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日蓮大聖人・池田大作

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第四十五回本部幹部会、婦人部幹部会、東… 青年よ! わが道で大指導者と育て

2005.1.7 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  賢明に、一家和楽の前進を
 遠いところ、寒いところ、海外から、また全国から集まってくださり、ご苦労さまです!
 新しい年が明けた。いろいろな意味で、先の見えにくい時代である。
 しかし、だからこそ、私たちの祈りと行動によって、「福運と平和と勝利の道」を敢然と開いてまいりたい。そう決意していきましょう!
 ともあれ、本年も、よろしくお願い申し上げます。体を大事にして、健康第一で、うんと福運を積んでいただきたい。
 そのためには、「勝つこと」である。大変な状況であっても、ぐっと耐えて、負けない。最後は、断じて勝つ。勝つために仏法がある。
 そして、自分らしく、悔いのない一年を、堂々と生きぬいていただきたい。
 また、皆が聡明に、価値的に生きていくための信心である。賢明に、朗らかに、一家和楽の前進を、どうか、この一年も、よろしく頼みます!(拍手)
2  五大州に創価の人間主義の広場
 仏法とは、全宇宙を貫く法則である。この大法を持った私たちの活躍の舞台は、「全世界」である。
 現在、創価の初代、二代、三代の会長の名前を冠した「公園」や「通り」などが、世界中に広がっていることは、皆さん方も、ご存じのとおりだ。
 私自身のことにもなって恐縮だが、すべては、SGIの人間主義の思想と行動に対する、各国の信頼と期待の表れである。
 その意義をこめて、本日は、代表的なものを紹介させていただきたい。
 ロシア・西シベリアには、「池田大作記念庭園」が広がっている。
 広さは、百万坪をゆうに超える。百万坪といえば、東京ドーム約七十個分。
 (二〇〇二年の七月、同国の著名な社会活動家セルゲイ・フィル氏から「池田博士の平和・教育・文化への偉大な貢献を讃え、命名させていただきたい」との要請があり、名前が決定した)
 南米のブラジルでも、SGIに抜群の信頼が寄せられている。今回も、ブラジルSGIの代表の皆さんが、地球の反対側から、遠い遠い道のりを、喜び勇んで来日してくださった。
 尊い心である。心一つで、すべてが決まる。日本の皆さんも、この真剣な求道の姿を学んでいってほしい。ブラジルの皆さん、ありがとう! 本当に懐かしい方々ばかりである。
 さて、ブラジル・パラナ州のロンドリーナ市には、「池田大作博士環境公園」がある。広さは約三十七万坪。
 (=二〇〇〇年九月にオープン。名誉会長の平和指導者としての功績を讃え、ロンドリーナ市議会が決議したもの。同市は、一九九三年に名誉会長に、二〇〇四年に香峯子夫人に、名誉市民の称号を授与している)
 また、アメリカのルイジアナ州ニューオーリンズ市には昨年、「ダイサク&カネコ・イケダ友情の森」が誕生した。同じくアメリカのオハイオ州ウエストチェスター市には一昨年、「ダイサク・イケダの森」がオープンした。きょうは、アメリカの皆さんも集ってくださった。本当にありがとう! アメリカの皆さんは、いつも朗らかである。本当にうれしい。
3  「正しき哲学」なき人生は不幸
 人生において、大事なのは、哲学があるかどうかである。
 「正しき哲学」のない人生は不幸だ。どうしても、無軌道の、動物的な生き方にならざるをえない。最後は必ず衰退していく。日蓮大聖人の仏法こそ、永遠に変わらざる絶対の法則であり、根本の中の根本の哲学といってよい。
 この真実の生命尊厳と平等を説いた大哲学に立脚し、明るく、人間性豊かに、あらゆる国の人々を結んでいるのが、私たちSGIである。これほど偉大な使命の人生はない。
 さらに、モンゴルの東部、ドルノド県のチョイバルサン市には、「池田平和記念公園」が開園している。同県は、かつて日本とモンゴルが戦火を交えた「ノモンハン事件(ハルハ河会戦)」の舞台となった地域でもある。
 (同公園の記念碑には、小説『新・人間革命』の冒頭の部分が、日本語とモンゴル語で刻まれている。二〇〇二年七月の開園式のさい、同市のナサンデルゲル市長は「モンゴルの子どもたちにとって、池田会長の記念碑が、平和へ向かって進む道標となり、人生を迷わず歩んでいけることを願っています」と語っている)
