Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部・海外代表協議会 誠実で勝て! リーダー率先で勝て!

2005.5.31 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
2  全うする人が真の勝利者
 きょうは、広宣流布の重要な責任を担うリーダーの会議であるゆえに、何点か語り残しておきたい。
 信心で大切なのは、「全うすること」である。
 戦いを全うする。自分の立場を全うする。広宣流布の信心を、一生涯、最後まで貫いてこそ本物である。全うしぬいた人が、本当の勝利者である。
 青年部、そして青年部出身のリーダーは、広布の敵と戦いぬく「勇気」と「力」がなければならない。
 三類の強敵と戦えない意気地なしではいけない。弱い青年部になってはならない。青年部が弱くなったら、学会の未来はない。広宣流布を阻む極悪を断じて許さず、徹底して戦い、完全に打ち倒してこそ、正義の指導者である。
 私は青年時代、戸田先生のもとで、厳しい薫陶を受けきった。そして、うるわしい民衆の城を脅かすあらゆる敵と、ただ一人矢面に立って戦いぬいてきた。尊き無名の庶民とともに、今日の世界的な創価学会を築き上げた。
 青年部のリーダーは、そうやって築かれた学会の組織の上に、あぐらをかいていてはいけない。甘えてはいけない。敵とも戦わず、苦労もしないで、いい気でいるような、″格好だけ″のリーダーであってはならない。仏法は因果の理法である。生命の因果は厳しい。自分の行いの報いは、必ず自分が受ける。何よりも、そのようなリーダーであっては、会員の皆さんがかわいそうである。
 広布のために奮闘してくださる同志に心から感謝し、「皆さんに喜んでもらおう」「自分にできることは何でもしよう」「力の限り、希望と励ましを送ろう」と、必死になって戦うことである。
3  あの昭和三十一年(一九五六年)の″大阪の戦い″のとき、私は二十八歳の青年であった。
 勝っか。負けるか。多くの人が、勝利は不可能だと見ていた。
 しかし、戸田先生のため、同志のため、学会の未来のため、絶対に負けるわけにはいかなかった。私は億劫の辛労を尽くし、死にものぐるいで戦った。
 東京と大阪を何度も往復し、何カ月も大阪に滞在した。朝は、早朝から飛び出して、大阪中を走りぬいた。
 夜は、深夜の関西本部で、人知れず丑寅勤行を続けた。毎日、くたくたに疲れ果てたが、大生命力を奮い起こして、一日、また一日と戦いぬいた。
 そうして迎えた決戦の日。早朝の五時過ぎ、関西本部の静かな館内に電話のベルが響いた。受話器を取ると、それは東京の戸田先生からであった。東京は、厳しい情勢であった。
 先生は言われた。
 「大作、関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 この私の答えを、先生は、本当に喜んでくださった。あのときの先生の、心からのうれしそうな声を、今も忘れることができない。
 私は師匠の戸田先生に、人生のすべてを捧げて、尽くしぬいた。創価学会は、師弟の精神が根本である。この魂を、断じて忘れてはならない。
4  戸田先生は言われた。
 「大作が一人いれば大丈夫だな」
 私は、戸田先生とともに、永遠の「師弟の歴史」をつくった。私は幸せだった。戸田先生も幸せだった。
 自分は楽をして、人にやってもらおう――そんな心は微塵もなかった。
 だれがやらなくとも、私は一人戦う――そう決めていた。これが学会精神である。
 苦境の戸田先生をお守りしていた青春時代、私は大田区の大森にある「青葉荘」に住んでいた。アパートの狭い一室である(昭和二十四年五月から三年間)。住民の中には、偏見や無理解から学会の悪口を言う人もいた。しかし私は、戸田先生の弟子として、創価学会の青年の代表として、縁した住民の方々に、堂々と、また誠実に、仏法の正義を語った。その中から、幾人かが入会しておられる。
 ともあれ、青年は「一人立つ」ことである。本気になって立ち上がることである。青年が、本当の底力を発揮すれば、今の五倍、十倍、学会は伸びる。「青年部、よろしく頼む!」と申し上げたい。
5  アメリカで「仏教を信仰する女性」の会議
 先日、アメリカの平和研究機関である「ボストン二十一世紀センター」の所長が、「仏教を信仰する女性――アメリカにおける信仰体験」と題する会議に参加された。
 所長が、会議の内容と所感を報告してくださったので、その一端を紹介させていただきたい。
