Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新春代表協議会 真剣、忍耐、誠実、団結で新しい出発

2005.1.2 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

前後
1  師のもとから心一つに
 新年、明けましておめでとう。
 白雪の富士山が、元日も、きょう二日も美しい。
 ここ大東京をはじめ、全国で、わが創価学会は威風も堂々と、「青年・拡大の年」のスタートを切ることができた。新年勤行会も、名実ともに日本一のスケールで行われた。
 私は、全国各地で戦っている同志に対し、最大の敬意を表し、心から感謝申し上げたい。尊き全同志のご健康、ご長寿を、私は、妻とともに心より祈っている。
 「勝利、万歳!」と讃えあいながら、新たな年を、元気にスタートしてまいりたい。
 また、このたびのスマトラ島沖大地震と、インド洋大津波の甚大な被害に、あらためて、お見舞いを申し上げたい。すべての犠牲者のご冥福を、仏法者として懇ろに追善申し上げるとともに、救援活動の進展と一日も早い復旧を、強く深く祈っている。
2  新年でもあり、懇談的に、お話しさせていただきたい。
 若き日、私たちは、元日に必ず、戸田先生のもとに集った。先生のもとから、心を一つに、新しい勝利の一年を出発した。
 仏法の師弟の根幹は「勝利」である。「勝つこと」である。
 戸田先生は、師である牧口先生に、牢獄までお供された。生きて牢を出た戸田先生は、反転攻勢の戦いを開始し、七十五万世帯という偉大なる民衆城を築いていかれたのである。
 戸田先生は勝った。勝つことで、師匠の正義を満天下に示された。
 私もまた、青春のすべてを捧げて、師である戸田先生に、お仕えした。
 先生の事業が挫折した最も苦しい嵐の日々。
 断じて負けられない広宣流布の闘争の連続。
 私は、ただ戸田先生の弟子として、勝って勝って勝ちまくった。
 そんな私を、戸田先生は、絶対的に信頼してくださった。元日に集まると、だれもいないところで、小声で言われたものである。
 「あした(一月二日)は、大作の誕生日だな。、おめでとう」「大作、いくつになった」と。
 師匠の心は、どとまでも深く、温かかった。
 私は、牧口先生、戸田先生の願業を、すべて実現してきた。両先生を、事実のうえで、世界に宣揚した。弟子として、これ以上の誉れはない。(拍手)
3  『戦争と平和』の重要な洞察とは
 人生であれ、会社であれ、いかなる組織であれ、競争や戦いをさけて、成長はない。発展もない。これが現実である。
 勝つことは幸福である。負ければ不幸であり、みじめだ。だからこそ、断じて勝たねばならない。勝つために、仏法はある。幸福になるために、信心はある。
 文豪トルストイの名作『戦争と平和』の重要な洞察は何であったか?