 そして、イタリア中部のフイレンツェ県カプライア・リミテ市には、「牧口常三郎平和公園」が広がっている。
 (二〇〇二年五月の開園式で、同市のアレッサンドロ・アルデギリ市長は、「牧口初代会長は、第二次世界大戦中に平和の信念を貫き通した方です。その生涯を讃え、信念を受け継ぎたい」と命名の理由を語った)
 さらにまた、バングラデシュ人民共和国のタンガイル県にある市民教育の学校「グラム・パングラ・コミュニティースクール」には「戸田城聖広場」がある。
 二〇〇〇年二月、戸田先生の生誕百周年を記念して、決定されたものである。(同校の創立者であるカーン博士は「戸田第二代会長は、『地球上から不幸をなくしたい』と叫ばれました」「〈この命名によって〉世界平和の希有な功労者である戸田先生と池田先生を、心から讃えたいのです」と述べた)
 今朝も、南米パラグアイの理事長から報告があった。
 昼夜を問わず、私のもとには、世界中から次々と報告が入ってくる。
 パラグアイの青年都市として知られる、ルケ市では、すでに昨年、同市議会が全会一致で、「ダイサク・イケダ公園」の建設を決議した。そして、このほど、市の認定を受け、この美しい公園の周りの「三本の道」が、新たに命名されたとの報告であった。
 その名前が、「牧口常三郎通り」「戸田城聖通り」「SGI通り」である。
 現地時間の八日、多くの来賓や市民が集って、盛大に記念の式典が行われる。心から感謝したい。(八日、ルケ市内で喜びのなか、式典が挙行された)
 このルケ市には、アスンシオン国際空港や、南米サッカー連盟の本部があることでも有名である。
 韓国をはじめ、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋のテニアン島などにも公園や通りがある。また、アフリカのガーナなどでも建設が予定されている。
 SGIへの信頼と友情は、まさに、世界五大州へと広がっている。各国の心ある人たちと、善意と友情でつながっているのである。
 SGIが発足して、今月で三十周年。現在のような大発展を、だれが想像したであろうか。日本のことだけで、皆が精いっぱいであった時代から、私は人知れず、世界広布を展望し、そのために一つ一つ真剣に手を打ってきた。対話と誠実によって、あらゆる国々との友好の道を開いてきた。
 今、時代は、大きく動いている。後は、青年である。青年にすべてを託すしかない。それが私の偽らざる心情である。
4  「青年を大事にし、育てたところが勝つ」
 「青年・拡大の年」の開幕、おめでとう!(拍手)
 国家であれ、団体であれ、会社であれ、また、いずれの時代にあっても、青年を育て、訓練し、後継者にしていったところが、必ず勝っている。
 ありとあらゆるところに、おいて、これが不変の法則であり、正しい鉄則である。
 しかし一般に、少し偉くなると、すぐ威張る人間がいる。青年を育てるのでなく、自分の子分のように思ったり、上から見くだしてアゴで使ってみたり――そういう人間もいる。
 その本質は、小さな卑しい根性で、自分を大きく見せようとしているのである。
 かつての日本も、国力が弱いと卑屈になり、強くなると他国を見くだした。それがアジア侵略の愚行につながった、との厳しい指摘もある。
 こうした心根を改めなければ、世界中から嫌われてしまう。そう憂慮している識者は多い。
 戸田先生は、まったく無名の、何の取り柄もない青年の私に、ありとあらゆる学問を教え、闘争を教え、厳しく訓練してくださった。
 その先生に、私は応えた。「第三代」として立ち上がった。あらゆる苦難を乗り越えて、今日の世界的な学会へと、現実に発展させてきた。日本一の教団にし、世界中に平和と友好の道を広げてきたのである。(拍手)
 始まりは、「一人の青年」である。
 戸田先生は、それはそれは真剣であられた。青年を愛し、自分の命以上に青年を大事にした。弟子を大事にした。若き後継ぎを大事にしていかれた。「青年を大事にし、育てたところが勝つ」――本部をはじめ、学会総体として、この絶対の方程式を忘れてはならない。
 青年部に受け継いでもらい、戦ってもらう以外に、広宣流布の道はないからだ。
 「青年を育てる」「青年を訓練する」「青年を立派な指導者にしてみせる!」――こういう決心で、先輩の皆さんは進んでいただきたい。
 そして、青年部の諸君、よろしく頼む!