 会議は、マサチューセッツ州ノーサンプトンにある名門女子大学スミス・カレッジで開催された。これには、アメリカ国内をはじめ、各国の仏教団体からも代表が出席した。席上、各団体が直面している、さまざまな問題点が率直に語りあわれたという。それは、次のような点であった。
 (1) 多くの教団で、異なる人種や文化のグループが断絶してしまい、その溝を埋めることができないという「分離問題」を抱えている。
 (2) 女性信者の尊厳が傷つけられたり、女性の自立を促すような信仰上の指導がなされない場合が見受けられる。
 (3) 家事などに追われて、家庭にこもり、なかなか仏教の教義を学ぶ機会がない女性もいる。
 (4) 東洋と西洋の価値観には隔たりがあり、それを統合する仏教の理論と実践を示すことはむずかしい。
 (5) 対話を通して社会につながっていくことや、次の世代を担う青年を育てることは、多くの教団に、おいて、近年になって着手し始められたところである。
6  その一方で、SGIが先駆的な取り組みをしてきたことに、大きな驚きと感嘆を示す人もいたようである。SGIのいかなる点が評価されるのか。ボストン二十一世紀センターの所長は、次のように指摘しておられる。
 「SGIには、じつに多様なメンバーが集いあい、しかもうるわしい見事な調和がとられている」
 「SGIでは、女性を尊重し、女性の意見に耳をかたむけることが一貫して指導されている。
 そのため女性たちは、安心して信仰に励むことができ、また自立した女性として教学を学び、みずからを成長させて、宿命転換に挑戦していくことができる。組織に、男女の健全なバランスがもたらされている」
 「SGIでは、一九六〇年代の早い段階から、日本から渡米した女性メンバーに対しても、『運転免許を取ること』、そして『アメリカのあらゆる人々に手を差しのべ、社会に貢献していくこと』が指導されてきた。SGIの女性リーダーたちは、文化や民族の枠を超えて、社会のなかで生き生きと力を発揮している」
 「SGIは、幾多の東西の知性との対話や大学講演などを通し、日蓮仏法の普遍性を幅広く示してきた。それを基調として、世界中のSGIのメンバーが、それぞれの文化のなかで仏法を正しく理解し、実践する方法を確立している。SGIは、仏法が本来持っている世界性・普遍性を体現している」
 「SGIでは、青年たちが大切にされ、温かく激励され、伸び伸びと活躍している。人材の流れが続いている」
7  以上、大要をお伝えしたが、こうした点からも、SGIがいかに時代を先取りしてきたかが、よくわかると思う。
 所長も″偉大な団体であるSGIの一員としての喜びと誇りを、あらためて実感しました″と語っておられた。
8  イタリア・トリノから「名誉市民」の栄誉
 きょうは、すばらしい広宣流布の大発展を続けているイタリアの代表も参加されている。遠くから本当によく来てくださった。イタリアは世界の憧れの国である。洋々たる未来が開けている。
 祈りを根本に、どとまでも仲良く進んでいくことだ。皆で力を合わせて、わが身、わが国土に大福運を積んでいっていただきたい。
 本日(五月三十一日)は、光栄にも、イタリアを代表する都市の一つ、トリノ市から、「名誉市民」の栄誉を拝受した。昨年十二月、市議会が満場一致で決議してくださった。
 (=決定通知には、マウロ・マリーノ市議会議長の名で、こう認められている。
 「この決定は、貴殿の数十年にわたる市民の人権擁護の闘争、またそれを通じて、相互理解と恒久平和への堅固な基盤が促進されるよう、民衆間の絆を構築することに貢献された具体的なご尽力に対し、トリノ市と全市民の総意として顕彰するものである」
 岡市の名誉市民称号は日本人初の栄誉。これまでの受章者には、ともにノーベル平和賞受賞者のマンデラ前大統領〈南アフリカ〉、ワレサ前大統領〈ポーランド〉など、SGI会長と交友を結んだ指導者が名を連ねる)
 トリノ市は、人口百万人を有する、イタリア第四の都市である。古代ローマ帝国を起源とする二千年の歴史薫る都であり、現在では、自動車工業の盛んな、ヨーロッパ屈指の産業都市として有名である。発展めざましい日本の名古屋市とも、交流を結んでおられる。このトリノ市では、明年、冬季オリンピックが開催される。大成功を心よりお祈り申し上げたい。
 現在、このトリノ市でも、多くのSGIの同志が活躍されている。私は、誠実に、また勇敢に、信念の社会貢献を貫いてとられた、大切な大切なイタリアSGIの皆さま方とともに、この栄誉を分かち合わせていただきたい。
 帰られたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしく、お伝えください。本当にありがとう!