 それは、「絶対に勝つと決めた者が勝つ」との一点であった。
 「断じて勝つ」。この一念が強いほうが、最後は、必ず勝つ。この一念の力こそ、祈りである。私たちの信心である。学会は、この強き「祈りの力」で、一切に勝ってきた。
 「以信代慧(信を以て慧に代う)」の仏法である。信心は、境涯を聞き、勝つための「智慧」を生む。さらに「真剣」と「忍耐」と「誠実」で進むことだ。そしてまた、どこまでも、「団結」していくことだ。ここに、「絶対勝利の要諦」がある。
 ともあれ、私たちは、御本尊に題目を朗々と唱え、無限の勇気と智慧と生命力をわき上がらせながら、尊き同志とスクラムを組んで、生き生きと健康勝利の人生を、勝ち飾ってまいりたい。
4  世界の同志が求道心を燃やし来日
 本年は、SGIの発足三十周年の住節である。
 世界各国で、ともに戦っている友のことが、私の生命から離れることはない。
 どれほど、人知れぬ奮闘の連続であるか。その労苦が痛いほど、私の胸に迫る。すばらしい前進のようすを聞き、歓喜をもって、賞讃や励ましを送らせていただくこともある。
 その世界の同志が、求道の心を燃え上がらせて、研修のため、日本に来られることが、いかに大変であるか。疲れも大きい。旅費の工面も並大抵ではない。まとまった休暇を取ることも。これまた容易ではない。
 今、世界広布の進展とともに、ヨーロッパからも、北米からも、中・南米からも、東南アジアからも、インドからも、オセアニアからも、そしてアフリカからも、わが尊き地涌の友は、さまざまな苦難をものともせず、広宣流布のために、日本へ、勇み集ってこられる。
 御聖訓には、「道のりの遠さに、深き信心の志があらわれる」(御書一二二三ページ、通解)と仰せである。大聖人は、この同志を、いかばかり讃嘆しておられることであろうか。
 きょうは、海外での苦労の一端を偲んで、「シベリア鉄道」などを使って、日本と欧州を行き来した同志の姿を紹介したい。
5  「題目が種に 地涌の菩薩が躍り出た」
 欧州からの同志が、一九六四年(昭和三十九年)ごろ、パリから日本へ来るために、どういう経路をたどったか。
 それは、パリから列車でモスクワへ。
 モスクワから飛行機でハバロフスクへ。
 ハバロフスクから列車でナホトカへ。
 そしてナホトカから船で横浜へ、という経路であった。
 まず、パリからモスクワは、列車で二泊三日。
 道中、チェコスロバキア、ポーランドなどの旧東欧諸国を通った。
 冷戦下でもあり、共産圏の国々を行くのは不安がともなったという。
 ソ連(当時)が近づくと、線路の幅違うので、全車両の車輪を取り替えた。車輪の交換に四時間ほどかかったことも、記憶に残っている。
 モスクワに着くと、ホテルで一泊。
 モスクワからハバロフスクへは、飛行機で約十時間。
 ハバロフスクから、ナホトカまでは、列車で一泊二日の旅となる。
 さらに、ナホトカから横浜へは、船で二泊三日であった。
 「列車や船の中で、同志とともに、小さな声で唱題会を行ったものです」と、皆、懐かしく語っていた。ある欧州副女性部長は、モスクワからハバロフスクへ向かう機中、飛行機のプロペラの騒音で、落ち着いて話もでき、なかったことが、強く印象に残っているという。
 また以前、私の妻が、フランスの総合婦人部長と懇談したときのことである。
 「当時、旅の間、ずっと、お題目をあげていました」と総合婦人部長。
 妻は深く感動し、「その題目が種となって、ロシアの大地から地涌の菩薩が躍り出たんですね」と語っていた。
6  オーストリアの理事長は、日本から欧州へ向かうさい、陸路、シベリア鉄道で移動した。
 そのときの旅程もうかがったことがある。
 一九六九年(昭和四十四年)六月十日、横浜港を出航。当時、二十七歳。
 携えていたのは、御本尊と御書。そして、トランク一個。片道切符を握りしめての旅立ちであった。
 横浜港からナホトカまで二泊三日。ソ連の船で、一番安い四人部屋。
 津軽海峡では、船の揺れが激しく、ほとんどの人が、食事もできなかったという。
 ナホトカに着いてからは、港、空港、駅での写真撮影は禁止。
 ナホトカからハバロフスクへは十時間。夜行列車で朝に到着。
