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日蓮大聖人・池田大作

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第48回本部幹部会、第1回九州総会 人類最高の幸福の大道を誇り高く

2005.4.21 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
1  「5・3」を祝賀し楽しく朗らかに出発
 晴れやかな5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を記念する本部幹部会、おめでとう!(拍手)
 きょうは、お祝いの集いであり、むずかしい話はなるべく少なくしたい。来てくれた皆さんが「心が軽くなった」「また明日から頑張ろう」と思えるような、楽しく朗らかな出発の集いとしてまいりたい。
 遠く海外から、また全国各地から、本当にご苦労さまです!
 広宣流布のすべての同志が健康で、無事故で、また幸福であるように、私は、いつもお題目を送らせていただいている。
 ご承知のように、世の中が乱れ、悪質な事件が続いている。悪い人間にだまされたり、複雑な問題に巻き込まれてしまっては、あまりに不幸である。私は、大切な皆さんに、絶対に後悔だけはさせたくない。そうしたことで苦しませたくない。皆でたがいに声を掛けあいながら、注意を呼びかけていくことも大事である。
 絶対無事故の祈りを根本として、「前前の用心」を怠らず、聡明にして賢明な価値ある日々を勝ち取ってまいりたい。
2  きょうは「先駆」即「勝利」、「勝利」即「幸福」の大九州総会、おめでとう!(拍手)
 なお、このたびの相次ぐ地震にあらためて、心からお見舞い申し上げます。(三月から四月にかけて、九州北部で強い地震があった)
 九州の同志は、本当に、よく戦い、よく勝った。九州の先駆の心意気が、私は好きだ。にぎやかで、明るい。本当に元気がいい。
 九州の全同志の奮闘に感謝をとめて、私は、本日参加した九州の皆さんの名前を、仏教発祥の地であるインドの創価菩提樹園に永久に留め置くことを提案したい。
 九州の皆さん、本当にありがとう!
 最高幹部は、会合に参加してくださった人たちを心からねぎらい、誠実に応対していくことだ。
 決して、当たり前と思ってはいけない。
 終了後も、役員に任せるだけでなく、幹部が率先して見送ってあげてほしい。そして「あの幹部が、最後まで手を振ってくれた姿が一生涯、忘れられない!」と友の心に焼きつくような、鮮やかな歴史をつづっていっていただきたいのである。
 私もまた、広布の同志との思い出は尽きない。
 第三代会長を勇退した翌年、大きな船に乗って、私のいる神奈川の港に馳せ参じてくださった、四国の友との出会い等々――忘れ得ぬ光景がさまざまに思い浮かぶ。
 ともあれ、広布のリーダーの皆さん方は、名優のごとく、愛する同志とともに″歓喜の劇″を演じながら、勇気と希望あふれる名指揮を執っていただきたい。
3  創立七十五周年、連続勝利の黄金の歴史
 創価学会は、創立以来、ただ広宣流布のために、前進また前進を続けてきた。その途上において、経文のとおり、御書のとおり、たび重なる弾圧を受けてきたことも事実である。
 しかし、あらゆる三障四魔の嵐を乗り越えて、わが学会は、厳然と連続勝利の黄金の歴史を刻んできた。
 反対に、学会を攻撃してきた人物、団体、反逆者等の末路はどうか。いずれも哀れな敗北の姿をさらしていることは、皆さまがご存じのとおりだ。
 まさしく、「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」との御金言のとおりである。
 創立七十五周年の「5・3」を迎え、わが学会はすべてに勝った、と高らかに宣言したい。(拍手)
