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日蓮大聖人・池田大作

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第四十九回本部幹部会、第四回東北総会 さあ前進! 世界広布の「本門の時代」を

2005.5.18 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  連戦連勝の四十五年間、全同志に感謝
 東北の皆さま、新世紀第四回の総会、おめでとう! 東北は本当に伸びてきた。新しい人材の東北ができてきた。私はうれしい!
 また、海外のSGIの皆さま、遠いところ、ご苦労さまです!
 全国の同志の皆さま方にも、「ご苦労さま、ありがとう」と心から感謝申し上げたい!
 恩師戸田先生は、つねづね、こうおっしゃった。
 「正義は絶対に勝たねばならない。正義が負ければ正義ではなくなる。創価学会は、正義の中の正義の団体である。
 ゆえに、絶対に勝たねばならない。勝ってもらいたい。永遠に勝ちぬき、勝ち誇って、一生を送ってもらいたい」
 厳しく、正しき恩師の指導であった。
 私が戸田先生の弟子となり、第三代会長に就任して、本年で満四十五年。
 この恩師の言葉のとおり、全国の同志が力を振りしぼり、何があっても我慢して、広宣流布のために戦い、勝ってくださった。忍耐と希望を持ちながら、敢然と前進してくださった。
 それゆえに、会長就任以来、この四十五年間を連戦連勝で進んでくることができたのである。すべでは、皆さまのお力と護りがあったからである。
 見事なる連戦連勝を飾った全国、全世界の同志の皆さまに、もう一度、心から御礼申し上げたい。本当にありがとう! 本当に、おめでとう!
 海外の皆さまにも、重ねて御礼申し上げます。海外の友のはつらつとした姿は、日本の同志に計り知れない勇気と希望を贈っているのです。重大な使命の方々です。
 さらにきょうは、大切な創価の僧侶である青年僧侶改革同盟の皆さまも参加してくださった。ご苦労さまです!
2  難こそ誉れ! 正義の民衆は戦い勝った!
 最初に「勝負」という観点から、いくつか懇談的に話したい。広宣流布の戦いは、魔との連続闘争である。
 これまでも、何度か語ってきたが、若き日、私は、大阪の地で、無実の罪で捕らえられた。「大阪事件」として、学会の歴史に厳然と記されている。(=「大阪事件」とは、一九五七年〈昭和三十三年〉の七月三日、名誉会長が無実の選挙違反の容疑で逮捕された事件。四年半の裁判を経て、一九六二年一月二十五日、無罪判決が出され、まったくの冤罪だったことが証明された)
 すべては、正義の民衆の連帯である学会の前進を妬み、憎み、破壊せんとする権力の陰謀であった。それは、皆さんがご承知のとおりである。
 日本の国は、「嫉妬の思いが甚だしい国である」(御書544㌻、通解)――。
 日蓮大聖人は、このちっぽけな「嫉妬の国」に、あえて凡夫の姿で、お生まれになられた。
 そして、数々の大難を招き寄せ、御自身が法華経の行者であることをお示しになって、全民衆の救済の道を開いていかれたのである。
 わが学会もまた、民衆の中で生まれた。正義ゆえの数々の大難を受けながら、民衆とともに、民衆の幸福のために戦ってきた。勝ってきた。この事実こそ、学会が大聖人直結の仏意仏勅の団体であかる証にほかならない。これほどの誉れはないのである。(拍手)
3  勝負を決するのは「人材」である。
 戸田先生は、人材をこよなく愛された。つねに人材を見つけ、人材をつくり、人材を立派に育てていくために、あらゆる手を尽くされた先生であられる。とくに、これと見込んだ青年に対しては、それはもう容赦なく訓練された。針の先でつつくように細かいところまで目を光らせておられた。この恩師の厳愛の薫陶ありて、学会の人材の城が築かれてきたことを忘れてはいけない。
 戸田先生は、厳しき戦いのなかで人材を鍛錬された。
 常勝関西の源流となった昭和三十一年(一九五六年)の「大阪の戦い」。戸田先生から総指揮者に任命されたのが私であった。
 文字どおり、「不可能を可能にする」戦いである。そこに先生は、私を送り込まれたのである。
 晩年の戸田先生が「勝って、わが人生の最後を飾りたい」というお心であったことは、私もよくわかっていた。また、学会の将来を見据えて、「大作がどこまでできるか見ておきたい」というお気持ちもあられたようだ。ともかく、私は戦うしかない。勝つしかない。
 「私は勝つ! 断じて勝つ!」と心に決めて、走りに走った。そして、後世の人が仰ぎ見る、民衆勝利の大金字塔を打ち立てたのである。
 きょうは、尊敬する関西の同志も来てくださっている。常勝の魂を継承しゅく関西青年部の諸君も頼もしい。いつも本当にご苦労さまです。ありがとう!