 ハバロフスクからモスクワまでは、シベリア鉄道で七日間の旅となる。
 シベリア鉄道は、全長約九千三百キロの壮大な道のりである。
 二等寝台は、四人部屋だった。食事は食堂車でする。朝、昼、タが、それぞれ、毎日、同じメニューで困る。味も、あまりおいしくない。途中の駅で、停車するが、どれくらい停車するか時間がわからない。停車中は、駅のホームを散歩した。
 「六月のシベリアの自然は、本当にすばらしい。花と緑のじゅうたんのようでした」と理事長は言う。
 とはいうものの、平原と森だけで、人や家は見えない。食べて、寝て、外の景色を見るだけの単調な一週間は、やはり、つらかったという。ずっと題目を唱えながらの旅であった。
 モスクワに到着後、モスクワ大学を見学。その建物の威容に圧倒された。その後、モスクワから列車「ショパン号」で三十六時間。音楽の都ウィーンへ到着したのである。
7  初めてロシアへ「そこに人間がいるから」
 私が妻とともに、初めてロシアを訪問したのは三十一年前(一九七四年)の九月であった。
 当時、「宗教否定の国に何をしに行くのか」との偏見と悪意の批判もあった。
 「そこに人間がいるから行くのです」と、私は答えた。
 どんな国の人であっても、同じ人間である。この一点で心を開いて話しあえば、必ず理解しあうことができる。それが私の信条であった。ロシアへ向かう機中からも、またロシア滞在中も、ユーラシアの広大な大地にしみ込ませるような思いで、民衆の幸福を祈り、間断なく題目を唱えた。
 今、わが同志が妙法のために往来したロシアにも、SGIの友が誕生し、活躍している。
 シベリア鉄道沿線の諸都市にある文化・学術機関からも、顕彰が続いている。
 すべては、平和と文化の連帯を広げゆくSGIの皆さまへの絶大なる賞讃にほかならない。
 (=二〇〇五年一月までに名誉会長には、モスクワ大学の名誉博士〈一九七五年〉、同大学の名誉教授〈二〇〇二年〉、モスクワ・国際大学の名誉博士〈一九九四年〉、ウラジオストク・極東大学の名誉博士〈一九九六年〉、ロシア国立「高エネルギー物理研究所」の名誉博士〈一九九八年〉、ブリャート国立大学の名誉教授〈二〇〇四年〉の栄誉が授与されている。さらに、極東国立工科大学の名誉教授、ならびにバイカル国立経済法律大学の名誉教授が決定。またシベリア鉄道の中間に位置するオムスクでは、百万坪を超える草原や白樺の森が「池田大作記念庭園」と命名された〈二〇〇二年〉)
8  妙法を唱え、広宣流布のために行動したことは一切、ムダがない。
 有名な「心地観経」には、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説かれている。
 過去がどうあれ、今この時に、いかなる因を刻むか。それで、未来は、どのようにでも変えていくことができる。透徹した信念で、そしてまた不動の精神で、未来を見すえて、一つ一つ手を打ち、種をまいていく以外にない。
 大聖人は「物の種というものは、一つであっても、植えれば多数となる」(御書九七一ページ、通解)と説かれている。
 春が巡り来て、花が咲くように、功徳と人材の大輪は、必ずや爛漫と咲き薫るのである。
 世界各国の指導者や識者の方々から、数多く新年のごあいさつをいただいている。
 香港の″芸術の母″であられる方召麐ほうしょうりん先生から、今年も、見事なる「書」を頂戴した。
 方先生は、今月で九十一歳になられる。祝賀を表す″金箔紅紙″に、躍動する名筆で、力強く「博愛」の字がしたためられている。
 (方画伯は、この書に寄せて、「中国人が最も尊敬する孫中山先生〈孫文〉の博愛の精神を体現している池田先生に」と語っている)
 方先生は、今も、かくしゃくと筆を執り、新たな創造を続けておられる。
 方先生の忘れ得ぬ言葉に、こうある。
 「今日の絵は今日だけの試み。明日はまた新しい試みがあるべきです。今年は去年と同じであってはいけないし、来年もまた今年とは別のものであるべきでしょう」(『方召麐の世界』富士美術館)
 偉大な″芸術の母″のご厚情に深謝申し上げるとともに、ますますのご健康とご長寿を、心からお祈り申し上げたい。
9  前進の人は若々しく爽快!
