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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年幹部特別研修会(6) 法華経の兵法で勝て!

2005.8.12 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  剣豪・宮本武蔵――スピードと勢い、捨て身で勝利
 戦いは「勢い」があるほうが勝つ。戦いは「団結」したほうが勝つ。
 そして、戦いは「断じて勝つ」と決めたほうが勝つ。「勝つ」ことへの執念。それを極限まで貫き通した闘士に、剣豪・宮本武蔵がいる。
 十三歳で初めて勝って以来、佐々木小次郎ら強豪たちと六十回以上も試合を重ね、一度も負けなかったという。
 宮本武蔵と言えば、私は、小学生時代を思い出す。担任の檜山浩平先生が、授業の合聞に読み聞かせてくださったのが、吉川英治氏の小説『宮本武蔵』だったのである。駆ける武蔵。剣を振るう小次郎――血湧き肉躍る物語は、若き日の忘れ得ぬ一書となった。
 この名作『宮本武蔵』では、武蔵が初めて二刀流で戦った時のことが描かれている。ある名門道場の精鋭七十余人に対し、武蔵一人が勝負を挑んだ時のこと。圧倒的な劣勢を勝ちぬくため、武蔵は積極果敢な戦法をとる。それは、敏速かつダイナミックに動き続けることによって、敵の集団を分散させ、つねに少数の敵とだけ対面すればいい、という形勢を確保することであった。
 スピードと勢いで、武蔵は逆転勝利の活路を見いだしたのである。
 武蔵は、無我夢中で戦った。捨て身の覚倍で戦った。次から次へと襲いかかる敵に、阿修羅のごとく挑んでいった。この真剣勝負の戦いの真っただ中で、無意識のうちにとった技――それが、二刀流であった。
 吉川英治氏は洞察している。
 「無我無思のうちに全能の人間力が、より以上の必要に迫られた結果、常には習慣で忘れていた左の手の能力を、われともなく、極度にまで有用に働かすことを、必然に呼びおこされていた」(『宮本武蔵』4、講談社)
 この二刀流は、ご存じのとおり、武蔵の最強の剣法となった。
 だれもが自分の中に、思いもよらない力をもっている。無限の可能性を秘めている。それを引き出すカギは何か。それは、必死の一念である。どんなに優位を誇っていても、「勝つのが当たり前」という散慢な一念があれば、結局は惨めに敗れてしまう。見た目は、勝つかどうかわからない、不安定なようであっても、死に物狂いで戦えば、そのほうが強いのである。
 いわんや、われらには、信心がある。法華経に勝る兵法はない。祈れば、智慧が出る。勇気がわく。もう一重、深い次元で勝っていけるのである。進軍ラッパを高らかに鳴らしながら、声を大にして正義を叫びながら、にぎやかに進むのだ。攻める力を! 攻める声を! それがあるところ、必ずや勝利の旗は翻る。
2  先手で攻めよ! 大事なのは勝つこと
 宮本武蔵が兵法の奥義を記した『五輪書』には、こうあった。(以下、訟延市次・松井健二監修『決定版 宮本武蔵全書』〈宮下和夫編集、弓立社〉から引用・参照)
 「自分の体を強く真っすぐにし」「相手を従わせることが大切」
 敵に振り回されるな。むしろ、敵を振り回していけ、と武蔵は教えている。何があろうと、たじろいではならない。強く、また強く、進むのだ。また、「太刀の構え」だけを重視したり、先例に頼るだけでは勝てない――そう武蔵は言う。現実は時々刻々と変化する。大事なのは、臨機応変に勝つことだ。
 武蔵は「何事もこちらから先手先手と心がけることが大事」とも述べている。
 そして、こう記した。
 「剣術の正道とは、敵と闘って勝つことであり、その原則はいささかも変わらない」
 人生の道も、同じである。悪人がいる。苦難がある。それに打ち勝ってこそ、希望の道が大きく開ける。
 日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負をさきとし」、「勝負を以て詮と為し」等と仰せである。