4  前へ前へ!青年の心で
 信心の世界は、素直な心の人が勝つ。真面目に地道に行動する人が最後は得をする。
 たとえば、会合に出席するにしても、少しでも早く会合に行こう、そして会場の前に座ろうという心の人は、生き生きと光っていくものだ。小さいことのように思えるかもしれないが、この「前へ前へ」の一念が大事である。自分自身を勝利の方向へ、福徳の方向へ、健康の方向へと引っ張っていくのである。
 もちろん、「前」でなくてはいけないということではない。たとえ、「後ろ」であったとしても、時間のないなかで、必死に仕事をやり繰りして、遠くからやっとのことで駆けつけたという場合もあるにちがいない。その人の心もまた最高に尊い。
 要するに、妙法を求める一念がどうかである。「心こそ大切」が仏法の真髄である。
 信心には「定年」はない。これだけやったから、もう休んでいいということはない。生きているかぎり、何かの仕事を残していくことだ。それが、われらの「価値創造の人生」である。
 仏典には「人間は百二十歳まで生きられる」と説かれている。であるならば、六十歳、七十歳は、まだまだ人生の折り返し。絶対に老け込んだりしてはいけない。とくに最高幹部の皆さん、よろしく頼みます!
 仏法は、限りない向上の源泉である。いくつになっても、生命は生き生きと輝いていけるのだ。
 心は「青年」でなければならない。私たちは、どこまでも青年の気概で、勇気凛々と、気力満々と、健康勝利の道を前進してまいりたい!
5  あの日あの時の友を忘れない
 私は、もっとも大変なときに、ともに戦ってくださった方々を、生涯、忘れない。
 昭和五十四年(一九七九年)の四月、私は、第三代会長を辞任した。その背後には、陰険な宗門と結託した反逆者たちの醜い謀略があったことは、皆さんもよく知っていることと思う。
 じつは、私の会長辞任の報を聞いて、真っ先に私のもとに駆けつけてくれた人たちがいた。
 「なぜ、先生が辞めなければならないのだ!」「だれが先生を辞めさせたのだ!」――もう居ても立っても居られず、彼らは、東京にやってきたのである。
 その人たちは、関西の七人であった。私は、この友に″関西の七勇士″という名前を贈った。
 さらに、この時、北陸の二人の同志も馳せ参じてくださった。
 この第一次宗門事件も、近年の第二次宗門事件も、学会は断じて勝った。学会の団結は、誰人も壊すことはできなかったのだ。
 あまりにも美しき同志の真心を、私は永遠に忘れない。永遠に讃えていきたい。さらにまた、全国、全世界におられる広宣流布の大功労の友に最大の賞讃を捧げたい。それが私の偽らざる心情である。
6  音楽隊の皆さん、いつもありがとう! きょうは私も一緒にやりましたよ!
 (=本部幹部会の席上、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団が「新世紀の歌」「紅の歌」を演奏。名誉会長も″トランペット″を手にして、友の名演奏にエールを送った)
 私は、皆さんが会場に着き、練習している様子をうかがうたびに、「きょうも来てくださったな。仕事も忙しいなか、本当にありがたい」と思う。
 音楽隊の皆さんが、生々世々、世界的芸術家の境涯、幸福の長者の境涯を得ることは、仏法に照らして間違いない。なぜなら、これほど多くの同志に音楽を贈り、心を豊かにし、広宣流布の士気を鼓舞しておられるからである。おめでとう! ありがとう!
