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日蓮大聖人・池田大作

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第四十六回本部幹部会、第四回関東総会 妙法は勝利の人生の原動力

2005.2.10 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  インドからの栄誉を恩師に捧げたい
 海外のSGIの同志の皆さま方、寒いところ、遠いところ、本当にようこそお越しくださいました。せっかく世界の各地から来てくださったのである。なんとか、海外の皆さま方に、楽しかった、心が豊かになった、と喜んでいただけるような集いにしてまいりたい。
 その意味で、音楽隊の皆さん、何か皆の心が和むような演奏をやっていただけないだろうか。
 (とこで、創価グロリア吹奏楽団が「野に咲く花のように」の曲を演奏。さらに男子部の代表を中心に学会歌の「紅の歌」「厚田村」などを歌った)
 突然のリクエストにもかかわらず、皆さん、本当にありがとう!(拍手)
 私のもとには、朝となく夜となく、世界中からさまざまな報告が入ってくる。
 今朝も、インドのSGIの同志から連絡があった。
 それは、インドの最大の新聞「タイムズ・オブ・インディア」グループによって創設された「タイムズ基金」から、″非暴力と平和の賞″の決定通知書が、私あてに届けられたとの知らせであった。(賞の名称は「『偉大なる魂』と『偉大なる英雄』の一体賞」)
 SGIの全同志を代表しての受賞決定であり、皆さま方に最初にご報告させていただきたい。
 百六十四年の歴史を誇る「タイムズ・オプ・インディア」紙は、多くの知性に愛読されており、私も何度か寄稿してきた。また、「タイムズ基金」は、インドの深遠な精神性をもとに、世界の平和と調和をめざして活動している、著名な団体である。
 精神の大国インドは、わが師・戸田先生も、心から敬愛し、訪問を望んでおられた。「インドに行きたいな」と最後まで願っておられたことは、私がいちばんよく知っている。
 そのインドの天地からの甚深の顕彰が、戸田先生の誕生日(二月十一日)を前に決定したことが、私は、何よりもうれしい。これほどの光栄はない。
 この晴れの栄誉を、わが恩師に謹んで捧げさせていただきたいのである。(拍手)
2  会員第一の心で行動を
 戸田先生の忘れ得ぬお歌を紹介したい。
  一度は
    死する命ぞ
      恐れずに
    仏の敵を
      一人あますな
 昭和二十六年(一九五一年)、戸田先生が第二代会長に就任された年に詠まれたお歌である。
 第二代会長としての戸田先生の決意のお歌であった。
 私は、戸田先生のことを瞬時たりとも忘れたことはない。
 戸田先生の一切のご指導を真剣に学び、銘記し、そのとおりに実践してきた。
 先生のご指導のすべてが、今も私の胸中に光っている。そして、わが行く手を照らしている。
 あるとき、戸田先生は、厳しく言われた。
 「悪とは徹底的に戦うのだ。学会員をバカにする者は、だれであろうと、私は許さない!」と。
 戸田先生は、学会員をいじめるような連中とは、徹底して戦った。本当に容赦なかった。激しかった。
 そして、「仏敵を許すな。祈り、打ち勝っていけ」と厳命され、強盛な祈りが一切の戦いに通じていくことを教えられたのである。
 また戸田先生は、「前線の幹部は、ぼやぼやするな!」と、しょっちゅう注意しておられた。
 前線がしっかりしていなければ、戦いは勝てない。会員も守れない。ぼやぼやして、動かずにいて、戦いの邪魔になる幹部、増上慢になり、いばり散らして、皆の迷惑になる幹部は、いなくなってもらったほうがよいときっぱり言われた。
 悪い幹部がいれば、どとかでよどみができ、停滞する。
 リーダーは、温かな心で会員を大事にし、会員に本当に尽くしていくことだ。そこに徹していけば、まだまだ学会は、今の何倍も発展する。リーダーの人格と行動いかんで、学会の組織は、いくらでも変わるものだ。
 ともあれ、会員第一の心で行動する人は、人格が光ってくる。良い点がどんどん伸びてくる。全部、自分が得をするのである。仏法の世界に、一切、ムダはない。
3  戸田先生「本当に偉い人は皆を偉くする人」
 戸田先生は、社会のため、民衆のための大きな戦いに臨むにあたって、「偉大な創価学会の底力を天下に示すのだ」と語っておられた。
