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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年幹部特別研修会(5) 難攻不落の人材城を

2005.8.12 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  人の何倍も苦労せよ
 人材は、どうしたら育っか。実践のなかで鍛えることである。
 戸田先生が第二代会長になり、希望あふれる前進が始まった昭和二十六年(一九五一年)。九月に、私は、埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」担当者に任命された。今でこそ埼玉は東京から近いが、当時は交通の便が悪く、とても遠かった。指導者は、人の何倍も苦労せよ――戸田先生の厳愛であった。先生は言われた。
 「ただ講義すればいいというものではないぞ。皆に信心のくさびを打ってくるんだ!」
 「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」
 時間をこじ開けては、川越に通った。足かけ三年、御書講義に大情熱を注いだ。「無数の地涌の菩薩よ、躍り出よ!」と祈りながら。師の心をわが心として、広宣流布の戦野に打って出るならば、必ずや、勝利と前進の歴史を残すことができる。
 あれから半世紀。今、埼玉の天地で、広布と社会の英雄たちが、敢然と立ち上がった。あの風情ある川越の街並みも、大きな脚光を浴びている。私はうれしく、また、懐かしく見つめている。今年十一月には、希望と勝利の法城である新「川越文化会館」が完成するとうかがった。心から祝福申し上げたい。
2  広布へ戦う尊き同志をほめ讃えよ
 日蓮大聖人は、人の心の機微を、次のように教えられている。
 「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである」(御書1359㌻、通解)
 リーダーは、これまでよりも、もっと、広布へ戦う尊き同志を、ほめなくてはいけない。私も、頑張っている同志を、毎日、心から、ほめ讃えている。せっかく頑張っているのを、ほめもせず、ただ「戦え」と言うのでは、いやになってしまう。厳しいばかりでは、皆、逃げてしまう。ほめて、ほめて、ほめまくる――この「革命」を起こしてまいりたい。ほめるのが七割、厳しく言うのは、ほんの少々というくらいでいいのである。
 先輩の皆さんは、幾多の激戦をくぐり抜けてきただけに、皆を叱咤するのが″習性″になっている場合がある(笑い)
 服についたソースの染みのように、くっついて離れない。しかし、そのままではいけない。今、後輩たちも、どんどん成長している。その分、自分は年をとっている(笑い)。皆のほうがいろんなことをよく知っている場合も多い。いつも同じ話、いつも厳しい話だけ――これではいけない。後輩たちを、どんどん伸ばすのだ。
 そのために大事なポイントが「ほめる」ことなのである。この一点を心していけば、学会は、さらに大きく発展していける。これは、私が言うのではない。大聖人が教えてくださっているのである。
 御書には、″難に負けるようでは仏になれない″と厳然と示されているのと同時に、健気な同志を最大に讃え、ほめる言葉が満ちあふれでいる。温かい励ましが、仏法の世界なのである。
 「常楽我浄」と仰せのとおり、信心をして、楽しくないわけがない。
 広宣流布へ進みゆく皆さまの生命には、最高の大福徳の″勲章″が三世永遠に輝きわたることを確信していただきたい。
3  若き友に学会精神を継承
 ともに語り、ともに行動するなかで、若き友に学会精神を継承させていきたい。
 世間的な見栄や、欲にかられて、信心のことは二の次、三の次な人間もいた。皆さんもご存じのとおりである。学会に出あい、妙法にめぐりあったからこそ、今の自分がある。その恩を忘れない人こそ、人間としての勝利者である。
 「学会のなかで、広宣流布に生きぬく人生が、どんなにすばらしいか」――それを伝えゆくことこそ、子どもに贈る最高の財産である。どこまでも信心根本で進むのだ。そこに勝利の人生が開ける。令法久住の確固たる軌道がある。
4  歴史家トインビー博士が高く評価したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス。彼は、最後の日に、友人を側に呼んで、こう語ったという。
 「あなた方は、私がこの人生の喜劇で、自分の役を最後まで上手く演じたとは思わないか」(スエトニウス『ローマ皇帝伝』上、国原吉之助訳、岩波文庫)
 そして俳優が終幕に述べる口上を付け加えた。
 「この芝居がいくらかでもお気に召したら、どうか拍手喝采を」(同前)
