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日蓮大聖人・池田大作

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第二総東京代表協議会 力強い声で! 正義の師子吼を

2005.5.21 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  いわれなき批判には徹底的に素早く反論
 東京は、わが故郷である。私は、東京生まれの東京育ち。いわゆる「江戸っ子」である。その誇りをもっている。
 江戸っ子は、さっばりしていて、きつぷがよくて、何でも、はっきり、ものを言う。それが身上である。一見、淡泊に見えて、正義を叫ぶ時は、くどいくらいになる。悪は絶対に許さない! その怒りが、言葉となって、ほとばしるのだ。
 声は武器。声は力。口は語るためにある。勇敢に叫ぶのだ。
 いわんや、仏法においては、「声仏事を為す」である。声で勇気がわく。勢いが増す。勝利の道を開いていける。
 人間主義は正しい。仏法は絶対である。われらの前進を、世界の知性が待っている。
 今こそ打って出よ! 正義と真実を、しゃべって、しゃべって、しゃべりぬくのだ。力強い声で! そうすれば、いかなる暗雲も、いっぺんに吹き飛ぶ。
 御聖訓には「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せである。
 朗々たる題目の力で、正義の師子吼で、百獣のごとき魔軍を、敢然と打ち破ってまいりたい。
 アメリカを代表する経済学者ガルブレイス博士と私との対談「人間主義の大世紀を――わが人生を飾れ」の出版の準備が、現在、順調に進んでいる。(=対談集は二〇〇五年九月、潮出版社から発刊)
 ガルブレイス博士は、権力者や悪意の人間たちからの数々の非難中傷に対して、毅然と立ち向かい、戦いぬいてこられた。博士は述べている。
 「いわれのない批判を受けた時は、徹底的に素早く反論するのが私のやり方である」「私の徹底抗戦が功を奏して、次第に騒ぎは収まっていった」(『ガルブレイス わが人生を語る』日本経済新聞社)
 「徹底的に」「素早く」反撃する――ここに「言論闘争」「精神闘争」に勝ちゆく要諦があるといえよう。
2  異体同心の団結で痛快な勝利を
 第二総東京の皆さまは、いかなる風波も打ち破り、果敢に前進されている。偉大なる創価の発展は、ますます力を増してきた。人格者である第二総東京長と、信心強盛であり、純粋で心美しい第二総東京婦人部長等々の方々がリードする、めざましい発展ぶりである。日本中が驚嘆している。たいへんに私も感謝している。
 「第二総東京、万歳!」「婦人部の皆さま、いつも本当にありがとう!」と心から申し上げたい。
 恩師戸田先生は断言された。
 「学会は広宣流布を成し遂げる平和の団体である。創価学会の幹部といえば、世界一の名誉だ。世界一の宝だ」
 世間の虚栄に流されるなと先生は厳しく戒めた。学会の役職こそ、世界一の幸福の宝冠である。どうか、誇りも高く進んでいただきたい。
 「発展する組織」の要件は何か。戸田先生は言われた。
 まず、「異体同心の団結」「うるわしい同志愛」があることである。そして「一人一人が、絶対の確信に立って、″私が創価学会だ″という学会精神に、みなぎっている」ことである。
 第二総東京は″世界の模範″である。「異体同心の団結」を永遠に崩してはならない。何があっても負けてはならない。わが胸に「学会精神」をみなぎらせながら、痛快なる大勝利を、よろしくお願いしたい。
 日蓮大聖人は厳然と、また悠然と仰せになられた。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」さらにまた、「水のごとくと申すは・いつも・たい退せず信ずるなり」。
 この御聖訓のままに、何があろうと、多摩の清流のごとく、たゆみなく強く、前へ、また前へ、進みゆくことだ。私たちは、きょうも、生き生きと大仏法を学び、語り、行じたい。そしてみずからを人間革命しながら、広布と人生の勝利へ、一歩前進の歴史を刻んでまいりたい。
 フィリピンを独立に導いた国家英雄ホセ・リサール博士は叫んだ。
