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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(4) 青春の闘争が「人間」をつくる

2005.8.2 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  厳しかった戸田先生の訓練
 ドイツの大詩人シラーといえば、皆さんもご存じであろう。
 私は若き日に、シラーの作品を愛読した。多くの詩を覚えた。そのことをご存じだった戸田先生が、突然、「シラーの詩を暗誦してみなさい」と私に言われたこともあった。
 先生は、さまざまな形で、つねに私を訓練してくださった。本当に厳しい先生であった。大学者の先生であった。
 私は戸田先生の経営する出版社で、雑誌「冒険少年」の編集長を務めた。後に「少年日本」と改題してからも、全力で内容の充実に努めた。
 原稿の依頼などのために、多くの作家と語りあう機会があった。少年少女のために、少しでも、いい雑誌をつくりたい――そうした思いから話に熱が入り、話し込んでしまうこともあった。
 仕事を終え、急いで会社に戻ってくると、戸田先生が時計をにらんで、じっと待っておられる。
 「遅いじゃないか!遊んできたのか!」
 こう厳しく叱られたこともあった。
 また、依頼していた原稿を作家から受け取り、帰ってきた時のことである。
 戸田先生から、「原稿の内容が、どんなものか言ってみなさい」と言われ、私は本当に困った。原稿を受け取るのが精っぱいで、とてもそれに目を通す余裕はなかったのである。冷や汗をかく思いであった。
2  戸田先生は、じつに厳格であられた。ある意味では、戸田先生は怖かった。つらいと思う時もあった。
 しかし、究極的には、師のもとで戦える生命の喜びがあった。楽しかった。私にとっては、真剣な修行の毎日であった。
 偉大な人間をつくるためには、厳格な修行をさせないといけない――戸田先生は、このことを知悉しておられたのであろう。私は万事にわたって、一分の隙もなく、訓練していただいた。
 戸田先生のもとで最高の訓練を受けられたことを、私は、心から感謝している。青春時代の薫陶があったからこそ、今の私がある。そう自負している。
 もちろん、今と昔では時代も違う。しかし、最極の人間性の世界である学会の中で、指導を受け、自身を磨けることが、どれほどすばらしいことか。
 恵まれた時代だからこそ、とくに青年は、求めて訓練を受けていってほしいのである。
 シラーの戯曲の中に、こういう言葉があった。
 「まずいことは上のほうに原因があるのだ」(『ヴァレンシュタイン』濱川祥伎訳、岩波文庫)
 リーダーの責任は重い。リーダーの成長で、組織の発展も決まる。だからこそ、全リーダーが深き決意に立ち、新たな勝利の歴史を築く大前進を開始してまいりたい。
3  仏法を破るのは内部から
 ここで、御聖訓を拝したい。
 日蓮大聖人は、「南条兵衛七郎殿御書」で仰せである。
 「大悪魔は、貴い僧となり、あるいは父母や兄弟などについて、人々の成仏の障りとなるのである。どのように言ってきても、『法華経を捨てよ』と欺こうとするのを用いてはならない」(御書1497㌻、通解)
 魔の働きは、貴い姿をした僧や父母・兄弟等の生命に入って、法華経を信じる者を退転させようとする。その方程式は、今でも変わらない。魔は巧妙な手段を使って、成仏をさまたげる。
 ″信心をやめろ″広宣流布をやめろ″――そういう声に、絶対に、たぶらかされてはならない。
 妙法を弘める学会から離れて、真の信心を失えば、功徳があるわけがない。不幸の坂を落ちるだけである。その厳しき事実は、皆さまが、よくご存じのとおりだ。
 簡潔な御文であるが、重大な誠めである。戸田先生も、よく語っておられた。
 また「佐渡御書」には、「外道や悪人は如来が説いた正法を破ることはできない。仏弟子らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』といわれるとおりである。大果報の人を、他の敵は破ることができない。親しい者が破るのである」(御書957㌻、通解)と述べておられる。
 仏法は、外からではなく、内部から破壊されるとの厳しき仰せである。よくよく思索していただきたい。
 さらに「兄弟抄」には、こう仰せである。
 「法華経を信じる人が恐れるべきものは、賊人、強盗、夜討ち、虎狼、師子等よりも、現在の蒙古の襲来よりも、法華経の行者を悩ます人々である」(御書1081㌻、通解)