7  難と戦ってこそ仏の境涯に
 牧口初代会長を偲びつつ、大確信の信心に続いていきたい。
 「難があればあるほど、仏になれるのだ」「憎まれれば憎まれるほど、功徳は増大していくのだ」
 これが、軍部権力と戦い、殉教された先生の悟りであられた。
 これまでも、これからも、難にあわない仏はいない。難と戦ってこそ仏の境涯は得られる。ここに仏法の真髄がある。
 「謗法を破折することは、自分自身を厳然と守るためである。大聖人をお守りすることである。広宣流布を推進していく力なのだ」――牧口先生は、こう心を定めておられた。
 戸田先生の言葉を胸に刻みたい。
 「要するに、問題があるから、力がつく。悪い人間がいるから、境涯が大きくなる。そう達観して、大きく強く生きぬいていくことだ」
 確かにそのとおりである。どんな社会、どんな組織であれ、課題はある。悪い人間もいる。何もないということは、ありえない。課題があり、悪い人間がいるからこそ、それと戦い、苦労するなかで、力がつくのである。
8  言論戦は攻めて勝て!
 また戸田先生は、いつも、″勇敢に生きよ! 臆病になるな!″と教えられた。
 いわく「臆病な人生を生きねばならぬ人間は、畜生のようなものである。卑怯であり、不幸である。勇敢なる人生を生ききる人は、最高の人生であり、幸福である」と。
 さらに、小樽問答(一九五五年三月)の時のことである。
 問答は学会の正義を満天下に示した、歴史的な他宗との法論であった。日蓮宗(身延派)は宗門を相手にしたいと言ってきたが、宗門が逃げ回り、代わって学会が、受けて立った。社会も大いに注目した。
 戸田先生は、私を中心とする青年部に、全権を任された。「大作、やってやろうじゃないか」「行ってくれ」と。
 (=名誉会長は当時、青年部の室長として、実質的に対策の指揮をとった。法論では学会側の司会を務め、痛烈な破折の第一声で、勝敗の帰趨を決した)
 法論の勝利のために、もっとも大事な点は何だったか。それは、法論の中身の問題ではなかった。
 戸田先生はただ、「思いきり攻撃する」ことを教えられた。「攻めることが肝心なのだ」と。
 学会は永遠に、この攻撃精神で進みましょう!
 広宣流布を阻む仏敵との戦いに、容赦があってはならない。
 先生は峻厳に言われた。
 「学会に敵対したら、生々世々にわたって福運の道を断ち、苦しみぬかねばならない」
 戸田先生は、私たちのことをよく「闘争人」と表現された。先生は叫ばれた。
 「″闘争人″というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです」
 悪との戦いについては、極端なまでに攻撃的な先生であった。しかし同時に、徹底して暴力的な行いを嫌った。一見、正反対のことを言っているように見え、「どれが本当か」と戸惑う人もいたが、全部、真理であった。先生の言葉は、全部、「民衆を不幸にするものは許さない」という深い慈悲に発していたのである。
 私自身、若き日から、正義の言論戦に徹してきた。
 無認識で誹謗する人間に対しては、どんな相手であれ、「認識せずして評価する。それではあまりに幼稚ではありませんか!」と厳然と訴えた。心からの言葉であれば、相手の心は変わるものである。
 この「戦う言論の魂」を、青年部の諸君は、今こそ受け継いでいただきたい。
9  先生は「人間学」の天才であられた。人材育成について、こう言われたことがある。
 「人材を輩出するには、いそがしいことが大事だ。そうすれば組織が若返る。その中で人材が養成されるのだ」
 時間と余裕があれば、その分だけ成長するかといえば、逆である。朝から晩まで、ぼーっとして、価値ある「行動」がない。これでは人材になるわけがない。
 闘争に次ぐ闘争――その忙しさのなかで、人間は磨かれる。学会の人材育成のあり方は、正しいのである。
 戸田先生の希望は「青年」であった。
 「これからの日本、そして世界は、青年が嵐のごとき絶讃の応援をしていくならば、どんなことでも実現できる。否、それしかこれからの大業の実現はありえない」
 これが、先生の大確信であった。
 私も「青年の時代」をつくっている。世界広布という大業の実現は、青年に託すしかないからだ。日本はもとより、海外も、頼もしい青年が増えてきた。私は本当にうれしい。
 海外から来日された青年の方は、いらっしゃいますか?(代表が元気に挙手を)
 私たちは、心から歓迎し、最大に応援していきたい。