 「人はその使命と信念のために命を捧げるべきなのです」(カルロス・キリノ『暁よ紅に』駐文館訳・発行)
 何のための人生か――この一点を忘れず、悔いなき日々を生きぬきたい。
3  「創価の平和の戦いを人々に知らせたい」
 世界的な物理学者であり、ノーベル平和賞受賞者であるジョセフ・ロートブラット博士。博士と私との対談が、このほど、総合月刊誌「潮」で連載される運びとなった。「地球平和への探究――ラッセル=アインシュタイン宣言五十周年を迎えて」とタイトルも決まっている。(=対談集は『地球平和への探究』と題し、二〇〇六年七月、潮出版社から発刊。同博士は二〇〇五年八月、逝去)
 ロートブラット博士は核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の名誉会長を務める。同会議を長年にわたりリードしてこられた、偉大なる「平和と人道の闘士」である。現在、九十六歳の博士は、今回の対談の開始を心待ちにしてくださっていた。ロンドンを訪れた戸田記念国際平和研究所の副所長に託して、種々、メッセージを寄せられた。
 ロンドンにあるパグウォッシュ会議の博士のオフィス。その来客用のテーブルには、最新の「グラフSGI」が置かれているという。
 それは、なぜか。博士は語っておられた。
 「SGIの平和の戦いを、少しでも多くの人に知ってもらいたいとの私の願いから、そうしているのです。私が始めたこの重要な対談のことを、皆に知ってもらいたいと思っているのです」
 本当に、ありがたいことである。
 博士は、対談にかける心情を、こう語っておられる。
 「私が、池田会長との対談をぜひともと望んだのは、未来の世代に、私どもの平和行動を余すことなく語り残したい、と願ったからです。
 核兵器の廃絶という目標は、やがて実現できるでしょう。しかし、戦争のない時代を築くのは、はるかに遠い目標です。これは、若い世代に託す以外ありません」
 この地上から核兵器をなくせ! そして戦争のない時代を築くのだ!
 人類の悲願を見つめ、戦いぬいてきた″平和の獅子″の叫びである。
4  博士の青年への期待は、あまりにも大きい。
 「私は、戸田会長と池田会長がともに、青年の情熱と力に、大きな期待を寄せてきたことを知りました。今、私も同じ思いです。
 私は、戦争の廃絶を青年の手にゆだねたいと願い、その願望と期待を、池田会長との対談の全編に込めました。私は、この対談を通して、平和に対する私の思いをすべて語り尽くしたいと願っております」
 とりわけ博士は、創価の青年たちを、高く評価してくださっている。
 「私がこれまで接する機会をもったSGIの青年たちは、皆、一生懸命勉強し、真剣に世界の諸問題の平和的解決のために尽力しようという気概にあふれでおりました」
 博士は、二〇〇一年の秋、「9・11」のテロ事件の直後にもかかわらず、ロンドンからわざわざ足を運び、アメリカ創価大学で講演をしてくださった(十月十六日)。それだけに、今回の卒業式を、ことのほか喜んでくださった。
 「アメリカ創価大学の第一回の卒業式、まことに、おめでとうございます。
 私が講演のために訪れたアメリカ創価大学の学生たちは、皆、生き生きとした表情をしていて、平和への強い情熱をもっていることに深い感銘を受けました。
 これも、池田会長の日ごろの激励のたまものであり、『池田会長の平和の精神が、見事にここに生きている』との感を抱きました。アメリカ創価大学は、池田会長の教育への夢が実現したものであると、深く受けとめております」
 ロートブラット博士は平和に生きる人生の大先達であられる。温かいご理解に、創立者として深く感謝申し上げたい。(ロートブラット博士は、こうも語っている。「二十一世紀のさまざまな課題を思うにつけ、池田会長のビジョンとリーダーシップに、ますます大きな期待をしております。私は、池田会長を心から大切に思っており、これからも長く友情を持続させていきたいと願っております」)
5  栄光輝くアメリカ創価大学の卒業式には、世界の著名な識者から、たくさんの祝賀のメッセージをいただいた。チョウドリ国連事務次長をはじめ、そうそうたる来賓が出席しての堂々たる卒業式である。(アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスの第一回卒業式は五月二十二日に行われた)