5  師弟の道に勝利あり
 師匠という存在が、仏法の上でも、人間の生き方の上でも、どれほど大事か。
 親子の絆は大切だが、人格を磨き、成長するために、「師弟」はなくてはならないものだ。
 師匠をもたない人生は、一見、自由自在に見えるが、不幸である。本物の人物は育たない。
 深い次元から見た時、人間にとって、親子以上に重要な意義を持つのが、師弟なのである。
 ここに、人生勝利の″奥義″があるといえよう。
 私の師匠は戸田先生である。私は先生に仕え、訓練を受け、先生の仇を討ってきた。先生の言葉は、全部、頭に焼きついて離れない。戸田先生は、はっきりと言われていた。
 「本当の立派な信心とは、創価学会の大恩を知って、創価学会を命をかけて護ることである」
 「個人のため」でなく、「全人類のため」に戦っていく。この「広宣流布の信心」こそが「大聖人の信心」である。そして、「広宣流布の信心」は、創価学会にしかない。ゆえに、創価学会を護ることが、広宣流布へ直結するのである。
 私は、この先生の言葉どおり、全世界で戦い、そして勝ってきた。
6  巌窟王のごとく師の理想を実現
 戸田先生の師匠は牧口先生であられる。
 戸田先生の人生も、どこまでも「師弟」であった。
 獄中で、牧口先生の死を聞かされた時、戸田先生は命で叫んだ。
 「よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう」(『戸田城聖全集』4)
 殉教の牧口先生の″分身″となって、牧口先生の精神を実現してみせる!――これが先生の深き決意であられた。これが師弟というものである。
 師弟にこそ、仏法の真髄があり、人間の真髄がある。
 この決意のとおり、戸田先生は、二年間の牢獄に耐え、戦い、牧口先生の正義を証明していった。そして、戸田先生が事業の失敗で苦境におちいり、悪口雑言のかぎりを尽くされている時、今度はただ一人、弟子の私が立ち上がった。
 遠大な理想は、師匠一代で実現することはできない。弟子が受け継ぎ、実現していくのである。
7  「闘争せよ! そのなかで自分自身を鍛えよ!」
 戸田先生は青年に言われた。
 「闘争せよ! そのなかで自分自身を鍛えよ!」
 戦わなければ、自分自身を鍛えられない。
 ある時は「善き政治は信用せよ! しかし政治家は信用するな!」と厳しく言われた。
 鋭い先生であられた。天才中の天才の指導者であった。「世界のどんな学者と会っても、いくらでも討論してみせる」という確信光る大哲学者であられた。
 「これからは、青年の時代だ。青年を大事にして、何でも語りあい、自分の思っていることを全部、伝えて、バトンを受け継いでもらう以外に、将来の発展はない」
 これが先生の遺言であり、また、そのとおりの実践であられた。
 同じ決意と実践を、先輩の皆さんに、重ねてお願い申し上げたい。
 仏法即社会である。哲人には、仏法に通じる英知が光る。とくに青年のために、賢者の言葉を残しておきたい。
 十八世紀に活躍した韓国の大学者に、朴趾源パクチウオンがいる
 彼が著した一文の中で、世間の噂を信じ込む息子たちに、母親がこう語る場面がある。
 「噂とは声のみ有りて形無く、見むと思ふても眼に映らず、取らむとしても手に入らざるものなれど、実無きに生じて人を惑はす。実無く形無きものをもって人を評すべからず」(『李朝漢文小説選』上、宇野秀弥訳・出版)
 実体のない「噂」などを軽々と信じ、人を評価してはならない。母は、このように語り、息子たちを戒めるのである。
 現代でも、実体のない「噂」や「嘘」によって人をおとしいれようとする輩がい。るそうした卑劣な行為は絶対に許してはならない――ある学者が憤りをこめて、こう述べていた。