4  これまでの学会に対する理不尽な弾圧等については、すべて詳細に記録に残してある。きょうは、詳しくは申し上げないが、そこには、戦時中の軍部権力による弾圧事件が最初に記されている。この時、宗門は、軍部権力を恐れ、神札を受けるという大謗法を犯した。
 牧口先生は、断固として謗法を拒絶し、今こそ国家諌暁の時ではないかと叫ばれ、大聖人の仏法を厳然と守りぬいていかれた。
 そして、牧口先生は、戸田先生とともに、投獄され、最後の最後まで正義の信念を貴かれたのである。
 獄中の訊問じんもんに対しても、″大聖人の仏法を弾圧するならば、大謗法は免れない。その国は必ず衰亡する″と言いきっておられる。
 (牧口初代会長は、獄中での取り調べのなかで、「立正安国論」に記された経文を引き、「この法〈=法華経〉が国内から滅亡するのを見捨て置いたならば、やがて国には内乱・革命・飢鐘・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであろうと仰せられてあります」と訴えている。また「然るに法華経の法は宇宙根本の大法でありまして過去・現在・未来の三世を通じて絶対不変万古不易の大法であります。〈中略〉故にこの大法にもとる〈=反する〉事は、人類としても、はたまた国家としても許されない事で、反すればただちに法罰を受けるのであります」〔「創価教育学会会長牧口常三郎に対する訊問調書抜粋」から。『牧口常三郎全集』10所収、句読点を適宜、補った〕と述べている)
 結局、戦争によって、国民は塗炭の苦しみをなめさせられ、日本は敗北した。牧口先生がおっしゃったとおりの厳しき現証であった。
 牧口先生を獄死させた軍国日本は、文化の大恩ある中国、韓・朝鮮半島を侵略し、アジアの民を不幸のどん底におとしいれた。私たちは、こうした歴史の過ちを絶対に忘れてはならない。断じて繰り返してはならない。
 牧口先生、戸田先生の平和の魂を継承し、アジアに、そして全世界に、平和と友情を広げていくのが、わが学会の永遠の使命である。
5  「創価学会母の日」――″広布の母″に最敬礼
 きょうは、「創価学会母の日」の祝賀の集いである。″広布の母″である婦人部の皆さま方の日ごろの労苦に、心から感謝申し上げたい。
 男性は、全員で最敬礼して、女性の皆さんに最大に敬意を表してまいりたい。
 来る日も来る日も、対話を重ね、祈りを重ね、事実の上で、広宣流布を推進してくださっているのは、婦人部の皆さまであるからだ。
 日蓮大聖人は「日本という国は、女性の国と言われている国です。天照太神という女性の神がつくり出された島です」(御書1188㌻、通解)と仰せである。
 大聖人は、妙法を持った女性を最大に尊ばれ、大切にされた。それが御本仏の御心であり、法華経の精神である。
 一般に、女性が生き生きと活動しているところは繁栄している。それが時代の潮流である。
 学会にあっても、めざましい発展を遂げているところは、必ずといっていいほど、婦人部、女子部が伸びている。私は″創価の母″の大功労を讃えて、全員に勲章をさしあげたい気持ちでいっぱいである。婦人部の皆さん、本当にありがとうございます!
 芸術部の代表も来てくださった。ご多忙のところ、本当にご苦労さまです。
 皆さんは、誉れの芸術部として、わが使命の舞台で、舞いに舞っていただきたい。
 芸術とは、姿や形だけではない。芸術とは魂である。魂に光があれば、その人は、大芸術家なのである。
 有名であるとかないとか、テレビに出たとか出ないとか、そうした評価の仕方もあるだろうが、仏法の見方は次元がまったく違う。妙法を護持した芸術家は、全員が、魂の芸術を持った人である。ゆえに、必ずや、最高最大の芸術家として光っていくことができるのである。
 それを忘れないでください。私たちは、最大に応援しています。いつもありがとう!
6  苦しい時も楽しい時も、自分らしく輝け!