 前進また前進の人生は、生き生きとしている。若々しく、爽快である。
 十八世紀イギリスの作家サミュエル・ジョンソンはつづった。
 「勤勉と熟練とには不可能ということはありません」(『幸福の探求』朱牟田夏雄訳、吾妻書房)
 そのとおりである。停滞や怠惰は、人生の敵である。
 「月月・日日につより給へ」――仏法の真髄の精神も、ここにある。
 各地で、青年がさっそうと活躍し、幾多の新入会の友も、年頭より続々と誕生している。
 広宣流布に進みゆく、わが学会が、一年一年、隆々と勝ち栄えていく瑞相といってよい。
 反対に、広宣流布を阻もうとする日顕宗が年々、わびしく衰退していく姿は、眼前に明白である。「終にほろびざるは候はず」との御本仏の御断言は正しいのである。
 釈尊の法華経は、男女平等の大法であった。
 大聖人は、末法に、おいて、妙法を弘める者に、「男女の分け隔ではない」(御書一三六〇ページ、通解)と明言された。
 さらに大聖人は、「この法華経だけに、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている』と説かれている」(御書一一三四ページ、通解)と仰せになり、女性門下の強盛な信心を最大に賞讃されている。
 大聖人が、妙法を持ち、広宣流布に生きゆく女性を、どれほど尊重されたか。
 まさに、女性の尊厳、真の人間の平等を説き明かした革命的な思想であった。
 この大聖人の仰せのとおり、女性を尊敬し、大切にし、女性が伸び伸びと、その力を発揮していくところが勝っていく。これが甚深の法則である。今日の創価学会の大発展を支えてきたのも、婦人部・女子部の皆さまの力であったことを断じて忘れてはならない。
 これまで、いくたびも拝してきた御聖訓であるが、「十字御書」には、こう仰せである。ご存じのとおり、正月から、けなげな信心を貫く重須殿女房(南条時光の姉)を讃えられた御聖訓である。
 「今、正月の初めに、法華経を供養しようと思われる御心は、木から花が咲き、池から蓮華のつぼみが出、雪山の栴檀の香しい葉が開き、月が初めて出るようなものでしょう」(御書一四九二ページ、通解)
 そして、大聖人は、災いが絶えない世にあっても、「法華経を信ずる人は、栴檀に良い香りが備わるようなものです」「幸いを万里の外から集めることでしょう」(同ページ、通解)と仰せられている。
 大聖人の御約束は、絶対である。広宣流布の決意と誓いに燃えて出発した創価の同志が、この一年、希望と福運の花に包まれ、勝利の光に赫々と照らされゆくことは、断じて間違いない。
10  人を育てたところが勝つ
 一切は人で決まる。人を育てたところが勝つ。
 感じのいい人。人格が光る人。そういう人のこころには、自然に、皆が集まる。栄えていく。
 反対に、つっけんどんでいやな感じの人。おっくうがって、動かない絵のような人。そういう人と一緒だと、どこか歯車が狂ってしまうものだ。
 根本は、人である。なかんずく、中核となる人材群が大事だ。
 「新しい人」を育てることは、「世界の希望」をつくることである。
 私は何十年も前から、手塩にかけて、青年を育ててきた。
 「人材を見つけよう」「全員を人材に」
 そう決めて、全精魂をそそいできた。
 指導者は、感情で人を見たり、自分のわがままで人を判断したりしては絶対にならない。
 どうすれば、その人がいちばん伸びるか。尊き使命を果たしていけるか。
 一人一人の本質を見極め、育てていくのが、指導者の本分である。一生をかけた大切な仕事である。そしてまた、自分が縁した人、とくに、頑張っている後輩が、最高の幸福と勝利の人生を開いていけるよう、祈りに祈り、陰に陽に応援していくのが指導者の道であることを忘れてはならない。
11  人材は、ともに広布へ戦うなかで育つ。
 日蓮大聖人は仰せである。「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり
 折伏をする人は「仏の使い」である。すごいことである。自分だけの幸せを祈るのではない。人をも幸福にしていける。広宣流布は、世界一の聖業なのである。