 牧口先生は記している。
 「悪人はたとえ悪評すべき材料がなくとも、自己の利害と衝突する場合には善を悪と評価し得る可能性を有する所に悪人の悪人たる特性がある」(『創価教育学体系』上、『牧口常三郎全集』5所収、第三文明社)
 よく思索すべき言葉であろう。
 たとえ正しいことであっても、悪人は、自分にとって都合が悪ければ、これを攻撃する。一般の社会や世聞に、おいても、そうである。
 いわんや仏法においては、法華経の行者に対して「三障四魔」「三類の強敵」が現れてくると明確に説かれている。広宣流布を進めゆく学会に大難が競い起こるのは、当然なのである。
 イギリスの詩人であり、劇作家のシェークスピア。彼の有名な戯曲に『へンリー八世』がある。
 戯曲には、へンリー八世に取り入り、権勢をほしいままにする高位の聖職者が描かれている。
 やがて、この聖職者はみずからの悪事が露見し、失脚してしまう。
 戯曲の中で、ある登場人物が、この聖職者について語る。
 「私にも、あの男が傲慢のかたまりであることは見えている。その傲慢は地獄が与えたもの、でなければ、悪魔がけちであったか、あるいはすでに与えつくして残りがなく、あの男自身が新たな地獄となったのでしょう」(『ヘンリー八世』、『シェイクスピア全集』7〈小田島雄志訳〉所収、白水社)
 激しい言葉である。傲り高ぶった聖職者に対するシェークスピアの怒りと鋭い洞察が、このセリフに表れている。
8  不知恩の人間を許すな
 日蓮大聖人は、四条金吾にあてた御手紙の中で、「恩を知らない者は横死する」(御書一一四七ページ、通解)と華厳経の文を引かれて、厳しく仰せである。
 戸田先生は言われていた。「学会にお世話になり、学会のおかげで偉くなりながら、増上慢になり、感謝を忘れ、学会を見くだし、同志を裏切る――そういう恩知らずを絶対に許してはならない」
 恩を忘れた人間に、戸田先生は激怒した。
 「卑劣な者、裏切り者は去っていけ!」
 あの先生の声のすさまじさ! 正義は強くなければならない。
 これまでも、学会の大恩を忘れて反逆し、多くの同志に迷惑をかけた人間がいた。
 将来にわたって、こうした人間を許してはならない。未来のために、あえて語っておきたい。
 ゲーテは小説の中で記している。
 「誠実さと信念だけが人間を価値あるものにする」(『ドイツ避難民閑談集』石井不二雄訳、『ゲーテ全集』6所収、潮出版社)
 「誠実」と「信念」――これがわれら学会員の生き方である。「創価」の生き方なのである。
 この新春、日本中、世界中の皆さまから、たくさんの年賀状や、お便りを頂戴した。この席をお借りして、心から御礼申し上げたい。
 ロシア国立トルストイ博物館のレミゾフ館長は、喜寿を祝ってくださる丁重なお手紙とともに、まことに貴重なトルストイの胸像の複製をお贈りくださった。これは、世界に一体しかないものだそうである。
 レミゾフ館長のお手紙には、こうつづられていた。
 「トルストイも、池田会長も、人間そして人類の蘇生の鍵は、教育と精神的な自己変革にあると考えています」
 「池田会長が創立された創価大学は、世界でも有数の大学であり、その卒業生は、『悪に対して善が勝利する』という希望を人々に贈り、未来への道を着実に開いています」
 過分な評価に恐縮であるが、世界最高峰の良識が、創価の青年たちにどれほど大きな信頼を寄せているか知ってほしいと思い、紹介させていただいた。平和を願う知性は、精神的な自己変革――すなわち「人間革命」に、未来の希望を見いだしているのである。
9  「平和」と「対話」の世紀へ