 仏意仏勅の団体である学会の前進を阻み、同志を苦しめる人間は、どんな悪人よりも、さらに悪い。こうした輩とは、断じて戦うことだ。徹底して破折することだ。
 敵に対しては、「一」言われたら「十」言い返す。否、「百」言い返す。正義の怒りをもって、言いきり、責めぬくことが大切である。
 だれよりも、リーダーが真剣でなければならない。そうでなければ、魔にやられてしまう。
4  学会の会合は「励まし」と「和楽」の集い
 いくつか御書を拝したい。
 大聖人は「法華行者逢難事」で門下に対して、「このような末法の濁った世にあっては、たがいにつねに語りあって、いつも後世を願っていきなさい」(御書965㌻、通解)と仰せである。
 「寺泊御書」では、「信心の志のある人たちは、また一つの場所に集まって、この手紙を読むのをお聞きなさい」(御書951㌻、通解)と述べておられる。
 ともに大難の渦中の御手紙である。
 同志の連帯、励ましあいが、どれほど大切か。和気あいあいと会合に集い、御書を学ぶ。広宣流布の精神を学ぶ。すべて、大聖人の仰せのとおりの実践なのである。
 大聖人は悪知識について、次のように記しておられる。
 「顕謗法抄」では、「悪象のために殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に至らないが、悪友(悪知識のために殺された場合、三悪道に至る」との涅槃経の文を示され、「後世を願う人は、一切の悪縁よりは悪知識を恐れるべきである」(御書452㌻、通解)と仰せである。
 「唱法華題目抄」でも、「国を滅ぼし、人を悪道に堕とすものは、悪知識に過ぎるものはない」(御書8㌻、通解)と述べておられる。
 また、外見は、いい格好をしながら、名利をむさぼり、学会を食いものにしようとする卑劣な人間もいる。そうした悪人に、だまされてはならない。
 さらに「南部六郎殿御書」では、「もし正法を誹謗する者であるならば、ともに住んではならない。また、親しみ近づいてはならない。もし親しみ近づき、ともに住するならば、阿鼻地獄にいくことになるだろう」(御書1374㌻、通解)との経文を引かれ、正法誹謗の者に親しみ近づくと地獄に堕ちる、と厳しく誠められている。
 仏法は厳しい。悪と妥協すれば、ともに不幸の道へと堕ちてしまう。だからこそ仏法破壊の悪とは断じて戦え、と大聖人は教えておられるのである。
5  トインビー博士″宗教が人類の可能性を開く″
 イギリスの歴史家トインビー博士との語らいは、私にとって忘れ得ぬ思い出である。
 博士は、世界宗教の重要性について、こう語っておられた。
 「われわれは、あらゆる人間の目を開かせ、そこから人間が全人類を包含する社会の一員であり、人類が全宇宙的な生命体の一部であるという自覚をもたせるような、世界的宗教を必要としています」(『二十一世紀への対話』。本全集第3巻収録)
 日本の雑誌で紹介された講演の中では、人類に、無限の可能性を授ける宗教の役割について論じておられる。(月刊誌「自由」一九六八年一月号、参照)
 博士がとりわけ注目しておられたのが、東洋思想の精髄というべき仏教であった。
 博士は、仏教を現代に展開する創価学会の活動に注目していた。そして、私との対談を希望し、書簡を寄せてくださったのである。博士は健康の問題もあり、日本への訪問はむずかしい状況だった。そこで博士の招待を受け、私がロンドンにうかがうことになった。
 ロンドンにある博士のご自宅では、ご夫妻が最大に歓迎してくださった。そして、ご自宅の中を、ていねいに案内してくださった。
 一流の大学者であるにもかかわらず、傲慢さや偉ぶる様子など微塵もない。息子ほど年の離れた私に対して、本当に温かく、真摯に接してくださった。偉大な博士であった。
 博士は語っておられた。
 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです。
 そして、この心の変革も、困難な新しい理想を実践に移すに必要な意志の力を生み出すためには、どうしても宗教によって啓発されたものでなければならないのです」(前掲『二十一世紀への対話』)
 博士が注目し、期待を寄せた創価の大民衆運動は今、大きな潮流となって地球を包んでいる。人類の希望として、世界の識者が賞讃している。
 私たちは深き誇りを胸に、この「人間主義の大道」「幸福の大道」を歩みぬいてまいりたい。
 (長野研修道場)

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