 皆さんも、よく知っている御書の一節を拝したい。主君を折伏したがゆえに、冷遇され、同僚からも憎まれ、苦境にあった四条金吾を励まされた御手紙である。
 「苦を苦と悟り、楽を楽と聞き、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ、自受法楽ではないですか。ますます強盛な信心をしていきなさい」(御書1143㌻、通解)
 今は苦しみの連続かもしれない。しかし、永遠に続く楽しみなどないように、永遠に続く苦しみもない。人生には、楽もあれば、苦もある。勝つこともあれば、負けることもある。
 苦も楽もともにあるのが人生の実相である。だからこそ、苦しくとも、また楽しくとも、ありのままの姿で、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさいと、大聖人は教えておられるのである。
 その人は、妙法の智慧と力によって、最高の幸福境涯となっていく。何ものにも負けない人生を生きることができるのである。
 「自受法楽」の「自受」とは、「自ら受ける」ということである。人ではない。自分自身で決まる。人に何かをしてもらったり、他から与えられるものではない。
 自分が自分で幸福をつくり、自分で幸福を味わっていく。どんな苦楽の道も、悠然と楽しんでいける強く大きな自分になっていく。それが「自受法楽」である。
 また、必ずそうなっていくのが、南無妙法蓮華経の力なのである。
 ゆえに私たちは、人と比べる必要などない。御本尊への信仰を根本に、自分らしくいけばいいのである。そして、健康で、目標を持って、周りの人と仲良く、調和をとりながら進んでいくことだ。
 その振る舞いの、なかに、「あの人はいいな」「すばらしい人格だな」「話をしてみたいな」と慕われるような魅力がおのずと輝いていく。自分自身を最高に発揮できるのが妙法なのである。
 そうなっていけば、もうどこへ行っても、何があっても心配ない。目先のことに一喜一憂することなく、自分のやるべきことをやりきって、「私はこれで満足だ!」と言いきれる、悔いのない人生を生きぬいていける。その人こそ勝利者なのである。
7  戸田先生は訴えておられた。
 「この末法には、邪信・邪義の者が充満しているのであるから、なかなか真実の仏法には伏しない。大聖人は『怨多くして信じ難し』と何百回もおおせである。
 かかる者にたいしては『慈無くしていつわり親しむは是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり』との御聖訓にもとづき、大声叱呼たいせいしっこ(=大きな声で、戒め、呼び立てること)、かれらの迷妄を破るのに勇気がなくてはならない」(『戸田城聖全集』3)
 法華経に「一切世間多怨難信」とある。「悪口罵詈」「猶多怨嫉」とも記されている。
 法華経は最高の教えであるが、あらゆる世間の人々から迫害され、信ずることがむずかしい。悪世である末法の時代に法を弘める人は、悪口を言われ、罵られる。釈尊の時代よりも、はるかに怨嫉が多い――そのように説かれているのである。
 だからこそ、戸田先生が言われるように、勇敢に進むのだ。人生は! 信仰は!
 勇気をもって生きぬきましょう!
8  ガンジー「人間を堕落させる権力に心せよ」
 ちょうど今、SGIの代表がインドを訪れている。
 私に対する「『偉大なる魂』と『偉大なる英雄』の一体賞」を、代理として受けるためである。光栄にも、第一回の受賞であり、インドで行われた授賞式は、まことに厳粛であったとうかがった。
 (=授賞式は四月二十日、首都ニューデリーの国際会議場で行われた。この賞は、インド最大のメディアグループが創設した「タイムズ基金」から授与されたもの。次世代の模範となり、人類を覚醒させ、平和と社会の調和によって地球を一つに結ぶ人物として、名誉会長が選ばれた)
 皆、インドへ行ったことはあるだろうか?