 さて、大文豪トルストイの『戦争と平和』といえば、″世界文学の頂点に立つ大叙事詩″として、あまりにも有名である。トルストイは当初、この作品を「一八〇五年」という題で書き始めた。この年から始まる、ナポレオン軍とロシアの戦乱の歴史が物語の柱となっているからだ。
 トルストイは『戦争と平和』の中で、戦争とは「人間の理性と、人間のすべての本性に反する事件」(北御門二郎訳、東海大学出版会)だと書いている。
 さらに「戦争は愛想事じゃなく、この世で最大の醜悪事なんだ」、また「叡知はもともと暴力を必要としない」(同前)ともつづっている。
 文豪の眼は、権力者らのごまかし、卑劣な虚偽を突き破って、真実を鋭く射貫いていた。
 トルストイは、いかなる言葉でとりつくろっても、どんな理由で正当化しようとも、戦争とは人間の殺しあいにほかならないことを、だれよりも厳しく認識していた。
 「一体戦争とは何か?(中略)戦争の目的は人殺しだ」(同前)と。
 トルストイが見つめた一八〇五年から、今年でちょうど二百年。この二十一世紀を、「戦争」と「暴力」の流転ではなく、「平和」と「対話」の世紀へと断じて築きあげていかねばならない。そして、今年二〇〇五年こそ、その大きな転換の始まりの一年としたい。
 この深き決意をこめて、私は、トルストイの最高傑作を中心に、三つのポイントについて訴えたい。
 その一つは、「歴史を動かす力」についての洞察である。
 トルストイは、一握りの権力者のみが脚光をあびてきた従来の歴史観に大革命を起こした。
 一人一人の無名の民衆にこそ光をあてるべきであり、その無数の行動の結集が歴史を創りあげていくと、強く訴えたのである。
 トルストイはみずからの人生において、権力者に対して獅子のごとく戦いぬきながら、無名の民衆に尽くし、けなげな青年を育てていった。
 トルストイの『戦争と平和』という大叙事詩――その真の英雄はだれか?
 若き日に、トルストイから真心の激励を受けたフランスの作家ロマン・ロランは論じている。
 「その真の英雄は民衆である」(『トルストイの生涯』蛯原徳夫訳、岩波文庫)
 私もまた、声を大にして、こう宣言したい。
 「『広宣流布』という平和と文化の大叙事詩――その真の英雄は、真剣にしてまじめな学会員の皆さまである!」と。
 わが学会員の勇敢にして誠実な行動によって、社会からの信用はいちだんと深まり、広がっている。創価の時代へ、歴史は大きく動き始めている。
 二つ目のポイントは、「生命尊厳の善なる連帯を広げよ!」という点である。
 『戦争と平和』の執筆当時、トルストイは、死刑判決を受けた、ある青年の命を救うために奔走していた。そのみずからの行動について、トルストイがつづった手紙には、こう記されている。
 「各人の生命は神聖なものであって、一人の人間が他の生命を奪う権利なぞあり得ない」(ビリューコフ『大トルストイ』1、原久一郎訳、勁草書房)
 私も、まったく同感である。
 現代世界における、さまざまな不幸や悲惨の元凶の一つは、生命の軽視にある。
 すべての生命の尊厳性を説く仏法の哲理を、今こそ強く世界に発信していかねばならない。
 トルストイは、仏教思想から強い影響を受け、生命の極理を説いた「法華経」も読んだ、と言われている。生命の永遠性についても深い思索をめぐらせていた。
 十一年前(一九九四年)、私は、トルストイも学んだことがあるモスクワ大学を訪問し、同大学で二度目の講演を行った。その中でトルストイの哲学にも言及した。
 その折、講評をしてくださったパーニン哲学部長が、「トルストイも最終的には仏教に解決の方途を見つけようとしていたようだ」と語っておられたことも忘れられない。
10  悪を圧倒する正義の連帯を拡大
