Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 青年よ強く進め! 偉大な自分史をつくれ

2005.1.28 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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2  同志の功労を永遠に顕彰
 人生の勝負は最終章で決まる。
 最後まで広宣流布に生きぬいた人は、永遠の名誉と功徳と勝利の記念碑が輝きわたる。
 ここで、中国方面の広布に駆けた副会長のことを語り残しておきたい。諸君の模範の先輩であり、同志である。
 彼は、二〇〇一年の九月五日の早朝、東京の病院で逝去された。五十八歳であった。
 その前日に上京し、学会本部での方面長協議会に出席した。
 この年の夏、中国方面は堂々たる勝利を飾り、彼は、凱旋将軍のように晴ればれとした表情で、全国の方面長たちと語りあった。宿舎に戻った後、未明に息苦しさをおぼえ、近くの大学病院へ。
 その後、意識を失い、安らかに息を引きとった。
 その日は本部幹部会が行われる日であった。その席上、彼の功労を讃えるために、アメリカ創価大学の校友賞が贈られる運びと、なっていた。私は彼と会うのを楽しみにしていた。
 じつは彼は、四十五歳の時、心筋梗塞の発作を起こしている。その時は医師から「あと五分遅ければ、間に合わなかった」と言われた。まさしく九死に一生を得た。
 それから十三年――。
 彼は「更賜寿命」の実証を示し、大中国に勝利の旗を打ち立てた。
 そして、最後に学会本部に来て、使命の人生を飾ったのである。
 私は、広宣流布の道なき道を開いた同志の戦いを讃えたい。とくに亡くなられた友の功労を永遠に顕彰したい。
 学会の本格的な発展はこれからだ。世界平和の希望の大城を、いよいよ堅固に築いていく。
 後世の人々が仰ぎ見るであろう、その大建築の礎には、無数の友の人生をかけた激闘があったことを、決して忘れてはならない。
3  カント「高慢は阿呆」
 初代会長牧口先生が、獄中で、最後まで精読されたのが、ドイツの哲学者カントであった。
 「高慢は阿呆である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)とは、カントの鋭い洞察である。
 現代にも、高慢な人間がいる。われ尊しと思い上がり、無礼にも他人を侮辱する。カントに言わせれば、「阿呆」である。「阿呆」を相手にしても仕方がない。
 だからわれらは、まっすぐに理想に向かって突き進む。そして勝利すればいいのである。
 大聖人は「(無間地獄を免れようと思うならば、身命を惜しまず、法を求めなさい。もし、そうでなければ)五体を地に投げ、全身に汗を流しなさい。もしそうでなければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。もしそうでなければ、奴婢となって法華経の行者に仕えなさい」(御書五三七ページ、通解)と仰せである。「不惜身命の信心」を教えておられる。これが大聖人の厳命である。
 時には、「学会活動は忙しい」「勤行するのも大変だ」(笑い)――そう思う人もいるかもしれない。しかし、活動も、勤行も、全部、自分のためである。これを、よく胸に入れていただきたい。
 だれかに威張るためにやるのではない。
 「法華経の行者に仕えよ」と仰せである。広宣流布のために仕えることが、大聖人に仕えることである。ここに根本がある。その使命は大きい。功徳も大きい。
 そのとおりに進んできたのが、創価学会である。
4  青年が広宣流布の突破口を
 私は、広宣流布のために全力で戦いぬいてきた。
 一九五二年(昭和二十七年)のことである。
 この前年、戸田先生が第二代会長に就任し、七十五万世帯の弘教を誓願された。しかし折伏は、遅々として進まない。当時、学会は、全国に十数の支部があった。一支部で「一カ月百世帯の折伏」さえ、なかなかできない。月に「数十世帯」の支部が、ほとんどだった。
 「このままでは、とうてい、広宣流布はできない。本当の弟子はいないのか!」
 このころ、私は二十四歳の青年部である。
 「大作、お前が立ち上がれ!」
