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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念代表協議会 語れ! 正義の「声」が社会を変える

2005.4.26 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  「会員第一」が学会の根本
 このたびの兵庫県尼崎市での電車脱線事故(四月二十五日)には、私も深く心を痛めております。亡くなられた、すべての犠牲者の方々に追善をさせていただきました。ご遺族の方々には、この席を借りまして、謹んで哀悼の意を表させていただきます。また数多くの負傷者の方々に、心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早くお元気になられますよう真剣に祈っております。
 5・3「創価学会の日」を記念する代表協議会の開催、ご苦労さまです。
 創価学会は、広宣流布のためにある。
 ゆえに、広宣流布に戦う会員が、もっとも偉大であり、もっとも大事である。「会員第一」が学会の根本である。幹部は会員のためにいるのだ。
 「会員のため」に徹しぬいた人は、心広々と生きていける。
 真心こめて同志に尽くしていこう! 妙法のために働とう!――その心がある人は、環境や立場がどうあれ、境涯を大きく聞き、広布の道を晴ればれと進んでいくことができるのである。
 ともあれ、全同志の師子奮迅の活躍によって、わが学会は、創立七十五周年の「5・3」を連戦連勝で迎えることができた。「本当にありがとう、たいへんにご苦労さまでした」と心から感謝申し上げたい。(拍手)
 今、創価の前進を、世界の知性が讃え、見つめている。争いの絶えない時代だからこそ、学会の世界的な「平和と文化の連帯」に大いなる期待を寄せてくださっているのである。
 私たちは、新しい「民衆の時代」を聞きゆく誇りと使命を胸に、堂々と進んでまいりたい!
2  人格と力で後輩の模範に
 人材こそ力、人材とそ希望である。先輩は、親切にまた誠実に、後輩を包容しながら、力強くリードしていただきたい。
 一面からいえば、「先輩は師匠、後輩は弟子」ともいえる。先輩は、その名にふさわしい「人格と実力」を備えていなければならない。その点を尊敬して、後輩もついてくるのだ。
 人間は″環境の動物″といわれる。良くも悪くも周囲に影響を受ける。
 ゆえに、「上」に立つ人間が大事である。先輩の姿いかんで、後輩も決まってしまう。
 自分は何もせずに、威張って命令するだけ――そんな無慈悲な先輩になってはいけない。後輩を自分以上の人材にするのだ!――この心が燃えていなければ、学会のリーダーとは言えない。広布の指導者の資格はない。
 学会は、広宣流布の人材の城である。いかなる時代になろうとも、人材育成に全魂を注いでいくことが、学会の永遠の伝統である。
3  新時代の扉を開くのは、つねに青年である。青年部が大事である。青年の力で圧倒的な勝利を打ち立て、皆から「さすがだ」と賞讃される歴史を残してもらいたい。
 日蓮大聖人は、日本という国は、衆生の生命が濁り、嫉妬が強い国であると喝破されている。
 (「今日本国を見るに当時五濁のさわり重く闘諍堅固にして瞋恚しんにの心猛く嫉妬の思い甚し」と)
 御本仏は、この悪条件の場所にあえて御出現され、正法を弘めていかれた。悪国であるほど、変革は大変である。しかし、そのなかで、一切衆生の永遠の幸福の基盤を築かれた。
 私どもも、大変な環境で頑張るからこそ、あらゆる戦いを勝ちぬいていく力をつけることができるのだ。とくに男子部は、破邪顕正の言論を鍛えていっていただきたい。悪を打ち破ってこそ、広宣流布の勝利はある。わが正義を叫びきっていくことが青年の使命である。
4  ブラジルSGIの大発展は草創の同志の大闘争から
 きょうは、ブラジルの代表が出席されている。遠くから本当にありがとう!