 『戦争と平和』では、新しい社会の建設に挑む主人公の一人・ピエールが、「いたる所で全力をあげて邪曲と痴愚とを追及し、才能と善徳とに保護の手をのべ、価値ある人々を塵芥の中より選び出して」(北御門二郎訳)、糾合するべきだと訴えている。″悪人たちの結託を圧倒しゆく、正義の連帯を拡大せよ!″――これこそ、『戦争と平和』の最終章における重要な主題なのである。
 ピエールは言う。
 「もし悪人たちが団結して力をふるうならば、善人たちもそうしなければならない」
 「善を愛する人々よ、互いに手をつなごう、そして善の実践をもって我らの旗印としよう」(同前)
 一九九一年六月、私は、トルストイの令孫であるセルゲイ・トルストイ氏と、お会いした。フランスのユゴー文学記念館の開館式においてであった。氏が「世界中の人々を結び合わせるSGIの行動は、祖父(トルストイ)の思想と理念に一致しています」と、心からの共鳴を語ってくださったことが思い出深い。
 (=この折、「トルストイ友の会」会長である氏から、名誉会長に、同会の名誉会員証が手渡された。このほか名誉会長には、ロシアの国際児童基金協会から「レア・トルストイ国際金メダル」、モスクワ大学からは中央図書館で重宝図書として所蔵されていた「トルストイ全集全九十巻」など、トルストイゆかりの賞や品が贈られている)
11  ″妙法の種″が″幸福の花″に
 この一月二十六日で、わがSGIは、発足三十周年の佳節を迎える。
 (一九七五年一月二十六日、SGIの発足式となる第一回「世界平和会議」がグアムで行われた)
 発足式に集ったのは、「世界五十一カ国・地域」の友であった。今や、″妙法の種″は「世界百九十カ国・地域」に広がり、″平和と文化と幸福の花″を咲かせている。
 きょうは、SGIの「原点の地」であるグアムからも、代表の友が駆けつけてくださった。
 遠いところ、本当にありがとう!
 グアム支部の支部婦人部長は、グアムの上院議員として、市民から深く信頼される女性リーダーである。さらに、全米の婦人部長は、カリフォルニア州の法曹界の指導者として陣頭指揮を執ってこられた。
 世界中で、創価の女性は生き生きと光っている。わが地域に、わが国土に、仲良く朗らかに、妙法の女性のスクラムを広げゆくことだ。そこにこそ、不幸の闘を打ち破る「希望の太陽」が輝く。
12  ″必ず勝っと決心した者が勝つ″
 トルストイの『戦争と平和』から、三点目について述べたい。
 それは、これまで何度も論じてきたことであるが、「『断じて勝つ』という執念を持て!」という「絶対勝利の哲学」である。
 「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ」(米川正夫訳、岩波文庫)
 これは、押し寄せるナポレオンの大軍との決戦――「ボロジノの戦い」を前に、主人公の一人であるアンドレイ公爵が語った言葉であるが、人生の万般に通ずる哲学といえよう。
 この戦いのなかで、別の登場人物は語る。
 「勝負の決しがたい場合には、常に根気の強い方が勝利者であります」(同前)
 人生にあっても、平和をめざすわれらの戦いにあっても、何があろうと、断じて勝つと、固く、強く、決めた者が勝つ。
 この一点を、とくに青年部の皆さんは深く生命に刻んでいただきたい。
 これこそ、勝ち抜く指導者の根本原理であり、法則であるからだ。
 深き決意が、祈りとなる。それが勝利への知恵と行動を生みだしていくのである。
 トルストイは、みずからの人生の劇においても、強大な宗教権力から″破門″されるという大迫害に断じて屈しなかった。世界を友とし、味方としながら、忍耐強く、一切に打ち勝っていった。
13  人に尽くせば自分にも力が!