 先生と「不二の心」で私は立った。そして二月、東京・蒲田の支部幹事として、一支部の限界の壁を打ち破る「一カ月二百一世帯」の折伏を達成し、新しい突破口を聞いた。これが「伝統の月」の淵源である。
 中国方面の基盤を固めた山口開拓闘争も、師弟不二の闘争であった。(一九五六年五七年)
 先生の命を受け、短期間で「四百五十九世帯」から「四千七十三世帯」へと約十倍の拡大を成し遂げた。
 先生は、つねに最も厳しき激戦の地へ、私を派遣された。私は、先生の構想を実現するために、いかなる地でも、勝利の金字塔を打ち立てた。
 断じて勝つ!――絶対の師弟不二であった。「師匠の勝利」は「弟子の勝利」で決まる。ゆえに、弟子の戦いが大事なのである。
 私は、一年三百六十五日、広宣流布の指揮を執る戸田先生に、懸命に、お仕えした。
 先生の事業が挫折し、多くの人間が先生を誹謗して去っていったとき、ただ一人、先生を、お守りしたのは私である。
 一門には、本家本元がある。戦場には、本陣がある。
 広宣流布にも「本陣」がある。本陣を守るべき「要」の人間がいる。それが皆さまである。
 広宣流布のリーダーこそ、「要の中の要」の存在なのである。
 いかなる嵐があろうとも、本物の「要」の人間がいれば、そして団結があれば、本障は崩れない。自分がその一人になると決意することだ。
 広宣流布の責任感においては、全員が「会長」であり、「理事長」であり、「総責住者」であるとの自覚をもっていただきたい。
 そう心を決めて戦いぬく人は、生々世々、社会に、おいても、力ある中心的存在となる因を積んでいる。人間錬磨の修行をしているのである。
 徹して勉強し、自分で自分を鍛えていくことだ。どうか、よろしく頼みます!
 そして、後輩を自分以上の人材に育て、人間主義の地盤を大きく広げながら、「史上最高の創価城」を堂々と築いていただきたい。
5  リーダーは奉仕と感謝を忘れるな
 いちばん偉い人は、だれか。
 広宣流布を進めている人である。広宣流布のために、だれよりも苦労している人である。
 役職ではない。肩書ではない。
 寒風のなかを飛び出して、弘教をし、「聖教新聞」を拡大し、現実のうえで広宣流布を進めてくださっている尊き学会員の皆さまこそ、最も偉大な人間なのである。
 リーダーは、同志への感謝と奉仕を、ゆめゆめ忘れてはならない。同志に尽くし、同志を守りぬいていくことだ。
 大事なのは、「誠実」の二字である。
 たとえば、同志を迎えたならば、「よくいらっしゃいました」「ご苦労さまです」「ありがとうございました」――ていねいに、心をとめて声をかける。相手の立場に立って心をくだいていく。
 感謝といい、奉仕といっても、そうした裏表のない誠実な態度、誠実な言葉、これに尽きるのである。
 信頼を広げる外交戦の要諦も、そこにある。
 戸田先生は「外交をやっていない人間を幹部にするな。重要な立場につけるな」「外交の根本とは何か。それは誠実だ」と教えてくださった。
 また、ある時、先生は、もったいなくも、私にこう言われた。
 「何十年問、私は何百人、何千人もの人を見てきた。本当に誠実に、私を支え、創価学会に尽くしたのは、大作が一番だよ。誠実の模範だ」
 忘れ得ぬ言葉である。ともあれ、広宣流布に行動する人を、だれよりも大切にしたからこそ、学会は日本一、世界一の平和・文化・教育の団体に発展したのである。(拍手)
 この席をお借りして、全国の会館の管理者の方々に、心から感謝申し上げたい。
 来る日も来る日も、広宣流布の宝城を黙々と守ってくださる、最高に尊い方々である。
 こうした陰の人を、リーダーは、サーチライトの光をあてるようにして見つけだし、励ましをお願いしたい。
 今や、学会は、全世界が味方である。
 私は会長に就任した直後から、小さな日本ではなく、「世界」を焦点に手を打ってきた。
 どの国でも、一人を大切にして、励まし、伸ばしてきた。その地道な実践を、何十年も、たゆみなく貫いてきた。そして現在の百九十カ国・地域に広がる平和の大連帯を築いたのである。
 私は、あらゆる難を耐え、同志とともに、全世界に「友情」と「信頼」の道を開いてきた。
 その一つの証として、私が皆さま方を代表し、世界の大学・学術機関から拝受した名誉博士・名誉教授等の栄誉は「百七十」になった。
 すべて、皆さまのおかげである。皆さまの栄冠なのである。(拍手)
6  「不知恩の者は無間地獄」と