9  私が、ともに対談集を発刊したローマ・クラブ創立者のアウレリオ・ペッチェイ博士も、トリノ市の出身である。忘れ得ぬ、鋼鉄の信念の人であった。
 博士は、ファシズムと闘ったレジスタンス(抵抗運動)の闘士であった。投獄されても微動だにしない。拷問にあっても、決して同志を権力に売り渡さない。こう振り返っておられる。
 「極度の苦難の中にあっても、自分の理想を確信し、どんなに犠牲になっても理想を捨てようとしないときに人間の精神的な強さがいかに高貴で不可侵なものであるか」(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社)
 博士は、人間の精神の力を、同志とともに、誇り高く示しきってとられたのである。
10  博士は、私との対談で論じておられた。
 「われわれはいまこそ初めて、長期にわたる全地球的な責務を担い、これからの各世代に、より生きがいのある地球と、より統治可能な社会を残さなければなりません。そのことを私たちが理解するのを助けてくれるのは、人間革命以外にはないのです」(『二十一世紀への警鐘』本全集第4巻収録)
 いかなる試練も打開する力が、人間自身にそなわっている。ゆえに地球の運命を変えるには、まず人間が変わることだ。人間革命である。なかんずく青年には、あらゆる変革を実現する力がある。
 ――こう博士は信じておられた。
 私どもは、イタリアをはじめ、世界の青年たちとともに、人類史の新たな扉を開く「人間革命の連帯」を、さらに力強く広げてまいりたい。
11  「友愛」「優しさ」「平和」は女性に
 先日、ブラジルを代表する天文学者のロナウド・モウラン博士をお迎えした。(=SGI会長に対する「ブラジル歴史地理院」名誉外国会員、「ブラジル哲学アカデミー」在外会員の称号授与式〈五月二十六日〉で来日)
 博士が深く尊敬しておられるイタリア・ルネサンスの哲人がいる。ジヨルダーノ・ブルーノ(一五四八年〜一六〇〇年)その人である。ブルーノは、弾圧に屈せず、命をかけて、宇宙観の革命に挑んだ。また、女性を見下す男性の傲慢な態度も、鋭く攻撃している。その論点の一つは、まことに興味深い。
 イタリア語に「男性名調」と「女性名調」がある。ブルーノは、″「男性名詞」と「女性名詞」が、何を表現しているかよく見よ!″と、対照的な具体例を、いくつもあげたのである。(『原因・原理・一者について』加藤守通訳、『ジヨルダーノ・ブルーノ著作集』3所収、東信堂。以下、〔 〕は訳者の補足」)
 すなわち――
  睡眠〔男〕と覚醒〔女〕
  怠惰〔男〕と記憶〔女〕
  憎しみ〔男〕と友愛〔女〕
