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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 すばらしき人生を! 「対話」で心を結べ

2005.5.14 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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2  きょうは、婦人部・女子部の人材グループである「大香会」、さらに「パレスグループ」の代表の皆さま方が集まってくださった。「創価の道」をまっすぐに歩み、「広布の城」を厳然と護ってくださる尊き功労に、心から感謝申し上げたい。
 さらに海外の同志の皆さま、本当にようこそ! 首都圏、また各部の代表の皆さまも、いつもいつもご苦労さまです。なお、本日は、遠く北海道から、はるばると、多くの同志が、お見えになり、創価の「師弟の殿堂」である東京戸田記念講堂を埋め尽くして、記念の大会を開催された。この五月三日を中心に、連日、まことに多くの同志が、全国各地から、おいでくださった。(学会本部への来館者数は史上最高を記録した)
 あらためて御礼申し上げるとともに、明年の五月三日へ向かって、全同志が、ますますご健康で、ご多幸で、福徳と栄光、勝利と繁栄の歴史を刻みゆかれることを、私は妻とともに真剣に祈っております。
 十四世紀のアラブの歴史家イブン=ハルドゥーンの言葉にこうある。
 「連帯意識は自己防衛や権力への対抗、自己擁護、目標追求への力をもたらす。これを失う者は誰も無気力で、これらのことを達成することはできない」(『歴史序説』1、森本公誠訳、岩波文庫)
 大事なのは、団結である。連帯である。そこから、すべてが始まる
3  まっすぐな心の人が尊い
 日蓮大聖人が佐渡に流罪されていた時のことである。幼子を抱えた一人の母が、はるばる鎌倉から大聖人のもとを訪れた。遠く離れた地から、険しい山々を越え、海を渡ってきたのである。その困難は、並大抵ではなかったであろう。大聖人は、その純真な信心と強き求道心を最大に讃え、この女性に「日妙聖人」の法号を贈っておられる。
 大聖人は文永九年(一二七二年)の五月、日妙聖人にあてた御手紙で、次のように仰せである。
 「法華経は『正直に方便を捨て』『皆是れ真実』『質直しちじきにして意は柔軟に(心がまっすぐで穏やかに)』『柔和質直なる者(穏やかで、まっすぐな人)』といって、あたかも弓の弦を張ったように正直で、また、墨縄すみなわ(直線を引くための道具)をうったようにまっすぐな心の人が信じる御経である。
 糞を栴檀と言い張っても糞には栴檀の香りはない。妄語(偽りの言葉)の者を不妄語であるといっても、妄語は不妄語とはならない」
 「この法華経こそ実語(真実の言葉)の中の実語である。実語である法華経は、正直の者が信じ、会得できるのである」(御書1217、通解)
 法華経は「真実の中の真実」の教えである。だからこそ、正直な、まっすぐな心で信じ、実践していくことが重要となる。反対に、心が曲がった人は、この信心を貫くことができない。ましてや卑劣な嘘つきは、清浄な仏法の世界にいることはできない。信頼の絆で結ばれた和合の世界において、そうした存在を絶対に許してはならない。
 釈尊の時代に、おいても、反逆者に共通する特徴は、「嘘つき」であることだった。
 御書では「提婆の大妄語」「瞿伽利くぎゃりの大誑言」「提婆の大妄語」「瞿伽利尊者くぎゃりそんじゃが虚誑罪」等と、提婆達多ら反逆者の大嘘が、厳しく断罪されている。そうした提婆・瞿伽利の流類ともいうべき大嘘つきが出現するのが、末法の濁世である。
 大聖人もまた、邪宗の坊主らの讒言によって、佐渡流罪や竜の口の法難などの大難に遭われた。多くの弟子が退転し、反逆する者もいた。
 そうしたなかにあって、「師弟の道」「真実の道」「正義の道」を、勇敢に、誠実に貫き通したのが日妙聖人である。
 大聖人は日妙聖人を、こう讃えておられる。
 「今、あなたは、実語の女性でいらっしゃるのであろう。
 まさに知るべきである。須弥山を頭にのせて大海を渡る人を見ることができたとしても、この女性を見ることはできない。砂を蒸して飯とする人を見ることができたとしても、この女性を見ることはできない。