 大聖人は「不知恩の人となるならば、無関地獄に堕ちられるであろう」(御書八九五ページ、通解)と仰せになられた。恩知らずの人間の末路は無間地獄である、と。
 厳しき御指導である。しかし、これも、人々を断じて不幸にしたくないという御本仏の大慈悲のゆえである。大聖人の仰せは絶対である。皆さんは不知恩であってはいけない。
 学会が発展するためには、何が必要か。牧口先生、戸田先生は言われていた。
 「青年が強くなれ! 青年を伸ばせ! 青年が叫べ!」と。
 そして、「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ」と。
 さらに、「八方に戦いの火ぶたを切れ、新しい道をつくれ!」と青年に呼びかけていかれたのである。
 戸田先生の薫陶は激しかった。徹底していた。毎朝のように、私は、先生のもとで御書を学んだ。昼もまた夜も、先生にお供した。日曜日も祝日もなかった。そうやって、先生は、若き私にすべてをそそぎ込んでくださったのである。ありがたき師匠であった。
 さらに、戸田先生は烈火のごとく、指導された。
 「破折精神を忘れた者は生ける屍だ。破折精神を忘れた者が幹部になれば会員が可哀想だ」と。
 邪悪と戦う毅然たる姿勢がなければ、後輩は守れない。わが子だって救えない。
 広布を破壊する悪に対しては、破折精神で責めぬくのが指導者の責務である。
 「女性の意見を尊重せよ。女性は、ウソやごまかしを見破る鋭い感性を持っているからだ。女性を大事にしないところは衰退する」
 これも戸田先生のご指導であった。女性の意見にしっかりと耳をかたむけることだ。それが純粋な学会の組織を守っていく要諦である。
7  学会こそ真実の和合僧
 「僧」という言葉の意味について、少々、述べておきたい。
 これまでも何度かスピーチしてきたので、きょうは、要点だけを確認したい。
 「僧」という言葉は、本来、僧個人のことではない。僧とは、サンスクリット語(古代インドの言葉)の「サンガ」の音訳である「僧伽」という言葉から生まれたものである。
 このサンガとは、もともと、「集団」「集会」「会議」などを意味していた。釈尊在世は、「共和国」の組織形態を意味する言葉でもあった。「和合僧」「和合衆」という言葉も、求道心と団結をもって、仏道修行に励む人の、この「集まり」をさしているのである。
 仏教の「サンガ(教団)」は、当時の階級制を打ち破った平等と協議の精神に貫かれていた。
 この「サンガ」の運営は、ひと握りの人間の独裁ではなかった。皆が出席する会議で、協議によって進められたのである。この一点からして、法主への服従を強いる日顕宗が、仏教の精神にまっこうから違背していることは明らかである。
 さらに、尊き「和合僧」を破壊することは、仏法上の重罪である五逆罪の一つである。それを行ったのが日顕宗である。この大罪は、永遠に消えることはない。
 大聖人は、たがいに広宣流布の大願をめざして、異体同心にして、妙法を唱え広めていく和合の世界にのみ、「生死一大事の血脈」が流れ通うと断言されている。(「生死一大事血脈抄」御書1337㌻)
 その究極の「和合僧」こそが創価学会なのである。(拍手)
 「立正安国論」には、涅槃経の次の文が引かれている。
 「仏滅後、濁悪の世に、国土は荒れ乱れ果てて、人々はたがいに土地や財産を奪いあい、そのため人民は、飢餓に瀕するであろう。そのときに飢餓から逃れようと、生きていくために発心し出家するものが、多く現れるであろう。そうした人を名づけて禿人とくにんというのである。この禿人の輩は、正法を護持する者を見て、そのところを追い払い…」(御書二九ページ、通解)と。
 まさに、邪宗門と化した日顕宗の姿そのものである。だからこそ、大聖人は、「悪い坊主を責めぬかなければ、広宣流布という極善を成し遂げることは絶対にできない」と叫ばれたのである。(「悪侶を誡めずんばあに善事を成さんや」、「悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返つて仏法の中の怨なるべし」等と厳しく仰せである)
8  「戦おう!」その心に勝利が
 トルストイは『戦争と平和』の中で、「もっとも多く戦おうとする希望を有する人々は、もっとも有利な戦闘条件のもとに身をおいているものなのである」(『トルストイ全集』6、中村白葉訳、河出書房新社)とつづっている。