  恐怖〔男〕と安全〔女〕
  苛烈さ〔男〕と優しさ〔女〕
  憤激〔男〕と平和〔女〕
  狂気〔男〕と静安〔女〕
  誤謬〔男〕と真理〔女〕
  欠点〔男〕と完全さ〔女〕
  地獄〔男〕と幸福〔女〕
 そして、ブルーノは、こう結論している。
 「結局、すべての悪徳、欠点、そして犯罪は、男性〔名詞〕であり、すべての徳、長所、そして善は、女性〔名詞〕なのです。
 それゆえ、思慮、正義、勇気、節制、美、荘厳、威厳、そして神性は、女性と呼ばれており、そう想像され、記述され、表現されており、現にそうなのです」
 ブルーノの筆鋒は手厳しい。徹底している。こうでなければ、傲慢な人間の鼻を、へし折ることはできないからだ。
 わが学会も、健気な婦人部の皆さま方の「勇気の行動」「正義の対話」「友情のスクラム」で、ここまで発展してきた。広宣流布に生きゆく「創価の女性」を、いささかなりとも軽んずるような輩は、断じて許してはならない。
 「婦人部・女子部の意見を、最大に尊重していこう」「婦人部・女子部が戦いやすいようにしていこう」。そう心を砕いていくときに、学会の興隆の道はいちだんと開かれていく。男性のリーダーは、このことを絶対に忘れないでいただきたい。
12  われらの前進は、指導者観の革命である。
 歴史上、愚かで傲慢な指導者によって、どれほど多くの民衆が苦しめられてきたことか。
 日蓮大聖人は、権力者に対して、「(あなたは)万民の手足である」(御書171㌻、通解)と述べておられる。
 民衆が主人である。指導者は、「民衆を守り」「民衆に尽くす」ためにいるのだ。その一点を、広宣流布のリーダーの皆さまは、わが心に刻みつけていただきたい。
 戸田先生は幹部に対して、「誠実の二字だ」と遺言のごとく言われた。
 誠実な言葉。誠実な振る舞い。これに徹することである。
 大切な使命を担う皆さまは、世界広布の歴史に輝く名リーダーとして、民衆の勝利と幸福の道を、堂々と切り開いていただきたい。
13  地域に広がる「友情の花園」
 きょうは埼玉、千葉、神奈川の婦人部の代表が参加してくださっている。遠いところ、またお忙しいなか、本当にご苦労さま!
 埼玉では五月二十五日、狭山文化会館の定礎式が行われた。地元の同志の皆さまは、地域に理解と友好の光を広げてこられた。「聖教新聞」の拡大も目覚ましい。(=狭山文化会館は二〇〇五年十月二十三日に開館)
 埼玉の皆さまの見事な奮闘をうかがい、私は深く感銘した。埼玉には、すばらしい埼玉研修道場がある。新「川越文化会館」も本年、誕生の予定である。(=二〇〇五年十二月十八日に開館)
 団結光る埼玉の発展、本当におめでとう!