 (=名誉会長に問われた一人が「日本から出ていません」と返事を。出身地をたずねると沖縄の代表であった)
 ″国外に出ない分、日本の広宣流布をしよう!″。こう決めれば強い。
 沖縄は日本一の広宣流布をめざして進んでいる天地である。″まずは、自分の生まれた天地を最高の幸福郷にしよう!!″――そうした心を私は感じる。お帰りになられたら、皆さんによろしくお伝えください。
 インドへの敬意をこめて、独立の父マハトマ・ガンジーの言葉を紹介したい。ガンジーは、新たに就任した州政府の閣僚たちに、こう忠告した。
 「権力に心してください。権力は人間を堕落させます。権力の華麗さや虚飾の虜にならないようにしてください。あなたがたはインドの農村の貧しい人びとに奉仕する任務を担っていることを、忘れぬようにしてください」(K・クリバラーニ『ガンディーの生涯』下、森本達雄訳、第三文明社)
 そのとおりである。権力には魔性がある。それに食い破られた人間は、堕落し、腐敗する。権力に気をつけろ――ガンジーは権力悪の本質を鋭く見抜いていた。
 民衆が厳しく権力を監視しなければならない。
 「奉仕すること」が指導者の責務である。それを忘れるな!――ガンジーの叫びは、全指導者の永遠の指標である。
 悔いなき人生とは何か。ドイツの文豪ゲーテは『フアウスト』で謳った。
 「行為こそすべて、名声などとるに足りん」(山下肇訳、『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
 私たちでいえば、広宣流布の行動をしているのか、いないのか。それがすべてである。
 祈りも行動である。対話も行動である。そこに信心の実像がある。
 また、世間には華やかな脚光を浴びている人もいる。しかし、価値ある行動をしていなければ、少しも偉くない。たとえ目立たなくても、人々のため、社会のために「行動している人」――その人に、人間としての価値が光る。
9  「目覚めた民衆」の団結で、正義と真実の勝利を
 かつて私は、インドのラジプ・ガンジー首相とお会いした。一九八五年の十一月、場所は東京の迎賓館であった。
 多くの世界の最高峰の指導者と、私は対話を重ねてきた。次代を担う皆さんもまた、新しい対話と友情の道を大きく開いていただきたい。
 若きラジプ首相(当時四十一歳)は好男子で、じつに立派な方であった。私との対話の後、首相は「日本人らしい日本人に会えた」と喜んでくださったという。本当に残念なことに首相は暗殺されたが、ソニア夫人、令嬢のプリヤンカさん、令息のラフル氏との友情は、今も続いている。
 ラジプ首相は語った。
 「目覚めた人々が出てくれば、人々が堕落した政治家を追い出すでしょう」(シバサンカリ『ラジープ・ガンディーの旅』本田史子訳、せせらぎ出版)
 「目覚めた人」が大事である。
 権力は、外から人間を縛ろうとする。それに対し、内なる魂を輝かせ、生命の無限の力を引き出すのが、仏法である。「目覚めた民衆」の団結で、正義と真実が勝利する二十一世紀を威風も堂々と築いてまいりたい。
 オランダの人文主義者に、エラスムスがいる。近代平和思想の源流をつくった一人であり、「宗教改革の父」とも呼ばれる。彼は喝破した。
 「下らぬ、おしゃべりは精神を堕落させるが、下らぬ書物もそれと同じくらい精神に悪影響を与える」(「キリスト者の君主の教育」片山英男訳、『宗教改革著作製』2所収、教文館)
 何も、おしゃべりが悪いというわけではない。「下らぬ」というところに意味がある。
 くだらぬ本は読むな!――これが戸田先生の厳命であった。くだらない本を読み、その毒に蝕まれ、正しい道を外れていった人間もいる。これほど愚かなことはない。
10  「本当の仏法は、社会での大闘争の中に」
 戸田先生は、あるとき、こう言われた。
 「所詮、『仏法は勝負』であり、本当の仏法は、社会での大闘争の中にある」
 仏法は勝負。人生も勝負。勝つか、負けるかである。皆さまは、絶対に負けてはならない。社会での大闘争――個人の仕事や事業も、その中に入るであろう。
 さらに先生は、こう続けられた。
 「仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖人門下であり、真の革命児ではないか。それが創価学会だ」
 仏法は、現実社会の中にある。寺院の中にあるのではない。
 苦悩する人間の中に飛び込み、人々を救うために戦っていく。社会をよりよくするために、勇敢に行動を起こしていく。それが本来の仏法の精神である。社会から隔絶した寺の中にいて、人々を救うための行動もなく、供養ばかりもらおうとする。それは、仏法ではない。
 (法華経の行者を迫害する借聖増上慢について、法華経には「人里離れた静かなところにいて、衣を着て」「利得に執着し貧るゆえに、在家信者のために教えを説いて」等と説かれている)
 正義のために、勝たなくてはならない。幸福のために、勝たなくてはならない。
 戸田先生の言葉にあった「真の革命児」とは、広宣流布のため、破邪顕正の戦いをする人材のことである。その人こそ、大聖人の本当の眷属である。
 創価学会は、大聖人に直結し、大聖人の仰せどおりの正道を進んでいる。この道は、人類最高の道である。仏法的にも、思想的にも、最高峰の王道である。
 私どもは、人間として最高の道を歩む誇りも高く、勝利の人生を飾っていとうではありませんか!(拍手)
11  世界の同志の皆さま! 本当に、ようとそ!