10  題目で生命力を満々と
 戸田先生は言われた。
 「生命力の弱い者は、強い者に負ける!」
 生命力を増す。それには題目をあげることだ。色心ともに健康になるのだ。
 生命力を強くする軌道が、折伏であり、広宣流布である。そのリズムに乗った人間は強い。
 広宣流布の組織から離れた人間は弱い。強いように見えても、勝手気ままに偉そうな格好をしていても、弱い。それは虚勢だからだ。しっかり者の奥さんが、ふっと吹けば、飛んでしまう男性のようなものだ。(笑い)
 また、戸田先生は「新しい仕事というのは、自分たちのこれまでの枠を破るところから出発するものだ」と言われていた。
 深い意味をもった言葉である。よく思索していただきたい。偉大な仕事、価値ある仕事をすることだ。ただ、軽率な考えで、今まで先輩が築き上げたものを、すぐに壊せばいいというものでもない。極端に走るのは青年の特質とも言えるが、よくバランスを考えないといけない。
11  戸田先生は師子吼された。
 「広宣流布の大業というものは、魔との闘いである。たじろぐことは許されない。負ければ、人類は、永遠に聞に包まれてしまう」
 広宣流布は魔との闘争である。魔に打ち勝てばいいのである。そうすれば、平和と幸福の花園が広がっていく。魔が出現しない広宣流布の戦いなど、ありえない。大聖人は「此の世界は第六天の魔王の所領」と、明確に仰せである。
 では、「魔を打ち破る利剣」とは何か。それは「題目の力」である。
 魔を打ち破って、多くの人を味方につける。これは、すごいことである。折伏である。邪義を破折して屈服させるのだ。
 魔との戦いは、幸福になるためである。仏になるためである。永遠の功徳輝く生命になるための、いちばんの力であり、近道である。
 魔と恐れなく戦え! 魔の春闘動を許すな! 対に妥協するな!――そう恩師は叫んだ。
 正義が負ければ、人類は闇に包まれる。地球を救うには、善の連帯を広げるしかない。その基盤となるのが「人間革命」哲学である。
 戸田先生は「組織を利用し、皆から顰蹙を買うような問題を起こす幹部は解任せよ」と厳命された。
 学会に迷惑をかけた幹部はただちに辞めさせよ! 絶対に皆で追放していけ!――それはそれは厳格なる先生であられた。
12  戸田先生は訴えた。
 「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」
 「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吠えてこそ師子である」
 たとえ正義であっても、敗れてしまえば、現実に何の波動も起こせない。勝ってこそ正義である。だから勝ちましょう!(拍手)
 戸田先生は達観されていた。
 「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな!
 英雄の道を歩むのだ。
 偉人の道を歩むのだ。
 私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りないこと)に過ぎないのだ」
 私たちもまた、恩師のごとく、こういう境涯で頑張ろう!
13  東北は立派に成長した。東北長と東北婦人部長を中心に、新しい時代が開幕した。本当におめでとう!
 (=名誉会長は参加者を激励。山形の女子部の友に対して)
 娘のあなたが、しっかり信心をしていれば、お父さんは、もう信心をしているのと同じです。
 大丈夫です。どうか、朗らかに進んでください。
 大事なことは、あなた自身がよき娘であることです。「お父さん、肩をたたきましょうか」とか、何でもいい。感謝の気持ちを、何かで伝えることです。
 一般に、父親というのは、娘がかわいくてしかたがない。娘がお嫁に行くと聞けば、一週間は泣いている(笑い)。結婚したら一カ月ぐらい泣いて、一年ぐらい魂が抜けたようになってしまう場合もある。(笑い)
 ともあれ、少しもあせる必要はない。ここまで育ててくれた、お父さんへの感謝を忘れず、頑張ってください。
14  人間をつくる宗教、人間をつくる教育
 ここで、世界の指導者や、古今の思想家の言葉、また名作の一節などを通して、少々、お話ししたい。世界のあらゆる文化に光を当て、広く学び、新たな価値創造のエネルギーを引き出していく。それが、創価の道である。
 本日の幹部会には、インドのメンバーが参加されている。
 遠いところ、本当に、ようこそ! ナマステ(こんにちは)!
