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日蓮大聖人・池田大作

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総東京代表協議会 同志愛に生きよ! 大目的へ心を一つに

2005.4.4 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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2  語らなければ、心は伝わらない。心を伝えることができなければ、人は動かない。
 また、頑張った人、努力している人、苦労している人を、率先して、讃えてあげることだ。
 ″よく頑張ってくださいました!″″本当に、うれしいです!″″ありがとうございました!″と。
 わざわざ口に出して言わなくても、きっとわかっているだろう――そう思うのは、幹部の怠慢である。さらにまた、真剣に広布に戦っている同志を、澄ました顔で眺めているだけの幹部であるならば、あまりにも無慈悲である。
 邪悪には、厳しく「糾弾の声」を上げることだ。幹部が、悪に対して、おとなしくして、何も言わない。それは、偽善であり、保身であり、臆病である。そこに、「魔」はつけいってくる。
 リーダーは、こうしたスキを断じてつくってはいけない。声を上げなければいけない。正義の声が「魔」を切っていくのである。
 だからこそ、大聖人は若き門下に「いよいよ声を張り上げて、責めていきなさい」(御書1090㌻、通解)と教えているのである。
3  これまで学会は、「女性の声」で勝ってきた。婦人部の皆さま方の「勇気の声」で、勝利また勝利の道を、敢然と開いてきたのである。
 その点、どうしても、男性幹部は弱い。外に向かってしゃべれない。組織に守られている場合が多い。わが学会は、リーダーの一人一人が、もう一歩、勇気を出して、思ったとおりに語っていけば、心の底から叫んでいけば、まだまだ、今の「十倍の力」を発揮できる。私はそう思っている。男性の皆さん、よろしく頼みます!
 声を出すことが、自分自身を変える。他人を変える。さらに、社会を変え、時代を動かしていく。まさに「声」が仏の仕事をするのである。この一点を、ともどもに銘記してまいりたい。
4  大変な時こそ「確信の一言」を
 先日(四月一日)、中国の名門・上海シャンハイ財経ざいけい大学の叢樹海そうじゅかい副学長一行が、わざわざ、来日してくださり、光栄にも「名誉教授」の称号を授与してくださった。
 また、現在、月刊誌「第三文明」で対談を連載している米ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授、さらに全青連(中華全国青年連合会)の派遣による「中国青年代表団」の張学軍ちょうがくぐん団長一行ともお会いした。
 皆さんが一様に、深い敬愛を寄せておられた人物は、だれであったか。それは、私も心から尊敬する中国人民の大指導者・周恩来総理であった。
 最近、周恩来総理の専属のパイロットを務めた人物の手記が、「人民日報」の海外版に連載されたた。そこには、周総理の卓越したリーダーシップを物語る、ある出来事が記されていた。
 ――四十年前(一九六五年)の六月。周総理は、アジア・アフリカ諸国を回り、歴史に残る外交戦を展開した。
 それは、六月三日の夕刻過ぎ、周総理を乗せた専用機が、イラクのバグダッドの空港に降りようとしたときである。突然、空港の電気がすべて消えてしまった。一斉の停電である。
 飛行機は、まさに着陸態勢に入ろうとしていた。しかし、明かりが消えた滑走路は、ほとんど見えない。パイロットは逡巡した。引き返して、他の空港に向かうべきか。しかし、燃料は足りない。パイロットは厳しい状況を周総理に報告した。
 だが、周総理は少しも動ずることはなかった。そして、こう、きっぱりと励ましたのである。
 「私は何も心配していません。皆さんが困難な着陸を見事に成し遂げることを、私は断じて信じています!」
 この力強い絶対の信頼の一言に、パイロットたちの不安は吹き飛んだ。
 声は力である。声の響きこそが、人に勇気を贈る。
 皆の心に″絶対にできる!″という確信が生まれた。希望の炎が燃えた。そして、一致団結して勇気凛々と困難に挑み、かすかな光を頼りにして、無事、着陸に成功したのである。
 いざというときのリーダーの「信頼の一言」「励ましの一言」「確信の一言」が、どれほど皆に力と勢いを与えることか。大変なときこそ、皆を安心させ、厳然と励まし、希望の方向へ、勝利の方向へとリードしていくのが、指導者の役目である。
5  さて、この歴史的な外交の旅をすべて終えて、帰国の途についた機中でのことである。困難をともにしてくれた同志をねぎらおうと、周総理は、みずから生き生きと歌の指揮を執った。機中は、喜びで沸き返り、晴れやかな大合唱が広がった。