 まさに知るべきである。釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行菩薩等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、この女性を、影が身に添うように護られるであろう。四天王等が、この女性を、影が身に添うように護られるであろう。
 あなたは、日本第一の法華経の行者の女性である」(御書1217㌻、通解)
 この日妙聖人のごとく、清らかな信心を貫き、尊き妙法の大道を歩んでおられるのが、創価の婦人部、そして女子部の皆さまである。
4  強盛な祈りでブラジル広布の礎を築いた婦人
 こうした婦人部の忘れ得ぬ同志に、ブラジルSGIの総合婦人部長を務めた方がいる。
 私は、お世話になった人々のことを決して忘れない。広布のために生きぬいた方々を、生涯、顕彰していくつもりである。
 彼女は、とにかく題目をあげぬいた方だった。軍政が続き、私がブラジルを訪問できなかった時期も、徹して祈り続けた。祈って祈って祈りぬいた。やがて民政が実現し、私はブラジルへの三度目の訪問を果たすことができた。じつに、十八年ぶりであった。(一九八四年二月)
 九三年にはふたたびブラジルを訪問し、彼女ともブラジルSGIの自然文化センターで、ゆっくり語りあった。この時は、日本で活躍していた息子さんも帰って来た。久々に一家がそろい、うれしそうにされていたのを覚えている。
 彼女が亡くなられたのは、その二カ月後であった。呼吸困難で倒れ、数日後に息を引き取られた。小さいころから喘息を患い、医師からは「二十歳まで生きられるかどうか」と言われたそうである。それが、信心をしてからは元気になった。寿命を三十年以上延ばし、ブラジル広布の礎を築いた尊い生涯であった。
 お葬式には、平日にもかかわらず、各界の名士をはじめ五千人もの人々が訪れたとうかがった。火葬場へ向かう車の列は、長蛇と続いた。多くの人々が、彼女との別れを惜しんだ。本当にすばらしい葬儀であったと聞き、私は深く胸を打たれた。
 妙法のために生きぬけば、最高の幸福境涯となる。また、次は″女王″のような何不自由ない境涯となって生まれてくる。それが仏法の偉大な力用である。
5  生命の因果の理法は厳粛である。妙法に生きぬき、誠実を貫いた人は、最後は必ず勝利者となる。
 反対に、嘘で同志を欺き、尊き仏法の世界を破壊しようとした人間は、最後は滅び去る。哀れな敗北の人生となっていくのである。
 もとより、「嘘をつかない」などというのは、人間として生きる上での基本的なモラルである。古今東西を問わず、「嘘」は卑劣な行為とされてきた。「嘘は永遠には続かない」ことも、多くの事実が証明している。
 十九世紀のイギリスの歴史家カーライルは、喝破した。
 「虚言を宣伝したとて抑々何の益するところがあろう。その虚言は看破され、破滅的応報がこれに対して課せられる」(『英雄崇拝論』老田三郎訳、岩波文庫)
 人間の権利と尊厳のために闘ったアメリカのキング博士も、「いかなる嘘も永遠に生き続けることはできない」とのカーライルの言葉を、演説で紹介している。(『私には夢がある』梶原寿監訳、新教出版社)
 最後には正義が勝つ。真実が勝つ。これが歴史の鉄則なのである。
6  「慈悲」と「悪への怒り」は一体
 この五月、デンバー大学副学長であるナンダ博士との対談集『インドの精神』が東洋哲学研究所から発刊され、各界より大きな反響をいただいている。ナンダ博士は、世界法律家協会の名誉会長であり、「人間の尊厳」のために戦いぬいてこられた「人権の闘士」「正義の闘士」である。
 博士は、社会の不条理と戦う烈々たる信念を、このように語っておられた。
 「『慈悲』と『悪への怒り』は矛盾しないと思います。慈悲とは、自分の周りで起こっている出来事に対し、見て見ぬふりをすることではありません。
 なぜなら、慈悲があれば、社会の病理を直視し、それを正そうと思わざるをえないからです」(『インドの精神』)
 まったく、そのとおりである。
 仏法では、「慈無くしていつわり親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等と、明確に説かれている。悪の根を断ち切っていく勇気こそ慈悲なのである。
 さらに、ナンダ博士は、こうも言われていた。
 「声を発しないかぎり、また行動を起こさないかぎり、社会の病理を正すことなど望めません」