 信心は役職では決まらない。いかなる困難があろうとも、勇敢に折伏をやりぬいた人は、必ず、仏の境涯となる。幸福王者と光っていく。
 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と大聖人は仰せである。
 自分も、友も、大福徳に輝いていくことは、仏典に照らして、絶対に間違いない。
 私も、妻も、多くの人に弘教をしてきた。
 私は青春時代、大田区の大森にある「青葉荘」に住んでいた。その狭い一間が″座談会″の会場となった。あまりに狭くて、太った人が来ると、もういっぱい(笑い)。立って話を聞いている人もいたほどである。
 当時、私が折伏した方が、今もお元気で、広布の庭で、ご一家で活躍されているとうかがった。
 同じアパートに住んでいて、後に入会された方もいる。信心の後継者を立派に育てている。本当にうれしいことである。
 私は、力の限り、広宣流布へ走りぬいてきた。障魔の嵐もあった。すさまじい闘争のなか、全身全霊で学会を支え、戸田先生に尽くしぬいた。
 今や創価の連帯は、この地球上に大きく広がった。それが私の最高の誇りであり、喜びである。
12  民衆が連帯し、より良い世界へ
 今、私は、ノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士と対談を続けている。
 博士は、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の名誉会長として、平和のために人類の良心を結集してこられた。
 私より二十年も年長で、今年で九十七歳。その博士が、はつらつと語っておられた。
 「(被爆六十周年の今年に行われる)広島でのパグウォッシュ会議には、必ずまいります。池田会長と日本でお会いできることを楽しみにしています」と。本当にうれしく、ありがたいことである。
 さて、対談で、「人類の未来について楽観的か否か」が話題になったときのこと。博士は毅然と次のように言われた。
 「私は、楽観的でなければならない、と思います。その反対は、たがいに破壊しあうことしかないからです。楽観主義しか道はありません」
 「楽観主義であるためには努力が必要です。自然に楽観的であることはできません。私が『楽観主義である』と言う時、それは、私が単純に世界が良くなると信じているということではありません。私たちが、より良くするために何かをしないかぎり、世界は良くなりません。自分にできる何かを、自分にできる貢献をしなくてはなりません」
 さらに、ロートブラット博士は、民衆運動について、こう期待する。
 「私個人としては、すべての人が、外部に影響を与えられる力を持っていると信じています。どんな努力も無駄にはなりません」
 「私たち一人一人には物事を変える力があります。それが、創価学会インタナショナルのようなNGO(非政府組織)の形で連帯すれば、間違いなく外部に影響を与える力も増すでしょう。連帯をして世界を変えていきましょう。時間はかかるかもしれません。しかし長い目で見れば、最後には民衆が勝利します」
 これが、激動の世紀を生きぬいてとられた「平和の信念の闘士」の叫びである。
13  シラー ″理想は断じて手放すな″
 ドイツの劇作家シラーは、ある戯曲の中で高らかに謳う。
 「人類の苦難に促されて、気高い理性が生みだした企ては、たとえ幾千たび失敗に帰しようとも、断じて放棄すべきではない」
 そして、この言葉を聞いた主人公に、こう語らせている。
 「君と高い理想が命ずることなら、何ひとつ忘れはしない」(『ドン・カルロス』北通文訳、『世界文学大系』18所収、筑摩書房)
 「平和」という人類根本の理想を実現しゆく原動力も、「気高い理性」に目覚めた民衆の勇気と執念にほかならない。
 ″アメリカの良心″ノーマン・カズンズ博士とも、私は対談集を発刊した(『世界市民の対話』。本全集第14巻収録)。戦後いち早く、広島を訪れた博士は、こう語っている。