 トルストイは論じている。
 「人間には精神だけでなく、肉体的にも無限の力が秘められていると私は信じている。
 しかし、同時に、この無限の力を抑える恐るべきブレーキもついているのである」
 では、無限の力を抑える「ブレーキ」とは何か。それは、「自分はここまでしかできない」とか、「人間は弱い存在だ」といった、自己についての固定観念である。そうトルストイは考えた。
 これは、「色心不二」「一念三千」という生命変革の法理を説く仏法の人間観とも共鳴する思想といえよう。
 あきらめの心、弱い心を打ち破るのだ。大事なのは、勝利への断固たる一念である。
 自分自身の中にある「無限の力」――それは、他者の幸福のために尽くす行動によって解き放つことができる。そこにこそ、真の幸福がある。これが、トルストイの確信であった。
 まさに、私たちの日々の学会活動である。人に尽くす行動が、みずからの思いがけない可能性を広げる――このことは、皆さんが深く実感しておられることであろう。
 私が対談した、カナダの世界的平和学者ラパポート博士は、次のように語られていた。
 「世界の平和運動の多くは核兵器と戦争への″恐怖″から生まれたものですが、SGIは″平和とは人々の喜びと幸福が実現することである″と、一歩深い次元から平和運動を進めています。
 このような平和の団体は、世界に一つしかありません!」(「聖教新聞」二〇〇一年七月七日付)
 「人間革命」の哲学を掲げ、幸福と平和の連帯を広げるSGIに、世界の知性が寄せる期待は、ますます大きい。
14  日蓮大聖人が、御書に繰り返し引かれた法華経薬王品の一節がある。
 それは、「この大法を全世界に広宣流布して、断絶させることなく、悪魔、魔民、諸天(第六天の魔王など)、悪い竜、夜叉、鳩槃荼くはんだ(人の精気を吸う変幻自在の悪神)などに、つけいるスキを与えてはならない」という、釈尊の厳命であった。
 この仏勅のままに、わがSGIは、世界広宣流布を成し遂げてきた。
 嫉妬や忘恩に狂った、ありとあらゆる悪人や障魔を敢然と打ち破り、末法万年へ妙法を伝えゆく、限りない令法久住の道を開いてきた。
 釈尊も、大聖人も、どれほど讃嘆されていることであろうか。
 トルストイは、戦争という悪をなくそうと戦った。そして人々に、こう呼びかけた。
 「我等の手にあるのは、ただ一つであるが、しかしその代り、世界に於て最も有力なる武器――真理である」
 それゆえに「我等の勝利は、朝暾ちょうとん(=朝日)の光が夜の闇黒に打克つが如くに、疑い無きものである」。(「ストックホルム平和会議演説草案」深見尚行訳、『トルストイ全集』20所収、岩波書店)
 最後には、人間主義が勝利する。否、断じて勝利しなければならない。
 トルストイの精神に続いた、アメリカの非暴力の指導者キング博士は断言した。
 「悪は最後には、善の容赦ない強い力によって滅ぼされるのだ」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
 善とは「民衆の側に立つ」ことだ。「生命の尊厳を打ち立てる」ことだ。
 われらには、無敵の「法華経の兵法」がある。この一年を見事に勝ちきれば、次の五十年、百年の大前進を決しゆく、新しい創価学会が完壁にできあがる。
 わが同志の皆さん! われらの深き「創価魂」は、「断じて勝つ!」が結論である。
 この決心で、本年も、勝って勝って勝ちまくろう!