 「本当に憂慮しているのであれば、何かが正しく行われていない場合、それを正したいはずです。そのためには行動を起こさねばなりません。そして行動を起こすためには、聞く人にとって耳の痛いことを言わねばならないこともあるのです。時には、厳しすぎると思われることもあるでしょう。しかし、それは慈悲あればこそなのです」(前掲『インドの精神』)
 「悪」を知りながら傍観し、放置する行為は、「悪」と同じである――これは、創価の父・牧口先生の信条でもあった。
 涅槃経では、次のように説かれている。大聖人が、悪と戦う意義を門下に教えるため、何度も引かれた一節である。
 「もしも、善き修行者が、仏法を破壊する者を見ながら放置し、厳しく責めもせず、追放もせず、罪を挙げて処罰しないならば、まさにこの人は仏法の中の怨敵であると知るべきである。
 もしも、よく追放し、厳しく責め、罪を挙げて処罰するならば、これとそ私(仏)の弟子であり、真の声聞である」(御書二三六ページ等、通解)
 さらにまた、「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」と仰せである。
 悪を容認してしまえば、さらに多くの人々が苦悩を抱え、辛酸をなめることになる。「悪」を滅してこそ、「善」が生ずる。
 私どもは、この大聖人の御心を深く胸に刻み、「師子奮迅の力」を奮い起こし、「以信代慧(信を以って慧に代う)」の「智慧」を出しきって、悪を責めぬいてまいりたい。
7  苦難の時にこそ「真実の友」は人生の宝
 先日(七日)は、北京語言大学の先生方を、お迎えすることができた。中国の方々と結んだ友情は、いかなる時代の波浪にも、揺るがない。
 中国の『荘子』には、こういう一節がある。
 「利を以て合う者は、窮禍患害きゅうかかんがいに迫りて相棄つるなり。天を以て属する者は、窮禍患害に迫りて相収むるなり」(市川安司・遠藤哲夫『荘子』下、明治書院)
 ――利害によって結ばれた人間は、禍いがふりかかってくると、たがいに相手を捨ててしまう。反対に、天命によって結ばれた者同士は、禍いにあえば、固く結ばれていく――。
 まさに、人間世界の実像であろう。利害による結合は、もろく、はかない。真の友情は、苦難にあうほど、深められ、強められていくものだ。
 有名な『三国志』には、″神交しんこうは、外言がいげんかんする所に非ざるなり″(呉書、諸葛瑾伝の注)という一節が引かれている。
 これは、固い心で結ばれた交わりは、他人の言葉や、かげ口などで左右されることはない、という意味である。「真実の友」と「真実の友情」を結ぶことこそ、最高の人生の宝である。
 また、中国では、まるで正反対の二種類の友人のことを、「良朋益友りょうほうえきゆう」(人を向上させる良き友)、「狐朋狗友こほうくゆう」(キツネなどのように狡賢く人をおとしいれる友)という。先人たちは、この両者を厳しく峻別すべきであると、繰り返し教えてきた。
 唐の詩人・孟郊もうこうは、「人中に獣心あり」と喝破し、悪人に対しては、隙をつくらず、用心していくよう訴えている。
 御書には、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」とある。
 「知識」には、友人、知人という意味がある。悪知識とは、仏道修行をさまたげ、悪道に導く存在である。悪知識を遠ざけて、信心を向上させてくれる善友、善知識を求める。ともに広布のために戦いぬく。そこにこそ、幸福への確かな軌道があるのだ。
 戸田先生も、「悪い種を撒き散らすような人間は、学会から出てもらったほうがよい。学会はよい人のまとまりで進むのだ」と、厳しく言われていた。
 ともあれ、心を一つにした正義の友情ほど、強いものはない。
 中国の古の言葉に、「二人心を同じくすれば其の利きこと金を断つ。同心の言は、そのかおり蘭の如し」(『易経』)とある。厚い友情のことを「断金だんきんの交わり」「金蘭きんらんの交わり」と呼ぶようになったのは、これらの言葉による。
 私たちはこれまで、異体同心の団結で、あらゆる障魔を打ち破り、世界の良識が感嘆するような、平和と文化と人道の連帯を、堂々と、地球規模で築き上げてきた。異体同心の団結あるかぎり、何ものも、創価の民衆の連帯を破ることはできない。
 これからも私たちは、正義のため、妙法のために、断じて勝ちゆく前進を続けてまいりたい。その団結の究極の力こそ、「師弟」なのである。