 九州から参加されるのも、もちろん大変であるが、海外から来られた方々は、その何十倍、何百倍、何千倍も大変である。その福徳は、計り知れないほど大きい。われわれは、海外の同志を最大に守り、讃嘆申し上げたい。
 研修に、お越しくださったシンガポールの皆さま! 韓国の皆さま! 台湾の皆さま! さらにオランダの皆さま! アルゼンチンの皆さま!
 そして、結成二十周年を迎えた、懐かしき「ブラジル徳島会」の皆さま!
 はるばる、本当にご苦労さま! ありがとう!(拍手)
12  マハトマ・ガンジーは言っている。
 「地位が高ければ高いほど、その責任が重い」(福永渙『ガンヂーは叫ぶ』アルス)
 地位が高くなると、慢心におちいったり、わがままに、なったりする人間が、あまりにも多い。もしも、高い地位を得て、学会を軽んずるような人間が出たら、厳しく戒めていかねばならない。
 ガンジーは続けて、こう述べている。
 「もし吾々が高い地位を占めたとしても、自己の優越を誇ったり、眼下の人を見下してはならない。吾々は眼下の人が働くと同じように働かねばならぬ」(同前)
 深く胸に刻むべき言葉である。
13  青年よ、人生は勇気でいけ
 五月三日の「創価学会の日」にあたり、牧口先生、戸田先生の言葉をさらに確認したい。
 牧口先生は、「小善人は、大善の人を嫉み、衆愚からほめられることを喜ぶ」と言われた。
 「衆愚」とは「多くの愚人」ということである。大勢の愚かな人間にほめられて喜ぶ。そういう生き方は、所詮、人気とりである。小善の人とは、みずから悪いことをしないまでも、悪と戦う勇気のない人間、小さな自分の利益に生きる利己主義の人間ともいえよう。
 大善とは、大悪と戦うことである。われらは勇敢に、大善の道を歩みぬいてまいりたい。
 戸田先生は、昭和三十三年(一九五八年)の年頭に叫ばれた。
 「『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』のご聖訓を日夜誦して、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず、吐を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!(『戸田城聖全集』1)
 「5・3」は、新たな始まりの日である。明年の「5・3」へ向けて、いよいよの決意で、青年とともに、勇気の出発をしたい。
 かつて私は、水滸会の研修で、戸田先生の遺志を胸に、青年たちに呼びかけた。
 「勇気! 勇気の生命を脈動させ、私と共に、広布のため、創価のために、大激戦を勝ちぬいてもらいたい!」
 永遠の勝利の道を確実に築きゆく、その最大の力は青年である――これが、戸田先生の結論であられた。
14  つい先日も言及したが、著名な教育者で、農政学者の新渡戸稲造博士の言葉を紹介したい。
 新渡戸博士は、国際連盟の事務次長も務めた。日本を代表する国際人である。新渡戸博士は牧口先生と親交があり、牧口先生が著された『創価教育学体系』にも序文を寄せている。この一事からも、牧口先生が、どれほど偉大な学者であられたかがわかる。
 博士は書いている。(一九三二年、「英文大阪毎日」)
 「たぶんわが国以上に中傷者に行動の自由をゆるしている国はない。何千というそういう連中が、立派な市民の名誉を毀損し、またたしかに、暗殺やそれ以上の中傷をそそのかして、それで飯を食っている」(『編集余録』佐藤全弘訳、『新渡戸稲造全集』20所収、教文社)
 博士の言葉は、今の社会にも通じる警鐘である。
15  「時」を逃すな立つ時は「今」!