 ″大作、頼むぞ! 青年部よ、頑張れ! ともに戦おうじゃないか″――師匠の叫びを生命に刻み、われわれ青年部は突進した。
 今の青年部の皆さんも、頼みます! 「青年部の時代」に入ったのである。
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「虚栄を張って、学会を利用しようとする増上慢の輩は、学会から、たたき出せ!」
 学会のおかげで社会的に偉くなりながら、大恩ある同志に対して、いばる。裏切る。とんでもない増上慢の悪人も出た。そんな悪行を、未来永遠にわたって、断じて許してはならない。
 また戸田先生は、本当に偉い人とは「皆を偉くする人」「皆を敬う人」であると言われていた。
 ″幹部だから偉い″のではない。いちばん偉いのは、広宣流布のため、創価学会の発展のために尽くす人だ。仏意仏勅の団体である学会を守りぬいた人だ。
 広布のために、日々、最前線で奮闘する学会員の皆さまこそが、最も偉大なのである。リーダーは、こうした方々を最大に讃え、尊敬していくことである。
 戸田先生は、青年部に対して、こうも言われていた。
 「ともかく自分自身を磨いていくのだ。大聖人の哲学を夢にも疑わないで、『広宣流布は私がやる!』という気概に溢れて、前進していくべきである」
 「私がやる!」――との心意気で、学会は世界的になった。
 日本においても、威風堂々の大発展を続けている。
 私が話すときは、すべて戸田先生の指導がもとになっている。全部、先生から教えていただいたことである。私は青春時代から、戸田先生の指導を″遺言″のつもりで心に刻んできた。
 先生は、厳しき社会に挑む青年たちに言われた。
 「人間の誠実が、どこまで通じるかどうかだ。誠実――それが戦いのすべてであり、要諦である」
 誠実であることだ。謙虚に、真剣に、心をこめて話していくことだ。
 表面的な人気とりの姿が、誠実なのではない。誠実とは、どこまでも相手の幸福を願う心である。最高の誠実とは、戦いの先頭に立ち、悪を滅し、善を広げていくことなのである。
 どうか、わが舞台で、多くの人から「さすがだな」「頼りになるな」「すばらしいな」と言われる一人一人になっていただきたい。
 きょうは関東の代表が参加されている。関東といっても広い。
 何県から参加されましたか?(この問いかけに、参加者の代表が立って元気に答えた)
 学会創立七十五周年を記念して、代表の皆さまを顕彰したい。(拍手)
 (=ここでアメリカ創価大学「名誉大使」の記念メダルが、創立者の池田名誉会長から関東の参加者の代表に手渡された。また本部幹部会の席上、各国、各方面、各グループなどの代表への表彰が行われた)
 戸田先生は、こうも指導されていた。
 「戦う以上、絶対に勝たねばならない。題目をしっかりあげ、御本尊に願いきることが、一切の華を咲かせきっていく究極の原動力であることだけは、瞬時も忘れてはならない」
 このとおりに実践してきたからこそ、世界的な「勝利、勝利」の学会となったのである。
 これからも、「断じて勝つ」との祈りと行動で、ともどもに進んでまいりたい。よろしくお願いします!(拍手)
4  青葉城址にて「学会は人材の城を」
 「武人は城をもって戦いに臨んだ。今、学会は、人材の城をもって広宣流布に進むのだ」
 これは、伊達政宗公の騎馬像がある仙台の青葉城址を訪れたとき、戸田先生が言われた言葉である。私は師匠戸田先生に、いついかなる時も、お側でお仕えした。先生の言々句々を、厳然とわが生命に刻み、永遠に残しゆくために、書き留める毎日であった。
 きょうは、懐かしき仙台、東北の友も来ておられる。帰ったら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください!(拍手)
 さらに、戸田先生の不滅の指導を続けたい。
 「ない知恵を絞り、汗水たらして一生懸命になるから不可能も可能になる。このとき、御本尊の加護が厳然とあらわれるのです」
 まったく、そのとおりである。信心しているから、何とかなるだろうというのは、本当の信心ではない。信心の堕落である。
 「断じて成し遂げてみせる!」という必死の一念と行動があってこそ、御本尊の加護があらわれてくるのである。先生は、こうも断言された。
 「どんなことがあっても、根本に強盛な信心だけは決して忘れてはならない。信心で、いかなるものにも必ず勝てるからだ」