 ブラジルSGIの理事長も元気そうでうれしい。彼は、東京・荒川区の出身。青年部時代から、学会のなかで、徹して信心の薫陶を受けてきた一人である。
 彼が、ブラジル広布のために、日本を旅立ったのは一九七一年、三十二歳の時。立ちはだかる言葉の壁。習慣もまるで違う。当時はまだ、日本との間に直通電話も、なかった。現地で生活していくだけでも大変である。生半可な決意では続かない。
 しかし、一度やると決めたからには、絶対に中途半端にはしない。断じて誓いを貫いてみせる!――そう決心した彼は、ブラジルの大地に骨を埋める覚悟で、つらくとも歯を食いしばり、わが使命の道を厳然と切り開いてきたのである。
 今日のブラジルSGIの大発展は、同理事長をはじめ、草創の同志の皆さん方の血と汗の大闘争によって開拓されてきたことを忘れてはならない。
 厳しい試練に耐えぬいた人は崩れない。要領だけで生きてきた人間は、いざというときに崩れる。青年は、みずから求めて、自分自身を鍛えぬいていただきたいのである。
5  ブラジルの勝利の実証はすばらしい。
 首都ブラジリアを擁するブラジリア連邦区をはじめ五都市で、5・3「創価学会の日」を記念する「慶祝議会」が盛大に開催される予定である。
 (=二〇〇五年五月二日と三日、ブラジリア連邦区、ウベルランジア市、ロンドリーナ市、カンベー市、クリチバ市で慶祝議会が行われた。名誉会長の「第三代会長就任四十五周年」を記念する意義もこめられた)
 「5・3」を議会で祝福してくださる――すごい時代である。すべては、社会に貢献しゆくブラジルSGIの皆さんへの絶大なる信頼の証といえよう。皆でメンバーに拍手を送りたい!(拍手)
 ブラジルには、牧口初代会長、戸田第二代会長の名前を冠した「公園」や「通り」ができていることも、皆さんご存じのとおりである。
 さらに、このほど、新たに三つの都市が、私に「名誉市民証」を授与することを決定してくださった。
 また、文化の都リオデジャネイロから妻に、名誉市民の称号を授与していただくことになった。授与式は、現地時間の二十六日夜、リオデジャネイロの市議会で行われる。ありがたいことに、5・3「創価学会母の日」を祝賀する意義もこめてくださったようである。
 いずれも、良き市民として活躍するSGIの友を代表してお受けするものである。ブラジルの同志への深い感謝をこめて、紹介させていただいた。(拍手)
 さらに本年秋、ブラジル広布四十五周年を祝賀し、二十万人の記念総会が各地で朗らかに開催される。日本のブロックに当たる単位で、にぎやかに集いあい、心通う草の根の対話を繰り広げていくとうかがった。すばらしいことである。大成功を祈っています!
 ブラジル全土の約二百の学校が、牧口先生の創価教育学説に基づく「牧口教育プロジェクト」を正規のプログラムとして実践していることも有名である。子どもの創造性を引き出す具体的な取り組みとして教育関係者から高い評価が寄せられている。
 今、ブラジルSGIは世界広布の「希望の太陽」として、赫々と輝いている。
6  厚田村の五割の世帯が「聖教」購読
 先日、恩師戸田先生の故郷である北海道・厚田村の友から、広宣の息吹みなぎる知らせが届いた。厚田村は、市町村の合併に伴い、今年の十月から、石狩市の「厚田区」になる予定だという。
 そのため、「厚田村」として迎える「5・3」は、今回が最後となる。
 厚田村の同志は、皆で決意しあった。「厚田村として歴史に残る『5・3』にしよう!」。そして今月、猛然と前進されたというのである。
 この厚田村を一つの原点として世界百九十カ国・地域に広がった創価の平和・文化・教育運動。それを伝え、後世に残しゆく「聖教新聞」の使命を、誇りも高く語りぬいた。
 智慧と勇気と執念で、対話を重ね、共感は一人また一人と広がった。そして、一昨日(四月二十四日)の段階で、なんと村の五割を超える世帯の方々が「聖教新聞」を購読してくださった。
 戸田先生は、「『聖教新聞』を日本中、世界中の人々に読ませたい」と願っておられた。厚田には戸田記念墓地公園もある。厚田の同志が、誠実に地域に尽くし、信頼を大きく広げている様子を、戸田先生が、どれほどお喜びのことであろうか。
 私は、皆さまの大健闘に心からの喝采を贈りたい。(拍手)
7  「師弟とは弟子の自覚の問題」
 戸田先生は言われていた。
 「下じゃない。上だ。幹部だ。幹部で決まる」