 いよいよ国境を越えて中国に入るときには、国境近くの標高四〇〇〇メートル以上の山奥にある管制塔で働く人々へ、励ましのメッセージを打電することを、周総理は忘れなかった。
 ともに戦う同志、陰で苦労しながら支えてくれる同志に、絶えず心を配り、その労苦をねぎらい、深く感謝を捧げる。それが、一級の指導者の心であり、振る舞いである。
 どうか、わが学会家族もまた、ともに讃えあい、ともに励ましあい、そしてともどもに固く信頼しあいながら、さらに勢いを増し、威光勢力を強めて、威風堂々と進んでまいりたい。
6  中国、ソ連、キューバ――「対話」で開く「友好」の道
 広宣流布とは、一面からいえば、わが国土に、そして世界に、平和・文化・教育を興隆させることである。その意味で私は、中国との友好の道を、私なりに懸命に開いてきた。
 東西冷戦の渦中、一九六八年九月には「日中国交正常化提言」を発表した。
 (=中日友好協会副会長を務めた黄世明こうせいめい氏は、「この提言が、そして創価学会が、中国と日本の友好関係を発展させる大きな発端となり、起点となったと思います」と振り返っている。
 また、記者として提言を本国に打電した劉徳有りゅうとくゆう氏は、「当時の複雑な状況のもとで、このような大胆な提言をするには、危害を加えられる覚悟をしなければならないほど、たいへんに勇気が必要であり、容易なことではありませんでした」と語っている)
 周恩来総理、中日友好協会の廖承志りょうしょうし会長をはじめ、心ある指導者の方々との真剣な語らいは、いずれも忘れがたい。国交正常化の後、新中国から日本への正式な留学生を初めて受け入れたのは、わが創価大学である(一九七五年春)。私自身が六人の留学生の身元引受人となり、彼らが存分に勉強できるよう、心を尽くしたことも、よき思い出である。
7  一九七四年の九月には、モスクワでコスイギン首相と会談した。
 その三カ月前、私は中国を訪問し、北京の人々がつくった地下防空壕を視察していた。当時、中国の民衆はソ連を脅威に感じていた。ソ連もまた、中国の動向に不安を覚えていた。おたがいに、不信感にとらわれていた。
 不信を、信頼に転換するために――その心で私は、コスイギン首相に率直に聞いた。
 「中国はソ連の出方を気にしています。ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」
 首相は、「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」と答えた。
 私はさらに「それを中国の首脳に、そのまま伝えてよろしいですか」と聞くと、首相は「結構です」と。
 同じ年の十二月、ふたたび訪中した私は、このソ連の意向を、中国の要人に伝えたのである。
 また、アメリカとキューバの関係が悪化していた時期に、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長と会見したことも鮮烈に覚えている。(一九九六年六月)
 日本の指導者とも、真剣な対話を重ねてきた。どんな国や団体との交流であれ、「主義主張が違っても、同じ人間ではないか」「そこに人間がいるかぎり、私は行く」との信条を貫いた。
 これまで、ずいぶんと偏見に満ちた非難中傷を受けたが、すべて厳然と勝ち越えてきた。
 私が世界各地で結んだ″信頼の道″を、二十一世紀に生きる創価の青年たちが、さらに太く力強い″民衆交流の大道″としていってくれることを、心から期待している。
8  広布の一切の責任を担う
 愛する同志のためならば、どこへでも駆けつけて、誠心誠意、尽くしぬいていく。
 広布の戦においては、自分が一切の責任を担う。仏敵は最後まで許さない。そして、断じて勝って結果を出す。それが学会のリーダーの伝統である。
 しかし、幹部がだんだんと年を取り、戦う心を失い、自分中心になってしまうならば、そうした新鮮な息吹がなくなってくる。それでは学会の組織は、絶対に弱体化する。そのことを戸田先生は口をすっばくして戒めておられた。
 名誉でもない。お金でもない。会員のためである。広宣流布のためである。
 私は、ただ、それに徹してきた。だれになんと言われようとも、戸田先生の言われたとおり、学会精神で戦ってきた。師弟の精神で生きてきた。同志愛の心で進んできた。
 だから勝ったのだ。
 学会精神は、戦う魂にこそ脈動する。
 それを戸田先生は、徹底して青年に教えてくださった。本当に偉大な先生であられた。
9  ともあれ、私は、青年部時代に、戦って戦って戦いぬこうと決意した。傷だらけになろうが、たとえ早死にしようが、かまわない。
 「あれが学会青年部の本当の姿か!」「あれが戸田先生の真実の弟子の姿か!」と讃嘆される模範の生き方だけは残しておきたい。後に続く多くの青年たちのために。そう密かに誓っていた。
