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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 学会は永遠に「人材の城」で勝つ

2005.7.20 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  後輩を自分以上の人材に! それが学会の伝統
 「学会は人材をもって城となす」
 これが戸田先生の永遠の指針であった。
 昭和二十九年(一九五四年)の四月、私は、戸田先生にお供して、仙台の青葉城址を訪れた。
 当時、私は、いつも戸田先生のおそばにいた。先生のご指導をひとことも聴き漏らさず、命に刻もうと必死であった。
 いかにして、戸田先生のご構想を実現していけばいいのか。
 どうすれば、戸田先生と「不二」の心で進んでいけるのか。
 若き私は、それを真剣に悩み、祈りながら、わが使命の道を懸命に切り開いていた。
 青葉城址には、有名な伊達政宗の像がある。その像に向かって、「伊達君、元気か!」と呵々大笑されていた先生。
 このとき、戸田先生は、堅固な石垣が残る青葉城址に立ち、厳として、こう言われた。
 「かつての日本は、城をもって戦った。学会は永遠に人材の城でいこう。学会は人材をもって城となすのだ」と。今も、その声が耳朶に響いて離れない。
 大事なのは、人材である。人材の城を築いたところが、未来永遠に勝ち栄えていく。
 ゆえに先輩は、真心こめて、後輩を育てていくことである。後輩の成長のためなら、喜んで犠牲になるくらいの覚悟で。そして、育ててもらった後輩は、また次の後輩を全力で育てていく。このようにして築かれる人材城は、永遠に滅びない。
 反対に、大切な後輩を利用したり、自分が偉くなるための手段にするようなところは、絶対に伸びない。一時は栄えているように見えても、最後は必ず滅びていくものだ。
 伸びている組織、伸びている団体は、濁りのない誠実な心で人材を育成し、立派な人格をもって人材を触発しているところである。
 そして正邪の基準をしっかりと持ち、明快に教えているところである。
 先輩は後輩を自分以上の人材に育てていく――これが、牧口先生、戸田先生以来の学会の伝統である。私もまた、人材育成を一切の根本に置いて、広宣流布の指揮を執ってきた。戸田先生の指導のとおりにやってきた。だからこそ、学会は、世界的に賞讃される「黄金の人材城」とそびえ立っているのである。
 学会は永遠に「人材の城」で勝ち進んでまいりたい。
2  陰で戦う人を讃えよ
 創価学会は、広宣流布の団体である。「人類の幸福」のため、「世界の平和」のために、仏意仏勅の学会はあるのだ。
 この尊き使命に立って、真面目に信心を貫いている人は、必ず諸天善神から護られる。たとえ、だれからも注目されていないようでも、御本尊は知ってくださっている。それを確信していただきたい。
 私は、いつも「陰の人」を見ている。「陰の立場」で、コツコツと広布に戦ってくださっている方々を真剣に見つけ出し、最大に賞讃してさしあげたいという気持ちでいっぱいである。
 「表の人」ばかりに光を当てるのは、大きな間違いだ。「陰の人」を大切にするところが、本当の意味での底力をを発揮していくのである。
3  いつも私は、全国、また全世界から、さまざまな報告をいただいている。なかでも、一生懸命に広布に戦ってこられた方が幸福になることほど、うれしいことはない。
 何が人生の幸福か? 結論から言えば、まっすぐに「創価の人生」を生きぬくことが、最高の幸福である。
 たとえば、裕福な家庭に生まれ、周囲がうらやむような結婚をしても、それが幸福かどうかは、だれにもわからない。一時の状況で、幸不幸は決められない。結局は、自分自身がどうかである。
 立場がどうあれ、また環境がどうなろうとも、揺るがぬ自分自身を築いた人が幸福である。他人ではない。自分である。一人の人間としてどうあるかで決まる。
 何ものにも紛動されない「金剛の自分自身」をつくりあげるのが、信仰の目的である。
4  慶応病院を支えた師弟の誓い