 教育者でもあられた初代会長牧口先生、第二代会長戸田先生が、どれほど喜んでくださっていることか。「教育」と「文化」――この大光を、燦然と世界に広げていくのが、創価の運動なのである。
 ともあれ、人類の宝の知性との対話に、私は、いよいよ全力で取り組んでまいりたい。
 戸田先生は私に、こう教えてくださった。
 「これからは対話の時代になる。君もこれから、一流の人間とどんどん会っていくことだ。″人と語る″ということは、″人格をかけて戦う″ということであり、それがあってこそ、真の信頼を結び合えるんだよ」
 全人格をかけてぶつかれば、何かが生まれる。歴史が動く。深い友情が結ばれる。人間を結び、平和の道を開く対話を、私たちは、さらに広げていきたい。
6  東京牧口記念会館に百七十五万人が来館
 全国、全世界から間断なく大勢の方々が、ここ八王子市の東京牧口記念会館に来館してくださっている。国家元首も、世界的な知性もお見えになる。各界の名士の方々も、お迎えしている。そして、尊きわが同志の皆さまが、勇んで集ってくださっている。
 このほど、会館の来館者が、一九九三年十月二十四日の開館式から数えて、じつに「百七十五万人」と、なった。先日(五月十五日)の関西青年部の総会に参加した若き友(役員を含め千九百十九人)で、ちょうど、その数に達したのである。
 入場者数をカウントしてくれていた担当の方々は、創立七十五周年に符合していること、さらに私が同志を代表して世界から拝受した名誉学術称号の「百七十五」という数に一致していることに驚き、喜んでおられた。
 東京牧口記念会館の「共栄会」をはじめ、陰に陽に会館を護り、荘厳してくださる皆さま方に、この席をお借りして心から感謝申し上げたい。
 この正義の殿堂に集われるすべての方々が、大福運に包まれ、勝利と栄光の人生を歩みゆかれることを、私は真剣に祈っている。
7  シエリー″決然たる意志で高慢卑劣と戦う″
 歴史学者のトインビー博士ご夫妻が、私をロンドンの自宅に招いてくださったのは、「メイフラワー・タイム(五月の花咲くころ)」であった。(対談は一九七二、七三年の五月に行われた)
 七二年のイギリスへの訪問のさい、博士の母校オックスフォード大学、夫人の母校であるケンブリッジ大学を訪れた。そのことをご夫妻はたいへんに喜んでくださった。
 十九世紀の初め、ロマン主義文学を代表する詩人シエリーも、オックスフォード大学の門をくぐった一人である。彼は叫んだ。
 「改革とは本来足もとから始めるべきものです」(『飛び立つ鷲』阿部美春・上野和賓・浦壁寿子・杉野徹・宮北恵子訳、南雲堂)
 そのとおりである。人間も組織も社会も、永遠に改革である。永遠に革命である。足元から一つ一つ見直し、よりよく改革し、革命していく以外にない。
 あらゆる試練の「挑戦」に、どこまでも「応戦」する。その努力を積み重ねたところが勝ち栄える――これがトインビー博士の洞察でもあった。
 シエリーは改革への情熱を詩にした。人類の過去・現在の愚行を超え、喜びの未来に生きる「魂」について、こう謳った。
 「善なる者」「誠実なる者」「決然たる意志を以て地上の高慢と卑劣を相手に争うて、これを征服し、慣習という冷厳なる鎖を打ち砕き、自らの時代に明けの星々を輝かせて来た者」と。(『クィーン・マップ』高橋規矩訳、文化評論出版社)
 さらに「妖精」が「魂」に呼びかける。
 「堅忍不抜の意志を以て/そなたは暴政と虚偽を相手に永遠なる軍を/戦いぬき、人間の心の中なる不幸の芽の一切を/根こそぎすべく定めなのだ」(同前)
 虚偽と戦い、″不幸の芽″を断て!――創価の青年の誇り高き精神闘争も、また同じである。
 ケンブリッジ大学の出身で「詩人の王」と讃えられる人物がいる。イギリス・ルネサンスの詩人スペンサーである。世界的に有名な彼の作品『妖精の女王』では、正義の騎士の行く手を阻もうとする、二人の人物が登場する。
 一人の名は「妬み」。もう一人は「悪口」。
 「妬み」の本性を、詩人は鋭く喝破した。
 「人が立派にやったと見えるものには 何にでも腹を立て」「もし誰かに良いことが 起こったのを聞くことがあると、苛立ち、悲しみ、胸に秘めた 激しい怒りのために自分の体をかきむしる」(和田勇一・福田昇八訳、筑摩書房)
 「妬み」に囚われた生命は、醜悪であり不幸である。