 その心を見抜かれた戸田先生は、おっしゃった。
 「お前は死のうとしている。俺に命をくれようとしている。それは困る。お前は生きぬけ。断じて生きぬけ。俺の命と交換するんだ」と。
 あまりにも厳粛な師弟の劇であった。若き青年部の皆さんもまた、わが青春の大闘争を、劇のごとく、見事に勝ち飾っていただきたい。
10  師弟とは勝利へと導く強い引力
 私の師匠は、戸田先生である。自分で決めた師弟の道である。
 ゆえに、戸田先生にぶつかっていき、戸田先生と命でつながっていくことが、私にとっては、もっとも大事なことであった。
 そして戸田先生から、「大作、よくやったな!」とほめていただければ、それで良かった。その一点だけであった。
 そこから、厳然と「師弟不二の道」が開かれていったのである。
 どんなに立派そうなことを言っても、格好よく見えても、根本に「師弟不二」がなければ、いつかは、行き詰まる。結局は、自分勝手になり、仏法の正しい軌道から外れてしまうものだ。
 「師弟」には、偉大な力がある。それは、引力のように正義の方向へ、勝利の方向へ、人間革命の方向へと引っ張ってくれる。
 「師弟」に生きる人は強い。断じて、勝っていける。
 私は、師弟の道に徹しゆく本物の「師子」をつくりたい。一騎当千の力のある師子を育てたい。
 いかなる嵐にも微動だにしない、正義の師子を、一人でも多く育てていきたいのだ。それが今の私の願いである。
11  さらに、戸田先生は、こう指導された。学会の一つ一つの役職を最大に大切にしていきなさい、と。学会は仏意仏勅の広宣流布の組織である。大聖人の御遺命の世界広布を現実に実践しているのは、世界中に、創価学会しかないのである。
 ゆえに、学会の役職に就き、勇んで広布に戦うことが、どれほどすばらしい使命の行動であることか。学会の組織で懸命に戦った人は、生々世々、諸天に守られ、無量の福徳に包まれていく。
 反対に、広布の組織を誹謗したり、自分のために悪用する者が、厳しい仏罰を受けることは、間違いない。
 皆さんは、生涯、学会とともに生きぬいていっていただきたい。
 もしも、学会を離れれば、福運は、消えてなくなる。何をやっても、うまくいかない。良いことなんて絶対にない!――こう戸田先生は言明されていた。
 私も、六十年近い信心の年輪を重ね、大勢の人の人生を見つめてきた。本当に、戸田先生の言われたとおりであると実感している。
12  男性は力を持たなければならない。これも戸田先生の指導であった。
 「男」は、「田」を耕す「力」がなければならない。要するに、戦い勝つ力、家族や眷族を養う力、社会を繁栄させる力を持たねばならないということである。そのために、信心があるのだ。
 戸田先生は、女性には、「清らかな信心」を貫いていきなさいとよく言われた。清らかな信心こそ幸福の源泉であるからだ。
 大聖人は、有名な「異体同心事」のなかで仰せである。
 「周の武王は八百人なれども異体同心なればちぬ、一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」と。
 広布の同志に上下の差などない。全員が広宣流布という大目的に向かって、「心を一つに」戦っていくことである。そうすれば、絶対に目標を勝ち取ることができる。そう大聖人が御約束なのである。
 われらは、異体同心の祈りと行動で、断じて勝って勝ちぬいていきましょう!
13  未来へ伸びゆく「広域多摩」
 今から四十五年前、第三代会長に就任する直前の一九六〇年四月、私は戸田先生のご家族を案内して、東村山を訪れた。その折、日記に「愛する東京の桃源境、日本の平野。私の憧れの大地なり」(『若き日の日記』本全集37巻収録)と記したことが懐かしい。
 何とも言えぬ麗しさがあり、また広がりがあり、そして未来性がある多摩の天地に、私は、いち早く焦点を当ててきた。
 一貫して、この多摩地域が東京二十三区とともに、重要な発展の電源地となり、わが第二総東京が文化と教育の本陣となりゆくと述べてきたことは、ご存じのとおりである。
 思えば、私が創価学園を小平市に創立し、創価大学の建設地を八王子市に決定した当時、「なぜ、あんな狸が出るような田舎に」と笑った人も少なくなかった。
 創価大学の起工式(一九六九年四月二日)の敷地を整えるため、地元の青年部をはじめ、有志の方々が、汗だくになり、泥まみれになって、長い笹やススキなどの草刈りをしてくださった尊き歴史も、私は決して忘れることができない。
 あの当時、今日のような学園都市・八王子の大発展を、だれが予想しえたであろうか。
 今、いわゆる「広域多摩」の地域が、地域再生と産業創造の新天地として、大きく注目されている。「広域多摩」とは、東京の多摩地域(東京二十三区を除く地域)から、南は神奈川の中央部、さらに北は埼玉の南西部に広がる一帯である。