 学会本部のある東京・信濃町の慶応義塾大学病院の淵源について、少々、紹介したい。
 慶応病院の誕生には、福沢諭吉と北里柴三郎の「師弟の歴史」がある。
 近代日本が誇る世界的な細菌学者・北里柴三郎博士(一八五二年〜一九三一年)――。
 博士は、師父と仰いだ福沢諭吉の逝去のさい、次のような弔辞を書いている。(一九〇一年二月)
 「(=福沢)先生の遺業は依然としてわが眼前に存し、先生の遺訓は歴然として余が脳裡にあり。余不敏といえどもまたその遺業を守り、その遺訓を躰し、切瑳研鑽をもって万一の報恩を期せんとす」(砂川幸雄『北里柴三郎の生涯』NTT出版。以下、同書からの引用・参照)
 ご存じのとおり、福沢は慶応義塾の創立者である。
 北里博士がドイツ留学から帰国し、わが国最初の伝染病研究所を創設するさい、全面的に援助したのが福沢であった。福沢は「北里は日本の宝だから」と、一貫して守り支えた。博士は、その恩を報いることを固く誓った。
 師父の死から十数年後、博士は、慶応義塾の大学部の「医学科」創設への協力を依頼され、直ちに立ち上がる。博士は、構想の初めの段階から深く関与した。教授を選んだり、校舎の建築、授業の内容をどうするかなど、細部にわたり、真剣に力を入れた。
 一九一七年、医学科の授業がスタート。二〇年には、医学部と大学病院が開設された。北里博士は、初代の医学部長と病院長に就任。一切の基盤を築いた。さらに、両役職を辞した後も、生涯の最後まで医学部の顧問として尽力した。博士は給料や報酬をまったく受け取らなかったという。すべて、師の大恩に報いるためであったからである。
 師弟に生きる人生は、かくも美しい。時がたつほど、燦然と光り輝く。
5  まっすぐに師弟の大道を歩め
 仏法の根幹は「師弟の精神」にある。
 第二祖日興上人は、第三祖日目上人に対して、こう書き残しておられる。付嘱書である「日興跡条条あとじょうじょうの事」である。
 「日目は十五の歳日興にあいて、法華を信じて以来七十三歳の老体に至るまで敢て違失(=過ち)の義なし」
 五十八年問、まったく過ちがない――日目上人は、まっすぐに師弟の大道を歩みぬかれた。
 大聖人は仰せである。
 「雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができません。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはありません。雪や漆と違って移り変わりやすいものは、人間の心です。善にも悪にも染められるのです。真言宗・禅宗・念仏宗等の邪悪の者に染められてしまうならば、必ず地獄に堕ちます。法華経(御本尊)に染められるならば、必ず仏になることができます」(御書1474㌻、通解)
 人間の心ほど、変わりやすいものはない。わが心を、不幸におとしいれる悪知識に染められてはいけない。
 だからこそ、大聖人は「御信心を、純白な雪のように、また、まじり気のない黒漆のように、純一堅固に持つべきです」(同㌻、通解)と教えられているのである。
 断じて心に油断やスキをつくってはならない。広宣流布ひとすじの心に、永遠の福徳が輝くのである。
 戸田先生は叫ばれた。
 「指導者たる者は、学会本部と呼吸を合わせてもらいたい。私の一念にふれるよう心がけてもらいたい」
 学会は、すべて「師弟不二」で勝ってきた。「不二の心」から一切の前進が始まる。そこに勝利と栄光がある。
 さらに、戸田先生の指導を、いくつか確認しておきたい。
 「経文には和合僧とある。現代でいえば、その教団の発展や進歩のために、組織をもっとも大切にしているのだ。和合僧の組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行なのである」
 広宣流布を遂行する現代の和合僧団は、創価学会以外にない。その広布の道を開く功徳は三世永遠である。だから「戦おう」と言うのである。
 大聖人は、「夜は眠りを断ち昼は暇を止めて」と仰せになっている。不惜身命で正法に生きよと教えておられる。
 広布のための努力は、決して惜しんではならない。そこにこそ真の幸福は築かれるからだ。
 戸田先生は言われた。