 強盛な信心に敵うものはない。信心が本当にあれば、どんなものにも勝てる。
 なかなか願いが叶わず、あせったり、不安になったりすることもある。
 しかし、自分自身が幸福になっていく願いは、全部、叶っていく。これは、絶対に間違いがない。そうでなければ、妙法ではない。信心ではない。
 どうか皆さんは、このことを、よくよく胸に刻んでいただきたい。
5  マレーシア創価学会のメンバーが、今回の本部幹部会を記念して、貴重な品物を届けてくださった。
 一つは、マレー伝統の剣一対で、″夫婦剣″とも呼ばれる。マレー文化における非常に重要な存在で、邪悪から身を守り、権威を象徴する意義がある。(「クリス」と呼ばれ、男性の正装の一部ともなる)
 もう一つは、伝統の楽器「アンクルン」。アジア特産の竹を使用した、美しい音色が有名である。
 今回の研修会に参加するメンバーが、わざわざ持参してくださった。皆さんを代表して、SGIの宝とするために、謹んで、お受けします。ありがとう!(拍手)
6  大事業は一朝一夕にならず
 海外の同志の皆さま方! はるばると、ようこそ、おいでくださいました!
 南米のアルゼンチンの皆さま! ヨーロッパのオーストリアの皆さま!
 遠方から、尊い広宣流布の研修、本当にご苦労さまです!
 そして、アジアのタイ、マレーシアの皆さま、このたびのスマトラ沖の大地震と大津波に対し、私たちは、あらためて、心からお見舞い申し上げます。
 救援、そして復興へのSGIの献身にも、深い感謝の声が寄せられております。
 また、香港・マカオの教育者の先生方も、お忙しいなか、ありがとうございます。
 ようこそ! ようこそ!
 さらに、アメリカ、ニュージーランド、ボリビア、ドミニカ共和国、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマーク、モナコ、ベトナム、シンガポール、そして、韓国、台湾の皆さま方!
 日本がいちばん寒い季節に、このように勇んで来られた皆さま方を、私たちは、最大の真心で歓迎申し上げます!(拍手)寒いので、どうか、風邪をひかれませんように。
 わがSGIの皆さまは、「一人」が「百人」にも「千人」「万人」にも通ずる、大切な、大切な方々である。
 この二月は、日蓮大聖人が御聖誕された月である。大聖人が、皆さま方の来日を、どれほど喜ばれ、どれほど讃嘆しておられることか。皆さまの功徳は、子々孫々、末代まで、無量無辺に伝わっていくのは間違いない。
 仏法は、「振る舞い」である。振る舞いとは、「行動」である。
 SGIの皆さまは、本当に立派な行動をされている。遠い道のりを、はるばるやって来られたこと自体に、深い信心があらわれている。
 古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは語った。
 「人生を建設するには一つ一つの行動からやって行かなくてはならない」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
 深き英知の言葉である。大事業は、一朝一夕には成らない。一つ一つの行動を、確実に、粘り強く積み重ねていくしかない。今の世の中は、苦労をさけ、要領よくやって、早く偉くなろう、早く金もうけしようという人間が、あまりにも多くなってしまった。
 私どもの仏法の世界は、そうではない。朝はまず、朗々たる勤行・唱題でスタート。わが生命を大宇宙と交流させながら、その日の目標を明確にして、生き生きとした生命力で出発する。そして、目前の課題一つ一つに、決して手をぬかず、全力で取り組んでいく。
 そのように、一日一日を、一切の行動を大切にして生きぬいている。
 生き生きと動いているところが、必ず勝つ。これは鉄則である。
 今、このとき、具体的な手を打っていくことが、未来の勝利の原動力である。そのとおりにやってきたから、学会は大発展したのである。
 さて、四年半ぶりに帰島が始まった三宅島(東京・三宅村)では、今回の本部幹部会から、地区部長のお宅で、音声中継が再開される。(拍手)
 百世帯を超える三宅島の偉大な同志は、大きな災難を厳然と変毒為薬されながら、各地で、戦いを開始している。(「変毒為薬」とは、「毒を変じて薬と為す」の意味)
 私たちは、わが三宅家族に「大善、来れ!」「勝利の春よ、来れ!」と大拍手を送りましょう! 応援しましょう!(拍手)
7  「敢闘精神」の関東、万歳!