14  千葉の友も、全国をリードする機関紙の拡大を続けてくださっている。いつもありがとう! 新しいリーダーも陸続と育ってきた。婦人部の「香峯大学校」をはじめ、「旭日大学校」など人材育成の伝統が輝いている。今秋には、新たに千葉市に千葉東文化会館が建設される予定である。(=二〇〇五年十一月十二日に開館)
 わが愛する地域に、希望と友情の花園を、いちだんと広げていっていただきたい。
 神奈川は、私が名誉会長になった直後に訪れた忘れ得ぬ天地である。五月二十七日には、「神奈川婦人部の日」を記念する勤行会が開催された。「正義の対話大拡大月間」を、はつらつと前進されている。婦人部の「白ゆりカレッジ」もすばらしい。次代を担う人材が、着実に伸びている。
 ″憧れの世界の港″大神奈川の発展の姿を、私は本当にうれしく思う。
15  ブルーノの新しい宇宙論に先駆者ゆえの困難が
 十六世紀のイタリアの哲人ブルーノは、コペルニクスの「地動説」をふまえ、新しい宇宙論を展開した人物である。
 彼の著した対話篇『無限、宇宙および諸世界について』の中で、登場人物は語る。
 「宇宙は無限である」「太陽は無数に存在し、同じようにそれらの太陽の周りを廻っている地球も無数に存在する」(清水純一訳、岩波文庫)
 当時は、まだ、地球の周りを太陽が回っているという「天動説」が主流であった。天動説が「正統」とされ、それを否定するものは「異端」とされた。当然の結果として、彼は多くの迫害や誹謗に身をさらすことになった。先駆者ゆえの困難であったといえる。
 しかし、ブルーノは″徳や真理は悪党から圧迫される″″高きに身を置く者は、大勢から狙われる″と達観していた。『無限、宇宙および諸世界について』では、別の登場人物に次のように語らせて、みずからを鼓舞している。
 「嘘つきの情報、悪意の悪口、嫉妬からでた中傷も、君の高貴な見解を私に見誤らせることはできぬし、君の素晴らしい言葉から私を遠ざけることもできないでしょう」
 「頑迷無知の者たちがいかめしげに集って、さまざまに奸計や作為をめぐらし、君のすぐれた計画と高尚な仕事を台無しにしようとしても、そのために勇気を沮喪させたり尻込みしたりしてはいけませんよ」
 「君は、天とは真実いかなるものであるかを知らせるために、説きつづけたまえ」(同前)
 歴史を変え、世界を変えゆく闘争には、幾多の中傷や悪口、謀略が、必ず襲いかかってくる。しかし、断じて負けるな! 勇気を失うな! 真実を語り続けよ!――と。
 ブルーノは、いかなる迫害にも屈することなく、言論の闘争を貫いたのである。
 ブルーノが生きた時代のヨーロッパは、宗派間の対立や紛争が渦巻いていた。そうしたなかにあって、彼は、みずからを「太陽を父とし大地を母とし宇宙を棲家とする世界市民」(清水純一『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社)と称した。そして、「普遍的人間愛」の重要性を訴えていった。
 わが信念に生き、信念に殉じたブルーノ。彼の思想と行動は、後世の人々に大きな影響を与えていったのである。
16  このほど、私は、新たにブラジルの天文学者モウラン博士と「天文学と仏法を語る」のテーマで、対談を開始する運びとなった。私は博士と、お会いしたさいに、申し上げた。
 「天文学について語りあいましょう!
 宇宙は広大です。荘厳です。心を宇宙に広げれば、お金や名誉、やきもちなど小さなエゴで争いあう世界は、何とちっぽけなことか――。皆が天文学を学はなければなりません」と。
 博士も、「天文学は、人間を謙虚にさせます。池田会長の、おっしゃるとおりです」と応じてくださった。
 博士は以前、SGIの友に対して、「南無妙法蓮華経の音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じる」と、感嘆を込めて語っておられたそうである。
 博士は現在、七十歳。自宅に三万冊の蔵書を持っておられる。
 創価学園を訪れたさいには「″読書は音楽なり″″読書は芸術なり″です。良書を何度も読むことが大事です」と生徒たちに語ってくださった。
 深き哲学と信念を持つ大言論人でもある。このモウラン博士とともに、「外なる大宇宙」そして「内なる小宇宙」である人間の生命をめぐり、未来のために、有意義な語らいを進めてまいりたい。