8  「師弟不二」に敵うものなし
 言論の戦いに挑みゆく門下に対して、日蓮大聖人は、具体的に、また力強く、励ましを贈られた。時は五月。富木常忍ら三人の門下が、裁判に臨むことになった。これは、法門に関する裁判であったと思われる。正邪を決しゆく重要な戦いである。
 大聖人は、すぐさま、その三人の弟子たちに御手紙を書き送られた。そのなかで、大聖人は、正義を示す好機が到来したことを喜ばれ、門下にこう仰せになっておられる。
 「三千年に一度、花が咲き、実がなるという優曇華にあえる身であろうか」「一生のうちで、これほどの幸いはないであろう」(御書178㌻、通解)と。
 そして、裁判での心得を熟知されていた大聖人は、次のように、こと細かく指導されている。
 「まずは、日ごろ、胸にわだかまっている思いを、存分に主張されるがよいでしょう」
 「たとえ敵方の者が、悪口を吐いても、あなた方の身のうえのことは、一、二度までは聞かないふりをするのがよいでしょう」
 「それが三度にもおよぶときには、顔色を変えず、粗雑な言葉を使わないで、やわらかい言葉で切り返していきなさい」(同㌻、通解)――などである。
 さらに大聖人は、悪を打ち破りゆく戦いの要諦は何であるかを、明快に述べられた。
 それは、「妙法」と「師匠」と「弟子」――この三つが一体となっていくことである。そこに、不滅の勝利を成就しゅく根本の軌道があることを、大聖人は教えられた。(「仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成さん」)
 妙法に生きぬく、「不二の師弟」にかなうものは、断じてない。正義の師弟に生きゆく「信心の利剣」こそが、元品の無明を断ち切ることができる。この「法華経の兵法」をもって、私たちは、破邪顕正の正義の道を、いやまして勢いよく進んでまいりたい。
9  「師弟の道」ほど峻厳なものはない。
 戦後の混乱期、戸田先生の事業が挫折したときのことである。戸田先生が窮地に立たされると、これまでお世話になってきた人たちが、次々と先生の会社を離れていった。なかには、手のひらを返すように、「戸田の馬鹿野郎! インチキ野郎!」と罵り、去っていった者もいたのである。
 私は、先生のもとに残った。給料はなく、真冬でもオーバーなしで、ボロ靴をはいて、会社の負債の返済に駆けずり回った。夜学も断念した。自分の事は一切顧みず、先生をお守りした。すべてを捧げて、事業の再建に取り組んだのである。
 思えば、軍部権力に投獄された牧口先生に牢獄までお供し、命をなげうって仕えきっていかれたのが戸田先生であった。その戸田先生に、十九歳のときに巡りあい、あらゆる薫陶を受け、最後の最後まで、お仕え申し上げたのが私である。
 戸田先生の弟子として、私は、先生のお心に寸分違わず生きてきた。戦って戦って戦いぬいて、先生のご構想をすべて実現してきた。それが私の永遠の誇りである。
 学会の百九十カ国・地域へと広がる世界的な発展も、その源は、牧口先生にあり、戸田先生にある。そしてまた、師匠を守り、その精神を継承しゆく弟子の不屈の闘争があったがゆえに、学会は勝利し、発展し続けることができたのである。この一点を断じて、ゆるがせにしてはならない。
10  広布の人は「生命の長者」と輝く
 創価学会は仏意仏勅の広宣流布の団体である。「戸田の命よりも大切」と言われた学会の組織である。ゆえに、社会がどんな状況になろうが、他人がどうあろうが、仏意仏勅の学会のため、広布のため、同志のために尽くしていける人が、本物のリーダーである。
 大変なときこそ、毅然と耐えながら、大事な戦いに心を集中させる。そして、自分のできることを地道にやりぬいていく。そういう方々が学会にはたくさんいる。その心が尊い。「心こそ大切」である。
 とくに女性の皆さんの強盛な信心にこそ、学会は守られている。重ねて、婦人部、女子部の皆さんに心から感謝申し上げたい。
 ともあれ、広宣流布に戦えば、生々世々、生命の長者となり、無量の福徳に包まれていく。唯一の広布の団体である学会を守り、同志に尽くせば、永遠に諸天、諸仏に守られ、大切にされる自分になる。それが仏法の厳然たる因果である。経文に照らし御書に照らし、絶対に間違いない。
11  有名なイギリスの作家ロレンスは訴えた。