 近代インドの思想家ヴィヴエーカーナンダは、こう言っている。
 「われわれに必要なのは人間をつくる宗教である。われわれに必要なのは人間をつくる教育である」(「ヴイヴェカーナンの生涯と普通的福音」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』15所収、みすず書房)
 人間をつくる。人間を育てる――未来を開いていく一切の根本は、そこにある。そのためには、宗教による深き精神性と、教育による英知の光が不可欠なのである。
 先哲の言葉は、私たちの進んでいる道が正しいことの、一つの証左である。
 ドイツの詩人で、劇作家であるエルンスト・トラーは、八十年前、人々に向かって呼びかけた。
 「革命は、君達を、実に、君を待っているのだ、青年よ!」(『どっこいおいらは生きている!』瀬木達訳、改造社)
 トラーは、平和主義と反ナチスの運動を勇敢に展開し、弾圧された。人間を抑圧する悪と戦い、さんざんに苦しめられた。″権力や地位をもった人間は信じられない。青年こそ、時代と社会を変えていく主役なのだ!″という叫びを感じる。
 本日は、フランスSGIの理事長はじめ、フランスの代表が参加されている。ありがとう!
 十九世紀のフランスの詩人ボードレールは、こう書き留めた。
 「躊躇の損失は如何に大きいことか!」(『感想私録』堀口大学訳、小学館)
 躊躇とは、ためらうことである。やろうか、やめようか、どうしようか――そうやって躊躇すること自体が、大きな損失を生む。
 やるべきことは、すぐにやることだ。決意したら、ただちに行動することだ。
 「勝利はうつくしい花です」――これは、ドイツの詩人シラーが、ジヤンヌ・ダルクを描いた戯曲の中にある一節である。(『オルレアンの処女』野島正城訳、『世界文学大系18 シラー』所収、筑摩書房)
 まさしく、そのとおりである。私たちも、わが人生の舞台において、美しい勝利の花を、爛漫と咲かせきってまいりたい。
 さらにシラーは別の戯曲で、「人間の権力などをおそれまい」(『ヴィルヘルム・テル』桜井政隆・桜井国隆訳、岩波文庫)とつづっている。
 人間の権力というものは、いかに強大に見えても、悠久の歴史の流れからすれば、じつに、はかないものだ。いわんや、三世永遠に大宇宙を貫く、偉大なる妙法に比すれば、まことに小さな存在である。
 私どもは、その最高の妙法をたもっている。三世十方の諸仏、諸天が厳然と守ってくださっている。ゆえに、ちっぽけな権力など、恐れることはない。はるかな精神の高みから、悠然と見おろしていくことだ。
 「真実は曲げることができない」という格言が、ロシアにはある。
 真実は、どこまでいっても真実である。真実をねじ曲げ、覆い隠そうとする悪に対して、私どもは断固として戦っていく。それが、学会の誇り高き道である。
 さらにロシアには、「女性の知恵は、万人の考えに勝る」ということわざがある。
 広宣流布の前進においても、女性の聡明な知恵が、どれほど力を発揮し、道を開いてきたことか。創価学会のあらゆる活動は、女性が大きく支えてくださっているのである。
 かりにも、女性を下に見たり、高慢な態度で接するような人がいれば、時代遅れも甚だしい。そのようなことは、決しであってはならない。
 ″婦人部・女子部の、おかげで、広宣流布は進んでいるのだ″――男性のリーダーは、こう肝に銘じて、女性に感謝し、讃え、大事にしていかなくてはならない。
 男性は、女性に「最敬礼」してまいりたい。
 中国の『伝習録』に、「人生の大病は、ただこれ一のごうの字なり」とある。
 人間の一生の最大の病根は、「傲」の一字――すなわち「傲り」に尽きるということである。
 傲慢な人間は、結局、みずからの傲慢によって滅びていく。「傲り」は怖い。「傲慢」は、人間精神の深刻な″病″といえるかもしれない。まさしく「人生の大病」である。人生全般に通ずる言葉であるが、仏法の世界、信心の世界において、とくに戒めていくべき一点である。
 御書の仰せどおりに広布に進む学会に対して、決して傲慢になってはならない。絶対に学会を、学会員を軽んじてはならない。経文に照らし、御書に照らして、その人は必ず厳しき報いを受ける。
 「わるい所業は、所詮、栄えませんな」とは、古代ギリシャの大詩人ホメロスの『オデユツセイアー』(呉茂一訳、岩波文庫)の一節だが、古から変わらぬ真理である。
15  アメリカ創価大学で第一回卒業式
 いよいよ、わがアメリカ創価大学の第一回卒業式が、今月二十二日(現地時間)に挙行される。世界の舞台に、栄光の第一期生たちが出発する。