 約一千万人の人口を擁し、大学も、わが創価大学をはじめ、理工系の学部を持つ大学だけでも約四十校ある。業種を超えた連携を強め、国際競争力のある産業の育成をめざしている地域である。
 工業製品の出荷額は、アメリカの世界的な半導体産業の拠点である「シリコンバレー」の二倍になるとも言われる。
 その中心に、わが八王子総区、ならびに新立川総区(立川、昭島、日野)の一帯が広がっていることは、まことにうれしい。
 創価大学は、「広域多摩」地域の大学と産業を結ぶ「TAMA-TLO(技術移転機関)」や「学術・文化・産業、ネットワーク多摩」などに積極的に参加。教員と学生が協力し、実績を積んでいるとうかがっている。
 ともあれ、この「広域多摩」地域は今後、新しき産業の中心地として、ますますの繁栄が期待されている。
 わが第二総東京の同志も、東京二十三区と一体で進んでいる。全国の同志が集う東京牧口記念会館がそびえる八王子、また、神奈川と交流する特区・町田総区、さらに埼玉と往来する村山総区を先頭に、千葉をはじめとする関東各県、東海道、信越等と、人間主義の連帯をいちだんと深めながら、大発展している。山梨の友との力強い連合も、大いなる躍進の原動力となっている。
 大勝利の前進、本当におめでとう!(拍手)
 一カ所、勝利と拡大の金字塔が打ち立てられれば、皆がそれを模範として、勇んで続いていくことができる。この「広域多摩」地域をはじめ、総東京は、日蓮大聖人が足跡を留められた天地でもある。皆さまの勝利こそ、二十一世紀の「立正安国」の勝利であると申し上げたい。(拍手)
14  「破邪顕正」こそ学会精神
 ここで、御聖訓を拝したい。
 私が執務する机には、関西女子部の皆さんから届けていただいた、手作りの「三百六十五日『幸福勝利』日めくり御書」が置かれている。
 その一つに、南条時光の父親に対して送られた「南条兵衛七郎殿御書」の一節が記されてあった。
 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書1494㌻、通解)
 法華経の敵と戦わなければ、成仏はできない。この烈々たる破折の魂、破邪顕正の精神こそ、日蓮大聖人の仏法の生命である。いかに時代が変わろうとも、この根幹は、いささかたりとも変わってはならない。ここに、学会精神の真髄があるからだ。
 この精神を忘れた、格好だけの人間、戦わない人間が、幹部のなかに多くなると、組織は沈滞し、分裂する。衰亡の坂を落ちていく。
 広宣流布のために、いちばん、戦っているのは、真剣なる婦人部の皆さまである。
 戦わなければ勝利はない。戦わなければ仏になれない――この一点を、とくに男性の幹部は心に刻むべきだ。この厳粛な方程式をわかつて、真剣に行動する人こそ、本当のリーダーである。
15  正しいからこそ迫害される。
 アインンュタイン博士は述べている。
 「偉大な精神の持ち主は常に、二流の精神の持ち主からの暴力的な反対に遭遇してきた」(アブラハム・パイス『アインンュタインここに生きる』村上陽一郎・飯垣良一訳、産業図書)
 卑劣な悪人に攻撃される。それは、偉大な精神に生きる証なのである。
 末法は、「闘諍言訟」の時代である。思想が乱れ、善悪がわからない。そこに正義を打ち立てるには、言論闘争に徹するしかない。
 日蓮大聖人は、その闘争の一切に、断固として勝利する道を教えてくださった。
 熱原の法難の渦中、弟子に対して厳然と仰せである。
 「あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書1455㌻、通解)
 戦いを決するのは、「智慧」であり、「勇気」であり、「忍耐」である。そして邪悪を打ち破る「攻撃精神」を忘れてはならない。これこそ学会の生命である。
 日蓮大聖人は折伏の大師匠であり、学会は折伏の団体であるからだ。破折の精神――これだけは学会草創期と変わってはならない。いな、大聖人の時代と寸分も変わってはならない。
 「勝利」とは「幸福」の異名であり、「幸福」とは、「戦い勝つこと」だからである。
 「戦い勝ちぬく人」こそが、菩薩であり、仏である。「信心」は、「勝利」と「幸福」のためにある。妙法を根本に、祈り、戦い、進んでいくかぎり、断じて行き詰まりはないのである。
16  敬愛するわが同志が、一人ももれなく幸福で、健康で、そして勝利の人生であることを、私は祈りに祈っている。
 今は、ますます世の中も悪くなってきている。とくに女子部の皆さんは、会合の終了時間を厳守し、くれぐれも帰宅が遅くならないように気をつけていただきたい。
 全同志とともに、晴ればれと五月三日「創価学会の日」をお祝いしたい。
 どうかお元気で! 張りきって前進しましょう!
 (東京牧口記念会館)

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