 「もしわれわれが、現在生き、あるいはかつて生きていた人たちのうち、たったひとりのひとのためにもつくそうとしないならば、われわれはわずか半分の人生しか生きなかったことになるだろう」
 「人生の悲劇は、生きていながら内部では死んでいること――いつわりのない感情の死、心をふるいたたせる反応の死、他人の苦しみや幸せを自分のものと感じることのできる意識の死にあるのである」(『人間みな同胞』鮎川信夫訳、荒地出版社)
 そのとおりである。広宣流布という究極の「人類貢献の大偉業」に尽くしゆくわれらの創価の人生が、どれほど崇高であるか。私たちは、心も頭も体も、生き生きとフル回転させながら、平和と正義の叫びを、いよいよ勇敢に轟かせていきたい。
 そして、最高に価値ある栄光の人生の「劇」を愉快に勝ち進んでいとうではないか!(拍手)
14  学会は「仏意仏勅の教団」
 ここで「三沢抄」を拝したい。この中で、門下の三沢氏からの真心の御供養に対し、御礼がていねいにつづられている。
 「柑子みかん百個、昆布、海苔、於胡おご海苔等の生ものを、はるばると、わざわざ山中まで、お送りいただきました」(御書一四八七ページ、通解)
 真心には真心で応える――日蓮大聖人の礼節の御振る舞いを、私たちは深く拝していきたい。
 逆に、大聖人を利用し、恩知らずで傲慢な所業を重ねてきたのが、日顕宗であった。
 この御文に記された昆布は、学会の各会館でも、新年の御宝前に供えられている。
 昆布は、厳寒の海で育つ。滋養に富み、「海藻の王者」と言われる。古くは「広布ひろめ」とも書かれた。腐りにくいので、戦国時代は兵糧ひょうろうに用いられ、戦場にも携帯された。
 戸田先生は少年時代、親孝行をしようと、昆布をお金に換えて贈り物を買われたそうである。先生が、故郷の厚田村に私を連れていってくださった時(一九五四年八月)、そうした思い出を語ってくださったことが懐かしい。
 この「三沢抄」には、厳然と仰せである。
 「末法の凡夫が、釈尊一代の教えの御真意を悟り、天台大師の摩訶止観という重大な書の心を体得して(一念三千の法理を悟り)、まさに仏になろうとすると、第六天の魔王は、それを見て驚いて、こう言う。
 『ああ、とんでもないことだ。この者(法華経の行者)が、この国で活躍するならば、彼自身が生死の迷いを離れるだけでなく――それだけならまだしも――人々をも導いていくであろう。
 そして、この国土を押さえ取って、私(魔王)の領土を浄土(仏国土)に変えてしまうであろう。どうすればよいか』
 魔王は、こう言って、欲界・色界・無色界の三界(六道輪廻の世界)の一切の手下を招集して、次のように命令を下す。
 『おのおのの能力にしたがって、あの法華経の行者を悩ましてみよ! それでだめなら、彼の弟子・信仰者、その国の人々の心の中に入り代わり、諌めたり、脅したりしてみよ!』と。
 『それでも(法華経の行者を)倒すことができ、なければ、われ(魔王)みずから降りていって、国主(権力者)の身心に入り代わって、脅してみよう。そうすれば、どうして(広宣流布を)止められないことがあろう』と評議するのである」(御書一四八七ページ、通解)
 ここに、難が起きる構図が明確に説き示されている。
 創価学会に襲いかかってきた難も、この御聖訓に寸分違わぬ「悪鬼入其身」の姿であった。
 しかし学会は、これら三障四魔、三類の強敵のすべてを打ち破ってきた。完壁に勝った。
 このことは、学会が正真正銘の「仏意仏勅の教団」であり、「最極の正義」にして「最強の仏の陣列」である証明である。
 仏法史上に輝きわたる未曾有の勝利の歴史――それは、わが学会員の同志が、来る年も来る年も、真剣に、真面目に、戦いぬいてこられた結果にほかならない。学会は、清浄無比な和合の世界である。ゆえに、邪悪な人間は必ず見破られ、正体を現し、いられなくなるのである。
 七十五年前(一九三〇年十一月十八日)、学会を創立してくださったのが、われらの師匠牧口先生であり、戸田先生である。