17  「平和を創る英才」の旅立ち――アメリカ創価大学一期生
 アメリカ創価大学の第一回卒業式(五月二十二日)が、各界に大きな反響を広げている。卒業式には、チョウドリ国連事務次長が出席。記念講演を行い、一期生の旅立ちを、心から祝福してくださった。事務次長は、卒業式に参加した感動を、こう述べておられた。
 「平和の創造に貢献しゆく、若き英才の一期生の卒業式は、アメリカ創価大学にとって、さらにアメリカ、そして世界の″平和の文化″の拡大にとって、非常に画期的な出来事です。
 一期生の皆さんの心は、明るく輝き、希望と決意に満ちあふれたものでした。本日の卒業式に参加して、私の胸も、希望に満ち満ちております」
 さらに、次のような期待の言葉も、寄せてくださった。
 「創価教育によって、卒業生たちは、今後の活躍の舞台において、″平和の文化″の価値観を実質的に促進する準備ができました。アメリカ創価大学における教育は、彼らの人生に、建設的な変革をもたらすとともに、彼らを通して、世界全体が良き方向に変革されることでしょう」
 事務次長はまた、アメリカ創価大学の教育環境やカリキュラムなどの質の高さを、こう讃えてくださった。
 「アメリカ創価大学は、アメリカの教育機関に啓発を与える存在です。アメリカの大学界に、″先駆的な革新″をもたらす大学であると、私は見ております」と。
 卒業式の模様は、現地の新聞やテレビでも大きく取り上げられ、報道された。アメリカ創価大学は、地域の方々からも、絶大な信頼と共感を得て、新たな出発をすることができた。陰に陽に応援し、支えてくださっている、すべての皆さまの真心に、あらためて心から感謝申し上げたい。
18  大難を乗り越えて学会は発展
 ことで、御聖訓を拝したい。
 大聖人は、四条金吾にあてた御手紙で次のように仰せである。
 「このように(諸天に申しつけて法華経の敵を罰せさせる等と)言えば、国主らは『この法師(日蓮)がおどした』と思うであろうか。私は、あえて憎んで言うのではない。大慈大悲の力で、未来に受ける無間地獄の大苦を、今世に消させてあげようとするのである。
 章安大師いわく、『相手のために、その悪を取り除き、改めさせるのは、彼の味方であり、親である』と」(御書1138㌻、通解)
 なぜ法華経の敵を責め、破折するのか。それは慈悲のゆえである、と大聖人は断言しておられる。
 逆に「慈無くしていつわり親しむは即ち是れ彼が怨なり」とあるように、悪を阿責しなければ、かえって、その相手にとっても「怨」すなわち敵となってしまう。
 また大聖人は、「魔来り鬼来るとも騒乱そうらんする事なかれ」と仰せである。
 魔とは、仏道修行をさまたげる働きである。疑いや誘惑など、さまざまな形で現れてくる。大切なのは、魔を「魔」と見破ることである。御本尊に強盛に祈り、仏の力と、仏の智慧を湧き出して、魔を打ち破っていくことである。
 大聖人は、こうも述べておられる。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるときには、そのうち一回は代わって受けるべきではないか」(御書1450㌻、通解)
 民衆のため、大聖人は、あらゆる大難を一身に受けてこられた。そのお心を知るならば、その難の半分は代わって受けるべきである、との厳しき御指南である。
 さらに、大聖人は「(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も『日蓮の言うことが道理かもしれない』という人もあることであろう」(御書1138㌻、通解)と仰せである。
 わが創価学会も、幾たびもの大難を乗り越えてきた。御書に仰せのとおりの三障四魔、三類の強敵を敢然と打ち破り、前進してきた。だからこそ、″日本の柱″として、多くの人々から信頼され、賞讃される一大民衆勢力へと発展したのである。
 また、日本のみならず、世界の識者が深い共感と賛同を寄せてくださっていることは、皆さまがご存じのとおりである。
19  善の声を強めよ! 悪と戦う力を持て
 ノーベル文学賞に輝いたアメリカの作家パール・バック(一八九二年〜一九七三年)。彼女は、名門のケネディ家に対する嫉妬や敵意の数々を通して、次のように論じている。
 「新聞、ラジオ、テレビは、彼らが愛情と同時にねたみを抱く知名人、成功者、傑物を葬り去らんとする欲望から、人々にスキャンダルを提供しようと手ぐすねひいているのだ」