 「楽園などありはしない。戦い、笑い、苦しい思いをし、楽しい思いをし、それからまた戦うのだ。戦い、戦いつづけるのだ。それがつまり生活だ」(「アメリカ古典文学研究」酒本雅之訳、『アメリカ古典文庫12 D・H・ロレンス』所収、研究社)
 そのとおりだ。人生は戦いの連続である。
 二十世紀最大の歴史学者であるトインビー博士も、″人間の精神世界は善と悪との戦いである″と洞察しておられた。
 いわんや広宣流布は、永遠に「仏」と「魔」との大闘争である。
 ゆえに何があろうとも、御聖訓どおり、「強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」との心で厳然と戦い進んでいくことだ。そして、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」との御金言を忘れないことだ。
 真面目な信心の人、題目第一でまっすぐに進む人には、誰人もかなわない。
 反対に、純粋な学会の信心の世界を軽んじたり、裏切ったりすれば、どれほど怖いか。仏罰は厳然であることは、皆さんがご存じのとおりである。
 十八世紀のフランスの思想家、ヴォーヴナルグは記した。
 「勇気の極限は、危難にあって大胆不敵であることである」(『省察と箴言』内藤濯訳創元社)
 われらの勇気の行進に、恐れるものはない!――この大確信で、大胆に動き、勇敢に語り、断じて、勝利また勝利の日々を勝ち飾ってまいりましょう!(拍手)
12  世界を結ぶ文明間・宗教間の対話
 全世界の同志とともに、晴ればれと、勝利と栄光の五月三日を飾ることができた。人類の「平和」と「幸福」への心をつなぎ、私たちの歓喜の友情は世界に広がっている。
 「聖教新聞」にも掲載されたが、創立七十五周年の大勝利の五月三日に寄せて、世界中の識者から、祝賀と賞讃の声が続々と届いている。
 アメリカ・ハーバード大学の「世界宗教研究センター」の所長であるダン・スウェアラー博士も、SGIの運動を高く評価してくださっている。
 「私は、創価学会のような、社会に開かれ、貢献しゆく宗教の運動こそ、今の時代に求められている運動であると考えます。
 仏教においては、社会を志向する運動など必要がないと考えられてきた時期がありました。しかし、グローバル化(地球一体化)が進む現代社会において、宗教は新たな道を探る必要に迫られております。それは、グローバル化がもたらす諸問題に、どう対応していくかということであります」
 社会に聞かれた宗教であるかどうか。社会に貢献しゆく宗教であるか、どうか。そして世界の多様な民衆の要請に応えゆく宗教であるかどうか――ここに、二十一世紀の生きた世界宗教の要件がある。わが創価学会は、その道を先頭に立って進んできたのである。
 さらに博士は、こう指摘しておられる。
 「そのなかでも、大きな問題となっているのが、宗教間の対立――とりわけ、キリスト教とイスラム教の対立を、どう克服していくか、ということです。
 この点において私は、キリスト教とイスラム教の両者の橋渡しとなれる宗教として、『仏教』の存在に大きく注目しております」
 「文明間の対話」「宗教間の対話」を進めながら、世界を結んできた、私どもSGIの運動に、博士は深い共感と期待を寄せてくださっているのである。そして博士は、こうも語ってくださった。
 「私は、創価学会が、七十五年の歴史を通し、社会に聞かれた貢献をする運動を世界の百九十カ国・地域に広げてこられたことに、深い共感を禁じ得ません。
 こうした運動が、宗教の運動として評価されるようになったのは、ごく最近のことです。
 創価学会は、こうした運動の先駆を開いてこられました。それだけに、その先駆的な運動が、誤解を受けてきた時期もありました。しかし、今や世界に開かれた運動として、大きな成功を収めているのであります」
 これが、世界の宗教を研究される最高峰の知性の共感であり、信頼である。
13  また博士は、社会に聞かれた対話運動の意義を、こう論じておられる。
 「私たちは、宗教間のみでなく、宗教者と環境運動家の対話など、宗教を超えた、社会との幅広い交流を拡大していくべきです。
 その時に大切なのは、ドグマ化(教条化)した宗教の言葉で対話しようとするのではなく、社会に開かれた対話の手だてとなる普遍的な言葉で対話を広げる努力であります」