 きょうは、関東総会、おめでとう!
 「青年・拡大の年」のスタートにあたり、誇り高き関東では、二万千五百人を超える新入会の友が誕生した。すばらしい歴史である。私は、「関東は立ち上がった!」と、心から讃嘆したい。突き刺すような空っ風のなか、本当によく頑張られた。
 「聖教新聞」の拡大も、青年の結集も、法華講員の救済も、すべて学会模範の「敢闘精神」の勝利である。
 広宣流布の敢闘精神は関東から始まった。(戦後初の地方折伏が昭和二十一年、関東で行われた)
 そして、名実ともに、「関東の精神」となった。
 「関東、万歳!」「関東、天晴れ!」と、ともどもに叫んでいきましょう!(拍手)
 古来、「関八州を制する者は日本を制す」と言われる。関八州を制した徳川家康は、江戸幕府をめ開いた。広宣流布も、関東は、まさに″要の中の要の天地″なのである。
 関東の群馬ゆかりの哲学者、内村鑑三は、こう記している。
 「人を作らんかな、人を作らんかな、人を作て而して後に社会を改良せんかな」(『内村鑑三著作集』4、岩波書店)
 そのとおりである。すべての根幹は「人をつくる」ことにある。
 学会も、この一点に焦点を定めて、前進してきた。仏法も、この一点を多角的に説いている。
 人材をつくり、正義の連帯を広げる以外に世界の平和も、日本の繁栄もない。
 一切は「人」で決まる。戸田先生は、いつも言われていた。
 「若い人が、ぐんぐん伸びていく創価学会にしていけ」
 さらに、次のようにも語られていた。
 「若い人のために、学会はあるのだ。年をとって、多少偉くなると、いばって、若手を抑えたり、怒ったりする。そんな者は学会に必要ない。絶対に、いばらせではならない。先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ。
 日本のため、人類のため、社会のために活躍する若い人を育てるのだ。これが、学会の目的である」
 先輩の皆さま、どうかよろしく頼みます!(拍手)
 先ほども申し上げたとおり、二月十一日は、「広宣流布の大王」であられた戸田先生の百五回目の誕生日である。私たちは、この日を、「学会創立七十五周年」の最高にして最大の勝利の上げ潮のなかで、晴ればれと、お祝いしたい。(拍手)
 この一年、断じて勝ちましょう!
 広宣流布のため、学会のために働いた人は、無量の功徳を受け、最後は必ず勝つのである。
8  仏法の真髄は「師弟」にあり
 ここで、文永九年(一二七二年)の二月十一日、最蓮房へ送られた「生死一大事血脈抄」の一節を拝したい。
 「(日蓮は)日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難にあわせ、あげくのはてには、この佐渡の島にまで流罪した」(御書一三三七ページ、通解)
 日蓮大聖人は、卑劣な謹言と戦い続けた御生涯であった。嫉妬に狂った者が、正義の人をデタラメな嘘でおとしいれようとする。その汚らわしいやり口は、昔も今も変わらない。
 「ところが、そうしたなかで、あなた(最蓮房)は日蓮に随順し、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられ、心を痛めております」(同ページ、通解)
 このように、大聖人は慈愛深いお便りをつづっておられる。仏法の真髄は「師弟」である。
 ――正しき師匠は、経文どおりに「三類の強敵」と戦い、種々の大難を受けきりながら、身命を惜しまず、妙法蓮華経を広宣流布なされている。
 ならば、その弟子は、師匠を護りきることだ。師匠に代わって、敵を打ち破ることだ。
 そして、師匠と「同じ心」で仏法を弘めぬいていくのだ――これこそ「師弟不二」である。
 師弟の道を生きぬいた人は、仏法に照らして、子孫末代まで繁栄していく。
 師弟という根本がわからなければ、たとえいっときは栄えようと、原点を見失い、結局は衰微してしまう。わかるか、わからないか。それは、目に見えない一念の違いである。しかし、この違いが大きい。