 「(=それらの伝達機関は)よからぬニュースを探し、そして何も見つからないとなれば、うわさやうそから『ニュース』をでっちあげてしまうのだ」(『ケネディ家の女性たち』佐藤亮一訳、主婦の友社)
 さらに、才能のある者、成功した者が攻撃される理由の一つとして、「精神と才能に劣る人々の側に、才に恵まれ成功している人々に対する本物の敵意が生じてくる」(同前)と述べている。鋭い洞察である。
 彼女は、別のところで、次のようにも訴えている。終戦直後、日本の人々に対して呼びかけた文章である。
 「善なる人々の声は悪なる人々の声よりもより数多く、より明瞭でなければならない、このことを善なる人々は自らの責務として認めねばならぬ」と。
 自由とは責任を伴う。ゆえに一人一人が自由を享受するためには、人間を抑圧する悪を監視し、その悪と戦う力を持たねばならない。こう彼女は述べている。
 そして、「邪悪に対する、永遠の闘争」があってこそ、自由は守られることを強く叫んだのである。(「毎日新聞」一九四五年十月二日付に掲載されたパール・バックの一文「日本の人々に」から)
 善なる正義の声を、さらに強く強く放ちゆくことだ。それが青年の使命である。
20  私は、若き日から、攻撃精神、破折精神で戦ってきた。学会を、戸田先生を、誹謗する者がいれば、どこにでも飛んで行った。そして、相手がだれであろうと、青年らしく、真正面から対話し、「それはちがう!」「真実はこうである!」と相手の誤りを一つ一つ正していったのである。
 リーダーならば、外へ打って出ることだ。最前線で人間と交わり、一人でも多くの理解者をつくっていくことだ。
 戸田先生は、「幹部だ。幹部で決まる」と厳しく言われた。すべては幹部の一念で決まる。行動で決まる。できあがった組織の中で、ただ号令をかけるだけでは、皆の共感は得られない。拡大の勢いも生まれてこない。
 先日も紹介した御金言であるが、もう一度、拝読しておきたい。
 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書1494㌻、通解)
 この烈々たる破折精神とそ、仏法の根本であり、戸田先生の結論であった。
21  労苦が人間を輝かせる
 大聖人は、「人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ」と仰せである。また顔には、「人生の年輪が表れる」ともいわれる。風雪に耐え、逆境に打ち勝った顔は、どこか光って見えるものだ。
 労苦こそが、人間を輝かせる。また、自分が苦労してこそ、他人の苦労がわかるのである。
 ゆえに、学会の将来を担う青年部、そして青年部出身の幹部は、求めて苦労していくことだ。外見や見栄など、かなぐり捨てて、戦うことだ。
 真剣に戦う会員の気持ちが感じられない幹部であるならば、あまりに無慈悲である。学会のため、同志のため、苦労しぬいた人こそが、本物のリーダーなのである。
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「地位や学歴で、偉さが決まるのではない。日蓮大聖人の弟子として『広宣流布に働く人』こそ『いちばん、偉い人』である。その人をいちばん、大事にするのだ」
 真面目な学会員ほど尊く、偉大な存在は絶対にない。
 だからこそ、だれよりも自分が汗を流し、広布に戦い、会員に尽くしていくリーダーであっていただきたいのだ。そしてまた、同志の話に真摯に耳をかたむけていくことである。とくに、婦人部、女子部の意見をよく聞き、最大に尊重していくべきである。
 「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」――これが、戸田先生の悲顕であった。
 今、現実の上で、人と会い、人と語り、社会の隅々にまで仏法を弘めているのは、わが学会しかない。なかんずく、婦人部の皆さま方の功績は、あまりに大きい。
 人間として、もっとも正しい行動である。自他ともの絶対の幸福の道を開いているのである。わが生命に未来永遠に朽ちない「福徳の宝」を積んでいることを確信していただきたい。
22  さらに戸田先生のご指導を、いくつか紹介したい。
