と苦楽をともにせよ、わが子のごとく大切にするのだと教えている。堕落したリーダーには厳しかった。
 味方を大混乱させた重臣のことを、次のように指摘している。″絶対に、こんな人間になってはいけない″という例といえよう。
 「〔己の〕家の繁栄だけを考え、少しばかりの利益を計り、立身出世による名誉や名声を求めるだけ」「身に過ぎた恩恵を賜りながら、忠義を尽して報恩することなどは考えず、〔それどころか〕身勝手ないつわりは限りがなく」「人を導いては邪悪なことに誘い込む」
 孔明は、このまま放って、おけば、「必ずや将来わざわいと破滅をもたらす」と警告し、徹底して糾弾したのである。また、みずからの才にうぬぼれ、文句ばかり言う将軍を、こう弾劾した。
 「何もしないくせに自分ではいばって偉そうに構え」「城門を開いて敵にあけ渡し〔そのまま逃げ帰り]」「職務に暗くていいかげん」
 さらに孔明は、憤りを込めて、″この男は先帝(劉備玄徳)の悪口を言った″と記している。
 (孔明の言葉は中林史朗『諸葛孔明語録』明徳出版社から。また加地伸行編『諸葛孔明の世界』新人物往来社などを参照)
 学会でも、大恩ある戸田先生を裏切り、先生の悪口を言う人間がいた。私は断固、戦った。
 ドイツの哲学者カントは、親切な人の恩に背くことを「最高に嫌うべき悪徳」(『カント全集』11、樽井正義・池尾恭一訳、岩波書店)と述べている。
 恩知らずで、インチキで、しかも威張る。こんな人間がいたら、皆が迷惑する。断じて戒めていかねばならない。いよいよ全力を挙げて青年部を伸ばしたい。新しい時代を切り開く力あるリーダーが陸続と躍り出ることを、私は祈り、待っている。
 孔明は、「賞罰」に厳格であった。『三国志』には、こう記されている。
 「孔明の賞(功労を讃えること)は、遠くの者でも漏れることはなかった。孔明の罰(悪事を罰すること)は、近くの者でも手加減がなかった。爵位(高い位)は、功績のない者には決して与えられなかった。刑罰は、身分が高くても断じて逃れることが許されなかった」(『蜀裔書』張伝)
 賞罰を厳格に。これが学会の伝統である。戸田先生も、そうだつた。現実に広宣流布を進めた人に光を当て、心から讃える。逆に、堕落して悪事を働く人間は、峻厳に正していく。この毅然たる姿勢を貫いてきた。学会は、同志を守り、同志が勝つための組織なのである。
3  弟子の道を貴かれた日興上人
 日蓮大聖人が御入滅される五日前のことである。弘安五年(一二八二年)十月八日、大聖人は、門下のなかから、日興上人をはじめ六人を選び、本弟子と定められた。「六老僧」である。信徒は散在していた。大聖人は、御自身の亡きあとを展望され、各地の責任者を定められた。
 当時三十七歳の日興上人は静岡・富士方面と山梨の門下を指導し、広宣流布を進めていかれた。
 大聖人は「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と仰せである。
 リーダーが使命の天地で立ち上がり、全責住をもって、広宣流布を進めていく。大聖人の時代も、そうであった。創価学会も、これと同じ方程式にのっとってきたのである。
 しかし、日興上人を除く「五老僧」は、大聖人の期待を裏切り、退転した。大聖人から法門の一切を受け継がれた日興上人から離れていったのである。五老僧は、大聖人の墓所の守護にあたる輪番制も守らず、大聖人の一周忌法要にも参加しなかった。末法の御本仏である日蓮大聖人の弟子でありながら、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」「天台の弟子」と名乗った。
 五老僧は、いわば当時の「最高幹部」である。それが、大聖人の御精神に、ことごとく背いていったのである。人間の心とは、一面、恐ろしいものだ。五老僧は師匠をないがしろにした。慢心であり、我見であり、虚栄であった。日興上人への嫉妬もあった。学会を裏切り、退転・反逆した人間も、本質は五老僧と同じであった。″自分が偉くなりたい″″名声を得たい″という卑しい心であった。
 日興上人は仰せである。
 「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733㌻、通解)
 「日蓮聖人に背いた師たちを捨てないことが、かえって罪になるという法門である」(編年体御書1734㌻、通解)
 日興上人は、決然と立ち上がられる。正義と邪義を、徹底的に、明確にしていかれた。
4  大聖人は、庶民にもわかるように仮名交じりで御手紙を書かれた。それを、日興上人は「御書」として最大に尊重し、学んでいかれた。これに対し、五老僧は「先師の恥辱」といって焼いたりしたのである。五老僧は、数々の謗法を犯した。
 日興上人は、立正安国のために謗法を断てと厳命された大聖人の御精神を貫き通された。日興上人は、「弟子分本尊目録(弟子分帳ごに、師匠を裏切った人間の名を挙げて、「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(日蓮大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と記し、後世に残されている。
 現代における五老僧の末流が、日顕宗である。日興上人が五老僧と徹して戦われたごとく、学会も、大聖人に師敵対した日顕宗を、厳しく破折し、打ち破ってきた。
 仏法は峻厳である。今や日顕宗は、信徒が激減し、大敗北。極悪の所行が断罪されている。一方、創価学会は、世界百九十カ国・地域へと大発展している。私の五十八周年の入信の日である今年の八月二十四日を記念して、ブラジルで特別顕彰が行われるとの連絡もいただいた。(=南マットグロッソ州のポンタ・ポラン市から八月二十四日、名誉会長夫妻に特別顕彰が贈られた)
 世界中で、創価の人間主義に対する顕彰が相次いでいる。すべて同志の皆さまへの信頼と賞讃の証にほかならない。広宣流布の魂は、師弟である。立つべき時に立つことだ。悔いを残してはならない。今こそ「正義の旗」を振る時である。ともどもに民衆の時代を開いてまいりたい。
 (長野研修道場)

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