 キューバ独立の父ホセ・マルティは激しい闘争のさなか、みずから創刊した新聞紙上で、力強く、こう呼びかけた。
 「あらゆるところから勇敢な人たちがはせ参じ、勇気を発揮する。そうしなければならないときである。臆病な心を一掃しよう」(高橋勝之解説・監修『キューバ革命思想の基礎』神代修訳、理論社)
 マルティは、数々の困難や迫害を乗り越えて、勇敢に戦い、キューバを救った。
 いつであれ、どこであれ、大切なのは、「勇気の一人」がいるかどうかである。
 マルティは次の言葉を残している。
 「偉大なことをなす場合、時を失しではならないのです」(同前)
 もっとも偉大なる事業、それは広宣流布である。皆さんは、その大事業を担う、もっとも大切な方々である。現在、さまざまな場所で、さまざまな立場で、奮闘されていることと思う。
 「今」が時である。時を失えば、自分が損をする。あとになれば、なるほど、後悔をする。皆さんは、決して、時を失ってはならない。
 「今」が時である。まさしく今、万年の広宣流布のために、また、自身の永遠の勝利のために、非常に重要な時を迎えていることを知っていただきたい。
16  咲き誇る「杏」の花は婦人部・女子部の勝利の姿
 「創価学会母の日」、本当におめでとう! 牧口記念庭園の丘に植えられた、婦人部と女子部の五百本の「杏」の花が、今年も見事に咲き誇った。(=二〇〇四年、池田名誉会長の提案で、杏の木に婦人部・女子部の各県区、各種グループ等の命名がなされた)
 私は妻とともに、この杏の花々を見つめながら、題目を唱えた。全婦人部・女子部の友の、さらなる活躍と幸福を御祈念させていただいた。ここで、皆さまに記念の句をお贈りしたい。
  天晴れて
    杏の花の
      勝利かな
 庭園の杏には、北陸(石川県)の戸田先生の生家に植えられていた杏の種から育った木がある。
 戸田先生ゆかりの杏である。その意義をとめ、この句を認めた″杏の絵の屏風″を、代表として北陸の婦人部に贈呈したい。(拍手)
 屏風は、学会本部の御宝前に置いて、大切に保管してきたものである。
 全世界の婦人部の皆さん、いつも本当にありがとう!
 もっとも苦労した母が、もっとも幸福になる権利がある。広布のため、地域のため、そして社会のため、懸命に行動してくださっている皆さんである。最高に幸福な、豊かな人生を歩みゆかれることは、絶対に間違いない。
17  われらは「仏法西還」の御予言を実現
 日蓮大聖人は「顕仏未来記」で、次のように仰せである。
 「月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法並びに像法時代には西のインドから東へ伝わり、末法においては、東の日本から西へ流布していくのである」(御書508㌻、通解)
 インドで生まれた仏教は、中国、韓・朝鮮半島を経て東の日本へと伝えられた。これに対して、太陽の妙法は、日本から西のインドへ、そして全世界へと流布していくのである――あまりにも有名な「仏法西還」の御予言である。
 この「顕仏未来記」は、いつ、どこで著されたのか。それは文永十年(一二七三年)の閏五月、流罪の地・佐渡で認められたものである。大聖人は、身命におよぶ大難のさなかに、悠然と、また厳然と、「世界広宣流布」への大確信を書き留められたのである。
 そして、その御予言を実現するために立ち上がり、大聖人と同じ心で戦い、「三類の強敵」を打ち破ってきたのが、わが創価学会である。
 昭和二十七年(一九五二年)、戸田先生は東洋広布、世界広布への大願を和歌に詠まれた。
  いざ往かん
    月氏の果てまで
      妙法を
    拡むる旅に
      心勇みて
 あの晴れわたる昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日。私の第三代会長の就任式でも、会場の日大講堂に、この和歌が大きく掲げられた。
 それから四十五星霜――。
 先ほども申し上げたが、私は戸田先生の弟子として、「月氏の国」インドの精神を名に冠した「『偉大なる魂』と『偉大なる英雄』の一体賞」を受賞した。
 全世界の同志を代表しての栄誉である。(=授賞式は、インドの国務大臣をはじめ、各界の要人が列席するなか、盛大に挙行された。荘厳な式典の模様は、同国で最大の英字紙「タイムズ・オブ・インディア」を筆頭に、大々的に報道された)