 トルストイが『戦争と平和』の中で書きたかった一つは、歴史を動かす力とは何かということであった。戦争において、なぜ一方が勝ち、一方が負けるのか、なぜ数のうえで劣っている側が勝つというようなことが起こるのか――そこでトルストイが強調したのは、戦いにおける「士気」の重要性であった。トルストイは、実際の戦争における話として、この説を述べている。ここから、社会の中で勝ちゆくための教訓を引き出すこともできよう。
 ご存じのとおり、トルストイは断固として、あらゆる戦争に反対した。
 私もまた、戦争には絶対に反対である。
 広宣流布とは、永遠の世界平和を築きゆく戦いである。
 ともあれ、「士気」とは、前進への意気込みであり、戦う心である。最後に勝敗を決するのは、環境や、味方の数ではない。一人一人が、「戦おう!」という心に燃えているかどうかである。
 わが学会もまた、この精神で団結し、民衆の勝利また勝利の歴史をつづってきたのである。
 「心」一つで決まる。「一念三千」である。目に見えない「心」がいちばん大切なのである。
 「信心」――信ずる「心」が、一切の根幹なのである。
9  アマゾンに「牧口・戸田先生の木」
 今朝、ブラジルのアマゾンから、うれしい知らせが届いた。
 アマゾンの中心都市であるマナウス市に、パセヨ・ド・ミンドゥ公園という美しい公園がある。
 この公園で、SGIの発足三十周年を祝賀して、牧口先生、戸田先生の記念植樹が行われることになったというのである。(拍手)
 これには、市長をはじめ、各界の多くの来賓が出席される予定である。
 植えられる木は、ブラジルの国の木「イぺー」である。
 (=牧口初代会長、戸田二代会長の記念植樹は一月二十九日、マナウス市が取り組む「百万本の植樹」の第一号、第二号として、コヘア市長らが出席して盛大に行われた。
 近くの公園には、一九九九年、「アマゾン国際環境会議」の開催を記念して、アマゾナス州の連邦森株保護院の手により「池田SGI会長の木」「SGI会長夫人の木」が植樹されている。これもイペーの木で、美しい黄色の花を咲き薫らせている)
 マナウス市には、「アマゾン池田環境研究所」も設置され、森林の保護や環境教育、学術交流などに大きく貢献している。とくにこの地では、ブラジルSGIの青年職員、また女子部のリーダーが先頭に立って、渉外を進めている。
 いずこにあっても、青年たちの「誠実」なる献身、そして、女子部のさわやかな行動が深い信頼を広げていくのである。
10  対話の文明を! 声の力で
 まもなく、私が二人のハーバード大学教授と語りあった対談の連載が、相次いで開始される。
 一人は、トルコ出身の世界的な文化人類学者であるヌール・ヤーマン博士との対談。(=対談集『今日の世界 明日の文明』は二〇〇七年九月に河出書房新社から発刊)
 もう一人は、中国思想研究の第一人者ドゥ・ウェイミン博士との対談である。(=対談集『対話の文明』は〇七年一月に第三文明社から発刊)
 このほかに、今年は、モンゴルの大詩人ツェデブ博士との対談(=対談集『友情の大草原』は〇七年十一月に潮出版社から発刊)、ノーベル平和賞受賞者のロートブラット博士(パグウオツシュ会議名誉会長)との対談(=対談集『地球平和への探究』は〇六年七月に潮出版社から発刊)の連載も予定されている。
 ロートブラット博士は今年で九十七歳になられるが、今なお核兵器と戦争の廃絶のために、たゆみなく行動しておられる。
 博士に比べれば、私たちは、まだまだ若い。せっかく人間として生を受け、最高の仏法に出あい、学会の中で戦える機会を得ながら、むなしく人生を送ったのでは、あまりにも、もったいない。広宣流布という最も尊い目的のために、積極果敢に、祈って、動いて、書いて、語って、偉大なる自分の歴史をつくっていただきたい。
 博士は、「七月には、必ず日本を訪れ、池田会長と語りあいたい。お会いできることを楽しみにしています」と、はつらつと語っておられたという。
 これまで、トインビー博士をはじめ、私が世界の知性と語りあってきた対談集は、「三十四」を数える。さらに、今後発刊されるものや、現在準備が進んでいるもの、国内の識者等との対談を含めると、その数は六十近くになる。私は、国や民族が違っても、皆、人間として平等であり、だれもが平和と幸福を願っているとの信念で、世界中の人々と対話してきた。そして、SGIの同志は、私と同じ心で、地球上にうるわしい人間主義の連帯を築いてくださった。