 (=スウェアラー博士は、「池田SGI会長が、こうした運動の先駆を開いてこられたことに、私は共感を深くしています」とも語っている。さらに博士は、SGI会長が、イデオロギーの異なる中国やソ連とも友好を結んできたことを高く評価し、こう述べている。
 「池田SGI会長ご自身が、″人間がそこにいるから″と、当時、共産主義の国家であったソ連、また中国にも、対話の手を差しのべたことは、たいへんに重要な業績であると思います。文明間・宗教間の対話において、もっとも重要なのは、人間という共通の基盤に立って、対話を開始することであるからです」)
 人間と人間を結ぶ私たちの「対話」は、地味なようでありながら、人類の新たな文明を開く壮大な挑戦である。
 五月の薫風に吹かれながら、生き生きと朗らかに、勇敢に楽しく、新しい社会を築く対話を広げてまいりたい。
14  病を越えて「人生の宝」を知る
 皆さまの中には、大きな病を勝ち越えて、さらに生き生きと活躍されている方もいる。以前と少しも変わらない、お元気な姿が、私は本当にうれしい。
 スイスの思想家ヒルティは、病気の「利点」の一つとして、「人生の真の宝を正しく認識することを可能に」するという点をあげている。(「幸福論」3、前田護郎・杉山好訳、『ヒルティ著作集』3所収、白水社)
 後から振り返ってみれば、病気によって、人生の正しい道を歩むことができた。病気が人生の″薬″になった――そういう声もある。
 日蓮大聖人は、「病によりて道心はをこり候なり」と仰せである。
 病によって、仏法を求める気持ちが強くなる。発心できる。そして、宿命を転換していくことができるのである。信心を根本にするならば、一切に無駄はない。すべてが「幸福の糧」となり、「生命の宝」となっていくのである。
15  へレン・ケラーに神々しき師弟の心
 ″三重苦″を乗り越え、社会福祉の向上に尽くしたアメリカのへレン・ケラー。彼女が、恩師サリバン先生について、こう語っている。
 「私のうちにあるすべての善きものは、ことごとく先生のものなのです。一つの才能も、一つの向上心も、一つの喜びも、先生の愛の手によって目覚まされなかったものはありません」(『わたしの生涯』岩橋武夫訳、角川文庫)
 恩を知る心は美しい。生涯、思を忘れず、報恩の行動を貫き通していくところに、人間としてもっとも深く、もっとも尊い幸福の劇があるものだ。
 へレン・ケラーは、三度、来日している。最初の来日は、一九三七年(昭和十二年)であった。じつはその数年前、彼女のもとに、日本から、″苦悩する人々に勇気を与え、福祉の遅れた社会を変革するため、ぜひ、日本に来て、世論を喚起してほしい″との要請が寄せられていたのである。
 しかし、そのとき、サリバン先生は重い病に伏していた。それゆえ、へレン・ケラーは、恩師をおいて日本へ行くわけにはいかないと、丁重に申し出を断ろうとした。
 ところが、病床のサリバン先生は、諭すようにこう言った。
 「喜んで行ってあげなさい。あなたをここまで教育して来たのも、そういう求めに応じ、全世界の不幸な人々と手を握り、みんなが幸福になれるようにとのためでした」(岩橋英行『青い鳥のうたへレン・ケラーと日本』日本放送出版協会)
 へレン・ケラーの初来日が実現した背景には、神々しき師弟の心があったのである。
 彼女は自伝に、サリバン先生への感謝をつづっている。
 「先生によって私の友愛は実を結び、人類に奉仕したいという気持ちを強められたのであります」(前掲『わたしの生涯』)
 恩師の心を心として、へレン・ケラーは、平和のため、人々の幸福のために、社会変革の行動を、世界の隅々にまで広げていった。
 反戦運動への思いをこめて、女史は、「私の心の中よりの叫びは自由で、より幸福な社会を築き上げようとする革命にあるのです」(前掲『青い鳥のうた』)とも述べている。
 心から心へ、師匠から弟子へ、信念が受け継がれてこそ、偉大な事業は成し遂げられていくのである。
16  「今こそ人間主義を」と世界で講演
 「君は世界に征くんだ!」――この恩師の言葉のままに、平和のため、広布のために、私は世界を駆けてきた。民衆と出会い、友情を広げた。各国の指導者と率直に語りあった。
 争いが絶えない世界にあって、「不信」を「信頼」へと変えていくには、対話しかないからである。希望の道を開くには、真実の人間主義を広めていくしかないからである。
 私は、人類普遍の知性の府で講演を重ね、「精神性の復興」を訴えた。