 思えば、授賞式が行われた四月二十日は、昭和三十三年(一九五八年)、戸田先生の学会葬が厳粛に行われた日であった。そしてまた、戸田先生と私の「生命」である「聖教新聞」の「創刊記念日」でもある。(昭和二十六年〈一九五一年〉に創刊)
 まさしくこの日、この時に拝受した意義深き栄誉を、私は皆さま方と一緒に、「創価の師弟」の勝利の象徴として、戸田先生に捧げたい。
 そして、大切な配達員の方々である「無冠の友」をはじめ、「聖教新聞」を支えてくださっているすべての皆さま方と、この栄誉を分かちあいたい。
 日蓮大聖人は、大難の真っただ中で、「日蓮のことを憎もうとも、内証(胸中の悟り、本体)はどうすることもできない」(御書一三五九㌻、通解)と厳然と仰せである。
 いくら、人々が大聖人を憎み、迫害を加えようとも、末法の御本仏としての大境涯は決して揺るぐことはないとの宣言であられた。
 この大聖人に直結して戦う学会を妬み、憎もうとも、これまた、どうすることもできない。わが学会は、経文どおりの大難を受けてきたが、微動だにしない。否、圧迫されればされるほど、いよいよ強くなり、いよいよ勝ち栄えていくのだ。
 迫害の嵐が吹き荒れるなか、私がただ一人、難を耐え忍び、学会を死守した「五月の三日」もあった。しかし、一切を勝ち越えた。
 そして今、創立七十五周年の「五月の三日」を、世界の知性が最大に祝賀している。愛する同志とともに、栄光の新時代を聞いたのである。
 わが学会は、御書に寸分違わず、「広宣流布の信心」で勝った。
 「師弟不二の信心」で勝った。
 「破邪顕正の信心」で勝った。
 「異体同心の信心」で勝った。
 「勇猛精進の信心」で勝った。
18  SGIには「人間を変革する」方途が
 ともに国際宗教社会学会の会長を務められたカレル・ドブラーレ博士、リリアン・ボワイエ博士の夫妻が、先日、来日された。ドプラーレ博士は、東洋哲学研究所の要請を受け、講演してくださった。(三月二十九日)
 テーマは「SGI運動のグローバル性――SGIはなぜ世界に広まったのか」。
 博士は、SGIが世界に広まった理由として、次のような点をあげておられる。
 一つには、SGIは「自分の人生を自分の力でコントロールすることを可能にする深遠な方途を提供している」。この点において、博士はSGIを「非常に魅力的な宗教」と論じておられる。
 SGIには、仏法に基づく「人間革命」の思想があり、そして「座談会」をはじめとする具体的な活動がある。SGIは、いわば「自己を見つめる鏡」を提供している。自己の置かれている状況を変革するための方途を提供している――博士は、そう分析している。
 また博士は、社会の価値観の変化にともなって、「生命の永遠性について考える人々が増えてきた」ことに注目する。人々の間に「より高度な力、エネルギーに対する信仰」が高まっていることなどから、仏法の生命哲理が尊ばれる状況が作られていったのではないか、と考察されているのである。
 どれほど権力や財力を持とうが、峻厳な「生老病死」の流転から逃れることはできない。しかし、妙法という三世永遠の大法則にのっとった人生は、「生老病死」の苦悩を打開して、必ず「常楽我浄」の大歓喜の生命を勝ち取ることができる。
 皆さま方こそ、人類の思想の流れの最先端を誇り高く進みゆく大哲学者なのである。
 さらにドブラーレ博士は、SGIが、平和・文化・教育において世界的な社会貢献を果たしていることを、高く評価されている。博士は「SGIは、平和と持続可能な発展を促進する上での重要な原動力である」と結論つけておられる。これが、世界を代表する学識の声である。
 (=ドブラーレ博士は、かつて「創価学会の団結は、歴代会長との『人間の絆』によって築かれたものである。そこに学会の力がある」とも洞察している)
19  ガンジー「師匠の、おかげ」「民衆に感謝」
 さて、九十年前のきょうのことである。(一九一五年四月二十一日)
 南アフリカでの人権闘争(インド人差別法制の撤廃運動)に勝利し、インドへ帰国したマハトマ・ガンジーは、彼を賞讃し、喝采する人々に語りかけた。