15  勝つことは喜び仏の勢力を強く
 広宣流布は、「仏の勢力が、どれだけ進んだのか」で決まる。ゆえに、広布を進めるためには、学会の勢力を強くすることである。それは善のための戦いであり、自分のための戦いである。
 ともあれ、「学会活動で勝つ」ことは喜びであり、うれしい。勝てば、すべてにわたって、福運を大きく増していく。また、広布の偉大なる道を開くことになる。
 牧口先生は、法華経の本質について、″外見には小善を顕しながら、内心には大悪をひそめている魔の正体を明らかにして、根本的に治療する″ところにある。そして、最終的には「究寛の最大善に至らせ給うものである」と指摘されている。(「大善生活の根本原理」、『牧口常三郎全集』10)
 究寛の最大善――これ以上の善はない、との初代会長の大確信である。
 私どもは、″学会活動は、善の中の最大善なり″との気概で、本年も進んでまいりたい。
 本日は、新春を寿ぐ本部幹部会に、さまざまな分野の方々が集ってくださった。
 まず、海外十七カ国・地域から参加された同志の皆さん、本当にご苦労さま!
 (幹部会で「今日も元気で」「母」を披露した)「白ゆり合唱団」の皆さん、美しい歌声、本当にありがとうございます。すばらしかった!
 それから、「創価グロリア吹奏楽団」の皆さん、勇気がわく名演奏、いつも、ありがとう!
 そして、スポーツ界の皆さん方、勝利のご活躍を祈ります!
 皆で応援しています。勝負には時の運がある。勝つ時もあれば負ける時もある。その日の体調の善しあしもある。けれども、戦う″闘魂″だけは失つてはならない。心で負けてはならない。ご健闘を祈ります!
16  芸術部の皆さんも、いつもありがとう!
 華やかな舞台で活躍されている姿は、本当にうれしい。いつも一生懸命、応援している。
 一歩下がったような感じになって、光があたらないという場合もあるかもしれない。それも、美しい。そこにこそ、本当の″達人″の芸術が磨かれていくからだ。
 大きな拍手をあびる時もある。それもいい。反対に、全然、拍手もなければ、脚光もあびない。
 それでも歌い、踊り続ける。わが芸術に打ち込んでいく。これも偉大な姿だ。
 妙法に生きぬいてこそ、不滅の光を放っていくのである。
 どうか、心晴ればれと頑張っていただきたい。
 芸術部の皆さんの活躍は全同志の希望であり、誇りである。私たちは皆で全面的に応援したい。
 「芸術部、万歳!」と声を大にして叫びたい。
17  勝利と幸福が輝く一年に!
 「聖教新聞」を配達してくださっている、尊き「無冠の友」の皆さん、心から御礼申し上げます。最大に感謝します。本年も、どうか「安全」で、「無事故」で、そして「健康・長寿」でありますことを、お祈り申し上げます。
 また、婦人部幹部会の開催、おめでとう。(拍手)
 今月から全国で聞かれる婦人部総会の大成功のために、妻とともに一生懸命、お題目を送っております。
 さて、今年、成人式を迎える方々は、おられるだろうか。(会場から「ハイ!」と返事が)
 おめでとう!(拍手)
 先ほども申し上げたが、学会の未来は、青年に託す以外にない。″これからの五十年″を、よろしくお願いします!
 そして東海道の総会、本当に、おめでとう!(拍手)
 神奈川も、静岡も、「聖教新聞」の拡大、そして弘教にと、本当に頑張られた。見事である。皆、広布の英雄である。
 さらに、アメリカ創価大学に学ぶ大事な大事な学生の皆さん!
 本当によく来てくださった。世界的なすばらしい大学へと発展している。創立者として、私はうれしい。皆さんの成長と学業の成就を、全力で応援します。どうかお元気で!
 それでは、長時間、本当にありがとうございました。本年も、皆さん方に勝利と幸福が輝く一年であられるよう、毎日祈っていきます。
 帰られましたら、ご家族に、また同志の皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 また、お会いしましょう!
 (東京牧口記念会館)

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