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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(7) つねに先陣! それがわが青春の誇り

2005.8.4 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  広布即健康の大闘争を
 この秋は、創価学会創立七十五周年。いよいよ歴史的な大闘争が始まった。威風堂々と進みたい。
 自身のために! 社会のために! 三世永遠の幸福のために!――。
 暑いので、どうか健康第一でお願いしたい。
 御聖訓に「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と仰せである。
 信心強き人は、若々しい。広布へ戦えば、健康になる。
 戸田先生は、信心をしている以上、目も輝き、顔色もよく、何ともいえない風格と深い魅力がなければ、本当に信心をしている姿とはいえない、と厳しくおっしゃっていた。
 実際、ぼーっとした顔で先生の前に出ようものなら、「何だ! 敗北者みたいな顔をするな!」と一喝された。
 立派なことを言うのが仏法なのではない。もっと身近なところ、細かいところに、仏法はあらわれるものだ。生き生きと、悔いなく、一日一日を勝利してまいりたい。
2  「私は勝った!」と見事な実証を
 戸田先生は言われた。
 「職場の『長』は、みずから、もっとも早く出動すべきである。それでこそ、部下も責任を感じ、職場の″鬼″となる。仕事という戦いも勝利の方向へと決定づけられる」
 私は、戸田先生のもとで働いていた時、つねに″朝一番″に出勤していた。必死で戸田先生を守り、広布に走った日々であった。
 「つねに先陣!」――それが、わが青春の誇りである。
 ともあれ、青年の覇気で、大事業は進む。学会は強くなる。青年部の諸君も、わが職場で、わが組織で「私は勝った!」と胸を張れる見事な実証を示していただきたい。
3  先生は、学会に迷惑をかけた邪悪な人間について、「性根の腐った者は、どこまでいっても始末が悪い」と憤りを込めて言われた。
 極悪とは、断じて戦わねばならない。知恵を尽くして、徹底的に責めぬくことである。
 また、こうも語っておられた。
 「自分の命も大事だが、それよりも、広宣流布に戦っていく人、広宣流布の組織で戦っている人がいちばん大事なのだ」
 そのとおりである。なかんずく、リーダーが同志を大切にする姿勢にいちだんと徹すれば、学会はさらに発展していく。
 戸田先生は、幹部に対しては本当に厳しかった。
 「信心の基本を忘却した幹部ほど哀れなものはない」「見かけは有能に見えても、信心の基本を欠いたら、信心は即座に崩れ去る」
 信心の「基本」とは、言うまでもなく「信・行・学」の実践に尽きる。どこまでも基本に徹して、皆から慕われるリーダーであっていただきたい。
 牧口先生の時代には、軍部政府の弾圧によって、ほとんどの幹部が退転していった。戦後、一人で学会の再建に立ち上がった戸田先生。その時代も、難を恐れ、臆病にも、退転していった人間がいた。
 広宣流布に進む以上、三障四魔が起こるのは当然である。恐ろしいのは、正法を知りながら裏切り、清らかな師弟の世界、異体同心の世界を壊そうとする「破和合僧」の存在である。
 学会員の皆さんは、人がいい。温かい心の持ち主が多い。決して、悪心を持つ輩にだまされたり、広布の団結を乱されてはならない。悪を滅する戦いを忘れてしまえば、善は生じない。これが仏法の原理である。
 学会では、「現実に戦っている人」を最大に讃えるのである。
4  釈尊は「破和合僧」を厳しく戒めた
 仏典には、仏道修行者の集まりを破壊する動きへの戒めが説かれている。そのいくつかを紹介しておきたい。
 初期の仏教教団においても、教団の規模が大きくなると、怠惰、傲慢、嫉妬などにとらわれ、悪事を犯し、その悪事を隠す者が増えたようだ。ある長老は、そうした様子を次のように語った。
 「会議(sangha)に際しては、たとい徳がなくとも、巧みにいいまくる饒舌無学の輩が有力となるであろう」「会議に際しては、たとい徳がそなわり、恥を知り、欲念のない人々が、道理に従って陳述しても、力が弱いだろう」(『原始仏教の成立』、『中村元選集〔決定版〕』14所収、春秋社)