 この「妬み」のすぐ隣に住んでいるのが、「悪口」である。
 「何であろうと誰かが良いことを 言ったりしたりしたのを聞くと」、その「悪口」は、すぐに「いかにしてけなすか、中傷するかを、 また、人の意図を歪めて、善意でなされたことを 悪い方に向ける方法を、考え出す」(同前)というのである。
 それだけではない。この二人にけしかけられて、「口喧しい獣」が、正義の騎士に吠えかかる。そして二人は「最も恥ずべき、最も不正な、最も虚偽に満ちた言葉で喋りたてた」(同前)のである。
 法華経に説かれる「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の様相にも通じよう。偉大な正義の存在は、必ず卑しい妬みの悪口を浴びせられる。
 しかし、断じて、ひるんではならない。屈してはならない。迫害こそ、正義の証である。それを打ち破ってこそ、真に偉大な人間になるのだ。
8  繰り返し語れ、それでこそ真実は光る
 ここ第二総東京にゆかりのある文人に、下村湖人氏がいる。私も青春時代に読んだ『次郎物語』の作者として有名である。
 教育者でもあった下村氏は、東京・小金井市で青年を薫陶した時期がある。(下村氏が所長を務めた青年団講習所の建物〈浴恩館〉が小金井市にあり、市の史跡に指定されている)
 下村氏は警鐘を鳴らした。
 「どんなうそも、くりかえし説いていると真理と信じられがちなもの」(『下村湖人全集』7、国土社)
 ″嘘も百回言えば本当になる″というのが、邪悪な人間の常套手段である。だからこそ、下村氏は「どんな真理も、くりかえし説かないと、真理とは信じられないものである」(同前)と訴えたのである。
 いつの時代も、何が真実で、何が嘘かを、きちっと見極め、正義を主張していかなければ、嘘は人々の心の奥深くにはびこってしまう。
 ゆえに、「嘘」に対しては、迅速に「否定」し、明確に「反論」し、そして徹して「追撃」していくことだ。繰り返し繰り返し、真実を言いきり、正義を叫びきっていくことだ。
 下村氏は、こうも達観していた。
 「高慢な人はすべて馬鹿である」「偉そうな顔ほど偉くない顔はない」(同前)
 真に偉大な人は謙虚である。トインビー博士をはじめ、私がこれまで語りあってきた一流の知性や指導者も、そうであった。反対に、「傲慢」な人間は、だれからも尊敬されない。だれからも学ばない。まったく愚かな生き方である。
 広宣流布のため、世界平和のために懸命に戦うもっとも尊貴な同志を、傲慢にも馬鹿にしたり、見下したりすれば、必ずや仏罰を受けることは、御書に照らして間違いない。人間としてみじめな敗北の姿をさらしていることはご存じのとおりである。
 われらは、正義の中の正義の和合僧である。たがいに尊敬しあいながら、自他ともに栄え、向上していく勝利の大道を堂々と進みたい。
 「伸び行く生命の力のみが真の勝利を約束する」(『下村湖人全集』6、池田書店)とは下村氏が書き残した言葉であった。
9  学会の会館は「希望」と「安心」の広場
 学会本部周辺をはじめ、全国の会館が、同志の皆さまにとって、より使いやすくなるように、いちだんと整備を進めたい。具体的なことは本部でよく検討し、できるところから、順次、進めてまいりたい。広宣流布のために一生懸命、奮闘してくださっている同志のために、全力をあげていきたい。
 創価学会の会館は、平和と文化の城である。
 会館に来て、皆さんにほっとしてもらいたい。楽しんでいただきたい。そして、ともに勤行をして、元気になって、帰っていただく。いわば、会館は、仏法を学び、広めゆく友の「わが故郷」のようなものだ。
 また、近隣の方々、多くの友人の方々からも、「学会の皆さんは幸せですね。こんなにすばらしい会館に入れるなんて」「会館から出てくると、みんな生き生きとして、美しくて、楽しそうですね」等と共感の声が寄せられている。
 創価学会の会館は、地域を、世界を照らしゅく「希望」と「安心」の広場なのである。
10  リーダーは会員奉仕に徹せよ
 人類の頭脳――こう讃えられる知性の集団が、「ローマ・クラブ」である。創立者のぺッチェイ博士、また、現会長であるヨルダンのハッサン王子と友情を結んだことは、私にとって、誇り高い歴史である。
 名誉会長のホフライトネル博士とも、未来への対話を重ねてきた。印象深い博士の言葉がある。