 「一年先、三年先、五年先、十年先のことを考えると、今の幹部も大いに成長しなければならない。また後に続く人材も雲霞のごとく輩出しなければならない。私たちがつねに心すべきは、この点である。これが最大の責務である」
 学会の幹部は、みずから成長していく責任がある。もしも、成長もなく、いばるだけの幹部がいれば、皆で厳然と正さなくてはいけない。そして、どんどん青年を伸ばすことだ。そこに、これからの学会の焦点がある。
 また、先生はこのように言われたこともある。
 「″利己主義の小善人″では、改革はできない。悪人を糾したり、追い出すこともできない。正義の人を守るべき時に、頼りにならないだけではなく、非常に邪魔になる。不正義の徒に利用されることすらある」と。
 正しいと信じることを断固、言いきっていくことである。戸田先生は、善悪の判断については、本当に厳しかった。その精神のままに進めば、間違いない。それを実行しないのは、自分のほうが偉いと思って、先生の指導を馬鹿にしているのと同じである。
 「女子部は、一人残らず、幸福になりなさい」――これも、先生は一貫して言われた。
 「皆さんは、若くして妙法を持った女性である。もはや宿命に泣く必要はない。そのためには、純粋な、強い信心に生涯を生きるという条件がなければならない」とも語っておられた。
6  永遠に「会員根本」で進め
 広宣流布の戦いに臨んで、「力はありませんけれども」と言った幹部に対して、戸田先生は烈火のごとく叱られた。なぜ、「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言いきらないのか、と。
 ずるい無責任な幹部がいれば、全体に影響を与える。
 先生は喝破された。
 「組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる」
 じつに厳しく、鋭い師匠であられた。
 逝去の一カ月ほど前、戸田先生は、こう言われた。
 「阿諛諂佞あゆてんねいの輩(口先巧みに詔う、邪な心の人間)は絶対に気をつけろ。組織を乱しゆく者、信心利用の者も、また同じだ」
 尊き会員の皆さま方の奮闘ありて、現在の学会の大発展が築かれた。
 ゆえに、学会のリーダーは、会員のために全力で戦い、尽くす。会員を苦しめる動きは、鋭く責め、断じて打ち砕く。これが、万人が納得する道理であろう。
 創価学会は、永遠に「会員根本」で進む――との精神を確かめあって、「次の五十年」の完壁な土台を、ともに築いていきたい。
7  慢心が精神を腐敗させる
 イギリス・ロマン主義の文人ハズリットは記している。
 「威張る者に向かっては、決して恐れることなく攻撃せよ」(『ハズリyト箴言集』中川誠訳、彩流社)
 また中国の古典『春秋左氏伝』には、「戦いは勇気なり」との言葉がある。
 われらの戦いは、平和と文化の戦いである。どんな人間が立ちはだかろうと、青年は勇気で戦っていくことだ。攻撃精神でいくことだ。
 これが戸田先生の教えであった。私は先生から、戦いの要諦をすべて教えていただいた。それが一切の根本になっている。
 十九世紀フランスの作家ジヨルジュ・サンド。彼女は小説の登場人物に、こう語らせている。
 「人間の精神は慢心へと傾きやすく、慢心は精神を腐敗させる」(『スピリディオン』大野一道訳、藤原書店)
 人間は社会的な地位や名声を得ると、簡単に慢心してしまう。これまでも学会の、おかげで偉くなりながら、傲慢になり、堕落していった人間がいた。
 慢心が信心を壊す。この一点を、よくよく心に刻まねばならない。
 以前も紹介したが、イギリスの歴史家カーライルは記している。
 「虚言を宣伝したとて抑々何の益するところがあろう。その虚言は看破され、破滅的応報がこれに対して課せられる」(『英雄崇拝論』老田三郎訳、岩波文庫)
 嘘を許してはならない。虚言をまきちらす悪人とは、断固、戦っていくことだ。
8  同志の奮闘に最大の感謝を
 日蓮大聖人は、佐渡の門下である遠藤左衛門尉にあてた御手紙で、こう仰せである。
 「日蓮はこのたび、赦免を受け、鎌倉へのぼることになりました」
 「遠藤殿の外護がなければ、私の命は永らえることができたでしょうか。また赦免を受けることができたでしょうか。日蓮の一代の修行の功徳は、ひとえに左衛門殿らのおかげです」