 一切の戦いは、リーダーの真剣さで決まる。だから私も、要となる幹部は、徹底して鍛え、育てた。
 私自身、世界平和のため、愛する同志のために、真剣勝負で戦ってきた。ほっと息つく暇などない。つねに緊張の連続であった。だからこそ、世界的な創価学会となった。
 日本においても、今や学会は、民衆の柱として、堂々たる人間主義の連帯を築き上げることができた。このような大発展を、だれが想像し得たであろうか。
 戸田先生はこうも語られた。
 「よき弟子になったとき、師弟が定まる。師弟とは弟子の自覚の問題である」
 要するに、弟子が師匠と「不二の心」で立つかどうかである。弟子が、どれだけ強き決意と使命感に燃え立つか。どれだけ懸命に成長しようと努力するか。その必死の一念と行動のなかに、限りない力が湧き上がるのである。
 責任ある立場の人間に対して、戸田先生は厳しかった。本質を鋭く見抜いておられた。
 真面目な人間を蔑み、いざという時に臆病風に吹かれ、同志を裏切る。そういう卑劣な輩を、断じて「信用するな」「絶対に許すな」と先生は叫ばれた。
 「裏切り者は、犬畜生以下だ」。反逆していく人間は「心の奴隷」「心の乞食」である――そう先生は厳しく戒められた。
 戦時中、学会は軍部権力の弾圧を受け、ほとんどの幹部が退転し、去っていった。
 大難を耐えぬき、牢を出た先生は、「世間の風評ばかり気にして、ふらふら、びくつくような人間は必要ない!」「このインチキ弟子!」と激怒された。
 青年部の諸君は、戸田先生の烈々たる魂の叫びを、わが生命に刻みつけていただきたい。
 青年は「一人立つ」ことだ。青年が広布の全責任を担いゆくのだ。
 一歩深い発展のため、世界一の民衆の城を築くために、今、青年を鍛えぬかなければ、手遅れになる。あらゆる態勢を整え、次の五十年の勝利へ、広布の陣列を一新していきたい。
8  広宣流布の「時」は、「今」である。偉大なる民衆の底力を示す「時」は、「今」である。
 われらの戦いは、幸福の花園を広げていく。すべての戦いが大事である。皆、かけがえのない使命をもっている。まっすぐに広布の道を進みゆく友を、私は心から讃えたい。
 リーダーは、頑張っている友に対して、最大に応援し、感謝し、ほめ讃えていくことである。
 「ありがとうございます!」「よろしくお願いします!」「勝利を析ります!」
 そうした一言も、口先だけでなく、真剣さと誠意がなければならない。
 戦いは峻厳である。ふざけ半分では勝てない。油断や遊び半分の心が、人間をだめにする。それが敗北の因となってしまうのである。
9  幸福は聡明な振る舞いのなかに
 女子部は「希望の花」である。生真面目なまでに広宣流布へ一直線に進みゆく姿は、本当に尊い。その一途さを、笑ったり、下に見るような男性が、もしもいるならば、とんでもないことだ。
 女子部の友が伸び伸びと、思う存分、力を発揮できるよう、皆で全力で応援していきたい。
 女子部の皆さんのなかには、ご家族が信心していないケースもあるかもしれない。しかし、少しも焦る必要はない。たとえば、お母さんと娘が信心をしていて、お父さんが信心をしていない場合もあるだろう。大事なのは、よき娘になることだ。お父さんに絶対に心配をかけてはいけない。また、お父さんへの感謝の思いを言葉にして伝えていくことである。どんな言い方でもかまわない。照れくさいかもしれないが、胸の中の思いも何かで表さなければ伝わらないものだ。
 わが子の心こもる一言が、親にとって、どれだけうれしいか。聡明な振る舞いのなかに仏法は輝く。幸福の花が咲き薫るのである。
10  青春時代は、悩みの連続である。どんな人でも悩みがある。悩みがあるのは生きている証だ。悩みがなくなってしまえば、魂は死んだも同然である。
 生老病死――その苦しみ、悩みは、誰人も避けて通れない。
 仏法は「煩悩即菩提」と説く。悩みがあるから、仏になれる。悩むのは、偉大な人間になれる証拠なのである。悩みがなかったら、人間は愚かになり、敗北者になる。空虚な魂がフワフワと漂うだけの人生になってしまう。
 悩みを解決する根本は祈ることだ。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。
 題目を唱え、学会活動に励む人は、「悩み」を全部、「幸福」へのエ、ネルギーに変えていくことができる。