 「『長』である以上、その団体に尊厳と信頼性を与えるべく働くのは当然ですが、個人的な気持ちをいえば、私は、『長』というよりも、むしろ、人々に尽くす『召使』でありたい。そのほうが幸せなのです」
 崇高なお心である。人々に尽くす――ここに、二十一世紀のリーダー像が示されている。
 幹部は会員奉仕に徹することだ。その根本は、祈ることである。
 「わが同志が絶対無事故でありますように!」「皆が勝利と幸福の人生を歩めますように!」
 一生懸命に祈る。みずからを犠牲にしても、同志を護り抜く。それが、広宣流布の指導者である。私も、全同志の健康と幸福と無事安穏を、毎日、真剣に祈っている。
11  日蓮大聖人が、一人の門下に対して、どれほど、こまやかに気遣い、どれほど迅速に励ましの手おくしるを打たれていたか。門下に贈られた御手紙に、大聖人は、こう記しておられる。
 「あなたが、この病気にかかったいきさつを、ある人が報告してくれました。私は(病気の平癒を)日夜、朝夕に、法華経に申し上げ、朝夕に青天に訴えておりました。病が治ったことを、きょう聞きました。これ以上、喜ばしいことはありません。詳しいことは、お会いしたときに語りあいましょう」(御書1298㌻、通解)
 「報告」を聞いたら、即「対応」する。御本仏が御みずから、その模範を示してくださっているのである。
 今、皆が求めていることは何か。急所はどこか。最前線の課題は何か。リーダーは、それを知らねばならない。ギャップがあってはならない。
 だからこそ、リーダーは、一つ一つの報告や意見に真摯に耳をかたむけることだ。誠実に、電光石火で応えることである。同志に「希望」と「勇気」を贈る。これがリーダーの責務であることを忘れてはならない。
 どうすれば、同志が、一人も残らず、安心して戦えるか。所願満足の人生を歩んでいけるか。これを、つねに思索し、決然と行動することだ。
 いちばん大変なところへ飛び込んで、みずから活路を切り開く。それでこそ、真のリーダーといえよう。
 自分だけいい子になって、苦労を避けて、要領よく泳ぐ。こんな保身の幹部、官僚主義の幹部が出れば、「異体同心の団結」を崩してしまう。断じて、そうあってはならない。
 ここ(東京牧口記念会館)は、信心の道場であるゆえに、将来のために、あえて厳しく言い残しておきたい。
12  第二総東京は「広布の理想郷」
 かつて三鷹や調布に住んだ作家の武者小路実篤は、こうつづっている。
 「ただ根の浅い人間だけ、自信のない人だけ、他人の思わくに支配される」「他人にいくら悪口いわれても自信を少しも傷つけられなければ平気でいられるのだ。そう人間は出来ている。だから結局自信がますます増してゆく道を歩くことが一番元気になれる道なのだ」(『随想全集』12、商学図書)
 自信満々と、胸を張って、わが信念の道を進みゆくことだ。創価の道は、「人類の希望の道」である。
 第二総東京は、「二十一世紀の広宣流布の理想郷」である。皆さまの使命は、あまりにも大きい。
 その本陣が八王子総区である。
 また、今月八日、私は、懐かしい町田へ、車を走らせた。かつて訪れた時と比べると、隔世の感があった。自然豊かな、未来性あふれる天地で戦う同志には、「特区」の誇りが輝いておられる。
 二十一日には、あきる野市を訪れた。さわやかな緑と清流に心が洗われた。小高い丘から、伸びゆく市街が一望できた。
 「ああ、この天地で、皆、新しい広宣流布の歴史をつくっているんだな」
 私は、友の健康と幸福と勝利を祈り、題目を送らせていただいた。
 第二総東京といえば、村山総区の活躍もめざましい。地域友好の拡大は本当にすばらしい! 今月二十九日からは、総区の記念月間がスタートする。″世界一″の前進を決意されているとうかがった。「断固として勝利の歴史を!」と私は心から祈っている。
 きょうは学園総区の代表も見えておられる。学園総区には縁深き、懐かしい方々がたくさんいる。地域に、世界に、あらゆる分野に、力ある人材を育てていただきたい。ともに栄光の人生の劇をつづってまいりたい。
 府中総区の代表もおられる。一九八四年(昭和五十九年)、府中文化会館を初訪問し、皆さんと「共戦」を誓いあったあの日のことは、今も私の胸から離れない。この二十一年間、府中の同志は、邪悪を打ち砕き、福徳輝く民衆城を燦然と築いてこられた。見事なる模範の前進を、私は心から讃えたい。