 こうした事実を、私が対談を重ねてきた識者の方々も、非常に高く評価しておられた。
 (世界的な国際法学者である、アメリカ・デンバー大学のナンダ教授は述べている。
 「ここ数年、国連は『文明間の対話』を推進してきました。しかし、池田会長は、国連がそれを言い始める、はるか前から、人と人を結び合わせゆく文明聞の対話を推進してとられたのです」
 ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授は、「私たちがめざすべきものは、″対話の文明″を創り出していくことです。そしてそれこそが、池田会長が以前から主張してきた″第三文明″の意義ではないでしょうか」と感銘を。早くから″第三の文明″を提唱してきた創価の民衆運動に深く共感していた)
 今回のSGI提言でも、私は「対話の力で平和の王道を!」と訴えた。
 勇敢なる「声の力」を響かせながら、人類の希望と光る「対話の文明」を築いてまいりたい。
11  「忘恩と邪知の輩を許すな!」
 牧口先生は、よく言われていた。
 「反逆者の末路は、苦悩と醜態の歴史を、醜く残すだけだ」
 同志を裏切り、反逆するような卑怯な人間に、断じてなってはならない。これが牧口先生の叫びであった。
 戸田先生も厳しく語っておられた。
 「忘恩の畜生のごとき、邪知の輩は、われらの広布の世界には、まったく必要ない! さっさと出ていけ! 一生涯、反逆者を許すな!」
 先生の声は、本当に大きかった。悪人は皆、震えあがった。
 後世のために、戸田先生の指導を、さらにいくつか紹介したい。
 「わが学会を悪口するものは、妙法使徒の集団を悪口するもので、現罰なくしてなんとしよう。人々よ、よくこれらの人々の今後の生活を見たまえ」
 これが戸田先生の大確信であった。
 先生は″恩知らずの退転者が惨めな姿を世間にさらしていくのは、いかに仏罰が恐ろしいかを、その姿で証明するためだ″とも言われていた。仏法は厳しい。学会の大恩を忘れ、同志に仇をなした人間の末路は哀れである。皆さんも、よくご存じであろう。
 戸田先生は、学会の組織を金もうけに利用したり、金銭の問題を起こす悪い人間についても、烈火のごとく怒られた。そうした輩が家に来ても、「門前三尺以内に入れてはならぬ。大魔がきたか、学会の敵がきたかと、にらみつけて、追い返してしまいたまえ」と指導されていた。
 学会を利用する悪人は″魔物″だ。怒鳴りつけて、追い返せ――そう厳命されたのである。
 先生は、こうも指導されていた。
 「広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
 戸田先生が「戸田の命よりも大事」と言われた学会の組織である。その学会を厳然と守り、友に尽くしぬく皆さまであっていただきたい。
 また先生は、堕落した坊主に対しては「腐りきった坊主ほど、無用のものはない」と手厳しかった。そして先生は、断固として叫ばれた。
 「いかに学会を憎み、いかに学会をおとしいれようとしても、われわれは師子王である。犬、野干(キツネの類)のごときものなど、断じて恐れるな!」
 私たちも、これでいきましょう! 戦いましょう!
 戸田先生は、宗門のなかに堕落の風潮があることを、鋭く見抜いておられた。しかし、会員を守るため、宗門を厳然と外護された。
 私も、宗門の発展のために、懸命に尽くした。尽くしぬいた。
 ところが日顕宗は、供養を取るだけ取ると、冷酷に学会を切り捨てようとした。
 しかし結局は、宗門のほうこそが、大聖人の御遺命どおりに広宣流布をめざす清浄な信心の世界から、みずからを切り離してしまったのである。われわれは、広布の和合僧を破壊せんとした、卑劣な輩を悠然と見おろしながら、未来に向かって、朗らかに前進してまいりたい。
 きょうは、青年部の代表も多数、参加されている。若い皆さんと会えて、本当にうれしい。いよいよ青年が立派に育ってきた。学会の未来は明るい。皆、偉大な広宣流布のリーダーとして活躍していただきたい。
 私は、広宣流布の第一線で戦っておられる同志のご健康とご長寿、そして勝利を、毎日、一生懸命、祈っている。
 皆さん、どうかお体を大切に! また、お会いしましょう! 長時間、本当にありがとう!
 (創価文化会館)

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