 大聖人は最蓮房を、このように讃えている。
 「金は大火にも焼けないし、大水にも流されず、朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは、まさに真金の人である。それは法華経の金を持つゆえであろうか」(同ページ、通解)
 妙法という不滅の黄金を持ち続けた人は、「金の人」である。その福徳は、永遠に朽ちず、輝きわたっていく。金となるか、鉄となるか。賢人となるか、愚人となるか。人生の勝利は、この一点にかかっている。広宣流布の師弟に徹する人生ほど、光り輝く「生命の道」はない。
 師弟に徹しない信仰、徹しない人生は、利己主義に流れる。エゴと勝手気ままにおちいり、仏法という、宇宙本来の法則の軌道から、外れてしまうのである。
 さらに同抄で大聖人は、真剣に信心を貫いた人の臨終について、次のように仰せである。
 「何と喜ばしいことか。一人や二人の仏ではない。百人や二百人の仏ではない。千人もの仏が迎えに来てくださり、我らの手を取って(霊山に導いて)くださる。それを思えば、歓喜の感涙を抑えられない」(同ページ、通解)
 まさしく「生も歓喜、死も歓喜」である。私どもは、この御聖訓を胸に、わが人生を悔いなく戦いきってまいりたい。
9  「創価の理念よ地球上に広がれ」
 今、世界の知性も、創価学会の「師弟の闘争」に注目し、その歴史を讃えている。
 なぜ、創価学会は強いのか。
 インドの哲学者で、ガンジー記念館館長を務めたN・ラダクリシュナン博士は、創価の「師弟の精神」が、生き生きとした、創造的なものである点に着目されている。
 (博士は、師弟の絆とは「人間の結びつきのなかで、非常に創造的かつ強力なものであり、他のすべての結びつきを超越するものである」と強調。「牧口会長から戸田会長へ、そして今、池田博士へと流れる『師弟の精神』は、至る所で多くの人々を奮い立たせている」〔「聖教新聞」二〇〇一年十月十二日付〕と述べている)
 なぜ、創価の前進が、共感を集めるのか。
 ロシア最高峰の数学者であるモスクワ大学のサドーヴニチィ総長は、師匠を忘れない私たちの生き方に、心の豊かさ、深さを見いだしておられる。師匠への報恩とそ、人間の道である。
 (総長は語っている。「池田会長は、常に、自分を育ててくれた恩師・戸田先生のこと、またその師匠である先師・牧口先生のことを語られます。そこに私は、本当の心の豊かさ、知恵の豊かさ、人格の深さを感じるのです。二人の師匠の″創価の理念″を、ご自身の中で昇華され、大きく展開されている池田会長――。私は、この″創価の理念″が、地球上の多くの人々の心の中へと広がり、万年にわたって輝き続けることを念願しています」〔「聖教新聞」二〇〇一年十一月四日付〕)
 教育においても、「師弟」の人間の錬磨が大事である。
 中国の傑出した教育者である福建師範大学の鄭一書ていいっしょ副学長は、創価教育の各校を参観した感想を、次のように述べておられる。
 「創価教育の根幹には、″師弟″の確かな道が貫かれている。麗しい″師弟″の血流が流れている。これが日本で創価大学・創価学園を訪ね、『なぜ、これほど素晴らしい学生(生徒)が育つのか』との問いに、私が見出した答えでした」(「聖教新聞」二〇〇一年八月二日付)
10  「二月闘争」と「大阪の戦い」
 師弟が一体であれば、無限の力がわく。何事も成就できる。これが仏法の定理である。
 広布史に名高い、「二月闘争」の拡大も、戸田先生と私の、師弟不二の勝利であった。
 (=昭和二十七年二月、若き名誉会長は、東京・浦田支部の支部幹事として折伏の指揮を執った。それまでの限界だった支部で月百世帯前後という壁を大きく破り、どの支部も成しえなかった「月二百一世帯の折伏」を達成した)
 当時の折伏の進展からみれば、戸田先生の願業である七十五万世帯の成就は、夢のまた夢であった。このままでは、いつの日に目的を達成できるのか――そのとき戸田先生は、二十四歳の私を蒲田に派遣されたのである。