 フランス学士院といえば、ヨーロッパの知性の最高峰として知られる。そこにも招かれ、講演したことは懐かしい。(一九八九年六月。「東西における芸術と精神性」とのテーマで)
 居並ぶ芸術アカデミー会員。しわぶき一つない会議場。私は、みずからの詩で講演を始め、最後も詩で締めくくった。その瞬間、張りつめた空気を打ち破るように、拍手がわき起こり、しばし鳴りやまなかった。
 アメリカのハーバード大学では、招聘を受けて二度、講演した。(九一年九月に「ソフト・パワーの時代と哲学」、九三年九月には「二十一世紀文明と大乗仏教」とのテーマで)
 ひとたび、講演をお受けしたならば、生半可なものは許されない。多忙の合間を縫っての思索と熟考が要求される。命をすり減らす労作業ともいえる。しかし″今、語らずして、いつ語るのか!″との思いで臨んできたつもりである。
 創価の哲学と行動に、世界の知性は共感し、大きな期待を寄せている。
 私は、皆さまの代表として、世界の大学や学術機関から名誉博士・名誉教授等の栄誉を拝受してきた。これは学術界における最高の敬意と賞讃の証である。
 創立五百五十年の伝統を誇る英国の名門グラスゴー大学。その学位授与式は厳粛であった(一九九四年六月)。列席者は、最高の礼装を身にまとう。壮麗な講堂で、私は総長から名誉学位記を受けた。
 アメリカのデンバー大学では、屋外の卒業式。陽光が降り注ぐ、すがすがしい式典であった。(=九六年六月。席上、「名誉教育学博士号」を受章した)
 私は、折あるごとに、海外の大学を訪れ、交流を重ねてきた。対話で、教育の力で、平和の道を開きたい――その一心からであった。
17  退転者の本質は「臆病」「おろか」
 さて、日蓮大聖人には、社会的に有力な女性門下もいた。その一人に、大聖人の故郷である安房国(現在の千葉県南部)・東条郷の「領家の尼」がいる。
 この領家の尼は、御書に「日蓮が父母等に恩をかほらせたる人」とあるように、大聖人のご両親が恩を受けた人であった。その縁を重んじられた大聖人は、領家の尼を陰に陽に大切になされた。
 地頭の東条景信は、この領家の領地を奪い取ろうと画策した。領有権が裁判で争われたようである。この時も、大聖人は、領家の尼を支え、厳然と護りぬかれた。大聖人は、″もしも、この争いに敗れたならば、法華経を捨てる″という誓いを立てて、深く真剣に祈って事に当たられた。そして、一年のうちに、問題を解決に導かれたのである。
 御聖訓には、退転者の心の本質を、「臆病」「癡か」等と喝破されている。
 大聖人は、領家の尼の弱き信心を深く心配しておられた。それゆえ、かねてから彼女と対面されるたびに、「難信難解(法華経は信じ難く解し難し)」と、繰り返し教えてこられた。にもかかわらず、彼女は、この御本仏の大慈大悲の教えが、わからなかった。
 大聖人から大恩を受けながらも、この領家の尼は、大聖人が佐渡に流され、門下にも迫害がおよぶや、退転してしまうのである。大聖人が佐渡からもどられた後、彼女が後悔し、御本尊をいただきたいと願い出ても、大聖人は退けられている。
18  一方、「新尼」と呼ばれた、領家の若き嫁は、何があろうと、純粋に勇敢に信心を貫き通した。姑が退転するなか、信心を貫くことが、どれほど大変であるか。その健気な新尼の戦いを、大聖人は、じっと見守っていかれた。
 そして、この新尼に対して、「あなたの信心は立派である」「信心がたゆむ様子は見えない」と、深い励ましと讃嘆を贈られているのである。(御書907㌻)
 大事なのは、年齢ではない。立場でもない。信心が強いかどうかである。
 今、わが創価の婦人部のスクラムにおいても、この新尼のように、信心厚き若い世代が、真剣に、勇敢に立ち上がっている。各地で、新しい婦人部の核が誕生している。新しい創価の太陽が昇り始めている。これほど頼もしく、これほどうれしいことはない。
 大聖人は、新尼に対して、その強き信心を讃えられるとともに、これからの長い人生行路にあって信心を全うしていくことが、どれほどむずかしいか、あえて厳しく教えられている。
 どうか、皆さま方もまた、何があろうとも、だれがどうあろうとも、一生涯、断固として信心を貫き、創価に生きぬいて、わが誓いと使命を果たしきっていただきたい。
 先輩も、若き友も、一緒になって行動し、はつらつと若々しく、模範の人生勝利の大道を進みぬいていただきたい。
19  万人の幸福への根本の道
 打ち続く大難を乗り越えた日蓮大聖人は、四条金吾に仰せである。