 「この経文(法華経の安楽行品)に照らしてみると、左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましようか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形(印となるもの)を差し上げます。
 一つは未来世へ、お持ちになりなさい。そして霊山で『日蓮、日蓮』と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう」(御書1336㌻、通解)
 遠藤左衛門尉は、佐渡流罪という大難の渦中にあった大聖人を、陰ながら守り支えた人物と推察される。厳しい状況のなか、赤誠を尽くした門下に対して、大聖人は最大の感謝と讃辞を送られているのである。
 この御心を拝し、広布のリーダーである皆さまは、同志の奮闘に心から感謝し、讃嘆できる一人一人であってほしい。
 「すべて皆さまのおかげです」「お忙しいなか、本当にありがとうございます」と真心の礼を尽くしていくことだ。間違っても、傲慢になることがあってはならない。このことを絶対に忘れないでいただきたい。
 また「上野殿御返事」には次のように仰せである。
 「さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、『多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい』と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい」(御書1540㌻、通解)
 大切なのは、敵の正体を見破ることである。味方のふりをして近寄り、退転させようとするような悪人にだまされてはならない。
 そんな人間に対しては、明快に反撃していくことだ。正義を叫びきっていくことだ。
9  一人の未来部員を大切に
 今月二十三日から「未来部躍進月間」がスタートする。(八月三十一日まで)
 連日の猛暑のなか、大切な未来部の育成に全力を注いでくださっているすべての方々に心から感謝したい。
 未来部の成長が、学会の命運を決める。
 少子化が進む時代だからこそ、「一人」が大事である。「一人」を徹底して大切にしていくことである。後継の一人一人が、「一騎当千の人材」に育ってこそ、平和の未来は盤石となるのである。
 そのために私も、教育に全魂を注いできた。未来部の育成に全力で取り組んできた。
 尊き二十一世紀使命会の皆さん、学会の「未来の宝」であり、世界の「希望の太陽」である未来部を、よろしく頼みます!
 未来のすべては、青年の手の中にある。私は、創価の青年の健康と勝利と活躍を心から祈っている。
 社会的にも偉くなってもらいたいし、人間的にも立派になって、周囲の人々を平和へ幸福へと糾合していく存在となってもらいたい。そのような力ある青年が、さらに増えていけば、広宣流布は、いちだんと大きく広がっていく。
 戸田先生は、「青年の時代だ。青年に一切を託す」と言われ、私を中心とした青年部に後継のバトンを渡された。私も今、同じ心で、新しい青年部に学会のすべてを託したい。
10  私たちは、一人一人が「広宣流布の闘士」である。愚痴や文句を言って、戦わなければ、後悔を残すだけである。やった分だけ自分が得をする。これが信心の世界である。
 どうせ戦うならば、学会の歴史に永久に残っていくような、痛快なる栄光の劇を勝ち飾ってまいりたい。
 また、家族が信心していないという方もおられる。しかし、たとえ一人であっても、その一人が信心を貫いていけば、功徳は、一族すべてに、そして子孫末代にまで伝わっていく。そのように、大聖人が御約束なのである。何の心配も必要ない。
 ともあれ、広宣流布に生きる人生ほど、偉大なものはない。
 楽しく有意義な勝利の人生を歩みましょう! 一緒に頑張りましょう!
 お体を大切に。長時間ありがとう!
 (創価文化会館)

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