 私は、戸田先生の弟子として立ち上がり、同志とともに勝利の結果を残した。
 この二月闘争から、創価学会は、うねりを起こし、本格的な驀進を開始したのである。
 私は関西でも戦った。昭和三十一年(一九五六年)の大阪の戦いでは、「まさかが実現」と世間をあっといわせる勝利を勝ち取った。
 会長になってからは、事実のうえで、世界広宣流布の大道を聞いた。
 私は、だれも想像すらしない、新たな戦いを起こし、勝利していった。
 その大いなる前進nい対し、いわれなき非難中傷が嵐のように襲いかかった。
 しかし、一切の障魔を打ち破り、学会は大発展を続けてきたのである。
 ″師弟不二の闘争″の真実は、すべて歴史が証明すると断言しておきたい。(拍手)
11  運命に打ち勝て
 話は変わる。音楽の英雄である楽聖ベートーヴェンの言葉を、「信心の英雄」「広宣流布の英雄」である皆さんに贈りたい。
 「どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。――おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生誕』片山敏彦訳、岩波文庫)
 千倍生きる――まさに信心の世界である。
 妙法に生きゆく人は、「百千万億倍」尊貴な人生を歩むことができる。
 とくに青年にとって、苦労してみずからの可能性を伸ばしていくことは、最大に幸福なことである。苦労はいやだ、自由気ままに生きよう――それは、一見、いいようだが、動物的な生になり、いちばん不自由な日々になってしまうものだ。
 わが青年部は、どうか価値ある人生を歩んでいただきたい。永遠の功徳を積むために、今の「千倍の力」を発揮してもらいたい。頑張ろう!(拍手)
12  今、「社会部」「専門部」の活躍がめざましい。
 婦人部や女子部からも、「生き生きとした部になってきた」という声が寄せられている。
 社会部、専門部が誕生したのは、昭和四十八年(一九七三年)、オイルショックで、日本経済が深刻な危機に瀕していた時であった。
 私は心に決めていた。「価値創造」の仏法を掲げる私たちこそが、人生に勝ち、社会で勝ち、勇気と希望と智慧の偉大な光明となって、時代を照らしていこう、と。
 その深き決意で、社会の第一線で奮闘する友とともに、社会部と専門部を結成したのである。
 以来、わが同志は励ましあいながら、バブル経済崩壊後の荒波も乗り越え、勝利の実証を示してこられた。
 私が対談集を発刊した、フランスの行動する文化人アンドレ・マルロー氏は明言している。
 「大事はつねに苦境のなかで成しとげられる」(竹本忠雄『マルローとの対話』人文書院)
 乱世だからこそ、「仏法即社会」の智慧が光る。大事業を成し遂げるチャンスがある。
 さらに、「大事業というものは、きびしい誠実さの上にだけ築きあげられるもので、それ以外のなにも要求しないのである」(『カーネギー自伝』坂西志保訳、中央公論新社)とは、アメリカの鉄鋼王カーネギーの哲学であった。
 社会部、専門部の皆さんの勝利も、大誠実の勝利である。
 日蓮大聖人は門下一同に厳命された。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ
 創価学会は、「戦う師子」の集いである。ゆえに、何ものにも侮られではならない。意気揚々と、すべてに勝ち抜いていく究極の力とそ、「法華経の兵法」であるからだ。
 フランスの大作家サンリテグジュベリは、「勝利だけが人びとを結び合わせる」(『戦う操縦士』山崎庸一郎訳、みすず書房)と述べている。
 希望あるところ、勝利あるところに、自然と人は集まる。
 「今回も勝った。次もまた勝とうではないか」と、勢いよく勝利の息吹に満ちあふれでいるところにしか、多くの人は集まらないものだ。
 反対に、負けた場合には、疑心暗鬼になる人がいる。裏切る人間も出る。これほど惨めなものはない。人生は、勝つか負けるかしかない。ゆえに、断じて勝たねばならない。