 「日蓮もまた、(正法の力を根底に)この日天子を頼みとして、日本国に立ち向かって数年になる。
 すでに日蓮は『勝った』という気持ちである。利益、現証がはっきりとしていることは、他に求めることができないほどである」(御書1146㌻、通解)
 大聖人は、日天を味方にし、大宇宙を味方にする大境涯で、一人、権力や邪法と戦われたのである。この大聖人に直結する創価の陣列を、諸天善神が護らないわけがない。
 御書に何度も引かれている、妙楽大師の文がある。「必ず心が堅固であることによって、諸天善神の守りは強いのである」(御書九七九ページ等、通解)
 これが、仏法の鉄則である。広宣流布のために、強い信心で立ち上がれば、諸天善神が必ず護る。勇気をもって戦えば、勝利の活路は開かれる。
 御聖訓は、明快に仰せである。
 「(われらが唱える)題目の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうしてわれらを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい」(御書1065㌻、通解)
 まずは、真剣に祈ることだ。そして、恐れなく戦うことだ。諸天を動かし、あらゆる人を味方にして、わが地域、わが天地に、民衆の勝利の旗を断固として打ち立ててまいりたい。
 私は、青春時代、戸田先生に、「なぜ不惜身命で信心をしなくてはならないのでしょうか」と質問したことがある。先生は話された。
 「政治、科学、教育、宗教――とにかく人間の業というか、社会は複雑で、すべてが矛盾だらけである。どこにも、万人の幸福への根本的な道はない。
 その中で、大聖人の仏法だけは、人間の根本的な宿命転換の方途を示されている。常楽我浄と、永遠の所願満足への軌道を教えてくださっている。これ以上の究極の人生の道はない。だから、信心だけは命をかけてやって悔いがないのだ」
 わが身をかけて悔いのない道――それが創価の道である。この「常楽我浄」と「所願満足」の軌道を、どこまでも喜び勇んで進んでまいりたい。
20  新しい目標へ、勇躍、大行進を
 有名な『あしながおじさん』で、アメリカの女性作家ウェブスターはつづっている。
 「青春とは、誕生日の回数とは関係のないもので、ただ、精神の溌剌さだけできまります」『白木茂訳、潮出版社)と。
 どうか、健康第一で、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」との御金言を、はつらつと身読していく、生涯青春の人生であっていただきたい。
 学会は、来年の五月三日へ、そして「次の五十年」へ向かって力強く出発した。
 大事なのは、次の世代を育てることである。多くの幹部が、だんだん年をとってきた。革命をしなくてはいけない。新しいリーダーを育てなければならない。そのためにも、ダイナミックに交流し、切瑳琢磨しあうことである。
 ドイツの詩人へルダーリンは、高らかに春を謳った。
 「日はかがやき 野は花咲く」
 「人間の活動は新しい目標を追うてはじまる」(「春」手塚富雄訳、『ヘルダーリン全集』2所収、河出書房)
 われらは、つねに五月三日を原点として、新しい目標に向かい、勇躍、大行進を開始するのだ。
21  結びに、アメリカの非暴力の人権の指導者キング博士の獅子吼を贈りたい。
 「人間の歴史は善と悪との闘争の物語だといえる」
 「歴史というものは、一見抵抗しがたい勢いで進軍していきながら、正義の軍勢のつちの一撃で潰滅してしまう悪の軍勢の物語りである」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 だからこそ博士は、人権のため、正義のために戦いぬいた。
 ともあれ、末法は邪智謗法の時代である。民衆を苦しめる悪とは断固、戦うことだ。広布のために戦えば、健康になる。福徳も増す。若々しくなる。戦いを忘れたならば、心が老いる。力も褪せる。敗残者の人生になる。これが私の結論である。
 私は何十年も、多くの人を見てきた。「信心の博士」「仏法の博士」との自負をもっている。人まかせでなく、自分が最前線に立つことだ。創価の道は、すばらしい人生を生きるための道である。
 この大道を、ともどもに生きて生きて生きぬきましょう!
 (東京・新宿区内)

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