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創立75周年幹部特別研修会(1) 平和は創るもの正義を師子吼せよ!

2005.8.12 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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2  トインビー対談から広がった世界の知性との対話
 この夏、トインビー博士と私の対談集(『二十一世紀への対話』。本全集第3巻収録)が、新たに、ヨーロッパでは「セルビア語」で、アジアでは「ラオス語」で発刊されるとうかがった。関係者の皆さまのど尽力に深く感謝申し上げたい。これで、世界二十六言語での出版となる。
 また、この九月に中部で″トインビー展″が開催される予定である。(「『二十一世紀への対話』――トインビー・池田大作展」)
 博士も、どれほど喜んでおられるであろうか。二十世紀を代表する歴史学者であるトインビー博士から、光栄にも、私に招聘の書簡をいただいたのは、昭和四十四年(一九六九年)のことであった。
 (博士はつづった。「あなたの思想や著作に強い関心を持つようになり、英訳の著作や講演集を拝見しました。これは提案ですが、私個人としてあなたをロンドンに御招待し、われわれ二人で、現在、人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」〈一九六九年九月二十三日付〉)
 トインビー博士は、しみじみと述懐されていた。
 ――自分は、これまで、ありとあらゆる学問をしてきたつもりであるが、東洋の仏法、なかんずく、大乗仏法の偉大な「生命論」「生死観」「世界観」「宇宙観」を、ぜひ知りたい。私は、仏法の哲理が、どれほど高度なものであるかを直観的に感ずる。人類の歴史の世界を漫歩するなかで、仏法という山が見えてきた。その最高峰を学びたい、究めたい――。
 そして、その探究の伴侶として、仏法を実践している私を選んでくださったのである。
 少々、恥ずかしいことで、今だから、率直に申し上げるが、当時、私たちの対談を担当してくれた通訳は、仏法用語の理解が不十分で、英語への翻訳も、うまくできなかった。はじめ二人、そして三人の通訳を、お願いして、対話を進めた。しかし、通訳があがってしまい、上手に表現できず、意が通じないで、非常に苦しい思いをした。
 とくに仏法の法理に話題が入ると、どうしても、思うように、トインビー博士に伝わらない。博士も、一生懸命、理解しようとしてくださり、質問を重ねられる。そして、また、お答えするという、もどかしいやりとりが繰り返された。トインビー博士は、まことに思いやりの深い方で、通訳をかばいながら、「イエス、イエス」と応えてくださった。まことに申しわけない、残念な思いであった。対話を終えたあと、また書面で補足を送らせてもいただいた。英語を勉強しておけばよかったと晦いるとともに、練達の通訳を育てることが、どれほど大事かを痛感したものである。
 トインビー博士は対談を終えるに当たり、私に、世界の知性との対話をさらに続けていくように言われた。この三十数年来、その博士の心にお応えして、対話の波を起こしてきた。対話とは、独善ではない。我田引水でもない。時に相容れず、時に相反するものも包み込みながら、新たな価値を創造していくものである。
 戸田先生も指導されていた。
 「これからは、対話の時代になる。人と語るということは、戦うということであり、また結び合うということだ」
 創価のわれらは、「対話の時代」の先頭に立っている。大いなる誇りをもって進んでいただきたい。
3  宗教者ならば「世界を改善する」努力を
 現在、私は、アメリカの宗教研究の第一人者である、ハーバード大学教授のハービー・コックス博士と、対談集の発刊に向けて準備を進めている。(=『二十一世紀の平和と宗教を語る』と題し、二〇〇八年八月に潮出版社から発刊)
 コックス教授は、かつて、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士とともに戦った人権の闘士である。
 今回、教授より、「人類が直面する課題に、宗教は、いかなる英知の光を当てることができるか」「社会における宗教・精神界の役割は、どうあるべきか」などについて、ぜひ語り合いたいとのことで、対談を開始する運びとなった。対談では、キング博士との思い出をはじめ、現代世界における「宗教間・文明間の対話」、「平和」と「核」の問題など、さまざまな角度から、論じ合っていく予定である。
 コックス教授は、宗教が社会の改革に果たす役割に、大きな期待を寄せられている。宗教が政治に参加することの意義について、教授は、こう述べておられた。
 「宗教者が、全体主義や国家主義の社会において政治に参加するのは、危険なことです。むしろ、外に身を置いて、それに反対すべきでしょう。しかし、民主主義の社会にあっては、宗教者が政治に参加しないほうが、危険であります。政治への参加は、宗教者としての責務なのです」
 コックス教授は、かつて私に、キング博士の思い出とともに、創価学会への期待を次のように語っておられた。
 「キングは宗教者でしたが、その信仰は個人の内面にとどまるものではなかった。内面から発して、『世界を改善する』努力を重ねたのです。『正義の社会』『平和の社会』、そして『各人種が互いに調和しあえる社会』――ここに彼の目標がありました」
 「創価学会が根幹としている仏法の思想は、キングがそのために生き、そのために死んだ『理想』と、軌を一にしています」
 現実に、人間を変え、社会を変え、世界をよりよく変えていく。そこに宗教の魂がある。
 幾多の哲人が目指した理想を、われらが今、実現しているのである。

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