 仏法は勝負である。大聖人が「仏法と申すは勝負をさきとし」と仰せのとおりだ。断じて勝利しゆく永遠の法則――それが妙法なのである。
13  パスカル″傲慢とは錯乱″
 ここで、フランスの哲学者パスカルの言葉をいくつか紹介したい。
 まず、「傲慢とは、さても奇妙な怪物であり、だれの目にも明らかな錯乱である」。(『パンセ』、『パスカル著作集』7、国辺保訳、教文館)
 傲慢な人間には、断じて負けてはいけない。
 そうでなければ、善人の団結が破壊されるからだ。
 「虚偽が見出せればあざ笑ってやればいいのだ」(『プロヴァンシアル』2、同著作集4)
 愚劣なウソなど、痛烈に笑い飛ばせ!――戸田先生も、よくそう言われていた。
 「中傷すること、『それは、心の目がはなはだしくくらんでいることである。』
 中傷が悪であるとさとらないこと、『それは、心の目がこの上なくくらんでいることである。』」(前掲『パンセ』)
 パスカルは、宗教の権威主義と戦い、根も葉もない中傷をされた。
 彼は、論争相手の非を示しつつ、中傷は「犯罪行為」「重大な罪」であると喝破した。その犯罪を許すな――これがパスカルの叫びであった。
 わが信念に生きぬいた一流の人物は、皆、中傷をあびている。
 日蓮大聖人が、法華経に「悪口罵詈」と説かれたとおりの迫害の連続であられたことは、皆さまがご存じのとおりである。
 インド独立の英雄ガンジーは、「権威のための宗教」から「人間のための宗教」を展望し、こう語ったという。
 「宗教儀式は聖職者が作り出したもので、それは″商売″になっている」(「塑教新聞」一九九四年九月一日付。ガンジーの孫娘、ウンャ・ゴカニ女史の発言から)
 仏教においても、釈尊の当時には存在しなかった儀式を、聖職者が金もうけに利用する歴史があった。それは宗教ではなく″商売″である。
 (たとえば、葬儀に僧を呼ぶ習慣、塔婆による追善回向の習慣などは、釈尊の時代には存在せず、後世の僧によって始められた)
 大事なことは、自他ともに幸福になることだ。
 そのために祈り、折伏し、広宣流布を成し遂げることである。
14  トルストイ″幸福の泉はあなたの中に″
 信仰は形式ではない。自分自身を変革していく戦いである。
 ロシアの文豪トルストイは、『戦争と平和』につづっている。
 「幸福の泉はあなたの外ではなく、あなたの内にあるのです」(北御門二郎訳、東海大学出版会)
 仏法に通じる、真理の言葉である。
 そして、幸福な人生を開いていくためには、青年時代に自分自身を鍛えることが大事である。
 ドイツの哲学者ショーぺンハウアーは「若い時代にたたきこんだことは、いついつまでも残る」(『ショーペンハウアー全集』14、秋山英夫訳、白水社)と論じている。
 青年を、青年時代のうちに徹して訓練する――これが、戸田先生の人材育成であった。
 青年部の諸君は、うんとみずからを鍛えていただきたい。今こそ、人生の骨格を築く時である。
 「悪しきことを看過することは誤りであります。何故かといえばそうすることは、人々を怠りがちにして、やがて災害を招く結果になるからです」(「私の住む世界」岩崎武夫・遠藤貞吉訳、岩崎武夫監修『ヘレン・ケラー全集』所収、三省堂)
 こう語るのは、アメリカの社会福祉事業家へレン・ケラーである。彼女は、埼玉の天地に、たびたび、足を運んだことでも知られる。
 広宣流布を破壊する邪悪な人間は、これまでもいた。極悪を打ち破ってこそ極善である。うるわしい和合の世界を、悪にかき乱させてはならない。鋭く見破り、峻厳に正していくことだ。
 日興上人は、大聖人に違背した五老僧の一人、日向の謗法を厳しく破折し、「日蓮大聖人の正義に背く師匠たちを捨てないことが、かえって罪になるというのが、この法門である」(編年体御書一七三四ページ、通解)と仰せである。
 悪は際限なく伝染し、皆を不幸にさせてしまう。ゆえに、徹底して破折し、その根を断ち切っていかねばならない。
 そうでなければ、まじめで善良な同志が、あまりにもかわいそうであるからだ。
15  創価の新しい友情を幾重にも!