 つ全人類を幸福に――それがわれらの祈りである。そのために力を尽くしている。しかし、それは、一足飛びにはできない。自分自身が幸福になり、縁した人々をも幸福にしていく。この積み重ねのなかに、世界平和の大道が開ける。この道を、われらは朗らかに進んでまいりたい。
11  偉大なる勝利は団結から
 古代ローマの歴史家サルスティウスは述べている。
 「和によりてささやかなるものも栄え、不和によりて偉大なるものも滅ぶ」(ダスターフ・シャルク『ローマ建国の英雄たち』角信雄・長谷川洋訳、白水社)
 団結すれば、小さい組織や団体であっても栄えていく。反対にどんなに大きくても、心が合わなければ滅びる。「異体同心」でなければ、必ず滅び去っていくのである。
 学会がここまで発展してきたのも、固い団結があったからである。このことを忘れてはならない。
 古代ローマの哲学者セネカは記した。
 「僕は恩知らずの者を許しません」(『道徳書簡集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)
 忘恩ほど醜いものはない。これまでも学会の、おかげで偉くなりながら、その恩を忘れ、同志を裏切り、反逆していった人間がいた。多くの同志が苦しんだ。つらい思いをした。セネカの言葉のとおり、そうした人間を許してはならない。戒めていかねばならない。
 牧口先生は、教育者の心構えとして、「どんなところでも、どんなものにも対処できる心の準備をしておかなければいけない」と述べておられた。
 人生は、最後まで戦いである。すべてが広宣流布の闘争である。いつでも、どこでも、どんな状況でも、またどんな立場になっても、広宣流布を進めていこう。戦っていこう――その気概が大切である。
 とくに青年部の皆さん、頼みます! 若いということは、本当にすばらしい。青年部のはつらつたる姿を見て、私はそう思う。心が光り、魂が輝いている青年は、いい顔をしている。表情が生き生きとしている。そういう青年部のリーダーが増えてきた。
12  アメリカの思想家エマーソンは、皆さんもご存じと思う。
 彼は、「あらゆる人間関係において、隣近所というもののもつ圧倒的な重要性をまず考えよう」(「随想余録」小泉一郎訳、『エマソン選集』3所収、日本教文社)と述べ、地域の人々との友情の大切さを強調している。
 隣近所の人々との友情を大切にしていくことだ。地域に友人をつくり、友好の輪を広げていくことだ。それが人生を豊かにし、大きな価値を創造する力となる。
 オーストリアの作家ツヴァイクは書いている。
 「偉大な人々はつねに最も親切である」(『昨日の世界』1、原田義人訳、みすず書房)
 これはツヴァイクが、若き日に、大彫刻家ロダンに会ったときの印象を語った一節である。
 この言葉は、私の体験からも、深く納得できる。一流の人物は皆、誠実で、親切である。偉大な人とは、″人間として″立派な人である。
 皆さんも、親切であってほしい。同志に対して、細かいところにまで気をつかって、大切にしていってほしい。気をつかうということは、慈悲の一つの表れである。
 決して、傲慢であってはならない。また、ぞんざいであったり、なげやりであってはならない。
 牧口先生も、戸田先生も、健気な同志を、どこまでも大切にされていた。私も、誠心誠意、同志に尽くしてきた。だからこそ、学会は、ここまで発展したのである。
13  孫文「いたる所で宣伝せよ!」
 中国革命の英雄・孫文は、社会を変革するために、民衆の心を変えていくことを訴えた。あらゆる人々の心をつかみ、味方にしていくことを訴えた。
 それには、どうすればよいのか。演説で同志に、こう呼びかけた。
 「みなが責任を負い、いたるところで宣伝しさえすれば、前途には必ず希望があるのである」(寺広映雄訳、『孫文選集』2所収、社会思想社)
 宣伝とはすなわち、「語る」ことである。
 皆さんは、皆さんがいるそれぞれの地域、立場における、″広布の全権大使″である。皆さんが動いた分だけ、語った分だけ、広布は進む。その「責任」に目覚めれば、大きな力が出る。
 ゆえに、あらゆる場所で、あらゆる機会に、積極的に語ることだ。しゃべることだ。そこから、希望の道が大きく開けていく。
 孫文は、「宣伝上の奮闘は、良からざる社会を改め、民衆を感化することである」(同前)とも言っている。
 学会もまた、同じ方程式で、民衆の連帯を拡大してきたのである。