 卒業式には、国際機関や教育界の代表をはじめ、各界の著名な来賓が多数、出席される予定になっている。さらに、ゴルバチョフ元ソ連大統領、インドのナラヤナン前大統領、世界各地の大学総長や識者の方々から、続々と祝福のメッセージが届いており、最優秀の若き創価の英才たちに最大の祝福を寄せてくださっている。
 アメリカ創価大学は、″二十一世紀の世界市民の揺藍″として大きな期待を集めている。本当にうれしいことである。
 南米ブラジルのロンドリーナ市には、三十七万坪におよぶ広大な「池田大作博士環境公園」がある。光栄にも、この公園に私の胸像を置くという提案を市長からいただいた。胸像を囲むように三つの石版が建てられ、私の理念の柱である「平和」「文化」「教育」の言葉が刻まれるとうかがった。
 また、ブラジルと日本の友好を願い、記念植樹も行われる。すべては、皆さん方への絶大なる「信頼の証」である。私は深く感謝している。世界広宣流布が、壮大な広がりで展開し、進展している証明であると思っていただきたい。
16  「『生老病死と人生』を語る」の連載開始
 釈尊が、自身の本地を明かした法華経「本門」の寿量品を説いたのは七十六歳であると、日寛上人は記しておられる。(日寛上人の「観心本尊抄文段」には、「〈釈尊は〉七十六の御歳、正しく寿量品を説くなり」〈文段集四五二ページ〉とある)
 わが創価学会は本年、七十五周年を迎える。これからが、世界広布の「本門」の時代の始まりである。
 現在、七十七歳。いよいよ、本格的に仏法を論じ始めていくつもりである。その一環として、「聖教新聞」で新連載「『生老病死と人生』を語る」を開始する予定である。(=二〇〇六年十一月、本社より発刊)
 トルストイは論じている。
 「古代から人間の理知はお互い同士の闘争や苦悩や死によっても滅びることのないような人間の幸福を探知することに向けられてきた。そして闘争や、苦悩や、死によっておかされることのない、この疑いない人間の幸福をますます解明しようとすることにこそ、われわれがその生活を知りはじめて以来の人類の進歩のすべてがあるのである」(『人生論』中村融訳、岩波文庫)
 苦悩や死によっても揺るがない、絶対的な幸福境涯を、いかに確立するか。トルストイは、そこに「人類の進歩のすべてがある」と言った。その最先端の哲学の道を切り開いているのが、わが創価学会である。
 ご存じのように、私は、これまで、世界の多くの医学者とも対話を重ねてきた。
 がん研究の第一人者であり、モントリオール大学の学長を務めたルネ・シマー博士とは、対談集『健康と人生――生老病死を語る』を発刊した。(本全集第107巻に収録)
 また、世界的な心臓外科医で、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長であるフエリックス・ウンガー博士とも、対談を行っている。(=『人間主義の旗を――寛容・慈悲・対話』と題し、二〇〇七年八月、東洋哲学研究所から発刊)
 新連載「『生老病死と人生』を語る」では、ドクター部の代表とともに、尊き同志のますますの健康と長寿を真剣に祈りつつ、語り残したい。
17  戦う文豪ユゴlは叫んだ。
 「正義と共に居る人は死を畏れるものではない」と。(「小人ナポレオン」本間武彦訳、『ユーゴー全集』10所収、ユーゴー全集刊行会)
 正義の中の正義である学会とともに生きゆく人は、いたずらに死を恐れることなく、荘厳な人生の総仕上げを飾っていくことができる。その美しき、見事な勝利の実証は、枚挙にいとまがない。
 反対に、恩知らずの裏切り者たちの末路が、どれほど惨めであるか。皆さまも、よくご存じのとおりだ。
 御聖訓には、「謗法の者を対治する功徳によって、生死の迷いと苦しみを離れることができる」(御書68㌻、通解)と説かれている。
 悪と戦いぬく生命こそが、常楽我浄の風に包まれる。なお、「常楽我浄と仏法」をテーマにした対談も、時を見て開始したいと思っている。
 ともあれ、「これからが勝負」である。
18  私はかつて、世界的に有名な微生物学者であり、医学の分野で大きな業績を残されたルネ・デユボス博士とお会いしたことがある(一九七三年十一月)。デュボス博士との会談をすすめてくださったのは、歴史学者のトインビー博士であった。
 デュボス博士は、こう述べている。
 「努力のない人間が堕落し、努力なくしては人は進歩することができず、そして努力なくして人が幸福になりえないことは、歴史の教えるところである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社)