 日本中、そして世界中で、創価の新しい友情が幾重にも誕生している。昨年、ノーベル文学賞を受賞された、オーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネクさんも、その一人である。
 イェリネクさんは、勇気ある人権の戦いでも名高い女性である。(極右政党の外国人排斥に抗議してデモ行進に参加したことも有名)
 このほど、真心あふれる献辞が記された、意義深き著書を、お贈りいただいた。
 きょうの幹部会に出席されている、オーストリアSGIの婦人部本部長の方が、イェリネクさんの親しい友人であり、ご本人から託されて届けてくださったのである。
 この本部長は、王宮劇場のベテラン女優であり、オーストリアSGIの広報部長でもある。
 「女性の世紀」のリーダーが、旭日のごとく、全世界で、新たな広宣流布の未来を、赫々と照らしている。
 アメリカのリンカーン大統領は述べたという。
 「自分の敵を友に変えてしまう時、敵を滅したことにはならないでしょうか」(M・L・キング『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 異なる意見の人をも友人に変えていくことだ。信頼の輪を大きく広げてまいりたい。
 光栄なことに、現在、アメリカで、私の英文詩集『平和への闘争』が共感を集めているとの報告をうかがった。出版社の企画で、私の詩の朗読会が、ニューヨーク、サンフランシスコ、シアトルなどで行われている。
 (詩の朗読会では、ピアノやドラムの音楽が奏でられるなか、アメリカの著名な詩人で、詩集に序文を寄せたイシュマエル・リード氏が詩を朗読している。
 平和と人権の闘士であるリード氏は語っている。「混沌とした時代にあって、〈池田氏の詩は〉時代の緊急性を訴える、未来への偉大な楽観主義のメッセージです。池田氏は、確信と忍耐こそが、『平和』というわれわれの夢を成し遂げることを教えています」
 朗読会の模様は、地元のテレビや新聞などでも報道された)
 この詩集に収められている詩の一節を、平和建設の後継者である青年部の皆さんに贈りたい。
16  「一人の人間が
  強くなることだ!
  断じて権力を抑え
  勝ってゆくことだ!
  それが
  我々の権利である。
17   素晴らしき人生を
  生き抜くために
  私たちは
  戦い そして叫べ!」(長編詩「勇敢に開け! 人間革命の世紀」。本全集第46巻収録)
 時代も、社会も、そして世界も、創価の人間主義の「哲学の声」を待っている。希望に燃えた「信念の声」を望んでいるのである。どうか、いつまでもお元気で、朗らかに進んでいただきたい。
 皆さんの健康第一の前進を、心から祈りたい。
18  病気との闘いを宿命転換の好機に
 なかには、病と懸命に闘っておられる方もいらっしゃるにちがいない。しかし、病気になること自体は、決して敗北ではない。
 日蓮大聖人は、病の子をもつ門下を「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」と励まされている。病気との闘いを、宿命転換の好機と定めていく。その強き一念が、障魔を打ち破り、崩れざる幸福への軌道を広げていくのである。
 トルストイも述べている。「病気はなんとありがたいことか! それは、我々が何ものであり、我々の一生の仕事は何であるかを、はっきりと示してくれる」
 また、スイスの思想家ヒルティの言葉に「病気もまた、大きな幸福でありうる。すなわち一つの浄化カタルシクであり、また健康の時には考えられなかったような、高い人生観への飛躍でありうる」(『幸福論』3、『ヒルティ著作集』3所収、前田護郎・杉山好訳、白水社)とある。
 ともあれ、学会創立七十五周年を飾りゆく皆さまの奮闘と活躍に、最大に感謝申し上げたい。そして、「二十一世紀の新たな師弟の原点」と光る、この二月を、生き生きと戦い、若々しく語り、朗らかに勝ち飾っていくことを決意しあって、スピーチを終わりたい。
 お帰りになられたら、同志の皆さまによろしくお伝えください。本当に、ありがとう!
 (創価国際友好会館)

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