 とくに青年部の皆さんは、語りに語りまくっていただきたい。偏見や、無認識の言葉に出あったら、さらには悪意の攻撃に遭遇したならば、きっぱりと言い返していくことだ。正義の言論と、確信の声で、相手の心をつかみ、大きく変えていくことだ。
 学会の青年部は、決して臆病であってはならない。
 広布の本陣で戦う皆さまは、人材中の人材である。″将軍の卵″である。先陣を切って、だれよりも真剣に、懸命に戦うべき、重い責任を負っている。
 戦おう! 「声仏事を為す」である。私どもの発する「声」が、広宣流布を前進させる。今、語らなければ、後々まで後悔を残してしまう。未来の「果」は、現在の「因」にある。
 創価の勝利のため、自身の三世にわたる幸福のために、今こそ勇敢に、しゃべりまくることである。
14  先ほど紹介したセネカは、こうも言っている。
 「悪徳を撒き散らしている連中が現にいるのです。彼らの話は大変に有害です」(前掲『道徳書簡集』)
 なぜか。悪徳をまき散らす人間の話は、その時だけでなく、後になっても害毒を発し、心を蝕むからだというのである。
 デマを放置しておくと、しだいに、社会全体に悪徳が蔓延してしまう。私どもが、厳然と正義の大音声を上げていくことには、社会的にも、深い意義があるのである。
 ときには、婦人部、女子部の皆さまのほうが、堂々と悪を論破しておられることも、私はよく知っている。草の根の、女性の正義の声が、社会を変えていくのである。
 婦人部の皆さん、女子部の皆さん、いつも本当に、ありがとう!
 男性の皆さんは、婦人部・女子部を守るためにも、先頭に立って戦ってほしい。
15  「悪と戦い」「新しい味方を増やせ」
 ここで、『プルターク英雄伝』に登場する、古代ローマの一人の指導者を通して、お話ししたい。(『プルターク英雄伝』2、河野与一訳、岩波文庫。以下、同書より引用・参照)
 その名は、「プーブリコラ」。紀元前六世紀に活躍した執政官で、ローマ共和制の基礎を固める上で、大きな功績があった人物とされる。
 彼は、ローマを守るため、数々の戦に勝ちぬきながら、民衆のために、さまざまな法律を制定し、ローマの都を繁栄させていった。プーブリコラという名前は、ローマの民衆が尊敬のしるしにつけたもので、「民衆の世話をする人」を意味する。
 プーブリコラが、ローマに勝利をもたらした要因は、何であったか。
 英雄伝には、種々の出来事が述べられているが、その一つの結論は、″悪人とは徹底して戦い、新しい味方を増やしていった″ことである。単純なことのようであるが、これこそ、古代ローマ以来、現代にも通ずる、勝利のための大原則である。
 プーブリコラは、共和制を破壊しようとする人間たちと真っ向から戦い、ローマから叩き出した。そのやり方は、「悪人たちが言い遁れもできず罰を受けるようになるまで力を尽して」というものだった。悪人たちの巧妙な言い逃れを許さず、妥協もすることなく、全力を尽くして戦い、追放したのである。
 さらにプーブリコラは、「交渉には更に巧みに処して、歯の立たない強敵(中略)を然るべく手なづけて味方に引き入れた」と、英雄伝には書き留められている。プーブリコラが「敵に感じさせた徳性と品位に対する信義」は、じつに大きかったのである。
 第一に、邪悪との徹底的な闘争。第二に、新しい味方を増やす外交。
 これが、勝利を開く根本である。
 とくに、第一のポイントは大切である。悪と戦えない意気地なしではいけない。格好だけで、悪を見て何もしないのは、ずるい人間である。それでは同志を守ることはできない。悪と戦い、敵を打ち負かさない限り、勝利はない。その急所を外してはならない。
 古代ローマの英雄の話から、深い教訓を汲み取っていただきたい。
16  私が青春時代に愛読した革命小説『永遠の都』(ホール・ケイン著)は、ローマを舞台にしている。主人公ロッシィは、革命に生きる自身の心境を、こう語る。
 「常に断崖の縁を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(新庄哲夫訳、潮出版社)
 何があろうと、動じることなく、まっしぐらに突き進むことだ。私たちも、この境涯でいこう!
 以上で、私のスピーチを終わります。長時間、ありがとう!
 皆さまのご一家の、無事・安穏・繁栄を、心からお祈りします。
 どうか、風邪をひかれませんように。本当にありがとう!
 (創価文化会館)

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