 また、堕落した者の特徴として、″師の言葉をないがしろにする″点があげられている。(「たがいに相敬うことなく、あたかも荒れ馬が馭者に対するがごとく、師の言に注意することがないだろう」〈同前〉)
 和合僧を分裂させようとし、諌められたにもかかわらず、その企てを捨てなかった者や、首謀者を助けた者たちには、厳しい処罰が科せられた。皆の前で、みずから犯した罪を白状し悔い改めることを誓う。謹慎生活や「別住」を課される、等の罰である。(『平川彰著作集』11、春秋社、参照)
 「和合僧を破す者は一劫、地獄にて煮らる」(『南伝大蔵経』22、大正新脩大蔵経刊行会)とも説かれている。間断なき苦しみの生命となる。
 反逆者の提婆達多が釈尊の教団を破壊しようとしたとき、その動きを助けた者たちは、「分派の加担者」「破和合僧の随順者」等と厳しく戒められた。(前掲著作集14、参照)
 また、戒律を破った罪のある比丘(男性の出家)は、比丘が全員出席する集まりに参加することを禁じられた。出席を禁じられた者のなかには、「破和合僧」を犯した者も、「破和合僧」を企んだ者も含まれる。罪のある比丘が自身の罪を隠して出席した場合、他の比丘には、その比丘の出席をさえぎる権利があった。もし、戒を犯した者が入り込んだ場合、その集まりで決定されたことは無効になった。(同前)
 釈尊が厳しく戒めた罪に、「両舌」がある。「二枚舌」のことである。告げ口などによって人々の間を裂き、離れさせ、争わせるので、「離間語りけんご」とも言う。″不和を助長し、不和を楽しみ、不和を喜ぶ″卑劣な人間であり、″和合の破壊者″である。(前掲『南伝大蔵経』42、前掲著作集16、参照)
 釈尊は、「愚人よ、汝らは、なぜ争いを起こすのか」(前掲『南伝大蔵経』2、参照)と呵責し、離間語を罰した。
 創価の世界は、仏子の集いであり、善の力の「結合」である。心と心を「和合させる言葉」を生み出す人々の集まりである。断じて、「分断」の動きに食い破られてはならない。
 日蓮大聖人の時代に、優れた弟子であったにもかかわらず、退転した三位房という弟子がいた。
 大聖人はその不幸な死を書き記し、「鏡のために申す」――後世のために言っておく、とつづられている。
 私たちの広布の歴史もまた、正義と極悪との戦いの真実を、厳格に刻みゆく。わが学会は、どこまでも真剣な祈りを根本に、ともに励ましあい、永遠の和合僧団として前進してまいりたい。
5  後継の青年を鍛え育てよう
 アメリカ創価大学は、この八月、新たに五期生を迎える。世界各国から、情熱あふれる英才たちが、勇んで集ってくる。創立者として、これほどうれしいことはない。
 アメリカ創価大学の開学は、二〇〇一年五月。開学十周年をめざし、さらなる施設の充実が検討されている。「平和の指導者」を育成する最高学府の建設を、全力で応援してまいりたい。
 少子化の時代である。大学をはじめ、あらゆる団体が生き残りをかけて必死である。若い人材の育成に全力をあげている。
 私たちにとって、未来部の友は、将来の学会を担い、世界の平和を担いゆく大切な「宝」の存在だ。全員が、尊き使命を持っている。
 学校の先生もそうだろうが、子どもたちを育てる上で大切なのは、大人自身の人間性である。魅力である。
 「教員は学生のしもべであれ」と言われる。ますます「教員の質」や「学生へのサービス」が問われている時代だ。
 まず大人が成長!――これを心に刻まなければならない。
 そして若き友の努力を讃え、よい点を見つけ、ほめて伸ばすことだ。時には「漫才」をするようなつもりで皆を楽しませながら(笑い)、また、深き「哲学者」として大確信を語り、ながら、正義の心、正しい価値観を教えていくことだ。心から信頼される存在となっていくことである。
 私も、小学校時代の恩師のことを今でも覚えている。子どもは、大人の温かな振る舞いを忘れないものだ。若き日の励ましは、一生の宝の思い出となろう。
 大切なのは、魂と魂のふれあいである。心に理想の火を点すのだ。
 後継の青年を、今こそ鍛え、育ててまいりたい。
 (長野研修道場)

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