 「この美しい賛辞の中で、もし妻と私が受けるに値するものがあるとするならば、それはひとえに、異国の地・南アフリカで戦う私に、勇気と希望を与え続けてくれたわが師匠のおかげなのです」(The Collected Works of Mahatma Gandhi 13, Navajivan Trust)と。
 そしてまた、「私が成しえた仕事を遂行させてくれたのは、わずかなる見返りも求めず、みずからの信念のままに黙々と働き続けてきた純真なる民衆自身なのです」(同前)――こうガンジーは言いきったのである。
 美しき「人間の心の絆」は永遠に光る。
 師匠の恩を踏みにじり、民衆への感謝を忘れ、そして、同志の信頼を裏切る卑劣な人生だけは、絶対に歩んではならない。
20  大聖人は、信仰ゆえに父親から勘当された池上宗仲と、その弟である宗長に対して、有名な「兄弟抄」をつづられた。そのなかで、こう仰せである。
 「はじめは信じていたのに、世間の迫害が恐ろしくて、信心を捨てた人は数知れない。そのなかには、もとから誹謗していた人々よりも、かえって強く誹謗する人もまた多くいる」(御書1088㌻、通解)
 外から責める敵よりも、一度は門下になりながら裏切った連中のほうが、さらに悪い。御本仏の在世でさえ、そういう輩が多く出た。だからこそ大聖人は、そうした「師子身中の虫」とは徹底的に戦いぬくことを、弟子に厳命されたのである。
 そして、そのとおりに五老僧らを打ち破られたのが、日興上人である。
 ともあれ、「兄弟抄」では、信心を貫く池上兄弟に対して、こう励まされている。
 「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(同㌻、通解)
 池上兄弟は、この仏法の真髄ともいえる生き方を貫いた。二十年以上にわたって信心に反対していた父親も、兄弟の姿を見て、その後、入信する。池上兄弟は大聖人の励ましに支えられ、見事に勝利の実証を示したのである。
21  今こそ勇気ある師子吼を
 ところで、釈尊の時代にも、現代の学会の前進と同じく、女性の活躍が光っていた。
 有名な「勝鬘しょうまん夫人」と呼ばれる王妃も、師匠である釈尊への誓願のままに、苦悩や災害の渦巻く社会へ飛び込んで、行動していった。
 この勝鬘夫人は、「師子吼者」――師子吼の人と呼ばれた。声の力で人々を励まし、声の力で悪を責めていったことを賞讃されたからである。婦人部、女子部の皆さんの姿をほうふつさせる。
 まさしく、「声仏事を為す」である。
 「師子吼」には、「師子を装うニセ者を打ち破る力」「堕落を戒める力」「恐れを取り除く力」「眷属の威光勢力を増す力」などが備わると、経典には説かれている。
 勇気ある「師子吼」が、悪を打ち破る。善の勢力を広げていく。一人の勇気ある「師子吼」ほど強いものはない。
22  御聖訓には、「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」とある。
 この御聖訓どおりに学会は、小樽問答、炭労事件をはじめとして、ありとあらゆる言論戦に、私を先頭として、「師子の声」で勝ちきってきた。
 大聖人は、「師子吼」の意義を、「師匠」と「弟子」が一体となって妙法を唱え、弘めゆくことである、と示された。(「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」)
 正義と真実を叫ぶのは今である。
 私は、「わが青年部よ、今こそ師子となって、全生命を奮い立たせながら、叫びゆけ! そして今とそ、師子となって勝ちまくれ!」と訴えたい。
 時代は乱世である。真剣と執念で勝つしかない。慢心になり、油断したところは崩れてしまう。
 賢く、鋭く、耳を澄まし、目を凝らし、あらゆる面に心を配り、励ましあいながら、生き生きと、健康第一で、戦おう!
 大車輪が勢いよく回転するように、さあ前進だ。伸び伸びと、朗らかに、厳然と勝ち進もう!
 それでは皆さん、お元気で! またお会いしましょう!
 とくに、海外から集われた方々、お元気で! 皆さんの長寿と健康を祈ります。
 きょうは、本当にありがとう!
 (東京牧口記念会館)

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