 さらに、″正義の砦″立川文化会館がそびえる新立川総区の方々も参加されている。立川には重要な広布の歴史が刻まれている。
 一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日。私は会長を辞任した。当時は、狂ったように障魔が吹き荒れた。それは、私をおとしいれようと、邪宗門と結託した退転者、反逆者たちの陰謀であった。私一人を追い落とせば、学会を牛耳ることができるとの、卑劣な謀略であった。
 名誉会長となった私は、ただ一人、この立川文化会館を拠点に、謀略と陣頭指揮を執った。謀略と中傷をはね返しながら、正義の闘争を開始したのである。
 私は、同志の中に飛び込んだ。もう一度、新たな創価学会を築きゆく、真剣勝負であった。それに応えてくださったのが、立川をはじめ、第二総東京の皆さんだったのである。後世に永遠に語り継がねばならない、誉れの歴史である。
13  青年を百戦錬磨の闘将に鍛えよ
 将来を展望して、戸田先生は言われた。
 「広宣流布の途上には、御聖訓に照らし、さまざまな非難、やきもちがある。
 しかし、学会っ子は、どんなにいじめられでも、またかりに学会が小さな存在になっても、決して挫折があってはならない。たえず前へ進むことだ。いかなる敵に対しても追撃の手をゆるめではいけない。
 学会は幾百千年を生きぬいていきなさい」
 何があろうとも、心一つに「団結」して進め!――これが恩師の厳命であった。
 そして、未来を決するのは「人材」である。
 戸田先生は、広布の指導者の心得として、「諸君は、たえず人物に目をつけていてもらいたい」(『戸田城聖全集』4)と強調された。一級の広布の人材に育て上げ、いつでも活躍させられるよう心せよと教えられたのである。
 青年を百戦錬磨の闘将に鍛えるしかない。本格的な鍛錬は、もう始まっている。
 さらに先生は、「職業をおろそかにする人は、信心もだめであります」(同全集2)と厳しく指導された。
 また、男性は、人のため、社会のためにも、力ある人間でなければ、皆が不幸である――そう先生はよく言われた。男性の諸君、よろしく頼みます!
 ともあれ、広宣流布は師弟に生きぬくリーダーの闘争で決まる。
 自分に勝ち、職場で勝ち、広布の舞台で縦横無尽に勝つことだ。連戦連勝の名指揮を、どうか、よろしく、お願いします!
14  仏敵と戦えば「仏の生命」
 ここで諸御抄を拝し、悪と戦う心について、もう一度、確認しておきたい。
 「どんなに自分は正直に身を律して、世間においても仏法においても賢人の名を得ようと思ってしたしたがいても、悪人に親しみ近づけば、自然と十度のうち、二度、三度と悪人の教えに従うようになり、そうやって最後は悪人になってしまう」(御書1341㌻、通解)
 ここに、重大な教訓がある。悪知識は、絶対に寄せ付けてはいけない。人をたぶらかす悪は、明快に正し、峻厳に退けていかなければならない。
 また大聖人は、天台大師の師匠である南岳大師の次の言葉を引いておられる。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができないで、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて、正法を破壊させるならば、その人は実は菩薩ではない」(御書1374㌻、通解)
 悪との戦いに、遠慮はいらない。「悪いことは悪い!」「悪は悪だ!」と、ありのままに真実を語ることだ。それが、自分を護り、善人を護り、正法を護ることになる。
 御聖訓には、とうも説かれている。
 「たとえ智慧明らかな師匠に出会い、真実の教えである法華経に巡りあって、正法を得た人であっても、生死の苦悩の流転を越え出て仏になろうとする時には、必ず影が身に添うごとく、雨に雲が伴うごとく、三障四魔といって七つの大きな出来事が現れてくるのである」(御書1487㌻、通解)
 広布に前進しているからこそ、それを阻もうと、魔が現れる。その時こそ、仏になるチャンスである。三障四魔と戦うことこそが、仏になる道である。ここに一生成仏の方程式がある。
 この点、大聖人御自身が、「『どのような大難にも耐えぬこう』と法華経をわが身に当てて試みた」(御書1489㌻、通解)と仰せになっている。そして晴ればれと大難を乗り越えていかれた。