 御書には、「師はまた、邪道を閉じて正道に赴かせる等の恩が深い」(御書四三五ページ、通解)と記されている。万年の未来へ、幸福の道、正義の道を聞いた師の恩は、大海よりも深い。このことを、私たちは、ゆめゆめ忘れずに進みたい。
15  太陽の仏法は全人類を照らす
 さらに「三沢抄」には、こう仰せである。
 「この(真実の)法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師の説いた法門は皆、日が出た後の星の光のようなものとなり、優れた技の人を知ったあとでは、劣ったものであることがはっきりわかるようなものとなろう。
 この時には、正法時代や像法時代の寺堂の仏像や、僧などの利益は皆、消え失せて、ただこの大法だけが全世界に流布するであろう、と説かれている。
 あなた方は、このような法門に宿縁ある人であるから、頼もしく思われるがよい」(御書一四八九ページ、通解)
 時代の闇は深い。だからこそ、真実の思想・哲学は、いちだんと光り輝く。
 従来の宗教や思想は、それぞれに実験され、検証されてきたといってよい。日蓮仏法は、いよいよ人類史の舞台を旭日のごとく照らしゆく時を迎えた。
 学会員が、地域で、社会で、人生で、勝利の旗を打ち立てていくことが、どれほど、大きな希望の光を広げゆくことか。この一年も、断固として勝ち進んでまいりたい。(拍手)
16  本年二〇〇五年は「日露修好百五十周年」にあたる。
 いちだんと友好の道を広げる時である。ロシアの魂の声に耳をかたむけたい。
 文豪トルストイは叫んだ。「知らないことを恐れるな。虚偽の知識を恐れよ。それは、世界の悪の根源である」
 虚偽の知識――その悪の根を断つには、正義の言論を強めることだ。
 ドストエアスキーはつづっている。
 「いうべき言葉を持っている人は、自分の言葉が聴かれないだろうとか、嘲笑されるだろうとか、同時代人の頭脳になんらの印象をも与えないだろうとか、そんなことをおそれずに発言するがいいのだ」(『作家の日記』下、『ドストエフスキイ全集』15、米川正夫訳、河出書房新社)
 正しいことを言うのに遠慮などいらない。恐れる必要もない。人類がともに幸福に生きる世界のために、今こそ「人間革命」の哲学を語りに語ってまいりたい。
 今やロシアの天地でも、モスクワをはじめ、各地で新年の勤行会が行われている。
17  新たな拡大へ リーダーが先駆を切って
 今年の「SGI発足三十周年」にあたり、原点の地グアムで、さまざまな記念行事が予定されている。名門のグアム大学では、「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展が開催されるとうかがった。心から感謝申し上げたい。
 (=この展示は、キング博士の母校、米モアハウス大学キング国際チャペルの主催。グアム大学は二〇〇〇年、名誉会長に「名誉人文学博士号」を贈っている)
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは、いかなる指導者であったか。
 一人の女性の闘士は、回想している。
 「ガンデイージー(=ガンジー)が部隊の後方にいたことは一度もありません。彼は先頭をきっていました」(J・ネールー他『インドの心』松本重治訳編、中央公論社)
 リーダーが先頭を切って道を開いてこそ、新たな「拡大」が始まる。希望と勇気が広がる。
 法華経では、仏が自身のことを「開道者」と呼んでいる(薬草喩品)
 戸田先生は、ある年の元日、第一線のリーダーに呼びかけて、こう書きつづられた。
 「学会の興廃双肩にありと先障をきってもらわなくてはならない」(『戸田城聖全集』3)
 私もまた、全リーダーの皆さんに、「『広宣流布の興廃、わが双肩にあり!』と、君よ、先陣を切ってくれたまえ!」と叫び、託したい。
 そして、
  三世まで
    意義ある思い出
      今世にて
  
  勝ち戦
    これが功徳と
      三世まで
 との句を贈って、新春のスピーチとしたい。
 本年一年、どうか、よろしく! 本当にありがとう!
 (東京牧口記念会館)

1
1