 「努力のない人間は堕落する」――まったくそのとおりである。努力していない人が、本当に幸福に、なったためしはない。
 皆さんには今、さまざまな苦労があるかもしれない。しかし、大変ではあるけれども、そうした苦労のなかで努力しているからこそ、幸福になれる。努力と幸福は一体である。
 その確信をもって、広布のために勇んで苦労し、幸福への王道を歩みぬいてまいりたい。
 きょうは、最高に晴れやかな東北総会、重ねて、おめでとうと申し上げたい。
 折伏も、「聖教新聞」の拡大も、正義の対話も、東北の大誠実の友は、すべてに大勝利した。私は心から讃嘆申し上げたい。
 東北が生んだ信念の教育者であり、牧口先生と深き交友があった新渡戸稲造博士は言った。
 「信仰は勇気であり、勇気は信仰である」
 また、「愉快は偉大な魂の特徴である」「臆病者なら度を失う白熱の戦闘にあっても、偉大な魂はつねに愉快である」。(『編集余録』佐藤全弘訳、『新渡戸稲造全集』20所収、教文館。原文は英語)
 私は、「偉大なる東北よ、勇敢に、そして愉快に勝ち進め!」と申し上げたい。
19  法華経の兵法で、師弟の心で、勝て!
 「法華経に勝る兵法なし」。これが、大聖人の御確信である。
 それは、「広布」と「人生」のあらゆる闘争を断固として勝ちぬいていく、真髄の力である。そしてまた、提婆達多のごとき邪知の輩をも、厳然と打ち破っていく究極の智慧である。
 迫害をくぐりぬけた四条金吾。その勝因を大聖人は三点にわたって示された。(御書1192㌻)
 まず、「先々の用心」。決して油断せず、事前の準備や轍密な取り組みを怠らないことだ。
 次に「勇気」。
 そして「強い信心」。強盛なる大信力を出すことである。
 「法華経の兵法」を会得するための要諦は何か。
 それは、「師弟相違せばなに事も成べからず」等と示されているとおり、″師匠の深き心に、自身の心を合致させていく信心″である。
 大聖人に直結する創価学会の師弟には、この「法華経の兵法」が脈々と受け継がれている。師と弟子の心が一致した「法華経の兵法」ほど強いものはない。
 戸田先生は、あの大阪事件の弾圧の渦中に叫ばれた。
 「破折すべきことは徹底して破折していくんです。黙っていれば、世間はそれが真実だと思い込んでしまう。
 『いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』というのが、折伏の精神です」
 「正義が嘘八百に負けてたまるものですか」
 負けてたまるか!――この「折伏精神」「攻撃精神」に心を合わせてきたからこそ、世界的な学会になった。
 牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私は、この最極の「師弟の力」で勝ってきたのである。
 わが青年部も、この道に続いていただきたい。
20  五月十九日は、創価学会常住の御本尊が認められた意義深き記念の日である。(本年は五十四周年)
 この御本尊には、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と、お認めである。創価学会の破邪顕正の勝利は約束されている。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。
 「信仰が、その結果として行動に移されないとしたら、いったい信仰とは、何であろう?」
 信仰は、観念論ではない。「行動」こそ、真実の信仰の証である。
 私たちは、さらに強く、全世界へ「大法弘通」の道を開き、さらに深く、末法万年尽未来際へ、「慈折広宣流布」の流れを起こしていきたい。そして、さらに堂々と「大願成就」の勝利の歴史を築きゆくことを、固く決意しあいたい。
 どうかお元気で!
 元気になっていく一つの根本は、「夜、できるだけよく休むこと」である。当たり前のようだが、いちばん大事なことだ。夜は遅くまで起きていて、朝は早く起きねばならない――これでは続かない。できるだけ、体を休めていただきたい。
 以上で、本日の幹部会を終わります。長時間、ご苦労さまでした。
 皆さんが、いつまでもお元気であられるように祈っています。ありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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