 大難よ、来るならば来い!――この恐れなき信心の実践のなかに、日蓮仏法の真髄が光るのだ。
 「人生は強気でいけ!」と戸田先生はよく言われた。強気で責めることだ。それが言論戦を勝ちぬく根本である。
 「南条兵衛七郎殿御書」で、大聖人は厳しく仰せになっている。
 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書1494㌻、通解)
 大事なのは、法華経の敵を責めることだ。仏法の正義を語りに語りぬくことだ。根本は折伏精神である。
 悪を責めた分だけ、自分の悪は消える。罪業は消える。仏敵と戦えば、自分が金剛の「仏の生命」となる。
 反対に、真実を叫ぶべき時に叫ばない臆病な人間は、正しい道から外れてしまう。謗法と戦うべき時に戦わない人間は、自分が謗法と同じになってしまう。それでは、成仏はできない。それどころか、地獄である。
 極悪と戦ってこそ極善となる。仏の生命を輝かせていくことができるのである。
 御書に繰り返し説かれる大聖人の御精神を、学会のリーダーは胸に刻み込んでいただきたい。
15  勝利へ! 強盛な祈りで諸天を動かせ
 学会本部の質素な執務室に、私は、次の一首を掲げている。
  わが運命
    かくもあるかと
      決意せば
    惑うことなし
      恐れることなし
 これが第三代会長として立った私の変わらぬ心である。
 御金言には、こう説かれている。「法華経に祈った以上は、最後は必ず、そのようになっていくと思い定めなさい」(御書1228㌻、通解)
 「断じて勝つ!」と心に定め、祈りぬき、祈りきる人生ほど強いものはない。
 有名な「弥三郎殿御返事」には仰せである。
 「(この広宣流布の戦いこそ)名を上げるか、名を下すか、人生を決する所なのです。人として生を受けることはむずかしく、法華経を信じることはむずかしい、というのは、このことです。
 (この戦いに勝つために)『釈迦仏、多宝仏、十方の仏よ。来集してわが身に入り替わり、私を助け給え』と深く祈りなさい」(御書1451㌻、通解)
 「勝つための信心」である。「必ず勝てる信心」である。
 悔いなく戦い、強盛に祈りぬいて、十方の仏菩薩、諸天善神を揺り動かし、勝利へ勝利へ、道を切り開いていくことだ。
 「最後が幸福であれば、あらゆる労苦は良き思い出に変わる。ゆえに、それまでは、うんと苦労しろ、もがき苦しんでいけ! 死身弘法ではないか!」とは、戸田先生の厳愛のご指導である。
 戸田先生の生涯もまた、死身弘法であられた。戸田先生は、師匠の牧口先生に、牢獄までお供されたのである。
 当時、学会の最高幹部の多くは、軍部権力の弾圧に恐れおののいて、次々と退転していった。投獄された牧口先生を罵り、去っていった人間もいた。
 そのなかで、獄中の戸田先生は、ただひたすらに、師匠のご無事を祈っておられたのである。
 「わたくしは若い、(牧口)先生はど老体である。先生が一日も早く(牢獄から)出られますように。わたくしは(獄中生活が)いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と。(『戸田城聖全集』3)
 日本中が狂気に呑み込まれ、正義の人に集中砲火のごとく弾圧が加えられるなか、戸田先生ただ一人が、師匠に仕えきっていかれた。わが身を顧みず、自身のすべてを犠牲にして――。
 仏法の師弟とは、これほどに厳粛であり、崇高なのである。
 私もまた、師匠の戸田先生のもとで、一人立ち上がった。青春のすべてを捧げて戦った。
 戸田先生の事業が挫折した時も。七十五万世帯への突破口をだれかが開かねばならなかった時も。そして、権力の魔性が牙を剥いて、学会に襲いかかって来た時も。
 いつも戸田先生は、「大作はいるか。頼むぞ!」と一言。私は、勝って勝って勝ちまくって、師匠にお応えした。
 牧口先生には、戸田先生がいた。戸田先生には、私がいた。一人の本物の弟子がい一人でいればいいのである。
 「一人の師子」がいれば、必ず後に人材は続いていくものだ。「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まることを忘れてはならない。
16  「自由の女神」像には母への感謝の心が