 「お金がなくて悩む。体が弱くて悩む。勤めがおもしろくなくて悩む。子どもが成績が悪くて悩む。夫が教養がなくて悩む。上司がやかましくて悩む。こうした悩みは、多次元にわたって、時々刻々と起こってくる。これが人生である。
 そのなかにあって、『法』を弘めようとして悩む。人々を幸福にしようとして悩む。正しき信心に立って、法のため、人のため、広宣流布のために悩む、ということは最大のすばらしき悩みである」
 「煩悩即菩提」と仏法では説く。悩みがあるから成長できるのだ。
 いわんや、広宣流布のために、悩み、祈り、苦労するならば、その分だけ、偉大なる仏の境涯が開かれていく。生々世々、大福運に包まれていくのである。
23  「青年部革命」の大波を
 戸田先生は、青年をこよなく愛された。ゆえにまた、青年を徹底的に訓練された。どんなことも、「青年部にやらせよう」「青年部にまかせておけ」と、私たち青年に託してくださったのである。
 私も必死だった。家に帰ると、もう靴も脱げないくらい、くたくたになるまで動きに動いた。
 そうやって、戸田先生に言われたことは、すべてやりきってきた。この恩師の薫陶があったがゆえに、今の私がある。
 私は、次の学会を担う本物の青年部を構築するために、もう一度、本格的に力を注いでいきたいと決意している。青年部の時代である。すべては青年部に託していくしかない。
 断じて、広布のために! 会員のために!――この戸田先生の魂を、そして私の魂を、永遠に変わらぬ「師弟の魂」を、わが青年部に、断固として受け継いでいただきたいのである。
 二十一世紀の勝利を決しゅく「青年部革命」の波を起こしてまいりたい。
 戸田先生との思い出は尽きない。ある時などは、「何とか、大作を長生きさせてあげたい。だが心配だ。三十まで生きられるかどうか、わからない」と涙を流されたとも、うかがった。
 もともと肺病を患っており、体は弱かった。その私が、今日まで元気に広宣流布に戦い続けてくることができた。すべては、戸田先生のもと、わが身を捨てて、お仕えしてきた功徳にほかならない。本当にありがたき師匠であった。
24  人生の苦難に屈してはならない
 戸田先生は、青年を激励して言われた。
 「人生にあっては、大なり小なり、何らかの難に直面するものだ。
 その時は、もうこれでおしまいかと落胆し、諦めようと思うことがあるかもしれない。また苦しみのあまり、絶望の淵に沈む場合もあるにちがいない。
 しかし絶対に、人生の苦難に屈してはならない。負けてはならない。必ずや、あとになれば、あの時、頑張りぬいて本当に良かったと、さわやかに思い返せるものだ」
 負けない人が真実の勝利者である。大変な時ほど、宿命転換ができる。人間革命ができるのである
 またある時、激戦に臨んで、戸田先生は厳として叫ばれた。
 「どんな戦いでも、団結の強いほうが勝つ!」
 異体同心――これが永遠の勝利の軌道である。
25  牧口先生は、信心の偉大な力について、こう語られた。
 「″この病気を、必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ″と確信し、決意して信心を続けていくことが大事だ。
 そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
 全同志のますますのご健康とご長寿を、私は、妻とともに、真剣に祈り続けている。
 全国には、だれも見ていないようなところで、黙々と、わが学会を支えている方々が数多くおられることも、よく存じあげているつもりである。私は、こうした方をサーチライトを当てるように探し出し、顕彰してさしあげたい気持ちでいっぱいである。
 全国の同志の皆さま方、本当にありがとうございます!
 結びに、「創価学会は、どこまでも『師弟の心』を合致させて、永遠に『広宣流布の勝利』を成し遂げていくのだ!」との戸田先生の遺言の叫びを紹介し、私のスピーチとします。
 健康第一の前進を、お願いします、お体を大切に! 賢明に、そして勇敢に戦いましょう!
 イタリアの皆さん、皆で喜びの曲を奏でながら、仲良く朗らかに進んでください。各地の婦人部の皆さま方も、本当にご苦労さまでした。、お会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょうは、本当にありがとう! グラッチェ!(イタリア語でありがとう)
 (東京・信濃文化センター)

1
2