 このアウグストゥスの言葉を、楽聖ベートーヴェンも死の床で語った。
 「諸君、喝采を、喜劇は終わったよ!」と。(『新編ベートーヴェンの手紙』下、小松雄一郎編訳、岩波文庫)
 どうか皆さまも、同志から、三世十方の仏菩薩から、大喝采を送られる偉大な勝利と栄光の歴史を飾っていただきたい。
5  勇敢なる同志の皆さまは、広宣流布の勝利のために、本当によく励んでくださっている。
 各方面の発展はめざましい。「世界の本陣・大東京」は、全同志とともに創立七十五周年の上半期を見事な完勝で飾った。東京、第二総東京、そして山梨の友は、「聖教新聞」の拡大をはじめ、すべての戦いにおいて、本陣の使命と責任を、厳然と果たされている。
 「正義の東海道」は、全国をリードする聖教の拡大を成し遂げてこられた。神奈川も静岡も、折伏そして未来部の育成などで、模範の実績を積み重ねておられる。
 「広布の要・関東」「完勝の関東」は、今年二月の関東総会を機に、最前線の「ブロック」から、威風堂々と上げ潮を起こしてこられた。埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木。広大な地域で昨年より開始された、ブロック中心の家庭訪問運動も、組織のすみずみに、生き生きと歓喜の波を広げている。
 昭和二十八年(一九五三年)の春三月、戸田先生に随行して、栃木の日光を訪れた折のことである。東照宮の近くを通った時、先生が微笑みながら「家康君に『戸田城聖が来たぞ!』とあいさつしてきなさい」と、おっしゃったことが懐かしい。「関八州を制する者は、日本を制す」――との歴史のロマンを、先生は深く偲ばれていた。帰りの車中では、関東・東京・東海道の天地に、崩れぬ平和の牙城をつくりたいと吐露されていた。
 「立派な人間を育て、難攻不落の組織をつくって、日本、否、世界の広布の大拠点を築き上げたいな」「ありとあらゆる戦いの、勝利の原動力にしたいな」と――。
 うれしいことに、今やこの首都圏には、「平和の道」「文化の道」「幸福の道」が大きく広がった。わが同志の尊き健闘を、心から讃え、ねぎらいたい。
6  大聖人にほめられる大闘争を
 かつて戸田先生は、猛暑のなか、会合に集う同志を見て、涙を流しながら「これほど尊い姿はない」とおっしゃっていた。またある時は、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」「この尊い仏子を生命の続くかぎり守ってほしい」と、命をふりしぼるようにして語っておられた。
 ″東海道婦人部の大先輩″というべき四条金吾夫人に、日蓮大聖人は、こうつづられている。
 「一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめ党王・帝釈、日天・月天等にさえ不便ふびんであると思われるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえほめられるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか」(御書1135㌻、通解)
 皆さま方の健気な信心を、大聖人がほめてくださることは間違いない。
 戸田先生は言い残された。
 「御本仏であられる大聖人からほめられる戦いをしなさい。凡夫からほめられることなど、大したことではない。ましてや愚人からほめられることは、第一の恥である。ゆえに、自分の人気のために、あくせくする人間は愚かである。大聖人にほめられる戦いをすればよいのだ」
 初代の牧口先生も、戸田先生も、そして私も、この御文どおりの「御本尊根本」「大聖人直結」で戦ってきた。これが、永遠に変えてはならない学会精神である。
 大聖人は、「蓮盛抄」で、摩訶止観の次の一節を引いておられる。
 「師にあわなければ、邪な智慧が日ごとに増し、生死の迷いは月ごとに甚だしい」(御書153㌻、通解)
 師を得ず、我見に沈んでいては、不幸になるだけである。仏法の深義は、正しき師なくしては得ることができない。
 「富木殿御返事」では、佐渡流罪という大難のさなか、悠然と、こう仰せである。
 「ただ私は生涯にわたり、もとより覚悟の上である。今になって翻ることはないし、その上また恨むことはない。諸の悪人は、また善知識である」(御書962㌻、通解)
 大聖人の直系の私たちも、晴ればれと「覚悟の信心」を貫き通したい。
 「上野殿御返事」では、熱原の法難に屈せず戦う同志を励ましておられる。
 「しばらくの間、苦しいことがあっても、ついには必ず楽しい境涯になるのである」(御書1565㌻、通解)
 信心を持ったわれらの勝利は決まっている。幸福は決まっている。その大確信に燃えて、前進また前進したい。
 (群馬多宝研修道場)

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