 全世界で、今、創価の女性たちが、はつらつと平和と幸福の大行進を続けておられる。
 アメリカSGIの婦人部の方々も、満々たる生命力と智慧を光らせながら、さわやかな薫風のごとく、希望の対話を広げている。
 高らかに松明を掲げてニューヨークに立つ「自由の女神」像。これは、アメリカ独立百周年を記念して、フランスからアメリカに、友情を込めて贈られたものである。像は正式には、「世界を照らす自由」と呼ばれる。
 この像が完成したのは、十九世紀後半。作者は、フランスの彫刻家バルトルディ。
 気高い「自由の女神」像の顔は、バルトルディ自身の母がモデルであるといわれる。そのお母さんは、夫に早く先立たれながら、女手一つでわが子を育て上げた。その母への深き感謝の心が、この像には結晶しているのである。
 大聖人は、四条金吾の亡くなられた母を偲ばれながら、こう仰せである。
 「(亡くなられたあなたのお母さまは)きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。
 そして、これらの仏は、『これこそ、四条金吾殿の、お母さんですよ、お母さんですよ』と、皆、同じ心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。
 お母さまは、『ああ、私は何とすばらしい子どもを持ったことでしょう』と、釈迦仏と語っておられることでしょう」(御書1112㌻、通解)
 広宣流布に生きゆくことこそ、最高永遠の親孝行の道なのである。
17  世界が「生命の哲学」を希求
 ともあれ、二十一世紀の世界は、赫々たる「生命の哲学」の灯火を待望している。
 私は、ハーバード大学の二度目の講演で、「生も歓喜、死もまた歓喜」の常楽我浄の生命観を語った。(ハーバード大学での二度目の講演は、同大学の招聘により、一九九三年九月二十四日、「二十一世紀文明と大乗仏教」とのテーマで行われた)
 同大学名誉教授のガルブレイス博士は、その講評のなかで、こう語ってくださった。
 「本日の講演で述べられた、(仏教に説く)四苦、とりわけ死苦に直面した時、人間はともすると″来世への逃避″を選んでしまいやすいものです。(そうした現実逃避的宗教が)貧困等にあえぐ人々をして、来世への関心を高め、また対立や紛争へと向かわしめてきた面もあるといえましょう。そこには、生と死の問題を乗り越える哲学が欠如しております。
 こうした考察への手掛かりともなる、本日の有意義な講演会に参加できたことに、あらためて感謝したいと思います」
 生死の苦悩の闘を照らす「妙法の灯火」を高らかに掲げながら、生命の本源的な自由と、永遠の幸福と平和の道を、人類に示してまいりたい。
18  ここ東京牧口記念会館から望む富士は、春夏秋冬、すばらしい。
 何があろうが、この一生を富士のごとく、悠然と徴動だにせず、戦い、生きぬいていくことだ。
 そこにこそ、何ものも破壊できない、自分自身の「金剛の生命」がつくられ、不滅の大功徳に包まれていくからだ。
 東京の町田ゆかりの作家・北村透谷も富士を謳った。
 激しき風にも、また雲にも、雷にも微動だにせず、恒久不変の威厳を示し、不朽不死の尊容を誇る富士――その偉大なる姿を仰ぎ、讃えた一人である。
 透谷はつづった。
 「流転の力汝(=富士)に迫らず、無常のちから汝を襲はず。『自由』汝と共にあり(中略)遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり」(『北村透谷選集』勝本清一郎校訂、岩波文庫)
 われらの人生も、かくあれ!――と、私は申し上げたい。
 終わりに、
  富士の山
    勝ちて見つむ
      不二の山
  
  恐れなく
    富士の如くに
      君と僕
 と贈り、私のスピーチとしたい。
 長時間、本当にありがとう! 激闘が続きますが、くれぐれもお体に気をつけてください。健康のために、あまり夜遅くに食べないように、また、なるべく早い就寝を心がけていってください。
 皆さまのご健康、ご長寿、そして大勝利の福徳の人生を祈りに祈っています。本当にご苦労さまでした!
 (東京牧口記念会館)

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