 仏法は、仏と魔の戦いである。魔を打ち破ってこそ、功徳が出る。広宣流布のため、立正安国のために、戦う功徳は無量無辺である。その行動の足跡は、すべて黄金の歴史に変わる。永遠に輝き続ける。
3  一番の苦難の渦中に師弟で構想した「聖教新聞」
 勝利――そのために今、何が大事か。どうしたら、皆が、労少なくして、最高の結果をつかめるか。私はいつも考えている。戸田先生が心に描いた「広宣流布」即「世界平和」の大構想。私は、それを担って、一〇〇パーセント、否、一〇〇〇パーセントの勝利を打ち立ててきたつもりである。
 昭和二十四年(一九四九年)の一月三日、私は戸田先生が経営する日本正学館という出版社で働き始めた。小さく質素な事務所であった。一階は営業などの事務関係、二階は八畳の部屋と、それよりひとまわり小さな部屋が二間続いていた。戸田先生のもとで働ける――私の心は喜びでいっぱいであった。
 しかし、戦後の混乱のあおりを受け、先生の事業は暗礁に乗り上げた。新しく手がけた事業も難航を極めた。債権者たちは先生の自宅まで押しかけた。給料は何カ月も遅配。社員は一人また一人と去っていく。「戸田の馬鹿野郎!」などと、さんざん罵倒する者さえいた。そのなかで、私は一人、矢面に立って、先生をお守りした。すべての戦いが、まるで関ケ原の戦いに一人で乗り込むようだつた。果てしない激闘の日々が続いた。
 戸田先生の事業が悪化するなかで、事態を聞きつけた新聞記者が取材に来ることもあった。ある時、戸田先生と私は、記者と会った。その帰り道、先生は私に語ってくださった。
 「一つの新聞を持っているということは、じつに、すごい力を持つことだ。学会も、新聞を持たなければならない。大作、よく考えておいてくれ」
 先が見えない苦難の渦中にあって、戸田先生は、広宣流布の遠大な未来を展望し、正義の言論を堂々と展開しようとされていたのである。
 後に新聞創刊の機が熟すと、企画会や打ち合わせが何度も開かれた。紙名をどうするか検討したさい、「文化新聞」「創価新聞」「世界新聞」などの案が出た。戸田先生も、「宇宙新聞」という案を出された。まるで、天文学の新聞のようである(笑い)。それくらい、戸田先生の理想は壮大だった。大宇宙の根本法である仏法を、世界中の人々に伝えゆく新聞をつくろう――それが、先生の心意気であった。
 この師の心に応え、創刊以来、私は書きに書いた。幹部の人物紹介、歴史上の人物の生き方を論じた一文、デマや誤報を打ち破る論陣――同志を励ますため、正義を打ち立てるため、縦横無尽に筆を執った。聖教にかける思いは、今も寸分も変わらない。「聖教新聞」は永遠に「広宣流布の原動力」である。
 健気に奮闘する友が、安心して、喜びに満ちて前進できるように。堂々と、希望をもって戦えるように――そのための「聖教新聞」である。一人でも多く、友の心を鼓舞しようと、私は絶え間なく執筆し、スピーチを続けている。
 ともあれ、激励すれば、相手の心は動く。心が動けば、体も動く。生命のエンジンが回転していく。大変な戦いも、勝ち進んでいける。人生に勝利していける。リーダーは、誠実に、心を込めて、同志を讃えることだ。激励の風を送り続けることだ。そこに徹した分、広布は勢いを増して前進していく。
 今回の研修会では群馬の皆さんに大変に、お世話になっている。あらためて、心から御礼申し上げたい。広宣流布のため、地道に戦ってこられた功労者の方々を、私は最大に賞讃したい。そうした人を見つけ出し、何かしてさしあげたい。感謝を伝えたい。それが、私のいつわらざる気持ちである。
 反対に、広宣流布の団体に傷をつける人間は、許してはならない。皆に支えてもらっているのに、それを当然と思い、自分は偉いと錯覚する。魔に食い破られ、信心を失っていく――そういう愚かな人生であってはならない。
 先頭に立て! 先駆を切れ! それが真のリーダーである。
 自分自身のために、同志のために、広宣流布の勝利のために、一緒に戦おう!
 (群馬多宝研修道場)

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